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夢の話をしよう。日向の味のする果実だよ。
空にあって濁世を照らす太陽と月、常に交わることはなく仲良く空に同時に映ることはまず無い。
同じ空に映ったとしても己の身をただ喰い合うだけの相容れぬ存在―――
夢の話をしよう。光が無くなってしまう前に―――



文化祭が終わってから数日が経った。3年生の私達のクラスはすっかり受験モードか卒業ムードになっていた。
各々が別れを惜しむかのように何処か沸いてくるやるせない気持ちに推し負けないように何かに打ち込んでいる。
勉強しかり、遊びしかり、まるで長い夢がもうすぐで終わるかのように。

 「将来かぁ…」

教室とは別の場所である屋上で私は溜息をつく。自然とついた言葉に動揺を隠せないでいた。
そろそろ本気で進路を考えなければならない時期だ。でも今更頑張ったところで何か結果が変わるとも思えない。
近々梅岡との保護者を交えた三者懇談会あると聞いているがそれもまた憂鬱だった。まだ、あの家には誰も帰って来ないから。

 「もう何年が経ったんだろう。」

お父様とお母様が家に帰って来なくなったのは何時からだったのか覚えていない。過去の記憶が一部分だけ抜け落ちている。
両親のことでさえまともに覚えていない自分が嫌になる。とても大事なことなのに、とても二人が愛おしいのに。
私はジュンに告白されて以来から何度か抜け落ちた記憶を辿ろうとしていた。けれどもいつも頭痛に襲われてまるで体がそれを思い出すのを拒んでいるようだった。

 「私の体って…一体なんなのよ…」

屋上の冬の渇いた風に体を打ちつけられながら私は自分の肩を抱いてその場に蹲る。



今日もまた私はめぐのいる病院へ行く。あれからめぐはアメリカへ行くという話も全く進んでいない様でずっとあの白い病室にいた。
けれどもどんどんやつれていっているのが分かる。本当に私とめぐはこのままでいいのだろうか?
迷いを抱えたまま私はまた病室の扉を静かに開ける。

 「いらっしゃい水銀燈、寒くなかった?」

ここ最近はめぐの顔がさらにやつれている気がする。それでも彼女は健気に私に笑顔を見せてくれた。
いつしか私はめぐの顔を見るのが偶に辛いと思うようになってしまっていた。

 「うぅん、全然大丈夫よぉ…貴女またやつれたんじゃないの?」
 「そう?私はあんまり変わってないと思うんだけどなぁ…」

むくれ顔でめぐは反論するがどう見ても私にはそうとしか思えなかった。

 「それで今日は何があったの?」

けれども相変わらず私の微妙な変化には気配りを忘れていない。此処まで見透かされると隠し事をしている自分が馬鹿らしく思えて来る。

私はそろそろ進路を決める時期が近くなっていることをめぐに話した。そして三者懇談があるということも。

 「そっか…水銀燈は3年生だもんね。う~ん…とりあえず進学してから決めるのは?」
 「それじゃあ遅過ぎるんじゃ………」
 「大丈夫よ、水銀燈はまだ人生が長いんだから少しぐらい寄り道したって。」

私は罰が悪くなって俯く。めぐにこんな話題を振る自分の残酷さがとてつもなく腹立たしかった。

 「そんなこと…言わないでよ。」
 「そうね、ごめんね。ちょっとだけ嫉妬しちゃったから困らせてやろうって思っただけなの。深くは気にしないで。」

めぐが私に対して、生きることに対して嫉妬している?本人は気付いてないのかもしれないがそれは大きな進歩に思えた。
私とめぐが初めて出会ったときは二言めには必ず早く死にたい、だなんて言っていたのに今の彼女は生に固執している。
微笑んでいる私を見てめぐが不思議そうに尋ねてきた。

 「ど、どうしたのよ急に…」
 「嬉しいのよ。めぐが私に嫉妬してくれて。」

変な水銀燈と言ってめぐはそっぽを向いてしまう。するとめぐは咳をしだした。すぐに止まるだろうと思っていたのだがなかなか止まない。
とても苦しそうに自分の胸を押さえつけている彼女を見て私もようやく深刻な事態に陥っていることに気付く、慌ててナースコールを押した。

 「はい、どうしましためぐさん?」
 「大変なの!めぐの咳が止まらなくってずっと胸を押さえてて苦しそうにしてて…」

パニック状態になっている私に看護士はやはりプロなので的確な行動をしてくれた。すぐにめぐの病室に医者とともに飛んで来てめぐの容態を調べる。
どうやら完全に発作が起こっているらしい。緊急手術が必要らしいのでめぐはそのまま病室から手術室へと連れて行かれることになった。
何もできないと分かっていても私はめぐに付き添って手術室の前までついて行った。

 (めぐ…死なないで!!)



暫く時間が経ってからめぐのご両親がやって来た。二人ともとても不安な表情をしている。私はとりあえずめぐの発作のことを話した。

 「そうか、発作が起こったのか。」
 「ええ…最近のめぐは弱っていた気がしますから。」

私がそう言うとめぐのお父様がこちらを一睨みした気がした。けれどもお父様はすぐに目を逸らす。
それから自分自身でも少し迷っている様子で私にこう行って来た。

 「水銀燈さんと言ったね?君は家のめぐのことをどう思っているんだ?」

そんなことは決まっていた。私にとってめぐはかけがえのない存在、今までの短い人生の中でも一番の親友だった。
今まで彼女にどれほど支えられ、助けられたその回数は数え知れない。そして何時しか私はめぐに対して友情以上の感情を育んでいた。

 「めぐは私にとってとても大事な友達です。」
 「ありがとう…ならこれ以上めぐに近付かないで欲しいんだ。」

何を言われたのかよくわからなかった、というか私の頭が完全に否定していた。どうしてそんな事を言うの?言われなくちゃいけないの?
私はめぐのことをこんなにも大事に思っているのに近付かないでくれ、なんて言われてしまうのだろうか。

 「ど、どうしてですか…?」
 「めぐのためなんだ…。めぐは本当ならアメリカに行って治療を受けるべきなんだ。
  けれどもあの子は君がいるから…君のことがとても大切だと思っているから君を一人残してアメリカへは行けないと言って聞かないんだ。」

聞かされた真実は残酷なものだった。この前に聞いた父親との喧嘩の理由、その元凶が私にあっただなんて。
あの時もめぐは私に心配をかけないように、寂しくならないようにまだアメリカに行かなくても大丈夫などと嘘を言っていたんだ。
このままめぐが死んでしまったら私のせい、めぐと彼女のお父様が喧嘩をしていたのも私のせい、私のせいでめぐの人生が狂っていく。
彼女のお父様の言うことは一理あった。めぐが死んでしまっては元も子もない。でもはいそうですか、とキッパリと従うことも出来ずにいた。
やがて手術室の灯火が消えて医者が出て来た。医者の話によると一命は取りとめたらしい。けれどもそろそろこの病院の設備では限界そうだった。
めぐは手術室からベッドに眠ったまま運び出され手術室の隣の部屋に一晩寝かせられることになったらしい。
麻酔が効いて眠っているとは頭の中ではわかっていても私は死んだように眠った顔をしているめぐの顔を見て自分がして来たことを後悔していた。
ここまで彼女を弱らせてしまった自分に科せられた罪業は十字架となって私の背中に重く圧しかかる。



病院から自宅に帰った私は自分の部屋の電気もつけずにベッドに横たわった。今はこの家の暗闇だっていい。
ただ一人になりたかった。ただ一人になって自分自身を苛め抜きたかった。苛めて虐めていじめてイジメテ…。
本当を言うと私はうっすらとだがめぐの嘘を見抜いていたのだ。それでもめぐと一緒にいたいと望んでしまった自分がとても憎らしい。
真実を知った今でもめぐと離れ離れになることを拒んでいる身勝手な自分がいる。私はそれを隠したいかのように布団の中に潜り込んだ。
このまま眠ってしまいたい。そして起きたらさっきのことが夢であって欲しいなんて都合のいいことを考える。
意識が悲しみの濁流に飲み込まれかけた頃にインターホンが鳴った気がした。私はこんな時間に来訪者が来るわけないと思ったが玄関に向かう。
扉の魚眼から覗いた外には信じられない光景が映っていた。私は何も考えずに勢いよく扉を開く。

 「お父様!!」

其処には確かにお父様がいた。幻なんじゃないかと思って父親の胸に飛び込む。洗い立てのシャツの匂いと暖かい体温が私を向かえてくれた。
お父様は困惑した様子で私の頭を撫でてくれる。触れられることが嬉しくて私はみっともなく泣きじゃくってしまう。
そんな子供みたいな私をお父様は家の中に連れて行って介抱してくれた。暫くのあいだ私はお父様から離れようとしなかった。
もう二度と放したくないと思ってシャツをギュっと握っていた。お父様は私を抱えて座り込む。
そして何かを私に言っていた気がした。けれどももともと意識がまどろんでいた私はそのまま意識を手放してしまう。
次に目が覚めるときにはお父様がいることを夢見て。



目が覚めるとそこにお父様はいなかった。やっぱりあれは夢だったのだろうか、けれどもこの手にあった感触と匂いは本物だった。
時計を見ると10時を回っている。私はのろのろと着替えて家を出た。とりあえず学校に行こう、もはや私の家にもめぐの病室にも居場所がない。
静かな住宅街、人気の余りない通学路がまるで世界中で私が一人だけ取り残されたという錯覚を生み出す。
電線の敷かれた頭上はまるで鳥篭のようにこの世界に閉じ込めようとしている。

 (私は…めぐと離れなければならない運命なのかしら。)

ずっと一緒だと思っていた。いつかめぐは病気を克服してあの薄暗い家で一緒に暮らしてくれたらどれほどいいかなどと都合のいいことを考えていた。
実際にはそんなことは有り得ない、でも私はめぐといれば暗い闇も灯せる気がする。
めぐは私の水銀灯(ランプ)だった、私もめぐにとっての水銀燈でいようと思っていた。
でもめぐの命がもうすぐで燃え尽きかかっている。そんなのは嫌だ、でもアメリカに行っためぐはもう二度と私の目の前に現れないかもしれない。
私に足りないもの、それは覚悟だった。めぐと、無二の親友と離れられる覚悟が私には欠如している。
今日中に私の答えを見つけなければ、彼女はもう限界だった、早く私が覚悟を決めなければお互いにきっと後悔する。
途中、いつも行く銀行にお金を下ろしに行く。両親の代わりに私の親権を持っているお父様の兄夫婦が入金してくれているのだ。
お金をくれるだけでしか私の面倒を見てくれない。もともと伯父夫婦とは余り上手く行っていない。お父様と不仲だったから。
けれどもその入金がこの間下ろした後からパッタリと無くなってしまっている。ひょっとして遂に私を見捨てたのだろうか。
何にせよ今度は金銭面でも悩むことになってしまったらしい。



学校に着いた途端に運の悪いことに梅岡が門番をやっていた。仕方がないので裏門から侵入しようと踵を返したら彼に見付かってしまった。

 「おい、水銀燈!いま何時だと思っている!?」

大股にこちらに近寄って来る梅岡は今日は機嫌が悪いようだった。最初から喧嘩腰で詰め寄ってくる。
鬱陶しいと思っている私は適当にあしらうつもりでいい加減に答えた。

 「すみませ~ん、寝坊したのぉ」
 「寝坊したじゃない!お前は三年生になってまでも後輩たちの悪い見本でいたいのか!?」
 「別にどうでもいいしぃ…じゃあねぇ~」

私が横をすり抜けようとしたが梅岡は執拗に私を問い詰める。ストレス発散だったらバッティングセンターにでも行けと私は言いたかった。
けれども鬱陶しい奴に合わせる理由なんてない。私は構わずに門をくぐって堂々と校内に入る。それでも梅岡は付き纏っていた。

 「それよりもお前、三者懇談はどうするつもりだ?まさか親御さんにまだ見せてないんじゃないのか!?」

梅岡の無神経な言葉が私の神経を逆撫でする。五月蠅い、それ以上言わないで!

 「まぁどうせお前の親だ。いい加減のロクデナシだろうよ。」

もう私の理性のタガは外れてしまっていた。言いたいことを言って立ち去ろうとする梅岡と一気に距離をつめ後ろから肩を掴んでこちらに振り向かせ、引き寄せて足を踏み込んでの強烈なパンチを顔面に打ち込む。
梅岡の体は反動で地面に倒れていた。顔面の鋭い痛みと驚きで梅岡の表情は引き攣っている。
それでも私の釈然としない憤りは鎮まらなかった。なので私は梅岡の腹部を蹴ろうとするが声をかけられて阻まれる。

 「おい、何してるんだ君!」

用務室からこの現場を目撃した用務員が止めに入って来た。私は舌打ちをしてその場に立ちつくしていた。
面倒なところを見られてしまった。冷静になってみればどう考えてもこれは私の分が悪い。下手をすれば退学は覚悟しなければならないだろう。



結局、梅岡とのことは会話内容も聞いていた用務員のおかげで一方的に私が悪いということにはならなかった。
けれども暴力をふったことに変わりはない。なので反省文を書かされることになってしまった。梅岡など口による注意だけで終わったというのに。
反省文なんてかったるいもの書いていられないので私は中庭の木陰に隠れることにした。ここなら両横になる校舎の死角になるので隠れやすい。
木陰でぼんやりと色々なことを考えていた。頭の中にある悩みはとても多い、めぐのこと、お父様のこと、お金のこと…。
どれをとっても私にとっては重要なことばかりで考えれば考えるほどごちゃごちゃになってしまう。
俯いている私の耳に女の子の啜り泣きが聞こえた。何だろうと思って花壇を見るとそこにはいつの時にか見た双子の片割れが花壇の段差に身を預けて俯いていた。
栗色の長い髪の毛…となると姉の翠星石のほうだろう。このまま放っておいたら目立つしそれで教師でも来たら私まで抜け出したことがバレてしまう。
とりあえず私は声をかけることにした。

 「ちょっとぉ…どうかしたのぉ?」

私に声をかけられた翠星石は一度体を震わせてこちらを見上げる。赤くなった目は金糸雀の話の通り綺麗なオッドアイだった。
思わず私のほうが呆けてしまう…、涙で潤んだ緋色と翠色の瞳はまるで宝石のような輝きを纏っているようだった。

 「えっと、そこは目立つからこっちに来ない?」

彼女は無言で頷いて私の後ろに着いて来た。そして木陰の木の根に一緒に腰掛けてみる。やっぱり彼女はずっと泣いていた。
横でずっとメソメソされるのも余り気分のいいものではないので理由を聞いてみる。

 「ねぇ、何があったのぉ?話してみなさいよぉ。」

無言のままで彼女は泣きじゃくっている。いい加減に私もイライラして来た。
よくよく考えてみれば初対面の人にそんなこと話し難いというのもあったのかもしれない。仕方がないので餌で釣ってみることにした。
私はポケットからヤクルトを取り出し彼女に向けて突き出す。

 「そんなに泣いてると喉渇くでしょう?飲んでいいわよ。」

私がヤクルトを差し出すと翠星石はそれをすぐに手から奪い取って飲み始めていた。少し呆れた私はもう一本ヤクルトを取り出して自分も飲む。
飲み終わったあとに栗毛の彼女は声を絞り出したように呟く。

 「あ、ありがとうです…」

私はどういたしまして、と答えて伸びをして木にもたれかかる。枯れた木の枝の隙間から射す日が目にくすぐったく芳しい花の香りが鼻を刺激している。
寒い冬のはずなのにここは何故か暖かく思えた。この花壇を普段は翠星石と蒼星石が世話をしているのか…。

 「何があったのか知らないけれども…元気出しなさいよねぇ。」
 「蒼星石が……私の妹がいなくなっちまうですぅ…」

嗚咽を吐きながらやっと言えた言葉だったようだ。けれどもこれだけしか言われなかった私には理解するのが難しい。
翠星石をあやしながら次の言葉を待つことにした。

 「卒業したら……外国の大学へ行くって………聞かないです。」
 「そう…なの。」

私と翠星石は同じだった。大切な人が自分の手の届かない距離へと去ってしまうことを恐れている。
何も変わらなくていいのに…世界はどんどん姿をかえて私たちを置いてけぼりにする。

 「貴女はやっぱり蒼星石と一緒にいたいの?」
 「当たり前です!蒼星石は双子の妹、翠星石の半身と言っても過言じゃないです!」

半身とまで言ってのける二人の絆を私は羨ましく思う。私とめぐの場合は客観的に見れば所詮は他人なのだ。
でも彼女と過ごした時間はとても大切なもので今日までの私を形作っていると言っても過言ではない。
私はめぐなくしては存在しえなかったのだろう。だからこそお互いに離別の言葉を口にすることができなかった。
きっと蒼星石にも何かそれなりの理由があるのだろう。そしてその理由にこそ私が選ぶべき導があるに違いない。

 「ねぇ、蒼星石の話も聞いてあげたらどうなの?」
 「話…?」
 「貴女と彼女ほどの関係だったら何か理由があるんでしょう?だから腹を割って話し合ってみたらいいんじゃないのぉ?」

翠星石は複雑そうな顔で考え込んでいた。きっと思い当たるところがあったのだろう。

 「わかったです……ところでお前の名前はなんていうです?」
 「水銀燈よぉ。」
 「ありがとうです水銀燈、少し自分でも考えてみるです。」

私と翠星石は別れを述べて花壇を後にした。このまま教室に戻っても仕方ないので反省文でも書きに戻ることにする。
けれどもその足は憂鬱さで重くなることはなかった。決意を胸にしたというのにどうして最初から憂鬱にならなければならないのだろう?

 (めぐ、私は貴女の…)



反省文も書き終わって学校も終わり私はめぐのいる病院へと向かう。双子の話を聞きやっと決意をしたからだ。
空からこぼれ落ちつつある太陽が空と地面を血の色に染め上げ赫灼とした世界の中で二人の少女がいた。

 「また貴女たちなの?」
 「そんな嫌そうな顔をしないで下さいな。」

それぞれ鏡合わせのように眼帯をした二人組み、雪華綺晶と薔薇水晶だった。以前にこの二人からお父様の話を聞かされたのだが今はそれどころじゃない。
めぐに会ってちゃんと伝えたいことがあるのだから…

 「悪いけど今は貴女たちの相手をしている暇はないの。どいて頂戴。」
 「私たちも…話したいことがある……」

薔薇水晶の舌足らずで間のある喋り方が急いでいる私を苛立たせた。私は強行突破を図ろうと二人の脇をすり抜けようとした。
しかし薔薇水晶は私の手首を信じられない力でつかんで離そうとしない、いや私が離すことができなかった。

 「お父様が来ていますの。話しを聞いて下さいな。」
 「お父様が…!?」

やっぱり昨日の夜は夢じゃなかったのだろうか?だとしたらどうして父がこの二人と行動をともにしているの?
それにお母様は?どうして昨日の夜に何も告げずに消えてしまったのだろう?聞きたいことは山ほどあった。
私は薔薇水晶と雪華綺晶について行くことにする。けれども二人が歩くのは私が帰り慣れている道、つまり帰路だった。
そして二人は真紅のアパートの一室まで私を導く、雪華綺晶が持っている白色のポーチから合鍵が取り出されいよいよ部屋の中へ入った。
まだ引っ越してきたばかりなのか家具らしいものはなくとても簡素でいて人が住んでいないようなどこか寂しい雰囲気を醸し出していた。
これが真紅の家と同じ家だとはとても思えない、彼女の家は私の家やここに比べればとても賑やかなものだった。

 「水銀燈さんをつれて参りましたわ。」

雪華綺晶が扉で仕切られた部屋の中にいる男に呼びかける。部屋からはわかったという簡単な返事しか返って来なかった。
やっとお父様に会えるかと思うと私の胸は複雑だった。恋焦がれていた親への気持ちとどこかに引っかかる腑に落ちない気持ちが渦巻いている。
そしてパンドラの壷の蓋は開けられその中から一人の男が現れた。それは昨晩に見たお父様そのものだった。

 「水銀燈。」

どれほど待っただろうか。幼い頃から鼻が覚えていたこの男の人の匂いをどれほど待っただろうか。
その優しい声で私の名前を呼んでくれるのを、思わず私は麻痺してしまいそうになった。そのたくましい男の胸に体を預けた。

 「あ、会いたかった……お父様!!」

今度こそ二度と離すまいと私はいっそう強く抱き締めた。けれどもあっちのほうからは抱擁を返されることはなかった。
顔を見ようと見上げると当惑したような顔をしている。なにか様子が可笑しい。

 「あの…お父様?」

呼びかけられた男は心苦しそうに私を見てとつとつと語りだした。

 「残念ながら僕は君のお父さんじゃないんだ。
  僕の名は槐、君のお父さんの友人なんだよ。」
 「え…でも薔薇水晶はお父様だって…」
 「ゴメン…あれは私たちのお父様っていう意味………日本語って難しい。」

愛嬌のある振りをしているのだがそれで勘違いをしてしまったこっちとしてはたまったものではない。

勘違いしていきなり抱きついてしまったことを思い出して顔が赤くなる。なんだか一人だけ舞い上がっていた自分が馬鹿みたいだ。
結局はお父様はまだ帰って来ないということなのだろうか。しかし今更なぜ私を訪ねてきたのだろうか?

 「それでお父様の友人が私に何の用?お父様の居場所なら私も知らな…」
 「…やっぱりそうなのか。」

男の人、槐はとても残念そうな表情をして言っていた。私はてっきりお父様の居場所がわからないので残念なのだと思っていた。

 「まぁ待っていればきっと帰ってくると思うから」

 「違うんだ。」

無念の感情は哀れみの感情となってその端正な表情を歪ませて私に降り注がれている。雪華綺晶と薔薇水晶も同じだった。
三人ともとても哀れなものを見るような表情で私を見ている。それが気に食わない私は槐に食って掛かった。

 「どういう意味よ?言いたいことがあるんだったらはっきり言いなさい!」

槐は躊躇した様子を見せたのだが哀れみに緩んだ表情をきっと結んで私を見据えるようにして語った。

 「君のご両親は遠い場所へ行ってしまったんだ。もう二度と戻って来れないようなところへ…」

紡がれた言葉は希望などではなかった。

 「つまり死んでいるということだ。」

パンドラの壷の中に眠っていたのは最後の希望などではない。希望の抜け殻を被った大いなる絶望だった。
私はこの汚泥の底のような大いなる絶望に身震いした。



夢の話をしよう。咽る黒の味のする果実だよ。
太陽と月が同じ空に昇るとき、世界は暗闇に支配される。
暗闇に支配された場所でもなお夢を見る人は耐えない、夢が終わったとも知らずに―――
夢の話をしよう。暗闇を照らすランプを見つけるまで―――

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