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  『もしも・・・』
 
 
 
【――もしも、貴方と出会えなかったら】

きっと、私はまだ本気の恋をしていなかったと思う。
貴方という人に想いを馳せ、ちょっとした仕種を思い浮かべるとき……。
私は、とても満ち足りた気分になる。
そして、もっともっと親密になりたいと思ってしまう。


 「ジュン。今日……一緒に帰ろ?」

六限目は別の教室で行われる。移動中、薔薇水晶は廊下でジュンに話しかけた。
別に、放課後に何か用事がある訳じゃない。
少しでも長い間、ジュンと一緒に過ごしたかったからだ。
そんな薔薇水晶の思惑を気にする風もなく、ジュンは気軽に応じた。

 「ああ、いいよ」
 「ホント? じゃあ……あの、下駄箱のところで待っててくれる?
  私……今週は掃除当番だから」
 「ん、解った。そんじゃ、待ってるからな」

お願いね、と返事をしながら、薔薇水晶は心の中で「よしっ!」と歓声を上げていた。
これで、今日も二人きりで、いろいろな話題に花を咲かせられる。
ジュンのことを、もっと聞かせてもらえる。
好きな食べ物とか教えてもらって、お弁当を作って上げる事が出来る。




【――帰り道の事を考えるだけで、私は、すっかり夢見心地になっていた】

授業なんて上の空。先生に質問されても、生返事。
おかげで、笹塚くんと並んで、廊下に立たされてしまった。

でも、そんなことは大した苦にならない。だって、ジュンと一緒に帰れるんだから。
たった、それだけの事なのに……。
どうして、こんなに嬉しいんだろう?


 「お待たせぇ。ゴメンね……ジュン」
 「いや、構わないよ。急ぎの用事が有るわけでもないしな」
 「そうなんだ? よかった♥」
 「なんだか、凄く嬉しそうだな。今日は、なにか良いことでも有ったのか?」
 「有ったよ~。それも、たった今……ね」
 「へぇ。掃除中に、お金でも拾ったのかい?」

――これだもんなぁ。
薔薇水晶は、ジュンに悟られない様に、小さく吐息した。
天然ボケというか、激ニブというか。

 「それじゃ……帰ろ?」
 「ああ。ところでさ、今日これから、薔薇水晶は予定ってあるか?」
 「? ううん……特に、ないけど」
 「じゃあさ。喫茶店『えんじゅ』に寄っていかないか。たまには奢るよ」
 「え、でも……良いの?」
 「前に、ケーキバイキングに行きたいって言ってただろ」
 「憶えてて……くれたんだ?」




【――屈託なく笑うジュンを見て、私の小さな胸は熱くなった】

私ですら、いつ言ったのか忘れていた事を、彼は憶えてくれていた。
それが、言葉で巧く表現できないほど嬉しかった。


 「バレンタインに、チョコ貰ったしさ。まあ……なんて言うのかな。
  ホワイトデーには早いけど、そのお返しってコトで」
 「えへへ……ありがとぉ、ジュン♥ そういう事なら、遠慮なく」
 「まあ、ちょっとは手加減してくれよ」
 「さぁて、どうしよっかなぁ♪」

それから、薔薇水晶とジュンは様々な事を話し、笑い合った。
互いの趣味のこと。好きな食べ物は何か。他にも、いろいろと――
それは薔薇水晶の人生にとって、とても有意義な時間だった。

 「今日は、ありがとう。今度……お礼するから」
 「別に、気にしなくて良いのに」
 「いいの。私が、そうしたいんだもん♪」
 「……そっか。なら、気長に待ってるよ」

んもう、期待しててよ。ホント、張り合い無いんだから。
でも、その方がジュンらしいのかな?

ジュンと並んで歩く、夕焼けの帰り道。
薔薇水晶の表情から、笑顔が絶える事はなかった。




【――今朝は、早起きして、彼のお弁当を作ってみた。ビックリしてくれるかな?】

我ながら巧く出来たとは思うけど、ジュンの口に合うかどうか……ちょっと心配。


 「しまった……出遅れたぁ」

四限目の授業中、昼のことばかり考えていた薔薇水晶は、先生に注意されてしまった。
それだけならまだしも、プリントを回収して、職員室に届ける役目まで仰せつかった。
駆け足で教室に戻ったものの、ジュン達は既に居ない。
みんな、屋上に行ってしまったのだ。

 (ジュンのために、早起きしてお弁当を作ったのに)

階段を駆け上って、屋上の扉を開くと、向かい風に乗って聞き慣れた声が届いた。
よかった。みんな、まだ食べ終わってないみたい。
扉を全開にして、みんなの姿を探す薔薇水晶の瞳に、彼の姿が飛び込んできた。

翠星石と楽しげに話しながら、サンドウィッチを貰って食べるジュンが――


薔薇水晶の胸が、ズキンと痛んだ。
どうして、そんなに仲良さそうにしてるの?
ああ、そうか。ジュンは、誰にでも優しかったっけ。
きっと、そういう事なのね。

 「すっかり……遅くなっちゃった」

寂しげに呟きながら、薔薇水晶は重い脚を引きずる様にして、みんなの輪に混じった。




【――あ~あ。渡しそびれちゃった。折角、作ったのに】

まさか、自分で食べることになるなんて…………惨めだなぁ。


午後の授業も、薔薇水晶は全く聞いていなかった。
馬耳東風。右から入って、左に抜ける状態だった。

 (そもそも、お弁当を作って上げるって、言ってなかったもんね。
  うん。今日は帰り道に、それとなく伝えてみよう)

六限目が終わるや、薔薇水晶はジュンと一緒に帰る約束を取り付けた。
昨日と同じく、下駄箱で待っていてもらう。
早く、掃除を終わらせちゃおう。
箒で床を掃きつつ、何気なく窓の外に目を遣る薔薇水晶。
すると、ケヤキの下に見知った人影を認めた。

 「ん? あれは……ジュンと……」

――翠星石。
昼食の光景が、薔薇水晶の脳裏に甦った。仲良さそうに振る舞う、二人の姿が。
でも、たまたま会って、立ち話をしてるだけかも知れない。
そうよ。きっと、そう。

けれど、薔薇水晶の淡い期待を裏切るように、ジュンの手が彼女の肩に置かれた。
二人の距離が近付いていく。二人の顔が、せり出したケヤキの枝に隠れた。
なに? なにをしてるの? あの二人は……なにを?

薔薇水晶は激しい動悸に目眩を覚えて、箒の柄にしがみついていた。




【――多分、キス……してた】

あの二人が、そんな関係だったなんて…………ちっとも知らなかった。
独りで浮かれていたのが馬鹿馬鹿しくて、恥ずかしくって……。
私は、死にたいとすら思った。


 (こんな気持ちじゃ、顔も合わせられない)

結局、薔薇水晶はコッソリと靴を持って、裏門から独りで帰ってしまった。
ジュンには悪いけれど……ううん……彼には、翠星石が居る。
私なんか、待ってなくたっていい。

 (明日、謝ればいいよね)

トボトボと歩く帰り道。
こうして、ゆっくり歩いていれば、彼が追ってきてくれるかも知れない。
時折、呼ばれたような気がして振り返るけれど、そこには誰も居ない。
そうよね。人生、そうそうハッピーエンドばかりじゃないし。

結局、家に着くまで、ジュンは追い付いて来なかった。
自分が彼を置き去りにしてきたくせに、なんだか無性に腹立たしかった。
ジュンにとって、私なんか所詮、その程度だったのだ。

私に誤解を抱かせたのは、ジュンのせい――
ジュンが誰にでも優しいから、こんな気持ちになってしまったのだ。

 「許……せない」

薔薇水晶の金眼に、激情の炎が灯った。




【――許せない。彼が許せない。絶対に、許せない!】

   ノロッテヤル。


自室に籠もると、薔薇水晶はカッターで右の人差し指を傷つけた。
じわりと滲み出した血をひと舐めして、便箋に血文字を書き綴っていく。
たった一句、恨みの言葉を。

その夜遅くに、薔薇水晶は桜田家の郵便受けに、封筒を投じた。
宛名は、桜田ジュン。差出人は書いたりしない。
私の恨みを、受け取ってね。

薔薇水晶はククッ……と含み笑って、その場を後にした。




翌朝、薔薇水晶は教室に入るなり、待ち構えていたジュンに連れ立された。
そのまま、人目を憚るように屋上へ向かう。
授業前ということもあって、誰も居なかった。

 「なぁに、ジュン? こんな所に連れてきて」
 「どうして、昨日は約束をすっぽかした? それに、この手紙――」

昨夜、薔薇水晶が投函した封筒を、ジュンは取り出した。

 「どういうつもりなんだ? 何か、誤解してるんじゃないか?」
 「だとしたら……それは……ジュンのせいだよ。
  ジュンが、誰にでも優しいから……誤解しちゃうんだよ」




【――私は、見てたの。貴方が、翠星石とキスしてるところを】

 「はぁ? なんだか、訳が解らなくなってきた」
 「良いよ、解らなくても。ジュンは…………翠星石と仲良くしてれば良いのよ」
 「? なんで、翠星石が出て来るんだ?」
 「トボケなくても良いのに。昨日……ケヤキの下で……キス……してたクセにっ!」

ぽか~ん。
表現するなら、ジュンはまさに、そんな顔をしていた。
そして、やおら吹き出したかと思うと、腹を抱えて笑い転げた。

 「なっ! なんで笑うのっ?」
 「だって……お前……あははははっ…………は、腹いてぇ」
 「んもう! 私の方がワケ解らないよっ!」
 「いやぁ……悪い。でもさぁ……この手紙の意味が、解ったから」

眦の涙を指で拭いながら、ジュンは封筒から、便箋を抜き出して広げた。


  『祝ってやる』


そこには、ハッキリと、そう書かれていた。
なんてことだろう。呪ってやると書いたつもりが、思いっ切り間違えてる。
薔薇水晶は、あまりの羞恥に耳まで真っ赤にして俯いた。

 「僕と翠星石は、そんな関係じゃないよ」




【――いま、ジュンは何て言った? 聞き間違い……じゃない、よね?】

ジュンは、もう一度だけ明言した。

 「そんな関係じゃないんだ。昨日のは、翠星石の髪に虫が付いてたから、
  取ってあげてたんだよ。それとも、僕らがキスしてるって確かめたのか?」
 「う……それは……してない」
 「じゃあ、薔薇水晶の誤解だったってコトだな。約束すっぽかしてくれたし」
 「ご……ごめんなさい……私」

身を竦めて項垂れる薔薇水晶に、ジュンは「そうだなぁ」と意地の悪い声色で迫った。

 「本当に、反省してるのか?」
 「うん……してます。ごめん」
 「だったら、明日は弁当でも作って来てもらおうかな」
 「えっ?」
 「約束をすっぽかした分は、それでチャラだ」
 「わ、解ったわ。明日……必ず、作ってくるから」

思いがけない提案に面食らったものの、薔薇水晶はコクコクと頷き、即答した。
なんだか、馬鹿みたい。なにをしてたんだろう、私は。
不意に、自分でも気付かない内に、涙が零れていた。

 「おいおい……許すって言ってんだから、泣くなよ」
 「だって……う…………うわぁ……ん」
 「――ったく。しょうがないなぁ。ほら、こっち来いよ」

抱き締められて、薔薇水晶はジュンの胸で泣き続けた。




【――なんだか、恥ずかしい。人前で、あんなに泣いたのは久しぶりだったから】

誰も来ない屋上で、薔薇水晶はジュンと肩を寄せ合っていた。
誰の目も憚らないから、大胆になっているのかも知れない。
今なら、言えそう。薔薇水晶は、すうっ……と、大きく息を吸った。

 「あのね、ジュン。私は…………ジュンが、大好きだよ♥」
 「そっか……なんとなく、そうじゃないかって思ってた」
 「……ホント?」
 「うん。こういうのって、僕が言うべきだったんだろうな、やっぱ」
 「別に良いよ。ジュンの気持ちが解ったんだから……もう良いの」

人生は、ハッピーエンドばかりじゃないと思っていたけど――
ほんの少し勇気を出すだけで、掴める幸福って、あるものなのね。
それなら……もっと勇気を出せば、もっともっと幸せな気持ちになれるのかな?




【――試してみよう】

ちゅっ!
薔薇水晶は徐に両手でジュンの頬を挟んで、触れ合うだけのキスを交わした。

 「なっ……ば、薔薇水晶っ!」
 「えへっ♪ もらっちゃったぁ♥」
 「こいつっ!」
 「きゃぁ、ごめ~ん」

三月の弱々しい日射しの下で、ジュンと薔薇水晶はふざけ合った。
とても、満ち足りた気分で。




もしも……勇気を出せなかったら。
私はきっと、本当の愛を知らなかったと思う。
だから今は、ちょっとだけ頑張れた自分を、褒めてあげよう。


【――よく、頑張ったね……私】

 

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