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帝國主義が席巻し、侵略熱にうかされた列強諸国によって、
世界が勝者と明確な敗者にわけられていた時代。
「維新戦争」から十年、近代化の道をひた走っていた新興国家・八州帝國は、
帝紀2564年、小国の持てる全てを結集し、
北方の大国・イリヤ連邦帝国にその存亡をかけた戦いを挑んだ。


     疾風のごとく
             第一話:『騎兵』

青々とした草原が雄大な丘陵地帯のうねりにそって何処までも続いている。
背高く茂った草花は風が吹き抜ける度に柔らかく頭を垂れ、
瑞々しい翠の波が、大陸の壮大さを持った大地を緩やかに駆け抜けていった。
季節は初夏である。
空は快晴で日射しは眩しかったが、
草原を渡る風は爽やかで、夏特有の躍動感に満ちた美しさが溢れていた。
その草原の左手は山があり、ちょっとした森林地帯が広がっている。
その林の影に騎兵一個大隊が小休止していた。
八州帝國軍。現在北方の大国、イリヤ連邦帝國と戦争状態にある八州帝國の騎兵部隊だ。
率いているのはまだ若い大尉だった。名前を桜田淳という。
何処にでも居そうな平凡な青年で、何だか朴訥な感じがする。
服装にはあまり頓着しない性格らしい。
髪の毛はボサボサで、塵埃にまみれた軍服は色褪せ、ところどころ釦も取れ掛かっている。
が、纏う雰囲気はどことなく涼し気で、瞳の奥が何か言い知れぬ光を宿して輝いて見えた。


彼はこの時代ではまだ珍しい眼鏡をかけていた。
ひどい近眼らしく、時々眼鏡をずらしては丘の上から周りの景色を眺め、
両手で広げた地図と見比べながら何やら思案している。
やがて地図を畳んでしまい込むと、面白く無さそうに鼻をならした。
彼の不満、それはまさに今自分が率いさせられている騎兵、その兵力の規模にあった。
威力偵察にしては兵力が小さ過ぎる上に、明確な目的を提示されておらず、
偵察行動としては無意味に大きい。
しかも旅団長が彼等に下した命令は、信じ難いことに『斥候』であったため、
騎兵の命とも言える火力、騎兵砲を全く伴っていなかった。
(旅団長閣下は、騎兵の何たるかを全く理解しておられないのだ)
と彼は思った。
旅団長の梅岡少将は精神論に足が生えて歩き出したような人物で、
良く言えば真面目だけが取り柄、悪く言えば機転の利かない無能な働き者だった。
彼は決して旅団長が勤まるほどの器ではなく、良くて精々中隊長というところであったが、
10年前におこった維新戦争の折り、官軍側についた薩州の士官であった為そうむげにも扱えず、
当時(今でも、だが)得体も知れぬ新設兵科扱いされていた騎兵科に、
いわば厄介払いとして回されてきたのだった。
そのまま大人しくお飾りにおさまっていれば良かったのだが、
自分の能力を信じて疑わないこの利口な馬鹿は、
すぐにその無能な働き者振りを発揮しだして、
畑違いの分野にまで口をだしては部下の士官達を閉口させていた。


その日、呼び出された淳が臨時指令部となっている民家に赴くと、
梅岡は鬱陶しくなるほどの上機嫌で彼を迎えた。
対照的に傍らで控える副官の顔はげっそりやつれている。
無能な働き者がまた何かいらぬことに首を突っ込みだした印だった。
――また碌でもないことを思いつきやがったな。
と思ったが顔には出さない。
淳は何喰わぬ顔で敬礼した。
「桜田大尉、只今参りました」
梅岡はうむ、と頷き、
「斥候同士の遭遇戦がおこる度に、我が方の騎兵達は常に追い散らされている」
と切り出した。之はある程度仕方がないことだった。
騎兵、という兵科が公式のものとして採用されたのは、
誕生して間もない八州帝國陸軍の中でも取り分け新しく、
まだその性質が十分に理解されていないこともあって、
その編成は維新戦争で唯一騎兵を擁した旧賊軍側の東北州(淳の出身地も此処)
の騎兵達をそのまま転用しており、馬は小柄な八州馬であり、
大陸の馬とくらべれば必然的に馬格に劣る。
しかもこれの上に乗るのが小柄な八州人で、剽悍と言うより
可愛らしいと言う表現がぴったり来る八州帝國騎兵だったから、
人も馬も大きい上に、数に任せてやってでくる
イリヤ連邦帝國騎兵斥候との遭遇戦では追い散らされてばかりいる。
それはいい。
「……で、あるからして、騎兵三個大隊を以って斥候活動の任に
当たらしむるものである。内一個大隊は桜田大尉、君の大隊に任せる」
――はぁ?
一瞬耳を疑った。喉元まで上がってきたお前は阿呆か、という罵声を辛うじて飲み下す。
思わず副官の方を見ると、彼は申し訳無さそうに肩を竦めた。
この頃になると、彼の無能振りは指令部全員の知るところとなり、
彼が下す頓珍漢な命令にも、部下達はもう慣れてきていて、その建て前だけは保持しつつ、
実害が出ないように苦心して処理していたのだが……今回ばかりはその域を超えていた。
いや、しかし……いくら何でも其処まで馬鹿ではないだろう。
希望的観測であることは重々承知していたが
なんとかそう思い直し、一縷の望みをかけて聞いてみる。
「失礼ながら閣下、威力偵察のお間違えでは?」
「無論、ちがう!」
梅岡は傲然と胸を張った。此処までくると淳は殺意を覚えている。
だが無能な馬鹿の気紛れで軍を危険に曝す訳には行かない。淳は食い下がった。
「敵が大兵力を頼んで、斥候の単位当りの人数を無意味に増やしているなら、
騎兵の基本である一極集中が困難になり、むしろ好都合ではありませんか。
斥候はそもそも情報収集の為のものであり、有力な敵に遭遇した場合は
さっさと逃げれば良いのです。こちらとしては単位当りの人数は必要最低限とし、
只でさえ少ない兵力を分散する愚を犯すべきではありません」
「無意味ではないぞ。現に敵は戦闘の度に勝っておるではないか」
淳はこの阿呆面を本気で殴りつけてやろうかと思った。


淳が把握する騎兵、その全ては、維新戦争の前、まだ旧体制の残っていた頃に
新設された藩の士官学校で、彼が一人の人物に出会ったことから始まった。
槐である。
この若い秀才藩士官は、当時騎兵が兵科として確立されていた大陸西州に留学しており、
帰国後、藩の陸軍学校で教鞭を取ることとなった。
彼は涼やかな目もとと、良く通った鼻筋が特徴の、
眉目秀麗の言葉がぴったり美青年だったが、一体何が嫌いと言って
自分が美男であることを人から言われるほど嫌っていることはなかった。
その上一旦考え事をし出すと他のことまで頭が回ぬらしく、所構わず立ちションする
と言う奇行癖の持ち主で、所謂変人の部類に入る人間であったが、
彼との出合いは淳にとって別の意味で衝撃的であった。
騎兵とは。
教室に入って来るなり黒板にそう大書きしたこの一見優男風の騎兵士官は、
次の瞬間いきなりその拳で窓ガラスでぶち破ったのだ。
砕けたガラスの破片が飛び散り、拳からは血が吹き出た。
だが槐は、唖然とする学生達を尻目に鋼鉄色の顔面を眉一つ動かさず、言った。
乃ち是である、と。
曰く、「騎兵とは突撃力である」
騎兵の本分はその攻撃力にある。
故にその基本は常に一極集中であり、
之は時として戦場の帰趨を決するほどの威力を発揮する
曰く、「騎兵とは機動力である」
騎兵は他の兵科に倍する機動力を与えられている。
その機動力を活かして適格に戦機を捕らえ、
或いは索敵活動に任じて極力敵状把握に勤めるべきである。
曰く、「騎兵とは正に騎『兵』である」
騎兵とは馬に乗っていてもあくまで兵士であり、
それを念頭において柔軟な運用をすべきである。
名演卓絶であった。

淳の『騎兵』は槐からその戦術と運用の全てを学んだと言ってよい。
「先生、『騎兵』とは一体何なのでしょう」
いつだったか淳は槐に問うてみたことがあった。
この無口で穏やかな騎兵教師は、口元に柔らかな微笑をたたえて
疑問を呈する若い教え子見つめ、無言で続きを促した。
「考えれば考えるほど分からなくなりました――」
彼は淳の言葉に一々黙って頷いていたが、最後まで聞き終えると、言った。
「騎兵――これほど八州人にとって分かりにくいものはない。
私が騎兵の様式を学んだ本場の大陸西州でさえ、その本質を理解し、
効果的に運用できる人間はほんの一握りに過ぎないだろう。
騎兵の作戦の例を我が国の歴史に求めるとするならば――」
黒龍山の戦いと楠木狭間の戦いだなと、槐は言った。
だが、楠木狭間の戦いは奇襲戦ではあるもののその殆どが歩兵戦であり、
厳密な騎兵戦とはいい難い。淳はそれを指摘した。
「しかし楠木狭間の場合は騎兵ではないのではありませんか?」
「いいかい、淳」と槐は言った。彼は二人の時は淳を名前で呼んでいた。
彼は淳の俊敏さと、着想性の高い頭脳を愛していた。
「騎兵は別に馬にのってなくてもいいのだよ」
――この親父はひでえコトをいいやがる、
と淳は思ったが、黙って続きを聞くことにした。今まで槐が言った言葉に
間違っていたことはなかったからだが、この時の彼が語った戦術思想が
後に海を隔てた大陸の戦場で淳が自分の騎兵軍団を率いて転戦する際に
大きな効力を発揮することとなる。

またある時、淳は槐の家を尋ねたことがあった。
「因果な商売だよ」
彼は娘に西瓜と冷えた酒を持って来るように言い、
それを客人に勧めたあと、言った。
酒が入っていたせいか、彼は何時になく多弁だった。
「軍人は教育によってある程度のものを作り上げることが可能だが、
騎兵にはそれがきかない。天性の俊敏さと広い戦術眼を兼ね備え、
全体の勝利の為には時として自身の死さえ辞さない人物、
そうした人物のみ、騎兵を運用するに足るのだ。
凡夫に掛れば、騎兵はその脆さ故に無意味に全滅してしまうか、
全く活かされずに握りっぱなしとなってしまうだろう。
君は不幸にしてこの呪わしき兵科に首を突っ込んでしまった訳だ」
「つまり先生は僕が天才ではない、そう仰いたいのですか」
と淳は言った。正直ムッとしたらしい。
「この場合、君が天才か否かは大した問題ではない」
偉大な騎兵はごく自然な調子で返した。
「全ては君の上官、君を使うべき指揮官の能力に依存しているのだよ、淳。
私ならば、ある程度のことはできるだろう。だが、それだけだ。
君は若く、才能もある。しかし、この国に『騎兵』を理解する者は余りに少ない」


これが彼が槐と話した最後であった。
その後、程なくして槐は病気でこの世を去り、
淳はあの忌わしき維新戦争で、彼の最後の言葉を嫌と言うほど実感することとなった。
もしも先生だったら。先生が生きておられたなら――
不意に背後に草を踏み分ける音が近付き、涼やかな声が彼を呼んだ。
「大隊長殿――桜田大尉殿」
聞き慣れた声は用件を伝えに来た彼の副官のものだった。
顔に浮かんでいた表情を慌ててしまい込むと、彼はつとめてゆっくりと振り返った。
どことなく穏やかな物腰と柔らかな声は彼生来の美徳の現れかも知れない。
「何か?」
振り返った彼の視線の先にいたのは、驚いたことに、
まだ少女と言う形容が許される女性であった。
艶のある黒髪を肩の所で切りそろえており、黒曜石を思わせる冷たい瞳と、
軍服を折り目正しく着込んだ姿が彼女の几帳面な性格を現している。
左目の下には所謂泣き黒子があったが、それはむしろ彼女の纏う
凛然とした雰囲気に拍車をかけているように見えた。
彼女――柏葉巴少尉は言った。
「先行させていた将校斥候が戻りました。重要な報告があるようです」
淳は頷いた。
「分かった。すぐ、行く」

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