瞬きをする。どこだここ。
私はさっきまでプラットホームに。
見上げた空は、薄い雲のかかる灰色の空、さっきまであんな大雨だったのに?
服は泥まみれ、革靴の中もぐちゃぐちゃ嫌な音をしているのに。
見回す風景はどこか知らない石の町、足元はアスファルトじゃなく、所々朽ちた石畳、見知らぬ喧騒。
饐えた臭い、汚れた雑巾の臭い、腐った臭い、それから
「だいじょうぶか?」
穏やかで、心配そうな声に泣き出しそうになるのを堪えて私を見下ろす人を見上げる。
……ゴジラ?
返事の代わりに私は盛大にゲロった。
太陽と月と星がある ―if―
「つまりーここは異世界で、私が帰る方法は無いみたいで、奴隷商人が居るくらい治安も悪いと」
まだ鼻から胃液の臭いが消えず、気分がむかむかする。
目の前のターバン巻いた黒トカゲが湯気の立つコーヒーらしきものを口運んでいるので、私も紅茶らしきものをいただく。
人相の悪いウサギが入れてくれた割に、美味しいような気がする。
一週間前に切った髪は、まだまだ短いから、すぐ乾く。
部活万歳。もう引退してたけど。もう部活行けないけど。
着ていた制服もジャージも反吐と泥で汚れているので洗濯桶の中。
トカゲ…もとい自称ヘビ君が貸してくれた服はどう考えても大き過ぎるので、どうにか裾を折り畳み着ているレベル。
すうすうして、寒い。
暖房を効かせてくれているけど、石に囲まれた部屋は落ち着かない。
江戸時代以下かここ。
奴隷商人て、マジありえないでしょフツーと、この世界の住民に言っても仕方ないので心で呟く。
いうなれば、難破して外国に漂着したようなものだろうけど。
ロビンソン漂流記、いや、アレは無人島だっけ。
ジョン万次郎は、アメリカでどうやって生活してたんだろうか。
そうだ。あの頃は奴隷とかいたはずだし。
あと、人攫いとか、そういう時代だ。
調べたい所だけど歴史の教科書は、暖炉のそばで乾燥中。
大丈夫、あったかい紅茶のおかげで、ちょっと元気が出てきた。
しっかりしまったカーテンの前で不思議な踊りをしているウサギを眺め、コーヒー片手に動かないヘビに顔を向ける。
ヘビというか、トカゲ、むしろゴジラだけど。
「あの……ゴ…ヘビの人」
「ガエスタル」
「がっくん」
ウサギはヘビをがっくんと呼ぶらしい。
一瞬、イラっときたのは、お腹がすいてるせいだろうか。
考えてみれば、朝食は菓子パンとおにぎりだけだった。
幸い、食欲は無いけど。
「お前、もっとちゃんと」
ウサギに向き直りシュウシュウ言っているヘビをぼんやり眺め、空のティーカップをテーブルに置く。
角度が悪く、大きな音を立ててしまった。
こちらを見据える二人は、たぶん身長180センチはあるんじゃないだろうか。
横にも大きい。
「ごめんなさい、ガエスタルさん。それで、あの、あんまり落ちてこないっていうー私みたいな人たちって、居る事はいるんでしょう?みんなどこに行くのか知って…ますか?」
一応敬語。
物凄く珍しいにしろ、他にも人間が居ないわけじゃないようだし。
だとしたら早い所、今後の事を考えなくては。
幸い言葉は通じるし、なら仕事を見つけて働いて暮らせばいい。
掃除とか、皿洗いとか、子守とか?外見が違いすぎて、お断りされそうだな。
新聞配達とか良さそうだ。朝起きるの苦手だけど。
雇ってくれる所探さなきゃ、ハローワーク……とかあるのかな。
しかしみんな毛とか鱗か……着ぐるみ人間の中じゃ私の姿は目立ちそう。
まるで、逆動物園だ。
・・・あれ。
一瞬、違和感があった。
「あの……ガエスタルさん?」
ばちばちとゴジラの瞳が瞬きする。
今気がついたけど、怖い外見に反して意外と目が優しそうだ。
黒い瞳は、爬虫類というよりは人間ぽい。
ゲロ吐いた私にお風呂使わせてくれたし、服貸してくれたし、結構いい人なのか。
外見で人を判断したら駄目だな、これからは特に。
女の人もこういうトカゲだったりウサギだったりする外見なんだろうかと、場違いな事を考える。
外に出れば、わかることだけど。
ここへくるまでは突然の雨アラレな天気のせいで、他の人の姿がぜんぜん見えなかったのだ。
「ああ、……キヨカと呼べばいいか?」
頷く。
年上みたいだし、どうやら苗字で呼ばないのが一般的みたいだし。
「あいにくだが……どこにいるのかも知らん」
「そうですか。ジャックさんも知らないんですよね」
「ヒトの知り合いはいないねー」
なら、自分で探すしかないだろう。
私は小さくくしゃみして、ずれかけた服を手繰り寄せた。
窓の外は暗くなりかけている。
霰降るくらいだし、季節は、向こうと同じくらいなのか……。
服を洗って、乾くまで半日ぐらい?
人攫いが居るっていうし、明るい内に落ち着く先を見つけたい。
奴隷暮らしは、想像するだけでぞっとする。奴隷というからには、農場とか、鉱山とかだろうか?
農園暮らしというのも想像できないけど、鉱山はやだな。暗いのも狭いのも苦手だし。
あれ、でも珍しいなら、それはないのかな。
逆動物園だし。
・・・・・・ああ、そっか。
本当に、このヘビさんはいい人みたいだ。
「ご迷惑おかけして申し訳ないんですけど、今晩泊めてもらえませんか?明日の朝には、出ていきますから」
盗られる物は何もないけど、十分注意していかなきゃ。
まだ死にたくないし、解剖も見世物もごめんだ。
お礼できることって、なんだろう。
掃除洗濯ぐらいは、どこも共通だろうか。
明日出て行って、・・・どこへ行けばいいんだろう。
山奥とか、行けばいいのかなぁ。
返事がないので振り返ると、何故かガエスタルさんがジャックさんの首を絞めていた。
「……あの」
私の声に我に返ったのか、尻尾が離れジャックさんが床に転がる。
荒い息をつく二人。
目が合った。
どんよりとした緑の大きな瞳と、黄色く光る爬虫類の瞳。
思わず後ずさる。
二人とも、私より遥かに背が高い。頭も大きい。
まさか、肉食だったりしないだろうか。
「あの……」
目の前に迫られ、腰が引ける。
腕の太さだけでも倍以上違うし……。
「キヨカは歳いくつだ?」
「じゅ、14です。もうすぐ15ですけど……」
裸足の足先からじろじろと眇められ、今すぐ部屋を飛び出したくなる。
「お前、それにしては小さすぎではないか?声もそのままなのか?」
「まだ伸びます。多分…」
お父さんも、お母さんも、背は高いほうだったから。
「だってさほらーどいてどいてヒトにはちょっと詳しいよオレ」
ゴジラに引き続き、ウサギに有るまじき凶悪な笑顔で詰め寄られ、泣きそうになってきた。
ここで泣いたら収拾つかなくなるので、堪える。
「個人差があるからねぇ~えい☆」
「いたっ・・・」
胸揉まれた。
思わず言葉失って、ウサギの顔とヘビの顔を見つめる。
ナニコレ。
「う~ん、こういうの好きなのも居るけどねぇ、マナイタはねぇ~大丈夫、オレが育てるよ」
決壊した涙腺をどうにかしようとしゃがみ込んだ私に一瞬鱗な手が触れ、それから
「ジャック!お前ッキヨカは女装した男だといったじゃないか!」
「えーだってぇー髪の毛短いから間違えちゃった♪いいじゃん別にどうせ売る前に」
「バカ黙れ!」
しゃくり上げる拍子に涙が出るのは、生理反応だから仕方ない。
第二ラウンドが終了し、毛を毟られ蹴りだされたジャックさんがカーテンの隙間からこちらを覗き込んでいるのが不気味。
あ、雨戸降ろされた。
ガエスタルさんが横を通り、部屋の隅に座った私から一番離れた椅子に座る。
ぼそぼそと、一番最初に伏せた事を告げられた。
ヒトは高く売れるとか、用途はつまり…アレだとか。
逃げても体力的に捕まるとか。
つまるところ……やっぱり、私にはどこにもいく所がないらしい。
「私ブスだしチビだし胸無いのに」
ジャックさんの言うことを信じるなら、それでも需要がある…わけで。珍しいからっていうだけで。
まさか風俗に売られるとは思わなかったな……好きでもない人とアレとかするわけで……エンコーよりたちが悪い。
というか、もはや私の立場は人ですらないわけだけど。
また盛大に涙が出てきたので顔を伏せてべそべそする。
前方から物凄く困ている気配がしたので、袖で顔を拭いて見上げた。
「ナニ」
下心前提の善意なら、こっちだって礼儀正しくする必要も無いので敬語やめる。
「そんなに泣いて、具合が悪くならないか」
「アンタに関係ないでしょ。ああ、売るまで死なれたら困るから?これぐらいで死ぬかバカお前が死ね二枚舌男」
ヘビが立ち上がりこちらに寄って来たので、思わず服に爪を立て睨みつけた。
服に穴が開いたらどうしようとか考え、手を離す。
せっかく借りたのに、悪いことしたな、という考えがちらりと横切った。
別に、私までイヤな奴になる必要はないって、父さんなら言うだろうし。
「いい人だって、思ったのに」
涙声になっちゃった。負けてたまるかと思って必死に嗚咽を堪える。振り上げられた手が怖い。
あ、体震えてる。怖い。
誰か、助けて。
怯える私に振り上げられた大きな手は頭に載せられ、ゆっくり動いた。
「髪を触るのは、初めてなんだが、痛くないか」
「……重い」
手が退けられた。
恐る恐る上げた顔のひりつく頬に伸ばされた指は、毛がないところは人に似ていて、鱗がある分だけ人とは違う。
よくわからないまま頭なでられ、涙が止まった。
「いいか、人の話を最後までちゃんと聞け。俺はそんな事はしない。しかもお前まだ子供だろうが」
「じゃあどうするの」
反射的に返すと、ゴジラ顔がしばらく考えるように動いた。
「お前が家事をしてくれたら俺がお前を養うというのは、どうだ。お前一人ぐらい俺が一生養ってやる」
真剣だった。
ものすごく真剣な言い方で、真実味があって、誠意が篭っていた。
「なんか、プロポーズみたい」
「えっ!いや、違う違う違うぞ!誰が子供にしかもお前鱗も無いし髪が生えているじゃないか!」
必死で否定され、バカらしくなる。
挙動不審なトカゲ男の姿は、面白い。
確かに、蛇が好きな人はいても、そういう意味で好きな人が居たら変態だし。
つまりきっとお互い様だ。
「よかった。がっくんがマトモな感性の持ち主で」
緊張が解け笑うと、がっくんは瞳を見開き驚いた顔をした。
人が笑うのを見て驚くなんて、ひどいヘビだ。
ムカついてちょっと叩いてやる。
そんな事をしたので、プロポーズするまで、あと五年十ヶ月と四日かかることになった。
後日。
「キヨカ、これはどうだ?」
「えー要らない。部屋狭くなるし、高いよ?」
「そういうわけにもいかんだろう。いい加減、お前」
「だから私は・・・ごめんね。やっぱり狭いし迷惑だよね。気を使ってくれてありがと。そうだ、寝袋とかどうかな。私はそれで」
「馬鹿、そんな真似させられるか。だがな、いくらなんでも同じベッドはもう限界だ」
「だから、私は」
「そんな事させるぐらいなら俺が」
「バカップルうぜぇ」
「バカじゃない」
「カップルじゃないもん」
「がっくん・・・・・・」
「え、何?どうしたの?お腹痛いの?」