《さいれん》
(このお話は《甘い保守》のサイドストーリーです) 《さいれん》―何時の頃からだろう。 時々、胸に響く『その音』を警告(サイレン)と感じるようになったのは―今の時期にしては珍しい暖かな陽気に包まれながら、私は校内の中庭で一人、昼食を摂っている。他の生徒たちがいる教室からも、時間帯的に人が多い食堂からも離れた位置にあるこの場所で、私の耳に入る音は、自らが発する小さな咀嚼音と箸と容器の触れ合う音だけ。いつもならば、この時間―昼食―は喧騒に包まれている。軽口をたたき合う真紅と水銀燈、和やかな金糸雀と薔薇水晶、機関銃の様に話す翠星石、それを受け止める蒼星石、和気藹々と食べ続ける雛苺と雪華綺晶。彼女達と過ごす時間は、喧騒が苦手な私でも楽しいと思える、素敵な一時。楽しい一時なのだ………彼女達だけならば。ふぅ………と、意識せず微かな溜息が零れる。今日とて、彼女達は私を昼食に誘ってきてくれた。私は、その誘いを微笑みと共に受ける――筈だったのに。彼女達の後ろにいる、一人の男の子を見て、一瞬、言葉に詰まってしまい。同時に、サイレンの音が鳴り響き、私はその誘いを断った――嘘をついてまで。彼は私の幼馴染であり―初恋の男の子。昔から物静かだった私は、同じ様な彼とよく二人で遊び………当然の様に、好意を抱いた。そっけない言葉、拗ねた様な態度、時折見せる可愛らしい微笑み。今は捻くれ者と言われる彼だが、昔から余り変わっていない様に、私は思う。ともかく、そんな彼に私は惹かれていたのだ。だけれども、所詮は小学生の恋心――私が父の都合で転校した事により、その想いは霧散してしまった。 この街に再び戻ってきて、彼と再会した時――彼の周りには、彼女達がいた。ふざけた態度の中に時々可憐な表情を織り交ぜる水銀燈。賑やかで、周りの者にも同じ気持ちを振りまく金糸雀。人一倍辛辣な言葉を放つが、人一倍優しい想いを見せる翠星石。皆を呆れながらもまとめ、優しく見守る蒼星石。美しさと可愛さを併せ持ち、それでいて嫌味さがない真紅。大輪の花の様な笑顔で、暖かな気持ちを与えてくれる雛苺。大人びた容姿と、それに相反した貪欲さと少女らしさを見せる雪華綺晶。掴みどころがなく、ミステリアスな雰囲気を持った薔薇水晶。――それぞれが違った魅力を持つ彼女達に、何故か私の胸は、サイレンの音を鳴らした。出会いより数年たった今、私も、彼と彼女達と共に過ごす時間が増え。その分、彼女達との仲は近くなり。――彼との仲は、遠ざける様になってきている。そうすれば、疎ましく鳴り響くサイレンの音を感じずに済むから。彼の事を考えたからだろう。わざわざ、友人達の誘いを断ってまで一人になったと言うのに、サイレンが小さく鳴るのを感じる。それを疎ましく思い、私はわざと乱暴にご飯を喉に詰め込み、ごくんと音を鳴らして飲み込む。――それでも、「消えない。サイレンの音が………」「――ん~、私には聞こえないけどなぁ、そんな音」びくん!と背後からの不意な言葉に、私の身体は露骨に反応してしまう。その為、先程嚥下した筈の白米が逆流し………私は胸元を抑え、けほけほと醜態を晒してしまった。一人の空間に突然現れた侵入者は、「驚かせるつもりはなかったんだけど」と申し訳なさそうに言いながら、背をさすってくれる。「けふ――もう、大丈夫です、草笛先生」侵入者―私達のクラス担任の―草笛みつ先生は、私がそう言った後も、背を前後に撫でる。 優しい手の動きにくすぐったい気持になるが、過度に心配させてはいけないと思い、ちらりと先生を見ると――「ちっちゃい背中、可愛いなぁ、うへへ」「………………先生?」「やん、そんな絶対零度な無垢な瞳で先生を見つめないで!?」冗談だとは分かっているが―いや、時々、判らなくなるが。ともかく、私は妙な空気を払しょくする為にも―先程の独り言を誤魔化す為にも、平然と礼を言ってのけた。「もう、大丈夫ですから。――ありがとうございました」ぺこりと小さく頭を下げ、再びお弁当に向き合う。その行為が示すのは、会話の拒否。先生を避けている訳ではない――ただ、この人は、時々ずけずけと人の心に入ってくる事があるから………怖かったのだ。自分の醜い所を見られるのが。「んー………で、さ。サイレンの音って、何?」………空気を読んで欲しい。もっとも、この人は、読んだ上で突っ込んできているのだろうが。勝手にした己のフォローに、尚悪い、と思いつつ、口を開く。「別に、先生に――」「――関係なくはないんじゃないかなぁ。私が、貴女に、わざわざ、お昼時間に頼んだ仕事、終わってる?」一文で言えばいいモノを、わざと区切って伝えてくる先生。そう、それは私が友人達からの誘いを断った『嘘』の内容―つまり、先生への借り。此処に来る前に、友人や彼と遭遇したんだろう――先生の恨み節は続く。「皆に非難されちゃったんだから」私が罪悪感を感じている所を、的確に突いてくる。煩わしいほどに巧い交渉術に舌を巻きながら、それでも私はもくもくとお箸と口を動かし続けた。――先生が、私の前に中腰で立ち、微笑みを浮かべてくるまでは。「――特に、彼にね」 音が鳴る――胸に、サイレンの音が木霊する。先程と同じ様に噎せる私を、先生も先程と同様、背を撫でて落ち着かせようと動く。向き合う形で対峙していたのだから、抱かれるような格好で。「あはは、ビンゴだったみたいだね」茶化した言い方だったが、声色は優しくて。そっと見上げると、先生の柔らかい微笑みと視線をぶつけられた。――観念するしか、ないかな。「………彼を見ていると、考えると、サイレンの音を感じるんです」「とくん、とくん………って?」「………はい」「そっか。――でも、なんで、サイレン?」「警告の音、だからです。………初恋の想いは消えたんだから、勘違いするなって」「――今の『想い』は違うんだ、是は昔の『想い』を引きずってるだけなんだ――かな」こくん、と先生の補足に頷く私。そんな私を、先生は――ぎゅっと、抱き締めた。「あっはっは、可愛いなぁ、巴ちゃん。可愛い女の子だ」「茶化さないでください!」「んー、茶化してないよ?ま、一つだけお節介な事言っちゃおうかな――押し倒しちゃえば?」麗らかな日差しの下、何を言い出すんだ、この聖職者は。茶化さないと言っておきながら、直後に口にした事は悪ふざけにしか聞こえず。私は、ぐぃと先生を押しのけようと腕を伸ばした。 「わ、私は真面目に答えたのに――!」「うん、だから、真面目に返したつもり。押し倒してでも――何かのアクションでもしないと、ずっと、サイレンの音は、警告の音のままだよ?」だったら、初めからそう言って欲しい――ほんとに、この人は性質が悪い。抱きしめられていたからその表情は見えなかったが、恐らく悪戯猫の様な笑みを浮かべていたのだろう。きっと、今向けられているにこにことした表情と同じだっただろうから。「………この音を、別の感じに変えられるんでしょうか?」「巴ちゃんが―貴女が、少女から少し、大人になれたらね」「………先生」「あっはっは、その半眼に込められた言葉は、穿った見方をし過ぎよ。――と、それじゃあ、音の原因が来たみたいだから、先生は席を外すね」膝に着いた草を払いつつ、先生はすくっと立ち上がる。先生の言葉を意味を飲め込めず、私は疑問符を浮かべるが――。背後からの呼び声に、その疑問は氷解した。「――と、柏葉。用事って終わったのか?」警告、サイレン、さいれん――音が鳴る、鼓動を感じる。「でも、サイレンねぇ、さいれん。言い得て妙ってヤツかな、あっはっは」淑女に相応しくない豪快な笑い声を残し、「じゃね」と手をひらひらと振って、先生は校舎に戻って行った。残された私は、此方にとことこと歩いてくる彼に向けて、気持ちを仕切り直す。だけども―仕切り直そうとした気持ちは、先生の言葉に後押しされて。 お弁当の蓋をぱたんと閉じ、お箸をケースに直して、立ち上がる。彼が丁度、私の真向かいに立った時に。「ぁ、えと………弁当も、食い終わっちゃったみたいだな」「――うん、今さっき。………どうして?」「いや、まぁ………いつも、一緒に食べてるから、用事が終わったんだったら、今日も…って」頬を掻きながら、何故かしどろもどろに告げる彼。きっと、彼は、私以外の誰かが欠けていたとしても、同じ様に行動するだろう。その度に、私の胸のサイレンは鳴るだろうと思う。――その想いは、昔の想い。――もし、今の想いであっても………叶えられる訳がない、想い。警告、サイレン、さいれん。だけど――。「――って、ご飯粒、頬に付いてるぞ?」「え………?あ、最後、急いで食べたから………」「はは、小さい頃みたいだな。――動くなよ」「ん………――ありがと」――サイレンの音が鳴る。さいれんの鼓動を感じる。彼の中にまだ、私のスペースがあるならば。叶えられない想いじゃ、ない。「お礼するから、動かないでね。――君」「お礼って、たかが、あの程度で………え?――」「――――ん」「ん――――その………………懐かしい、呼び方だな」 先生の言ったとおり………そうなったのは、少し悔しいけれど。確かに、少女から小さく歩を進めた私には、サイレン―警告の音は聞こえなかった。その代りに、別の音が鳴る。とくんとくんと、心地の良いリズムを取りながら。「――それだけ?」「それだけって………いきなりあんな事されて、他に何を返せばいいんだよ」「貴方からも」「ぼ、僕からも!?いや、でも、僕、下手だと思うし、歯とかぶつかっちゃうぞ!?」「いきなり上手くても、それはそれでショックだけど。そうじゃなくて………ね?」私は声に出さず、口だけを動かして、呟く――彼の名前を。鈍い彼は、ぱちくりと暫し瞬きを繰り返し。あたふたと口を開いたり閉じたり。そう言う所も嫌いじゃないけれど――思いながらも、私はじっと見つめ続けた。さいれんの音を感じながら。「別に、その、言い方なんて、どうでもいいけどさ、まぁ、ぇと――ともえ、ちゃん」 ――警告だった音が鳴り響く。サイレンの音が鳴る。さいれんの鼓動を感じる。――昔の想いじゃなく、今の想いを私に知らせる様に。――霧散した想いとは別の、だけど、昔から続く想い。――だから、音は鳴り続けたのだろう。何度でも、何時でも、何処でも。「ありがとう………――――ジュン君」――さいれんの音が鳴る。――とくんとくんと、心地の良いリズムで。――再び恋せよ、と私に告げる。――だから、胸に鳴り響くこの音は――再恋の音。―――――――――――――――――――――――《さいれん》 終
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