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  翠×雛の『マターリ歳時記』

―文月の頃 その4―  【7月23日  大暑】


今日は大暑。一年で最も暑さの厳しい時期とされる、日曜日。
大学が夏期休暇に入るまで、残すは一週間となっていた。
明日の試験に備えて、机に向かっていた翠星石だが、気も漫ろで、勉強など手に着かなかった。
窓の外に眼を向ければ、カラリと晴れ渡った空の青さが目に滲みる。
胸が騒ぐ。心がざわめく。
身体がウズウズして、ギラギラ照りつける日射しの下に、飛び出したい気分だった。

「あうぅ……あ、あと少し……我慢……するです」

なんて言いつつ、机の下では、そわそわと足踏みしている。
事情を知らない他人が見たら、トイレでも我慢しているのかと思っただろう。
だが、違う。待ちわびた至福の瞬間を前に、気が急いていたのだ。

しかし、足踏み程度では、気持ちが収まらない。却って、気忙しくなる感じだった。
時計を見遣ると、現在、午前10時を少し回ったところ。
机に向かってから、三十分も経っていなかった。

「あんがー! 昼までなんて、待ちきれねぇですっ。気が変になりそうですぅー!」

ここまで彼女の心を、千々に乱れさせる理由は、ひとつ。


今日、蒼星石が帰国する。
その報せが二日前に届いてからは、今日という日を、一日千秋の思いで待ち望んでいた。
蒼星石は、昼頃、空港に到着する予定だという。
もう我慢も限界とばかりに、翠星石はペンを投げ捨てて、席を立った。
いくら試験勉強を頑張ってみたところで、この調子では身にならない。
ハッキリ言えば、やるだけ無駄。

「こうなったら、ちょっと早いですけど、空港に殴り込みですぅ!」

あと二、三時間なら、空港に向かっている間に経ってしまうだろう。
唯一、問題があるとすれば、空港みたいな多国籍地帯に独りで行くのは怖い……という点だ。
翠星石は携帯電話を手に取って、いつもながらの安易な解決策を選択した。

「……あ、もしもし。雛苺です?」
「うぃ~……ふぁ。ヒナ、まだ眠いのよ~」
「まだ寝てやがったですか、お前は。もう『寝る子は育つ』歳でもねぇですのに」
「むー。そういうこと言うなら、もう切っちゃうのっ」
「わ、わ! 心の友よ……ちょーっと待つです。実は、折り入って頼みがあるですぅ」
「うよ? なんなのー?」
「うにゅーやるから付き合えです。断ったら、ぶん殴るです」
「…………翠ちゃん。それってジャイアンっぽいのよ」



と、愚図りながらも、結局は付き添ってくれるのが、雛苺のいいところ。
なんだかんだ言っても、翠星石は雛苺を可愛がっていたし、雛苺もまた、翠星石を実姉のように慕っていた。
だから、翠星石の半身にも等しい蒼星石の出迎えに行く事に対しても、嫌な顔はしなかった。

昼近くにもなると、電車も、空港に向かうモノレールも空いていた。日曜日だからかも知れない。
二人はシートに並んで座って、暫くは雑談に花を咲かせていた。
――が、段々、雛苺の口数が減ってゆき……。
ほどなく、雛苺は翠星石の肩にもたれかかって、寝息を立て始めた。
電話を掛けた時には起き抜けだったから、まだ眠かったのだろう。
そこへ、電車の揺れが加われば、心地よい眠りに誘われること請け合いだ。

(巴の話では、最近、夜更かしして絵を描いてるみてぇですけど……)

趣味と学業を両立すべく、睡眠時間を削っているのだろう。
本当に好きでなければ、その生活を継続していくことは難しい。
続けている間に、好きだった気持ちは苦労や惰性に変わって、嫌になってしまうから。
そこまで打ち込める趣味に出会えた事は、きっと、とても幸せなことなのだ。

(ホントは蒼星石専用なのですけど……今だけは特別に、肩を貸してやるです)

健やかな寝顔を見せる雛苺を起こさないように、翠星石は、なるたけ身動きをしないでおいた。



空港に到着すると、直ぐに飛行機の発着予定時刻を調べた。
蒼星石が乗っている便は判っている。到着まで、もう一時間なかった。
二人はロビーのソファに腰を降ろして、そわそわと肩を揺すっていた。

「い、いよいよですぅ」
「ゴールデンウィーク以来なのね。ヒナも、早く会いたいのよー」
「はぁ…………私、なんだか……心臓がバクバクしてるです」
「それはきっと病気なのよ。そのまま放っておくと、大変なことになりますなのっ」

雛苺は冗談めかして言ったけれど、翠星石は笑えなかった。
病気。それは、あるかも知れない。医者でも温泉でも治せない、心の病。
自分は、不治の難病を患っているのだ。それも、実の妹に対して。
時計と呼ばれる舞台の小道具は、確実に時を刻み続け、出会いを演出する。
やがて告げられる、待望の瞬間。

来た! 戻ってきた! 蒼星石が帰ってきた!

翠星石は矢も楯もたまらず、ソファを立ち上がって、乗客の流れに目を凝らした。
この中に、あの娘は、きっと居る。
彼女より先に自分が見付け出して、背後から飛び付き、驚かせてやろうと思った。

そして、緋翠の眼差しは、人混みの中に栗色のショートカットを見出した。
曇りがちだった翠星石の表情が、真夏の太陽のように光り輝いた。

「――――あはっ♪ 見付けたですぅ。蒼せ――」

……しかぁし。喜びも束の間。
いきなりの衝撃。歓喜の笑みは、一転して凍り付いてしまった。

( ゚д゚) ……

(つд⊂)ゴシゴシゴシ

(;゚д゚) ……

(つд⊂)ゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシ

(; Д ) ゚  ゚  「ほあ――――!?!?」

翠星石は我が目を疑ったが、幾ら確かめても、現実は変わらない。
最愛の妹、蒼星石の隣には、仲睦まじげに腕を絡めて立つ女の姿があった。
「す、翠ちゃん? どうしちゃったのー?」
「お、お、おおおおお……」

態度を豹変させた翠星石に、雛苺が怪訝な目を向ける。
そして、翠星石が震える手で指差す方角を見遣ると……全ての答えが、そこに有った。

「あー! 蒼ちゃんに、オディールなのー」

ロビーの喧噪にあっても良く通る、雛苺の高い声。蒼星石が、ハッと頸を巡らした。
そして、翠星石と雛苺の姿を目にするや、満面の笑みを浮かべた。

「姉さんっ! 雛苺っ! 迎えに来てくれたんだね」

大きな荷物をオディールに預けて駆け寄ってくる彼女は、心から笑っている。
とても、嬉しそうに。とても、懐かしそうに。
だが……翠星石は、素直に微笑み返すことが出来なかった。
何故、彼女が、蒼星石と一緒に来たのか――その理由を考えることで、頭が一杯だった。

呆然と立ち尽くす翠星石の肩に、蒼星石の両腕が絡み付き、ギュッと力が込められた。
ふぅわり……と、鼻先をくすぐる懐かしい匂い。
我に返った翠星石の耳元で、最も聞きたかった声が、最も欲しかった台詞を囁く。

「ただいま、姉さん。約束どおり、ボクは帰ってきたよ」
「そ――――蒼星石ぃ~っ!」

気付けば、翠星石も蒼星石の背中に腕を回して、きつく抱き締めていた。
彼女の声。彼女の鼓動。彼女の温もり。
この数ヶ月、求めて止まなかったものの全てが、両腕の中に有った。
その喜びは、嬉しいなんて表現では到底、語り尽くせぬ感動だった。
「会いたかったです。本当に……本当に……蒼星石に、会いたかったです」
「……うん。ボクもだよ。こうして……姉さんの体温を感じたかった」

しっかりと抱き合う彼女たちの元に、二人分のスーツケースを引きずって、
オディールが近付いてくる。
翠星石は緋翠の瞳を潤ませながら、本能的に、蒼星石を抱き締める腕に力を込めた。
渡したくない! 取られたくない! 早鐘のように脈打つ鼓動で、胸が張り裂けそう。
そんな翠星石の気持ちを、知ってか知らずか、姉妹とオディールの間に、
雛苺が、するりと割り込んだ。

「オディールっ! 久しぶりなのー♪」
「ふふふっ。こんにちは、雛苺。五月に会って以来ね」
「あれから、もうすぐ三ヶ月なの。月日の経つのは、ホントに早いのよ。
 あ……ヒナが、いっこ荷物を持ってあげるのっ」

和やかに談笑していた雛苺が、ほんの一瞬、ちらりと翠星石に目配せした。

――オディールの相手は、ヒナに任せておくのよ。

そんな、雛苺の心の声が、聞こえた気がした。

(ありがとです、雛苺)

彼女の細やかな心遣いに触れて、翠星石はモーレツに感動していた。
蒼星石との再会。そして、雛苺の配慮。
二重の感激に心を打たれた翠星石の目からは、とめどなく涙が溢れ出していた。

翠星石は、人目も憚らずに、声を上げて泣いた。



四人が、連れ立って家路に向かっていた、その途上。
翠星石は、耳を疑わずにはいられない話を、蒼星石から聞かされた。
オディールと雛苺に聞かれない様に、ヒソヒソと内緒話を進める。

「そ……蒼星石? それ、本気で言ってるです?」
「うん。だって、ウチには使ってない部屋もあるでしょ。
 オディールが、日本を訪れてみたいって言うからさ。この機会に、どうかな~って」
「だからって……夏休みの間、あいつをウチに泊めてやるだなんて――」
「でも、一ヶ月もホテル暮らしじゃ、出費が大変だよ。彼女だって学生なんだし」
「そりゃあ、私だって学生だから、その辺の都合は十二分に理解できるですけどぉー」

突然の話だけど、無理じゃないと思うんだ……と、蒼星石は締めくくった。
実際、蒼星石には甘い祖父のことだ。頼まれれば、二つ返事で了承するに違いない。
十中八、九は、オディールを泊めることになるだろう。

(むうぅ~。折角、蒼星石と水入らずでバケーションを楽しめると思っていたですのにぃ~)

見る見るうちに、翠星石の眉間に縦皺が刻み込まれていった。
不機嫌さも露わな姉の様子に、蒼星石は「変わってないなあ」と苦笑をもらした。

「人見知りの姉さんには、嫌かも知れないけど……解ってあげて。ね? おねがい」
「で、でもぉ――」
「なんなら、オディールにはボクの部屋を貸して、ボクは姉さんと同室でもいいよ?」

その一言を訊いた途端、翠星石は両目から光を放って、たちまち態度を一変させた。

「困ったときは、お互い様ですぅ。オディールを泊めるぐらいお構いなしの、へーきのへーざですよ。きしししっ」

不気味な含み笑いを浮かべる姉に、蒼星石は引きつった笑みで応えるのだった。



『保守がわり番外編  思い出の玉手箱』(6/6の後日談)

――暦には載らない、7月最後の日曜日のこと。

翠「あ・・・ほら、蒼星石っ、出てきたですよ」
蒼「ホントだ。でも、よく憶えてたね。
  ボクなんか、タイムカプセルを埋めたことすら忘れちゃってたのに」
紅「私たちだって、忘れていたのだわ。見付けたのは偶然よ」
銀「確か、誰かが言ってたわねぇ。この世に偶然は無い。全ては必然だ・・・と」
ジ「だったら、このカプセルは、いま開かれる為に発見されたんだな」
巴「・・・そうね。じゃあ折角だし、封は蒼星石に切ってもらいましょうよ」
蒼「ボクが? いいの?」
翠「みんな、蒼星石の帰りを待ってたです。だから、蒼星石が開ければ良いのですぅ」

蒼「うん・・・・・・ありがとう、みんな。待たせちゃって、ゴメンね」


翠「――と、掘り出したものの、この朝顔の種、どうするです?」
蒼「姉さんは、どうしたいのさ? その種は、姉さんが子供の頃に置いてきた、思い出の玉手箱。
  蒔くのも、しまっておくのも、姉さんの自由だよ」
翠「ちょっと乾涸らびた感じですけど、見た目の保存状態は良いですね。
  でもぉ・・・・・・十年以上も昔の種から、芽が出る保証はねぇです」
蒼「確かにね。土の中で、腐っちゃうかも知れない。
  だけどね、姉さん。種は蒔かなきゃ芽を出さない。花は咲かないんだよ?」
翠「・・・そうですね。たとえ、この種が腐っちまっても、父さん母さんとの思い出まで腐るわけじゃねぇです」
蒼「じゃあ、決まりだね。明日、一緒に蒔こうよ。二人だけで――」
翠「大丈夫。玉手箱の中に、最後まで残っていたのは『希望』です。きっと、綺麗な花が咲くですよ」

・・・大きな嘘ほどバレにくいとか。
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