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―/― プロローグ


 ――声が聴きたい。

 思った。
 きっと、声というものには、それを発したひとのたましいが込められるのだろうと。
 時にそれは己を勇気付ける。
 無ければ、少しさみしい。
 ――そう。さみしいのだ。かなしい、のでは無い。

 僕は受話器に手をかける。
 あのひとの、声を聴くために。

 声は、眼に見えるかたちで残らない。
 だけど、それを聴いている最中。そう、その瞬間は、確かに。
 それは僕のこころの中に、響き続ける――


――――――――――


 ――言葉を綴ろう。

 思った。
 きっと、言葉というものには、それを綴ったひとの想いが込められるのだろうと。
 時にそれは深い感動を与えてくれる。
 無ければ、少しかなしい。
 ――そう。ほんの少し、かなしいだけ。

 私はペンを手にとる。
 何の為に、という問いがあったならば――それに答えることは出来ないだろう。

 言葉は残る――こうやって、書き綴ることで。
 これがいつか、誰かの眼に触れて。
 時違いの物語となり、触れたひとのこころに響くことが、あるだろうか――





【てのひら】L/R






L.― 電信

 もしもし。――もしもし? ……姉さん?

 ええと。……あなた、は――誰、ですか。えっと、はい。姉と話してたんですけど、なんだか声が聴こえなくなって……はい。

 あなたもですか? ……おじさんと。はい。困りましたね、ええ……


――――――


 双子なんです。年は僕と一緒で――はい。今年で十七。――え? あなたも。ああ、そうなんですか。敬語、――はい。ああ、また言っちゃった……

 そういうことなら……うん。わかったよ。ふふ、なんだか緊張する……普段男の子と話したりしないからね。ましてや同い年だなんて。もっとも、こんな話し方なんかしてたら、生意気だなんて言われそうちゃいそうだけど。姉さんはしょっちゅうみたいなんだ、そう言われるのは。――嫌な? うん、……そうだね。でも最近の女学生はそんな風に言われちゃうみたい。僕はあまりすきな言葉じゃないかな。君もそうなのかい? ――それは、優しい考え方だよ。……ううん。そうさ、きっと。

 あ、それでね。僕の姉さんなんだけど――見た感じ気丈に見えるのだけどね、あれで結構、気にしてるんじゃないかって思ったりもするんだ。


――――――


 うん。――そうだね。顔が見えないから。不思議だね、なんだか。顔が見えないから、声でしかわからない。だけど、こんな風に話せるのだって、すごいことだと思うよ。

 え? まあ、確かにね。こういうことって、よくあるのかな。僕は初めてだけど。君もそうかい? うん。面白いかもしれないけど、あんまりしょっちゅうだと困るかなあ。ふふ。

 あ、――ええと。それは、無しにしておこうよ。たまたま、ほんとにたまたま、僕達こうやって話してるけど――うん。名前は、このまま秘密にしておくというのはどうだい?
 なんとなくだよ。けれど、その方がきっといい。きっと、そうだよ。……うん。ごめんね。

 ああ、その理由、って言うかね。……僕、病気なんだ。胸の、病気。今は療養所に居るんだよ。今は落ち着いてる。空気がいいんだ、此処は。咳も今は少ないし――うん。無理はしてないよ。ごめんね、気を遣わせちゃって。やっぱり優しいのだね、君は。

 ……そんなこと、ないさ。ひとに気を遣うのは、簡単なようでいて難しいよ、いつだって、ね。

 ああ、それでね。だからきっとこの先――そう。僕はこんな感じで、病気だから。僕と君が逢うことは、きっとない。逢えないひとの名前を覚えてしまうっていうのは、存外にさみしいことだと思うんだ。……そうだね。ありがとう。お互い居る場所も、明かさないでおくのがいい。

 ――もうしばらく、お話していてもいいかい? いつ途切れちゃうかわからないけど。君さえ良ければ。もう少し、もう少しだけ、――






L.1


 青は、不思議だった。見上げれば空、見渡せば海。同じ青の筈なのに、何故こんなにも印象が異なるのだろう。
 違いを表そうとして思い浮かぶ言葉は、"深さ"。色の深さが、このふたつにおいて、どうしようもなく違う、などと。そんな下らないことを考えている。
 僕は物書きが得意な方では無いし、元より筆まめという程でもないのだけれど。少しだけ気取って言うとしたら……片方は青く、片方は蒼い。そんな風に言葉を綴るのは、果たして己らしいのか、らしくないのか。

 潮風を受けながら、ふらりと港を歩いている。この辺りは街中に比べれば幾分ひとは減っているものの、その喧騒が消えることなど無い。

 ひとごみは、好まない。過ごすなら、静かなところが良い。もっと言うなら、僕は独りで居たいのだ。しかしながら、果たしてその願いは、今己が歩いている場所でも叶わぬものなのだけれど。ただ畢竟、家にいてもどうせ、家業の手伝いをさせられるばかり。

 染物の才がある、と言われた所で。どうにもこうにも、こころの中にすとんと落ち込んでくることは無かった。実感が、伴わない。それはその実、如何ともし難いことであり。そう遠くは無い筈の先、僕はきっと、家を継ぐ筈なのだろうけど。少し、ほんの少しの間で良いから、その責から逃れていたい――というのが、正直なところ。
 このような己について、家族には不平を零さぬようにはしているものの。内心、忸怩たる思いを抱えている――そして、そう成らざるを得ない――のが、僕だ。

 近くに居るらしい女学生が、きゃあきゃあと五月蝿い。何がそんなに楽しいのか、僕にはわからない。
 この頃は女子も勉学を嗜むようになってきていて、そのこと自体はとても良いことなのではないかと思う。僕の周りでは、家の仕事もせず、外でうつつを抜かすとは何たること――そんな風に言っている輩も、居るには居る。
 けれど。そのような考え方も、些か古いのではないか――そんなことも、頭の隅っこ辺りに浮かべたり浮かべなかったりなのだ。
 時代は、移り変わるのだ。江戸のことなど、僕は知らぬ。産まれてもいない。今、時は明治。そう、今なら今の有り様というものが開かれていくのも、おかしいことではあるまい。

 五月蝿いのは好むところではないが。例えばあすこに居る彼女達を、生意気である、という一言で片付けるのも、僕は良しとしない。大体、生半可に粋である、などと。ひとに対し、面切って言える奴らの気など知れない。

 こんな風に、己の中で思いを巡らせてしまうのも。多分僕は、中に"考え虫"なるものを飼っているせいではないかと、思ってしまうのだ。こちゃこちゃと回りくどく、考えを掻き混ぜてしまう虫。そいつが僕のこころを時に乱し、俗に言う"良くない方向"へ思考を向かわせる。

 こいつが僕の中で喚きだした頃を、思い出す。――それほど、昔のことでは無いと言うのに……何だか、とても遠くに起きた出来事のようにも感じられる。

 僕の未熟な仕事振りを、いつも見守っていてくれた彼女。幼馴染の、彼女。こうしてふらふらと出歩いている今の僕の姿を見たならば、彼女は何と言うだろう。

『お前は、全く以て仕方の無い奴だ――』

 声が聴こえる。己の、身体の内から。――下らない。全く以て、下らない。

「……」

 一週間前の、不思議な電信を思い出していた。僕と同い年の、女子との会話。叔父との会話中に、それは唐突に訪れて。電信の混線と言うのは、僕にとっては初めての経験であり、多少戸惑いはあったものの、それほど悪い気分では無かった。

 聡明である、というのが、僕の彼女に対する印象だった。話こそ、とりとめの無いものではあったけれども。

 彼女は僕のことを、優しいひとである、と評してくれた。
 そんなことは無い。僕はただ、"生意気"という言葉が少しばかり嫌いなだけであって、ただその考えを率直に述べただけであったのだから。

 胸の病気、と言っていた。療養所、そして咳、という言葉から察するに。恐らく、彼女の病というのは――

 不確かな、それでいて半ば確信的であるような。そんな予想を僕が浮かべている最中も、女学生は騒ぎ続けている。名も居場所も知れぬ彼女の、双子の姉というのも――しばしば、生意気と呼ばれてしまうことがある様子であった。余程の気丈ぶりを、普段は見せているのであろう。あすこに居る、彼女達のように。僕はそれでも、それを生意気と評することを、きっとしないのか。

 ――もっとも。そんなことを考えられるのは、恐らくして、僕が元より彼女達と戯れることが無いため。一度関わりを持ったなら、僕も何を言い出すか、杳として知れなかった。電信での彼女との会話も、顔が見えないから続いたようなもので。僕はその程度の、器の小さい人間だ。

 眩しいほど青く――いや、蒼く――広がる海を見渡しているというのに、難とも鬱々とした気分になってきた。これは宜しくない。気晴らしのつもりが、考えすぎた――や、いつものことか。仕方無い。全く以て、仕方の無いことだ――そう考えるのも、いつも同じなのだから。

 そうやって多分、ぼんやりとしていたのだろう。

「きゃぁ!?」

 どん、と。衝撃を受けて身を崩し、思わず尻餅をつく。腰の辺りを擦りながら、謝罪の意を伝えようとする前に、ぶつかった相手が口を開く。

「ちゃんと前向いてるですか! このうすぼんやり!」

 うすぼんやり、などと言われて、僕は驚いてしまう。眼の前で、矢張り僕と同じように尻餅をつき、腰に手をやっているのは、どうやら女学生の様である。ただ、元より向こうに居た女学生の集団の仲間では無い様で、彼女は独りだった。

「――や、済まない。ちょっと考え事をしてたものだから――」

 言いながら、様子を伺う。きっ、とこちらを睨みつける眼つきが、随分と悪い。と言うか、怖い。相当怒っているのか、これは。
 家業柄、と言う訳でもないが、彼女が身に着けていた袴の帯に眼がいった。――ん……きりりとした黒繻子の帯で誂えた袴は、随分上等なものの様子。

 そして実は、袴以上に眼を奪われてしまったのは。彼女の髪を留めていた、大きな巻き布――リボン、と言うのだったかな、これは。鮮やかな緑――や、翠と言っておこうか――が、初対面である筈の彼女の印象に、ひどく相応しいような気がした。黒では無く栗色の、その長い髪に添えられていたそれが、とても似合っている。

「何じろじろ見てるですか、この助平!」

 ひどい言われ様だ。これは気丈の一言で片付けられる塩梅ではあるまい。言うならば、これがお転婆なるものか。

「本当に済まない。悪い意味で見ていた訳じゃないんだ」
「本当ですかね~……」

 僕の言をいぶかしんでいる様だ。変わらぬ眼つきで、じとりとこちらを見つめている。

「しゃーねえです。私は心が広いですからね。何か美味しいものでも奢ってくれたら、許してやらんこともないですよ」

 起き上がり、埃を払いながら彼女が言う。何てずうずうしい! 僕は矢張り、先ほどまでの生意気云々についての己の考えを、翻したくなった。
 ただ、それでも、何故か僕は――

「まあ、いいよ。侘びも兼ねて、その言、呑もう。甘味でいいか?」

 そんなことを、口走っていたのだ。言った僕が、自分で驚いてしまう程自然に、口をついて出た言葉。
 それを聞き取った彼女は言うと、何か知らないが焦ってしまったようだった。

「じょ、じょじょ、冗談ですぅ。おめー、どんだけ御人好しなんですか」
「さあ、わからないね。僕は成金ではないから、それほど小遣いが多いと言う訳では無いよ。ただ、丁度評判の甘味屋を知ってるんだ。強いて言うなら、僕は暇人な訳で、することも無い。少し話し相手になってくれよ。侘びと言いながら、暇潰しに付き合えというのは、なんとも横暴だけど――まあ、君さえ良ければ」

 僕も腰を上げつつ、捲くし立てる程でも無く、ゆっくりと言葉を伝える。言いながら、何だか不思議な感覚に陥っていた。

『冗談、と言うからには。君にも非があることを半ば己で認めているのだろう? 随分とひとを小馬鹿にした話じゃあないか』

 普段の僕なら、その位の憎まれ口を叩いても、何ら可笑しい故は無い。ただ、今そのようにがたがた騒いだとて、己の器の小ささを晒すばかり――そう。その様な考えが頭を過ぎって行ったこと自体が、とても不思議だったのだ。

 らしくない、と。その様な僕のこころ等わからない筈の彼女は、幾分かの逡巡の後、口を開いた。

「評判の甘味屋、って言うと――ひょっとして、『うさぎの』のことです?」
「何だ、知ってるのか。そう、其処だよ」

 うさぎの、と言う名前に反応し。こくり、と。少しばかり彼女の喉が鳴るのを、聴いた。甘味屋と名付いているものの、何でか男女双方に人気な店。僕はあすこの店主と知り合いなのだ。己の親繋がりではあったけれど、個人的にも親しくさせて貰っている。今日も満員だろうが、顔を利かせれば奥に通してくれる。――多分。

「あ、――でも……」

 先程までの表情から一転、暗い様子になった。……罪悪感でも芽生えたのであろうか?

「無理にとは言わないけど。まあ、何かの縁かと思ってさ」

 少し強気で、今度は自分から誘うかたちへ持っていく。

「しゃ、しゃーねえですね……其処まで言うなら、付き合ってやるです。ゆ、許した訳じゃないですよ!?」

 ぷい、とそっぽを向きながら。少しだけ翳りを帯びたままのその表情から、何だかそわそわとした様子が見てとれた。ふわり、と。翠色のリボンが、揺れる。横顔から覗く眼が、先程よりも若干きつさを緩ませていた。

 思わず、苦笑する。――現金だな。加えて、素直では無い。けれど、其処が何処か憎めなかった。

 それが。蒼い海と、青い空の下で起こった――僕達の、出逢い。



――――――――

R.― 日記

『……――

 妹の調子が、最近では少し良い塩梅になっている様だ。この世の中で、妹の病が、どれほどどうしようも無いものだったとしても、私が望みを捨ててしまう訳にはいかない。私は、私だけは、妹を見放さない。絶対に。

 いつだって傍に居てやりたいのはやまやまだが、それが立ち行かないのがもどかしい。日によって、面会が叶わないことがあるからだ。何故かは知らないが、毎日あすこが解放されている訳では無い。妹は、私が見舞いに来ない日は、己のことを忘れて欲しいと言う。ただでさえ、気を遣わせてしまうから、と。

 そんなことを言われると、私は少しかなしい。いや、その実、少しどころの話では無いのだけれど。なんと健気で、なんといじらしいことか。

 それでも。私は妹に、笑って応える。私が、気落ちしてはいけないから。私が見て感じたことを妹に話すことで、それを共有しなければ。

 ああ。……本来なら、私と一緒に、妹も女学校に行ける筈だったのに。

 駄目だ。書けども書けども、それが不平になっていくような気がしてならない。
 けれど、私は言葉を綴る。こうやって私は、己の意志を確かめていく。己の願いを、連ねていく。

 逢えない日の電信は、とても便利だ。あすこの施設に、体良く備えられている設備を、利用しない手は無い。ただこの間は、何故か途中で会話が途切れてしまった。便利ではあるけれど、それがしょっちゅうだと、本当に困る。

 明日はまた、見舞いに行こう。沢山、話をしよう。そうして、世の中と言うものを、妹に伝えるのだ。

 きっと、喜んでくれる。
 私は。私は……そう、信じる他、無い。

 ――……』



『快復まで』
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