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1947.4.17

昨夜から降り続く雨が、彼女が見つめる世界の全てを覆い尽くしていた。
崩落した街並み。宿営のテント。道行く兵士の軍服や軍靴。痩せこけた野良犬。
心ですら例外なく、霧雨に濡れそぼって……重い。

(――どこも似たり寄ったりで、酷いものね)

戦時中の荒んだ光景を横目に、真紅は飛沫を跳ね散らし、軒先を小走りに駆け抜けていく。
憂鬱になんか、なっていられない。半壊した住居の一階部分を利用した簡素な戦車壕では、
仲間の娘たちが、彼女の帰りを待ちわびているのだ。
あの鋼の猛獣も、爪を研ぎ、腹を満たして、次の狩りを心待ちにしていることだろう。
その機会は、もう間もなく訪れるはずだった。


前線司令部から数区画をノンストップで走り抜き、息を弾ませ飛び込んだ戦車壕では、
翠星石が脚立に乗って、砲身に昨日のキルマークを書き込んでいた。
彼女は真紅の姿を認めると、手を休めて声を掛けてきた。

「お帰りなさいですぅ、真紅。中央軍集団の司令部とは、連絡が付いたです?」

真紅は小柄な肩を竦めて吐息すると、両の掌を上に向け、お手上げのジェスチャーを返す。
「話にならないわね。無線は、敵に傍受されるとの理由で使用不可。
 一昨日に出した伝令は、まだ戻らないらしいわ」


それを聞きつけ、ホイール部分の点検をしていた金糸雀が、表情を輝かせた。

「じゃあ、カナたちは命令あるまで、ここで待機ってコトかしら?」
「――だったら、少しは骨休めできて、気楽だったのだけれどね」

苦笑混じりに言って、真紅は濡らさないよう懐に入れていた封筒を抜き出す。

「新しい命令書だけは、別便で届いていたから癪に障るわ」
「それはまた……涙が出るほど、ありがたいお土産かしら。で、内容は?」
「転戦命令よ。ワルシャワでの防衛作戦に参加しろ、と。
 どの部隊でも燃料と兵員不足で、まともに戦えないみたいね」
「電力さえ確保できれば、ずうっと動けるティーガーⅢは、引っ張りだこですね。
 この分だと、あっと言う間にヴィットマン大尉の記録を超えるかもですぅ」

翠星石は、キルマークの描かれた128mm砲を、ペタペタと叩いた。
戦車兵ならば、ミヒャエル・ヴィットマン大尉の名を知らぬ者など居ない。
1944年に戦死するまで、敵戦車138両を撃破した伝説的エースである。
真紅たちの戦績は、まだ彼の半分にも達していなかった。

「記録を超えるまで――」生きていられればね。
続くはずだった不吉なセリフを呑み込んで、真紅は翠星石の軽口に、力強く答えた。
「どんな事があっても、必ず生き延びるのよ。私たちは……あら?」

私たちと口にした後で、真紅はふと、きょろきょろと周囲を見回した。
「ねえ。水銀燈と蒼星石の姿が見えないけれど?」


「ああ、あの二人なら、奥で休んでいるかしら」

金糸雀が指差した先には、土嚢に背を預け、肩を寄せ合う二人の姿。
物資不足のため一枚しかない毛布に仲良くくるまって、すやすやと眠っている。

「ついさっき、補給物資の積み込みを終えたばかりだから、疲れてるかしら」
「蒼星石も、銀ちゃんも、幸せそうな寝顔してやがるですぅ」

装填手である蒼星石は、戦闘中ともなれば過酷な肉体労働を強いられる。
砲手の水銀燈も、常に少ない射撃回数で敵を撃破すること要求されるポジションだ。
外せば、敵に反撃の機会を与え、次弾装填の時間だけ全員の命を死の危険に曝してしまう。
彼女たちは態度に出さないが、肉体的にも精神的にも、ストレスは相当なものだろう。

「ふふふ……いいわ。出発時間まで、寝かせておいてあげましょう。
 敵機の空爆を避けるため、出撃は夜中よ。貴女たちも、交代で仮眠をとってちょうだい。
 翠星石、RM動力機関のバッテリーチェックは、しっかり頼むわね」
「はいですぅ。ああ、そうそう。真紅に頼まれてたイラスト、描いておいたですよ」
「本当? 仕事が速いわね。どんな感じなのかしら」

司令部に行く前に、真紅はパーソナルマークの下絵を、翠星石に渡していた。
それはタレ目にタレ耳な犬の絵で、今朝、その辺に居た野良犬をモチーフに、
即興で描いたものだった。
こんな殺伐とした世界でも、せめて、女の子らしいことをしたい。
そう思って、爆撃機のクルーが機体に裸の女性やミッキーマウスを描いていたのにヒントを得て、
彼女たちだけのマスコットを創り出そうとしたのだ。

砲塔の側面中央に、白枠の黒十字が記され、その前寄りに犬の顔があった。
愛嬌たっぷりに、ちょろっと舌を出しているのは、翠星石のアレンジなのだろう。
真紅の下絵には無かった小道具だ。

「……予想以上の仕上がりだわ。ありがとう、翠星石」
「大した手間でもねぇです。それより、折角だから名前をつけてやるですよ」
「それは名案ね。貴女たちなら、どんな名前をつける?」
「う~ん……カナだったら『スプー』かしらー」
「私なら『チビチビ』と名付けるですぅ」
「…………貴女たちのネーミングセンスが悪いことは解ったわ。
 ひとまず保留しておいて、水銀燈と蒼星石の案も聞きましょう。
 オスかメスか、それも決めないとね」

真紅が言うと、金糸雀は翠星石と顔を見合わせ、にまっと笑った。
何だというのだろう? 訝る真紅に、金糸雀が自信タップリに即答した。

「そんなの、男の子に決まってるかしら」
「……ですぅ」
「? 二人とも、どうして断言できるの?」
「だぁってぇ……ねぇ、翠星石」
「こんなに立派な大砲を持ってやがるですよ?」

彼女たちが言わんとする意味を悟って、真紅は羞恥のあまり、顔を真っ赤に染めた。

「あ、貴女たちっ! 下品な冗談は、やめてちょうだいっ!」


漫画みたいに頭からプンスカと湯気を上らせながら、立ち去ろうとする真紅を、
翠星石と金糸雀の声が追いかけてきた。

「そんなにカッカすんなですぅ。少し眠って落ち着きやがれです。
 作戦行動中に、居眠りとかされたら堪んねぇですからね」
「カナ達はまだ平気だから、真紅が先に仮眠をとっておくかしら」

肩越しに振り返った真紅に、二人は陽気な笑顔とウインクひとつを投げて寄越した。
彼女たちは彼女たちなりに、気遣ってくれているのだ。
車長とか、操縦手とか、そんな役職に関係なく――
チームとして、かけがえのない仲間として、お互いを大切に想っていたから。

ひょっとしたら、今の下品な冗談も、真紅の気持ちを和らげるためだったのかも。
そう考えると、大人げなく癇癪をおこしたことが、恥ずかしくなった。
そして、同時に、自らの未熟さが情けなくなった。
みんなを纏める立場にある者は、どんなに熱くなっても、頭は冷静沈着であるべきだ。
瑣末なことで激昂し、我を忘れるようでは、他人の生命を預かる資格などない。

真紅は、二人に向けて不器用にウインクを返すと、優雅に微笑んで見せた。

「ありがとう。それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわ」

彼女の言葉に、翠星石と金糸雀も柔らかく笑って、頷く。
軍属になるまで、彼女たちは全く面識が無かったと言うのに……
今ではまるで、実の姉妹であるかのように、固い絆で結ばれていた。


かつて、ポーランドと呼ばれた国の首都、ワルシャワ。
1944年、ソ連軍のバグラチオン作戦に呼応したワルシャワ蜂起の舞台となった都市だ。
それも結局は、大国のエゴに踊らされただけで、悲劇的な結末を迎えた。

(今やアメリカもソ連も崩壊して、ドイツ第三帝国は、国家と呼べないほど疲弊している。
 敗残軍の寄せ集めに過ぎない私たちは…………いつまで戦うの? 戦えるの?)

日付が変わろうかという夜半――
雨の上がった闇夜の中を、無灯火で進撃するティーガーⅢ。
車長用キューポラから上半身を乗り出した真紅は、MG34機関銃を手に、
砲塔の上から周囲の闇に目を光らせつつ、暗澹たる未来を憂えていた。
物資不足に加えて兵員不足の現在、彼女たちの戦車に随伴する擲弾兵(歩兵)は皆無。
少しでも早く敵襲を察知するには、多少の危険を冒しても、見張りに立つ必要があった。

「……どうしたの? いつになく険しい顔をしているね」

砲塔上部に設けられた二つのハッチの、もう一方で見張りに就いていた蒼星石は、
MP40短機関銃を油断なく構えながら、小声で真紅に話しかけた。

「疲れてるんじゃないかい、真紅。水銀燈と代わってもらったら?」
「ありがとう、蒼星石。でも、私なら大丈夫よ」

真紅は気丈に微笑んで、首に掛けていたヘッドホンを耳に当て、マイクに声を吹き込む。
「金糸雀、負担をかけてしまうけれど、周囲の警戒を怠らないで。
 翠星石は疲れてないの? ずっと運転しっぱなしでしょう」


ヘッドホンのスピーカーから「了解かしらー」「まだ全然、平気ですぅ」と返事が届く。
声を聞く限りでは、どちらからも眠気など感じられない。

「どうしても耐えられなくなったら、水銀燈と操縦を交代してもらいなさい」

それだけ伝えて、真紅はまた、ヘッドホンを首に掛けた。
……と、それを待っていたかのように、蒼星石が再び話を切り出した。

「金糸雀から聞いたよ。犬の名前、まだ決まってないんだよね」
「そう言えば、まだ訊いてなかったわね。貴女だったら、なんて名付ける?」
「ボクなら……そうだね」

暫し考え込んで、蒼星石は小首を傾げた。「くんくん――っていうのは?」
と、犬がにおいを嗅ぐみたいに、ひくひくと鼻を動かして見せる。
真紅は忽ち、表情を明るくした。

「いいじゃない、それ。決めたわ。みんな、彼の名前は『くんくん』よ!」

正しく鶴の一声で、車内は束の間、賑やかになる。
新たに加わる6番目の戦友を、誰もが、喜んで迎え入れようとしていた。
どんな状況でもロマンを求めるのは、無垢な乙女の夢物語かも知れない。
けれど、それが彼女たちを支え、一枚岩の如き結束力を育んでいる強さでもあった。

乙女たちが駆るティーガーⅢは、履帯を軋ませ、夜闇を進みゆく。
その行く手には、廃墟と化した街が、黒い影となって不気味に横たわっていた。


この周辺は友軍の勢力圏内ではあるが、だからと言って、油断は禁物。
真紅は廃墟の手前2.5kmで停車させた。
双眼鏡を両目に宛い、様子を探る。しかし、市街は真っ暗で、詳細は判らない。
一切の明かりが見えないことから察して、完全な無人状態らしいが……。

「金糸雀。何か、反応はある?」
「……何も。静かすぎて、耳鳴りがするくらいかしら」
「待ち伏せの危険は薄そうね。街を迂回するのも、時間がかかりそうだわ。
 翠星石、前進再開。さっさと通過してしまうわよ」
「了解。前進するですぅ」

ティーガーⅢの幅広い履帯が、ぬかるんだ大地を踏みしめ、巨体を前に運んでいく。
街に入り、通過し始めると、キャタピラの音が廃墟に反響して思いの外、喧しい。
聴音していた金糸雀も、時折、ウンザリした顔でヘッドホンを外していた。

――が、それこそが落とし穴だった。
市街の中心付近まで入り込んだ所で、突如、右のキャタピラで爆発が生じた。
爆発の衝撃で65tの巨体が揺れ、真紅と蒼星石は、危うく振り落とされそうになる。

「なんなの?! まさか、地雷が?」
「真紅っ!! 周辺に、動体反応多数っ! 囲まれてるかしらっ!」

真紅と金糸雀の叫びが重なり、一瞬、お互いが何を言ったのか解らなくなる。
咄嗟に車内へと滑り込んだ蒼星石と真紅は、急ぎ、ハッチを閉じた。
操縦席からは、翠星石の悲痛な声が聞こえてくる。


「ダメですっ! 右のキャタピラが切れたみてーで、進まないですぅっ!」

擱座した戦車は、もはや標的でしかない。強力な対戦車兵器を使われれば、ひとたまりもなかった。
やられる前に脱出して白兵戦をするか。
それとも、このまま立て籠もって、砲弾が切れるまで徹底抗戦するか。
どちらが、生き延びる可能性が高いだろう。真紅は親指の爪を噛みながら、悩み苦しんだ。

「どうするつもりよ、真紅?」

水銀燈は落ち着き払って、固定具からMP40機関銃を外しながら、訊ねる。
真紅の決断次第では、白兵戦も覚悟の上ということなのだろう。
彼女に触発されて、他の娘たちもP-38拳銃やkar98k小銃を手に取り始めた。

「待ちなさい。脱出するにしても、それが可能かどうか確認してからよ」

言って、真紅はペリスコープから周囲の様子を窺い見た。
視野が狭い上に、夜闇にも邪魔され、全く状況が掴めない。
……が、じりじりと焦燥に駆られながら、廃墟の闇に目を走らせていたその時、
彼女は崩れかけた建物の片隅に、何者かの姿を捉えた。

(あれは……どう見ても、自動人形じゃないわね)

防盾の陰に見え隠れするのは、彼女たちと同い年ほどの、黒髪の少年。
ひた……と、動きを止めたティーガーⅢに、対戦車兵器を向けていた。
8.8cmRP45、通称パンツァーシュレッケ――ドイツ軍の装備だった。

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