――アリスゲーム。
それは完全な一人の少女になるための戦い。
七体の人形が命であるローザミスティカを奪い合い、七つ全て集めた人形が完全な少女になれるという――。
完全な少女となって、創造主のお父様の寵愛に愛されるために――。
僕もそんな人形の一体だった。
そんな僕にも、双子の姉がいた。
僕と姉はずっと二人で一緒だった。
戦いをすることなんて想像できないほど、互いに心を通じ合わせている……
つもりだった。
僕と違って戦いは望ます、戦いになったときも幾度かあったが、その度に姉を守ってきた。
臆病で泣き虫で意地っ張りの姉を守ってきた。
勇敢だなって姉は思っていたらしいが、実際の僕はそうではない。
本当は臆病なのだ――。
どこかの大きな湖。
対岸は全く見えない、森の中の湖のほとりで――。
その時も僕は姉と一緒にいた。
「蒼星石のローザミスティカを奪わなくてはいけないのなら、翠星石はアリスになんてなれなくてもいいですよ」
「……君は強いね」
「な……何でです? 翠星石はケンカが嫌いなだけですよ」
「僕は目の前に君のローザミスティカを差し出されたら迷ってしまうかもしれない」
「……蒼星石……」
僕の言葉に戸惑う翠星石。
「本当の僕は……君と違ってずっと臆病だから……」
僕はそう言って姉の顔から目をそむけ、湖をただ眺めていた。
「おかしな蒼星石です――」
翠星石はそんな僕に笑いかける。
「だったら、翠星石は姉妹達から貴女を守ってやるですよ。
翠星石はずっと一緒です。
すーっと、ずーっと一緒ですよ……」
そして、僕らは目を閉じて――鞄に入り、足を曲げる形で眠りについた――。
しかし……時が経つに連れて……
姉といつまでも一緒にいるわけにいかない――
今でも僕は不完全だ。
姉と二人で一つだなんて――!
僕は僕でいたい。
そのためにもアリスになって、完全な少女になる!
アリスになるためには姉も倒さなければいけない!
そんな思いが僕の感情を支配していた。
そして、ついに――
「僕らはマスターを違えた、ローザミスティカを奪う敵同士だ」
僕はそれ以上何も言わず、手にしていた鋏の刃を翠星石に向ける。
「……敵同士だなんて、嘘ですね……」
翠星石は、おろおろとしながらじっと僕を見つめていた。
「僕は嘘も馴れ合いも好きじゃない」
僕は鋏の刃を翠星石の首元にあてがった。
「……分かったです。蒼星石が望むなら……翠星石のローザミスティカをくれてやるですよ……」
そう言って、観念したかのように静かに目を閉じる翠星石。
潔いんだね。では一思いに刃先を引いて――。
だが……手は全く動かない。
石のように固まってしまって……全く動かないのだ。
「……さあ……やるです……」
翠星石の望むとおりにしようとしても――手は僕のいうことを聞かない。
何をやっているんだ!さあ早く!
……でも……それで本当にいいのかな……。
頭の中で別の思念が渦巻く。
今の僕のしようとしている事に……疑問を投げかける声が――!
そんなことない!
ローザミスティカを奪うことで、僕は僕になれるんだ!
……それをしたら……ローザミスティカより、大切なものを失う気がする……。
いいや、そんなことはない!
僕は大きく首を振った。
そして、そんな心の葛藤を振り切って、翠星石の首元に掛けた刃先を一気に引いて――!
――!
僕は思わず大声を上げて布団から飛び起きた。
ごおおおおおお!
窓の外から轟音が聞こえる。恐らくトンネルの中を走行しているのだろう。
――何なの、今の夢は!?
体がやけに汗ばんでいる。
着ていた半袖のYシャツの首元も汗で濡れていて、履いているジーンズも蒸れている。
思わず備え付けの浴衣に着替えようかとも思った。
深呼吸をしてから、下りたカーテンを少しまくって窓の外を見る。
やはり、トンネルの中を走行しているらしく、外にはトンネルの壁と照明が前から後ろへと流れているのが見えるのみであった。
カーテンを元に戻すと、改めて周囲を見回す。
中には座席を変形させた寝台と読書用の照明が一つ。その上には布団と、使っていない備え付けの浴衣があるのみ。
寝台といっても、体を伸ばして寝られるほど大きくない。
足を曲げないと、寝られないのだった。
そう――さっきの夢の中にあった――丁度鞄で寝るような体勢で。
窓とは反対側の通路の方にも、僕のいる室内を隠すようにカーテンが下りている。
確かに、今いるのは大阪へ向かう寝台電車の中だった。
念のためと言っては何なのだが――僕は手の関節を読書灯の灯りに照らす。
――普通の人間の関節だ。人形の球体関節じゃない。
というか、人形になるなんて――馬鹿馬鹿しい。
改めて、僕はため息を付いた。
僕は姉の翠星石と二人暮しだ(もちろん、姉も人間だ)。
幼い頃から二人で一緒にいて、周囲からも仲良し姉妹だなんていわれていた。
でも、僕は姉とは違う。二人とも一緒だなんて見られるのは嫌だった。
正直、鬱陶しく思うこともあった。
そんな思いはあったけど――ある一件が起こるまでは、ずっと心の中に秘めていたのだった。
その一件とは――同じある男の幼馴染を姉が――そして僕も好きになってしま
ったことだった。
最初こそは互いに隠して交際していたが、ふとしたことでそれが明らかになっ
てしまった。
その時から――姉と口喧嘩になることが度々あった。
姉は一歩も譲る気配はなく――僕も当然譲る気はなかった。
そして、ついに一昨日――いつものような姉との口喧嘩で、今まで押さえてきた感情が一気に爆発した。
「君とは一緒にいたくない!」
僕は家を飛び出し、気が付いたら東京へ向かう電車に飛び乗っていた。
どこかぶらつこう。
そうすれば、少なくともあんな姉を見なくて済む。
結局、連絡を取るなんて事はなく、上野から福島、さらに米沢、新潟へと列車を乗り継いでの放浪をしていた。
新潟についたときにはすでに22時半。
ここで宿を取ろうかと悩んでいた時に、駅の列車案内をふと見た。『22時55分 急行きたぐに 大阪』という文字が目に入った。
そうだ……西へ……京都あたりに行くのもいいかもしれない。
僕は迷わず、その列車の寝台券や急行券なんかを買って、駅のホームへ向かった。
寝台急行ということで、ブルートレインかなと何となく想像していたが、実際にホームに停まっていたのは寝台電車だった。583系寝台電車という、かなり古くからある電車で、中に入るとカーテンが通路の左右を塞ぐ形で下りていた。
スリッパが多少散乱していて雑然とした印象を受けたが、それ以上気にすることなく、寝台券の番号を見ながら席を探す。
券に書かれていた箇所は車両の一番端の下段だった。
全体的には3段になっているのだが、端の部分だけは2段になっていた。
券に記されていた寝台番号が縫い付けられていたカーテンをめくり中に入り込んだ。
中は多少狭いかなとも思ったが、寝るにはあまり苦しくないとも思った。
ただ、備え付けの浴衣はあったものの、面倒だったので着替えることはせず、そまま布団を広げる。
電車は定刻通りに新潟駅を後にする。
モーターの音が最初こそはうるさいかなとも思った。
しばらくは窓の外を流れる夜の景色を眺めていたが、長岡を出たあたりで眠気が襲い、そのまま眠りについたのだった――。
そして、あんな夢を見て、一気に目が覚めたのだった。
腕時計をふと見ると4時38分。
相変わらず、電車は轟音を響かせながらトンネルを走行している。
結構長いトンネルだねと何気なく思っていた時だった。
「うるさいなぁ。下のあなた」
いきなり上段から、人の声がした。
え? それって僕のこと?
慌てて、通路側のカーテンから身を乗り出して、上を向く。
真上の寝台からは、一人の女性がカーテンから、僕と同じように身を乗り出してじっと見つめている。10代から20代と思える女の人だった。ロングヘアーで後ろに小さいリボンを止めていたが、寝起きのために多少乱れていた。
さらに不機嫌そうな顔でいた。
気まずい。かなり気まずい。
「すみません……」
とにかく謝った。
「あなた、結構うなされていましたよ。悪い夢でも見ていたとか?」
「ええ……まあ……」
「せっかく、パンタ下の特等席を取ったというのに、北陸トンネルの轟音と、あなたのうめきで目が覚めちゃいましたよ」
その女性はいまだにいらだった感じで抗議していた。
「本当にすみません」
間違いなく一方的に僕の過失だ。謝るしかない。
その時、電車はトンネルを出て一気に減速した。ブレーキの振動が車内にも伝わる。
どこかの駅に着いたようだが、そんなこと気にしている場合ではない。
「丁度、敦賀に停まった所ですね。大阪までまだまだありますけど……眠くなくなっちゃったね……」
その女性はそう呟くと、寝台の横にある梯子を伝って下に降りてきた。
そして、なんと僕のいる寝台に入り込んで腰掛ける。
なんか、厄介なことになりそう……かな?
というか、いくら僕に非があることをやったからと言って、他人のスペースに入り込むなんて、非常識にも程が……。
「なんですか、いきなり」
思わず僕がそう言うと、その女性は意地悪そうな笑みを浮かべて返した。
「すっかり眠くなくなりましたから、その見ていた夢の内容聞かせて下さい。
退屈しのぎといったところでしょう。人の睡眠を妨害した詫びとしてね」
何を言い出すの、この人は。
身も知らない他人に、いきなりこんな事を聞くなんて。
でも、まあいいか。
どうせ、この先に顔を合わせることのない他人だ。
僕は夢の内容……さらにはこの旅行にきた経緯や双子の姉のことも話した。
電車はいくつかのトンネルを出たり入ったりを繰り返していた。
「ふーん。結構面白い夢ですね。七体の姉妹人形が完全な少女になるために戦いをやるだなんて。まるで、どこかの民俗学者が調べている言い伝えみたいですね」
その女性は僕の話を聞きながらくすくすと笑う。
まあ、与太話のような創作と思われても仕方がない。その女性は知人に、そうした話を収集している人がいるので話してみようかなんて、悪のりしていた。
「でも、今まで仲良くしていた姉と喧嘩して家を飛び出したのですよね。
正直姉には顔を合わせたくないけど……内心では心配していると気になって仕方がないそんなところからそんな夢をみたのかもしれませんね」
そうじゃないと、僕は言い返そうとした。
でも……実を言うと多少ではあるが、翠星石のことが気になってはいた。
そんな僕に構わず、その女性は話を続ける。
「その気持ち、分かりますよ。私も過去にそんなことで姉を嫌に思ったり、喧嘩をしたこともありましたから」
そこまで話したとき、その女性は表情に影を落とす。
「私は実は双子の姉妹の妹なんです……まあ、実際はいろいろあるのですけどね」
その女性はさらに話を続けた。身の内や今回の遠出に付いても話し出したのだ。
その女性は飛騨地方の山奥の名家の娘だという。
その家は地元を政治的や経済的に牛耳っていて、かなりの権力を有しているという。
家の後継ぎには彼女の双子の姉と決まっていた。
その姉とは昔から仲良くやっていたものの、(姉妹で入れ替わって周囲を困らせるやんちゃもやっていたらしい)、姉が後継ぎに決まってからははっきりと身分の違いを見せ付けられる周囲からの仕打ちを受けたという。
姉妹の仲も次第にぎくしゃくし出して、それが決定的に分かる事件が起きたのだ。
なんでも、その女性は地元で嫌われている家の男が好きになったという。
いろいろあったものの、何とか交際は続けていたが、突如失踪してしまったのだ。
同時に交際のことを実家に知られて、村八分の家の者と付き合ったということで過酷な罰をうけることになったという。
その時に実の姉に助けを求めたが、冷たく突き放された。
家のしきたりに従えという。
姉は妹を守りもしなかった。
罰を受けて、その罪は許されたが……なんと、その姉が別の男性に恋をした。
その時にいろいろいざこざがあって、その姉は妹であるこの女性に相談してきたのだが……。
――お姉ちゃんばかりずるい。私の彼はいまだに帰ってこないのに。
その女性はそう思ったという。
さらに姉妹の間の溝は広がるばかり。
さらにそうこうしている間に疑念を持つ。実家がその男性を拉致したのではないかと。姉も実はこのことを知っているのではないかと。
時は経ち、ついに一発触発の事態になった。
ささいなトラブルがあったが、その時にその女性は姉に問い詰めた。
彼をどこに隠したのかと。
だが、その姉は知らないと言った。家のほうも全く関与していないと。
当然信じられない。その時、手にしたナイフをかざして言わせようとしたが。
「信じられないのなら私を殺しなよ。命に掛けて誓うけど、私は知らない」
そう言って、その姉はナイフを妹から奪い、自分の首元にあてがった。
その時――その女性に一つの思いが頭をよぎったという。
――ここまでして、姉は知らないと言っているのに、信じられないの。
――そんな姉を信じずに命を奪うつもりなの。大切なものを失ってまで。
その女性は涙を流して、姉に詫びた。
姉のほうも、妹の気持ちを察してやれなくてごめんなさいと謝ってきたのだ。
そして、互いに抱き合って、ただ泣きつづけたという。
その後、姉とその女性は懸命にその男性の居所を探すが、行方は今になっても分からない。
時折、耳に入った目撃情報を頼りにして探すのが精一杯である。
今回も、その男の人を和歌山で見かけたという情報を昨日の夜に聞き、その男性の実の妹ともに、即座に高岡まで出てこの列車に飛び乗ったと言う――。
まるで、これこそどこかの昼ドラのような話だと思いつつも、僕はその女性の話を聞きながらふと感じることがあった。
――実の姉のことを信じられなくて――これまで仲良くやってきたのに、自分でそれを断ち切ろうとしてきた。
――でも、その姉も家のしきたりに縛られていただけで、実は妹の事を思い切り気にしていた――信じさせようとしたのだと。
――本当に大切なものを失わさせないために。
必死になって、道を外れようとする妹を気にして、自分の命を張ってまでも治そうとした姉。
そんな姉を持つその人をうらやましく思った。
そして、失うことがなくてよかったねとも思った。
その時、翠星石の顔が頭に浮かんだ。
元気そうな顔、怒った顔――そして、あの夢の中で命を差し出そうとした翠星石も――
今、彼女はどうしているのだろうか。
ひょっとしたら、僕の事なんか気にせずに幼馴染のJUM君と付き合っているかもしれない。
でも――それは違う。
なぜなら、一昨日からずっと姉の携帯からの着信が数え切れないほど入っていたから。
気にしていないのなら、電話なんか掛けてこないはず。
むしろそれを拒んでいたのは僕だ。全然出ていないのだから。
僕は――姉と一緒にされたくなくて――そんな感情から心のすれ違いが出来て――そんな姉から離れようとしていた。
その女性は、姉とまったく別の仕打ちを受けて、姉を信じられなくなり、殺そうとした。
境遇や感情は全く違うけど……姉と妹の心のすれ違い。
それで危うく、姉を消し去ろうとして……。
姉の本当の気持ちや心配なんて分かろうとしないで――!
今、僕はこうして居場所を知らせていないけど、このままでいいのか。
こうしていたら、姉とは二度と顔を合わせることなく、忘れ去ってしまって。
僕は僕自身でいたいなんて思っていたけど、そんな甘えた感情だけで翠星石の心を痛ませて、ただ、心の亀裂が残るだけになったら……。
結局――僕は何をしているんだ。
ただ、翠星石を自分勝手な甘えから嫌って、拒んでいるだけじゃないか。
こんなに迷惑を掛けていると言うのに――。
もし、翠星石の前から僕が完全に消えてしまったら、彼女はどう思う?
きっと、後悔で苦しむことになる。
僕もそうだ。
目の前から翠星石が永遠にいなくなったら――きっと同じ思いになる。
だったら今――こうしている場合じゃないよ……。
そう思うと――涙が思わず出てきた。
「どうしたのですか?」
その女性は気になって、僕の顔を覗き込む。
「いいえ、大丈夫です」
僕はただそう答えるだけだった。
電車はまもなく大津に停車するというアナウンスが流れた。
ブレーキを掛けた時の振動が伝わる。
ここでいいか。ここで降りて、翠星石に電話しよう。
「いろいろ話をありがとうございました」
「いえ。私も結構楽しめたから。でも、あなたのお姉さんとはどうするつもり?」
「ちょっと……話をしてみようと思います。できればよりを戻そうと思ってきまして」
「そうなの。がんばってね。仲良くなれるようにね」
「貴女こそ彼氏さんが見つかるといいですね。それでは」
僕はその女性に別れを告げる。その女性は微笑んで僕を見送っていた。
ホームに降りると同時に、電車はゆっくりと発車していく。
僕はじっと、乗ってきた寝台急行を見送ると、改札に向かって歩き出した。
さすがに朝ということもあり、出勤しようとするサラリーマンの姿を見かける。
大津駅の前はビルが立ち並んでいたものの、その狭間からは琵琶湖がかすかに見えた。湖に向かって坂道を下る。
ある程度歩いた所で、琵琶湖の湖岸に出た。
周囲は建物が立ち並んでいたが、さすが日本一大きい湖とあって、北の方の対岸は見えない。
湖から吹き込む秋風が、多少肌寒く感じる。
光景は違えど――夢で出た、あの湖と同じ。
ぼんやりと湖を眺めていると、後ろの方からはしゃぐ女の子達の声がする。
「お姉ちゃん早ぁーい。置いてかないでよ」
「そんなことないよ。じゃあ、一緒にいようよ」
双子の女の子。仲良くじゃれあっていた。
僕はその子達を身ながら、腹をくくって携帯を取り出した。
そして――電話を掛ける。
「もしもし、翠星石。ごめんね、心配掛けちゃって――」
-END-
(注意:なお、このネタに出てくる、蒼星石に話し掛けた女性は、一応言っておきますと他キャラです。(オリキャラとして読んでもおかしくないようにしたつもり(?)ですが)
気になる方は、このページの下方に記しておきますのでご確認を)
(今回登場の他キャラ)
園崎詩音@ひぐらしのなく頃に