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身体の芯を揺さぶる地響き。
視界の遥か向こう、遠くで何かが落ちた。
閃光、そして…一拍遅れて届く爆音。
辺りを覆うのは、濃厚な、血の、匂い。


-Forever and one~失えぬ絆~-


はあ、はあ、はあ、はあ。
荒い息を隠そうともせず、ただひたすらに駆ける影が二つ。
艶のある栗色の髪は土埃で汚れ、上等な仕立ての服には黒混じりの紅がこびりついていた。
細くしなやかな足を覆うものは無く、柔らかな皮膚に血が滲んでいる。
二人が二人とも、「薄汚れた」という形容詞がぴったりと似合う、そんな様子であった。

「もう…駄目です……」

ぺたり。髪の長い少女─名を翠星石と云う─が座り込んだ。
薄い肩は激しく上下し、全身の筋肉が疲れを訴えている。
目には涙が浮かび、油断をしたなら倒れこんでしまいそうだった。

「翠星石…立って。ここで座っていたら見つかっちゃう」

髪の短い少女・蒼星石が座り込んだ翠星石に歩み寄り、立ち上がらせようと手を取った。
紺を基調にした服には鉤裂きが出来、滑らかな頬にはうっすらと赤い傷ができている。
太陽は既に頭上を過ぎ、間も無く夕焼けがあたりを包むであろう。
彼女達が街を出て、既に数時間が経過していた。


その朝はいつもと変わらぬ、青空に雲が浮かび涼やかな風が吹く、爽やかなものだった。
街有数の実力者の娘である二人は、朝食後のティータイムを満喫していた。
綺麗にセットされた長い髪が風に揺られ、暖かな紅茶の湯気が漂う。

「いい天気ですね…」

空を見上げて翠星石が呟いた。
ひょろろろ…と上空で鳥が鳴いている。
風に流される雲はゆっくりと頭上を抜け、朝特有の柔らかな日差しが二人を照らしていた。

「いい天気だね…」

応えるように蒼星石も呟く。
朝の涼しく張り詰めた空気が好きであった。
眠りから醒め、体中に活力が行き渡る時間。
今日もきっといい一日になる、そう思っていた。
それが、数時間ともたずに壊されるとは、二人は思ってもみなかった。

異変の始まりは、小さな事。
バルコニーから外を見ていた翠星石が、それに気付いた。

「蒼星石、ちょっと見るです。なんですかあれ」

読んでいた本を閉じ、何?とバルコニーへと歩む蒼星石。
翠星石の指差す方向、街の境界付近が朱に染まっている。
青空の下の朱。不思議なコントラストに暫く二人は見入っていた。
唐突に響いた、ばん!と扉の開かれる音。
驚き、振り向いた二人の前に、一人の男が立っていた。

「……二人とも。今すぐ逃げて」

眼鏡の良く似合う、少し気弱な使用人─そして二人の幼馴染。
いつも自信なさげな表情をしていた彼が、この時だけは違っていた。
何かに追われているような、切羽詰まったそんな顔つき。

「JUM君?どうしたの?」
「そうですよ。大体乙女の部屋にノックも──」
「そんな事はどうでもいいから!早く今すぐ逃げろ!」

JUMが叫んで程無く、ずん、と大地を揺らす衝撃が走った。
一度、二度、三度─それは立て続けに七度起きた。
石の崩れる音、かすかな悲鳴。外を見るのが、怖かった。

「…時間が無い。二人とも、僕と一緒に来るんだ」

言うが早いか、JUMは二人の手を取って駆け出していた。
大通りを避け、路地を縫うように走る。
地を揺らす衝撃は、街を壊す爆薬のものだった。
おもちゃのような、たたたたたん…という乾いた音が響いている。
老若男女問わぬ悲鳴が、あちらこちらから聞こえていた。
この街からそう遠くない地方で戦争が起こっている─その話は二人も知っていた。
だが、まさか自分たちの住む街が戦火に晒されるとは。
耳に響く悲鳴が怖かった。現実味の無い乾いた銃撃音が怖かった。
大地を揺らす轟音が怖かった。そして何より、互いを失うことが怖かった。
辺りを見る余裕も無く、ただ手を引かれて路地を縦横に駆け、広い街の外れまであと少し。
そんな時、JUMがつと立ち止まり、二人へと向き直る。

「二人とも、良く聞いて」

僅かな哀しみと、大きな決意を篭めた視線。それは二人を否応無く貫く。

「僕が一緒に行けるのはここまで。あとは二人で逃げるんだ」

暫しの沈黙。
遠くで、また、何かが、壊された。

「……JUMはどうするですか」

翠星石がJUMの手を掴む。
だが、その手は優しく外された。

「僕は、行けない。翠星石と蒼星石を逃がさなきゃいけないから」

二人に向けられていたJUMの視線が、僅かに逸れた。

「二人は…僕の命に変えても逃がさなくちゃいけない。だって──」

翠星石の瞳に、涙が滲んだ。

「──だって二人は、僕の大事な幼馴染で──」

蒼星石の右手が、胸元のペンダントをきゅっと握った。

「──僕の主人の、大事な娘だから。捕まって、汚させる訳にはいかない」

寂しそうにJUMが微笑み、二人の頭をついと撫でた。
戦場においては、男女問わず負けた方が蹂躙される。
どのような立場にあろうと、それは変わらぬルールであった。

「解ったら、逃げて。すぐそこに、敵が居る」

二人の間を抜け、ゆっくりと歩くJUM。その視線の向こうには、銃を構えた兵士が居た。

たんっ。

短い銃声。
振り向いた蒼星石の頬を熱が掠めた。
JUMの片耳が、失われている。
流れるJUMの血が、風に吹かれて二人の服を汚した。

「──隣町に君たちの姉妹が居る。そこを目指して走れ────」

言葉を最後まで聞かず、蒼星石は翠星石の手を引いて駆け出していた。


映画でしか知らなかった、命を奪う軽薄な死神の笑い声。
それは、少しづつ、少しづつ、二人を追い込んでいく。
街路から外れ、方角を知るには月と星を頼るしかない。
最早走るだけの体力は無く、重い身体を引きずるようにして二人は歩いていた。
虚ろな視線の向こうには、ひたすらに広い地平線。
背後からは尚銃と爆弾の音が響いていたが、その音は既に遥か遠いものであった。

「…少し休もう」

先ほどから言葉を発しない翠星石に視線を向ける。
生気の感じられない疲れきった表情を浮かべ、ただこくりと頷いた。
街路から隠れる形で木に背を預け並んで座り、ふうと息をつく。からからの喉が水を恋しがっていた。

「蒼星石」

掠れた声で翠星石が呟く。

「ん」

身体を蝕む鉛のような重さと戦いながら、蒼星石が短く応えた。

「──おなか、すいたですね」
「──そうだね」

朝食を摂ってから、二人は何も食べていなかった。
逃避行に神経が向いていた為空腹を感じる事も無かったが、一息ついた事で疲れと乾きと空腹が一気に襲い掛かって来たのだ。

「ポテトチップス、食べたいですね」
「そうだね…JUM君の作ったポテトチップスは美味しかった」
「蒼星石は塩味が好きでしたけど…翠星石は、コンソメパウダーを塗したものが好きでした」
「僕は薄味が好きで…翠星石、きみは濃い目の味が好きだったね」
「翠星石にとって、ただの塩味は物足りなかったです」
「僕にとって、コンソメパウダーの味は濃すぎたよ」

ふふ、とどちらからともなく笑った。

「覚えてるですか。初めて喧嘩した時の事」
「うん、覚えてる」
「ほんの、些細な事だったです」
「そうだね」
「でも、その些細な事が翠星石は許せんかったです」
「うん」

二人にとって、初めての喧嘩らしい喧嘩。
喧嘩というよりは議論のようなものだったのだが、仲違いをした事の無い二人にとっては喧嘩のようなものであった。

「JUMは、いつもチップスを紙に包んで持って来たです」
「綺麗な包装紙だったね…油を取るための紙とは思えなかった」
「蒼星石は紙が綺麗だからと破るのを躊躇ってましたけど、翠星石はそれがもどかしかったです」
「破ってしまうのが勿体無かった…けど、君はそうせずに破ってしまった」
「そうです…」
「…何故、いつも破っていたの?僕が何か言う前に破って、後から僕が抗議してたよね」
「………それは」
「JUM君がわざわざ捜してきた紙を、君は破っていた。JUM君に失礼だ、と僕はいつも言ってた」

ふう、と蒼星石は息をついて翠星石に視線を向けた。
翠星石は疲弊した表情で夜空を見上げている。

「………蒼星石、笑わないで聞くです」

夜空を見上げたまま、翠星石は静かに言った。
うん、と蒼星石が応え、続きを促す。

「翠星石は…蒼星石の『綺麗だ』という言葉が許せなかったです」
「…どういう事かな」
「蒼星石は、綺麗な物を見つけたら必ず綺麗だと言っていたです」
「うん」
「…でも、翠星石には言ってくれたことが無かったです」
「……」
「翠星石は、蒼星石の『綺麗だ』という言葉を独り占めしたかったです。
 だからこっそりお化粧の練習もしていましたし、蒼星石の前では綺麗で居たつもりです」

蒼星石に視線を向けた翠星石の瞳には、僅かに涙が浮かんでいた。
これから言う言葉にどんな反応をされるだろう?拒絶されるかもしれない。
翠星石は、拒絶されることが怖かった。
しかし、言葉は溢れて止まらない。

「蒼星石、私達は双子の姉妹です」
「うん…僕達は、双子。お互いに欠かせない半身」
「でも、翠星石にとっては蒼星石は只の半身じゃないです。翠星石は蒼星石が───」
「その先は、言わなくてもいい」

翠星石の言葉を切り、にこ、と蒼星石が微笑んで、翠星石の涙を拭った。

「翠星石。僕は──僕の感情は、もしかしたら君の感情とは違うかもしれないけれど」

隣に並んでいる翠星石の肩を、蒼星石が抱き寄せる。
逃避行の恐怖が、互いの体温で少しだけ緩んだ。

「君を失う事は、きっと僕自身が死ぬより辛いと思う」
「…死ぬとか言うもんじゃねぇです」
「聞いて。だから、僕達はずっと一緒だ。絶対に離れない」
「…はい」
「生まれた時から死ぬ時まで、必ず一緒だ」
「…は、い…」
「君が立てなくなったら、僕が背負って行く」
「…蒼星石が立てなくなったら、翠星石がおぶってやるです」
「君が腕を失ったら、僕が君の腕になる」
「…蒼星石の目が見えなくなったら、翠星石が杖になるです」

翠星石の腕が蒼星石の背に回り、きゅっと蒼星石の身体を抱きしめた。
応えるように蒼星石は翠星石の頭を撫で、耳元で囁く。

「…僕達は、お互い失う事の出来ない半身同士だ」
「……翠星石は、蒼星石だけ居れば要らないです。JUMも好きですけど…」
「JUM君への好きと、僕達の間の好きは、きっと違うよ」
「…そうですね」
「僕達の間の好きは、形にできないけど……でも」
「…でも、失う事も無いです」
「うん、その通り」
「…捕まれんですね。捕まったら離れ離れです」
「そうだね。だから隣町まで頑張らなきゃ」

二人が空を見上げる。月が頭上に浮いていた。
この月明りなら、きっと隣町まで辿り着けるだろう。
銃声は、まだ遠い。

「そろそろ、行こうか」
「そうですね。いつまでもこうしちゃ居られんです」
「命を賭けて逃がしてくれたJUM君の為にも」
「…そして、何よりお互いの為に、です」
「うん。…僕と、翠星石の為に」

二人は微笑みあって立ち上がり、一度だけ街を振り返った。
戦火が夜の紺色を紅に染めあげている。

「もう、あの街に戻ることはできんですね」
「そうだね…」
「でも、蒼星石が居るから平気です」
「僕も、翠星石が居るから平気だよ」

二人は、手を取って歩き始めた────

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