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  『貴女のとりこ』 第十八回


彼の一言は、薔薇水晶の肩を震わせた。
彼女の心に芽生えていた恐怖を、爆発的に成長させた。


警察に通報され、全てが明るみに曝け出されたら――

雪華綺晶は、殺人犯にされてしまう。
そして、下賤なマスコミは、大げさに発表するだろう。
売り上げを伸ばすために、有りもしない尾鰭を付けるかも知れない。
『同級生を食い殺した鬼女』とか、センセーショナルな見出しを付け、
愛する姉を誹謗・中傷して、残忍非道な犯人像を仕立て上げないとも限らない。
そればかりか、薔薇水晶や彼女たちの父まで晒し物にされてしまうかも……。


そうなったら、おしまいだ。
もう、学校に行けないどころか、この町には住んでいられない。
父は職を奪われ、彼女たち親子は、世間から存在を抹殺されるだろう。
どこに逃げても、いつ真相が発覚するかと怯えながら、暮らさねばならない。
気の休まる場所など、どこにも無く、人並みの生活すらできない。


――イヤ! そんなのイヤ!


薔薇水晶は、携帯電話を操作するジュンに縋り付いた。

「ダメっ! 止めて、ジュンっ! 警察には報せないでっ!!」
「なっ?! なにを言い出すんだ、薔薇水晶っ。二人も死んでるんだぞ!
 雪華綺晶の遺体だって、このままには出来ないだろ?」

薔薇水晶は、これが女の子の腕力なのかと驚くほどの勢いで、しがみついてくる。
あまりの意外さに振り向いたジュンは、狂気を貼り付かせた薔薇水晶と、
顔を合わせることとなった。

「止めてっ! お願いだから、止めてっ! お願いっ!!」
「嫌だっ! 柏葉を、このままには出来ない。
 僕は柏葉を、ここから連れ出す! そのために来たんだからな」

言って、ジュンは薔薇水晶を突き飛ばし、警察に電話をかけ始めた。
はじき飛ばされ、尻餅をついた薔薇水晶は、白崎に背中を支えられながら、
その様子を茫然と眺めていた。

「……ダメか。やっぱり地上に出ないと、電波が届かないな」

ジュンは苛立たしげに舌打ちして携帯電話を折りたたむと、もう一度、雪華綺晶の亡骸と、
柏葉巴の変わり果てた姿を一瞥する。
そして、小さな声で呟く。「待ってろ、柏葉。いま出してやるからな」

鉄扉に向き直り、歩を進めるジュン。
言葉なく、その背中を見つめていた薔薇水晶は、不意に身体を戦慄かせた。
このまま彼が出ていくのを見過ごしたら、地獄のような日々に突き落とされる。
そんなことは絶対にイヤ。苛められ、苦しめられるのは、もう沢山。


ならば、どうする?
単純な理屈だ。彼を引き留めればいい。もしくは、通報できなくすれば……。
手段を講じる薔薇水晶の視界に、デッキブラシが飛び込んできた。


(ジュンを止めなきゃ――)

いま、彼を行かせる訳にはいかない。なんとしても、足止めしなければ。
白崎を押し退け、跳ね起きた薔薇水晶は、俊敏な動きでデッキブラシを拾い上げると、
気配に気付いたジュンが振り返るより早く、頭めがけて、それを振り抜いていた。

生々しい音と、鈍い衝撃。宙を舞う、メガネ。
彼の手からこぼれ落ちた携帯電話が、乾いた音を立てて跳ねた。


ひと言も――呻き声すら上げることなく、ジュンの身体は崩れ落ちていった。
倒れる途中、簡易ベッドの端に側頭部を打ち付け、床に突っ伏す。
ひくん……ひくん……と、痙攣している。
ジュンの頭を中心にして、粘りけのある深紅の液体が、広がり始めていた。

「お、お嬢様っ?! なんて事を――」

いきなり繰り広げられた凶行に、白崎は切れ長の瞼を見開きながらも、
素早く薔薇水晶に飛びかかり、羽交い締めにした。
だが、彼女はデッキブラシを振り回して暴れるどころか、何ら抵抗の意志を見せなかった。
小刻みに痙攣しているジュンを見下ろし、ただ、薄ら笑っているだけで。

白崎は一応の用心に、薔薇水晶の手から得物を奪い取って、部屋の隅へと放り投げた。
それから、徐に屈み込んで、ジュンの容態を確認し始めた。
当たり所が悪かったのか、それとも倒れた際に頭を強打したのか、瞳孔が開いている。
見開かれた瞳は、意志の輝きを宿していない。
呼吸も、脈も、停止状態。
なにより恐ろしいことに、彼の頚は、妙な角度に捻れていた。


つまり――

「桜田くん…………死んでいます」

白崎が静かに宣告すると、薔薇水晶は雷に撃たれたように、ビクンと背を伸ばした。
彼女にとっては、それが正気に戻る合図だったのだろう。
狂気の笑みを浮かべていた口元は、今や小刻みに震え、歯の鳴る音が漏れていた。

「あ……ああ…………わ、私っ」


薔薇水晶は小さくイヤイヤをして、両手で頭を抱えた。
ただ、彼を引き留めたかっただけ。
説得に応じて、思い留まって欲しかっただけ。
殺してしまおうなんて、これっぽっちも考えていなかったのに――

これで、自分も咎人。姉妹そろって殺人者。
もう、希望も夢もない。華やいだ生活は、既に過去のもの。
未来を切り開く原動力として、大切に温めてきた希望は、
将来を愁えて、自ら道を閉ざす衝動にもなり得る絶望と、表裏一体だった。

いつ真相がバレてしまうのかと不安に思い、人々の日常会話にすら恐怖を覚えながら、
これからの一生を、罪の意識に苛まれ続けるのだ。
それが、どれほどの苦痛を伴うかなど……想像すら出来ない。


  死のう。

結論は、すぐに出た。あとは、手段のみ。
部屋をぐるり見回す瞳に、鉄扉の側に転がる鑿と、工具箱が映った。
あれで喉を一突きにすれば、死ねるだろうか。
工具箱の中に、カッターでも入っていないだろうか。

よろよろと歩き始める薔薇水晶。
様子がおかしいと気付いた白崎は、落ちている鑿を掴もうとした彼女の腕を掴み、
力任せに引き戻した。
その途端、今までの緩慢さが嘘であったかのように、薔薇水晶は激しく暴れ出した。

「待ちなさいっ! そんな物を拾って、なにをするつもりですか」
「イヤッ! 放して、白崎さんっ! もうイヤなのっ!」

喚き、振り回された彼女の手が、白崎の顔を打ち、眼鏡を弾き飛ばした。
けれど、白崎は薔薇水晶の腕を手放さず、その場に引き留めていた。
 
「もう生きてたって仕方ないの! 死なせて! お願いだから、死なせてよぉっ!」
「お嬢様っ!」

白崎の怒鳴る声を追いかけて、小気味よい破裂音が、狭い室内に響いた。
撲たれた頬に手を当てた薔薇水晶の目から、ぽろぽろと涙が零れる。
萎れた薔薇のように、肩を竦めて小さくなった彼女を、白崎は徐に抱き寄せた。
そして、慈愛に満ちた手つきで彼女の髪を撫で、優しい声で語りかけた。


「撲ったりして、すみませんでした。けれど、このくらいしなければ、
 僕の話を聞いてもらえそうになかったものですから」
「…………私の方こそ…………ごめんなさい」
「いいのですよ。それより、これからの事ですが――」

ビクッ! と、身を強張らせ、縮こまった薔薇水晶を勇気づけるように、
白崎は抱き締める腕に力を込めて、自信に満ちた口調で告げた。


「全て、僕に任せてください。巧く処理すれば、なにも問題にはなりませんよ。
 そう――――何も、ね」




その日の深夜――

被害者たちの涙かと思える雨が、路面を叩き、地に染み込んでいく最中、
白崎と薔薇水晶は、誰にも見咎められることなく、車で屋敷を出た。
雪華綺晶とジュンの亡骸は、後部座席に横たえ、毛布を被せてある。
助手席に座る薔薇水晶の足元には、巴の遺骨を納めた木箱が、安置されていた。
今では、薔薇水晶もすっかり落ち着きを取り戻している。
罪悪感は薄れずとも、死体を遺棄することに、なんの躊躇いもなくなっていた。
殺人犯になる恐怖から逃れられる安堵の方が、彼女にとっては最重要だったのだ。


彼らが向かった先は、別荘が点在する山奥の避暑地。

「ここに埋めるのね。でも、見付かっちゃわないかな?」
「雪華綺晶様と柏葉さんが失踪した時に、警察はこの付近も捜索しました。
 その際には、遺留品など何も発見されなかったので、あまり重視はしないでしょう。
 なにより、僕らはまだ、犯人と見なされていません」
「そうだけど……私たちが、こんな夜更けに別荘を訪れた事が知られたら――」
「後方に注意していましたが、追跡する車両はありませんでしたね。
 それに、この雨がタイヤの痕跡を消してくれます。ボディーに付着した泥は、
 明日にでも洗車して、完全に流しておきますよ。勿論、車内の清掃も念入りにね」
「それじゃあ――」
「とにかく、急ぎましょう。今夜の内に帰らねば、元の木阿弥ですから」

小雨の降りしきる深夜、別荘の裏庭に二人で2メートル近い、深い穴を掘った。
そのくらい深く埋めなければ、野生動物に掘り返されてしまうためだ。
別荘の備品であるハシゴを使って、白崎が穴の底に、巴の遺骨を降ろす。

その次は、ジュンが納められる番だった。
薔薇水晶は、白崎に抱えられたジュンの青ざめた頬に、そっとキスをした。

「さよなら……ジュン。貴方のこと、ホントに大好きだったのよ。
 でも――もう一緒に居られないから…………ごめんなさい」

それが、餞の言葉。
白崎によって、彼が深く冷たい穴の底へと運ばれていく様子を、
薔薇水晶は瞬きもせずに、じっと見つめていた。

最後に、幸せそうな笑みを湛えた、雪華綺晶が運び込まれる。
最愛の姉に送る別れのキスは、色褪せた唇に――

「さよなら、お姉ちゃん。置き去りにするのは忍びないけど……
 ジュンと巴ちゃんも一緒だから、寂しくないよね?」
「そうですね。では、お連れしましょう」

湿った土の臭いに噎せながら、白崎は全ての亡骸を納め終えた。
薔薇水晶は、三人の上に、屋敷で摘んできたキンセンカの花束を投げ落として、
眼帯を外した。
そして、止めどなく、葬送の涙を手向ける。


ざくざく、ざくざく……と。
三人の姿が、完全に土で覆い隠されるまで、彼女は眼帯を外したままでいた。
全ての証拠が隠滅される有様を、しっかりと見届けるために。


全ての終わりを、双眸に焼き付けておくために。


  ~最終回に続く~

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