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  『真夏の夜の夢想』


――七月下旬。

今日も、ぎらぎらと照りつける日差しが強い。
焼けたアスファルトから立ち上る熱気で、冷房の効いた講堂から出て三分と経たず、
蒼星石の額に汗が浮かんできた。

 「ふわぁ…………暑い」

講堂では、カーディガンを羽織らなければ震えが走るほどだったのに……。
この急激な寒暖の差は、つくづく身体に悪い。
蒼星石は木陰のベンチにバッグを降ろして溜息を吐くと、
脱いだカーディガンを綺麗にたたんで、バッグに放り込んだ。

  ♪マダ-イワナ-イデ-♪

その直後、バッグの中で鳴り出す着信音。電話だ。誰からだろう?
ごそごそ……手探りで探し当てると、蒼星石はベンチに座って、携帯を耳に当てた。

 「はい、もしもし……」
 『やあ、蒼星石。僕だけど――いま時間、平気かな?』

受話器から流れ出す聞き慣れた声に、蒼星石の表情がほころんだ。
同じ大学に通うようになってから交際を始めた、彼の声だった。
 
 「うん、大丈夫。丁度、試験が終わったところだから」

現在、明伝大学は前期試験の真っ最中。これを終えない限り、学生達に夏休みは来ない。
蒼星石とジュンは専攻した学科が異なるため、試験の日程も必然的に食い違っていた。

 「そっか。どうだった、出来の方は?」
 「まあまあ……かな。今日は一科目だけだったから、集中的に勉強できたし」
 「そりゃ羨ましい。僕なんか、今日は一科目も入ってなくて、
  明日に三科目も重なってるんだぜ。堪んないよ」
 「ふふふっ……それは災難だね」

その後、暫しの雑談を楽しんでから、ジュンが本題を切り出してきた。

 「ところでさぁ……蒼星石は、夏休みの予定って入ってる?」
 「えっ? う、ううん。今のところは、何も――」

大学に入ってからは、部や同好会には所属していない。
気に入ったサークルが無いというのが理由だけれど、それ以外にもバイトをしたり、
授業に付いていくので大変だったりと、なかなか時間が作れないのが現実だった。
それに、学費も馬鹿にならないから、夏や春の長期休暇はバイトに精を出さないと。

――でも、出来ることならジュンと居る時間を増やしたかった。
折角の夏休み、一緒に海へ遊びに行きたいし、夏祭りや花火大会にも行きたい。
だって、ボク達は『カノジョとカレシ』の関係なんだから。
常日頃そう思っていた蒼星石には、ジュンの言葉が願ってもない福音に聞こえた。

 「実はさぁ……夏休み中、一緒にバイトしてくれないかなぁって」
 「そ、それは勿論、構わないよ。でも、どこで?」
 「詳しいことは、メールで説明するよ。地図とか添付したいし」

なんだろう? 通話を切った蒼星石は、足早に帰途に就いた。
地図を添付するという以上は、もう勤め先が決まっていると見ていい。
早く帰って、確認しなくっちゃ。




自宅に帰り着くと、蒼星石はPCを立ち上げ、メールを確認した。

 「あ、来てる。これかぁ…………えっと」

ジュンからのメールには、バイト先の住所や仕事の内容が記されていた。
なんでも、ジュンの叔父さんが所有するペンションの管理を、夏の間だけ
住み込みで手伝って欲しい……という事らしい。

 「すす、住み込みぃ~?! 聞いてないよぉ」

――避暑地のペンションで送る、二人の生活。
想像して、蒼星石は耳まで真っ赤にした。
思えば、付き合い始めてから、まだ二人っきりの旅行すらした事がなかった。

しかし、いつまでも今の関係を続ける訳にはいかない。
蒼星石だって女の子。いつかはジュンと二人で家庭を持ちたいと夢見ていた。
それに、よくよく見ると日給は良いし、待遇だって悪くない。
仕事の内容も、ペンションの庭園管理だ。翠星石も一緒に……との追記もある。

 「な、なぁんだ……ちょっと残念。でも、これなら頑張れそうかな」

蒼星石は、その場でジュンに了解の返事をしておいた。




 「いきなり、そんな話をされても困るです! 勝手に決めるなです!」

夕食後、バイトの件を伝えた途端、翠星石は猛反発した。
了承してくれるものと高を括っていた蒼星石は、思いがけない姉の反応に言葉を失った。

 「私は、もうバイト先が決まってるです。今更、変えられないです」
 「そ、そう……なんだ。ごめん。姉さんの都合も聞かずに勝手なコトして」
 「解ればいいです。ともかく、引き受けたからには、蒼星石ひとりで行って来るですよ」
 「残念だけど、そうするよ。じゃあ……おやすみ、姉さん」

ぱたん……と、ドアが閉められると、翠星石は溜息を吐くと同時に頭を降った。

 「まったく…………いつまで経っても、世話の焼ける妹ですね」




――数日後。
試験は全て終わり、ジュンも蒼星石も、幸いにして補習を受けずに済んだ。
これで、心置きなく夏休みを堪能できる。
ジュンの運転するRV車に荷物や庭仕事の道具を積み終え、ペンションに向かった。

しかぁし……。

 「道、混んでるね。遅くなると、道が解らなくなっちゃわないかな」
 「ナビに登録してあるよ。管理人さんには、遅くなるって電話しといた」
 「そうなの? じゃあ、安全運転で行こうね」
 「うん。のんびり、ドライブを楽しみながら行こう」


湖畔のペンションに到着したのは、とっぷりと日が暮れた頃のことだった。
ここまで一人で運転し続けてきたジュンは、すっかり疲労困憊していた。

 「なんとか、辿り着けたな。途中で、焦った焦った」
 「ホントだよね。道がどんどん細くなっていくし」

談笑しながら車を降りて、ペンションを見上げる。だいぶ老朽化している。
仄明るい空の下で、蔦の絡まった建物は、とても不気味に見えた。
二人は互いに顔を見合わせ、ごくり……と、唾を呑み込んだ。

 「ねえ……ジュン。ここって、お化け屋敷じゃないよね?」
 「な、なに言ってるんだよ、蒼星石。管理人さんだって居る筈だし」
 「でも、電気だって点いてないし」

実際、ジュンは叔父の手紙に書かれたこと以外、何も知らされていなかった。
叔父とは面識が無かったから、差出人を見ても、誰なのか解らなかったくらいだ。
なんで僕に頼むんだよと、訝ったりもした。
引き受けたのだって、ペンションの鍵が同封されていたからだ。半ば強制だった。

 「管理人さんは、帰っちゃったのかもな。取り敢えず、入ろう」
 「うん……手荷物だけ持って、残りは車に載せたままで良いよね」

蒼星石に懐中電灯で手元を照らして貰いながら、ジュンはドアの鍵を開けようとした。
その寸前、ドアが嫌な軋みを上げた。黴臭く、埃っぽい空気が流れだしてくる。
開かれた扉から、一人の女性が姿を現した。


 「いらっしゃい、お二人さん。ようこそ――」

その女性は、雪華綺晶と名乗った。叔父に雇われた管理人だと言う。
年の頃は、自分達と同じくらい。
右の目に洒落た眼帯をしていて、なんだか威圧感を覚えた。

 「もう少し早く、いらっしゃると思っていましたわ」
 「すみません。予想外に道が混んでて」
 「ごめんなさい……」
 「いいえ、お気になさらず。それより、長旅で疲れたでしょう。
  お食事の支度は、これからですので……先に、お風呂の方へ――」

それでは……と、二人は雪華綺晶の好意を受けることにした。

――ところが。
バスタオルと着替えを手に、浴場に着くなり、絶句するジュンと蒼星石。
ペンションの風呂は狭い露天風呂で、しかも混浴だった。

 「あ、あのさ……先に、蒼星石が入んなよ。僕は次に入るからさ」
 「別に……ボクは構わないよ。一緒に、入ろうか?」
 「ま、また今度な。僕は管理人さんを手伝いがてら、
  仕事の詳しい話とかを聞いてくるよ」

そう告げて、足早に立ち去るジュンの背を見詰めながら、蒼星石は呟いた。

 「――意気地なし」




夕食の支度を終えると、雪華綺晶は帰っていった。
食器や冷蔵庫の中身など、ペンションの備品は、自由に使って構わないそうだ。
勿論、電気や、ガスや、水道も…………。

楽しい夕食のひとときを終え、二人で食器を片付ける。
ジュンは蒼星石の入れてくれたお茶を啜りながら、
さっき雪華綺晶に訊いておいた仕事内容を、蒼星石に伝えた。

 「周りに巻き付いた蔦の除去と、外壁や館内の補修は、僕がやるよ。
  蒼星石には、庭園の管理と、周囲の木々の剪定を頼みたいんだ」
 「解った、任せといてよ。雪華さんは、何時頃に来るの?」
 「就業時間は午前九時から、昼休み一時間を挟んで、午後六時までなんだって。
  基本的に、昼間だけだな。館内の掃除と、食事の支度をしてくれるってさ」
 「ふぅん。じゃあ、朝食だけは自分達で用意しないといけないんだね」
 「だね。当番制にしようか」
 「ううん。それなら、ボクが作ってあげるよ」

「いいの?」と訊ねるジュンに、蒼星石は「いつもの事だから」と笑った。
どうやら、蒼星石が『作る人』で、翠星石は『食べる人』という図式らしい。
この一ヶ月、翠星石は外食ばかりになるのかな……と、ジュンは思った。

 「取り敢えず、今日はゆっくりと休もう。明日から忙しくなるから」
 「そうだね。おやすみ、ジュン。戸締まりは宜しくね」
 「ああ、解った明日の朝食、楽しみにしてるから」

ジュンがそう言うと、蒼星石は少しだけ恥ずかしそうに微笑み、階段を駆け上っていった。




――その日の真夜中。
蒼星石は、ふかふかのベッドの中で、まんじりともせず天井を眺めていた。
疲れてはいるのだが、普段と違う環境に来たせいか目が冴えて眠れない。
なんだか喉も乾いたし、ちょっと水でも飲んでこよう。
そう思ってベッドを起き出した蒼星石は、ふと、窓の外に目を向けてギクリとした。

誰かが――――庭に居た。

時計を見ると、午前一時を回ったところだった。こんな深夜に、誰が?
ごくり……。固唾を呑み込んで、静かに窓際へ近付く蒼星石。
覗き見する様に、そっと窺う。

 (あれ……は…………雪華さん?)

暗くてハッキリと見えた訳ではないが、間違いなかった。
とっくに帰った筈の雪華綺晶が、明かりも点けず、闇の中で頻りに土を掘り返していた。
その不気味な姿に、蒼星石は言い知れない恐怖を感じた。
気持ちが悪い。

これ以上は見るに堪えず、蒼星石が後ずさった直後――
蒼星石の恐怖を感じ取ったかの様に、雪華綺晶が、ゆっくりと振り返り、二階の窓を見上げた。
狂気を宿した金色の隻眼が、ひた……と、蒼星石を射抜く。
そして、彼女は――――ニタリと嗤った。

 (――っ!!)

ベッドに潜り込んだ蒼星石は、布団を被ったまま、朝まで一睡もできなかった。




翌朝、朝食の支度をしながら、蒼星石は昨夜の事を考え続けていた。
あれは、なんだったのだろう? 雪華さんは、何をしていたの?
夜が明けてから庭を見に行ったが、特に何の変化も見付けられなかった。
確かに、掘り返している現場を目の当たりにしたのに。

 「やっぱり、夢…………だったのかなぁ」
 「楽しい夢でも、見られたのですか?」

独り言のつもりが背後から話しかけられて、蒼星石はビクン! と肩を震わせた。
弾みで手を滑らせ、包丁で指を切ってしまった。

 「あ、痛っ!」
 「あらあら……ごめんなさい。驚かせてしまったわね」
 「いえ、このくらい……平気だから」
 「ダメですわ。きちんと手当しないと。丁度、絆創膏を持っていますから」

言って、雪華綺晶は財布から絆創膏を抜き出すと、蒼星石の傷を口に銜えた。
ひやりとした雪華綺晶の舌が、血を舐め取る。
蒼星石の背筋に、ぞくぞくと寒気が走った。

 「さあ、終わりましたわ。これからは、気を付けて下さいね」
 「あ、ありがとう……。あの、ちょっと――」
 「はい? なにか、問題がありました?」
 「い、いえ、なんでも」

にこやかに微笑む雪華綺晶からは、昨夜の狂気が感じられない。
やっぱり、寝惚けていたのかも。蒼星石は、口を噤んだ。

日中は、それぞれの仕事に追われて、顔を合わせる機会が少なくなった。
今まで庭の手入れは、雪華綺晶が独りで細々と行っていたのだろう。
けれど、屋内の保守管理に比べれば、どうしても片手間な印象が拭いきれない。
庭園の荒廃ぶりは、蒼星石の目に余る状況だった。

庭園に覆い被さる様に伸びる木々の枝が、全体的に薄暗さを強調している。
もう少し日当たりを良くしないと、丈の低い草花が育ちにくい。
奇麗な花を咲かせるのは、そういった草花たちなのに――

 「よ~し。まずは、枝の剪定から始めようっと」

車から脚立と高枝切り鋏を持ってきて、蒼星石は周囲の木々から剪定していった。
足場が凸凹しているため、脚立の座りが悪く、思った以上に作業し辛い。
少し高いところの枝を切ろうと背伸びした瞬間、脚立がぐらりと揺れた。

 「ひゃっ!」

ヤバい、倒れる! 
蒼星石はぎゅっと目を閉じて、歯を食いしばった。

  ――がくん。

不意に、脚立の傾きが止まり、蒼星石はバランスを取り直した。
おそるおそる瞼を開いた蒼星石の目に、脚立を支えるジュンの姿が飛び込んできた。

 「危ないトコだったな、蒼星石」
 「う、うん…………ありがとう、ジュン」
 「独りじゃ危なそうだ。今日は、僕もこっちを手伝うよ」
 「それは嬉しいんだけど、ジュンの方は大丈夫なの?」
 「室内は雪華さんがよく管理してくれてるから、それほど補修しなくて良さそうだ。
  外壁の蔦を剥がす時には、蒼星石の助けが必要だけどさ」
 「解った。それじゃあ、今は、こっちを手伝ってね」
 「ああ。早いトコ、終わらせちゃおう」

それから一日中、二人で周辺の枝打ちをしていった。
膨大な量の枝を切り落として、夕方にはペンション全体の雰囲気が明るくなっていた。
昨日の夜に見た、お化け屋敷みないな感じは薄らいだ。
蔦を剥がし、必要ならば塗装し直せば、充分に見違えるだろうと思えた。




――その夜。
蒼星石は再び、深夜の中庭で何事かしている雪華綺晶を目撃した。

 (昨晩と、同じ場所だ。一体、彼女は何をしているの?)

目を凝らしても、やはり暗くて、よく解らない。ジュンを起こして、一緒に見に行く?
でも、ジュンだって疲れている。叩き起こすのは躊躇われた。

暫し逡巡。
窓から見下ろすと、雪華綺晶は依然として、憑かれた様に地面をほじくっていた。
……やっぱり、ジュンに話そう。
踵を返した蒼星石は、一歩と進まない内に、どん! と何かにぶつかって転んだ。
こんな所に、何か置いてたっけ? 
訳が解らず仰ぎ見た蒼星石の瞳に映ったのは、冷笑を浮かべた雪華綺晶の姿だった。

 「私の邪魔は、させませんわよ」


――がばっ!
蒼星石が飛び起きると、普段どおりの朝が広がっていた。
夢? それにしては、リアルすぎた。
思い返すと二の腕が粟立ち、蒼星石はパジャマの上から腕をさすった。

 「朝食…………作ってあげなきゃ」

気を取り直す為に、声に出して呟く。たったそれだけでも、だいぶ気分が楽になった。
階下に降りて、台所へ向かう。
廊下を歩いていると、洗面所から出てくる雪華綺晶を見掛けた。
彼女は蒼星石の姿を認めると、にっこりと優しげに微笑んだ。

 「おはようございます。今日も、いいお天気ですわ」
 「おはよう……ございます。まだ七時なのに、出勤してるんですね」

ごく当たり前の挨拶を交わす。そこに、白々しさは微塵も感じられない。
やはり、慣れない環境に来たせいで、自分が訳の解らない夢を見ただけなのか?
それとも、目の前の女性が、よほどの演技上手なのか……。
朝という事もあって、蒼星石は意を決して、話を切りだした。

 「あんな夜遅くに…………庭で、何をしてるんですか?」
 「? 何……の、ことかしら?」

小首を傾げる雪華綺晶。けれど、不自然な間があったことを、蒼星石は感じ取っていた。

 「惚けないで。ボクは、確かに見たんだから」

雪華綺晶は、すうっ……と、隻眼を細めた。口元に浮かぶのは嘲り。

 「何を仰っているのか、理解に苦しみますわ。
  今日は早起きしたものですから、朝食の準備を……と思いまして」

あくまで白を切るつもり? 
しかし、確証を持たない蒼星石に、これ以上の追求は無理だった。

 「朝食の支度なら、ボクがするよ」
 「では、お任せしますわね」

蒼星石の脇を擦り抜け様に、雪華綺晶は小声で囁いた。

 「お仕事の方も、お願いしますわよ。
  途中で放り出して逃げたりしたら…………承知しませんわ」
 「ご心配なく。引き受けた以上、完遂してみせるから」

蒼星石が語気強く応じると、雪華綺晶は満足そうに微笑み、立ち去った。


今日は壁を覆っていた蔦を取り除き、生い茂っていた雑草を刈った。
見栄えは一層よくなった。屋根の方も、早急に補修を要するほど傷んではいない。
残るは、垣根や庭園の修復くらいか――それが一番の大仕事だ。
ジュンと二人で刈った雑草を集めている時に、蒼星石は徐に切り出した。

 「ねえ…………今夜、ジュンの部屋に行っても良い?」

ジュンに雪華綺晶の事を話して、一緒に確かめてもらおうと思っていた。
我ながら大胆な事を言ったと気付いたのは、ジュンの反応を目にした後だった。

 「なっ……それって、まさか」
 「あ、そう言う意味じゃなくて、ちょっと話をしたいかなって」
 「なんだ、そうか。いきなりだから、ビックリしたよ」

自分の誤解を恥じるように笑うジュンを眺めながら、蒼星石は少しだけ、寂しくなった。
――別に、それでもいいのに。
ボク達、付き合ってるんだよね? だったら、もう少し気兼ねなく振る舞ったって良いじゃない。
ジュンが望むことなら、ボクは何だってしてあげたいのに。

そんな蒼星石の気持ちを知ってか知らずか、ジュンは優しい口調で話しかけた。

 「最近、忙しくて話す機会も減ってたな。今夜は、いろいろと話をしよう」
 「うん。いろいろと……ね」

蒼星石は、陽気に笑った。
今は、焦らなくてもいい。もっと話し合って、自分の気持ちを伝えていこう。
だって、二人の言葉はまだ、一方通行じゃないから。


ジュンと蒼星石は、その後も雑談を交えながら、ペンション周辺を整理していった。
二人の仲睦まじい様子を、雪華綺晶がペンションの中から見詰めていたとも知らずに。




その晩、夕食の後片付けを済ませると、飲み物を手にジュンの部屋に集った。
雪華綺晶は帰って、ペンションには居ない……筈だ。
本来なら良いムードに持っていく努力をすべきところだが、蒼星石は敢えて、
深夜の件について語った。

 「そんな事が、あったのか。最近、早く寝てたから気付かなかった」
 「ボクも偶然に知ったんだよ。それで、ね」
 「うん。今夜にでも、確かめてみよう。なんだか落ち着かないし」

真実は、時に知らない方がいいこともある。
けれど、今回は真相を究明すべきだと、二人は思った。




――そして、深夜二時。
つい、うとうとと船を漕いでいたジュンを、蒼星石が揺り起こした。
身振りで促されて窓辺に行くと、確かに、雪華綺晶が闇の中で何かをしていた。
懐中電灯を握り締め、互いの顔を見合って頷く。

打ち合わせどおりに、足音を忍ばせて階下に降りて、玄関をでた。
そして、徐に彼女の背に光を向け、ジュンが呼びかけた。

 「こんな時間に、何をしてるんだい。雪華さん」

地面を掘り返していた雪華綺晶の手が、止まった。
屈んだ姿勢のまま、ゆっくりと、肩越しに振り返る。

蒼星石の予想に反して、彼女は涙に頬を濡らしていた。
見付けられないの。口を開くなり、雪華綺晶は寂しげに呟いた。

 「この庭のどこかに、大切な物を埋めたのに――」
 
何を言っているのだろう。
怖々と彼女の側に歩み寄った蒼星石とジュンは、雪華綺晶の手元を照らした。
その地面には、何の変化も見られない。
雪華綺晶は必死に土を掘り返そうとするが、彼女の指は、虚しく通り抜けるだけだった。

 「! 雪華さん、貴女は――」
 「こんな……ことって」

彼女は、幽霊だった。
目の前に現実を突き付けられて、二人は続ける言葉を見付けられなかった。
食事を作ってくれたり、部屋の掃除をしてくれた彼女が、まさか幽霊だったなんて。

それでも、ジュンは掠れた声を、喉から絞り出した。

 「雪華さん。中で、詳しい話を聞かせてもらえないかな」
 「ボクも、聞きたいな。お願い、雪華さん」

二人の言葉に、雪華綺晶は再び振り返って、泣きながら頷いた。




ペンションの居間で、雪華綺晶は訥々と語った。

――ジュンの叔父とは、将来を誓った仲だったこと。
――この庭に、大切な思い出を埋めたこと。
――叔父が事故で急逝し、衝動的に、自ら命を絶ったこと。
――それでも、このペンションを奇麗にしておきたかったこと。

蒼星石とジュンは、ただ黙って、彼女の話に聞き入っていた。
正確には、驚愕のあまり言葉を失っていたのだ。

 「貴方に手紙を出したのは、私なのです」
 「それで、ここの鍵が同封されてたのか。でも、どうして僕なんだ?」
 「貴方なら、此処に来てくれると思えたからですわ。
  誰よりも優しい心を持った、貴方なら――」
 「確かに、ジュンは誰にでも優しいよねぇ」

少しだけ嫉妬深い目を向ける蒼星石を笑顔で宥めながら、ジュンは雪華綺晶に訊ねた。

 「それで……大切な物って、どんなものなんだ?」
 「探して、もらえるのですか?」
 「ここまで話を聞いちゃったら、手伝わない訳にはいかないよね」
 「二人とも……ありがとうございます」

雪華綺晶は、さめざめと泣いた。嬉し涙、続いて、寂しげな涙。

 「だけど、私は……それすらも忘れてしまったのです」

語っている内に、夜が明けていた。
けれど、眠気は無い。あんな話を聞かされては、眠れる筈がなかった。

 「取り敢えず、朝食を済ませてから探そうよ」

蒼星石の提案で、三人は一緒に朝食を摂った。
幽霊でも食べ物の味が解るのか、なんて無粋なことは訊かない。
だって、彼女は生きているのだから。
思い出を大切にしながら、今も恋をし続けている乙女なのだから。
夢も希望もなく自堕落な生活を思っている人々よりも、彼女の方が、よっぽど人間らしかった。


食事を終えて外に出た三人は、広い庭を眺め回して、途方に暮れた。
この数日で雑草を刈ったりしたこともあって、庭園はとても広く感じられる。
いや、実際……広い。
雪華綺晶が、いつまで経っても見付かられない筈だ。

 「これは、確かに目印とか無いと探しきれないな」
 「ごめんなさい。私は、それすらも忘れてしまったのです」
 「目印かぁ…………ちょっと待ってよ」

意気消沈するジュンと雪華綺晶とは対照的に、蒼星石は庭の植物を眺め回した。
その視線が、一点で止まる。

 「もしかしたら――」

独り言を呟いたかと思った途端、蒼星石は足早に、庭の一点へと歩いていった。
訳が解らず、顔を見合わせるジュンと雪華綺晶。
釈然としないまま蒼星石の後に付いていくと、彼女は小さな花の前で脚を止めた。
長い茎の上に、白い花が載っている。あまり、見慣れない花だった。

 「これは、なんて花なんだ? 初めて見るけど」
 「アンモビウムって花だよ、ジュン」
 「……私……」
 「花言葉は『不変の誓い』『永遠の悲しみ』なんだ」
 「あぁっ!!!」

蒼星石が言ったのと殆ど同時に、雪華綺晶は声を上げていた。

 「思い出しましたわ! それよ……それですわ!」
 「ここね。解った……ちょっと待って」

蒼星石は両手でアンモビウムの花を掘り起こして移すと、その下を掘り返していった。
暫くして、漆塗りの箱が出てきた。
蒼星石が視線で確認すると、雪華綺晶は無言で頷いた。

慎重に、蓋を開ける。ふわり……と、過去の空気が匂った。

 「それ全部、手紙か――」
 「どれも、ジュンの叔父さんが差出人みたいだね」

消印を見ると、およそ二十年前のものだった。

 「ああ……ああ……これです。これを、探し続けていたのです」

雪華綺晶は、蒼星石に手渡された手紙の束を両手で抱き、涙を流した。
二十年前に結ばれた『不変の誓い』を。
二十年前、突然に訪れた『永遠の悲しみ』を。
そんな彼女を見詰めるジュンと蒼星石の目からも、涙が溢れていた。

ひと頻り感情を溢れ出させた雪華綺晶は、徐に、手紙の束を蒼星石に手渡した。

 「? これ……は?」
 「貴女が、処分して下さい」
 「ええっ?! でも、これは大切な思い出じゃないの?」
 「でも、それが私を、この世に縛り付けているのですわ。『不変の誓い』が。
  だから、貴女の鋏で断ち切って下さい。私の『永遠の悲しみ』を。お願い」

蒼星石に向けられた雪華綺晶の眼差しは、揺るぎない決意に満ち溢れていた。
これで、全てを終わらせる。その想いが漲っていた。

 「……解ったよ。ボクで、その大役が務まるのならば」
 「見付けてくれたのは、貴女。貴女にしか、その役は務まりませんわ」

ひとつ頷き、蒼星石は腰のホルダーから鋏を取り出した。
分厚い封筒の束に、刃を当てる。

 「じゃあ……行くよ」

蒼星石の言葉に、雪華綺晶は満足げに微笑みながら、こっくりと頷いた。

  ――じゃきん!

一切の躊躇無く、封筒の束は両断された。
その途端、雪華綺晶の輪郭が、ふわりと揺れる。
二十年間、彼女を繋ぎ止めていた呪縛が断ち切られた証だった。

 「お別れですね、お二人さん。今まで、本当にありがとう」
 「雪華さん……こっちこそ、ありがとう。僕たちを、此処に呼んでくれて」
 「安心して、雪華さん。庭園は、ボクが必ず奇麗に整備するから」

ジュンと蒼星石は、夏の日射しに消えゆく雪華綺晶を、笑顔で見送った。
そして彼女――雪華綺晶もまた、幸せそうな表情で二人を見詰め返した。

 「それじゃあ、お幸せにね。お二人さん♪」

悪戯っぽいウインクを残して、雪華綺晶は過去の世界へと戻っていった。

 「今度こそ、叔父さんと一緒になれると良いな」
 「きっと、なれるよ。きっとね」

蒼星石は涙を堪え切れずに、ジュンの胸に顔を埋めた。
小刻みに震える彼女の身体を抱き締めながら、ジュンも泣き続けた。

――さようなら、雪華さん。




それから後、二人は夏休みの間中、ペンションの補修を続けた。
蒼星石の尽力もあって、庭園は美しく変貌しつつある。

夏休み以降も、週末などに時間を作っては、二人で管理に来ている。
苗から植えた植物は、奇麗に咲き誇っていた。

庭園の手入れをしていた彼女に、エプロンを着けたジュンが声を掛ける。

 「おーい、蒼星石ぃ。昼飯、できたぞ~」
 「あ、はいは~い。いま行くよ、ジュン♪」
 「今日は、我ながら巧く出来たと思うんだけどな」
 「ふふっ……楽しみだなぁ」

あの一件を通じて、今や二人の絆は、しっかりと繋がっている。
傍目に見れば、仲睦まじい若夫婦に映っていることだろう。

実際、ジュンと蒼星石は将来を誓い合っていた。
庭園の片隅に、二人で植えた紫色の花……センニチコウの前で。


  花言葉は『変わらない愛情を永遠に』


二人が結婚し、産まれた娘に『雪華』と名付けたのは、また別のお話。
 
 


 
ジュンと蒼星石に支払われたバイト代は、お金よりも貴重なもの。
 
 

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