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 カタン、カタン――。電車は、揺れる。なんとなく、外を覗いてみた。

 見慣れぬ、景色。しかしその色が、僕が本来もち得ない筈の郷愁の念を抱かせるような
気がした。長く都会に暮らしていると、こういった田舎風の情景に心惹かれる様になる―
―というのも、あながち否定出来ないのかもしれない。
 周りを見れば、車内には殆どひとが居ない。殆ど貸切状態だった。ゆらぎを見せる電車
の中で、僕は何だか眠くなってくる。――このまま、眠ってしまっても、良いだろうか?

 そうして、僕は夢を見る。僕の故郷と呼べる場所はそこそこ都会で、そこから出たこと
など今まで一度も無かったように思う。そう、今こうやって、そんな場所に向かおうとす
るまでは。

 夢を見終わった後の記憶は、いつだって曖昧だ。だから、今願ってみよう。どうか、夢
を見るならば。いつか忘れてしまうようなものであっても――きっと優しいものであるよ
うに、と。




【ゆめの、あとさき】




 彼女と出逢った日のことを、僕は多分これから先も、忘れることは無いように思う。そ
れ位衝撃的な出来事だったから、少なくとも僕にとっては。

「相席しても、いいかな?」

 カフェのオープンテラスで独り紅茶を飲んでいた僕は、その言に幾許かの躊躇いを覚え
る。眼の前に居る女性は、少なくとも――僕の知り合いでは、無い筈。

「絵を描くの?」
「いや――これは、服のデザインなんだけど」
「ちょっと、見てみてもいいかな?」

 僕が断る間も無く、彼女はテーブルに置かれていたそれを、手にとっていた。

「へえ……すごいね。うん。こんな服が着られるんなら、幸せかもね」
「……」

 彼女はもう僕の向かいの空席に座っていて、僕の拙いデザイン画をしげしげと眺めてい
る。

「デザイナー、なのかな?」

 不意に尋ねられて、少しうろたえる。すぐさまに返すべき言葉に詰まりながらも、なん
とか返してみる。

「いや……まだ、デザイナーのたまご、って所だけど」
「そっかあ。夢が、あるんだね。羨ましいよ。叶うといいね」

 ふっ、と。寂しげな笑みを浮かべて、彼女は言った。
 なんだろう。僕は、その物憂げな笑みに――魅かれているような気が、した。名前も知ら
ない、眼の前の彼女の表情に。

「夢があるって、素敵なことだよ――ねえ、桜田君」
「え?」

 驚く。どうして彼女は、僕の名前を、知っているのか。

「あは、当たりみたいだね。だって此処に書いてあるじゃない、"sakurada"って」

 ――ああ。特に意味は無いけど、サインなんか残していたんだっけ――

 其処から始まった、談笑。相席の許可云々については、既にどうでもよくなっていて。
ただ、彼女と話しているのは、心地よかった。

「名前」
「ん?」
「そういうところを気にしないのも、桜田君らしいかな――私の名前、言ってないじゃない」
「ああ。そういえば、そうか」
「私はね――柿崎めぐ。めぐ、でいいよ」

 それが。僕と、めぐの出逢い。


―――――――――


 その日、僕はめぐの連絡先を聞かなかった。その時は、それは自分としては衝撃的な出
逢いだったのだけれど――その場限りの、刹那的な関係だと思っていたから。

 ただ。少しだけ、『何か』に期待していたのかもしれない。この場所で、同じテーブル
で、同じ様に次のコンクールに出すデザイン画に頭を捻らせていれば――彼女はまた、現
れるのではないか。そんな運命的な、『何か』に。

「相席、いいかな?」

 変わらぬ、微笑み。

「――どうぞ」

 僕は、用意していた――それにしては全く以て気の利かない――返事を、彼女に告げた。

「あは、良かった。ちょっと難しい顔してたから、断られたらどうしようかと思ったよ」
「そう?」
「うん。ある程度のものは出来てるけど――自分としては満足してない。そんな感じが、
 顔に出てたかな」

 前と同じ様に、僕の向かいに座りながら。そんなことを、彼女は言う。
 その際の驚きは、努めて顔に出さない様にした。彼女の言が、正に僕の心を正確に読み
取ったものだったからだ。

「そういう時は、息抜きも必要だね。根詰めてても、いいものは生まれないって言うしね」
「そうかな」
「そうだよ」

 言いながら、僕は紅茶に口をつける。彼女も、クリームの載せられた、如何にも甘い印象
のカフェラッテに手をつけていた。

「ねえ、桜田君。人生は――長いよ。一般的にはね。多分、桜田君のそのデザイン画には、
 締め切りなんかがあるのかもしれなくて――私には、貴方の焦りや苦しみなんて、わか
 らないのかもしれないよ。

 けどね。私は貴方のデザインした服が、好きだな。だから、満足のゆく様なものを造っ
 てくれればいいな、なんてことは思う。長い人生の中で――そういうことが出来るって、
 素敵なことだよね」
「……」

 僕は、彼女に返すべき言葉が見つからなかった。彼女は見た感じ、僕と同じ様な年頃で。
だけど何処か、僕を遥かに凌駕した――人生に対する達観が、見受けられる。

「何処か遊びにいかない? 桜田君」
「……?」

 彼女になんと応えれば良いかを考えつつも、いきなりそんな事を言われたものだから。
僕は随分と間抜けな表情をしていたのかもしれない。

「あはっ。息抜きだよ、息抜き。勿論、そのデザインの締め切りが近いなら無理だけど。
 お誘いかな。貴方さえ良ければ、私と」

 其処まで言われて、僕に躊躇いは無かったのだ。

「――勿論。僕で良ければ」


――――――――――


「あー。面白かったね、桜田君」
「……」

 僕とめぐは、遊ぶ約束をした週末に、遊園地にきていた。彼女はなんと言うか、
――その、バイタリティに非常に溢れていて。やたら絶叫マシーンに興味を魅かれていた
様相だった。
 勿論、彼女のチョイスした乗り物に、僕は全て付き合う。どんなに死にそうな乗り物で
あろうと、付き合う。――うお、思い出しただけで、何だか――

「だ、大丈夫?」
「う、うん。ちょっと休めば、復活するよ」

 情けない。それにしても、どうして彼女は『死ぬー! 死ぬー!』とか言いながら喜び
勇んで死地に飛び込もうとするのだろう。わからない……

 ふと、顔を上げる。もう、陽が落ちようとしている時間だった。燃えるような夕焼けが、
僕等を照らしている。そんな中、僕等は遊園地の中に備えられていたベンチに佇んでいた。

「ねえ、桜田君。私、貴方に言っておかなきゃならないことが、あるんだよ」
「――何?」

 其処で見た彼女の表情は。喜びとも、悲しみともつかない――そんな、曖昧な表情を浮
かべていたのだ。

「私、――貴方のこと、知ってたの」
「――え?」

 寂しげな、微笑み。

「桜田君ってさ……昔、カフェでバイトしてたことって、あるでしょう?」

 ああ。確かに、ある。今はあまり顔を出していないけど、高校の頃は、卒業したら留学
するんだ、と心に決めながら――その資金を稼ぐ為に、働いてたことがあったっけ。

「私、あのお店の常連なのね。其処で貴方のこと、小耳にはさんだの。白崎さん、ちょっ
 と前に、あのオープンテラスで貴方を見たって。心配してたよ?」

 白崎さん。僕が働いてたカフェのマスター。随分飄々としたひとだったが、今も元気だ
ろうか……?

「元気だよ。今は、バイトの娘と随分いい感じでね……気を遣ってるつもりだけど、最近
 は私も顔は出してないかな」

 僕の心を読んだかのように、彼女は言う。

「白崎さんがね、言ってたの。貴方の描くデザインには、命がこもってるって。それで私
 も興味を持ったんだ。――マスターの言葉に、間違いは無かったみたい」

 やわらかな雰囲気で、彼女は言った。僕のデザインに、命がこもっている――?

 そして、彼女は続ける。
 僕にとって、それはそれは、衝撃的な言葉を。

「――羨ましいよ。そういう命を、何かに込められる――そんな、行為が。私は一度――
 死んだ、人間だから」
「どういう、意味?」

「私ね。心臓の、病気だったんだ。もう、小さい頃から、余命何年、余命何年、って――
 そんなこと、言われ続けて」
「……」
「それで、思い切って手術して。一応は、助かったらしいの。それでも、予断は許しません、
 だなんて。そう診断が下ってるのね。
 それで生き永らえてから、これからどうしようか、って――考えても、全然思いつかな
 かった。おかしいでしょう。人生に絶望して、後のことなんか、全然考えてなかったの」

 突然の告白に、僕は何を応えれば良いか、その言葉が見つからなかった。

「ねえ、桜田君――人生って、ひとつの長い夢、みたいなものね」
「……夢?」
「うん。白崎さんがね――まあ、縁起でもないことだけど――私の手術が終わってから、
 話したことがあったんだ。私が、死んじゃうみたいな夢」
「――」

「色んな夢が、あるんだって。白崎さんが見た夢だと――私と白崎さんが、所謂その、恋
 仲みたいな感じになって――あ、勿論、今私が白崎さんをどうこう思ってるとか、そう
 いうことは無いんだよ? それでね。まあ、夢に見たからそう話すことも出来るけど、
 ひょっとしたらそういう話も、あったかもしれませんね、って。貴女……此処では私、
 のこと。白崎さんと私が、思い通じ合いながら、それでも結ばれない。そんな哀しいお
 話が、ひょっとしたらあったかもしれない、って」

「それは、夢の話だから?」
「そう。夢だから、どんな世界だって、『在り得る』の。だけど、そのお話を、私は知ら
 ないから。知る事は、出来ないから――」

「――出来ないから。夢を見ても、その夢の後先を、知る事は出来ないから――今を、生
 きる他、無い」

 彼女の言葉に対して。今の自分に返せる、精一杯の言葉を、僕は返す。
 それが正しいのかはわからなくて。だけど、今の彼女に――僕が言葉をかけなければ、
一体誰が返すと言うのか。

「そう、なんだよね。――わかってはいるんだよ。
 うん。桜田君は、やっぱり私の思った通りのひとだった」

 そんなことを言いながら、彼女はまた、笑った。うつくしい、艶やかな黒髪が――夕闇
に、映える。

「人生は、長い夢を見ているようなものなんだって――白崎さん、言ってた。生きてる実
 感なんて、なあなあに生きてれば、なかなかわからないものだから。特に私みたいな人
 間にはね。だから、貴方の――桜田君の、『命のこもった絵』。それを、一度見てみた
 かったの。貴方を、知っていたこと……隠すつもりは、なかったんだよ。

 けど。ごめんね」

 彼女は、謝罪する。きっと僕が、そんな謝罪は必要ないと――いくら言ったところで、
彼女は謝るのだろう。一度、己の死を自覚した、彼女。今は生きていると、実感すべき筈
のところを、――自ら、疑わらずには居られない、彼女。

 その生の実感を、僕に求めたのだとしたら、僕は――

「人生は長い夢、なんだっけ?」
「……うん。元は私の言葉じゃ、ないけど」
「じゃあ、そんな夢は。哀しいじゃなければ、きっといいんだろうね」
「うん、――多分――」
「めぐが僕のことを知っていたからって、僕が怒ることはないよ。それよりも――僕は、
 考えてた服を仕上げないと。めぐも満足させられるような、素敵な服をデザインして
 みようかな。――期待して、待ってていいよ。

 ありがとう。今日は本当に、いい息抜きだった」

 今の僕が返せる、精一杯の言葉を、僕は返す。
 そうして、彼女はまた言葉を発した。

「うん。待ってるね――ありがとう」


 僕と彼女の交際が始まったのは、それから間もない事で――彼女と一緒に、僕が働いて
いたバイト先に顔を出した際などは、随分と冷やかされたものだった。

「仲良きことは、なんとやら――でしょうかね」
「あらぁ、白崎さん。聞いたわよぉ。めぐに色々、吹いてたらしいわねぇ」

 ぐいー、と頬を引っ張られる白崎さんだった。うわ、痛そう。
 バイトの娘とめぐに聞かされていた女性は、僕の想像以上にうつくしい女性だった。
 水銀燈、という名前らしい彼女は、その名前に相応しい銀髪と――見るもの全てを吸い
込んでしまうような紅い瞳を僕に向けながら、言った。

「うーん……貴方なら、めぐを預けても大丈夫そうねぇ。いい娘なんだから、大事にして
 よねぇ?」
「……勿論」

 恥ずかしいながらも、はっきりとそう答えた。僕の隣にいた彼女は、水銀燈に何か言い
たいような素振りをしながらも――俯いて、何も返すことが出来ずにいたのだった。

 引っ張られて赤くなってしまったほっぺたをさすりながら、白崎さんが口を開く。

「全く以て――どういうところで、縁が繋がるか、わからないものです。
 しかし、今僕等がこういう人生の一コマに立ち会っているというのも、ひとつの運命な
 のでしょうねえ」
「全くねぇ、白崎さん。かっこつけても駄目よぉ。また昨日公園でさぼってたでしょう。
 私がいなかったらどうするつもりだったのかしら、全く……」

 ぶつぶつと文句を言う、バイトの娘だった。めぐの話曰く、マスターは彼女に魅かれて
いるとの話だったけれど。もしこの先、彼らが付き合うのだとしたら、絶対白崎さんは尻
にしかれるんだろうな……

 そんな様子を見て、めぐは微笑んでいる。僕もそれにつられて笑った。
 穏やかな、時間。たとえこれがひとつの夢だったとしても。それがずっと、続いてゆく
のなら――とても幸せなことなのかもしれないと。そんなことも、考えたりしたのだ。



―――――――



「――ジュン」
「……」
「ねえ、ジュン、起きて。そろそろ着くよ」

「う……」

 どうやら、眠ってしまっていたらしい。眠気まなこをさすりながら、僕は彼女の方を見
やる。

「――着くの?」
「うん。私の――故郷」

 長い時間電車に揺られて辿りついたのは、めぐの――僕のフィアンセの、故郷だった。
 本当は、もっと仕事が安定してからの方が良かったのだけれど。めぐが妊娠したのを契
機として、僕の方から彼女にプロポーズをしたのだ。めぐはそれを承諾してくれて――し
かしそれだけではけじめがつかないと僕が言い出し。彼女の両親の居る、めぐの故郷へと
足を運んだのだ。

「寒い、ね」

 駅へ降りてからの、僕が開口一番はそれだった。都会の、雪の降らないつめたい風とは、
また一味違う。恐らく、田舎ならではの、春直前の寒さが。僕の身体を、通り過ぎていっ
たような気持ちになる。

「この位で音をあげられると、困るなあ」

 いたずらっぽい笑みを浮かべて、めぐは言った。参ったな。僕はその微笑みにやられて、
今まで彼女と居ることになってしまった。勿論それは嫌なことである筈が無くて、むしろ
感謝している位なのだけれど――

「ねえ。そういえば、電車の中で、何か夢でも見てたの? あんまり気持ち良さそうだっ
 たから、しばらく起こせなかったよ」
「そう?」
「そうだよ」

「うん。――夢を、見てたんだ。君と、出逢った頃の夢」
「――出逢った頃、の?」
「そう。やさしい夢だった」
「そう――それなら、良かった、ね」

 ふっ、と微笑む彼女。その、微笑みに――今も、出逢った頃の幾許かの寂しさが、抜け
切れていた訳ではなかった。恐らく、意識しての"それ"では無かった筈。今も彼女は病院
に通っていて、完全な健常者とは言えない状態だったし――何より、彼女自身の『命に対
する、儚さ』のイメージ――それは一生、拭えないものなのだと。誰よりも今、彼女の傍
に居る僕が、感じているのだ。

「……夢、か」
「え?」
「夢だよ、めぐ。人生は、長い夢の様なもの――なんだろう? なら、これから見る夢は、
 やさしいものなら、きっといいよね」

「うん。――そうだね」

 手を、繋いだ。彼女の手は、暖かい。これからの人生はどうなるかはわからなかったし、
僕が今も、夢を見ているのだとしたら――いや、だからこそ。夢の後先は、誰にも知れな
いことなのだろう――

 だから。この、彼女の手の暖かさが。今、確かに僕の感じられる、幸せの実感なのだ。

 二人で、歩き出す。雪の残る地面を、一歩一歩踏みしめながら。

「この辺りは、桜咲きが、遅いの。五月の頭には、満開かな」
「そっか。じゃあ、その頃に、また来よう」
「お仕事、大変なんじゃないの?」
「――いいさ。君の故郷だから――そんな桜なら、見てみたいし」

 素直な気持ちを、伝える。そして、君は返した。出逢った頃の――つい先程まで見ていた、
夢の中に居た君の様に――

「桜田君。やっぱり貴方は、私の思ったとおりの、ひとだった――」

 久しぶりに呼ばれる、苗字。握り返された手を、いっそう強く握り返した。
 病弱な彼女が、これからどれ程生きられるかわからないということを――僕は彼女自身の
口から、聞かされている。

 でも、それでも。僕は彼女の隣に、いよう。この未来を知ることが、叶わなくても。
 そう、この夢の後先を、知る事は出来なくても――願うことは、出来るから。
 このひとつの夢が、何時までも続けばいい、と。
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