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折角、お見舞いに来てくれた薔薇水晶に退屈な思いをさせる訳にもいかず、
私は病院の裏手にある猫の額ほどの花壇に、彼女を誘った。
丁度、私が入っている病室の真下で、向日葵だけが植えられている。
もっとも、まだ向日葵の季節には早いから、蕾のままだけれど。

「めぐちゃん、寒くない? 良かったら、これ……使って」

薔薇水晶は、徐に羽織っていたカーディガンを脱ぐと、私の肩に掛けてくれた。
パジャマ姿の私を気遣っての事だろう。
確かに、もう七月だと言うのに、山から吹き下ろす風は依然として冷たい。
おまけに、ここは病院の北側。病棟に陽光を遮られ、昼間でも肌寒かった。
痩せ我慢して風邪ひくのも馬鹿馬鹿しいし、折角の好意だもの。ありがたく使わせて貰いましょ。

カーディガンを受け取り、袖に腕を通した途端、
ふわり……と、上品な甘い香りが立ち上った。

「いい匂いね。フレグランスは、なに使ってるの?」
「GRESのカボティーヌローズだよん。割と、お気に入り」
「……随分とまあ、高校生らしからぬ趣味の代物を使っているのね」
「そうなの? お父様からのプレゼントだから……よく知らないんだけど」
「流石は、深窓のご令嬢ね。羨ましいご身分だこと」

ちょっと嫌味を言ってみたけれど、薔薇水晶は取り合わずに、花壇へと歩みを向けた。
一年も付き合ってると、それなりに免疫が出来るのかな。
それとも、嫌味と気付かなかったか。
この娘の性格からして、後者みたいな気がするのは、私だけかしらん?


向日葵たちは、ひっそりと日陰に佇み、いつか太陽を見つめる日を待ち侘びている。
風に揺れる様子を、黙って見上げている薔薇水晶。
彼女にはピンクの薔薇が似合うと思っていたけれど、意外に、向日葵も相性いいかも知れない。
あなたと、ひまわりの取り合わせを見てみたい。心から、そう思った。

可哀想……と、薔薇水晶の唇が、動く。
一瞬、私を哀れんでいるのかと思って、カチンとしてしまった。
何を隠そう、私は憐憫の情を向けられるのが大嫌いだ。
哀れむという行為自体、相手を見下しているのと同義なのだから。
そりゃあ、今の私は奇病に冒された、治る見込みの薄い病人……壊れた子だけど、
だからって見下される謂われはないわよ。
日常会話的な社交辞令の同情なら要らないから、猫にでも食わせちゃって。

しかし、薔薇水晶のソレは、私に向けられたものではなかった。

「この向日葵たち、日陰に植えられてしまって……とても可哀想」
「向日葵って、真夏の強烈な日差しを浴びて、咲き誇ってるイメージが強いからね」
「花言葉は『光輝』『崇拝』『あこがれ』なのに、これじゃあ輝けないよ。
 この子たちの存在意義が、薄れちゃう」

私は、そう思わない。花は咲き、種子を結べば、その意義を成すのだから。
輝いているか、そうでないかなんて、見る者の主観と感傷に過ぎない。
けれど、薔薇水晶の悲しげな眼差しに妨げられて、私は反論できずにいた。

「ねえ、めぐちゃん」

私が黙り続けていたから、心細くなったのだろう。
薔薇水晶は振り返って、私に話しかけてきた。

「めぐちゃんの具合が良くなったら、一緒に向日葵を見に行こうよ。
 夏の日差しが降り注ぐ草原へ……見渡す限り、向日葵が咲き乱れる場所へ」
「唐突ね。お奨めの場所があるの? まさか、秘密の花園を持ってるなんて言わないわよね?」

彼女の家はお金持ち。そのくらいは、簡単に成し遂げそうな気がした。
どこか田舎の土地なら、1000坪で一千万円もしないんじゃないかしら。
そんな俗人の浅はかな考えを、薔薇水晶は陽気に笑い飛ばした。
小馬鹿にしているワケじゃない。心の底から楽しいと感じて、湧いた笑顔だった。

「そんなの持ってないよぉ。私が誘ってる場所はね――」
「うんうん」
「――やっぱりヒミツっ!」
「なっ?! 普通、そこで引っ張る? 焦らさないでよ。ねえ、ねえったら」

目の前で、おやつのショートケーキ――エクレアでも良いわ――を取り上げられた気分よ。
なんで、そんな意地悪するの。普段、イジメられてる意趣返しだとでも?
欲求不満が顔に出ていたらしく、薔薇水晶は苦笑混じりに弁明を始めた。

「ごめぇん。楽しみは、後に取っておいた方が良いと思ったの。
 そしたら、めぐちゃんだって早く退院したくなるでしょ?」
「う……そう言われると、まあ……そうかも」
「ふふふっ。ね? だから、ヒミツ♪」
「ちぇっ。仕方ないわね。今は、我慢しておくわよ。その代わり、絶対に連れて行ってよ?」
「もっちろん! キーワードは『約束の場所へ』にしよ?」
「二人だけの合い言葉……か。いいわね、それ」

私は、この何の捻りも無いキーワードを、一発で気に入っていた。
寧ろ、変に凝ってないから良かったのかも。複雑だったら、憶えても忘れちゃいそうだものね。


  『約束の場所へ』


それは、病気を克服するための、おまじない。
胸の内で呟けば、一面のヒマワリ畑を、薔薇水晶と並んで眺める白昼夢に誘われ、
口にすれば、生きる希望と意欲が際限なく湧いてくる。
行きたいから、生きたいと願うのは、許容されるべき前向きな我が侭よね。

薔薇水晶は、病室に戻ってからも、甲斐甲斐しく私の面倒を見てくれた。
その御礼に、お昼には、私の分の病院食を御馳走してあげたわ。
味付けが薄いとか、美味しくないとか、さんざん文句をたれてたっけ。



そして夕方になり、面会時間が過ぎると、彼女は名残惜しそうに帰って行った。
あの調子じゃあ、明日も学校サボって来そうだわ。やれやれ……。

「お加減は、如何ですかぁ?」

私が物思いに耽っていると、病室の扉が開かれる音がして、カーテン越しに、
担当の看護婦さんが声を掛けてきた。いつも行われている、点呼みたいなものよ。 
いちいち返事をするのも面倒くさいから、私はいつも、眠っているフリをしている。
看護婦さんも心得たもので、患者の返事がなければ、寝ているのを確認するだけで、
早々に引き上げてくれる。なかなかに場慣れした対応だわ。
私みたいな患者――或いは、私を凌ぐ偏屈な患者――が、多いのかもね。

しかし、今日の看護婦さんは、いつもと違った。
ベッドを囲っているカーテンを乱暴に開いて、私の様子を確認すると、

「検温しますねぇ。この、ごんぶと体温計を直腸に、ぷすっ……と」

なんて言いだしたのよ。絶体絶命、乙女のピンチ! って、もう何回目よ、この展開。
ああ、とにかく……お嫁に行けなくなる前に、なんとかしなきゃ。
私は飛び起きて、このフザケた看護婦に拳を見舞ってやろうとした。
未遂とは言え、セクハラされそうになったんだから、このくらいは許されるでしょ、当然。

ところが、絶対に外さないと思っていた右フックは、いとも容易く受け止められていた。
ちっ! 長い入院生活で、鈍っちゃってたみたいね。明日からダンベル体操しとこう。

「んふふふ……何するのよぅ。血の気が多い娘ねぇ」
「!? すっ、すすすす……すいぎんとおぉ?!?!」

私の右手を鷲掴みにしていたのは、看護婦の制服を着た水銀燈だった。
なんで、そんな格好をしてんのよ。亡霊のクセして、コスプレに目覚めたっていうの?
いや、それよりも、いつの間にか足まで再生されて二足歩行してるしっ?!
ああ……もうっ! なにが、どうなってるワケぇ~。

水銀燈は、狼狽気味の私を嘲笑いながら、掴んでいた私の右手を放り投げた。

「呼ばれて飛び出て、じゃじゃじゃじゃぁ~ん♪」
「……呼んでないから出てって」

水銀燈の下らないボケを速やかに一刀両断してやったら、彼女は膝を抱えて蹲り、
リノリウムの床を、人差し指の爪でカリカリと引っ掻き始めた。
正直、鬱陶しい。大体、なんなのよ、この亡霊は。ちっとも怖くないわ。
病院の幽霊と言ったら、もっと、こう……グチャグチャのゲロゲロで、
取り憑かれたら二、三日で死んじゃうのが相場じゃないの?

……っと、そうだったわ。私の指には既に、呪いの証が刻み込まれているんだっけ。
水銀燈の身体が、ここまで再生したとなると、私が用済みになるのも時間の問題。
もしかしたら、明日の朝日を見ることすら、出来ないかも知れない。
二人で『約束の場所へ』行くって、誓ったばかりなのに。

(私には、ひと夏の甘い思い出を作る時間すら残されていないの?)

そう思うと無性に悔しくて、運命の無常に涙したくなった。
勿論、水銀燈がいる間は、泣いたりしないけどね。
――だって、癪に障るもの。


私はベッドから身を乗り出して、蹲っている水銀燈の名を呼んだ。
肩越しに振り返った彼女は、驚いたことに涙ぐんでいた。
ギャグとも呼べない戯言がウケなかった事が、そんなにショックだったのかな。
ちょっと可哀想だったかも。

「あのさぁ、取り敢えず、泣き止んでくれない? メソメソされると鬱陶しいのよ」
「ぐすっ…………丸一日かけて考えたギャグだったのにぃ……呪ってやるわぁ」

前言撤回。同情の余地なし。ちっとも可哀想じゃないわ。私は夜空を見上げて溜息を吐いた。
第一、そのギャグ(?)ってデーモン小暮の二番煎じでしょうに。
でもまあ、このままじゃ埒もあかないから、話題を変えるとしましょ。

「悪かったわよ。機嫌を直して、こっちへ来なさいよ、水銀燈」
「やぁよ。でも、心臓くれたら赦してあげるぅ」
「あ げ ま せ ん! 口を開けば『心臓クレクレクリャリンコ』だなんて、
 貴女、クレクレタコラの親戚か何かじゃないの?」
「何よぅ、それぇ」

水銀燈は頬を膨らませながら、ベッドの端に腰を降ろした。
理解不能なネタを振られた事が、面白くなかったみたいね。
ふふん……勝ったわ、私。ちょっと優越感。
私は、幼児みたいに愛らしく拗ねている水銀燈に、努めて穏やかな微笑みを向けた。

「ところでさぁ、どうして、そんな制服を着てるの?」 
「素っ裸じゃ、歩き回れないでしょぉ? やっぱり、めぐっておばかさんねぇ」

カチン! と来たけど、ググッと我慢。
そもそも、バカと言われて腹を立てるほど優秀でもないしね。
……要するに、看護婦さんの制服を勝手に拝借してきたってワケか。
機転が効くと言うか、ちゃっかりしてると言うか……やっぱり、亡霊らしくない。

「でもまあ、おばかさんにしては、よく役に立ってくれているわねぇ」

呆れ半分、感心半分で言葉を失っていた私に、水銀燈は気怠さを助長する猫撫で声で、
ねっとりと話しかけてきた。

「お陰様で、ほぉら……たった一日で、両脚まで再生できちゃったぁ。
 指輪を介して、めぐの精気が奔流みたいに押し寄せてくるんだもの。
 私ぃ、びんびん感じちゃってたのよぉ?」
「……妙な言い回ししないでよ、いやらしいわねっ」

他人をからかうのが趣味なのか、水銀燈は顔を背けた私を見て、愉快そうに笑う。
一頻り、ころころと笑うと、水銀燈は私の顎に指を這わせ、彼女の方に向かせた。
彼女の幻惑的な瞳に捕らえられて、私は瞳を逸らせなくなった。

「今日は、なにか嬉しいことがあったのかしらぁ?
 生きたいって切望したくなるほど、心躍らせる『何か』が――ねぇ?」

私と水銀燈は、指輪で繋がっている。彼女には、私の心情の変化が、手に取るように解るのね。
じゃあ、隠すことでもないし、話しちゃってもいいかな。

「うん……実はね、親友と約束したのよ。私が元気になったら、
 一面に咲き乱れる向日葵を見に行こうね……って。だから、生きようって決めたの。
 たとえ叶わぬ儚い願いでも、私は最後まで、夢見ていたい。
 もう直ぐ死ぬかも知れないけど――それでも、生きたいって思えたのよ」
「……ふぅん。なぁるほどねぇ。それって、なかなか良い作戦かも知れないわぁ」
「なによ、作戦って」
「めぐに生き甲斐を与えれば、私が得られる精気も倍増するってコトよぅ。
 情けは人の為ならず……って言うじゃなぁい」
「腹黒いのね。言っとくけど、半端な事じゃ生き甲斐なんて感じないわよ、私」

軽蔑と挑発の感情が綯い交ぜになった眼差しを向ける私に、水銀燈は不敵な笑みで応えた。

「そぉねぇ。だったらぁ……私と、星の海を眺めに行きましょうよぉ」
「星の海? それってまさか、両国国技館に行くんじゃないわよね?」
「おばかさん。力士の四股名じゃないわよぅ。正真正銘、星の海だってばぁ」
「それって、いつ行くの?」
「私が完全に復活できた時に、ね」

なるほど、理解した。
つまり、私の心臓を奪う前に、2006年宇宙の旅に連れてってくれるワケね。
もっとも、私にとっては冥土の旅かも知れないけど。
でも、まあ……そんな死に方も良いかもね。ヒュッと上がってパッと散る、花火みたいで。

「……解ったわ。楽しみにさせてもらうからね、水銀燈」
「任せなさぁい。私の名誉にかけて、めぐを約束の場所へ案内してあげるわぁ」

彼女の台詞に、私はギクリとさせられた。意図してか、或いは、故意なのか――
重なり合う、二人の合い言葉。
薔薇水晶と水銀燈が連れていってくれる『約束の場所』とは、何処なのかしら。
他愛ない口約束だけれど、明日を夢見る口実には、なりそうね。

ふと、私は酔狂な気分になって、水銀燈の夢を訊ねてみた。
すると、彼女は――

「んふふ~。私の夢は☆」

パチッと星を飛ばしてウインク。昔、君の瞳は一万ボルトって歌があったっけ。
歌詞の続きは“地上に降りた最後の天使”だったけど……天使のイメージには、ほど遠いわね。

そんな瑣末な考えは、身体に与えられた刺激によって中断された。
見れば、水銀燈が人差し指で、私の左胸をプニプニと突っついている。

「私の夢は、めぐの心臓を貰うことに決まってるじゃなぁい。
 そうすれば、私は血の通った人間に、復活できるんだものぉ。
 あ~あ、早く人間になりたぁい♪」

私は震える両手に固く拳を握って、水銀燈の頭にジャンククラッシュを見舞ってやった。



その晩、私たちは狭いベッドで窮屈に身を寄せ、添い寝した。
言っとくけど、私に変な趣味はない。水銀燈が勝手に添い寝してるだけよ。
亡霊のクセに眠るのね。変なの。

「でも……穏やかな寝顔ね。首だけだった時とは大違いだわ」

月明かりに浮かび上がる、彼女の白い肌は、透き通るガラス細工みたい。
それに、こうして一緒に居てくれると、なんだか……ホッとする。
なんでかなぁ?

私は、水銀燈の頬に、つんつんと触れてみた。
水銀燈は微かに呻いて、私の指を、煩わしそうに払い除けた。
普通の女の子みたいな素振り。だけど……彼女の肌は冷たくて、どこか固い感触。
やっぱり、亡霊なんだな、と思う。これからも、ずぅっと憑きまとわれるのね。

「あ~ぁ。どうなっちゃうんだろ、私」

先のことを考えれば、憂鬱になる。だから、もう寝てしまおう。
夢の導くままに、約束の場所へと想いを馳せるのも、また一興だわ。
生き甲斐とは、夢を追い続けること。
だったら、夢の中で生への希望を見出すのもアリだと思わない?


水銀燈の寝息を子守歌に、瞼を閉ざした折りも折、暗い病室に異音が響いた。
それは、私のおなかが鳴った音。お昼は薔薇水晶にあげちゃったし、夜食も食べなかったから、
今になってお腹が空いてきたのね。参ったなぁ……これじゃあ、寝付けないわよ。

何か、小腹に詰める物でもあれば――と考えていた私は、思い出した。
薔薇水晶が持ってきてくれた、ジャンボ焼売が有ったっけ。
早く食べないと痛んじゃうから、ありがたく御馳走になっちゃおう。
おいしそうな焼売ちゃん――もう手放さないわよん♪

静まり返った深夜と言うこともあって、バリバリと包装紙を破く音が、やたらと大きく聞こえる。
これじゃ、水銀燈が眼を覚ましちゃう……って、危惧した側から、
パックの蓋を押さえていた輪ゴムが弾けて、彼女の額にピシリ! と当たった。

「あ痛っ! ったくぅ……なんなのぉ? うっさいわねぇ」
「ごめん。起こすつもりは、なかったんだけど」
「…………それ……どうするの?」

ジャンボ焼売を目にした途端、水銀燈の目つきが険しくなった。
ひょっとして、焼売キライ? それとも、奪ってでも食べたいほどの好物なの?

「お腹が空いたから、食べようと思って。水銀燈も、一緒に食べる?」
「ダメよ! それ……絶対に食べちゃダメ!」
「えっ?! どうしてよ? あ……まさか、もう腐っちゃってる?」

ごめんね、薔薇水晶。折角のお土産なのに、腐らせちゃった――
心から懺悔する私に向けて、水銀燈は衝撃的な台詞をぶつけてきた。



「それを持ってきたヤツこそ、めぐの病気の原因よ」

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