捕虜は四人いた。
だが一人として情報を吐こうとしない。
時間を掛け、ゆっくりと拷問をかけていけば、連中は洗いざらいぶちまけるのだろうが――今欲しい情報には、賞味期限がある。
なるだけ早く手に入れておきたい。悠長にしている暇はないのだ。
しかし――連中は吐かない。
恐らく、彼らも情報の賞味期限は知っているのだ。それまでは、なんとしても隠し通そうと意固地になっている。
やっかいな状況だった。
「……どうしたものか……」
年輩の尋問官が、自身のデスクで呟いている。
と、彼の部下が近づいてきた。
「失礼します」
そう言って、敬礼。その後、用件を報告した。
部下曰く、「今すぐ情報を吐かせられる人を知っている」ということだった。
尋問官は半信半疑だったが――部下の言葉を信じ、その人物を連れてくるよう命じた。
この部下は、新参であるが特に優秀であり、普段から何かと信頼を置いていた。
それに――形式上『尋問官』という役職にいるが、年輩の尋問官自身には、尋問の経験はほとんどない。人材不足から、たまたま『尋問官』という役割が回ってきただけなのだ。
だから、尋問のエキスパートが別にいるというのであれば、素直にコトを任せるべきだった。
「分かりました、連れて参ります」
部下はきびきびと一礼し、その場を後にした。
そして数分後、その男はやってきた。
気味が悪いほどの長身で、側に立つ部下が子供のように見える。黒のスーツに短くカットされた黒髪と、身なりはきちんとしているので、人格はまともなのだろうが――それでもどことなく、薄ら寒い気配を纏っていた。
実際、男は紳士じみた微笑を湛えてはいたが――その笑みは、どこか歪んでいるようにも見える。
「早速やりましょう」
男の言葉に、尋問官ははっと我に返った。
じろじろと見た無礼を詫び、男を尋問室に――いや、拷問部屋に案内した。
拷問部屋とは、四メートル四方の小部屋だった。何もなく、がらんとしている。
平時なら色々な『設備』があるのだが、今は別室に移されていた。
中に入ると、男はどこか人形めいた視線を部屋中に這わせ、
「……いいでしょう。ここに、その四人を呼んで下さい」
と言った。
尋問官は言葉の通りに、捕虜の四人を連れてくるよう命じた。
五分ほどで、全ての捕虜が壁際に並べられた。全員手錠を付けられ、体中に傷を負っていたが、それでも意志の強そうな瞳を保っている。
「……これから、どうするのです?」
尋問官が訊くと、男はおもむろに、捕虜の一人へ歩み寄った。
どこか優しげな口調で、
「情報を。拠点の兵力、作戦の概要、『レビヤタン』とは何のことですか?」
一連の質問にも、捕虜が応える気配はなかった。
男は頷き、懐から『何か』を取りだした。
何気ない動作だった。
少なくとも――とても、人を殺す動作には見えなかった。
「じゃあいいです」
パス、と気の抜ける音がした。
一拍置いて、捕虜が倒れる。床に頭蓋骨が打ち付けられる音の方が、銃声よりも大きかった。
「……なっ」
撃った。殺した。
その事実に焦る尋問官だが、男は構わず別の捕虜に向き直った。
「あなたは?」
優しげな口調なのが、かえって恐ろしかった。
その捕虜は震えながらも、
「……知らない」
「そうですか」
男はその捕虜も殺してしまった。
残りは、あと二人だ。
殺された二人と比べてると、残された二人はかなり若かった。恐らく二〇代だろう。
「……さて」
男はその二人を交互に見てから、思いついたように、
「そうだ。先に情報を吐いた方を、助けてあげましょう。早い者勝ちです」
途端、二人の表情が変わった。
驚いた面持ちで、お互いの顔を見あう。
その後、片方は尚も逡巡し、もう片方は素早く決断した。
「はい、喋りますっ」
逡巡してしまった方は、痛恨の表情を見せた。
一方、決断した方は矢継ぎ早に、拠点の状況、場所、『レビヤタン』に関する知識をぶちまけた。
尋問官は、それらを部下にメモさせた。十分すぎるデータになった。
尋問官は、やっとこの『尋問』が終わると安堵したが――そう簡単にはいかなかった。
「……これで全部だ、どうだ、満足してくれたか?」
捕虜の言葉に、男は満面の笑みを浮かべた。
ぞっとするような笑みだった。
「この嘘つきめ!」
三度目の銃声がした。
三人目の捕虜が、ゆっくりと、仰向けに倒れる。
これで、残されたのは一人となった。
男はその一人にも銃口を向けて、
「君も……嘘つきかい?」
最後の一人は悲鳴をあげた。
「本当だ! 今のは、全部本当だったぞ!」
「……そうなのかい?」
「そうだよ! だって……」
パスッ、というささやかな音がした。
四度目の銃声だ。
最後の捕虜が、がっくりと俯せに倒れる。その死体を中心に、血溜まりが広がっていく。
「……情報は、吐かせましたよ。この様子ですと、真実でしょう」
もはや言葉も出ない尋問官に、男が向き直った。
どこか愉しげに、
「分かりましたか? 今のが、尋問の基本です。まず第一に、『どうせ殺されることはない』という甘えを捨てさせること。第二に、『分かりやすい条件を持ちかけてやること』。
コツはこれだけ、簡単でしょう?」
男は笑った。
ハ虫類じみた笑顔だった。
尋問官が尚も言葉を発せずにいると、男は思いついたように、尋問官にも銃を突きつけた。
「ひっ」
尋問官の口から、裏返った声が漏れる。
男は苦笑し、銃口を天井に向けた。そのまま、何度も引き金を絞る。
しかし、弾は一発も出なかった。
男はマガジンを抜き、何回かスライドを操作して見せる。
「冗談ですよ。弾切れです、撃てやしません」
そう言われても、尋問官に安堵した様子は見られなかった。
どころか、きっと彼はこう思っているだろう。
――この男は、もし弾が残っていれば、撃っていたのではないか?
その心情を知ってか知らずか、四人を殺した男は曖昧に笑うと、さっさと部屋を出てしまった。
後には尋問官とその部下、そして四人の死体だけが残されている。
レイヴン『オメガ』。快楽殺人者。
尋問官が男の正体を知ったのは、それから数時間後だった。
*
オメガは、悪くない気分で基地の通路を歩いていた。
手には銃を撃った感触が残り、脳裏には捕虜達の死に様が焼き付いている。
そしてそれらが、オメガを笑顔にさせていた。
(たまらないな)
殺しをした後は、いつもこうだった。
津波のような征服感と、開放感。空っぽだった体に、何かが満たされていく感覚。
アップ系の麻薬をキメた時でさえ、これほどのものは味わえない。
「……これだから、この仕事はやめられない」
そう呟いたところで、後ろから声を掛けられた。
「邪魔するぞ」
高揚感に水を差す、低く、しわがれた声。
オメガは一発で誰か分かった。
(嫌な奴が来た)
そう思ったが、態度にはおくびも出さない。
親しげな笑顔を張り付け、ゆっくりと振り向いた。
「これは、烏大老。ご苦労様です」
言われても、老人は特に反応を示さなかった。
オメガより頭一つほど低い位置から、闇色の瞳が静かに見つめ返してくる。
「仕事だぞ」
大老は、簡潔に告げた。
ぞんざいな口調に、オメガの眉がほんの少し吊り上がったが――大老は気づきもしない。
「作戦名は輸送部隊撃破。サークシティから物資を強奪した勢力が、逃亡を図っている。そこを叩け。
AC二機ほどが妨害に現れる模様だ」
そこまで言って、大老は数枚の書類を差し出した。
詳細はこれを見ろ、ということだろう。
オメガは大げさに肩をすくめ、
「一仕事こなした後、また依頼か。仮眠をとる隙もない」
「断るか?」 オメガが笑みを深くした。
紳士然とした仮面から、暴虐の気配がはみ出した。
「……まさか。私を誰だと思っている」
「受けるのだな」
大老は頷くと、書類を手渡し、そのまま踵を返して立ち去った。
オメガはその背中が角に消えるのを待ってから――ふんと鼻を鳴らす。
「ロートルが」
吐き捨て、オメガは渡された依頼文に目を落とした。
作戦領域は、旧ナイアー産業区。ACが二機ほど確認されているらしいが、依頼文にも、機体名やレイヴン名は書かれていなかった。
どうやら、まだ判明していないらしい。
(……まぁ、いいか。分からなくても)
オメガはそう割り切った。
普通のレイヴンでは、まず考えられない軽薄さだが――オメガには、そうしていられるだけの根拠があった。
(なにせ……俺には、『こいつ』がある)
オメガは首筋の辺りに手をやった。
骨とは別に、ごつごつした感触がある。その辺りに、何かが埋め込まれているのだ。
「今日も頼むぞ。調子はいいんだろう?」
呟くと、答が返ってきた。
聴神経を介さず、脳に直接告げられる答は、
――イエス。
オメガは、その返答に気をよくした。
その気分のまま、ガレージへ歩き出そうとして――止まった。
信じられないといった面持ちで、胸の辺りに手を当てる。
そこには、つい先程まで殺人による充足感があったはずだが――今や、何もなかった。
開放感や征服感で満たされて心が、今やぽっかりとした空洞を晒している。
寒々とした寂寥感が、胸を蝕んでいた。
(……畜生め)
舌打ちした。
充足感の後に、この空虚感がやってくることはいつものことだが――最近、特にそのローテーションが早い。
満たされたと思っても、すぐに荒涼とした虚無がやってくる。
「燃料が必要だ」
呟き、オメガはガレージへと向かった。
まだ見ぬ敵レイヴンに、陰鬱な思いを馳せながら。
*
オメガと別れた後、大老はすぐに自室へ引き返した。
デスクに座り、受話器を取る。
特別なダイアルをプッシュし、バーテックスの本部――それも、ジャック・Oの執務室にのみ通じている、直通回線を呼び出した。
「烏大老だ」
言うと、渋い声が応じた。
聞き間違えるはずがない。ジャック・Oの声だった。
『……君か。首尾はどうだね』
「オメガは任務に出る。遠からず、例の二人と接触するだろう」
『ふむ……彼は、今回の敵にケルベロス・ガルムがいることは?』
「知らないだろうな」 大老は断言した。
「彼らは、どうやら旧知の仲のようだが……それだけだ。今もパイプを持っているとは考えにくい。
ガルムの方は分からないが……少なくとも、オメガがガルムの動向を把握しているということはないだろう。
無論、依頼文にも書いていない」
これは、契約に反することだった。
バーテックスは、専属レイヴンに全ての情報を開示することを、事前に約束している。
だが、大老に悪びれた様子は少しもなかった。
恐らく、ジャックにしてもそうだろう。
彼らはバーテックスの本当の目的を知る、数少ない人員なのだった。
『そうか……ご苦労だったな』
ジャックは、ひとまず大老を労った《ねぎらった》。
そうしてから、ふと純粋な興味を滲ませる。
『ところで、君の目から見て、オメガはどうだね』
大老はすぐさま応じた。
この状況で訊かれることは、一つしかない。
「期待はしていない。オメガがドミナントとは思えない」
ジャックからの返答はなかった。
理由を述べる時間を与えられた、と判断し、大老は率直に告げた。
「快楽殺人者――そんなものが、のうのうとしていられるほど、戦場は優しくない。
そんな連中は、本質的には弱者だ。ノミの心臓に、本物の力は宿らない」
大老の口調は、きっぱりとしていた。
それは四〇年に渡るレイヴン経歴で、大老が掴んだ実感なのだろう。
ジャックは試すように言った。
『彼には、あの装置がある。延髄と脊髄の合間に埋め込まれた、演算機だ。君も知っているだろう?』
ジャックの言葉に、大老は目を細め、全方向に注意を向けた。
少しの間耳を澄ませて、部屋は本当に大老一人か、外で聞き耳を立てている者がいないか、確かめる。
そうしてから、ようやく会話に戻った。
「……『未来の予測』、か。実際は、どの程度の代物なのだろうな」
『それは、分からんね。だからこそ、オメガを闘わせ、その映像を実際に見てみる必要がある。
オメガの動きを見てみれば、その「未来を予測する装置」――いや、いっそ「予知能力」としようか――「予知能力」がどの程度の代物か分かるだろう』
そして、その予知能力が本当に正確であるのなら――オメガは、とてつもない実力者ということになる。
戦闘において、未来の情報にはそれだけの価値があるのだ。
しかし、
「期待はできんな」
大老は、尚も否定的だった。
レイヴン歴の長い彼にとっては、信じがたい話なのだろう。
そんな副官の様子に、ジャックは苦笑混じりに切り出した。
『……そういうがな、烏大老。そもそも君は、快楽殺人者が戦場に存在できると思うかね?』
「なんだと?」 思わぬ質問に、大老は聞き返した。
ジャックは構わず、
『普通は、無理なのだよ。戦場では、自分の命が掛かってる。
そんな極限状態の中で、のんびりと殺人を愉しむのは――相当な精神的余裕がないといけない』
「……『予知能力』が、オメガにそれだけの余裕を与えていると?」
頷く気配があった。
ジャックは、深い知性と洞察を感じさせる口調で、
『可能性はあるだろう。「予知能力」は、大きなアドバンテージだ。命綱といっていい。
「いざとなれば、この予知能力がある」……その思いが、オメガに殺人を愉しむほどの、享楽殺人者たりうるほどの余裕を与えているのかも知れない。
とすれば……奴の「予知能力」は、それほどまでの信頼性がある、ということだ』
電話の向こうで、パラパラと紙をめくる音がした。
会話しつつも、ジャックは何らかの資料を参照しているらしい。
『……何より……奴のミッション達成率は未だに100%だ。実力派レイヴンと相対した経験は……皆無だが――それでも、「予測能力」が一定の能力を持っていることは確かだろう。
でなければ、これほどの成績は出ない。エヴァンジェでさえ、不可能だった』
大老は、ジャックの――総帥の言葉に、長く息を吐き出した。
ジャックの深い『読み』は、人生経験の長い大老をして、感服せしめるものだったのだ。
大老よりもずっと若く、経験もない人間が聞けば、たまらず敬服していただろう。
『可能性は、あるだろう?』
言われ、大老はゆっくりと口を開いた。
「なるほどな。しかし、それも……」
大老は、それ以上言おうとしなかった。
いずれにせよ、これ以上の考察は、結果を待たなくてはいけない。
ジャックもそれを察したのか、早々に会話を締めくくった。
『……そうだな。 いずれにせよ、今回でお手並み拝見だ。
願わくば、輸送車もAC二機も全破壊する、ぐらいして欲しいものだがね』
大老は、それがどれだけ困難な目標か知っていた。
知りながらも、「そうだな」と応じ、受話器を置いた。
*
ナインボール。
かつて、そう呼ばれた無人ACがいた。
そして、とんでもなく古い遺跡から、そのナインボールという機体が発見された。
保存状態は、極めて良好だった。燃料を注入し、幾つかのパーツを交換すれば、すぐにでも動く状態だったという。
旧世代に傾倒する企業達にとって、これはまさしく宝箱だった。
中には金銀財宝の代わりに、魅力的なテクノロジーが沢山詰まっている。
無論、発見者であるキサラギも、すぐさまそのナインボールの技術を解析した。
完遂には十年もかかった。
だが技術のキサラギは、最終的にナインボールのAI、その一部分をコピーするところにまで行きついた。
そして、そのコピーした部分こそが――『未来の予測』に関するところだった。
ナインボールの無敵さは、どうも『先読み能力』が優れていたことに、起因しているらしい。
この能力が優れていれば、相手の動きが予測できる。常に、相手の裏をかける。
特に、ナインボールの先読み力は尋常でなく――あるデータによれば、ほとんど予知に近いレベルだったという。
裏をかえせば、それぐらいでなければ、レイヴンを相手に無敵伝説など作れない、ということだろう。
オメガは強化人間手術の際、そのナインボールの『先読み能力』を、首筋に埋め込まれた。
首筋から延髄の辺りに、ナインボールの強さを支えたAI、その一部分が実装されているのである。
これは、何よりも心強いことだった。
自分に太古の最強ACが宿り、常に的確な指示をくれるのだ。
だから――
(たまらないな)
愛機に乗り込み、目的地へと向かう今も、オメガの表情に緊張は見られなかった。
ばかりか、戦場に行く者としての、最低限の『気負い』すら見受けられない。
彼の顔に浮かんでいるのは、無力な獲物を前にしたときの、陰湿な笑いだけだった。
(……まず、どうしようか。何が出てくるのかにもよるが……)
殺す算段をしながら、オメガはスティックを左に捌いた。
重量逆関節に、これでもかと実弾武装を施したAC――クラウンクラウンが、街路を左に曲がる。
その次の角は、右へ。その次も、右へ。四度目の角は、左へ。
灰色のビルが立ち並ぶ、迷路のような空間だったが、オメガのスティック操作に迷いはなかった。
周辺地図は、脳に直接叩き込まれている。強化人間の特権だった。
「あと、少しか……」
オメガは上唇を舐めた。
脳内の地図によれば、目的地も近いのだ。少々早い到着になるだろうが――そこでようやく、殺しが始められる。
オメガは唇を歪め、ポツリと呟いた。
「……楽しみだなぁ」
快楽殺人者――オメガにとって、戦闘は一方的な『殺し』だった。当然だ。予知能力がある限り、オメガは圧倒的に有利なのだから。
そして、彼にとっての『殺し』とは、いわば『酒』なのだった。
殺しの快感が、自分を酔わせてくれる。
常に感じる空虚感を、寂寥感を、上手に誤魔化してくれるのだ。
だが一度酔いが醒めてしまえば、再び薄ら寒い虚無と向き合わなければならない、という欠点もあった。
それが嫌だった。どうしても。
幼い頃よりじっくりと育んできた、心の空洞。胸に広がる、荒涼とした虚無感。
自分には何もない。
その思いを直視していると、焦燥感が身を焼き尽くそうとする。
そこから逃れるためには――もう一度酔うしかない。
それが、オメガがずっと繰り返し、蓄積していった、虚無と共存するノウハウだった。
「……行くか」
呟き、ブーストペダルをさらに強く踏み込んだ。
クラウンクラウンが、眼前のトンネルへ向けて加速していく。
それを抜けた先にあるのが――目的地、旧ナイアー産業区のはずだった。
*
オメガは旧ナイアー産業区へとやってきた。
長いトンネルを走り抜け、並木のように立ち並ぶビル、その谷間に愛機を静止させる。
「到着した」
基地に連絡すると、すぐに答が返ってきた。
『了解した、オメガ。さすがに早いな』
その言葉に、オメガは口元を歪めた。
操縦服を着込み、ACに乗り込んでから、目的地到達まで僅かに十分。距離を考えれば最速に近いタイムだった。
オメガは満足げに鼻を鳴らし、しかし言葉にはそんな気配は微塵も出さず、
「……なに。私には造作もないことだ」
『どうも、そうらしいな。大したものだ』
「……それより」 オメガはレーダーに目をやった。
「敵は? 周辺には、何の反応もないぞ」
『本当か?』
怪訝そうなオペレーターに、オメガは請け負った。
「本当だとも」
クラウンクラウンのレーダーには、自機以外何も表示されていなかった。
オメガが早く来すぎた、ということを差し引いても――周辺二キロをカバーする、広範囲レーダーにまで何も映らないというのは、あまりにも奇妙だ。
バーテックスが、作戦領域の設定を間違えた可能性さえある。
オペレーターは不思議そうに、
『……分かった。すぐ周辺を調べて……』
「早くしてくれ。私は待つのが嫌いなんだ。このままいつまでも何も来なければ、腹いせに、周りのビルでも破壊してしまうかも知れない」
オペレーターが驚くのが気配で分かった。オメガなら本当にやりかねない、と彼は知っているのだろう。
オメガは意地の悪い笑みを浮かべる。
「いやだな。冗談だよ、冗談」
『じょ、冗談……?』
「そうだ。もっとも、待つのが嫌いなのは本当だがね」
言うと、オペレーターが慌てて応じた。
『わ、分かった。すぐやる。待たせたりしない』
その言葉の通り、オペレーターは十秒ほどで周辺の解析を終えた。
正面のメインモニターに、解析結果が転送されてくる。
オメガはそれを眺めて――
(なんだ、これは)
眉をひそめた。
今回のミッションは、旧ナイアー産業区を通過する、敵輸送部隊を撃破しよう、というものだ。
オメガはその輸送部隊を待ち伏せするため、早めに目的地へやってきたのだが――どういうわけか、輸送部隊の進行が遅いのである。
すでにオメガは旧ナイアー産業区に到着しているというのに、その輸送部隊はまだアレーヌ居住区――ここより数キロも離れた地点をうろうろしていた。
オメガが早く来すぎた、ということを差し引いても、尋常でないスローペースだ。
距離が離れすぎているので、レーダーに映らなかったのも頷ける。
バーテックスは、本拠地から追撃部隊を派遣したらしいが――このままでは、オメガの所へ辿り着く前に、その追撃部隊に捕まってしまうかも知れない。
『こいつはひどい』
思うところは、オペレーターも同じのようだった。
呆れた調子で、
『何考えてるんだ。この輸送部隊のアタマは、相当なボンクラだ』
だがその直後、オペレーターの口調が一変した。
コクピット内に、警報が鳴り響く。
『輸送部隊から、反応が二つ分離! ACだ! 二機のACが、そっちに向かってる!』
どうやら、敵は待ち伏せに気づいたらしい。
戦力を先行させて、罠を破っておこうと考えたのだろう。
(だがそれにしても、AC二機とは……)
予想外の戦力に、オメガは正直驚いていた。
だが、それだけだった。
彼の表情には恐れも、気負いさえもない。
目は冷酷に細められ、反面口元には愉しげな笑みが刻まれている。
『戦闘』ではなく、一方的な『虐殺』を愉しむ者の表情だ。
(そうとも。そもそも『これ』があれば、負けることなど……)
首筋を撫で、上唇を軽く舐める。
スティックを握り直す。
両脚がうずうずと揺れ始めた。
『一機が速い! 二機目に先行して、そちらに到達する! 距離、後300!』
満を侍して、オメガはシステムクラッチを踏みつけた。
『メインシステム 戦闘モード 起動します』
メインカメラに空色の灯が点る。
と同時に、突き当たりのトンネルから何かが飛び出してきた。
それは勢いそのままに、こちらへ突っ込んでくる。
強化人間の動体視力が、その正体をはっきりと捉えた。
ほっそりしたフレーム。そんな中で目だつ、鋭角的に迫り出したコア。左手にはショットガンを持ち、右腕には――射突型ブレードを備えている。
(METIS――ムームか……!)
一瞬で看破し、オメガはトリガーを絞った。
METISはマシンガンの集中豪雨に晒され、あっけなく前進を中断、慌てて――それでも妙にぎこちない動きで――ビルの陰に隠れていった。
「ひどい動きだ」
笑い、オメガはクラウンクラウンを跳躍させた。
逆関節のジャンプ力にものを言わせ、一つのビルを飛び越える。
そして飛び越えた先は――丁度METISの頭上だった。
すぐさまサイトを下に向け、軽量ACをロック。グレネードを容赦なく打ち下ろした。
クリーンヒットし、気持ちがいいほどの爆発が敵の頭部を吹き飛ばす。
『しまったっ』
敵レイヴンの悲鳴に、オメガは嗜虐心が満たされるのを感じた。
知らず、口元が緩む。
「いいね」
言いつつ、機体を着地させた。METISの正面である。
本当は、もっと長い間頭上という死角を占有できたのだが――それでは、あまりにも『狩り』がつまらない。
METISはその慢心を見逃さず、すぐさま突っ込んできた。
大威力の射突ブレードを、限界まで振りかぶっている。
『ち、近すぎる! 何をやってる!』
オペレーターが悲鳴を上げた。甲高い警告音が鳴る。
だがオメガは慌てず騒がず、突っ込んでくるMETISをただ見続けた。いや――観察した。
と、脳裏で何かが弾けた。
首筋に埋め込まれたチップが、脅威的な速度で演算を開始する。
相手の速度。距離。進行方向。果ては気温や湿度まで。
そういったありとあらゆるデータを加味して、ナインボールのAIチップはMETISの動きを予測した。
オメガはその予測に従い、機体がほんの少し左へ動かした。
そしてそれだけの動きで、射突ブレードは回避される。
鋼鉄の杭は、クラウンクラウンの脇の下をすり抜けてしまっていた。
『何だと……』
METISのパイロット――ムームが、呆然と呟いた。
今の攻撃が最後の切り札だったのだろう。
だが――その自信をへし折った。己の力で。
オメガは満足げに笑う。 ――まったく、たまらない。
今の能力こそ、オメガの真骨頂だった。
脳に埋め込まれたチップにより、相手の動きを予測できる。しかも的中率は高い。予知能力のようなものだった。
(……他のプラス《強化人間》の連中が、これを付けないのが不思議なくらいだ)
優越感に浸りつつ、右腕のガトリングをMETISに突きつけた。
さすがに、もう遊ぶつもりはなかった。敵ACはもう一機いるのだ。いつまでもMETISを生かしておけば、二対一になってまう。
(名残惜しいが……)
トリガーの指に力を込めた。
だが――そこで止まった。
トリガーが引けない。意に反して、人差し指が動かない。
ばかりか――体そのものが、痺れたように動かない。
歪んだ笑みのまま硬直するオメガに、ムームから声が来た。
『まだだ……!』
はらわたが煮えくり返るような怒りを、無理矢理一言へ圧縮する。
そんな声だった。 知らず、喉がごくりと鳴る。
『死ね……』
眼前のMETISが、射突ブレードを振りかぶった。
隙だらけの挙動。とろすぎる予備動作。
普段のオメガなら簡単に回避し、カウンターを見舞うことが可能だった。
だが、今は違った。
信じがたい事に、足が竦んでいたのだ。
「う、うわぁっ」
裏返った悲鳴をあげ、オメガは機体を後ろにダッシュさせた。
直後、METISが射突ブレードを繰り出した。
鋼鉄製の杭が、コアの数センチ先まで伸びてきて――ギリギリで止まった。
あと少し反応が鈍ければ、コクピットを剔られていただろう。
(た、助かった……)
安堵しつつ、バックダッシュで間合いを取った。
そうして安全圏に脱してから――ようやく、まともな思考がスタートする。
(……待て)
オメガの顔から、すっと一切の表情が消え失せた。
自分は何をやった。
逃げた? この程度の相手を怖れた、だと?
このオメガが、気圧され、尻尾を巻いて逃げだしたというのか。
「……なんだとくそっ」
屈辱だった。かつてない失態だ。
恐怖の反動で、ぐつぐつと怒りが沸き上がる。
顔が悪鬼のように歪む。
だがそんな怒りの奔流の中――奥底に、妙な感情が芽生えた。
微かな羨望、劣等感、そして嫉妬だ。
オメガはわけが分からなくなった。
この自分が、METISのどこにそんな感情を抱くというのか。
苛立ちで胸が爆発しそうになった。
(くそっ)
全ての疑問を振り切るように、オメガはブーストペダルを踏みつけた。
全速力でMETISに殺到する。
これ以上、このACを生かしておきたくなかった。
「ふざけやがって!」
オメガは肩のチェインガンから、景気よく弾をばらまいた。
METISは慌てて回避行動に入るが、そんなもので避けきれるはずもない。
METISの軽量装甲に、次々と弾丸が突き刺さっていく。
(……生意気な真似をしやがって……!)
と、METISが動きを止めた。
被弾反動で動けなくなったのだ。バランサーである頭部を失った状態で、チェインガンを貰い続ければ――いつかはこうなる。
オメガはそのチャンスを見逃さなかった。
クラウンクラウンが、左グレネードをMETISへと向ける。
「死ね」
トリガーを、引いた。
砲口からグレネードが吐き出され、一直線にMETISへと迫る。
だがその進路上に、突如として巨大な影が現れた。
その巨体は、METISの代わりにグレネードを受け止める。
閃光、そして轟音。
一撃でMETISの頭部を吹き飛ばした爆発が、現れた巨体を直撃した。
オメガは撃破を確信したが――すぐに、唖然とした。
一つ目の理由は、もうもうと立ちこめる黒煙、その中から進み出てくる巨体――いや、ACにダメージを受けた様子がなかったことだ。
コア表面に焦げ目が着いている程度で、腕部、脚部、頭部、コア、どこも損傷した様子はない。恐ろしく固い機体だった。
そして二つ目の理由は――そのACが『ニフルヘイム』という名前であり、知り合いの愛機であるからだった。
「……ガルムか?」 オメガは確認するように呟いた。
だが、誤認のはずもない。
重量二脚に、でっぷりしたコア、角張った腕部、平べったい頭部。それらが紫一色に染め上げられている。
これほど特徴ある機体を、見間違えるはずもなかった。
『ああ。そっちは、クラウンクラウン……なるほど、オメガか』
案の定、あっけなく肯定が返ってきた。
オメガは心底驚いて、
「……ガルム。見ないと思ったら、そんなちっぽけな勢力にいたのか」
『ちっぽけとは、心外だな』
「ちっぽけさ。どうしてそんな場所にいやがる。ジャック・Oはお前を捜してたぞ」
一連の言葉に、ガルムが笑った。
『こっちの勝手だ。ついうっかり、いい女を見つけてしまった』
誇らしげな口調だった。
実のところ、オメガも大体の所は察していた。
ムームとガルムが、一緒に現れたこと。あのケルベロス・ガルムがムームを庇ったこと。何より、事前情報もその可能性を示唆していた。
だが心のどこかで、認めたくなかったのだ。
「……惚れでもしたのか」
諦めたような口調で言うと、ガルムは認めた。
『そうだ。だからバーテックスの誘いは、断らせてもらった』
その口調には、数年前の荒々しさなど欠片もなかった。
心の拠り所を見つけ、そこに尽くすことを誇りとしている者の口調だった。
そこには、かつての面影など少しもない。
数年前、似たもの同士でタッグを組んでいたのだが――その時は、オメガと同じような空気を纏っていたはずだ。
だが今は、彼の言動にまとわりついていた、倦怠感、苛立ち、そして虚無感は綺麗に一掃されている。
かつてのガルムが、有り余るエネルギーを持て余すチンピラだとすれば――今のガルムは、そのエネルギーを残らず『ムームを守ること』につぎ込んだ、素晴らしく立派な騎士だった。
「……そうか」
ざわり、と心が波立つのを感じた。
先程ムームに感じた、羨望、劣等感、嫉妬が、より強い形で再来した。
三年の間に、この男はここまで変わった。それほどのものを手に入れたらしい。
それに引き替え――自分は。
オメガはその先の思考を、死に物狂いで千切って捨てた。
貯め込まれた劣等感は、そのまま怒りと憎しみに雪崩れ込んだ。
「今は敵同士だ。殺す」
殺せば、全てチャラにできる。
そう念じ、オメガはブーストペダルを踏みつけた。
『お互いレイヴンだ。容赦はしないぞ』
ニフルヘイムも両手の武器を構え、迎撃の体勢をとる。
だが、クラウンクラウンは空中に飛び上がり、ニフルヘイムを飛び越えてしまった。
面食らったような声が、ニフルヘイムから漏れてくる。
だがすぐに、危機的な悲鳴に変わった。
『まさか……!』
ガルムの声を笑いつつ、オメガは機体を着地させた。
ニフルヘイムの遙か後方、METISの背面である。
驚き、硬直するMETIS、その背中にクラウンクラウンは右腕のガトリングを突きつけた。
「お前からだ」
途端、ガルムが叫びをあげた。
ニフルヘイムがOBで突っ込んでくる。
現在の位置関係では、ニフルヘイムはクラウンクラウンを攻撃できないのだ。なにせ、二機の間にはMETISがいる。クラウンクラウンを撃てば、丁度METISに当たってしまうのだ。
(予想通りだ)
オメガはほくそ笑んだ。
首筋の予知機能――『チップ』が予想した通りの成り行きだったのだ。
オメガはすでにロックしてあった背部のミサイルを、連動ミサイルと絡めてニフルヘイムに撃ち放った。
連動ミサイルも、背部のミサイルも、上手い具合にMETISを左右から迂回した。そういう機動のミサイルなのだ。
驚いたのはガルムだ。
METISの裏側から、突如大量のミサイルが飛来したのだ。
そして、OBの機動はあまりにも単調で、ミサイル回避は不可能だ。
結果、ニフルヘイムに全てのミサイルが直撃した。
熱暴走したに決まっていた。
今が絶好のチャンスだった。
『ガルム!』
ムームの叫びをあざ笑うかのように、オメガは機体を跳躍させた。
空中でEOを起動、チェインガンとグレネードを構える。そのまま、紫の巨体に銃弾の雨を降らせた。
さすがに重装甲であり、すぐには死なない。
だが、明らかに効いている。
十秒ほどで、ニフルヘイムの脚部とコアから、黒煙が吹き出した。
(もう一押しだ)
思ったところで、ぞっとするような声がきた。
『やめろっ』 決して大きな声ではなかった。
だが、ずしりと胸を圧迫する気配があった。
声の主は――またもムームだ。
オメガの中で、何かが激しく軋みを上げた。
「また貴様か!」 オメガは標的をMETISに移した。
空中で方向転換、METISに向き直ると、新たにミサイルを構えた。高威力のミサイルを、空中から降らす予定だった。
だがミサイルがロックを開始した時、オペレーターから声が来る。
『オメガ! ACは放っておけ!』
信じられない指示だった。
無視しようと思った。
しかし、次の言葉がオメガを引き留めた。
『作戦失敗になる! 輸送車を破壊するんだ!』
オメガは慌てて、遠方の交差点に目をやり――愕然とした。
十字路を、小型のトラックが駆け抜けていく。それも、次々と。かなりの速度だ。
(あの一台一台が、輸送車だと……?)
だとしたら、今行かないと間に合わない。
オメガは機体を地上に戻し、ブーストペダルを踏みつけた。
クラウンクラウンが、輸送車を地上ブーストで追いかける。
「……輸送車はトレーラーじゃなかったのか? 話が違うぞ!」
言うと、オペレーターが悔しそうに応じた。
『恐らく、トレーラーの中に、小型の車両を隠していたんだ。今高速で走っているのが、その小さい方の車両だ。トレーラーは、恐らく途中で乗り捨てたんだろう』
「何でそんな真似を!」
『恐らく……完全に逃げ切るためだ。小型車両は、足が速くて小回りが利く。幅の狭い裏路地も走破できる。逃げるには、こちらが有利だ。
後……どうも、乗り捨てられたトレーラーが、バーテックスが派遣した追撃部隊の……その、進路を塞いでいるらしい』
オメガは思わず声をあげた。
「何だとっ?」
『つまり、そういうことだ。追撃部隊は、まんまと無力化された。もはや輸送部隊を止められるのは、位置の近いお前だけだ。
そして、そのクラウンクラウンをAC二機で妨害する……考えたもんだ、くそっ!』
悔しいのはオメガも同じだった。
一杯食わされたのだ。
思えば、輸送部隊の動きがのろかったのも、トレーラーに小型車を積んでいたからだろう。過積載だったのだ。
こればかりは、『チップ』でも予想できなかった。
(こうなれば……意地でも追いつく!)
決意した直後、コクピットを衝撃が突き抜けた。
後ろからだ。
ブースターが不調を訴え、速度がみるみる落ちていく。
猛烈に悪い予感を感じ、クラウンクラウンは後ろを振り返った。
そして案の定――そこには、METISが迫っていた。
しかも、右腕の射突ブレードを大きく振りかぶっている。
『もう一発……!』
再び、鋭い衝撃。
ブースターを傷つけたらしく、速度がさらに落ち込んだ。
機体温度が上昇し、熱暴走まで始まる。
(いつの間に……!) オメガは歯を食いしばった。
甘く見ていた。
METISの搭乗者は雑魚だが、その機動力は本物なのだ。
かつ、視界の届かない範囲は――特に背部には、『チップ』の予測が及ばない、という欠点がもろに出てしまった。
オメガは意味不明の悪態をつきながら、速度を調整、METISの背後に回り込んだ。
そこから、ガトリングをぴたりと構える。
狙うのは、METISの脇腹――ジェネレーター部位だ。
『ムーム! だめだ!』
ガルムの悲鳴に、一変、苛立ちがすっと消えていくのを感じた。
――ざまあみろ。 口元を歪め、トリガーを絞る。
ガトリングの砲身から、無数の弾が吐き出され、残らずMETISに突き刺さった。
高速移動していたMETISは、火花をまき散らしながら転倒した。
死んだ。
その確信と共に、オメガはその死骸を飛び越え、輸送部隊を追おうとした。
今なら、まだ間に合うのだ。
だがその背中に、今度はニフルヘイムが強烈なタックルを見舞った。
クラウンクラウンはバランスを崩し、そのまま近くのビルに突っ込んだ。
「邪魔するな――!」
叫びが、口をついて出た。
オメガはさらに悪態を吐こうとして――やめた。
というより、言葉を失った、という方が正しい。
体勢を立て直したクラウンクラウン、その前に立ちはだかるニフルヘイムは――ボロボロだった。
右腕は千切れ、頭部は吹き飛んでいる。体の各部から絶えず黒煙が噴き上がり、満載していた武装も、左腕のハンドガンだけになっていた。
『ここは通さん……!』
ニフルヘイムが、半壊したハンドガンを突きつけてくる。
それは、あまりにも無様な姿だった。そもそもハンドガン一丁で何ができるというのか。
しかも、首筋の『チップ』は、そのハンドガンも発砲できる状態でないことを告げていた。
だがオメガは、その姿に――気圧された。
ごくりと喉を鳴り、体が痺れる。
まるでムームの気迫が、ガルムに乗り移ったかのようだ。
「……何なんだ……」
オメガの顔が歪んだ。
理不尽な仕打ちに涙ぐむ子供、そんな表情だった。
「何だっていうんだ、くそっ」
悪態に応じるように、今度はMETISが身を起こした。
こちらも、ボロボロだった。というより、まだ息があったこと自体が奇跡だった。オメガはパイロットの即死さえ確信していたのだ。
事実、機体状況はニフルヘイムよりひどい。
ジェネレーター部位が、高温で溶解を始めている。バランサーが壊れたのか、右脚が激しく痙攣し、少し押すだけで倒れてしまいそうだ。
だがそれでも、METISは立っていた。
立って、オメガにショットガンを向けてきた。
『行かせない。組織の命綱なんだよ、輸送部隊の連中は』
その言葉が、ハンマーのように叩きつけられた。
胃がむかむかした。
あらゆる感情がごたまぜになり、胸の中で激しくうねった。
(……なんだ、お前らは……!)
そんなに輸送部隊が大事か。
何で、そこまで闘える。戦闘など、もう不可能なくせに。
何で、わざわざ俺の前に立ってくるんだ。諦めて寝ていればいいものを。
『……ガル』
ふと、ムームが口を開いた。
ガルムはそれだけで何かを察したらしく、
『いい。気にするな』
『……しかし』
『俺は満足してる。悪くない人生だったぞ』
ガルムの口調には、笑いが滲んでいた。
彼は本当に満足しているのだ。
途端、オメガの中で何かが爆ぜた。
ありとあらゆるストレスが、そのはけ口を見つけて動き出した。
チェインガンを選択、ニフルヘイムに照準する。
そのまま、何も考えずにトリガーを絞った。
高威力の銃弾が、ニフルヘイムの上半身をズタズタに引き裂いた。
紫の巨体が、炎上し、仰向けに倒れる。
『ガル……!』
ムームの悲鳴に、オメガはサディスティックな喜びを覚えた。
だが――足りない。
感じていた苛立ちも、焦りも、消える気配はなかった。
どころか、苦い敗北感に変わりつつある。
オメガは、今度はMETISに砲口を向けた。
「残念だったな」
死に物狂いで、嫌みな口調を捻り出した。
「お前は死ぬ。そうだ、輸送部隊が物資を届けても、武装勢力のボスが死ぬわけだ。よく考えれば、それで終わりじゃないか、お前の組織は!」
だがムームは、怯まなかった。
小さな声で、だがしっかりと、こう言い返す。
『……終わりじゃないよ』
すでに後継者が決まっているのかも知れない。あるいは、彼女は本当のリーダーではないのかもしれない。
いずれにせよ、それはオメガが願っていたものとは、正反対の文句だった。
やはりな、と思う一方、苛立ちは消えなかった。
オメガはトリガーを絞り、METISに無数の銃弾を撃ち込んだ。
装甲の薄いMETISは、上半身を引き裂かれ、倒れる。
今度こそ本当に息絶えたはずだった。
しかし――苛立ちも焦燥も、残ったままだ。
「くそっ」
オメガは内壁を殴りつけた。
成功率60%を超えていた、輸送車を撃破するという任務に、失敗したこと。
見くびっていた二人のレイヴンに、一杯食わされたこと。
そして、最初からガルムやムームに感じていた、正体不明の羨望や、劣等感や、苛立ち。
それらが複雑に入り乱れていた。
ひどく、もやもやとした気持ちだ。戦場でなければ、叫び出していたかも知れない。
『……レイヴン、輸送部隊の反応が消えた。逃げられた。
……まぁ、厄日だな』
オペレーターが、オメガを労うように《ねぎらうように》言った。
『気にするな、仕方がなかった。トレーラーの仕掛けに気がつかなかったのは、こちら側のミスだ。だから……』
「だから、何だ」
オメガの口から、不気味なほど平坦な声が漏れた。
『いや、だから……』
オメガはオペレーターを無視し、スティックを握り直した。
右腕のガトリングを、倒れたMETISへと向ける。
『……どうした、レイヴン?』
「黙れ」
言って、ガトリングをぶっ放した。
もはや動かないMETISに、高威力の銃弾が降り注ぐ。
細身のフレームの上で、着弾の火花がダンスを踊る。
無抵抗のMETISは、すぐさまくず鉄の山になってしまった。
『レイヴン! どうした!』
「うるせぇ!」
オメガは発砲を止めなかった。
まるでそうすることで、失ったプライドが、精神の土台が、返ってくると信じているかのように。
しかし――オメガの意に反して、死体にむち打つクラウンクラウンの姿は、無様だった。
まるで、手当たり次第に噛みつく、怯えきった子犬のようだ。
――畜生!
オメガは唇を噛みしめた。
*
オメガは、これ以上ないほど惨めな思いで帰還した。
ガルムとムーム、両名の賞金が払われ、大幅な黒字となった。作戦の失敗も、情報ミスということでオメガの責任は不問となった。むしろ、レイヴン二名を返り討ちにした、オメガの手腕は評価された。
この結果から見れば、今回の出撃は成功の部類に入るだろう。
金も入り、組織内での株も上昇した。文句の付け所など一つもない。
しかしその一方で――オメガが、何か大事なものを喪ったのも確かだった。
現に、今まで彼が安住していた土台は、丸ごと消え失せていた。
他の者共に抱いていた、心地よい優越感が感じられなくなっている。ばかりか、劣等感がじわじわと心を蝕んでいた。
何より深刻なのが――虚無だ。
今までにない強さで、荒涼とした虚無が胸中に吹きすさんでいる。
自分には、何もない。ガルムは、命を落とすに値するものを、いつの間にか手に入れていたにも関わらず。
何も持たないまま、ここまで来てしまった。
そう思う自分に嫌気が差し、オメガは唇を噛みしめた。
「……何だってんだ」
小さく吐き捨てると、近くの下士官がびくりと体を揺らした。
どうやら、聞こえていたらしい。
だがオメガはそれにさえ気づかず、ぶつぶつと呟きながら、基地の通路を進んでいく。
「帰ってきたのか」
そのまましばらく進んでいると、不意に、後ろから声を掛けられた。
しわがれた声で、やはり一発で分かった。
「あんたか、烏大老」
振り向くこともせず応じる。
大老は特に気を害した様子もなく、こう訊いてきた。
「苦戦したようだな」 オメガの眉が跳ね上がった。
平静の声を出すのに苦労した。
「……少しな」
「依頼も失敗したようだな。生涯初めての失敗は、この24時間でついたか」
「……何が言いたい」
言葉に若干の険がこもるのを、止められなかった。
だが大老は、それにも動じずこう言ってのけた。
「総帥は、お前の能力を疑問視している」
顔が強ばった。
「……なんだと?」
「言葉の通りだ。総帥は、お前の能力を見限りつつある。
組織の建前としては、お前の責任は全て不問となっている。
だが、それは総帥本人の思惑とは違う。
今回の『失敗』で、総帥はお前の評価を大きく下げた」
途端、オメガが爆発した。
振り向き、大老に食ってかかる。まるで全存在を否定されたかのような激高ぶりだった。
「ふざけるなっ!」
その言葉が廊下中に響きわたった。
通行人の視線が集中するが、オメガは気づきもしない。
大老の胸ぐらを掴み、
「俺が、なんだと!」
「落ち着け」
「あんな野郎に何が分かるってんだ!」
今やオメガは、かつての紳士然とした仮面を、完全に捨て去っていた。
大老に驚きが見られないのは――きっと、彼の眼力はオメガの本性を見抜いていたからだろう。
「……いいから、落ち着け、オメガ。お前にいい話がある」
そう言い、大老は依頼書をオメガに突きつけた。
上辺のミッション名の欄には、『保管区制圧阻止』と書かれていた。
*
大老の言い分はこうだ。
ジャック・Oは、先の『輸送部隊撃破』の任務において、『完遂』を求めていた。
METISとニフルヘイムを撃破し、かつ、高速で逃げる輸送部隊を残らず撃滅する――こういった結果を求めていたというのだ。
無茶、とは言えなかった。
ACにはそれだけのポテンシャルがある。それを引き出せなかったからこそ、オメガのプライドはああまで傷ついたのだ。
そしてジャックは、オメガがそのポテンシャルを引き出せなかったことに、深い失望を覚えている。
しかし、まだチャンスはゼロではない。
本日18時頃に、ジャックが認めるレイヴンが、『資材保管区』へやってくる。
アライアンスより、その施設の奪還命令を受けているのだ。
そしてそのレイヴンを撃破すれば、ジャックは評価を改めるだろう。
弱者の扱いを受けずに済むのである。
『もっとも……』
頭の中に、大老の声が蘇った。
『楽な仕事ではない。奴は強い。本当に強い。
ドミナントの噂さえ流れている。それでも、やるか?』
大老の問に、オメガは迷わず応と答えた。
そして契約書にサインし、パイロットスーツを着込み、愛機に乗り込んで、ここ――資材保管区へとやってきたのだ。
しかし――
(……いくら何でも、狭いな)
オメガはコクピットから周辺を見渡し、眉をひそめた。
彼がいるターミナルエリアは、資材保管区の中で最も広いエリアだ。だが、それでも手狭である感じは否めない。
床面積はアリーナの三分の一もないし、壁のあちこちから梁《はり》のような道路が走っている。
旋回性能が低い逆関節には、不利なマップだった。天井が低いので、持ち前のジャンプ力も生かしづらい。
(やはり、最後に頼りになるのは、こいつか)
オメガは首筋を撫でた。
その辺りには、オメガの切り札『チップ』が埋め込まれている。相手の動きを予測してくれる、魔法の一品だ。
(……こいつがあれば、負けない)
オメガは自分に言い聞かせた。
そうとも。相手が何であろうと、自分は未来を読める。
常に、相手の裏をかける。
このチップがある限り、オメガは圧倒的に有利なのだ。
狩られる側と狩る側は決まっており、オメガは常に狩る側だ。
先の戦いなど、本当なら気にする必要はないのである。
『レイヴン!』
思っていると、通信が入った。オペレーターからだった。
『敵ACが保管区に侵入! あと数分で、そちらに到達する模様!』
ついに来た。
オメガは顔を引き締め、システム・クラッチを踏みつけた。
『メインシステム 戦闘モード 起動します』
オメガは、まだ見ぬ対戦者に――いや、獲物に思いを馳せた。
ジャックが見込んだ相手だ。自分の機嫌はひどく悪いが、それでも勝利すれば、『酔える』だろう。
いや、酔わなければいけない。
早く、先の戦いを忘れなければいけないのだ。
(……まだか)
と、突き当たりのシャッターが開いた。
まさか、と思った。早すぎると思った。
だが、そのまさかだった。
ぽっかりと口を開けた出入り口から、中に歩んでくるのは――ブリーフィングで見たとおりの機体だった。
名は、ファシネイター。
ダークパープルに染め上げられた、スリムかつ滑らかなフレーム。
だがその反面、マシンガン、ブレード、ロケットにミサイルと、これでもかというほど攻撃的な武装をしていた。
特徴的なグリーンのモノアイが、ゆっくりと辺りを睥睨し――やがて、その視線がオメガをまっすぐに射抜いた。
強い。
見つめられ、オメガは背筋を震わせた。
オメガは、AC戦の経験が乏しいが――それでも、ナンバー1の威圧感だった。
「……そこまでだな」 動揺を悟られまいと、オメガは強い口調を捻り出した。
「易々とここを明け渡すわけにはいかない!」
言いながら、オメガはブーストペダルを踏みつけた。クラウンクラウンが左へスライドダッシュ。
途端、今までいた場所にロケットが突き刺さった。
ぎりぎりで避けられたのは、予測装置――『チップ』が危険を教えてくれたからだ。
(危なかった)
だが、やはり『チップ』の予知は役に立った。こちらの方が一歩上を行っている。
(……いける!)
確信し、オメガはチェインガンを構えた。
瞬時に照準、ファシネイターへ向かって高威力の弾丸をばらまいた。
しかし、ファシネイターは怯まなかった。
チェインガンの雨の中、ブースト全開で突っ込んでくる。
装甲にモノを言わせた突撃だった。
オメガが会心の笑みを浮かべる。
千載一遇のチャンスが、まさかこんな早くに回ってこようとは。
『チップ』の予知をもってすれば、カウンターをとるのは造作もないことなのだ。
(焦ったな)
オメガは『チップ』を起動させた。
こちらに突っ込んでくるファシネイター、その姿が網膜から脳へ、そして脳から『チップ』へと移動する。
『予測結果』が出るまで、コンマ一秒もかからなかった。
オメガはその結果の通りにスティックを捌き、機体をファシネイターの右側面へ逃がした。逃がそうとした。
そこは敵にとっての死角であり、そこに入り込めば、悠々とカウンターをとれるはずだった。
だが、機体は動かなかった。
動くより早く、鋭い衝撃が――ファシネイターが放ったロケットが、クラウンクラウンを釘付けにしていたのだ。
(ロケットっ?)
オメガにとっても、『チップ』にとっても、まるっきり考慮の外だった。
実のところ――この時点で的確な回避行動をとっていれば、追撃は避けられたのだが、オメガは激しく動転していた。
信じ切っていた『予測の力』、それが初めて外れたのである。
軽いパニックですらあった。
結果、ファシネイターの追撃を――ブレードをまともに喰らった。
鮮やかなブルーの刀身が、クラウンクラウンのコアを一閃する。
『コア損傷』
たった一撃で、このダメージ。
慌ててAPを確認すると、なんと1200も吹き飛んでいた。とんでもない威力だ。
オメガはブーストペダルを踏みつけ、機体を左へジャンプさせた。
まずは距離をとろうと思ったのだ。
が、甘かった。
ファシネイターは信じられない反射速度でその動きに気づき、すぐさまクラウンクラウンの後を追った。
機動性の違いか、一瞬で追いつかれた。
逃げられない。
オメガは反射的に、機体をファシネイターの方へ向けた。
そのまま左腕のグレネードを撃ち放つ。
至近距離での発砲であり、避けることは不可能だった。燃えたぎるグレネードが、ファシネイターのコアを直撃する。
ファシネイターの上半身が、爆炎に包まれた。
だが――それだけだった。
ファシネイターは、止まらない。
炎を振り払うような速度で、こちらに突っ込んでくる。その左腕では、ブレードが長く伸ばされていた。
「なんだと……」
オメガが息を呑み、怯んだ。
反撃を怖れず、クロスレンジへと機体をねじ込んだ心意気に――威圧感を感じていた。それも、ガルムやムームに感じたものと、同種の威圧感だ。
「くそっ」
オメガは最後の望みを賭け、もう一度『チップ』を起動させた。
*
オメガの戦場から数一〇キロも離れた、バーテックスの拠点。
烏大老はそこの通路で、携帯テレビを眺めていた。
傍目には、ただ単に壁に背を預け、映画でも観ているように思える。
しかし、大老が観ているのはそれではない。
携帯テレビの小さな画面は、今まさに資材保管区で展開されている、オメガとファシネイターの戦いを映している。
現地の映像が、この小型テレビに転送されているのだ。
(……やはり、厳しいか。ガルムとムームを倒したというから、『底力』の方には少しは期待したのだが……)
一部始終を眺め、大老は鼻を鳴らした。
丁度、オメガがファシネイターに斬られる所だった。これで、二度目である。
開始直後に一回、その攻勢から逃げようとしたところを、追撃されてもう一回。
無様なものだった。
「まぁ、こんなものか……」
失望と安堵を半々に、大老は息を落とした。
と、横から声をかけられる。
「よお」
「……マックスか」
軽々しい挨拶に、大老は声だけで応じた。その間も、視線は画面を見つめたままだ。
マックスと呼ばれた壮年の男は、小さく笑うと、大老にそっと問いかける。
「……で、どうだ。オメガは」
マックスは、大老のオペレーターだった。組んで数十年になる。
そして彼ら二人は、ジャック・Oの真意を知る数少ない人間だった。
オメガの戦いを監視するのも、ジャックの真意――すなわち、『ドミナント選定』絡みの話である。
「……俺的には」
マックスは続けて言った。
「オメガがドミナントっていうのはどうにも信じがたい。
大老、実際のところはどうだ」
「……だめだな」
断言にも、マックスは動じなかった。
「だめか」
「そうだ」
「……やっぱりな」
マックスが肩をすくめて見せた。
そのタイミングで、画面の中でクラウンクラウンが斬られた。三度目だ。頭部を吹き飛ばされ、逆関節のACは慌てて距離を取る。
「……オメガは、姿勢に力がない。これは、結局最後まで変わらなかった」
それを観つつ、大老は呟いた。
「奴は、戦いと本気で向き合っていない。殺人に快楽を覚えるのは、奴の勝手だ。
だが少なくとも、奴には真摯さが足りない。
相手への怨念が足りない。これでは、腹を括って闘いに挑む、本物のレイヴンには及ばない」
厳しい評価だった。
だが、現実である。オメガがムームやガルムに気圧されたのは、まさにこの『覚悟』の違いだったのだろう。
もっとも、先の戦いの後半では、オメガにも若干の気迫があったが――それは『逆上』と呼ばれるものだ。
無力だと信じ込んでいた獲物に、噛みつかれ、プライドを傷つけられる。そしてキレた。
それだけの話なのだ。
『覚悟』とはほど遠い。
マックスが付け加えるように、
「『チップ』は? オメガには、それがあるんだろ、予知能力が」
「……そんなもの当てにならん」
大老は吐き捨てるように言った。
「映像を見て、分かった。オメガに載っている『チップ』は、ナインボールや管理者無人ACのに比べると、遙かに不出来だ。
あれで動きが予測できるのは、せいぜいMTか下位のレイヴンだけだ。
敢えて言おう、俺でも勝てる」
「……でも、ガルムに勝ったんだろ? ガルムは腕利きじゃないのか?」
「思い出せ。ガルムはムームを庇ってしまった。それで動きが、MT並に直線的になっていた。
恐らく奴一人であれば、決して遅れは取らなかっただろう」
大老の言葉に応じるように、クラウンクラウンの左腕が千切れた。どうやら、またブレードで斬られたらしい。
手も足も出ないとはこのことだった。
「……オメガ自身の技術も、未熟だ。そして頼みの『チップ』も、役立たずであることが分かった。
もっと早い段階で、腕利きのレイヴンと当たっていれば、化けの皮も剥がれたのだろうが……」
容赦のない大老に、マックスは尋ねた。
「……つまり、勝てない?」
「そうだ。技術も、精神力もない男だ。奴にあるのは、せいぜい――」
大老は、自身の胸ぐらの辺りに手をやった。
少し前、オメガに掴まれた場所だった。あれから随分時間が経ったが、未だに掴みかかられた感触が残っている。
相手はよほど強い勢いで向かってきたのだろう。
それだけ、馬鹿にされた怒りが強かったということか。
「――せいぜい、高いプライドぐらいだ。
それも、実力の伴わない空っぽのプライドだ」
言っていると、画面の中でさらに動きがあった。
大老は目を細め、ふんと鼻を鳴らした。あからさまな侮蔑の表情だった。
画面の中では――追いつめられたクラウンクラウンが、ターミナルの出口に向かっていく。
逃げ出そうとしているのだ。
だがターミナルの扉は、決して開かない。決着がつくまで、決して扉を開けるな――部下にはそう言い含めてある。
(無様な最期を選んだものだ)
大老は、オメガを完全に見限った。
*
オメガは、かつてない恐怖の中にあった。
今いる敵が、同じ人間とは思えなかった。
ファシネイターの前では、どんな攻撃も無意味であり、その猛威の前ではナインボールの『チップ』の予測さえ無力だった。
死ぬ。
その恐怖が、オメガの腕をがっしりと掴んでいた。
考えたこともない状況だった。
今までは、未来を予知できる『チップ』のおかげで、戦いは一方的な『狩り』だった。自分は『予知』という安全圏に身を置きながら、敵を蹂躙する――それが、オメガのスタイルだったのだ。
しかしこの闘いに置いては、それが全く逆転していた。
絶対と信じていた『チップ』という命綱は、ズタズタに切り刻まれてしまっている。
「……畜生!」
毒づき、オメガは背後を確認した。
ファシネイターが、追ってきている。
逃げなければ。
オメガの頭には、もはやそれしかなかった。
今回の敵は、もはや天災のようなものだった。ハリケーンや火山の噴火に対して、反撃する馬鹿はいまい。
そのような圧倒的な存在に対して、人間ができることは、避難することだけだ。さもなくば、死んでしまう。
「……くそっ」
オメガは、なんとか出入り口へ辿り着いた。
かつてない速度でパネルを叩き、解除キーを入力、シャッターを開けようとしたが――頭部COMは無情の宣告をした。
『ゲートが動作しません』
足下に、ぽっかりと穴が開いた。
その深い深い穴に、落ちていく感覚。
もう戻れない。
オメガは絶叫した。
背後からは、今もファシネイターが近づいてくる。
「……なぜだ」
クラウンクラウンが、ファシネイターに向き直った。
もはや決着はついていたが、ファシネイターは気を緩めず、ブースト全開で突っ込んでくる。
その左腕部からは、すでに真っ青なブレードが伸ばされていた。
逃げられない。
背後には壁、かといって左右に逃げる余裕もない。ついでに言えば、それだけの気概もない。
ファシネイターが、ブレードを大きく振りかぶる。
『……死ね』 ファシネイターから、厳かな声が来た。
と同時に、ブレードが振られる。眩いブルーの輝きが、メインモニターを埋め尽くした。
その死の瞬間――オメガに訪れたのは、恐怖でも、怒りでもなかった。
胸中に吹き荒れたのは――寒々とした虚無だった。
言い残す言葉も、別れを惜しむ人も、何もない。
何も残さず、何も与えず、消えていく。
それが、生の終わりに顧みた《かえりみた》、オメガの人生の全てだった。
――寒い。
思った途端、その音はやってきた。
ガシャン、という車の衝突にも似た金属音だ。
間違っても――ブレードで金属が溶ける音ではない。
(……何だ?)
思い、オメガはメインモニターを確認し――ぎょっとした。
クラウンクラウンの腕が、ファシネイターの左腕を掴み、押し戻そうとしていた。
破壊的なエネルギーを秘めたブレードは、クラウンクラウンに届く寸前で止まっている。
(ブレードを……防いだのか? 俺が?)
そこで、オメガは自分がスティックを握っていることに気がついた。
手が、勝手に動いたのだ。そうとしか考えられなかった。
(……俺が……)
無意識の内に発揮した、思わぬ行動力に、オメガは呆然とした。
そんなオメガに構わず、ファシネイターはクラウンクラウンの腕を振り払うと、すぐに二度目の斬撃を準備した。
このままでは、死んでしまう。
(……嫌だ)
オメガは、自分の人生がどんなものであったかを思い知っていた。
そこには思い返すに値することは、何一つとしてない。空っぽの、あまりに寒々として人生だった。
オメガはこうなると薄々感づきながらも、幼い日より徐々に醸成された虚無、それに身を任せてしまった。
その挙げ句が――死ぬ前に感じた、あの壮絶な『寒さ』である。
満足げに逝った、ガルムやムームとは大違いだ。
「ちくしょう……」
切なく、哀しく、だがそれ以上に――悔しかった。
肥大化したプライドが、その思いを後押しする。
この俺が。なんでこんな様に。
理不尽だ。許容できない。
断固として。
オメガの中で、ゆっくりと何かが組み変わった。
育て上げられたプライドが、今、『意地』となって行動を呼び起こそうとしている。
――このままでは、終われない。
「ちくしょう……!」
スティックを握る手に、力がこもった。
慣れ親しんだ、鋼鉄の手触りが彼の意気込みを出迎える。
と、ファシネイターが、ブレードを振った。
以前とは違い、上から打ち下ろすような振り方である。
そしてそれは、より力がかかる分、受け止められにくい振り方だった。
しかし――クラウンクラウンは、それもやり過ごした。
腕が素早く動き、敵の左腕を打撃、ブレードの軌道をずらす。青い刀身は、クラウンクラウンの背後にあるシャッターに、深々と突き刺さっただけだった。
ファシネイターが、驚きの声を漏らす。
クラウンクラウンはその隙をついて、ファシネイターにチェインガンを向けた。
言葉が口をついて出てくる。
「行くぞ……!」
それは「殺す」であり、「ふざけるな」であり、また「見たかこの野郎」でもあった。
心の底からの、怨念の叫びだ。
トリガーを、絞る。
鋭利な弾丸が、チェインガンの砲口から飛びだし、残らずファシネイターに突き刺さった。
思わぬ反撃に驚いたのか、ファシネイターが慌てて距離を取る。
胸のすくような思いだった。
(……そうだ)
このままで終われるか。
力の限り、お前に喰らいついてやる。
決死の覚悟を胸に、オメガはシステムクラッチを踏みつけた。
『メインシステム 戦闘モード 起動します』
飛び退くファシネイターに、クラウンクラウンが肉薄する。
ファシネイターは、それに驚いたようだった。
無理もない。傷を負っているクラウンクラウンが、あえて接近するというのは――完全にセオリーから脱していた。
『自殺する気か』
ジナイーダが問う。
オメガは応えなかった。そもそも、質問が耳に入っていなかった。
体の芯に沸き上がる、熱く激しいもの。それが、頭に無尽蔵に汲み上げられてくる。
とても話を聞ける状態ではなかったのだ。
「ミンチだ」
オメガがトリガーを絞った。
背部のチェインガンが、眼前のファシネイターに銃弾をばらまく。
『くそっ』
ファシネイターは、飛び上がってそれらを回避した。
変則的な機動だったが――オメガはその動きに対応し、機体を右に振り向かせる。
案の上、そこにファシネイターが着地した。
すでに、その左腕部からはブレードが伸ばされている。
こちらに光波を飛ばすつもりだろう。
そう思った途端、オメガの唇が笑みの形に歪んだ。
「いいね」
呟き、オメガはブーストペダルを踏みつけた。
猛スピードで接近、ファシネイターの懐に潜り込む。
ジナイーダが、驚きの声を漏らした。
オメガは構わずスティックを操作し、チェインガンを照準した。
70ミリの砲口が狙う先は――ファシネイターの右肩だ。
「死ねよ……」
静かだが、その分寒気のする声だった。死神が、耳元でそっと囁いたら――こんな感じかも知れない。
直後、チェインガンが吼えた。
無数の銃弾が、ファシネイターの右肩に突き刺さる。
鼓膜を叩く発射音の中、金属が歪み、千切れる音が響いた。
高威力の銃弾が、ファシネイターの右肩をもぎ取ったのだ。
『なんだと……!』
ファシネイターは、残った左腕でクランクラウンを突き飛ばすと、ブースト移動で間合いをあけた。
しかし――それは紛れもなく、本能的な『逃げ』の動きだった。
ドミナントが、怖れている。
オメガが叫びをあげた。
スティックを握り直す。
そしてもう一度、ブーストペダルを踏みつける。
「行くぞ……!」
呟きつつ、クラウンクラウンが接敵。
マイクロミサイルが浴びせられるが、怯むことなく中央を突破し、ファシネイターに迫る。
このまま接近し、またチェインガンを浴びせかける。それしか頭になかった。
同時に、地力で圧倒的に劣るクラウンクラウンが、ファシネイターに勝利するには――この特攻先方しかないと、本能的に看破してもいた。
だがそこで、疾走する機体に鋭い衝撃が走った。
ロケットだ。マイクロミサイルに紛れ、ファシネイターが撃っていたのだ。
そしてその鋭い弾頭は、クラウンクラウンのジェネレーター部位に、冷酷に、かつ無慈悲に突き刺さっていた。
「……は?」
一瞬の間。
ぞっとするような、空白の時間。
それが過ぎた後、急激に機体温度が上昇し始める。
ダッシュが止まる。
腕部が痙攣を始め、サイトが勝手にぶれる。
慌ててトリガーを引くが、どうしてか弾が出なかった。
「ふざけんなよ」
オメガはメインモニターを覗き込み――絶句した。
『ジェネレーター損傷』。『下腹部で火災発生』。たった二行のメッセージが、オメガの上に重くのしかかる。
スティックを滅茶苦茶に動かしたが、機体はもう反応しなかった。
歩くこともなければ、腕を動かすこともない。もはやクラウンクラウンは、直立したくず鉄だった。
じきに爆発するだろう。もっとも、その前に中のオメガは焼け死ぬだろうが。
「くそっ!」
オメガは内壁を殴りつけた。
だが、どんな機体であっても、ジェネレーターのEN供給がなければ動かない。その事実は決して揺るがなかった。
もしこれが全快状態であれば、ロケット一発がジェネレーターまで到達することなどないのだが――クラウンクラウンは、すでに何回もブレードで斬られていた。
ロケットをはじき返すだけの防御力は、もはや残っていなかった。
「……ちくしょう」
声が、漏れた。
目の前の敵に、届かなかった。
その一念が、身を焼き尽くすほどの悔いになっていた。
ファシネイターが、そんなクラウンクラウンに、ゆっくりと近づいてくる。
その左腕部から、青く、長い刀身が伸ばされていった。
斬るつもりだ。
思ったときには、ファシネイターが急接近してきた。
紫の巨体が、画面一杯を占拠する。
その瞬間――誰よりも高いプライドが、猛々しい叫びを上げた。
一度は消えかけた戦意が、猛然と燃焼する。
闘え。
その声が、頭の奥に響いた。
予測機能――『チップ』の声とは違う、『芯』からの囁きだ。
「分かってる」
呟き、オメガはスティックを前に倒した。
それと同時に、固い椅子から体を浮かせ、前方の壁に――メインモニターの辺りに渾身のタックルをかます。
「進めぇ!」
そして信じがたい事に――それで、機体の重心が動いた。
クラウンクラウンが、前のめりに倒れ出す。
運の良いことに――丁度その時、ファシネイターはクラウンクラウンの眼前にまで迫っていた。
倒れるクラウンクラウンは、そのファシネイターを巻き込んだ。
直後、突き抜けるような衝撃と共に、天地が逆転、轟音が響きわたった。
(……どうなった……?)
痛む頭を叱咤し、オメガが目を開けると――メインモニターには、ファシネイターのコアが映し出されていた。
どうやらクラウンクラウンは、ファシネイターの上に覆い被さっているらしい。
まるで、押さえ込もうとするかのように。
オメガの顔に、悪魔のような笑みが戻った。
「……道連れだなぁ」
これ以上ないほど、気持ちのこもった声だった。
そうとも。こいつを殺すために、全力を尽くす。こいつを殺し損ねるぐらいなら、のたうち回って焼死する方が遙かにマシだ。
もっとも、クラウンクラウンの爆発が、ファシネイターに致命的なダメージを与えられるかは、やってみないと分からないが――可能性は十分ある。
『お前……!』
ファシネイターが、もがく。
ジェネレーターが壊れているクラウンクラウンは、もはや阻止できない。
しかし――ファシネイターは、右腕を破損させていた。片腕なのだ。
例え妨害がなくとも、片腕だけで重量級ACをどかしきれるかは――非常に怪しい。
かつ、ファシネイターの低出力ブースターでは、ブーストのパワーで強引に立ち上がったり、這い出したりすることも容易ではないだろう。
と、コクピットが急激に熱さを増した。
そろそろ最期が近いらしい。爆発までは、もはや秒読み段階だ。
『馬鹿なっ』
向こうもそれを悟ったのか、ファシネイターから焦った呻き声が漏れてくる。
オメガは、そんな状況に――言いしれぬ滑稽さを覚えた。
(……なんて様だよ)
くく、と声が漏れる。
最初のファシネイターは、まさしく天災のような存在だったのだ。闘おうとさえ思わなかったし、現に『戦闘』そのものはファシネイターの圧勝だ。
だが今はどうだ。
愛機の下で、紫の巨体はもがいている。しかも片腕だ。
なんて無様な姿だろう。最初の威勢など欠片もない。
このオメガが、あのファシネイターをここまで引きずり下ろしたのだ。
一発、かましてやれたじゃないか。
そう思うと、不思議な気持ちが飛来した。
満たされていく。
空っぽだった自分の中に、心地よい疲労感が、達成感が、なみなみと注がれていく。
その想像を絶する心地よさに、オメガの目から涙がこぼれ落ちた。
(……できれば、もう少し早く……)
思ったが、頭を振った。ついでに涙も振り払う。
時間は少ない。
オメガは宿敵ファシネイターに、言葉を叩きつけた。
「……ざまぁみやがれ」
それが、オメガの最期の言葉になった。
あまりにもひどい遺言だが――その時のオメガは、笑っていた。
快楽殺人者のものとは思えない、太陽のような、晴れがましい笑みだった。
直後、圧倒的な熱量が、コクピットに押し寄せた。
*
映像の中で――俯せに倒れるクラウンクラウン、その背中から火が噴き上がった。
ACほどの高さがある、巨大な火柱だ。まるでオメガの強烈な悪意が、炎となって立ち上っているかのようだ。
その灯りが、戦場となったターミナルを夕焼け色に照らし出している。
「……終わったな」
携帯テレビの画面を睨みつつ、大老が呟いた。
「オメガは死んだ。勝者は――」
大老は画面端に映される、紫のACに目をやった。
「ジナイーダだ」
紫のAC――ファシネイターが、ゆっくりとこちらを振り返った。
ひどい姿だった。
右腕部は千切れ、色々な関節から黒煙が噴き上がっている。
勝者も貫禄も何もない。手ひどいやられ方だった。
オメガの爪は、ドミナントにしっかりと届いていたのである。
「……しかし、よく脱出できたな」
傍らで、大老のオペレーター――マックスが訝しげに言った。
「実際、やばかっただろ? ファシネイターは片腕、ブーストでの脱出も困難。どうやって助かったんだ?」
マックスは、AC戦の専門家ではない。
クラウンクラウンの下からファシネイター脱出する一部始終は、目にしたはずだが――映像だけみても、いまいち脱出のカラクリが分からないのだろう。
大老は説明してやることにした。
「簡単なことだ。まず、片腕でクラウンクラウンを押し上げる」
「できるのか? 相手は重量級だ、パワー不足じゃないか?」
「正攻法では無理だがな。地面とクラウンクラウンのコアの間に、肘から先をねじ込む。つっかえ棒をするようにな。
そうすれば、のし掛かっていた機体が浮く。これなら低出力のブースターでも、脱出に支障はないだろう。一挙に脱出できなくとも、上半身だけでも出れば、後は楽だからな」
納得したらしく、マックスは大げさに肩をすくめた。
「にしても、アンビリーバブルだ」
「だが、現実だ。あの女は、本当にドミナントかもしれん」
大老は目線をモニターに戻した。
だが、もはやファシネイターの姿はない。
任務を終えたので、さっさと帰還してしまったのだろう。
本来なら、味方の部隊が到着するまで待つべきである。腕利きのレイヴンにしては、少々無責任な態度だった。
けれど――大老は、彼女の気持ちも理解できた。
戦いの後半、オメガが発した気迫は尋常でなかった。
人間の本能を直接刺激する、そういう『恐さ』があった。
そういったものが振りまかれた空間から、遠ざかりたいというのは――自然な反応ではあるだろう。
もっとも、単に後続のMT部隊の様子を見に行った、という線もあるが。
「しかしな」
思っていると、マックスが不快げに言った。
「品性下劣な、最悪な奴だったな。オメガって野郎は、最期まで」
その感想に――『常人』としてはごく当然の感想に、大老は口元を歪めた。
「そうだな」
「往生際が悪いしな」
「……マックス」
笑みを深めながら、大老は言った。
「何を言ってる。最高の死に様じゃないか、あれは」
遠くで無線機が鳴っている。
階下の格納庫から、MTが駆動する音がした。
二人の付近を、一般隊員が通過していく。その靴音が、通路に反響し、やがてゆっくりと消えていった。
「……そうか」
長い沈黙の末、マックスはそうとだけ言った。
大老は頷きを返す。
どんな理由かは分からないが――後半のオメガには、気迫があった。それも、見ているこちらさえ心胆が冷えたほどの、濃密な気迫だ。
その闘念に、怒りに導かれるまま、全ての精力を総動員して、敵わぬ敵に向かっていく。
そしてその果てに、燃え尽きていった。
戦士としては申し分ない、充実の死に様だった。
もっとも、オメガのような男でも、その域に到達できたかは、まさしく神のみぞ知る、だが。
「奴には勿体ないほどの死に方だよ」
大老が呟いた。心なしか、年相応の疲労が匂っていた。
「……できるなら、代わりたいか?」
マックスの問に、大老は応えなかった。
代わりに、苦笑とも微笑ともつかない、曖昧な笑みを浮かべた。
だが一人として情報を吐こうとしない。
時間を掛け、ゆっくりと拷問をかけていけば、連中は洗いざらいぶちまけるのだろうが――今欲しい情報には、賞味期限がある。
なるだけ早く手に入れておきたい。悠長にしている暇はないのだ。
しかし――連中は吐かない。
恐らく、彼らも情報の賞味期限は知っているのだ。それまでは、なんとしても隠し通そうと意固地になっている。
やっかいな状況だった。
「……どうしたものか……」
年輩の尋問官が、自身のデスクで呟いている。
と、彼の部下が近づいてきた。
「失礼します」
そう言って、敬礼。その後、用件を報告した。
部下曰く、「今すぐ情報を吐かせられる人を知っている」ということだった。
尋問官は半信半疑だったが――部下の言葉を信じ、その人物を連れてくるよう命じた。
この部下は、新参であるが特に優秀であり、普段から何かと信頼を置いていた。
それに――形式上『尋問官』という役職にいるが、年輩の尋問官自身には、尋問の経験はほとんどない。人材不足から、たまたま『尋問官』という役割が回ってきただけなのだ。
だから、尋問のエキスパートが別にいるというのであれば、素直にコトを任せるべきだった。
「分かりました、連れて参ります」
部下はきびきびと一礼し、その場を後にした。
そして数分後、その男はやってきた。
気味が悪いほどの長身で、側に立つ部下が子供のように見える。黒のスーツに短くカットされた黒髪と、身なりはきちんとしているので、人格はまともなのだろうが――それでもどことなく、薄ら寒い気配を纏っていた。
実際、男は紳士じみた微笑を湛えてはいたが――その笑みは、どこか歪んでいるようにも見える。
「早速やりましょう」
男の言葉に、尋問官ははっと我に返った。
じろじろと見た無礼を詫び、男を尋問室に――いや、拷問部屋に案内した。
拷問部屋とは、四メートル四方の小部屋だった。何もなく、がらんとしている。
平時なら色々な『設備』があるのだが、今は別室に移されていた。
中に入ると、男はどこか人形めいた視線を部屋中に這わせ、
「……いいでしょう。ここに、その四人を呼んで下さい」
と言った。
尋問官は言葉の通りに、捕虜の四人を連れてくるよう命じた。
五分ほどで、全ての捕虜が壁際に並べられた。全員手錠を付けられ、体中に傷を負っていたが、それでも意志の強そうな瞳を保っている。
「……これから、どうするのです?」
尋問官が訊くと、男はおもむろに、捕虜の一人へ歩み寄った。
どこか優しげな口調で、
「情報を。拠点の兵力、作戦の概要、『レビヤタン』とは何のことですか?」
一連の質問にも、捕虜が応える気配はなかった。
男は頷き、懐から『何か』を取りだした。
何気ない動作だった。
少なくとも――とても、人を殺す動作には見えなかった。
「じゃあいいです」
パス、と気の抜ける音がした。
一拍置いて、捕虜が倒れる。床に頭蓋骨が打ち付けられる音の方が、銃声よりも大きかった。
「……なっ」
撃った。殺した。
その事実に焦る尋問官だが、男は構わず別の捕虜に向き直った。
「あなたは?」
優しげな口調なのが、かえって恐ろしかった。
その捕虜は震えながらも、
「……知らない」
「そうですか」
男はその捕虜も殺してしまった。
残りは、あと二人だ。
殺された二人と比べてると、残された二人はかなり若かった。恐らく二〇代だろう。
「……さて」
男はその二人を交互に見てから、思いついたように、
「そうだ。先に情報を吐いた方を、助けてあげましょう。早い者勝ちです」
途端、二人の表情が変わった。
驚いた面持ちで、お互いの顔を見あう。
その後、片方は尚も逡巡し、もう片方は素早く決断した。
「はい、喋りますっ」
逡巡してしまった方は、痛恨の表情を見せた。
一方、決断した方は矢継ぎ早に、拠点の状況、場所、『レビヤタン』に関する知識をぶちまけた。
尋問官は、それらを部下にメモさせた。十分すぎるデータになった。
尋問官は、やっとこの『尋問』が終わると安堵したが――そう簡単にはいかなかった。
「……これで全部だ、どうだ、満足してくれたか?」
捕虜の言葉に、男は満面の笑みを浮かべた。
ぞっとするような笑みだった。
「この嘘つきめ!」
三度目の銃声がした。
三人目の捕虜が、ゆっくりと、仰向けに倒れる。
これで、残されたのは一人となった。
男はその一人にも銃口を向けて、
「君も……嘘つきかい?」
最後の一人は悲鳴をあげた。
「本当だ! 今のは、全部本当だったぞ!」
「……そうなのかい?」
「そうだよ! だって……」
パスッ、というささやかな音がした。
四度目の銃声だ。
最後の捕虜が、がっくりと俯せに倒れる。その死体を中心に、血溜まりが広がっていく。
「……情報は、吐かせましたよ。この様子ですと、真実でしょう」
もはや言葉も出ない尋問官に、男が向き直った。
どこか愉しげに、
「分かりましたか? 今のが、尋問の基本です。まず第一に、『どうせ殺されることはない』という甘えを捨てさせること。第二に、『分かりやすい条件を持ちかけてやること』。
コツはこれだけ、簡単でしょう?」
男は笑った。
ハ虫類じみた笑顔だった。
尋問官が尚も言葉を発せずにいると、男は思いついたように、尋問官にも銃を突きつけた。
「ひっ」
尋問官の口から、裏返った声が漏れる。
男は苦笑し、銃口を天井に向けた。そのまま、何度も引き金を絞る。
しかし、弾は一発も出なかった。
男はマガジンを抜き、何回かスライドを操作して見せる。
「冗談ですよ。弾切れです、撃てやしません」
そう言われても、尋問官に安堵した様子は見られなかった。
どころか、きっと彼はこう思っているだろう。
――この男は、もし弾が残っていれば、撃っていたのではないか?
その心情を知ってか知らずか、四人を殺した男は曖昧に笑うと、さっさと部屋を出てしまった。
後には尋問官とその部下、そして四人の死体だけが残されている。
レイヴン『オメガ』。快楽殺人者。
尋問官が男の正体を知ったのは、それから数時間後だった。
*
オメガは、悪くない気分で基地の通路を歩いていた。
手には銃を撃った感触が残り、脳裏には捕虜達の死に様が焼き付いている。
そしてそれらが、オメガを笑顔にさせていた。
(たまらないな)
殺しをした後は、いつもこうだった。
津波のような征服感と、開放感。空っぽだった体に、何かが満たされていく感覚。
アップ系の麻薬をキメた時でさえ、これほどのものは味わえない。
「……これだから、この仕事はやめられない」
そう呟いたところで、後ろから声を掛けられた。
「邪魔するぞ」
高揚感に水を差す、低く、しわがれた声。
オメガは一発で誰か分かった。
(嫌な奴が来た)
そう思ったが、態度にはおくびも出さない。
親しげな笑顔を張り付け、ゆっくりと振り向いた。
「これは、烏大老。ご苦労様です」
言われても、老人は特に反応を示さなかった。
オメガより頭一つほど低い位置から、闇色の瞳が静かに見つめ返してくる。
「仕事だぞ」
大老は、簡潔に告げた。
ぞんざいな口調に、オメガの眉がほんの少し吊り上がったが――大老は気づきもしない。
「作戦名は輸送部隊撃破。サークシティから物資を強奪した勢力が、逃亡を図っている。そこを叩け。
AC二機ほどが妨害に現れる模様だ」
そこまで言って、大老は数枚の書類を差し出した。
詳細はこれを見ろ、ということだろう。
オメガは大げさに肩をすくめ、
「一仕事こなした後、また依頼か。仮眠をとる隙もない」
「断るか?」 オメガが笑みを深くした。
紳士然とした仮面から、暴虐の気配がはみ出した。
「……まさか。私を誰だと思っている」
「受けるのだな」
大老は頷くと、書類を手渡し、そのまま踵を返して立ち去った。
オメガはその背中が角に消えるのを待ってから――ふんと鼻を鳴らす。
「ロートルが」
吐き捨て、オメガは渡された依頼文に目を落とした。
作戦領域は、旧ナイアー産業区。ACが二機ほど確認されているらしいが、依頼文にも、機体名やレイヴン名は書かれていなかった。
どうやら、まだ判明していないらしい。
(……まぁ、いいか。分からなくても)
オメガはそう割り切った。
普通のレイヴンでは、まず考えられない軽薄さだが――オメガには、そうしていられるだけの根拠があった。
(なにせ……俺には、『こいつ』がある)
オメガは首筋の辺りに手をやった。
骨とは別に、ごつごつした感触がある。その辺りに、何かが埋め込まれているのだ。
「今日も頼むぞ。調子はいいんだろう?」
呟くと、答が返ってきた。
聴神経を介さず、脳に直接告げられる答は、
――イエス。
オメガは、その返答に気をよくした。
その気分のまま、ガレージへ歩き出そうとして――止まった。
信じられないといった面持ちで、胸の辺りに手を当てる。
そこには、つい先程まで殺人による充足感があったはずだが――今や、何もなかった。
開放感や征服感で満たされて心が、今やぽっかりとした空洞を晒している。
寒々とした寂寥感が、胸を蝕んでいた。
(……畜生め)
舌打ちした。
充足感の後に、この空虚感がやってくることはいつものことだが――最近、特にそのローテーションが早い。
満たされたと思っても、すぐに荒涼とした虚無がやってくる。
「燃料が必要だ」
呟き、オメガはガレージへと向かった。
まだ見ぬ敵レイヴンに、陰鬱な思いを馳せながら。
*
オメガと別れた後、大老はすぐに自室へ引き返した。
デスクに座り、受話器を取る。
特別なダイアルをプッシュし、バーテックスの本部――それも、ジャック・Oの執務室にのみ通じている、直通回線を呼び出した。
「烏大老だ」
言うと、渋い声が応じた。
聞き間違えるはずがない。ジャック・Oの声だった。
『……君か。首尾はどうだね』
「オメガは任務に出る。遠からず、例の二人と接触するだろう」
『ふむ……彼は、今回の敵にケルベロス・ガルムがいることは?』
「知らないだろうな」 大老は断言した。
「彼らは、どうやら旧知の仲のようだが……それだけだ。今もパイプを持っているとは考えにくい。
ガルムの方は分からないが……少なくとも、オメガがガルムの動向を把握しているということはないだろう。
無論、依頼文にも書いていない」
これは、契約に反することだった。
バーテックスは、専属レイヴンに全ての情報を開示することを、事前に約束している。
だが、大老に悪びれた様子は少しもなかった。
恐らく、ジャックにしてもそうだろう。
彼らはバーテックスの本当の目的を知る、数少ない人員なのだった。
『そうか……ご苦労だったな』
ジャックは、ひとまず大老を労った《ねぎらった》。
そうしてから、ふと純粋な興味を滲ませる。
『ところで、君の目から見て、オメガはどうだね』
大老はすぐさま応じた。
この状況で訊かれることは、一つしかない。
「期待はしていない。オメガがドミナントとは思えない」
ジャックからの返答はなかった。
理由を述べる時間を与えられた、と判断し、大老は率直に告げた。
「快楽殺人者――そんなものが、のうのうとしていられるほど、戦場は優しくない。
そんな連中は、本質的には弱者だ。ノミの心臓に、本物の力は宿らない」
大老の口調は、きっぱりとしていた。
それは四〇年に渡るレイヴン経歴で、大老が掴んだ実感なのだろう。
ジャックは試すように言った。
『彼には、あの装置がある。延髄と脊髄の合間に埋め込まれた、演算機だ。君も知っているだろう?』
ジャックの言葉に、大老は目を細め、全方向に注意を向けた。
少しの間耳を澄ませて、部屋は本当に大老一人か、外で聞き耳を立てている者がいないか、確かめる。
そうしてから、ようやく会話に戻った。
「……『未来の予測』、か。実際は、どの程度の代物なのだろうな」
『それは、分からんね。だからこそ、オメガを闘わせ、その映像を実際に見てみる必要がある。
オメガの動きを見てみれば、その「未来を予測する装置」――いや、いっそ「予知能力」としようか――「予知能力」がどの程度の代物か分かるだろう』
そして、その予知能力が本当に正確であるのなら――オメガは、とてつもない実力者ということになる。
戦闘において、未来の情報にはそれだけの価値があるのだ。
しかし、
「期待はできんな」
大老は、尚も否定的だった。
レイヴン歴の長い彼にとっては、信じがたい話なのだろう。
そんな副官の様子に、ジャックは苦笑混じりに切り出した。
『……そういうがな、烏大老。そもそも君は、快楽殺人者が戦場に存在できると思うかね?』
「なんだと?」 思わぬ質問に、大老は聞き返した。
ジャックは構わず、
『普通は、無理なのだよ。戦場では、自分の命が掛かってる。
そんな極限状態の中で、のんびりと殺人を愉しむのは――相当な精神的余裕がないといけない』
「……『予知能力』が、オメガにそれだけの余裕を与えていると?」
頷く気配があった。
ジャックは、深い知性と洞察を感じさせる口調で、
『可能性はあるだろう。「予知能力」は、大きなアドバンテージだ。命綱といっていい。
「いざとなれば、この予知能力がある」……その思いが、オメガに殺人を愉しむほどの、享楽殺人者たりうるほどの余裕を与えているのかも知れない。
とすれば……奴の「予知能力」は、それほどまでの信頼性がある、ということだ』
電話の向こうで、パラパラと紙をめくる音がした。
会話しつつも、ジャックは何らかの資料を参照しているらしい。
『……何より……奴のミッション達成率は未だに100%だ。実力派レイヴンと相対した経験は……皆無だが――それでも、「予測能力」が一定の能力を持っていることは確かだろう。
でなければ、これほどの成績は出ない。エヴァンジェでさえ、不可能だった』
大老は、ジャックの――総帥の言葉に、長く息を吐き出した。
ジャックの深い『読み』は、人生経験の長い大老をして、感服せしめるものだったのだ。
大老よりもずっと若く、経験もない人間が聞けば、たまらず敬服していただろう。
『可能性は、あるだろう?』
言われ、大老はゆっくりと口を開いた。
「なるほどな。しかし、それも……」
大老は、それ以上言おうとしなかった。
いずれにせよ、これ以上の考察は、結果を待たなくてはいけない。
ジャックもそれを察したのか、早々に会話を締めくくった。
『……そうだな。 いずれにせよ、今回でお手並み拝見だ。
願わくば、輸送車もAC二機も全破壊する、ぐらいして欲しいものだがね』
大老は、それがどれだけ困難な目標か知っていた。
知りながらも、「そうだな」と応じ、受話器を置いた。
*
ナインボール。
かつて、そう呼ばれた無人ACがいた。
そして、とんでもなく古い遺跡から、そのナインボールという機体が発見された。
保存状態は、極めて良好だった。燃料を注入し、幾つかのパーツを交換すれば、すぐにでも動く状態だったという。
旧世代に傾倒する企業達にとって、これはまさしく宝箱だった。
中には金銀財宝の代わりに、魅力的なテクノロジーが沢山詰まっている。
無論、発見者であるキサラギも、すぐさまそのナインボールの技術を解析した。
完遂には十年もかかった。
だが技術のキサラギは、最終的にナインボールのAI、その一部分をコピーするところにまで行きついた。
そして、そのコピーした部分こそが――『未来の予測』に関するところだった。
ナインボールの無敵さは、どうも『先読み能力』が優れていたことに、起因しているらしい。
この能力が優れていれば、相手の動きが予測できる。常に、相手の裏をかける。
特に、ナインボールの先読み力は尋常でなく――あるデータによれば、ほとんど予知に近いレベルだったという。
裏をかえせば、それぐらいでなければ、レイヴンを相手に無敵伝説など作れない、ということだろう。
オメガは強化人間手術の際、そのナインボールの『先読み能力』を、首筋に埋め込まれた。
首筋から延髄の辺りに、ナインボールの強さを支えたAI、その一部分が実装されているのである。
これは、何よりも心強いことだった。
自分に太古の最強ACが宿り、常に的確な指示をくれるのだ。
だから――
(たまらないな)
愛機に乗り込み、目的地へと向かう今も、オメガの表情に緊張は見られなかった。
ばかりか、戦場に行く者としての、最低限の『気負い』すら見受けられない。
彼の顔に浮かんでいるのは、無力な獲物を前にしたときの、陰湿な笑いだけだった。
(……まず、どうしようか。何が出てくるのかにもよるが……)
殺す算段をしながら、オメガはスティックを左に捌いた。
重量逆関節に、これでもかと実弾武装を施したAC――クラウンクラウンが、街路を左に曲がる。
その次の角は、右へ。その次も、右へ。四度目の角は、左へ。
灰色のビルが立ち並ぶ、迷路のような空間だったが、オメガのスティック操作に迷いはなかった。
周辺地図は、脳に直接叩き込まれている。強化人間の特権だった。
「あと、少しか……」
オメガは上唇を舐めた。
脳内の地図によれば、目的地も近いのだ。少々早い到着になるだろうが――そこでようやく、殺しが始められる。
オメガは唇を歪め、ポツリと呟いた。
「……楽しみだなぁ」
快楽殺人者――オメガにとって、戦闘は一方的な『殺し』だった。当然だ。予知能力がある限り、オメガは圧倒的に有利なのだから。
そして、彼にとっての『殺し』とは、いわば『酒』なのだった。
殺しの快感が、自分を酔わせてくれる。
常に感じる空虚感を、寂寥感を、上手に誤魔化してくれるのだ。
だが一度酔いが醒めてしまえば、再び薄ら寒い虚無と向き合わなければならない、という欠点もあった。
それが嫌だった。どうしても。
幼い頃よりじっくりと育んできた、心の空洞。胸に広がる、荒涼とした虚無感。
自分には何もない。
その思いを直視していると、焦燥感が身を焼き尽くそうとする。
そこから逃れるためには――もう一度酔うしかない。
それが、オメガがずっと繰り返し、蓄積していった、虚無と共存するノウハウだった。
「……行くか」
呟き、ブーストペダルをさらに強く踏み込んだ。
クラウンクラウンが、眼前のトンネルへ向けて加速していく。
それを抜けた先にあるのが――目的地、旧ナイアー産業区のはずだった。
*
オメガは旧ナイアー産業区へとやってきた。
長いトンネルを走り抜け、並木のように立ち並ぶビル、その谷間に愛機を静止させる。
「到着した」
基地に連絡すると、すぐに答が返ってきた。
『了解した、オメガ。さすがに早いな』
その言葉に、オメガは口元を歪めた。
操縦服を着込み、ACに乗り込んでから、目的地到達まで僅かに十分。距離を考えれば最速に近いタイムだった。
オメガは満足げに鼻を鳴らし、しかし言葉にはそんな気配は微塵も出さず、
「……なに。私には造作もないことだ」
『どうも、そうらしいな。大したものだ』
「……それより」 オメガはレーダーに目をやった。
「敵は? 周辺には、何の反応もないぞ」
『本当か?』
怪訝そうなオペレーターに、オメガは請け負った。
「本当だとも」
クラウンクラウンのレーダーには、自機以外何も表示されていなかった。
オメガが早く来すぎた、ということを差し引いても――周辺二キロをカバーする、広範囲レーダーにまで何も映らないというのは、あまりにも奇妙だ。
バーテックスが、作戦領域の設定を間違えた可能性さえある。
オペレーターは不思議そうに、
『……分かった。すぐ周辺を調べて……』
「早くしてくれ。私は待つのが嫌いなんだ。このままいつまでも何も来なければ、腹いせに、周りのビルでも破壊してしまうかも知れない」
オペレーターが驚くのが気配で分かった。オメガなら本当にやりかねない、と彼は知っているのだろう。
オメガは意地の悪い笑みを浮かべる。
「いやだな。冗談だよ、冗談」
『じょ、冗談……?』
「そうだ。もっとも、待つのが嫌いなのは本当だがね」
言うと、オペレーターが慌てて応じた。
『わ、分かった。すぐやる。待たせたりしない』
その言葉の通り、オペレーターは十秒ほどで周辺の解析を終えた。
正面のメインモニターに、解析結果が転送されてくる。
オメガはそれを眺めて――
(なんだ、これは)
眉をひそめた。
今回のミッションは、旧ナイアー産業区を通過する、敵輸送部隊を撃破しよう、というものだ。
オメガはその輸送部隊を待ち伏せするため、早めに目的地へやってきたのだが――どういうわけか、輸送部隊の進行が遅いのである。
すでにオメガは旧ナイアー産業区に到着しているというのに、その輸送部隊はまだアレーヌ居住区――ここより数キロも離れた地点をうろうろしていた。
オメガが早く来すぎた、ということを差し引いても、尋常でないスローペースだ。
距離が離れすぎているので、レーダーに映らなかったのも頷ける。
バーテックスは、本拠地から追撃部隊を派遣したらしいが――このままでは、オメガの所へ辿り着く前に、その追撃部隊に捕まってしまうかも知れない。
『こいつはひどい』
思うところは、オペレーターも同じのようだった。
呆れた調子で、
『何考えてるんだ。この輸送部隊のアタマは、相当なボンクラだ』
だがその直後、オペレーターの口調が一変した。
コクピット内に、警報が鳴り響く。
『輸送部隊から、反応が二つ分離! ACだ! 二機のACが、そっちに向かってる!』
どうやら、敵は待ち伏せに気づいたらしい。
戦力を先行させて、罠を破っておこうと考えたのだろう。
(だがそれにしても、AC二機とは……)
予想外の戦力に、オメガは正直驚いていた。
だが、それだけだった。
彼の表情には恐れも、気負いさえもない。
目は冷酷に細められ、反面口元には愉しげな笑みが刻まれている。
『戦闘』ではなく、一方的な『虐殺』を愉しむ者の表情だ。
(そうとも。そもそも『これ』があれば、負けることなど……)
首筋を撫で、上唇を軽く舐める。
スティックを握り直す。
両脚がうずうずと揺れ始めた。
『一機が速い! 二機目に先行して、そちらに到達する! 距離、後300!』
満を侍して、オメガはシステムクラッチを踏みつけた。
『メインシステム 戦闘モード 起動します』
メインカメラに空色の灯が点る。
と同時に、突き当たりのトンネルから何かが飛び出してきた。
それは勢いそのままに、こちらへ突っ込んでくる。
強化人間の動体視力が、その正体をはっきりと捉えた。
ほっそりしたフレーム。そんな中で目だつ、鋭角的に迫り出したコア。左手にはショットガンを持ち、右腕には――射突型ブレードを備えている。
(METIS――ムームか……!)
一瞬で看破し、オメガはトリガーを絞った。
METISはマシンガンの集中豪雨に晒され、あっけなく前進を中断、慌てて――それでも妙にぎこちない動きで――ビルの陰に隠れていった。
「ひどい動きだ」
笑い、オメガはクラウンクラウンを跳躍させた。
逆関節のジャンプ力にものを言わせ、一つのビルを飛び越える。
そして飛び越えた先は――丁度METISの頭上だった。
すぐさまサイトを下に向け、軽量ACをロック。グレネードを容赦なく打ち下ろした。
クリーンヒットし、気持ちがいいほどの爆発が敵の頭部を吹き飛ばす。
『しまったっ』
敵レイヴンの悲鳴に、オメガは嗜虐心が満たされるのを感じた。
知らず、口元が緩む。
「いいね」
言いつつ、機体を着地させた。METISの正面である。
本当は、もっと長い間頭上という死角を占有できたのだが――それでは、あまりにも『狩り』がつまらない。
METISはその慢心を見逃さず、すぐさま突っ込んできた。
大威力の射突ブレードを、限界まで振りかぶっている。
『ち、近すぎる! 何をやってる!』
オペレーターが悲鳴を上げた。甲高い警告音が鳴る。
だがオメガは慌てず騒がず、突っ込んでくるMETISをただ見続けた。いや――観察した。
と、脳裏で何かが弾けた。
首筋に埋め込まれたチップが、脅威的な速度で演算を開始する。
相手の速度。距離。進行方向。果ては気温や湿度まで。
そういったありとあらゆるデータを加味して、ナインボールのAIチップはMETISの動きを予測した。
オメガはその予測に従い、機体がほんの少し左へ動かした。
そしてそれだけの動きで、射突ブレードは回避される。
鋼鉄の杭は、クラウンクラウンの脇の下をすり抜けてしまっていた。
『何だと……』
METISのパイロット――ムームが、呆然と呟いた。
今の攻撃が最後の切り札だったのだろう。
だが――その自信をへし折った。己の力で。
オメガは満足げに笑う。 ――まったく、たまらない。
今の能力こそ、オメガの真骨頂だった。
脳に埋め込まれたチップにより、相手の動きを予測できる。しかも的中率は高い。予知能力のようなものだった。
(……他のプラス《強化人間》の連中が、これを付けないのが不思議なくらいだ)
優越感に浸りつつ、右腕のガトリングをMETISに突きつけた。
さすがに、もう遊ぶつもりはなかった。敵ACはもう一機いるのだ。いつまでもMETISを生かしておけば、二対一になってまう。
(名残惜しいが……)
トリガーの指に力を込めた。
だが――そこで止まった。
トリガーが引けない。意に反して、人差し指が動かない。
ばかりか――体そのものが、痺れたように動かない。
歪んだ笑みのまま硬直するオメガに、ムームから声が来た。
『まだだ……!』
はらわたが煮えくり返るような怒りを、無理矢理一言へ圧縮する。
そんな声だった。 知らず、喉がごくりと鳴る。
『死ね……』
眼前のMETISが、射突ブレードを振りかぶった。
隙だらけの挙動。とろすぎる予備動作。
普段のオメガなら簡単に回避し、カウンターを見舞うことが可能だった。
だが、今は違った。
信じがたい事に、足が竦んでいたのだ。
「う、うわぁっ」
裏返った悲鳴をあげ、オメガは機体を後ろにダッシュさせた。
直後、METISが射突ブレードを繰り出した。
鋼鉄製の杭が、コアの数センチ先まで伸びてきて――ギリギリで止まった。
あと少し反応が鈍ければ、コクピットを剔られていただろう。
(た、助かった……)
安堵しつつ、バックダッシュで間合いを取った。
そうして安全圏に脱してから――ようやく、まともな思考がスタートする。
(……待て)
オメガの顔から、すっと一切の表情が消え失せた。
自分は何をやった。
逃げた? この程度の相手を怖れた、だと?
このオメガが、気圧され、尻尾を巻いて逃げだしたというのか。
「……なんだとくそっ」
屈辱だった。かつてない失態だ。
恐怖の反動で、ぐつぐつと怒りが沸き上がる。
顔が悪鬼のように歪む。
だがそんな怒りの奔流の中――奥底に、妙な感情が芽生えた。
微かな羨望、劣等感、そして嫉妬だ。
オメガはわけが分からなくなった。
この自分が、METISのどこにそんな感情を抱くというのか。
苛立ちで胸が爆発しそうになった。
(くそっ)
全ての疑問を振り切るように、オメガはブーストペダルを踏みつけた。
全速力でMETISに殺到する。
これ以上、このACを生かしておきたくなかった。
「ふざけやがって!」
オメガは肩のチェインガンから、景気よく弾をばらまいた。
METISは慌てて回避行動に入るが、そんなもので避けきれるはずもない。
METISの軽量装甲に、次々と弾丸が突き刺さっていく。
(……生意気な真似をしやがって……!)
と、METISが動きを止めた。
被弾反動で動けなくなったのだ。バランサーである頭部を失った状態で、チェインガンを貰い続ければ――いつかはこうなる。
オメガはそのチャンスを見逃さなかった。
クラウンクラウンが、左グレネードをMETISへと向ける。
「死ね」
トリガーを、引いた。
砲口からグレネードが吐き出され、一直線にMETISへと迫る。
だがその進路上に、突如として巨大な影が現れた。
その巨体は、METISの代わりにグレネードを受け止める。
閃光、そして轟音。
一撃でMETISの頭部を吹き飛ばした爆発が、現れた巨体を直撃した。
オメガは撃破を確信したが――すぐに、唖然とした。
一つ目の理由は、もうもうと立ちこめる黒煙、その中から進み出てくる巨体――いや、ACにダメージを受けた様子がなかったことだ。
コア表面に焦げ目が着いている程度で、腕部、脚部、頭部、コア、どこも損傷した様子はない。恐ろしく固い機体だった。
そして二つ目の理由は――そのACが『ニフルヘイム』という名前であり、知り合いの愛機であるからだった。
「……ガルムか?」 オメガは確認するように呟いた。
だが、誤認のはずもない。
重量二脚に、でっぷりしたコア、角張った腕部、平べったい頭部。それらが紫一色に染め上げられている。
これほど特徴ある機体を、見間違えるはずもなかった。
『ああ。そっちは、クラウンクラウン……なるほど、オメガか』
案の定、あっけなく肯定が返ってきた。
オメガは心底驚いて、
「……ガルム。見ないと思ったら、そんなちっぽけな勢力にいたのか」
『ちっぽけとは、心外だな』
「ちっぽけさ。どうしてそんな場所にいやがる。ジャック・Oはお前を捜してたぞ」
一連の言葉に、ガルムが笑った。
『こっちの勝手だ。ついうっかり、いい女を見つけてしまった』
誇らしげな口調だった。
実のところ、オメガも大体の所は察していた。
ムームとガルムが、一緒に現れたこと。あのケルベロス・ガルムがムームを庇ったこと。何より、事前情報もその可能性を示唆していた。
だが心のどこかで、認めたくなかったのだ。
「……惚れでもしたのか」
諦めたような口調で言うと、ガルムは認めた。
『そうだ。だからバーテックスの誘いは、断らせてもらった』
その口調には、数年前の荒々しさなど欠片もなかった。
心の拠り所を見つけ、そこに尽くすことを誇りとしている者の口調だった。
そこには、かつての面影など少しもない。
数年前、似たもの同士でタッグを組んでいたのだが――その時は、オメガと同じような空気を纏っていたはずだ。
だが今は、彼の言動にまとわりついていた、倦怠感、苛立ち、そして虚無感は綺麗に一掃されている。
かつてのガルムが、有り余るエネルギーを持て余すチンピラだとすれば――今のガルムは、そのエネルギーを残らず『ムームを守ること』につぎ込んだ、素晴らしく立派な騎士だった。
「……そうか」
ざわり、と心が波立つのを感じた。
先程ムームに感じた、羨望、劣等感、嫉妬が、より強い形で再来した。
三年の間に、この男はここまで変わった。それほどのものを手に入れたらしい。
それに引き替え――自分は。
オメガはその先の思考を、死に物狂いで千切って捨てた。
貯め込まれた劣等感は、そのまま怒りと憎しみに雪崩れ込んだ。
「今は敵同士だ。殺す」
殺せば、全てチャラにできる。
そう念じ、オメガはブーストペダルを踏みつけた。
『お互いレイヴンだ。容赦はしないぞ』
ニフルヘイムも両手の武器を構え、迎撃の体勢をとる。
だが、クラウンクラウンは空中に飛び上がり、ニフルヘイムを飛び越えてしまった。
面食らったような声が、ニフルヘイムから漏れてくる。
だがすぐに、危機的な悲鳴に変わった。
『まさか……!』
ガルムの声を笑いつつ、オメガは機体を着地させた。
ニフルヘイムの遙か後方、METISの背面である。
驚き、硬直するMETIS、その背中にクラウンクラウンは右腕のガトリングを突きつけた。
「お前からだ」
途端、ガルムが叫びをあげた。
ニフルヘイムがOBで突っ込んでくる。
現在の位置関係では、ニフルヘイムはクラウンクラウンを攻撃できないのだ。なにせ、二機の間にはMETISがいる。クラウンクラウンを撃てば、丁度METISに当たってしまうのだ。
(予想通りだ)
オメガはほくそ笑んだ。
首筋の予知機能――『チップ』が予想した通りの成り行きだったのだ。
オメガはすでにロックしてあった背部のミサイルを、連動ミサイルと絡めてニフルヘイムに撃ち放った。
連動ミサイルも、背部のミサイルも、上手い具合にMETISを左右から迂回した。そういう機動のミサイルなのだ。
驚いたのはガルムだ。
METISの裏側から、突如大量のミサイルが飛来したのだ。
そして、OBの機動はあまりにも単調で、ミサイル回避は不可能だ。
結果、ニフルヘイムに全てのミサイルが直撃した。
熱暴走したに決まっていた。
今が絶好のチャンスだった。
『ガルム!』
ムームの叫びをあざ笑うかのように、オメガは機体を跳躍させた。
空中でEOを起動、チェインガンとグレネードを構える。そのまま、紫の巨体に銃弾の雨を降らせた。
さすがに重装甲であり、すぐには死なない。
だが、明らかに効いている。
十秒ほどで、ニフルヘイムの脚部とコアから、黒煙が吹き出した。
(もう一押しだ)
思ったところで、ぞっとするような声がきた。
『やめろっ』 決して大きな声ではなかった。
だが、ずしりと胸を圧迫する気配があった。
声の主は――またもムームだ。
オメガの中で、何かが激しく軋みを上げた。
「また貴様か!」 オメガは標的をMETISに移した。
空中で方向転換、METISに向き直ると、新たにミサイルを構えた。高威力のミサイルを、空中から降らす予定だった。
だがミサイルがロックを開始した時、オペレーターから声が来る。
『オメガ! ACは放っておけ!』
信じられない指示だった。
無視しようと思った。
しかし、次の言葉がオメガを引き留めた。
『作戦失敗になる! 輸送車を破壊するんだ!』
オメガは慌てて、遠方の交差点に目をやり――愕然とした。
十字路を、小型のトラックが駆け抜けていく。それも、次々と。かなりの速度だ。
(あの一台一台が、輸送車だと……?)
だとしたら、今行かないと間に合わない。
オメガは機体を地上に戻し、ブーストペダルを踏みつけた。
クラウンクラウンが、輸送車を地上ブーストで追いかける。
「……輸送車はトレーラーじゃなかったのか? 話が違うぞ!」
言うと、オペレーターが悔しそうに応じた。
『恐らく、トレーラーの中に、小型の車両を隠していたんだ。今高速で走っているのが、その小さい方の車両だ。トレーラーは、恐らく途中で乗り捨てたんだろう』
「何でそんな真似を!」
『恐らく……完全に逃げ切るためだ。小型車両は、足が速くて小回りが利く。幅の狭い裏路地も走破できる。逃げるには、こちらが有利だ。
後……どうも、乗り捨てられたトレーラーが、バーテックスが派遣した追撃部隊の……その、進路を塞いでいるらしい』
オメガは思わず声をあげた。
「何だとっ?」
『つまり、そういうことだ。追撃部隊は、まんまと無力化された。もはや輸送部隊を止められるのは、位置の近いお前だけだ。
そして、そのクラウンクラウンをAC二機で妨害する……考えたもんだ、くそっ!』
悔しいのはオメガも同じだった。
一杯食わされたのだ。
思えば、輸送部隊の動きがのろかったのも、トレーラーに小型車を積んでいたからだろう。過積載だったのだ。
こればかりは、『チップ』でも予想できなかった。
(こうなれば……意地でも追いつく!)
決意した直後、コクピットを衝撃が突き抜けた。
後ろからだ。
ブースターが不調を訴え、速度がみるみる落ちていく。
猛烈に悪い予感を感じ、クラウンクラウンは後ろを振り返った。
そして案の定――そこには、METISが迫っていた。
しかも、右腕の射突ブレードを大きく振りかぶっている。
『もう一発……!』
再び、鋭い衝撃。
ブースターを傷つけたらしく、速度がさらに落ち込んだ。
機体温度が上昇し、熱暴走まで始まる。
(いつの間に……!) オメガは歯を食いしばった。
甘く見ていた。
METISの搭乗者は雑魚だが、その機動力は本物なのだ。
かつ、視界の届かない範囲は――特に背部には、『チップ』の予測が及ばない、という欠点がもろに出てしまった。
オメガは意味不明の悪態をつきながら、速度を調整、METISの背後に回り込んだ。
そこから、ガトリングをぴたりと構える。
狙うのは、METISの脇腹――ジェネレーター部位だ。
『ムーム! だめだ!』
ガルムの悲鳴に、一変、苛立ちがすっと消えていくのを感じた。
――ざまあみろ。 口元を歪め、トリガーを絞る。
ガトリングの砲身から、無数の弾が吐き出され、残らずMETISに突き刺さった。
高速移動していたMETISは、火花をまき散らしながら転倒した。
死んだ。
その確信と共に、オメガはその死骸を飛び越え、輸送部隊を追おうとした。
今なら、まだ間に合うのだ。
だがその背中に、今度はニフルヘイムが強烈なタックルを見舞った。
クラウンクラウンはバランスを崩し、そのまま近くのビルに突っ込んだ。
「邪魔するな――!」
叫びが、口をついて出た。
オメガはさらに悪態を吐こうとして――やめた。
というより、言葉を失った、という方が正しい。
体勢を立て直したクラウンクラウン、その前に立ちはだかるニフルヘイムは――ボロボロだった。
右腕は千切れ、頭部は吹き飛んでいる。体の各部から絶えず黒煙が噴き上がり、満載していた武装も、左腕のハンドガンだけになっていた。
『ここは通さん……!』
ニフルヘイムが、半壊したハンドガンを突きつけてくる。
それは、あまりにも無様な姿だった。そもそもハンドガン一丁で何ができるというのか。
しかも、首筋の『チップ』は、そのハンドガンも発砲できる状態でないことを告げていた。
だがオメガは、その姿に――気圧された。
ごくりと喉を鳴り、体が痺れる。
まるでムームの気迫が、ガルムに乗り移ったかのようだ。
「……何なんだ……」
オメガの顔が歪んだ。
理不尽な仕打ちに涙ぐむ子供、そんな表情だった。
「何だっていうんだ、くそっ」
悪態に応じるように、今度はMETISが身を起こした。
こちらも、ボロボロだった。というより、まだ息があったこと自体が奇跡だった。オメガはパイロットの即死さえ確信していたのだ。
事実、機体状況はニフルヘイムよりひどい。
ジェネレーター部位が、高温で溶解を始めている。バランサーが壊れたのか、右脚が激しく痙攣し、少し押すだけで倒れてしまいそうだ。
だがそれでも、METISは立っていた。
立って、オメガにショットガンを向けてきた。
『行かせない。組織の命綱なんだよ、輸送部隊の連中は』
その言葉が、ハンマーのように叩きつけられた。
胃がむかむかした。
あらゆる感情がごたまぜになり、胸の中で激しくうねった。
(……なんだ、お前らは……!)
そんなに輸送部隊が大事か。
何で、そこまで闘える。戦闘など、もう不可能なくせに。
何で、わざわざ俺の前に立ってくるんだ。諦めて寝ていればいいものを。
『……ガル』
ふと、ムームが口を開いた。
ガルムはそれだけで何かを察したらしく、
『いい。気にするな』
『……しかし』
『俺は満足してる。悪くない人生だったぞ』
ガルムの口調には、笑いが滲んでいた。
彼は本当に満足しているのだ。
途端、オメガの中で何かが爆ぜた。
ありとあらゆるストレスが、そのはけ口を見つけて動き出した。
チェインガンを選択、ニフルヘイムに照準する。
そのまま、何も考えずにトリガーを絞った。
高威力の銃弾が、ニフルヘイムの上半身をズタズタに引き裂いた。
紫の巨体が、炎上し、仰向けに倒れる。
『ガル……!』
ムームの悲鳴に、オメガはサディスティックな喜びを覚えた。
だが――足りない。
感じていた苛立ちも、焦りも、消える気配はなかった。
どころか、苦い敗北感に変わりつつある。
オメガは、今度はMETISに砲口を向けた。
「残念だったな」
死に物狂いで、嫌みな口調を捻り出した。
「お前は死ぬ。そうだ、輸送部隊が物資を届けても、武装勢力のボスが死ぬわけだ。よく考えれば、それで終わりじゃないか、お前の組織は!」
だがムームは、怯まなかった。
小さな声で、だがしっかりと、こう言い返す。
『……終わりじゃないよ』
すでに後継者が決まっているのかも知れない。あるいは、彼女は本当のリーダーではないのかもしれない。
いずれにせよ、それはオメガが願っていたものとは、正反対の文句だった。
やはりな、と思う一方、苛立ちは消えなかった。
オメガはトリガーを絞り、METISに無数の銃弾を撃ち込んだ。
装甲の薄いMETISは、上半身を引き裂かれ、倒れる。
今度こそ本当に息絶えたはずだった。
しかし――苛立ちも焦燥も、残ったままだ。
「くそっ」
オメガは内壁を殴りつけた。
成功率60%を超えていた、輸送車を撃破するという任務に、失敗したこと。
見くびっていた二人のレイヴンに、一杯食わされたこと。
そして、最初からガルムやムームに感じていた、正体不明の羨望や、劣等感や、苛立ち。
それらが複雑に入り乱れていた。
ひどく、もやもやとした気持ちだ。戦場でなければ、叫び出していたかも知れない。
『……レイヴン、輸送部隊の反応が消えた。逃げられた。
……まぁ、厄日だな』
オペレーターが、オメガを労うように《ねぎらうように》言った。
『気にするな、仕方がなかった。トレーラーの仕掛けに気がつかなかったのは、こちら側のミスだ。だから……』
「だから、何だ」
オメガの口から、不気味なほど平坦な声が漏れた。
『いや、だから……』
オメガはオペレーターを無視し、スティックを握り直した。
右腕のガトリングを、倒れたMETISへと向ける。
『……どうした、レイヴン?』
「黙れ」
言って、ガトリングをぶっ放した。
もはや動かないMETISに、高威力の銃弾が降り注ぐ。
細身のフレームの上で、着弾の火花がダンスを踊る。
無抵抗のMETISは、すぐさまくず鉄の山になってしまった。
『レイヴン! どうした!』
「うるせぇ!」
オメガは発砲を止めなかった。
まるでそうすることで、失ったプライドが、精神の土台が、返ってくると信じているかのように。
しかし――オメガの意に反して、死体にむち打つクラウンクラウンの姿は、無様だった。
まるで、手当たり次第に噛みつく、怯えきった子犬のようだ。
――畜生!
オメガは唇を噛みしめた。
*
オメガは、これ以上ないほど惨めな思いで帰還した。
ガルムとムーム、両名の賞金が払われ、大幅な黒字となった。作戦の失敗も、情報ミスということでオメガの責任は不問となった。むしろ、レイヴン二名を返り討ちにした、オメガの手腕は評価された。
この結果から見れば、今回の出撃は成功の部類に入るだろう。
金も入り、組織内での株も上昇した。文句の付け所など一つもない。
しかしその一方で――オメガが、何か大事なものを喪ったのも確かだった。
現に、今まで彼が安住していた土台は、丸ごと消え失せていた。
他の者共に抱いていた、心地よい優越感が感じられなくなっている。ばかりか、劣等感がじわじわと心を蝕んでいた。
何より深刻なのが――虚無だ。
今までにない強さで、荒涼とした虚無が胸中に吹きすさんでいる。
自分には、何もない。ガルムは、命を落とすに値するものを、いつの間にか手に入れていたにも関わらず。
何も持たないまま、ここまで来てしまった。
そう思う自分に嫌気が差し、オメガは唇を噛みしめた。
「……何だってんだ」
小さく吐き捨てると、近くの下士官がびくりと体を揺らした。
どうやら、聞こえていたらしい。
だがオメガはそれにさえ気づかず、ぶつぶつと呟きながら、基地の通路を進んでいく。
「帰ってきたのか」
そのまましばらく進んでいると、不意に、後ろから声を掛けられた。
しわがれた声で、やはり一発で分かった。
「あんたか、烏大老」
振り向くこともせず応じる。
大老は特に気を害した様子もなく、こう訊いてきた。
「苦戦したようだな」 オメガの眉が跳ね上がった。
平静の声を出すのに苦労した。
「……少しな」
「依頼も失敗したようだな。生涯初めての失敗は、この24時間でついたか」
「……何が言いたい」
言葉に若干の険がこもるのを、止められなかった。
だが大老は、それにも動じずこう言ってのけた。
「総帥は、お前の能力を疑問視している」
顔が強ばった。
「……なんだと?」
「言葉の通りだ。総帥は、お前の能力を見限りつつある。
組織の建前としては、お前の責任は全て不問となっている。
だが、それは総帥本人の思惑とは違う。
今回の『失敗』で、総帥はお前の評価を大きく下げた」
途端、オメガが爆発した。
振り向き、大老に食ってかかる。まるで全存在を否定されたかのような激高ぶりだった。
「ふざけるなっ!」
その言葉が廊下中に響きわたった。
通行人の視線が集中するが、オメガは気づきもしない。
大老の胸ぐらを掴み、
「俺が、なんだと!」
「落ち着け」
「あんな野郎に何が分かるってんだ!」
今やオメガは、かつての紳士然とした仮面を、完全に捨て去っていた。
大老に驚きが見られないのは――きっと、彼の眼力はオメガの本性を見抜いていたからだろう。
「……いいから、落ち着け、オメガ。お前にいい話がある」
そう言い、大老は依頼書をオメガに突きつけた。
上辺のミッション名の欄には、『保管区制圧阻止』と書かれていた。
*
大老の言い分はこうだ。
ジャック・Oは、先の『輸送部隊撃破』の任務において、『完遂』を求めていた。
METISとニフルヘイムを撃破し、かつ、高速で逃げる輸送部隊を残らず撃滅する――こういった結果を求めていたというのだ。
無茶、とは言えなかった。
ACにはそれだけのポテンシャルがある。それを引き出せなかったからこそ、オメガのプライドはああまで傷ついたのだ。
そしてジャックは、オメガがそのポテンシャルを引き出せなかったことに、深い失望を覚えている。
しかし、まだチャンスはゼロではない。
本日18時頃に、ジャックが認めるレイヴンが、『資材保管区』へやってくる。
アライアンスより、その施設の奪還命令を受けているのだ。
そしてそのレイヴンを撃破すれば、ジャックは評価を改めるだろう。
弱者の扱いを受けずに済むのである。
『もっとも……』
頭の中に、大老の声が蘇った。
『楽な仕事ではない。奴は強い。本当に強い。
ドミナントの噂さえ流れている。それでも、やるか?』
大老の問に、オメガは迷わず応と答えた。
そして契約書にサインし、パイロットスーツを着込み、愛機に乗り込んで、ここ――資材保管区へとやってきたのだ。
しかし――
(……いくら何でも、狭いな)
オメガはコクピットから周辺を見渡し、眉をひそめた。
彼がいるターミナルエリアは、資材保管区の中で最も広いエリアだ。だが、それでも手狭である感じは否めない。
床面積はアリーナの三分の一もないし、壁のあちこちから梁《はり》のような道路が走っている。
旋回性能が低い逆関節には、不利なマップだった。天井が低いので、持ち前のジャンプ力も生かしづらい。
(やはり、最後に頼りになるのは、こいつか)
オメガは首筋を撫でた。
その辺りには、オメガの切り札『チップ』が埋め込まれている。相手の動きを予測してくれる、魔法の一品だ。
(……こいつがあれば、負けない)
オメガは自分に言い聞かせた。
そうとも。相手が何であろうと、自分は未来を読める。
常に、相手の裏をかける。
このチップがある限り、オメガは圧倒的に有利なのだ。
狩られる側と狩る側は決まっており、オメガは常に狩る側だ。
先の戦いなど、本当なら気にする必要はないのである。
『レイヴン!』
思っていると、通信が入った。オペレーターからだった。
『敵ACが保管区に侵入! あと数分で、そちらに到達する模様!』
ついに来た。
オメガは顔を引き締め、システム・クラッチを踏みつけた。
『メインシステム 戦闘モード 起動します』
オメガは、まだ見ぬ対戦者に――いや、獲物に思いを馳せた。
ジャックが見込んだ相手だ。自分の機嫌はひどく悪いが、それでも勝利すれば、『酔える』だろう。
いや、酔わなければいけない。
早く、先の戦いを忘れなければいけないのだ。
(……まだか)
と、突き当たりのシャッターが開いた。
まさか、と思った。早すぎると思った。
だが、そのまさかだった。
ぽっかりと口を開けた出入り口から、中に歩んでくるのは――ブリーフィングで見たとおりの機体だった。
名は、ファシネイター。
ダークパープルに染め上げられた、スリムかつ滑らかなフレーム。
だがその反面、マシンガン、ブレード、ロケットにミサイルと、これでもかというほど攻撃的な武装をしていた。
特徴的なグリーンのモノアイが、ゆっくりと辺りを睥睨し――やがて、その視線がオメガをまっすぐに射抜いた。
強い。
見つめられ、オメガは背筋を震わせた。
オメガは、AC戦の経験が乏しいが――それでも、ナンバー1の威圧感だった。
「……そこまでだな」 動揺を悟られまいと、オメガは強い口調を捻り出した。
「易々とここを明け渡すわけにはいかない!」
言いながら、オメガはブーストペダルを踏みつけた。クラウンクラウンが左へスライドダッシュ。
途端、今までいた場所にロケットが突き刺さった。
ぎりぎりで避けられたのは、予測装置――『チップ』が危険を教えてくれたからだ。
(危なかった)
だが、やはり『チップ』の予知は役に立った。こちらの方が一歩上を行っている。
(……いける!)
確信し、オメガはチェインガンを構えた。
瞬時に照準、ファシネイターへ向かって高威力の弾丸をばらまいた。
しかし、ファシネイターは怯まなかった。
チェインガンの雨の中、ブースト全開で突っ込んでくる。
装甲にモノを言わせた突撃だった。
オメガが会心の笑みを浮かべる。
千載一遇のチャンスが、まさかこんな早くに回ってこようとは。
『チップ』の予知をもってすれば、カウンターをとるのは造作もないことなのだ。
(焦ったな)
オメガは『チップ』を起動させた。
こちらに突っ込んでくるファシネイター、その姿が網膜から脳へ、そして脳から『チップ』へと移動する。
『予測結果』が出るまで、コンマ一秒もかからなかった。
オメガはその結果の通りにスティックを捌き、機体をファシネイターの右側面へ逃がした。逃がそうとした。
そこは敵にとっての死角であり、そこに入り込めば、悠々とカウンターをとれるはずだった。
だが、機体は動かなかった。
動くより早く、鋭い衝撃が――ファシネイターが放ったロケットが、クラウンクラウンを釘付けにしていたのだ。
(ロケットっ?)
オメガにとっても、『チップ』にとっても、まるっきり考慮の外だった。
実のところ――この時点で的確な回避行動をとっていれば、追撃は避けられたのだが、オメガは激しく動転していた。
信じ切っていた『予測の力』、それが初めて外れたのである。
軽いパニックですらあった。
結果、ファシネイターの追撃を――ブレードをまともに喰らった。
鮮やかなブルーの刀身が、クラウンクラウンのコアを一閃する。
『コア損傷』
たった一撃で、このダメージ。
慌ててAPを確認すると、なんと1200も吹き飛んでいた。とんでもない威力だ。
オメガはブーストペダルを踏みつけ、機体を左へジャンプさせた。
まずは距離をとろうと思ったのだ。
が、甘かった。
ファシネイターは信じられない反射速度でその動きに気づき、すぐさまクラウンクラウンの後を追った。
機動性の違いか、一瞬で追いつかれた。
逃げられない。
オメガは反射的に、機体をファシネイターの方へ向けた。
そのまま左腕のグレネードを撃ち放つ。
至近距離での発砲であり、避けることは不可能だった。燃えたぎるグレネードが、ファシネイターのコアを直撃する。
ファシネイターの上半身が、爆炎に包まれた。
だが――それだけだった。
ファシネイターは、止まらない。
炎を振り払うような速度で、こちらに突っ込んでくる。その左腕では、ブレードが長く伸ばされていた。
「なんだと……」
オメガが息を呑み、怯んだ。
反撃を怖れず、クロスレンジへと機体をねじ込んだ心意気に――威圧感を感じていた。それも、ガルムやムームに感じたものと、同種の威圧感だ。
「くそっ」
オメガは最後の望みを賭け、もう一度『チップ』を起動させた。
*
オメガの戦場から数一〇キロも離れた、バーテックスの拠点。
烏大老はそこの通路で、携帯テレビを眺めていた。
傍目には、ただ単に壁に背を預け、映画でも観ているように思える。
しかし、大老が観ているのはそれではない。
携帯テレビの小さな画面は、今まさに資材保管区で展開されている、オメガとファシネイターの戦いを映している。
現地の映像が、この小型テレビに転送されているのだ。
(……やはり、厳しいか。ガルムとムームを倒したというから、『底力』の方には少しは期待したのだが……)
一部始終を眺め、大老は鼻を鳴らした。
丁度、オメガがファシネイターに斬られる所だった。これで、二度目である。
開始直後に一回、その攻勢から逃げようとしたところを、追撃されてもう一回。
無様なものだった。
「まぁ、こんなものか……」
失望と安堵を半々に、大老は息を落とした。
と、横から声をかけられる。
「よお」
「……マックスか」
軽々しい挨拶に、大老は声だけで応じた。その間も、視線は画面を見つめたままだ。
マックスと呼ばれた壮年の男は、小さく笑うと、大老にそっと問いかける。
「……で、どうだ。オメガは」
マックスは、大老のオペレーターだった。組んで数十年になる。
そして彼ら二人は、ジャック・Oの真意を知る数少ない人間だった。
オメガの戦いを監視するのも、ジャックの真意――すなわち、『ドミナント選定』絡みの話である。
「……俺的には」
マックスは続けて言った。
「オメガがドミナントっていうのはどうにも信じがたい。
大老、実際のところはどうだ」
「……だめだな」
断言にも、マックスは動じなかった。
「だめか」
「そうだ」
「……やっぱりな」
マックスが肩をすくめて見せた。
そのタイミングで、画面の中でクラウンクラウンが斬られた。三度目だ。頭部を吹き飛ばされ、逆関節のACは慌てて距離を取る。
「……オメガは、姿勢に力がない。これは、結局最後まで変わらなかった」
それを観つつ、大老は呟いた。
「奴は、戦いと本気で向き合っていない。殺人に快楽を覚えるのは、奴の勝手だ。
だが少なくとも、奴には真摯さが足りない。
相手への怨念が足りない。これでは、腹を括って闘いに挑む、本物のレイヴンには及ばない」
厳しい評価だった。
だが、現実である。オメガがムームやガルムに気圧されたのは、まさにこの『覚悟』の違いだったのだろう。
もっとも、先の戦いの後半では、オメガにも若干の気迫があったが――それは『逆上』と呼ばれるものだ。
無力だと信じ込んでいた獲物に、噛みつかれ、プライドを傷つけられる。そしてキレた。
それだけの話なのだ。
『覚悟』とはほど遠い。
マックスが付け加えるように、
「『チップ』は? オメガには、それがあるんだろ、予知能力が」
「……そんなもの当てにならん」
大老は吐き捨てるように言った。
「映像を見て、分かった。オメガに載っている『チップ』は、ナインボールや管理者無人ACのに比べると、遙かに不出来だ。
あれで動きが予測できるのは、せいぜいMTか下位のレイヴンだけだ。
敢えて言おう、俺でも勝てる」
「……でも、ガルムに勝ったんだろ? ガルムは腕利きじゃないのか?」
「思い出せ。ガルムはムームを庇ってしまった。それで動きが、MT並に直線的になっていた。
恐らく奴一人であれば、決して遅れは取らなかっただろう」
大老の言葉に応じるように、クラウンクラウンの左腕が千切れた。どうやら、またブレードで斬られたらしい。
手も足も出ないとはこのことだった。
「……オメガ自身の技術も、未熟だ。そして頼みの『チップ』も、役立たずであることが分かった。
もっと早い段階で、腕利きのレイヴンと当たっていれば、化けの皮も剥がれたのだろうが……」
容赦のない大老に、マックスは尋ねた。
「……つまり、勝てない?」
「そうだ。技術も、精神力もない男だ。奴にあるのは、せいぜい――」
大老は、自身の胸ぐらの辺りに手をやった。
少し前、オメガに掴まれた場所だった。あれから随分時間が経ったが、未だに掴みかかられた感触が残っている。
相手はよほど強い勢いで向かってきたのだろう。
それだけ、馬鹿にされた怒りが強かったということか。
「――せいぜい、高いプライドぐらいだ。
それも、実力の伴わない空っぽのプライドだ」
言っていると、画面の中でさらに動きがあった。
大老は目を細め、ふんと鼻を鳴らした。あからさまな侮蔑の表情だった。
画面の中では――追いつめられたクラウンクラウンが、ターミナルの出口に向かっていく。
逃げ出そうとしているのだ。
だがターミナルの扉は、決して開かない。決着がつくまで、決して扉を開けるな――部下にはそう言い含めてある。
(無様な最期を選んだものだ)
大老は、オメガを完全に見限った。
*
オメガは、かつてない恐怖の中にあった。
今いる敵が、同じ人間とは思えなかった。
ファシネイターの前では、どんな攻撃も無意味であり、その猛威の前ではナインボールの『チップ』の予測さえ無力だった。
死ぬ。
その恐怖が、オメガの腕をがっしりと掴んでいた。
考えたこともない状況だった。
今までは、未来を予知できる『チップ』のおかげで、戦いは一方的な『狩り』だった。自分は『予知』という安全圏に身を置きながら、敵を蹂躙する――それが、オメガのスタイルだったのだ。
しかしこの闘いに置いては、それが全く逆転していた。
絶対と信じていた『チップ』という命綱は、ズタズタに切り刻まれてしまっている。
「……畜生!」
毒づき、オメガは背後を確認した。
ファシネイターが、追ってきている。
逃げなければ。
オメガの頭には、もはやそれしかなかった。
今回の敵は、もはや天災のようなものだった。ハリケーンや火山の噴火に対して、反撃する馬鹿はいまい。
そのような圧倒的な存在に対して、人間ができることは、避難することだけだ。さもなくば、死んでしまう。
「……くそっ」
オメガは、なんとか出入り口へ辿り着いた。
かつてない速度でパネルを叩き、解除キーを入力、シャッターを開けようとしたが――頭部COMは無情の宣告をした。
『ゲートが動作しません』
足下に、ぽっかりと穴が開いた。
その深い深い穴に、落ちていく感覚。
もう戻れない。
オメガは絶叫した。
背後からは、今もファシネイターが近づいてくる。
「……なぜだ」
クラウンクラウンが、ファシネイターに向き直った。
もはや決着はついていたが、ファシネイターは気を緩めず、ブースト全開で突っ込んでくる。
その左腕部からは、すでに真っ青なブレードが伸ばされていた。
逃げられない。
背後には壁、かといって左右に逃げる余裕もない。ついでに言えば、それだけの気概もない。
ファシネイターが、ブレードを大きく振りかぶる。
『……死ね』 ファシネイターから、厳かな声が来た。
と同時に、ブレードが振られる。眩いブルーの輝きが、メインモニターを埋め尽くした。
その死の瞬間――オメガに訪れたのは、恐怖でも、怒りでもなかった。
胸中に吹き荒れたのは――寒々とした虚無だった。
言い残す言葉も、別れを惜しむ人も、何もない。
何も残さず、何も与えず、消えていく。
それが、生の終わりに顧みた《かえりみた》、オメガの人生の全てだった。
――寒い。
思った途端、その音はやってきた。
ガシャン、という車の衝突にも似た金属音だ。
間違っても――ブレードで金属が溶ける音ではない。
(……何だ?)
思い、オメガはメインモニターを確認し――ぎょっとした。
クラウンクラウンの腕が、ファシネイターの左腕を掴み、押し戻そうとしていた。
破壊的なエネルギーを秘めたブレードは、クラウンクラウンに届く寸前で止まっている。
(ブレードを……防いだのか? 俺が?)
そこで、オメガは自分がスティックを握っていることに気がついた。
手が、勝手に動いたのだ。そうとしか考えられなかった。
(……俺が……)
無意識の内に発揮した、思わぬ行動力に、オメガは呆然とした。
そんなオメガに構わず、ファシネイターはクラウンクラウンの腕を振り払うと、すぐに二度目の斬撃を準備した。
このままでは、死んでしまう。
(……嫌だ)
オメガは、自分の人生がどんなものであったかを思い知っていた。
そこには思い返すに値することは、何一つとしてない。空っぽの、あまりに寒々として人生だった。
オメガはこうなると薄々感づきながらも、幼い日より徐々に醸成された虚無、それに身を任せてしまった。
その挙げ句が――死ぬ前に感じた、あの壮絶な『寒さ』である。
満足げに逝った、ガルムやムームとは大違いだ。
「ちくしょう……」
切なく、哀しく、だがそれ以上に――悔しかった。
肥大化したプライドが、その思いを後押しする。
この俺が。なんでこんな様に。
理不尽だ。許容できない。
断固として。
オメガの中で、ゆっくりと何かが組み変わった。
育て上げられたプライドが、今、『意地』となって行動を呼び起こそうとしている。
――このままでは、終われない。
「ちくしょう……!」
スティックを握る手に、力がこもった。
慣れ親しんだ、鋼鉄の手触りが彼の意気込みを出迎える。
と、ファシネイターが、ブレードを振った。
以前とは違い、上から打ち下ろすような振り方である。
そしてそれは、より力がかかる分、受け止められにくい振り方だった。
しかし――クラウンクラウンは、それもやり過ごした。
腕が素早く動き、敵の左腕を打撃、ブレードの軌道をずらす。青い刀身は、クラウンクラウンの背後にあるシャッターに、深々と突き刺さっただけだった。
ファシネイターが、驚きの声を漏らす。
クラウンクラウンはその隙をついて、ファシネイターにチェインガンを向けた。
言葉が口をついて出てくる。
「行くぞ……!」
それは「殺す」であり、「ふざけるな」であり、また「見たかこの野郎」でもあった。
心の底からの、怨念の叫びだ。
トリガーを、絞る。
鋭利な弾丸が、チェインガンの砲口から飛びだし、残らずファシネイターに突き刺さった。
思わぬ反撃に驚いたのか、ファシネイターが慌てて距離を取る。
胸のすくような思いだった。
(……そうだ)
このままで終われるか。
力の限り、お前に喰らいついてやる。
決死の覚悟を胸に、オメガはシステムクラッチを踏みつけた。
『メインシステム 戦闘モード 起動します』
飛び退くファシネイターに、クラウンクラウンが肉薄する。
ファシネイターは、それに驚いたようだった。
無理もない。傷を負っているクラウンクラウンが、あえて接近するというのは――完全にセオリーから脱していた。
『自殺する気か』
ジナイーダが問う。
オメガは応えなかった。そもそも、質問が耳に入っていなかった。
体の芯に沸き上がる、熱く激しいもの。それが、頭に無尽蔵に汲み上げられてくる。
とても話を聞ける状態ではなかったのだ。
「ミンチだ」
オメガがトリガーを絞った。
背部のチェインガンが、眼前のファシネイターに銃弾をばらまく。
『くそっ』
ファシネイターは、飛び上がってそれらを回避した。
変則的な機動だったが――オメガはその動きに対応し、機体を右に振り向かせる。
案の上、そこにファシネイターが着地した。
すでに、その左腕部からはブレードが伸ばされている。
こちらに光波を飛ばすつもりだろう。
そう思った途端、オメガの唇が笑みの形に歪んだ。
「いいね」
呟き、オメガはブーストペダルを踏みつけた。
猛スピードで接近、ファシネイターの懐に潜り込む。
ジナイーダが、驚きの声を漏らした。
オメガは構わずスティックを操作し、チェインガンを照準した。
70ミリの砲口が狙う先は――ファシネイターの右肩だ。
「死ねよ……」
静かだが、その分寒気のする声だった。死神が、耳元でそっと囁いたら――こんな感じかも知れない。
直後、チェインガンが吼えた。
無数の銃弾が、ファシネイターの右肩に突き刺さる。
鼓膜を叩く発射音の中、金属が歪み、千切れる音が響いた。
高威力の銃弾が、ファシネイターの右肩をもぎ取ったのだ。
『なんだと……!』
ファシネイターは、残った左腕でクランクラウンを突き飛ばすと、ブースト移動で間合いをあけた。
しかし――それは紛れもなく、本能的な『逃げ』の動きだった。
ドミナントが、怖れている。
オメガが叫びをあげた。
スティックを握り直す。
そしてもう一度、ブーストペダルを踏みつける。
「行くぞ……!」
呟きつつ、クラウンクラウンが接敵。
マイクロミサイルが浴びせられるが、怯むことなく中央を突破し、ファシネイターに迫る。
このまま接近し、またチェインガンを浴びせかける。それしか頭になかった。
同時に、地力で圧倒的に劣るクラウンクラウンが、ファシネイターに勝利するには――この特攻先方しかないと、本能的に看破してもいた。
だがそこで、疾走する機体に鋭い衝撃が走った。
ロケットだ。マイクロミサイルに紛れ、ファシネイターが撃っていたのだ。
そしてその鋭い弾頭は、クラウンクラウンのジェネレーター部位に、冷酷に、かつ無慈悲に突き刺さっていた。
「……は?」
一瞬の間。
ぞっとするような、空白の時間。
それが過ぎた後、急激に機体温度が上昇し始める。
ダッシュが止まる。
腕部が痙攣を始め、サイトが勝手にぶれる。
慌ててトリガーを引くが、どうしてか弾が出なかった。
「ふざけんなよ」
オメガはメインモニターを覗き込み――絶句した。
『ジェネレーター損傷』。『下腹部で火災発生』。たった二行のメッセージが、オメガの上に重くのしかかる。
スティックを滅茶苦茶に動かしたが、機体はもう反応しなかった。
歩くこともなければ、腕を動かすこともない。もはやクラウンクラウンは、直立したくず鉄だった。
じきに爆発するだろう。もっとも、その前に中のオメガは焼け死ぬだろうが。
「くそっ!」
オメガは内壁を殴りつけた。
だが、どんな機体であっても、ジェネレーターのEN供給がなければ動かない。その事実は決して揺るがなかった。
もしこれが全快状態であれば、ロケット一発がジェネレーターまで到達することなどないのだが――クラウンクラウンは、すでに何回もブレードで斬られていた。
ロケットをはじき返すだけの防御力は、もはや残っていなかった。
「……ちくしょう」
声が、漏れた。
目の前の敵に、届かなかった。
その一念が、身を焼き尽くすほどの悔いになっていた。
ファシネイターが、そんなクラウンクラウンに、ゆっくりと近づいてくる。
その左腕部から、青く、長い刀身が伸ばされていった。
斬るつもりだ。
思ったときには、ファシネイターが急接近してきた。
紫の巨体が、画面一杯を占拠する。
その瞬間――誰よりも高いプライドが、猛々しい叫びを上げた。
一度は消えかけた戦意が、猛然と燃焼する。
闘え。
その声が、頭の奥に響いた。
予測機能――『チップ』の声とは違う、『芯』からの囁きだ。
「分かってる」
呟き、オメガはスティックを前に倒した。
それと同時に、固い椅子から体を浮かせ、前方の壁に――メインモニターの辺りに渾身のタックルをかます。
「進めぇ!」
そして信じがたい事に――それで、機体の重心が動いた。
クラウンクラウンが、前のめりに倒れ出す。
運の良いことに――丁度その時、ファシネイターはクラウンクラウンの眼前にまで迫っていた。
倒れるクラウンクラウンは、そのファシネイターを巻き込んだ。
直後、突き抜けるような衝撃と共に、天地が逆転、轟音が響きわたった。
(……どうなった……?)
痛む頭を叱咤し、オメガが目を開けると――メインモニターには、ファシネイターのコアが映し出されていた。
どうやらクラウンクラウンは、ファシネイターの上に覆い被さっているらしい。
まるで、押さえ込もうとするかのように。
オメガの顔に、悪魔のような笑みが戻った。
「……道連れだなぁ」
これ以上ないほど、気持ちのこもった声だった。
そうとも。こいつを殺すために、全力を尽くす。こいつを殺し損ねるぐらいなら、のたうち回って焼死する方が遙かにマシだ。
もっとも、クラウンクラウンの爆発が、ファシネイターに致命的なダメージを与えられるかは、やってみないと分からないが――可能性は十分ある。
『お前……!』
ファシネイターが、もがく。
ジェネレーターが壊れているクラウンクラウンは、もはや阻止できない。
しかし――ファシネイターは、右腕を破損させていた。片腕なのだ。
例え妨害がなくとも、片腕だけで重量級ACをどかしきれるかは――非常に怪しい。
かつ、ファシネイターの低出力ブースターでは、ブーストのパワーで強引に立ち上がったり、這い出したりすることも容易ではないだろう。
と、コクピットが急激に熱さを増した。
そろそろ最期が近いらしい。爆発までは、もはや秒読み段階だ。
『馬鹿なっ』
向こうもそれを悟ったのか、ファシネイターから焦った呻き声が漏れてくる。
オメガは、そんな状況に――言いしれぬ滑稽さを覚えた。
(……なんて様だよ)
くく、と声が漏れる。
最初のファシネイターは、まさしく天災のような存在だったのだ。闘おうとさえ思わなかったし、現に『戦闘』そのものはファシネイターの圧勝だ。
だが今はどうだ。
愛機の下で、紫の巨体はもがいている。しかも片腕だ。
なんて無様な姿だろう。最初の威勢など欠片もない。
このオメガが、あのファシネイターをここまで引きずり下ろしたのだ。
一発、かましてやれたじゃないか。
そう思うと、不思議な気持ちが飛来した。
満たされていく。
空っぽだった自分の中に、心地よい疲労感が、達成感が、なみなみと注がれていく。
その想像を絶する心地よさに、オメガの目から涙がこぼれ落ちた。
(……できれば、もう少し早く……)
思ったが、頭を振った。ついでに涙も振り払う。
時間は少ない。
オメガは宿敵ファシネイターに、言葉を叩きつけた。
「……ざまぁみやがれ」
それが、オメガの最期の言葉になった。
あまりにもひどい遺言だが――その時のオメガは、笑っていた。
快楽殺人者のものとは思えない、太陽のような、晴れがましい笑みだった。
直後、圧倒的な熱量が、コクピットに押し寄せた。
*
映像の中で――俯せに倒れるクラウンクラウン、その背中から火が噴き上がった。
ACほどの高さがある、巨大な火柱だ。まるでオメガの強烈な悪意が、炎となって立ち上っているかのようだ。
その灯りが、戦場となったターミナルを夕焼け色に照らし出している。
「……終わったな」
携帯テレビの画面を睨みつつ、大老が呟いた。
「オメガは死んだ。勝者は――」
大老は画面端に映される、紫のACに目をやった。
「ジナイーダだ」
紫のAC――ファシネイターが、ゆっくりとこちらを振り返った。
ひどい姿だった。
右腕部は千切れ、色々な関節から黒煙が噴き上がっている。
勝者も貫禄も何もない。手ひどいやられ方だった。
オメガの爪は、ドミナントにしっかりと届いていたのである。
「……しかし、よく脱出できたな」
傍らで、大老のオペレーター――マックスが訝しげに言った。
「実際、やばかっただろ? ファシネイターは片腕、ブーストでの脱出も困難。どうやって助かったんだ?」
マックスは、AC戦の専門家ではない。
クラウンクラウンの下からファシネイター脱出する一部始終は、目にしたはずだが――映像だけみても、いまいち脱出のカラクリが分からないのだろう。
大老は説明してやることにした。
「簡単なことだ。まず、片腕でクラウンクラウンを押し上げる」
「できるのか? 相手は重量級だ、パワー不足じゃないか?」
「正攻法では無理だがな。地面とクラウンクラウンのコアの間に、肘から先をねじ込む。つっかえ棒をするようにな。
そうすれば、のし掛かっていた機体が浮く。これなら低出力のブースターでも、脱出に支障はないだろう。一挙に脱出できなくとも、上半身だけでも出れば、後は楽だからな」
納得したらしく、マックスは大げさに肩をすくめた。
「にしても、アンビリーバブルだ」
「だが、現実だ。あの女は、本当にドミナントかもしれん」
大老は目線をモニターに戻した。
だが、もはやファシネイターの姿はない。
任務を終えたので、さっさと帰還してしまったのだろう。
本来なら、味方の部隊が到着するまで待つべきである。腕利きのレイヴンにしては、少々無責任な態度だった。
けれど――大老は、彼女の気持ちも理解できた。
戦いの後半、オメガが発した気迫は尋常でなかった。
人間の本能を直接刺激する、そういう『恐さ』があった。
そういったものが振りまかれた空間から、遠ざかりたいというのは――自然な反応ではあるだろう。
もっとも、単に後続のMT部隊の様子を見に行った、という線もあるが。
「しかしな」
思っていると、マックスが不快げに言った。
「品性下劣な、最悪な奴だったな。オメガって野郎は、最期まで」
その感想に――『常人』としてはごく当然の感想に、大老は口元を歪めた。
「そうだな」
「往生際が悪いしな」
「……マックス」
笑みを深めながら、大老は言った。
「何を言ってる。最高の死に様じゃないか、あれは」
遠くで無線機が鳴っている。
階下の格納庫から、MTが駆動する音がした。
二人の付近を、一般隊員が通過していく。その靴音が、通路に反響し、やがてゆっくりと消えていった。
「……そうか」
長い沈黙の末、マックスはそうとだけ言った。
大老は頷きを返す。
どんな理由かは分からないが――後半のオメガには、気迫があった。それも、見ているこちらさえ心胆が冷えたほどの、濃密な気迫だ。
その闘念に、怒りに導かれるまま、全ての精力を総動員して、敵わぬ敵に向かっていく。
そしてその果てに、燃え尽きていった。
戦士としては申し分ない、充実の死に様だった。
もっとも、オメガのような男でも、その域に到達できたかは、まさしく神のみぞ知る、だが。
「奴には勿体ないほどの死に方だよ」
大老が呟いた。心なしか、年相応の疲労が匂っていた。
「……できるなら、代わりたいか?」
マックスの問に、大老は応えなかった。
代わりに、苦笑とも微笑ともつかない、曖昧な笑みを浮かべた。