暦は地球歴224年の9月、アイラ・ルークスカイが地球に降り立ってから、すなわちチーム・ルークスカイの結束から丸一年が過ぎようとしていた。
チームは世界中の政局を覆すような大規模な依頼を次々とこなし、その勢いは日を追うごとに増していたが、彼らが示した破竹の勢いが、停滞しつつあった地球圏の二大企業による支配体制に思わぬ変化をもたらすことになる。
まず特定の雇い主を持たないフリーのレイヴンが寄り集まりチーム・ルークスカイの手法を真似し始め、結果レイヴンチームの乱出が引き起こされた。その多くは技量と信頼に不足しており、数か月を待たずに解散に追いやられたが、機と才に恵まれた幾つかのチームはルークスカイに劣らない活躍を見せるようになる。
すると、各企業が子飼いのレイヴンを切り捨ててまで彼らに助力を仰ぐようになったため、両者の雇用関係に亀裂が入り、仕事にあぶれたレイヴンが多発した。その中には借金を用いてまで一念発起に臨む者もいたが、彼らが取った手段はやはり流行りのチーム設立だったため、企業とレイヴンの関係はますます悪化することになった。
こうした旧体制にとっての悪循環、言い換えれば新体制の勃興はネストの壊滅と反ネスト派の席巻を通して築かれてきた、企業レイヴンというシステムは致命傷を負わせる。そして、これは単に傭兵たちの転職活動には留まらない。彼らは企業にとって最大の戦力、言ってみれば力そのものであり、意のままに操ることが可能だったそれが、自らの意思で活動し始めた。つまり、場合によってはかつての雇い主に牙をむくようになったわけだ。企業は彼らに礼を尽くす、すなわち仕事と金を託さねばならない。レイヴンと企業は、ここに対等の立場として新たな関係を築いていかねばならないのだ。
こうしてレイヴンという存在は、レイヴンズ・ネストの集権と反ネスト派企業への分散を超えて、第三世代と言うべきチームの時代へと移り変わっていった。それは、これまで企業体にのみ許されていた自由が、チーム引いては個々人に解放されたことを意味していた。
風雲急を告げる変革の中でも日は昇りそして沈み行く。昼には太陽の光が人々に活力を与え、夜には星々の光が安らぎを与える歴史的真実は決して変わることはない。
ただしキリマンジャロ地区、チーム・ルークスカイの本拠地は周辺に海や木々がないためか、それが少しばかり過激な変化を見せ、日中真っ只中の現在、地下ガレージの入り口である鉄の扉は人を焼き殺せる温度にまで上昇していた。
その扉はガガガ、と重い音をたてて左右に展開し、旧ヨーロッパ大陸よりはるばる飛来してきた二人乗りの小型シャトルを迎え入れた。100m四方ほどもあるAC用ガレージの敷地は、三機分の面積を確保してもまだヘリコプターや今回のような小さなシャトルならば十分に受け入れられるだけの余地を残している。本来はチームの展開に合わせて用途を決めていくための予備スペースで、開設当時は持て余していたのだが、依頼の量が増えて主にマネージャーを初めとしたスタッフの出入りが激しくなると長距離移動の手段が必要となって、小型の航空機ならば離着陸が可能なよう改造が施されたのであった。
だから、今回もシャトルから下り立ったのは相変わらずの一張羅に身を包んだフェイである。そろそろ痛んできて随所に不自然なてかりを見せるようになったそれは、主の美形を完全に損ねているのだが、下っ端に過ぎない彼の立場を考えるとそれは自然なことであり、むしろ浮いているのは容姿スタイル共に端整な容姿の方だと言えた。
そこに予算をかけられなかったのかチームの所有物であるシャトルは中古の安物で、傷を隠すために不必要なほど濃い白のペンキで上塗りされていた。これはアリスの選択した一品であったが、種類を問わず機械の質にはうるさいウィンが文句をつけずに受け入れているところを見ると、見た目こそみすぼらしいものの中身に問題はないのだろう。
フェイはACの整備に用いる金網の足場に手すりをつけただけの簡易なリフトに足を下ろし、シャトルからガレージへと降り立った。シャトルが垂直離着陸さえ可能な高性能であることを考えると貧相な扱いだが、年中飛び回っている内部の人間相手に毎回空港で使用するような安全性の高いチューブ状のリフトを持ち出すわけにもいかず、安価な整備用のそれを用いることになったのだった。
「よう、重役出勤ご苦労さん」
と、陽気な様子で決して嫌味では皮肉にて彼を迎え入れたスタッフのまとめ役であるウィンだった。もっとも彼は上司としての付き添いのような者で、その隣では、ウィンに比べるとまだ汚れの足りない作業服に身を包んだ少年が、背筋を伸ばして起立したままフェイを待ち望んでいた。
「お待ちしてました!」
両手を身体の横にぴったりとつけながら、声変わりのしきっていないかすれがちの声で、しかしはっきりと明瞭な声色で、サムは挨拶した。その生真面目な姿がおかしくてフェイは思わず吹き出しそうになった。見るとウィンも口元に手を当てて笑いを噛み殺している。
「礼儀正しいのは良いことだけどな」
フェイは、サムのいかにも散髪したばかりという短く切りすぎて所々ははねている頭にぽん、と手を置いて言った。
「俺たちとは毎日にように顔を会わせるんだから、いつもそのペースじゃ疲れるぞ。もっとラフに話せば良いよ」
優しい口調で諭すが、サムがやはり真剣な眼差しで「わかりました!」と返事したので、苦笑いをすることになった。フェイとウィンは視線を合わせて、同時に首を傾げる。
サムがこれだけ緊張しているのは、フェイの出張した目的が彼に関する要件であったためである。内容はサムが次に受ける依頼についての打ち合わせで、彼もそれをわかっているものだから、レイヴンとしての使命感が元来の小心な性格から緊張感として溢れ出し、年齢が若いことも相まってそれを隠すことも出来ず、ぎこちない言動となって表面に出ているのである。
しかし、これだけ真摯な姿勢で迎え入れられると、フェイもこれ以上焦らしては悪いと思い早めに対応することにした。本人は自覚していないだろうが、早く結論を聞き出したいサムの目的から考えると最も有効な手段で交渉を果たしたと言える。不器用で単純な振る舞いは、時に器用な立ち回りよりも力を発揮するのだ。人とのやり取りを主な生業とするフェイとしては、これは真剣に考えるべき事柄だろうと思われた。
フェイがオフィスルームの三番会議室で待つよう指示すると、サムは三番が空いていなかった場合はどうするかという定番の疑問を返したが、
「それなら四番か待合室か、とりあえず二人で話せる場所であればどこでもいい」
と、苛立つことなく返答した。サムは真面目で決して愚かな少年ではないのだから、次からは要領を得て自力で判断できるようになるだろう。
彼はやはりはきはきとした口調で礼を述べると、勇んでオフィス地区の方へ駆け出していった。それは見るからに若々しい、少年に相応しいすこやかな態度と呼ぶことが出来た。
フェイは小さな微笑みを浮かべながらそれを見送って、
「こういう柄でもなかったはずなんだけどな」
と、小声で独り言を口にする。細かな点ではあるが、自分より年少で未熟な者が成長する瞬間を見ると微笑ましい気持ちを抱いたのだが、それがつい先日までチームの最年少であった自分に似つかわしくないように思え不思議な気分だったのだ。
それを耳ざとくも聞きつけたのか、隣のウィンが突然声をあげて笑い出した。驚いてフェイがそちらを振り向くと、ウィンは先ほどフェイがサムにしたように、しかし頭ではなく肩に手を置いた。それは身長の差もあるだろうが、子供扱いして頭を撫でては失礼だろうとウィンが判断したからに他ならなかった。つまり、彼はフェイを既に一人前の大人として見なしているのだ。
「お前さんは大したもんだな。ちょっと前までガチガチでうろたえるばっかりのひよっ子だったのに、今じゃ部下に指示を出すいっぱしの営業マンだ」
「そんな大層なものでもありませんよ」
諸手をあげての賞賛にフェイは苦い顔をしながら謙遜し、それに営業とマネージメント業は違います、などとごまかしたが、それは照れ隠しのための遠慮で、他人に認められることに悪い気分はしなかった。
「よっぽど嬢ちゃんとウマが合ったんだろうな。いや、羨ましいこった」
上手く受け流されたのが面白くなかったのか、ウィンは角度を変えて突っついてみることにした。すると、その思惑通り、さっきまでの余裕はどこへやら、フェイはあからさまに動揺を見せる。ウィンが彼をからかって遊んでいるのは明白だが、アイラの名前を出されると彼は立場上、そして個人の思惑としても向き合わざるを得なかった。
「ま、まあ確かに違うレイヴンが相手だったなら、こうまで早いうちに慣れることは出来なかったでしょうけどね」
「だろ? いいねいいね、若いうちは華があってよ。俺たちくらいになると、どうやって口説いたらいいかわからねぇ」
「口説くってちょっと!」
焦って否定する様は完全にウィンのペースに嵌っていた。もっとも色恋沙汰自体はフェイも持ち前の容姿ゆえに、望む望まぬを問わずそれなりに手馴れたもので、普段ならば取り乱すこともなかったのだろうが、こと話の対象が彼女である限り、冷静な対応など不可能と言って過言ではなかった。
「気持ちはわからなくもないですけど、あれは男になびくタマじゃありませんよ。それはもう全世界の女性を並べたって、難易度は偏差値80オーバーなくらい。」
「わかってるって、そうムキになるなよ。疲れるぜ」
先ほど自分でサムに忠告した発言をそのまま向けられて、フェイはようやく自分の四肢がガチガチに固まり、足を止めて熱弁していたことに気付いた。それをごまかそうとわざとらしく咳払いなどしながら、再びガレージの出口へと足を進める。ウィンはそれについてきて、何が目的やらなおも話を続けるのであった。
「あの嬢ちゃんを狙っている馬鹿野郎がいるのも確かだけどな。まあ、男ばかりのムサい職場で紅一点、それもあれだけの美人なら仕方ないことだ。かと言って、事をどうこうする甲斐性なんてあのヘタレにゃないから安心しな」
そもそも心配なんてしていない、とフェイは内心毒づくが、また言葉遊びの種にされそうなので黙っておくことにした。
「と、ちょっと話がそれたが」
と言って、ウィンは思わせぶりに言葉を切った。フェイがそちらを向くと、彼は手の平を自分のあごひげにじゃりじゃりとこすりつけながら、何やら考えにふけっていた。その様子は先までのくだけた風ではなく、寂しげな眼に冷たい光を宿していた。
「こいつは真面目な話なんだがな。俺も20年この仕事をやってきて気付いたんだが、思うに仕事ってのは、上司にしろ部下にしろ同僚にしろ、相方によって出来が決まるんだ。不思議なことに、どんなに出来る奴でも一緒に働く相手が悪いと上手くいかないし、反対にどんなに駄目な奴でも、ウマの合う相手に囲まれると驚くほど成果をあげる。しかもその相性ってのは、能力とか性格とか、そういう分かりやすい秤じゃ量れない」
ウィンは遠い眼差しを、天ではなく地、散らばっているおが屑にこぼした油を拭き取った形跡を残したコンクリートの床のさらに深くに向けながら、いつもとは打って変わった静かな口調で続けた。
「お前さんと嬢ちゃんはその点、最高に上手くいっているって言ってるんだよ。こいつは長い人生でもそうそうあることじゃねぇ。大切にしろよってな」
そう言うウィンの表情はいつになく真剣なもので、普段が陽気で何事にもフランクに接する姿勢を崩さないだけに、それは重みのある言葉に感じられた。
ここまで述べると伝えたいことは無くなったのか、その後は男と女がどうとか、どうでも良い話を時折仕事の話題などに絡めて楽しそうに話す、いつものウィンに戻ったので、フェイも元の冷静さを取り戻して談笑などしながら二人して歩き、ガレージの出口で別れた。その折もウィンは煙草の煙を吹かしながらなごやかな雰囲気であったが、フェイには、あの時一瞬だけ見せた寂しげな目が忘れられず、去り際の挨拶を上手く返すことが出来なかった。
それが、多少の心残りだった。
チーム・ルークスカイは四つの会議室を備えており、第一と第二は10m四方ほどの大きな部屋で三十人ほどを収容する容量を持っていて、大規模な会議、集会や講習会を開く際にも用いる施設である。対して第三と第四会議室はほぼ個室と呼んで良いサイズで、二、三人の個人的な打ち合わせに用いることが多く、全体集会など滅多に開かれないチームでは、こちらが主に使われていた。
フェイはサムと次のミッションについて打ち合わせを行うために、指示した先である第三会議室に向かう道すがら、先ほどウィンに告げられた言葉について物思いにふけっていた。彼はアイラのように思考しながら物事をこなせるほど器用ではないので、時折壁に頭をぶつけていたりもしたが、一度回り始めた考えを急に止めるのは難しかった。
人との相性。そのものも考える価値を十分に含んだ単語に思われたが、それよりもあのウィン・レクターという人間が強調したという事実の方が、興味を惹かれる事柄だった。
ウィンは徹頭徹尾職人肌の人間で、その考えは現実的で何事も経験に基き形になっている。その彼が人同士の関係などという抽象的で曖昧なことを口にするのだから、それは物語等で空想するようないい加減な内容ではなく、確かな体験を元に構築された、事実そのものなのだろう。おそらく彼は40数年間の人生の中で、人と人の相性について痛感させられる何かを経験したことがあるのだ。
では、その原因となった相手は誰か? フェイが抱いた疑問は何が、ではなく誰が、であった。
他人の過去など本人に訊く以外に確認を取る術などないので、それこそ彼の想像になるのだが、それはアリスであるような気がした。本当に、直感的にそう思ったのだ。
ウィンはチームでも数少ない、いや唯一と言って良い、アリスの過去を知る者である。もちろん反ネスト派のレイヴンとして活躍していたその名を聞き及んでいた者は多くいるが、個人的な交友を持っていたのはチームの内外を問わず珍しかった。
フェイが知ることになったアリス、つまりスカイウォーカーが示すアリスとは、少年時代にナインボールによって破壊され、復讐への執着を骨に、セッツ・ルークスカイへの敬意を肉に再生させた虚ろな人格を、反ネスト派の活動という形で死守し続けた悲劇のレイヴンである。その彼と、アイラを育てチーム・ルークスカイの長として世界中を駆け回る現在の姿には、敢えて記すまでもない断絶が存在するのだが、ウィンはその失われた時間を知る人間なのである。
「ああ、そういうことか」
フェイはそこで考えがまとまっていくのを感じ、そうすると自然と緊張が解けていった。難しいことでもない。彼が気にしていたのはアリスの過去、引いてはアイラ出生の謎に繋がるミッシングリンクであり、その鍵となりかねないからこそウィンの言葉が頭から離れなかったのだ。
詰まるところはアイラ・ルークスカイ。皮肉なことに、それこそウィンの指摘通り今の彼はアイラから離れられないのである。
すっきりしたところでちょうど第三会議室の前に辿りついた。部屋の利用状況を記したホワイトボードに、利用者二人の名前と予約時間が書き込まれていたので間違いはないはずだった。
そういえば。と、フェイはふと思う。
「サムは迷わずに予約が取れたんだな」
フェイが初めて会議室を使ったのはチーム結成から一ヶ月ほどの頃で、ACから降りようとしないアイラに痺れを切らせて、正式な形で打ち合わせをしようとしたのだが利用するための手順がわからず、右往左往した挙句ほとんど無理やり連れ出したアイラに方法を尋ねる醜態を晒し、散々に文句を言われたばかりか周りに言い触らされ、ウィンを初めスタッフに大笑いされたものだった。
そんな苦い経験があるからこそ、施設内の利用方法をきっちりと頭に叩き込んだわけなのだが、サムは一度の失敗もなく一通りの手順を覚えたのだろうか? そうだとするならば自分よりも余程手際が良く優秀であるため、一人前として仕事に貢献できているというプライドが崩れそうな気がして、しっかりしていて欲しいけど失敗もしてほしいという複雑な心境に陥る。
「何を悩んでるんだ、俺は」
フェイは頭を振って雑念を払い、気を取り直して会議室の扉を開けた。すると、芳醇な焦げた匂いが広がってきて鼻をついた。
匂いの元は明白であった。部屋の中央に設置された、四本の脚を備えた簡易な四角いテーブルに、西洋風の二つのカップが置かれており、それに注がれた琥珀色の液体が、瑞々しい湯気と共に豊かな香りを生んでいるのだ。
「フェイさんの分も淹れておきました。ブラックで平気でしたよね?」
ポッドを片手に得意げに言うサムの手つきは、明らかに手馴れていた。頭を使わなくとも行動できる程度には練習を積んでいるのだろう。フェイにも経験があるのでよくわかった。
「コーヒーの技術は新人の必須科目なのか…?」
フェイはこめかみを押さえながら、ぽつりと呟いた。とりあえず席についてそれに口をつけると、薄めに煎れている割に強い香りを放っており、豆をしっかりと蒸らした上で時間をかけてドリップさせた一品であることがよくわかった。明らかに研究の跡が見られ、とても素人が淹れたものとは思えない。ついでに言うならばコーヒーは生もの、それも発酵製品だけに水気を含むとすぐに酸化して酸っぱくなる。そのため客に出す場合は、相手が席についてから煎れるのが常識なのだが、これはフェイが訪れる前に煎れたにも関わらず、全く味が劣化していることはなかった。おそらくは豆を蒸らすところまで進めておいて、直前に湯を注いだのだろう。考えてみればサムは意識した対象の動きを目が届かずとも追うことが出来る。タイミングを測れば客が入室したと同時に最高の状態でカップを差し出すことが可能なわけだ。何という強化人間の無駄使い!
「あれ? 濃かったですか? 好みがわからなかったもので薄めにしておいたのですが」
「いや、ちょっと昔のことを思い出していただけ」
フェイは渋い顔を崩さないままにコーヒーをもう一口。大変美味しいところに熱意が見えて逆に悲しく思えてくるものの、まだオリジナルブレンドを試すところまではいっていないらしい。
サムはそんなフェイを不思議そうに見ていたが、敢えて突っ込むつもりはないらしく、自分も席について大人しく自家製の一杯を口に運んだ。
よくよく思えば。と、フェイはサムの幼い顔を見ながら考える。彼もまたアイラによって命を掬い、いや救われた一人である。彼女への恩義と感情は単なる同僚であるフェイよりもはるかに熱いに違いなく、となれば平和なガレージ内にて、彼女に近づくためにまずどこから手をつければ良いか、簡単に結論が出るはずだ。少なくともかつて同じことを手がけたフェイにはすぐにわかる話である。
「お前も大変だな」
「はい?」
フェイが思わず漏らした言葉はサムには理解できなかっただろうが、いつだったか同じことを言われたことを思い出した本人は、主述を逆にするところまで辿りついたことを実感し、感慨深く思うのだった。
「何でもない。さ、始めようか。まずは依頼者なんだが…」
フェイは手持ちの鞄から、彼に見せるために予め紙に印刷しておいた資料をテーブルに並べて次なるミッションの説明に入る。淀みなく、洗練された手順で説明を進める彼の話に、その後輩、若きレイヴンは胸ポケットから取り出したメモを片手に、熱心に聞き入るのであった。
依頼を引き受ける際に起きるトラブルとしては報償金額か日程が主だった要因となる。つまりマネージャーへの仲介料に関するすれ違いか、例えば突然の任務でACの整備が終わらないなどレイヴン個人の事情による場合が多いのだが、この二人に関して言えば、前者はチームのノルマという形で報償額はフェイに一任もしくはアリスの指示の元で決まるためサムが口を挟む余地はなく、後者は結成当初にフェイが立案し採用された作業の一般化に基くスケジュールを参考に組んでいるので不都合など生じるはずがない。一言で言えば、予想しうるトラブルの芽は事前に摘み取っており、その周到さがチーム・ルークスカイと失敗する数多のチームとの決定的な差でもあった。
特に依頼の少ない時期に仕事をルーチンワーク化してまとめたことは、全国的な知名度に信頼が上乗せされ依頼数が激増するここに来て絶大な効果を発揮している。外部からの要求がいかに高まろうとも、内部の仕事内容とペースは一定なので、その質に揺らぎが出ないのである。これが依頼数によって出撃回数も増減したりする制度ならば、仮に決まったミッションの数が先月の三倍になったとすれば、それに見合う人と物と金を継ぎこまねばならず、そうなれば人は疲弊し物は磨耗し金は枯渇するので、とてもその次の月に同じ質でレイヴンを送り出すことなど出来ず、仕事量が減っていても本来それをこなすために必要な量以上の労働を強いることになる。と、スケジュールの不安定はスタッフへの負担を大きくする悪循環に繋がるのである。その点、チーム・ルークスカイのやり方は、依頼の数さえ減らなければ常に同じ構えで任務に臨むことが可能で、レイヴンが十分な力量を備えていれば磐石の態勢を築けるのだ。
外からの身勝手な要望に揺さぶられないこのシステムは、彼女がかつて告げた「やるべきと思うことだけをやる」という簡潔極まりないものの、自由、すなわち自分に由る生き方をする者が指針とすべき意図の真意を具現している。
アイラの意志と態勢が万全にフォローされている今、彼女が実力を発揮するに不安な要素は一点もなく、その才が輝く限り、チームに敗北の二文字はあり得なかった。この体制の完成が、フェイがアイラの意図を正しく汲み取った結果によるものならば、二人の出会いこそが成功の決定打であったと言えよう。
もっとも、それは成功を前提として成立する理屈と結論であり、チームの没落と共に二人の出会いは否定されることになるのだが。そして、それをもたらす要因とは実に単純で明快な出来事なのだ。
アイラ・ルークスカイの敗北である。
先述の理由もあって、何の問題が生じることもなく、フェイとサムは打ち合わせを終えることが出来た。
アナザーワンの最終調整について、ウィンと相談しなければならないことがあると言うことでガレージへと戻ったサムを見送った後、フェイはレイヴンとの話がついたと言う事で、予定通り依頼受諾のメッセージをクライアントへと送り、そのまま報告書の作成をオフィスのコンピュータを用いて始めた。
報告書はこれまでの仕事でフォーマットが完成しているので、十五分ほどの手間で完成させることが出来た。これも最初は周りに尋ねながら、数時間を要して作り上げていたので、仕事の上達ぶりを実感することが出来た。
秘書に聞いた話ではアリスは出張中で基地内に不在とのことだったので、彼のコンピュータにファイルを送った上で、いつもの方針に沿って明日直接説明するために書類を印刷して鞄に収める。
これで現在手がけられる仕事は終了したので、サムかアリスから何らかの連絡が来ない限り本日は自由となった。
これからどうするか、と考えて、フェイは自室に戻ることに決めた。せっかく戻ってきたのにまた出掛ける気力も残っていなかったし、ガレージに顔を出しても良いのだが、親しい相手とはもう話し終えた後だったので、彼らの仕事を遮ってまで足を運ぼうとは思えなかった。何よりも、先日のミッションでついた傷の修理を終え、ハンガー兼ドックの一角に設置されていたシルフィのコックピットに主が不在であったことが、ある予感を与えたので、彼は早めに帰宅しなければならなかった。
同室していた事務スタッフに帰宅を伝えて退室し、エレベータに乗り込んで静かな時を迎えると、急激な眠気が全身を襲ってきた。働いている最中は自覚がなかったが身体はそれなりに疲れているようで、休息を欲しているのは明らかだった。とは言っても限界には程遠く、無理をおせば一晩くらいは眠らずに作業するくらいの余裕は持っている。これから最も神経を使う時間が待っているのだから、プライベートでもそれくらいの力は残しておかなければチームの生活はやっていけなかった。
フェイは自室の前までやってきたが、敢えてカードキーを取り出そうとはせず、まずはドアノブを捻ってみた。L字型のノブはロックされていれば回らないはずだが、抵抗もなく九十度回転し、予想通り鍵は開けられているようであった。
やれやれと心の中で呟きながら彼はドアを開ける。視界に飛び込んできたのは、先日新しく買い入れたスプリング式のベッドの上にちょこんと座り、右手でパズルなどいじりながら左手で引き出しにしまっておいたはずの減塩スナック菓子をつまみ、イヤホンで何かを聴きながら機器を左足で操作しつつ右足はテレビのリモコンを動かすという、珍しく生活味溢れる行為でありながらそれらを同時にやってのける超人芸ゆえに全く生活感を与えないという、器用且つ異様な時間の潰し方をしているアイラの姿があった。
「遅い」
フェイの帰宅を確認した彼女は、行為の全てを継続させたまま愛想も素っ気もなく一言だけ言い放った。フェイはその横柄な態度に腹を立てるよりも、まだ同時に処理する事項を増やせるその脳のキャパシティに感心を覚えることが先んじて思われた。
アイラがいること自体は驚きもしなかった。スカイウォーカーの一件以来、彼女はフェイの部屋も拠点として認識したようで、シルフィの改造などでコックピットを出なければならない折には必ずと言っていいほど居座っていたのだ。その頻度は、下着姿にシャツ一枚という扇情的な格好(誰かイラスト描いてくれるととっても幸せ)をしていてもフェイが戸惑わない程度に日常的で自然な光景となっていた。
「それは失礼しました」
挨拶がてら適当にあしらいながら部屋の中に入り、アイラに近づくと、彼女は珍しいことにプライベートでのトレードマークと化している缶コーヒーを手にしていなかった。フェイが妙に思って辺りを見回してみると、流しのところに空になった缶が置かれており、単にもう飲み干したのだと気づく。それだけ待ちぼうけしていたということか。
仕方ないと思いながら缶を手に取り、バスケットボールの要領でゴミ箱に放り投げる。スポーツ選手にも見える長身と相まって、その姿は実に様になっていたが、腕前の方は見た目通りにはいかないようで、たかだか5mばかりの距離にも関わらず空き缶は目標を外し、ガランガランと耳障りな音を立てて床を転がっていった。
「う」
「下手くそ」
アイラは呆れた様子で吐き捨てると、足元まで転がってきた缶をつま先でちょい、と蹴り上げる。そして胸元まで上ってきたそれを人差し指と中指で弾き飛ばし、フェイが狙った距離よりも遠くにあるゴミ箱へと放り込んだ。
フェイは思わずほう、と息を漏らす。日常の何気ない動作にまで才気の見え隠れする姿は、いつまで経っても飽きることがなかった。
しかし当のアイラはそんなこと意識するほどのことでもないようで、何事もなかったようにベッドの上に転がると、その反動に腕の力を加えて跳ね上がり、フェイの正面1~2mの距離まで飛び込んだ。フェイは安全のために一歩身を引いておくが、これくらいの無茶はアイラに取って茶飯事なので特に慌てることもなかった。
そして彼が何だと口を開くよりも早く、
「はいコレ」
と言ってアイラは小型の鏡程度の黒い箱を差し出した。改めて述べるまでもない、スカイウォーカーの本体である。ディスプレイ部を起こし、画面を前に向けて差し出したそれをフェイが受け取り映し出された内容を確認すると、そこにはレイヴンが依頼のやり取りに使う形式で一通のメッセージが届いていた。
送信者:ヴァッハフント
件名:挑戦状
久しぶりだな。新型パーツの不意打ちで敗れて以来、ただお前への憎悪だけを募らせ殺意を研ぎ澄ませてきた。今の俺に立ち向かう度胸がお前にあるならば、指定の時刻と場所にて立ち会わせろ。
アイラ・ルークスカイ、今度こそ殺してやる。
メッセージにはファイルが添付されており、開いてみると決闘の時刻と場所についての走り書きに地図がついていた。狂犬の二つ名を持ち危険な臭いを漂わせる文面を送りつけておきながら、細かな気配りが出来ているあたりに何とも形容し難い違和感を放っている。
「これは?」
大方の想像はつくが、とりあえず本人に確認を取るフェイ。しかし、想像がついていることを見越しているアイラはそれを無視して自分の話を進める。
「受けておいてよ。今回はちゃんと始末してくるからさ」
「物騒だな」
殺伐とした言い方を咎めるものの、それが大袈裟でなく事実そのものであることはフェイも把握している。アリーナの外で行うレイヴン同士の決闘とは文字通りの殺し合いである。
フェイは即答を控えて考える。もちろんアイラが負けるとは思っていない。これまで何度も勝ってきた相手だし、アイラが判断を間違えるはずがないと思っている。彼女が受けると言うのだから勝算は高いはずなのだ。
いや、そんな打算よりも何よりも。その気になればチームを無視して自分の判断だけで決闘を受けることも出来たアイラが、敢えて相談を持ち込むという気遣いを見せたのだ。彼女の手前、フェイがそれを断ることなど出来るはずもない。
では、何を悩むのか? それは、
「コレ、来週にならないか聞いてみてくれない?」
既に組んでいる日程を崩したくないという、究極に事務的な理由によるものだった。
「…」
さすがにアイラも目を丸くして、
「ははっ! アンタも言うじゃない!」
いかにもおかしそうに声をあげて笑い出し、ベッドの上に体を投げ出した。
それもそうだろう。「お前を殺してやる」と押しかけてきた相手に「日を改めてまた来てください」と返すも同然なのだ。いかにアイラとて、そこまで非常識で厚顔な返事は思い至らなかった。
アイラの言動が合理的でありながら突拍子もない奇行に映るのは、その行動理念が一般的な倫理観から逸脱している点に起因する。何しろ彼女は生粋のレイヴンだ。
仕事の内訳は強盗、スパイ、そして殺人。標準的な倫理意識に縛られていては成立しない所業を生業としているのである。例えばACで人を殺すのは許されるが、生身でそれを行うのは許されないという、身勝手なルールを自分の中で築き上げなければ成り立たない。そのラインを自分の都合で引く図太さこそレイヴンの資質であり、天才的レイヴンである彼女は、言ってみればルールを自分の都合に合わせる社会不適合者であった。そして一見気楽に思える身勝手な振る舞いとは、その実誰にでも出来ることではない。ほとんどの人間は自力で自己を確定させるだけに足る明確な規則を築くことにあたわず、社会が代々積み重ねてきた常識と一体化し、それが自分であると錯覚することで正気を保っている。レイヴンとして生きるには常識から自己を切り離し、その軋轢に耐えながらも独自のルールを確保しなければならない。すなわちそれが自由であり、レイヴンと一般人を区分する根本的な心得なのである。
さて、命を賭けた決闘という非現実に相対しても理性という現実へ逃げ出さず、且つ理性的で現実的な判断をくだすという矛盾を体現したフェイの発言は、23年間一般人であったはずの彼からはおおよそかけ離れ、レイヴン的であったと言わざるを得ない。
だからこそ、予測される常識的発言をほとんど受け流すアイラが、いつになく真摯に言葉を受け止め、同族を見た喜びからか、楽しげな反応を返したのだ。
つまりフェイは、おそらくはアイラの考えを読み取ろうとその本質に同調を試み続けた結果であろうが、レイヴンであってもそうそう入ることの出来ない、レイヴンとしての思想に足を踏み入れようとしていたのである。
「いいよ。たぶん突っぱねてくるとは思うけど、ごり押ししてみる」
アイラは気付かない。フェイやサム、ウィンを初めとするスタッフたち、彼女と接する者は皆彼女に魅せられるように自己を磨き高め合う。その威光はチーム・ルークスカイという器を通すことで拡張され、今や全世界の人々をも巻き込もうとしていることに。
「何とかしてくれ。日程さえ都合がついたら、ミッション自体即決してもらって構わない。アリスには事後報告になるけど、まあ問題ないだろ」
フェイにはわからない。自由意思の元にパートナーを追った選択が、歴史すら揺るがすシナリオの一部として既に乗せられていることに。
兆候はもう見られている。たった一人のレイヴンに過ぎないアイラが地球に降り、半月に一度のペースで依頼をこなす。そんな微々たる働きが、企業とレイヴンの雇用関係にひびを入れるきっかけとなり、社会の形式そのものに手を加えつつあるのだから。
それはもちろん二人の意志ではない。彼らは各々の自由の元に、己の判断に沿って自分とその周囲を作り変えているだけの話である。では、それが世界単位にまで拡大されたのは何故か? そのような仕組みを仕掛けたのは誰なのか?
アイラ・ルークスカイというたった一人の人間を取り巻く壮大なシナリオが、今完成を迎えようとしていた。