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どうして、私は薔薇水晶を追わないの? 薔薇水晶は、天使のような、大切な親友じゃなかったの?
じゃあ、早く追いかけて引き留めなきゃ。解っているのに、動けない。気ばかり焦って……イライラしてくる。
自分への憤りを募らせ、モヤモヤした感情の遣り場の無さに当惑して、結局――

「どうして、あんなコト言ったのよ」

私は、水銀燈に八つ当たりしていた。我ながら、つくづく酷い女だって思う。
向き直った彼女は、心底意外そうに、唇を突き出した。

「嫌ぁね……なに怖い顔してるのよぅ。本当のことでしょぉ?」
「水銀燈が、そう感じただけでしょ。
 薔薇水晶が、私の命を縮めている証拠なんて無いじゃない!」
「……私がウソを吐いてる、と?」

そう切り返されると、答えに窮してしまう。私だって、確かな証拠を握っているワケじゃないから。
何が――或いは、誰が――正しいのかと問われれば、返す言葉が無かった。
私は……限りなく無知蒙昧だ。そして、自分の命を容易く他人に握られてしまうほど無力で、ちっぽけな存在。
産み出された後は、運命という名の風に翻弄され、狭い世界を漂い続けるだけの、シャボン玉。


  シャボン玉 飛んだ  屋根まで飛んだ


ぐちゃぐちゃに乱れた感情を鎮めるべく、あまりにも有名な童謡の一節を、私は諳んじていた。
この後に続く歌詞は、空へ舞い上がる前に、儚く消えてしまったシャボン玉へのレクイエム。
永遠不滅のものなど無い世界で、今まで生きてこられただけでも幸福だったのだろう。
けれど、運良く飛べたシャボン玉にも、消えゆくさだめは付き纏う。それは、今日か。明日か。
私のために、鎮魂歌を謡ってくれる人は……居るの?

私は屋根まで飛べずに『壊れて消える』のか。そう思った途端、身体の芯から湧いてくる震えを、抑えきれなくなった。
水銀燈はベッドの端に座って、私の肩に掛かった髪を、そっ……と払ってくれた。
彼女の指先が、ぴくりと震えたのは、私の震えを感知したからだろう。

「めぐの格好、肌寒そうね」と言って、水銀燈は私の両肩を力強く引き寄せ、両腕で抱き締めてくれた。
蹌踉めいた身体が、彼女の柔らかな胸に、ぽふん……と抱き留められる。

「体温のない私が抱き締めたって、暖めてあげられないけど――」

私の震えを止めることぐらいは出来る……と?
彼女なりに、気を遣ってくれてるのかしら。心臓を奪い取ろうとしてる割には、優しいのね。
でも……なんでかなぁ。こうして貰ってると、無性に安心する。水銀燈になら、私の全て(命すらも)を、あげても良いかなって思える。
いつしか、私の震えは止まっていた。
私は胸一杯に水銀燈の匂いを吸い込んで、まじまじと、彼女の端正な面差しを見つめた。
よく考えたら、昼間の明るさの中で水銀燈の顔を間近に眺めるのは、これが初めてだわ。
柔らかそうな頬の産毛までが、きらきらと輝いて見えた。

「な……なによぅ」
「綺麗だなって、思って。貴女でも、見つめられると照れるのね」
「照れてなんかないわよ。じっとり眺められてると、気色悪いだけ。寒気がするわ」
「そうなんだ? やったね、水銀燈の弱点を見っけ♪」
「…………ばぁか」

水銀燈は小声で吐き捨てると、私の身体を押し戻して、ベッドに寝かし付けた。
私が眠っている間に、薔薇水晶と決着を付ける腹づもりなのかしら。

「私を眠らせて、どうするつもり?」

戯けた調子で訊いたのに、返ってきたのは冗談ではなかった。

「夢を……見て欲しいの」
「夢? 寝てるときに見る、アレのこと? それとも、希望って意味のユメ?」
「前者の方よ。戻り得ぬ記憶を辿るには、夢の導きが必要不可欠だから」

何を言っているのかしら。睡眠中に、過去の記憶を呼び覚まさせようって言うの?
私はエドガー=ケイシーじゃないんだから、アカシック・リーディングなんて出来ないってば。
渋る私とは対照的に、水銀燈はかなり期待している様子だった。

「貴女……最近、不思議な夢を頻繁に見るんじゃなぁい?」
「?! どうして、それを――」
「多分、それの影響よ」

水銀燈は、私の左手で鈍い輝きを放っている『薔薇の指輪』を指差して、言った。

「私の中にも、めぐが夢で辿っている記憶が流れ込んでくるの」
「嘘っ。だったら、私は毎晩、水銀燈に夢を覗かれてるってわけ?」
「覗いてるんじゃないわ。勝手に流れ込んでくるのよぅ」
「だとしても、なんか嫌だわ。精気だけを吸い取るんだとばかり、思っていたのに」
「その筈なんだけどねぇ」

どうしてなのかは、水銀燈にも、よく解ってないみたい。
それで、原因を突き止めるべく、私に夢を見させようとしてるのね。
でも、こんな朝っぱらから、眠れるかな。ちょっと自信ないわ。
クラシック音楽でも聴いて、リラックスできれば話は別だけど…………あ、いいコト考えちゃった。

「ね、水銀燈。寝付きが良くなるように、歌……謡ってくれない?」
「はぁ? 嫌ぁよ、子守歌じゃあるまいし。なんだったら、力尽くで寝かせてあげましょうか」
「冗談でも、花瓶を手にするのは止めて。それはともかく、ね? お・ね・が・い♪」
「…………しょうがないわねぇ」

口振りこそ嫌々ながらと言った風だったけれど、水銀燈の表情は、満更でもなさそうだった。


 ♪夢魔の吐息は 微睡みの調べ 眠りの森に 私を誘う 霧に霞むは恋の道

意外にも、水銀燈は美しいソプラノの持ち主だった。歌唱力も、かなりのものよ。
普段の会話からしてアルト(もしくはメゾソプラノ)っぽいから、もっと下手かと思っていたんだけど……流石はラクス様ね。


 ♪独り森の中 彷徨い続けても 貴方の背中に この指は触れない 切なさが止まらない

水銀燈の妙なる歌声が、羽毛の様に私を包み込んでいく。心が、安らぎで満たされていく。


 ♪募る想いを風に乗せ 永久の愛を 貴方に届けたい この気持ち――

そして……いつしか、私は夢の世界に旅立っていた。




ごとごとごと……。
足元から響いてくる喧しい音が、私の浅い眠りを破る。一体、何の音なのよ。
折角、気持ちよくウトウトしてたって言うのに。

「お目覚め? お寝坊さぁん」

とても近くで囁かれて、私は驚いて飛び起き、目を見張った。
密かに想いを寄せる人の――水銀の君の微笑みが、すぐ目の前にあったから。
彼女は、束帯に烏帽子を頂いた正装で、私と向かい合って座っていた。

「もうすぐ、左大臣さまのお屋敷に着く頃よ。しゃんとしなさぁい」

言われて、思い出した。そうそう、今夜は左大臣様の館で宴が催されるから、
私も父に随伴して、出席するんだったわ。
水銀の君は護衛役として父に指名され、私と共に、牛車に揺られていたのよ。
牛車の周囲は、双子の侍女の他、数名の衛士が警護してくれている。

私は居住まいを正すと、改めて、水銀の君の爪先から頭の天辺まで眺め回した。
彼女と私は同い年の筈なのに、彼女の方が、ずっと大人びて見える。
それはきっと、彼女が私よりも、ずっと多くのモノ――者、または物――に取り囲まれているから。
しかも、それらに対して多大な責任を負っているから。

「なぁに? 私の着付け、どこか変?」
「ううん、ちっとも。寧ろ、凛々しくって素敵よ。とても似合ってるわ」
「……よしてよ。好きで、こんな格好してる訳じゃないわぁ」

彼女が男装する理由は、以前に聞いたことがある。つまりは、家督相続のため。
女の身で、家督は継げない。が、お家断絶となれば、使用人を始め多くの者が路頭に迷う事となる。
故に、彼女は男性として振る舞い、周囲の者にも(時々は、術を駆使して)そう信じさせていた。
私の前でだけは、偽りの仮面を脱いでくれるけれどね。

しかし、本当に感心すべきは、彼女の心意気だろう。
当代随一と謳われる実力の持ち主ながら、術に頼り切ることなく、陰で努力を重ねている。
その甲斐あって、今や従五位下の官位を戴くまでになっていた。

彼女の昇進は、私にとっても喜ぶべきこと。だって、私たちを隔てる身分の差が、それだけ縮まるのだから。
そして、いつか……二人が同じ舞台に立ったときには、私を、あの屋敷から――
なに不自由ない監獄から、連れ出して欲しい。こんな私で良ければ、貴女の隣へと迎えて欲しい。
それは決して、儚い願いなんかじゃないって、私は信じている。


「そ、蒼星石っ!?」
「な、なんなの、あれっ!」

突然、牛車の外で侍女たちの緊迫した声が放たれた。水銀の君が、それまでの柔和な表情を険しくする。
胸に抱いていた、将来への甘い夢と期待が、黒い影に覆われていくのを感じた。

やおら響く轟音。それは、耳を劈く雷鳴。束の間、私の耳は聞こえなくなった。
彼女が私に向かって、何かを叫んでいるけれど、耳鳴りに遮られて理解不能。
ただ、足元が大きく傾いだのは感じられた。

――倒れる。

咄嗟に、理解した。突然の落雷に脅えた牛が暴れ出して、牛車が横転するのだ、と。
水銀の君は、身体が竦んで動けない私を抱き上げると、御簾を蹴破って外に飛び出した。
そして、まるで羽でも生えているかのように長い滞空時間を経て、ふわりと着地する。
大袈裟かも知れないけど、気持ちが上擦っていた私には無窮の刻に感じられたわ。
実際には、何回か瞬きする程度の時間だったんでしょうけどね。

いっそ、このまま蒼い空の向こう側まで連れ去って欲しい。ふしだらな願いが頭をよぎり、耳が熱くなった。
でも、彼女は私を降ろしてしまった。一分の惜しげも見せずに、手放してしまった。
名残惜しくて小指を甘噛みした私の元に、双子の侍女たちが走り寄ってくる。

「姫様、怪我はねぇです? 歩けるですか?」
「……え、ええ。平気よ。それより――」

気付けば、左大臣の屋敷の上には真っ黒な雲が渦巻いていた。暗雲が覆い被さっているのは、そこだけ。
何が、どうなったのかと問うより早く、暗雲から閃光が放たれて、左大臣の屋敷に落ちた。
離れていても喧噪が聞こえてくる。どうやら、火の手も上がっているらしい。この分では、死者も――
私の中で、言い知れぬ感覚が芽生えた。無数の昆虫に、身体中を這い回られている様な、おぞましい感覚。
どうしようもなく、嫌な予感がする。ここに居ては、いけない。

「みんな、逃げるわよっ! ここから離れなきゃ!」
「くくく…………もう遅いよ」

聞き慣れない男の声が浴びせられたのは、みんなに指示を出して、来た道を引き返そうとした矢先だった。
振り向いた私の真ん前に立ちはだかる、小柄な人影。修験者のような装束に身を包んだ少年だ。
髪の質が固いのだろうか。少年の直毛は、思い思いの方向に飛び出している。
不気味な少年は、好色な感じの目つきで私を眺めて、ニタリと歯を見せた。

「誰なの、キミはっ!」
「なっ、何者です、お前はっ!」

身を挺して私を背に庇いつつ、阿吽の呼吸で狼藉者を誰何する双子姉妹。
威勢のいい彼女たちに、水銀の君が、自制を促す声をかけた。

「貴女たち、気を付けて。そいつは……人じゃない」
「え? なに? 人じゃなかったら、なんなの?」

問い返す私を一瞥して、男は低く笑いながら「よく判ったな」と、水銀の君へと目を転じた。

「禍々しい妖気を隠そうともしないで、よく言う。巷を騒がす鬼め!」
「お、鬼っ!? このチビ人間が、鬼なのです?」
「まさか……この男が、噂の慈雲童子?」

童子と呼ばれているから、てっきり悪戯な小鬼みたいな者を想像していた。
でも、目の前の男は、違う。そんな可愛らしいものじゃない。
邪気の塊みたいな目をしている。眉ひとつ動かさずに、人を殺める者の目だったわ。
単純に、小柄な体躯で、髷のひとつも結っていないから『童子』なんて呼んだのね。

衛士たちが慈雲を取り囲み、双子の侍女が得物を、水銀の君が呪符を手に、戦闘準備に入る。
周囲の空気が、ぴぃん……と張り詰め、風が止んだ。息苦しくて、全身から汗が滲み出してきた。
独り、慈雲だけは、四面楚歌(もしくは八方塞がり)の状況なのに、涼しい顔で薄ら笑っている。

「僕の目的は、お前たちみたいな雑魚じゃない。今なら、見逃してやってもいいぞ。
 あくまで立ち去らないならば、悲劇は繰り返されるけどな」

慈雲は、左大臣の屋敷に向かって、顎をしゃくった。
あの惨劇は、やはり、こいつの仕業だったのだ。こみ上げてくる怒りで、私の身体が震えた。
そして、次の瞬間には、慈雲を怒鳴りつけていた。

「何故? どうして、あんな事をする必要があるのよ!」
「なぁに……簡単な話さ。左大臣に恨みがあった。それ以上の理由が要るのか?」

平然と応えた慈雲を威圧する様に、水銀の君が一歩、進み出た。

「貴様……先の右大臣、菅原道真公に連なる者か。それとも……公の怨念そのものか」
「ふぅん? 流石は、当代随一の誉れ高い陰陽師と、言ったところか」

口調こそ感嘆していたけれど、全ての言葉が、嘲りの色に染まっていた。
それは、夕焼けに黄昏た空の、紅い偽りの色。

「だが、僕は違うね。そもそも、怨念だったのかすら判然としないさ。
 人の醜い感情は、黒くドロドロした、原油のようなものだからな。
 そこに有るだけで臭気を放ち、火を注げば、呆気なく燃え上がる。周囲の物まで焦がして、燃える。
 しかし、火を着けなければ、人間どもが吐き出す黒い汚物は寄せ集まり、この世の闇に流れ込む。
 その掃き溜めに、ぽこり、ぽこりと浮かび上がった泡……それこそが、僕ら、鬼と呼ばれる存在だ」

慈雲が、人を誑かす物の怪の眼で、自分を取り囲んだ者達を、ぐるり一瞥する。

「お前たちのなかにも、鬼を産み出す汚物が溜まっているんだぜ。
 そこの、銀髪の陰陽師だって例外じゃないさ。澄ました仮面の下では、何を考えている?
 背に庇っている大納言の娘を、滅茶苦茶に汚してやりたい欲望に駆られているんじゃないのか?」
「くっ?! ガキぃっ!」

水銀の君は、普段の彼女らしからぬ悪態を吐いて、慈雲めがけて呪を込めた『気』を放った。

「はははっ。図星を指されて、頭に血が上ったか!」

飛んできた『気』を、片手で、いとも容易く受け止める慈雲。握った手を離すと、拳の中から黒い羽が舞い落ちた。
その羽は、彼の指先から飛んだ稲妻に撃たれて、地に落ちる前に燃え尽きた。
口元に浮かぶ、余裕綽々の冷笑が、なんとも憎らしい。

「大したこと無いな。鬼の血族と言えども、人間の血が混ざれば、こんなものか」
「なっ――」
「あ、貴方っ……この人の出自を知っているの?」

絶句した彼女に代わって訊ねた私に、慈雲の視線が注がれる。
物の怪の冷酷な目に睨まれて、私は総毛立ってしまった。見かけは小さいのに、なんて威圧感なのよ。

「少しは退屈しのぎになるかと思ったんだけどな、幻滅だよ。
 余計なお喋りは、ここまでにして……さっさと目的を果たすとしよう」

慈雲は、つまらなそうに吐き捨てて、右腕を天に翳した。
雷を伴う暗雲が、不気味な音を立てながら、私たちの頭上に押し寄せていた。




唐突に、目覚める夢。目に映るのは、真っ白な天井。ああ……ここは、病室なのね。
隣で、もぞもぞと身じろぎする気配。見れば、水銀燈が寝入っていた。
…………って言うか、彼女が真ん中に眠っていて、私がベッドの端に追いやられている。
危うく、転げ落ちるところだったのね、私。
ちょっとだけ腹立たしかったけれど、そんな事で口論している場合でもない。
私は水銀燈を揺り起こして、寝ぼけ眼の彼女に、夢は見えたかと訊ねた。

「ええ……ちゃぁんと見えたわ。かげろうのように、ぼんやりとだけどぉ」
 
 


 
 
同じ頃、薔薇水晶は病棟の裏手にある花壇に立ち寄っていた。あまりにも惨めで、すごすごと帰る気には、なれなかった。
見上げれば、めぐの病室が見える。でも、鉄格子の嵌め込まれた窓は、固く閉ざされたままだ。
丁度、目の前で初夏の生暖かい風に揺れている、向日葵の蕾みたいに。

「もう……来ちゃいけない。それは解ってる」


――疫・病・神・さぁん♪


悲しみのリフレイン。先ほどの水銀燈の言葉が、頭の中で木霊している。
胸が、きりきりと痛んだ。その痛みを誤魔化そうとすると、今度は涙が溢れてくる。
熱くなった目頭を、手の甲でこしこしと擦って、薔薇水晶は鼻をすすり上げた。

あの娘にとって、自分は疫病神に、なってしまった。生きる意味を失ってしまった。
否…………させられたのだ。奪われたのだ。
あの日――
あいつに――

「でも、やっぱり私……ずっと一緒に……居たい。
 めぐちゃんの側を、離れられないよ」

だって、それが私の――――存在意義なのだから。


背後で砂利を踏む音がして、薔薇水晶は思考を止めた。
こんな所に、誰が? ひょっとして、彼女が迎えに来てくれたの?
淡い期待を胸に、ふわりと振り向いた薔薇水晶の前には――

「よお、やっと戻ってこれたぜ。
 だが、お前のお陰で、彼女の居場所が楽に見付かったよ。ご苦労だったな」

眼鏡を掛けた小柄な青年が、悠然と立ちふさがっていた。口元に、冷笑を浮かべて。

薔薇水晶は無意識のうちに、じりじりと後ずさっていた。
彼女が必死に稼いだ距離を、青年は、たったの一歩で踏み越えてくる。
二歩、三歩と、二人の距離は見る間に縮まっていった。

「い、イヤ――」

踵を返して駆け出そうとした薔薇水晶の腕を、青年の手が掴んだ。
万力のように強く握られて、指先が鬱血していくのが感じられた。

「嫌っ! 離してっ!」
「逃げるなよ。静かにしろって」

彼の、低く押し殺した声で命じられた途端、薔薇水晶はビクン! と背を震わせ、
動くことも、喋ることも出来なくなってしまった。
こうなることが解っていたから、命じられる前に逃げたかったのに。
薔薇水晶は跪き、恭しく頭を垂れた。無論、本意ではない。
青年は表情を和らげ、彼女を見下しながら満足そうに微笑んだ。

「よーし、いい子だ。可愛いぜ、僕の……忠実な操り人形――」

めぐを想うが故に、背負ってしまった業。これが、彼女のために選んだ道の終着駅。
傷付けた枝の先が朽ちゆく運命なら、過ちの代償が破滅であることも、また必定。
悔しくて……悲しくて……。それなのに、彼女の頬を、涙が濡らすことはなかった。
青年の指が、薔薇水晶の顎に添えられ、くいっと上を向かせる。眼鏡の奥の鋭い眼光が、彼女の隻眼を射抜いた。

「いま一度、働いてもらうぜ。今度こそ、彼女の力を根こそぎ奪い取る為に、な」


(ごめん、めぐちゃんっ!
 私、もう……あなたの心で永久に輝くことは出来ないっ)


薔薇水晶は、二人で行く筈だった『約束の場所へ』想いを馳せながら、心の奥で、ひっそりと泣き濡れた。
 
 
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