それは偶然なのか、それとも運命なのか。


 空に上る太陽の光を木々が受け止め、そして自分たちが根を張る大地へ優しく受け流し、腐葉土を蓄えた大地を照らし出す。
 大地は木々より送られた薄明かりを受け、幻想的に、そして静謐な空間を作り出している。
 その中を一人の少女が歩いている。
 幼い見た目はまだ10歳もいかないか、もしかしたらその半分をようやく過ぎたあたりだろうか。ゆったりとした着物のような民族衣装に、体全体を覆い隠すような形でマントを着ている。マントには、今はかぶっていないが、背中の方にフードであろう頭を覆う形の布が垂れ下がっている。
 その足どりは、早くも無く、遅くも無く、しかしその様子は何かに追い立てられ切羽詰っているようにも見える。
 その目は、目の前の木々を捉えど、その情報は脳に届かず。
 肺は激しく酸素を求めて震えながら、しかしその信号を受けていないかのように、呼吸器官は働いていない。
 少女は森の中を無心に歩き続けている。その後ろに鈍色の肌に巨大な体、その屈強な肉体を見せ付けるように、腰にのみ服を着せている。
 その人……同じ肉体構造をしているだけで人間かどうかも疑わしいが、その人は少女の後をゆっくりと歩幅を合わせながら突いていく。
 心ここにあらずといった風な少女。それに何も感じることなく背後を歩く巨人。
 とても、この森には似つかわしくない異様な光景。
 何故このようなことになっているのかというと、それは少し前にさかのぼることになる。





 少女、名はキャロ・ル・ルシエという。
 キャロはある日、巨人を召喚してしまった。
 何故召喚してしまったのか、本人にもまったく分らなかったが、その事を二の次にしてしまえるほど巨人の存在は異様だった。
 まず肌の色は人間のそれではなく、人間にしてはありえないほどの長身、限界を超えているのではないかと思えるほど鍛え上げられた体躯。周囲に隠せないほどの狂気をにじませながらも、どこか神々しい巨人は、そのあり方そのものが異常だった。
 それも当然のこと、その巨人の名はヘラクレス。ギリシャ神話における大英雄である。
 神々の課した十二の試練を乗り越え、その身に余る偉業を達成した半神半人。
 今は理性を失い、バーサーカーとして現界しているが、その存在からして人とは違うものだった。
 当然、周りの人々は困惑する。彼らの知っている慣れ親しんだ生物達で無く、人というにも違和感が付きまとう。まずコミュニケーションすらもとれないので理解のしようが無い。
 そして、そうした中で露骨ではないが、狂気に対する不安や、未知のモノに懐く嫌悪感、敵意も若干芽生え始めていった。
 そのことにキャロは気づかなかった。もっとも、彼女はバーサーカーの制御に神経をすり減らしていたので、当たり前ではあるが。
 そして、それを危惧した長老は、キャロを集落から追放する決定を下す。
 これ以上、集落の人々とキャロの関係がこじれないように、そして、間違いなく巨人が持っているであろう『強い力』による災いがこの集落に降りかからないように。
 キャロは長老に告げられた追放命令に呆然とする。長老がその後に、気遣うようにキャロに何か言葉をかけていたが、バーサーカーの制御に疲れ、追い討ちをかけるように厄介払いされる精神的ショックで、すでに脳は思考停止状態だった。


 それは偶然だったのか、それとも必然だったのか。


 バーサーカーはキャロの制御を外れ、太古から人を恐れさせた、巨獣のような咆哮を上げながら暴れ狂う。
 瞬時に腕に現れた剣の形をした石の一振りで、テントは吹き飛び、その余波だけで周囲のテントもなぎ倒される。
 圧倒的な暴力、いや、これはもう暴風といっても差し支えなかった。
 人の力ではどうすることもできない存在。自然災害に匹敵する力を持って人々に絶望を運ぶモノ。巨人はまるでそういったモノの象徴のように見えた。
 逃げ惑う人々のつんざくような悲鳴を聞き、キャロはようやく現状を理解する。
 自分の座っている場所には、すでに天井が存在していなかった。
 そればかりか、周りのテントもなぎ倒され、周囲の木々もところどころ枝や樹皮が欠けていたり、腹を食い破られたかのように引き裂かれ、折れ曲がっている光景が目に映る。
 キャロは目の前の事実に、顔を真っ青にする。すぐに周囲を見渡すと、巨人は集落のテントを次々と破壊し続けている。
 そんな中で巨人を取り押さえようとする者もいたが、召喚された獣や無生物たちは、その巨躯の前に逃げ惑うか、圧倒的な力の前に容赦なく薙ぎ倒され、あるいは引き裂かれる。
 そして、それらに呼応するように響き渡る絶叫や悲鳴。それは、キャロの心を引き裂くように突き刺さってくる。
 キャロは思わず耳を塞ぎ、でも頭の中では巨人を止めようと必死に呼びかける。
 しかし、バーサーカーはキャロの制御によって暴れないように、ギリギリのところで押さえ込まれていた程度で、一度枷を解かれたバーサーカーを止めるのは至難の業だった。
 やがて、キャロの必死の呼びかけが通じたのか、バーサーカーはしばらくして破壊活動をやめる。
 キャロはバーサーカーの制御で痛む頭を抑えながら、また集落を見渡す。
 集落の惨状は完膚なきまでに、というのが正しいだろう。
 テントはすべてなぎ倒され、さらに中にあったものは吹き飛ばされ滅茶苦茶になっている。
 無事なところが何一つ見当たらなくて、巨人はだから暴走を止めたのではないかと思えてくる。
 バーサーカーはその印象通り、そこにあるものを全て巻き込み、吹き飛ばす暴風のようにあらゆるものをなぎ払っていった。
 これがただの自然現象なら、人々は諦め、仕方ないと思いもするだろう。しかし、それを起こしたのは少女に召喚された巨人である。
 たとえ集落が少女に対して非常な措置をしたからだとしても、バーサーカーを暴走させた代償は大きかった。


 あるものはおびえた目で、あるものは何もいわずただ無言で、あるものはこちらを見もしない。
 皆、巨人を恐れ近づきもしないが、明確な敵意を持った視線も感じる。
 そして、ただ全員が口に出さずともある一言を思っているのは明白だった。


『出て行け』


 心が痛い。
 体ではなく、心が死んでしまうほどに痛い。本能はこの痛みから逃れたいと警告を発している。
 見失いそうになる心を、奥歯をかみ締めて抑え込む。でないとまたバーサーカーが暴走してしまう。今度は抑えられる自信がない。
 自分に押しかかる無言の圧力から逃げるように、キャロは覚束ない足取りながらも、なんとか集落を去った。





 涙が止まらなかった。
 それがみんなから拒絶されたことへの絶望からなのか、自分が起こしてしまったことへの苦悩なのか。
 挫けそうになる足を踏ん張り、外の世界へ出て行く。自分はここにはいてはいけないから、という思いを体の芯に徹して。
 しかし、しばらく道なき道を進んでいたその足取りも、地上に小さく張り出した木の根に捕まり、バランスを取ることができずに転んでしまう。


 そこでもう限界だった。


 何でこうなってしまったのか、何で長老は出て行けと言ったのか、何でみんなはあんなに冷たくするのか、何でこの巨人は暴れてしまったのか、何でっ何でっ!何でっ!!!。
 もう涙も止める気はなくなっていた。
 この扱いは理不尽ではなく正しいものだ、それは十分わかっている。でも、少女は理不尽な理不尽を感じ、心の中で泣き叫ぶ。
 転んだときに、涙にぬれた顔のせいでついてしまった土を拭うこともせず、ただ声を殺して泣いた。


 しばらくすると、少女は何も考えず、泣きながら自然な動作で立ち上がり集落へ踵を返そうとする。
 しかし、振り返った先にいたのは自分よりも遥かに大きい壁。
 それは誰でもない、先ほどの暴風を引き起こした、まるで鋼鉄の塔のような巨人。そして、彼女への理不尽の具現。
 それには、何者も届かないような圧倒的な力。しかし、その実は暴力を振るうしかできない怪物。
 何でこんなものがいるんだろう。
 キャロはあらためてバーサーカーを仰ぎ見る。
 何であんなことができるんだろう。
 それは、バーサーカーを見たものにとっては、当たり前に思える感想だったかもしれない。
 しかし、キャロの自問の本質はそこではなかった。
 キャロの頭の中に瓦礫となった集落が思い出され、思考中にとまっていた涙がまた溢れ出す。


 何でこんなモノを召喚してしまったんだろう。


 今あるすべてを手放せて、昔のように戻れたら。
 自分でもそれはできないと、なんとなく理解している。
 その事実に、再びキャロは絶望し、思考を手放し、僅かに抑えていたバーサーカーの制御すら手放してしまおうとしていたそのとき、自分の名を響かせる、懐かしい呼び声がした。


 顔を上げたキャロの目の前にいたのは長老だった。
 その姿は先ほどの暴走により、片方の頬は腫れ、服はあちこち破れたり切れたりしていた。
 キャロはその姿に急に自責を感じ、再び心が痛む。長老の痛ましい姿をまともに見られず、顔を伏せる。
 長老はキャロの様子など意に介さず、淡々と語り始める。
 キャロを追い出すことは集落の総意であること。
 そして、それにより集落に戻すことは事実上、できないこと。
 たとえ、その巨人が死んだとしても、それは変わらないこと。
 長老の淡々とした言葉に、キャロはもう自分の居場所はないと悟る。
 全身の力が抜け、思考も闇深くへ落ちようとしたとき、長老の次の言葉が耳を打った。


 最後にみんながキャロに『すまない』と言ってほしいと言っていたこと。


 あまりにも意外な一言に、キャロは目を見開き長老を見る。
 長老はキャロを無視するように、何かの袋を置き「持って行きなさい」とだけ言って、集落の方向へ去っていった。
 キャロは力が抜けてしまった様に膝をつき、先ほどの言葉を反芻する。
 でも、キャロにはわからなかった。自分はみんなを傷付けてしまったのに何故?、状況の変化についていけず、呆然としている彼女は答えを出せない。
 その時、長老が置いていった袋が目の前に差し出される。
 顔だけで上を見上げると、そこには手に持った袋を差し出した巨人の顔が映る。
 理性が僅かばかり残っているのか、それとも感情がそうさせた行動だったのか、バーサーカーはただ袋を持ちキャロの前に差し出したまま、微動だにしない。
 その行動の促されてかはわからないが、キャロは半ば無意識に袋の中身を確認する。
 中身は僅かな食料と、自分にはどのくらい価値があるのかわからないが、見た目に分るくらい多く、束になった紙幣が入っていた。
 たとえ幼くても集落のことを知っているキャロならわかる。集落を立て直すのには森の中だけでは足りない物も出てくる。でも、みんなはキャロのために…と、精一杯の餞別をくれたのだろう。
 大きな水滴が頬を滑り、紙幣の束に滴り落ちる。これはみんなが自分のために最後に贈ってくれたもの、だから大事にしなければ。
 そう思っても涙は止められなかった。大粒の水滴がまぶたを抜け袋の中身を次々と濡らしていく。
 袋を閉めようと思っても腕はさっきから震えが止まらない。
 何故、みんなが自分を心配してくれるのか分らない。でも、みんなが自分のために何かしてくれたということが、とても暖かい。
 バーサーカーはただ動かずそこにいないかのようにじっとしている。そのときだけは、それは暴力の具現ではなく、寄り添う少女を静かに見守る大木のようにも見えた。



 しばらくして落ち着いたキャロは、涙を拭き、その瞳でしっかりと目の前の巨人を見上げる。
 それはただそこにある、でもただそれだけで圧倒的な存在。
 それは大きすぎて、なんて自分には不相応なのだろうと思ってしまう。
 でも、と同時に思う。
 自分は大きすぎる召喚の才能を持っている。だからこそ、この巨人を呼び出してしまった。
 それは集落にとっては罪なのだろう。だから私はその罰をちゃんと受けなければならない。
 そして、その罰とはこの巨人を完璧に制御すること。
 そして、それとは別に誓いを立てる。


 もう絶対に、力に翻弄されて人を傷付けないと。


 そこに当然だが不安はある。
 自分はこの巨人を制御できるだけの力があるのか。
 人の形をしていながら、いまだに言葉を一言も発していない。もしかしたら喋れないのかもしれないが、いまだに意思の疎通もままならない。もしかしたら、自分たち人間とは違う次元の存在なのかもしれない。
 しかし、キャロはなんとなくそれは違うと感じている。自分はまだ巨人に認められていないのだと。そして、本当にこの巨人に認められるときが来るのかという気持ちも抱いている。
 だが、キャロは思い出す。
 さっきこの巨人は袋を持ってきてくれたり、泣いているときも何も言わずにずっとそこにいてくれたり、自分を気遣うような行動をとってくれたような気がする。
 だから、諦めるのは早いと思う。まだこの巨人と出会って、少ししかたっていない。だから、巨人と分り合うのはまだこれからだと。
 キャロは視線を集落の方向へ向ける。もう、みんなの前で言えないけど、それでも、たとえ届かないとしても、最後にこれだけ入っておきたかった。


『さようなら。そして、ありがとう』、と。





 決意を胸に少女は踵を返し、今度はしっかりと確かな足取りで集落を離れる。バーサーカーは何も言わず、キャロに付き従うようにゆっくりと歩を進める。
 ふと、空を見上げる。
 アルザスの空は日が傾き、強く輝く太陽を受けて茜色の染まっている。
 それが、どうしようもなく綺麗に思える。
 この空模様は、果たして綺麗に光る、明るい明日を指しているのか、それともそのまま消える、暗い明日をさしているのかは分らない。
 でも、そのどちらにしても、今から進む未来が希望であったらいいなと思う。

 その足は軽く、しかし大地をしっかりと踏みしめ、彼女と彼は導(みち)なき道を行く。
 その身には何も持たず、しかしその肩には彼女らを想う人たちの思いを担いで。
 稀有な才能を持った幼い召喚師と、人でありながらその身に余る偉業を達成した英雄である巨人との、歪で数奇で不思議に満ちた旅は、ここから始まる。



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最終更新:2008年06月13日 01:59