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L.― 電信2

 そうだね――うん。平素、笑っていられるのは、とても大事なことだね。……大事さ。愛想を振りまけば良い、と言っているのではないよ? なんだろうね。ひとと話していて、いつもいつもしかめっ面じゃあ、何とも具合が悪いじゃないか。

 怒っている――どうだろう。ああ、姉さんの場合はね。素直じゃあないんだ。でも、優しいひとだよ。――うん? ふふ、確かにそうかもしれない。僕達は、双子だから。多少悪いところを差っ引いても、贔屓目というのもないとは言えないかな。けれどね、これは本当のことなんだ。……そう。言うなら、たったひとりの姉だから――其処だけは、譲れないかもしれない。

 僕はこうやって床に付しているからね、――ベッド、と言うのだよ、布団に木製の足が四本、付いているんだ。踏み台の広い奴で、布団がその上に載せられるような塩梅を考えてくれれば――想像が付かない? うん。僕もこの眼で見るまではそうだった。ここの療養所の院長がね、随分と数寄物らしくて。電信がこうやって備えられているのも、そういう故じゃないかなあ。

 ああ、それで――ふふふ。……あ、ごめんね。此処は結構ひとも居るし、大きなところなんだけど……ベッド、というものが、それほど手に入らなかったらしくてね。院長がこっそり――や、少なくとも本人はそういうつもりで――作ってるんだ。ん? そう。ベッドを。大工仕事で。可笑しいだろう? 気立ての良いひとなんだ、とてもね。普段は、かなり寡黙なんだけどね。それを知っているから、誰も文句なんか言わないさ。

 僕なんかは、ちっとも落ち着いた感じがしないなあ。彼には悪いのだけど。身体が地から離れているのだからね。

 けど、慣れる。どんな環境に居ても、ひとは慣れる生き物なのかもしれないね。
 ただ、――外の事情をこの眼で見ることが出来ない、というのは……さみしいかな。かなしくは、ないよ。僕が此処に居るのは、どんなことがあったって、きっと変わらないのだから。かなしんだって、どうしようもない。そうだろう?

 ――はは、そうかな。僕としては、そんなつもりはなかったのだよ。ただ、女がいつもめそめそ泣いているなんてのは、世間の印象なのだろう、とも思う。姉さんに、よく言われるからね。

 ちょっと違う? ううん、そうかなあ。……――




――――――――――


L.2


 二人並んでのこのこと、街中を歩く。
 溢れんばかりの活気があるのは良いことなのだろうけど、僕はきっとこの先、この人波に慣れることなのないのかもしれない、とも思う。酔ってしまいそうだ。

 僕の隣を、焦げ茶の編み上げ靴をこつこつと慣らし歩いている彼女は、この喧騒をものともしていない様子だった。つんと澄まして歩く姿は、何ともそれらしい。流石は女学生。普段どんな塩梅で慣らしているのだろう。

「こういうのは、平気な方か?」
「っ、へっ!?」

 素っ頓狂な声をあげる彼女。いきなり話しかけて、驚かせてしまったか?

「や、済まない――と、さっきから謝ってばかりか。人ごみが酷いからさ、それが平気か、って訊いただけ」

 合点がいったかいかないか、少しかぶりを振って彼女は答える。

「だ、だだだ大丈夫に決まってるですぅ。何言ってるですか、おめーは。私はこんなの、お茶の子さいさいなんですよ」

 ――訂正。彼女も、こういうのにはちっとも慣れていないようだ。先刻も独りで行動していたようだし、ひとと群れるのが苦手な方なのだろうか? と言うか、よくよく見てみると、彼女の額の辺りに、僅かに脂汗が浮かんでいるのがわかった。

 無理をしているのだろう。いよいよ、申し訳ない気持ちになってくる。早めに目的の場所へ辿りつき、上質の甘味を馳走することにするか。

「急ぐよ。手、貸して」
「なっ、何するですか!」

 ぎゃあぎゃあと後ろで騒ぐ彼女のことを少し無視して、僕は彼女の手を取り小走りを始める。僕もこんな人ごみからは、さっさとおさらばしたい。


――――――


 ようやっと辿り着いた眼の前に見える看板は、甘味処『うさぎの』の看板。矢張り、中は満員の様相だった。

「ちょ、ちょっと強引すぎるです、おめーは……」

 肩で息をしながら、僕に抗議してくる彼女だった。斯く言う僕も、相当疲弊してしまっている訳ではあるのだけれど。

「ま、まあ……いいだろう。それにしても、中はひとで一杯みたいだ」
「それじゃあ、入ることなんか出来ないんじゃねーです?」

 表から入れば、確かにそうだ。しかしながら、僕はこの店に対する裏道に通じでいるのだ。表から入っても、それはそれで平気かもしれなかったが、外で並んでいるひと達に割り込んでまで、それをする気にはなれなかった。

「こっちにくれば大丈夫だから」

 そう言って、また彼女の手を引く。やおら女子の手に軽々しく触れるというのも、男子の心意気としてどうか、と。そう思わなくも無かったが、僕は生憎、そういった甲斐性など馬鹿馬鹿しいと思ってしまう性質(たち)だ。

 彼女は彼女で半ば諦めたのか、大人しくそれに従っていた。


――――――


 裏道に入ると表道の喧騒は何処へやら、幾分落ち着いた雰囲気になる。そんな空気の中、甘味処『うさぎの』の裏口は、在った。

「何でこんな裏口に来るです?」
「ああ――店主と、ちょっとした知り合いで。家族繋がりで懇ろにさせてもらってるから、よくお邪魔してるんだ」

 へぇ、と。感嘆の息らしきものを漏らす彼女を余所に、僕は裏口を潜る。
 座敷に上がると、店は雇い人に任せているらしいのか、店主の顔があった。

「こんにちは」
「やあ、坊ちゃんですか――と。おや、可愛らしいお嬢さんを連れ立って、裏口からの参上とは。隅に置けませんね。密やかな逢瀬ですか?」

 切れ長な両眼に良く似合う小さな眼鏡をつぃ、と左手中指で上げながら。いつも通り妙に丁寧な口調で店主は言った。
 何の言に反応したか、隣に居た彼女の顔が、ぼっと紅く染まる。

「ここ、こいつと逢引きなんて、冗談じゃねーです! こいつからは美味しい甘味のひとつでも奢ってもらわんことには、私の気が済まねえだけです! 大体、私は花も恥らう乙女ですよ!? 逢引きだなんて、そんな不埒な……」

 捲くし立てる彼女だった。多分、花も恥らうような乙女は、このように声を荒げたりはするまいよ。僕はその言葉が途切れる合間合間を縫って(いちいち僕の言に反論を成そうとするものだから)、事の仔細を説明する。

「ははぁ……まあ、そういうことでしたら。他ならぬ坊ちゃんの頼みですからね、こちらでひとつ、何か用意させて頂きましょう」
「あー……聞き入れて貰えるのは、とても有難いことなんですが……その、『坊ちゃん』ていう呼び方、何とかなりません?」
「いやいや、それは致し方ないこと。僕は僕で、これにすっかり慣れてしまっているのですから。其処はどうか寛容に、目くじらなど立てずに居られれば助かります」

 そう言い残して、いそいそと彼は仕度場の方へ消えていった。

「全く……」

 その声を聴き取ったか、彼女が口を開いた。

「おめーが『坊ちゃん』ですか……なんか似合わんですねえ」
「自覚してるよ、言うな」

 ちょっとむすっとした感じで応えてしまう。それを受けた彼女は『あっ』という言葉を少し漏らしてから口に手を当て、言葉を続けた。

「す、すまんです。決して悪い風に見た訳じゃないですよ……似合わん、ってのは、ええとですね……」

 僕にかけるべき相応しい言が、見つからない様相であった。いやはや、これでは先刻と、立場が逆転してしまっている。
 恐らくして、彼女は僕に気を遣おうとしているのだろうが、どうにもそれが上手くいかない。しかしながら、この様を見て一言『不器用』と吐き捨てるのは些か早計ではあるし、少し様子を見ることにする。

 それに。そもそも、彼女が僕に気を遣うことなど、本来無くとも良いことであるのに。矢張り、話してみないとわからないということは、ある。当初、横柄に過ぎると思っていた彼女に関する印象は、僅かに変わろうとしていた。


――――――


「お待たせ致しました。外は暑かったでしょう。なるべく涼やかなものにしてみましたが」

 半透明のくずきり餅に添えられた、この店定番のまめかんであった。『うさぎの』では黒蜜をあまり用いず、さっぱりとした甘さの白蜜で和えることが多い。この辺りが、酒呑みな男でも食べやすいとされて、人気だったりする要因のひとつなのだろう。盆の脇には、口直しの為の胡瓜の漬物が、ちょこんと載っている。

「じゃあ、……いただくです」
「僕は飲み物を用意するよ。生憎冷たいものは淹れられないが――少し奥の間、借りて良いですか?」
「どうぞどうぞ」

 店主とともに、仕度場へ。店の注文に応えるのにおおわらわな店員が、ぱたぱたと走り回っていた。

「すみません、お忙しいところを」
「構いませんよ、坊ちゃん。あなたが女子を連れてきたのを見たときは、失礼ながら驚いてしまいましたが――ああ、良い葉が入りましたよ。良かったら使って下さい」
「ありがとうございます」

 主だった品揃えだけでなく、細やかな配慮が訊くというのも、店を経営するあたりにはきっと大事なことなのだろう。ここは甘味処ではあるけれども、例えば先程添えていた口直しの為の漬物ひとつとっても、良いものを使っているし。今こうやって淹れようとしている茶だって、そう。
 それに、品揃えも、何処から情報を仕入れてくるのか、ひとの眼を惹くような真新しいものが季節によって取り揃えられていくのである。

「ああいった白蜜和えっていうのも、他じゃあんまり見ないですね」
「ああ……どうでしょうね。我が店定番の品ですから。他には無いと言えば、それだけで強みにはなるかもしれません。東亰の辺りにこの間出かけることがあったのですが、また面白そうなものがありましたよ。あれはこれから先流行るのではないですかねえ。今度うちでもやってみようかと思います」

「はあ、なるほど――あ、そうだ。彼女をここへ連れてきたことについてですが」

 茶を湯のみに注ぎながら、僕は答える。

「まあ、自分でも驚いてますよ」


――――――


 盆に湯のみを二つ載せて、彼女の居る間へと戻る。

「……」

 彼女は僕の予想とは異なり、まだその甘味に舌鼓を打っている最中だった。てっきり、がっついた挙句、椀はすっかり空になっているものだと思っていたのに。
 左手を椀に添え、慌てることなく、ゆっくりとくずきりをその小さな口へ運ぶ。先程大口を開いて騒いでいたのと、果たしてこれは同一なのだろうか?

 ひとつひとつ味を確かめるかのように、噛み締めている。余程美味しいのか、ちょっと頬が紅くなって、顔が綻んでいるのはご愛嬌だが――その仕草は何処と無く気品溢れ、優雅な様であるように感じた。

 何処か、良い所のお嬢さんなのかもしれない――そう心に浮かべながら、僕は彼女に湯のみを差し出した。

「お気に召した?」
「!」

 いきなり話しかけた訳でも無かったのだが、向こうにとっては不意をつかれたも同じなようで。

「――っ、ゴホッ、ゴホッ!」

 ちょっと喉が詰まったようである。

「――落ち着け。大丈夫か?」

 ほら、と。改めて差し出した湯のみを僕から奪い取り、それを喉に通した。

「んぐ、――はぁ。い、いきなり話しかけるんじゃねーですよ! 死んだらどうするつもりですか!」

 まあ、洒落にしても面白くないことは確かだった。

「済まないね――と。本当に先刻から謝ってばかりだ、僕は。とりあえず改めて訊いておくけど、どうだった、それ」

 茶を飲んで少しばかり落ち着いたらしい彼女が、口を開く。

「た、確かに……巷の評判は伊達じゃねえようです。その――美味しかったですよ」

 つい、と。そっぽを向きながらの御返答。矢張りと言うか、素直ではないが――これが彼女なりの喜びの表現であろうか、とも思う。
 ふむ。普段はつんつんとしていながら――こういった性質のひとは案外と、思わぬところででれでれとした感じになるのかもしれないな。成る程。つんつん、でれでれ――つんでれ。何を考えてるのか、僕は。馬鹿か。

「まあ、僕が作った訳じゃないんだが」
「おめーを褒めてるんじゃねえです!」
「はいはい」

 下らぬ、戯れ合いだ。しかし、どうしたものだろう。港を歩いていたときの、鬱々とした気分は何処か遠くへ行ってしまって。晴れやかとまではいかないまでも、普段よりは気分が和んでいるような気がしないでもない。

 不思議だった。僕は割と、ひととの会話を長く続けようとは思わない"たち"で――や、今だって話ひとつは、ぶつ切りではあるが――いつもなら、なるべく他のひとには関わりたくないとするのが常であるのに。これは一体、どうしたことか。

「しかし、あんなところで何をしてたんだ?」
「……おめーこそ、何してたです。周りも良く見ないで」

 それはお互い様だが、敢えて口にしない。

「いや、それは本当に悪かったよ――ええと、僕は散歩。特に目的もなく、ぶらぶらと」
「いい若い男が、何もせんことに昼間から出歩くもんじゃねえですよ」
「……」

 いや、全く以てその通り。それについて、僕は返す言を持たない。
 そうやって押し黙ってしまうと、またしても彼女は少し焦った様相だった。

「あ、あ……や、外での気晴らしも、たまにはいいもんです! それに――私も、悪かったです。ちょっと考え事してて、ぼんやりしてたですから」
「考え事?」
「……」

 今度は、彼女の方が黙る。深刻な悩みでも、抱えているのであろうか。
 僕はそんな彼女に対して、何を返そうかと少し逡巡していた。――そして、ここでまた、僕の中の"考え虫"が、悪い癖を起こす。

『彼女は逢ったばかりで、お互いよく知りもしない。彼女が悩みを抱えていたとして、それに付き合う義理もあるまい――』

 ――五月蝿い。内から聴こえる声が、酷く五月蝿い。
 そうやってまた、思うのだ。こうやって考えてしまうこと自体は、疑いようもなく僕自身がしていることで――そう、思ったことが、全て僕の中で真となる。外には出さずとも。それは真となる。

「――……ぶ、です? ちょっと?」
「……?」
「大丈夫か、って訊いてるです、……顔色、良くないですよ?」

 ――またか。一瞬のことであったろうが、――僕は己の中に、"落ち込んでいた"。

「大丈夫だ。これでは矢張り、うすぼんやりと呼ばれても仕方ないな」

 言いながら、何時の間にか滲み出ていた額の油汗を拭う。

「これ、――使うです」

 薄い緑色をしたハンカチーフを、差し出された。

「……ありがとう」

 何とみっともなく、情けないことだろう。しかし今は、眼の前に居る彼女の気遣いが、ありがたかった。

「……うすぼんやりは、お互い様です。しかも大体、ぼんやりとしてる癖に、気分を休めてはくれない――多分それも、同じなんですね。おめーも、私も」

 そう言いながら、彼女は少し眼にかなしみの色をのせながら、微笑んだのだ。

 この時の彼女の表情を、きっと忘れられないだろう、と思った。

 そうして、ここから遠くないこの先。僕はまた、彼女のこの、かなしみをたたえた笑みを、見ることになることを。この時の僕はまだ、知る由も無い――


――――――

R.― 日記


『……――

 不治、ということ。なおらず、と。そのまま読んで、矢張り意味は変わらない。
 私は今日、改めてそれを思い知らされた。うすぼんやりと港を歩いていた、彼の話を聞くことによって。もっとも、うすぼんやりはお互い様だったけれども、……

 ……

 彼も多分、かなしみを背負っているのか。
 確かに潜む、それ。
 逃れられない、それ。
 私にも、遠くない先、それがやってくるのかと思うと、……

 ――……』



『快復まで』 一部、書き綴られていた内容が、黒く塗り潰されていた。





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