保健室から出ると、そこは見慣れた学園の一階の東廊下だった。でも聖杯戦争の本戦になった今では、
風景が映画のセットみたいに形だけ整えられたものだと分かってしまう。

「よう、鳴海も予選を突破したか」

 声をかけらられた方向に振り向くと、月海原の制服を着た男子生徒が立っていた。

「こんにちは。……えっと、どちら様でしたっけ?」
「覚えてないのかよ、ひっでーな。予選では同じクラスだったんだぜ?」

 そう言われても名前が全く思い出せない。確かに見覚えはあるんだけど……。

「まあ仕方ないよな。参加者の大半が共通のアバターを使ってるから見分けがつかないかもな」
「え、そうなの?」
「ああ、カスタムアバターを使ってるのは、一部の一流ハッカーだけだぜ」

 言われたみればうちのクラス、似た様な顔ばっかりだった気がする。稀に変わった服の子もいたし。
遠坂さんとか、何で私服なのかなー、と疑問だったけど、自分のアバターを弄れるくらい凄いハッカーだったわけだ。

「あ、そうだ。NPC統括の言峰って人、知らない?」
「言峰? いや見てないな。二階の柳洞一成に聞いてみたらどうだ?」
「一成もここへ来てるの?」
「来てるも何も、黒い制服を着た連中は運営用のNPCだぞ。
 分からない事があったら、そいつ等に聞いてみろよ」

 桜に続いて一成もNPCか。それでも知り合いがいるのは、なんとなく安心するな。

「分かった、教えてくれてありがと」

 とりあえず言われた通りにするため、男子生徒にお礼を言ってその場を後にした。
 一階の階段に差し掛かったとき、ふと気がついた。

「やば、結局名前を聞いてないじゃん……」



「おお、お前も突破できたのか。良きかな、良きかな!」

 二階に上がると、こちらに気付いた一成が相好を崩して話しかけてきた。
こういう反応を見ると、NPCというのが信じられないんだけどなあ……。

「ありがと、一成。それで……一成は運営用のNPCってヤツ?」
「うむ。生徒会長と同時に聖杯戦争の運営も兼ねている。分からない事があればドンドン聞いてくれ」

 と自信たっぷりに一成が言う。うん、やっぱりNPCでも一成は一成だね。
と言うか運営の仕事は生徒会長と兼ね合いなんだ。

「それじゃあさ、言峰さんの居場所を知ってる?」
「言峰神父か? 生憎と所用ゆえしばらくは校舎内に出て来ないな」

 一成の話しぶりだと、今は言峰神父に会えなさそうだな……。
困ったな、すぐにでもあたしの記憶が戻らない事情を聞きたいのに。

「なに、心配せずともしばらくすれば出てこよう。
 それまで校内を散策してみるといい。屋上の眺めは中々のものだぞ!」
「うん、そうする。ありがとね、一成」

 とりあえず今は言峰神父に会えないみたいだし、ここは予選の学校とどう変わってのか見て回るとしますか。



「うわあ……確かにこれは凄いわ」

 まずは校内を見て回る事に決めたあたしは、一成の薦めに従って屋上に来てみた。
屋上そのものに変化は無かったけど、空には1と0の数列がびっしりと並んでいた。
幻想的でありながら、デジタル世界を思わせるソレは確かに壮観な眺めだった。

 ふと、屋上の非常階段に目を向けると、そこには先客がいた。
遠目からでも分かる真っ赤なブラウスと黒いミニスカート、
派手な服装に負けないくらい圧倒的な存在感のある、ツインテールの黒髪の女の子、遠坂凛さんだった。
 容姿端麗、成績優秀とまさに絵に描いた様な学園のアイドル。あまり話したことは無かったけど、
同い年とは思えない上品な大人な振舞いに、ひそかに憧れてた。
 でも今の遠坂さんからは、アイドルなんて淡いイメージは無い。
何と言うか、纏う空気が戦場のソレっぽいというか、戦いに挑む強い意志みたいなものを感じる。

 聖杯戦争――

 とりあえず戦うとは決めたけど、今の遠坂さんを見ると本当に戦いに来てるんだなあ、と思ってしまう。
それにしても何してるんだろ? さっきから床や壁をぺたぺた触りながらブツブツ呟いてるけど……。

「……あれ? ちょっと、そこのあなた」

 そんな風にしばらく見ていたら、向こうもあたしに気付いたのか、声をかけてきた。

「は、はい? あたし、ですか?」
「そう、あなたよ。そういえばキャラの方をチェックして無かったわよね」

 そう言って、遠坂さんはおもむろに近づき、あたしの頬に手を伸ばして、ってちょっと!?

「あ、あの!」
「動かない、動かない。……へぇ、温かいんだ。生意気にも。あ、肌もプニプニしてる」

 細く、柔らかい指が顔から肩、腕、と段々と下の方へ触れていき――

「そ、そこは、ひゃん!?」
「ふ~ん、意外とあるんだ。いっちょ前に恥ずかしがってるし、感度も良好、と」

 そう言いつつ、今度はお腹や腰の方へと手を回していく手付きにはいやらしい感情は見えない。
触診を行う医者の様に、身体に触れる手付きに迷いはない。

「~~~~~ッ!!」
「あれ? おかしいわね、顔が赤くなってる気がするけど?」

 そう頭に言い聞かせてるけど、鼻先三センチ辺りまで顔を近づけられると、胸が不自然にドキドキするわけでして……。
それにしても遠坂さん、やっぱり綺麗だな。柳眉と言うのかな? 細い眉がいぶかしむ様に眉根を寄せてるけど、
それでも遠坂さんの美しさは損なわれない。白く、水を垂らせば弾く様なきめ細やかな肌も、
上質な宝石を思わせる黒い瞳も、遠坂凛という女の子を飾る一級の装飾品に思える。
ツインテールに纏めた黒い髪なんて、手に掬えばサラッとした感触が伝わりそう……。

「なるほどね」

 はっ!? なんか思考が明後日の方向へ行ってる内に、遠坂さんは調べ終わったみたいで満足そうに頷いてた。

「やっぱりNPCも景色同様、見かけだけじゃなく感触もリアルね。本物以上と褒めるべきかしら?」

 え? ……えーと、なにかものスゴイ勘違いされてる様な………?

「? ちょっと、なに笑ってんのよ。NPCだって調べておけば、今後の役に立つでしょ?」

 遠坂さんは顔をしかめながら、誰もいないはずの後方に振り返った。
あたしには見えないけど、多分遠坂さんのサーヴァントがそこにいるんだろう。

「はあ? 彼女もマスター? だってマスターもっと……ってちょっと待ってよ!?
 それじゃあ調査で体をベタベタ触ってたわたしって――」

 さっきの行動を思い出したのか、うわぁと頭を抱えて黙り込んでしまった。
心なしか、顔も赤い。って、なんか後ろでアーチャーが笑いを堪えてるみたい。

「どうしたの、アーチャー?」
「ふふふ、どうやら彼女はマスターのことをNPCと勘違いしてたみたいだね」

 NPCって……あたしって、そんな風に見えたのかな? まあ桜とか一成もパッと見たカンジ、本当の人間みたいだけどさ。

「ッ、うるさい、わたしだって失敗ぐらいするってーの! 痴女とか言うなっ!」

 サーヴァントが何か茶々を入れたのか、何もない空間に、がーっ、と吠える遠坂さん。
でもこれ、事情を知らない人から見たらかなり怪しい人だよね。あたしもアーチャーと話す時は注意しよ。

「大体、そっちも紛らわしいんじゃない? マスターのくせにモブキャラと同程度の影の薄さってどうなのよ。
 あなた、まだ予選の学生気分が抜けなくて、記憶がちゃんと戻ってないんじゃないでしょうね?」
「え、どうしてその事を知ってるの!?」
「はい? ……まさか、本当に記憶がないの? 冗談でもなんでもなく?」

 一瞬、こっちの事情を知っているのかと思って、つい聞き返しちゃったけど、
遠坂さんはかえって驚いた様に聞き返してきた。あー、ひょっとして冗談半分で聞いてきたのかも。
でも困ったことに事実なんだよね。当事者であるあたし自身ですら、途方にくれるほどの。

「それって、かなりまずいわよ。聖杯戦争のシステム上、
 ここから出られるのは、最後まで勝ち残ったマスターだけ。記憶に不備があっても、途中退出は許されないわ。
 ……あ、でも別に関係ないわね。勝者は一人だけ。あなたは結局、どこかで脱落するんだから」

 心配そうに、眉間に皺を寄せていたのも数秒だけ。遠坂さんはすぐに醒めた声になってしまった。
自分以外はみんな殺し合う相手。その事実を思い出したかの様に。

「ま、ご愁傷様とだけは言っておくわ。大方、本戦に来る時に魂のはしっこでもぶつけたんじゃないの?
 何にせよ、まだ予選の学生気分でいるなら勝ち残るなんて夢のまた夢かしらね。じゃあね」
「あ……うん、じゃあね。遠坂さん」

 それだけ言い残して、遠坂さんは屋上から去って行った。彼女に言われた事が頭の中で反芻していた。

 勝ち残れない。

 それはあたしが一番よく分かっていた。記憶が無いとかそれ以前に、戦う姿勢が出来てない。
それも分かっている。でもいきなり願いを叶えてやるから殺し合え、なんて言われても、どうすれば……。

「やっぱり、これから戦うことは不安?」

 今まで黙って見ていたアーチャーが気遣う様に声をかけてきた。

「……うん、遠坂さんの言う通り、あたしには戦う覚悟なんてまだないんだと思う。
 今でも、聖杯戦争とか言われても現実感が湧かないし………」
「……それでも、私は貴女のサーヴァントだよ。心配しないで、どんな答えを出しても、
 私はマスターを批難したりはしないよ」

 安心させる様に微笑む自分のサーヴァントを見て、なんとか笑みを返す。

「うん、ありがとうね。アーチャー」

 自分にとっていま確かな事は、この女性のマスターであるという事だ。
それなのに、自分がしっかりしないでどうする。そう思い直し、あたしはその場を後にした。



「ふむふむ、構造自体は学校と変わらないね」

 時刻は夕方、予選の学校生活なら既に放課後となっている時間に、あたしは一通り校内を探索し終えた。
一階の西廊下の突き当たりに出来た、あの空間の入り口以外、校内で構造が変わった場所は無かった。
 ただ、2-A以外の各教室は入り口が固定されたかの様に開かなくなっており、校門から先へは出られなくなっていた。
出られないと言うより、ゲームでステージの外は作られてないから進めないとか、そんなカンジ。
あとは前から立ち入り禁止を言い渡されていた視聴覚室と用具室。ここは予選が終わった今も入れないみたい。

 そういえば一階の東廊下を抜けた先の花壇にある教会。
予選の学校生活の時は特に用事が無かったから近寄らなかったけど、ここも何かあるのかな? 
教会の前で、青いショートヘアの眼鏡をかけた、いかにも教育ママという感じの人に、
準備中だから少し待ってろ、なんて言われて追い払われたけど……なんだったんだろ、あの人。あの人もNPCなのかな?

「あれ? あの人……」

 一階の下駄箱前、そこに黒い服を着た長身の男性が佇んでいた。
黒い制服を着ているのは運営用のNPCだと聞かされた。でもこの男性が着ているのは神父服。
となると、ひょっとしてこの人が言峰神父かな?

「すみません、あなたが言峰神父ですか?」
「ふむ? 君は……ああ、128番目のマスター、鳴海 月か」

 思い切って声をかけたみたら、予想は当たっていたらしく、神父服の男――言峰神父が振り向いた。
2メートル弱はありそうな見上げる様な長身、襟元で跳ねた黒い髪をした中年の男の人。
でも――妙な威圧のある微笑みを浮かべた顔が、なんとなく気に障る。

「本戦出場おめでとう。これより君は、正式に聖杯戦争の参加者となる」

 文面だけ見れば、こちらを祝福してるけど、重苦しい声で告げられるこっちの身としては、
判決を言い渡される罪人の気分だった。

「明日より、君たち魔術師はこの先にあるアリーナという戦場で戦うことが宿命付けられた。
 この戦いはトーナメント形式で行われ、最後まで勝ち残ったマスターに聖杯が与えられる」
「トーナメント形式って……参加してるマスターは何人いるんですか?」
「128人だ」

 128人!? 参加者の多さに声を上げそうになったが、すんでの所で思いとどまる。さっきトーナメントと言っていたから……。

「そっか、戦うのは7回なんだ」
「その通り。二人一組のマスター同士、毎週殺し合いを続け、最後の一人まで絞る。
 一回戦ごとに六日間、相手と戦う準備をする猶予期間(モラトリアム)が与えられ、
 七日目に相手マスターと最終決戦を行い、勝者は次へと進み、敗者はご退場いただく、といった具合だ」

 つまり最後まで勝ち続ければ、7週間でこの聖杯戦争は終わるってわけね。
言峰神父の説明は明確で分かりやすい。だけど――

「非常に分かりやすいだろ? どんな愚鈍な頭でも理解可能な、実にシンプルなシステムだ」

 この人を食った様な態度はどうにかならないかな? いちいち癇にさわるな……。

「何か、他に質問があれば聞こう。聖杯戦争の監督役として、最低限のことを答える義務は等しく与えられるものだからな」

 言峰神父って監督役なんだ……。あまり話して楽しい相手じゃないけど、あたしの記憶の事は聞いておかないと。

「ええと、あたしの記憶が戻ってないみたいなんですけど」
「なに?」

 どうやらこの質問は予想外らしく、言峰神父は怪訝な顔になった。

「ふむ……少し、携帯端末を貸したまえ」

 言われた通りに端末を渡すと、何やら操作を行いながらブツブツと呟き、やがて顔を上げた。

「なんともイレギュラーな事だが、どうやらシステムにエラーがあったようだ。
 残念だが、今の所はどうしようもないな」
「そうですか……」

 これで記憶が戻るかも、と期待してたけど、そう旨くはいかないみたい。
無くした記憶は気になるけど、今はこのまま聖杯戦争に参加するしかないかな。

「ああ、最後にもう一つ。本戦に勝ち進んだマスターには個室が与えられる。
 マイルームに入るには2-B教室の前で携帯端末をかざしてみるといい」
「え、本当に? やったあ!」

 思わず小躍りして喜んでしまったけど、私室があるのは重要なことだ。
そりゃあ、あたしだって女の子だから人前で見せられないものとか色々あるわけですよ。

「用が無いならもう行くといい。伝達事項は全て伝えた。明日より存分に殺し合うといい」

 喜んでたあたしに水を差す様に、言峰神父は実に慇懃な笑みを浮かべて去って行った。
あまり人見知りしない性格だと、自分で思ってるけど……この人だけはあまり好きになれそうにないな。



 言峰神父と別れた後、今日はもう休む事にしたあたし達は、用意されたマイルームに入った。

「これが…マイルーム……?」

 目の間に広がる私室の内装を見て、つい疑問形で確認した。いや、まあ、別に豪華なものは期待してなかったよ?
最悪、机と座布団しかない四畳半の部屋とか覚悟していたけど……。

「これは個室じゃなくて教室だね」

 隣で実体化したアーチャーがポツリと呟いた言葉が、マイルームの現状は表わしていた。
 そう、与えられた私室というのは空き教室そのものだった。ご丁寧に机や椅子、教卓はそのままで置かれている。

「ま、まあ、作戦会議が出来る部屋があるというのは重要だからね」
「そ、そうだよね! 一応、広さは相当なものだし!」

 アハハハハー、としばらく笑い合うあたし達二人。

「……模様替え、しよっか」
「……そうだね」

 ――こうして、記念すべき本戦出場の初めての夜は、教室の片付けに従事するのでありましたとさ。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2011年01月05日 23:55