「――――あれ? ………あれあれあれあれ!?」

今まさに戦闘開始という、その時―――
アルクェイドが素っ頓狂な声をあげた。


「…………」

突如現れた少女を前に目を白黒させる真祖。
口を開こうとするも言葉らしきものが出てこない様子だ。

何せばったりと出会ったのだ――――――ソレとコレが……
衝撃に流石の姫君も驚きを隠せない。

「驚いたな……白面の狐だろ、アレ?」

「天照と月読が場末の温泉でバッタリ会っちゃいました、みたいな感じですか。
 神話に残るレベルの邂逅ですが、さて……」

共に「神」という、人の作りし座に置かれた者同士の邂逅。
暫く無言で見詰め合う2人だったが―――

「―――――何も言わずに、ここは私に譲ってくれませんか?」

「―――――お好きなように。 私も乗り気じゃなかったし」

それだけで大まかな意思疎通が為されたのか、キャスターの申し出に2つ返事で快諾するアルクェイド。
発していた威圧感などどこへやら。 吸血鬼は少女に道を譲るように2歩下がり、あっさりと舞台を降りてしまう。

「聞いての通りです。 対戦フリーなんですよね? 不束者ですが、せいぜい勉強させ―――」

「何考えてるのよアンタはぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!」

客席から雷鳴のような怒声が飛ぶ。 ビクッ!と怯んだように肩を震わせる狐。
だが、その獣耳が貝の様にパタンと閉じる。 黙殺の構えだ。

「宜しいですよね? それとも私では役不足とか?」

「ううん…………いいよ。 やろう」

真祖との模擬戦が流れてしまったのは正直、痛い。 
だが乗り気でないアルクェイドを半ば強引に引っ張り出した罪悪感もあったフェイト。
成り行き上、この流れは仕方が無い。

それにサーヴァント戦―――2日目の締めとしてこれ以上の相手はいないだろう。
対サーヴァント対策の確立は今や管理局にとって最も重要視される事項だ。
第97管理外世界に従事する魔導士にとって彼らの存在はそれほどに重い。

「ティアナ、スバル。 結界のサポートをお願い出来るかな?」

「は、はい!」

フェイトもやる気だ。 こうなっては上司の邪魔にならないよう離れて見ているしかない。
最後にこちらを頑なに無視しているキャスターに対し―――

「フェイトさん……甘くないからね!」

すれ違い様にこんな言葉を残し、場を後にするティアナ。
ご主人様の背中を一瞥はせずとも尻尾で感じ―――きゅっと唇を噛むキャスターだった。

「ねえ、ティア……タマモさんの事も応援してあげようよ」

「何でよ! アンタ、フェイトさんが負けてもいいっていうの!?」

「そうじゃないけどぉ……」

背中越しに少女を見やるスバルである。

(だって……タマモさんのあれってどう見ても……)

――― 嫉妬だ ―――

そう、昨日のなのはとのやり取りからしてそうだった。

主人が自分よりも優先する人間―――
自分を一番に見てくれない―――


「さあ―――――――始めましょう」

彼女はきっとティアナの一番になりたくて――――


――――――


   出雲に神有り


しゃんしゃんと―――鈴の音が鳴り響き、少女の唄が紡がれる


粛々と安らぎすら感じさせる少女の童歌。
しかしそれは残酷な安らぎに他ならず、底知れぬ怨嗟は時に諦観めいた慈愛を場に灯す。
即ち全てのものの終焉という究極の慈悲を以って―――

周囲は既に変容を始めていた。
奈須の山間に設けられた広場はもはや元の景観を失い
くすんだ空に淀んだ空気。 そして巨大な鳥居が周囲を取り囲む。


「これはこれで面白くなってきたかもね……」

「お前と同等の存在か―――固有結界かコレ? いつぞやの螺旋より余程タチが悪そうだ」

「ううん、それよりも上」

「っ! まさか空想―――ッ!?」

シエルが息を呑む。 
もはや広場全域を覆い尽くす群青の堂。
場は須らく魔狐の腸と化していた―――

「それに近いモノよ。 さて、どうする執務官さん?」


   山河水天に天照す 
   是自在にして禊の証 
   名を玉藻鎮石


しゃんしゃんと―――鈴の音が鳴り響き、少女の唄が紡がれる。


「やめなさいっ! 洒落になってないわよキャスター!」

ティアナの声は少女の唄に掻き消されてその耳に届かない。
囁くような静かな歌声が、まるで不協和音のように鼓膜を揺らし、数多の雑音を飲み込んで消し去る。

――― 宝具発動 ―――

異空へと変貌した場。 記録に従事していた局員が事態を把握できず半狂乱に陥っている。
何てこと……明らかに模擬戦の枠を超えた展開だ!
今のサーヴァントに、主人の腕にしがみ付いて人懐っこい笑みを浮かべていた面影は無い。
怪の光を灯した狐の双眸。 垣間見えるは数多ある怨霊の頂点に君臨するその本性。

場は奈須の原―――
折りしも彼女が千の命を吸い尽くし、果てに討たれた宿縁の地。
かの力を振るうにこれほど相応しき場所があろうか?


「…………ッ!!」

敵の異形、異能に彩られた異常事態―――
他の局員のように恐慌に陥らなかったのは彼女の並々ならぬ経験の賜物だろう。

BJで護られた肌にジクリと痛みを感じ、フェイトの顔が苦悶に歪む。
まるで徐々に体が壊死していくような感覚は酸の海に漬けられたかのようだ。

常世咲き裂く怨天の花―――
深緑とも闇紫ともつかぬ、おぞましい光を発しながら宙を漂う殺生石。
その現世ならぬ冥府の只中で少女が哂う。 ゆらゆらと。

「……………真ソニック」

覚悟を決めた。 敵は本気だ!
ならば答えて見せる、この雷光一閃で!

冥府へ続く入り口か、数多の社が立ち並ぶ魔空間にて―――只中に光の柱が突き立つ!
魔導士の周囲に稲妻が迸り、天空より次々と降りてくるプラズマが煌々と翻る!

「はあああああああ!!!!」

真祖に叩きつけるつもりだった全力全開! 
オーバードライブ・真ソニック・ライオットモードッッ!

雷帝が吼える! 
その抑え切れぬほどに増幅された雷迅を巨大な剣に込めて!
もはや殺界に飲み込まれた空間にて、その主である少女目掛けて、光が―――――飛んだッ!



…………………………………鈍い音が場に響いた。


――――――

…………………
…………………


「………………大丈夫? キャスター」


――――返事は無い。 

埋まってない方の半身。
尻尾が微かにピクンピクンと反応する。

「取り逢えず引っこ抜かなきゃ……スバル、そっち持って」

「オッケー! せーのっっ!」

スバルとティアナが力任せにその両足を引っ張ると、尻尾がバタバタと悶え暴れる。
痛い!痛い!と訴えているようで気が咎めるが……このまま放置しておくわけにもいかない。
やがてバコンッ、とコンクリの壁から何かが引き抜かれる音が響き―――

場は場外も場外。 
瞬間最大にして雷速にすら届く魔導士の踏み込みが齎した地面の亀裂。
雷迅剣・ライオットブレードが刻み付けた大地を深々と抉った痕。
その延長線上、200m先のフェンスに突っ込んだ―――

息を激しく切らせながら唖然としているフェイト。 
そして一言も発せない観客の視線の先にて―――――

上半身、丸ごと壁にメリ込んだ一匹の狐が………今、救出されたのだった。 


――――――

「……アルクェイド」

「…………」

「貴方と同格という割にはその、不甲斐ない結果に終わりましたね……?」

「…………瞬発力に富む相手に持久戦、挑んじゃったからねぇ」

「あのめり込み方は他人とは思えませんね~……あ、待って下さいユーノさん~」

ユーノと琥珀が演習場に降りていく。 負傷者の治療のためだろう。
その先では痙攣を起こしている狐を介抱するスバルとティアナがいた。

「ああ、大変っ! ティッシュティッシュ!」

可愛い目鼻立ちの少女の、ドクドクと流れる鼻血が痛々しい。
茫然自失の体で腰を抜かしているキャスターの鼻元を拭ってやるスバル。

「―――――――ひ………ひどくないですか…………? あいつ」

「………言ったでしょ? 甘くないって」

目に涙を溜めて抗議するキャスター。
技の前振り中に割り込んで来る、相手の空気読まずの理不尽を訴えるが、ティアナは聞く耳持たず。

「だ、大丈夫っ!?」 

フェイトが血相を変えて場内から駆けてきた。 
オーバドライブの反動がキツイのか体を引き摺っている。

「ごめん………フルスウィングしちゃった。 け、怪我はない………?」

「―――――憑いてやる」

「え?」

「憑いてやる……お前の心臓はこれより4年と215日13時間3分6秒後に止まる」

「逆恨み禁止! 自業自得でしょうが! 
 ………あの、フェイトさん、迷惑かけてすみません」

主人に首根っこを掴まれて連れていかれるキャスターであった。

「バーカ! バーカ! 痴女!! 露出狂!!!」

「やめなさいってのッ!」

狐の罵声が響き渡る第二演習場。

日は既に傾き、丁度、教導の終了を知らせる鐘が塩原山中に鳴り響いた。

「………………はぁ」

教導演習会二日目終了―――
脱力感から重い溜息をつくフェイト。

何というか、本日もドタバタのうちに終了する第二班なのであった。


――――――

幕間 マキリ ―――

「こんにちわ」

「……ん? ああ、こんにちわ」

騎士は急ぎ足で第3演習場に向かっていた。 
すれ違った娘に挨拶を返し、早歩きで目的地へと急ぐ。

面識というほどの事は無いが今の少女の顔には見覚えがあった。 
あれは確か……いや、今はそれどころではない。 
人に物を教え導く立場の者が、約束の時間に遅れる事など許されない。
遅くても開始10分前までに必ず会場入りしているのがこの将だ。 さて、急がなければ―――


――― だが、そんな彼女を ―――


「……………………なっっっ!!!!!?」


――― 深き穴へ落ち込む感覚が襲った ―――


重力に解放された肉体。 そして浮遊感。
底の無い闇へと堕ちていく体。 麻痺していく5感。

掠れる視覚に、先ほどの少女の白髪と化した髪が―――


「兄さんをいたぶって良いのは私だけなんです………うふふふ」

騎士の消えた通路には一人―――泥のように濁った少女の声のみが響いていた。


――――――

「っ………何事だ!?」

混濁する5感を無理やり起こしてデバイスを起動する。
底の無い孔に落ちていく感覚から解放される将。
天を仰いでも闇しかない。 地を見下ろしても暗黒が広がるのみ。

「………………」

だがすぐに気づく。 虚無を思わせる空間でありながら、自分は孤独では無かった。
煌々と目を輝かせ、こちらを見据えて舌なめずりする巨大な影の存在を認めたのだ。


――― 流石に殺ちゃったらマズイですよね……でも少し痛めつけるくらいならアリかな ―――

そんな声が聞こえた気がした。 

そこはまるで餌場。
自分はさしずめ、飢えた巨人の群れに投げ込まれた鶏といったところか。

「………どこのどいつかは知らんが」

その影はこちらを見るに躊躇い無く襲ってきた。 問答など初めからなく、意思疎通を計る暇すら無い。
獲物を見つけた動物のように無造作に、獰猛に、覆い被さる闇の波濤。
餌は圧倒的な脅威に飲み込まれ、己が身を蹂躙される予感に苛まれるしか無いだろう。

「…………面白い」

但し―――餌が鶏ではなく、獣すら食い散らす獰猛な火喰い鳥であった場合はその限りではないが。

騎士は炎熱のデバイスを構え、燃えるような双眸を称えて………笑った。


――――――

CHAPTER 2-3 騎士よ、狙撃兵よ 大志を抱け ―――

「来ねえじゃねえか?」

第3演習場。 生徒3人が教官の不在に顔を曇らせていた。
訝しげに声を発したのは生徒その1、紅蓮の槍を抱えた偉丈夫だ。

「絶対おかしいです………あのシグナムさんが時間に遅れるだなんて」

「時を無駄にしたな―――暇を貰うぞ。 約束の刻限も護れぬ騎士などたかが知れている。
 それに光の御子のお墨付きとはいえ、女では大した期待も出来ん」

尊敬する騎士を愚弄されてエリオがムッと唇を尖らせる。 
だが客を待たせているのは事実だ。 何も言えない。

場には怱々たるメンバーが集っていた。 
昨日の第3班が散々だったと聞いたエリオモンディアル。
将を気の毒に思った彼がランサーネットワークを駆使して方々に声をかけまくったのだ。
ことに機動力こそ槍兵の真骨頂。 歴代ランサーに総当りを試みた少年である。
そして懇意にしているクランの猛犬は言うに及ばず、双槍の使い手―――
あのフィオナ騎士団一番槍、ディルムッドオディナの勧誘に成功したのだった。

手に持つ紅薔薇は魔力を―――武装局員の障壁やBJを紙のように切り裂き
手に持つ黄薔薇は手傷を―――決して癒えぬ負傷を相手に負わせる、殺傷に特化した呪いの刃。

白兵戦最強とすら謳われる、ミッド武装隊にとって天敵となるサーヴァント。
砲撃魔導士ならば距離をとって戦う選択肢もあるが騎士はそうも行かない。
一太刀すら受ける事を許されないシビアな戦いを余儀なくされる、そんな相手だ。
エリオもシグナムも常から是非、コンタクトしたいサーヴァントの一人であった。

「セイバーだって女だぜ?」

「あれは別だ。 伝承において男とされてきた英霊に真の性別など然したる意味は無い。
 事実、アレは入れ物が女体というだけ―――中身は紛う事なき獅子であろうよ」

「あいつも最近は大概、乙女なんだがなぁ。 この前のバイト先であいつ見たんだけど
 UFOキャッチャーでボンデライオン取って大喜びしてた時の面は必見だったぜ?」

「………そんな事は有り得ん。 貴公、俺を謀るか?」

「シグナムさんだって強いですよ。 女の人だからって甘く見ていると痛い目に合うと思います」

「ほう…………?」

「色男……坊主の言う通りだぜ。 女なら誰もがお前さんの魔貌に腰砕けるわけじゃねえ。 
 あいつの勇猛さは俺が保証する」

もうちょっと待ってみようや、とディルムットをなだめるランサー。
こういう時は本当に頼りになる兄貴である。 

余談だがエリオが声をかけた者はもう一人いた。
意思の疎通が成り立たず、身の危険を感じて逃げてきたのだが……
脇にいたピエロが物欲しそうな顔でこっちを見ていたのが印象的だった。

――― オイシソウ ―――

あのピエロ……確かに自分を見てこう言ったが、あれは何だったのだろう? 

「しょうがねえ――――坊主。 シグナムが来るまでお前が教えてくれよ」

「ええ!? そそ、そんな僕なんかが……無理ですよ!」

時間を無駄にしたくなかったのか、ランサーがとんでもない事を言い出した。
青天の霹靂とはこの事だ。  槍一つで国の行く末すら担ってきた英霊が相手である。
自分のような若輩がどの面下げて教鞭を振るえというのか?

「遠慮すんな。 今の時代の戦人がどんな鍛錬してんのか興味あるしよ。 な?」

「…………」

猛犬の申し出に2槍のランサーも異論を挟まない。
えらい事になった…………どうすれば……?

(教えろって言ったって………せいぜいプログラムをなぞるくらいしか出来ないよ。
 じゃあ、まずはフィジカルトレーニング? スクワットから順番に? 
 いやいやいや! 今更この人達の足腰鍛えてどうすんだ!?)

見事にテンパるエリオくん。 
期待を露にこちらを見据える英霊の顔が悪魔に見える。
熱い視線を一身に受けて泣きそうになる少年であったが―――

「!?」

彼にとっては幸か不幸か――――その時、異変が起きた。

3人の立っていた広場の中央、地面が突如として鳴動し、変容したのだ!
雑草の緑と黄土の大地が瞬く間に黒く変色し、タールのようなドロドロの池と化す。
突如として起こった事態に少年は声も出ない。
一槍のランサーが舌打ちする。 まるでそれに対し、苦い思い出でもあるかのように―――

やがて血相を変えた局員や3者の視線を一身に受けた汚泥の池。 その中心が歪に盛り上がる!

虚空の底なし沼の、泥の内から破裂するかのような、それは爆発だった!
内部より食い破り、突き抜けるように翻る膨大な爆炎と、一条の矢!
そして紅蓮の炎を伴って虚空から飛び出してきた影が一つ!

「シ、シグナムさんっ!!」

その影を見てエリオが叫ぶ! 
不死鳥の如き見事な炎翼に覆われて飛び出してきたのは少年の機知の間柄。
烈火の将シグナムが皆の眼前にて地面に降り立つ……否、不時着気味に地面に堕ちる。

池はあれほどの威容が嘘のように、すぐさま逃げるように立ち消えてしまった――――

「はぁ、はぁ、はぁ………はぁ、」

「シグナムさん!? 何があったんですか!? 今のは一体……!?」

彼女の有様は酷いものだった。 
ヘドロの海を泳ぎ回ったように全身を汚濁に塗れさせ、勇壮な騎士甲冑は所々が溶けてボロボロ。 
息も絶え絶えの表情はまるで、さっきまで千の軍勢を相手にしてきたかのようだ。

「……………迷惑をかけた。 少し準備運動に精を出しすぎてな」

不測の事態に襲われたのは明らかだった。
だが将は次いで何の事は無いと笑う。 散歩でもしてきたかのようにあっさりと。
古今無双の槍の英霊と自分のために奔走してくれたであろう少年。
集った面子を前にして、情けない姿など見せられる筈が無い。

「遅れてすまない……こんな見苦しいなりで申し訳ないが時間が惜しい。
 皆がよければ、これより第3演習場・教導演習会を始める!」

くどくどと言い訳はしない。
血と硝煙に塗れ、戦装束はボロボロ。 
しかして凛と立つ将は揺ぎ無い―――

「な? 良い女だろう?」

「……………ふむ」

ランサー2体を唸らせるに足る本物の騎士であった。


――――――

…………………………

「……………………ん」

霞掛かった意識が不意に覚醒する――――

朧に揺れる視界。 どうやら寝こけてしまったようだ。
温泉上りのマッサージチェアの心地良さに耐えられなかったのだろう。
公共物をあまり独占するのはいただけない。 あと少しだけ揉み玉にこね繰り回されたい欲求を断ち切り
気だるげな仕草でシグナムは立ち上がる。 近くの売店で牛乳を購入し、雄々しく一気飲み。
浴衣を身に纏った美丈夫は、女性の艶かしさよりも強やかさを感じさせる。 やはり女である前に彼女は騎士だった。

「すみません! そこの貴方、着物に赤ジャンの殺人狂女を見ませんでしたか!?」

「心当たりはないな」

「そうですか……失礼!」

夜叉のような顔の少女が何事か質問し、廊下を韋駄天のように飛んでいく。 何なんだ?

それにしても―――――今日は有意義な一日だった。 

眠りこけていた先ほども、夢の中で本日の教導を反芻していたところだ。
余韻に浸ってなお余りある素晴らしい教練。 
普段は彼女の苛烈さに付いてこれる生徒などおらず、ついぞ手加減する癖がついていた。
だからこそ本気を出して全部受け止めてくれる生徒には愛しさすら感じる。
エリオには改めて感謝しなければならないだろう。

「むしろ彼らに悪い事をしてしまった……手傷さえ負っていなければ、もう少し食い下がれたのだが」

不慮の事故(?)による負傷でベストコンディションで臨めなかったのがつくづく惜しい。
模擬戦はチーム形式で行った。 ライトニング隊VSランサー×2のカード。
贔屓目に見てもこちらの負けだった。 手心を加えさせてしまったのが何より悔やまれる。

だが将にとっての収穫は、彼らが共にセイバーと戦った事のある者だという事だ。
あの手強いランサー達を前座扱いするわけも無いが、剣の騎士として最強の聖剣に挑まんとする身だ。
この会合を無駄にする手はない。 ランサー×2も話を聞くや、進んでセイバーの事をあれこれ話してくれた。
今や来たるべきセイバーとの1戦に向けて気運は万上。 期待で胸が張り裂けかねない有様だった。

「姉さん……? シグナム姉さん! 起きたんスか!」

「……今度は何だ?」

そんな片思いに苛まれている騎士の後方。
喜色満面の青年―――ヴァイス陸曹の声が響く。 
あちらも風呂上りか、肌が上気して紅潮している。

「お疲れの所、申し訳ないです! 声をかけようとしたんですけど気持ち良さそうに寝てるから」

知人が傍に来ても気づかなかったらしい。
余程、精魂尽きていたのか思ったよりも深い眠りだったようである。

「そうか……すまん。 弱音を吐くでは無いが今日は少々きつかったのだ」

「いや、そんなとんでもない! むしろ麗しの姉さんの色っぽい寝顔を十分に堪の………」

と、慌てて口を紡ぐグランセニックさん。 
浴衣をはだけさせて寝息を立てている上官にハアハアしていたなんて言えない。
これ以上、口が滑るとマジで殺される。

「先輩! そんな事より……」

「分かってる。 姉さん、これ見て下さいよ! 射撃大会で勝利を掻っ攫って来やしたぜ!」

「何だと……本当か?」

後輩であるアルトに促されて彼が誇らしげに掲げたのは射撃大会の優勝商品―――虎、聖杯……? 
いや、商品の目録はどうでも良い。 優勝……紛う事なき一等賞。 
そんな彼の出した結果にこそ目を見張るシグナムである。

「あ、酷えな! 俺が勝てるわけ無いと思ってたんスか?」

「すまん……悪いが勝機はほぼ無いと思っていた。 
 お前の腕はよく知っているが、何せ相手があのアーチャーだからな」

実際、ティアナも参加したが歯が立たなかったらしい。
百発百中の宝具を持つサーヴァントが相手である以上、普通の人間が的当てで勝負になる道理がない。
自分とて弓を射る心得はあるが、並べるのは威力だけだ。 精度では到底、敵わない。

「あいつの双銃じゃキツかったでしょうね。 射撃ってのは対象をいかに速く正確に撃ち抜くかが重要だ。
 撃ってから弾道修正するコンセプトの魔弾じゃタイムロスが大きすぎる」

「ならばお前はどうやって命中率100%を相手に勝利した?」

よくぞ聞いてくれました!とばかりに顔を輝かせる青年。
話したくて仕方がないという様子がひしひしと伝わってくる。

「ここで質問なんスけど、魔力を使って100%の奴と弾切れナシの90%以上……
 長期戦に持ち込んで強いのはどっちですか?」

いきなりな問い掛けだった。 恐らくは今日の勝因を孕んだ問いだろう。
質問は吟味するまでもなく、その意図はさして難しいものではなかった。
サーヴァントの命中率100%は全て宝具によるものだ。 宝具は魔力を少なからず消費する。
故に永久に撃てるわけではないが、実弾モードのライフルで弾薬支給があるルールならば弾切れの心配は無い。

「持久戦に持ち込み、相手の魔力を枯渇させて宝具を封じれば少なくとも同じ土俵には上がれる……
 で、それにどのくらいの時間を要すれば良いのだ?」

「なぁに、100発も打たせりゃヘロヘロになるでしょうよ」

「100発……気の長い話だな。 しかし、それほどの長丁場ともなれば問いの答えは明白だ。
 90%の命中率とて完璧では無い。 相手の魔力切れよりも先にこちらがミスする確率の方が高いだろう」

「そこですよ姉さん。 確率ってのがミソです。 
 狙撃手の90%っていうのはね……本チャンでは絶対に外しちゃいけない数値なんです」

90%……つまりは10回に1回は外れるという確率。 
アベレージとは通例、その者の戦績のトータルを換算して出されるステータスだ。

調子の悪い時、不慮の事態が起こった時、集中力が途切れた時。
疲労や緊張により手がぶれた時、機器の類が万全でなかった時等等。
当然、それら全てを加味して算出される数字である。

つまりここぞという時、最善の状態で臨む射撃においてはほぼ完璧を誇るのが、トータル90%以上の射撃手の腕なのだ。
このレベルにある者が、一射で自軍の勝利、敗北が決まるという場面において外す事はほとんどない。
イザという時に10分の1を引いてくるような馬鹿者は、狙撃手として名乗るのもおこがましい愚鈍だと言えよう。

「私は射撃に疎いのでよく分からんが………
 つまり普段は90%前後のお前が極限の集中力を維持する事で限りなく100%に近づいたという事か? 
 言うは易し、行なうは難しだな。 それが出来ればミスショットを起こす者など……」

「うーん……ってより、確率変動って言った方がしっくり来ますね。
 何らかの力を働かせて、本来10回に1回引いちまうミスを回避し続けるってとこです」

何らかの力とはつまり普段の100倍の集中力とか―――
体力とか、精神力とか、運とか、あるいは寿命とか―――
自己が一生のうちに使い切るよう蓄積されている何某かを、その場で圧縮して力と為す。

「もっともらしく言っているが………それは神懸り的な理屈だぞ。 
 机上の空論にすらなっていない。 とてもまっとうな戦術とは言えん」

「言いたい事は分かります。 俺だって自分で何を言ってるか分かりませんとも。
 こんな事、普通じゃ無理だ。 だけど……あの場ではそれが当然のように出来ちまったんスよ」

アルトも無言でうなづく。 そう、彼女も見ていたのだ。
ヴァイスの鬼神のような技の冴えを……
あれは果たして人間の業において介在出来る域なのか?

確率変動弾―――自身の本来の%を乱数により歪ませ、10分の1を延々と回避し続ける離れ業。

確率という概念がいずれは本来の数値に集束される以上、今後数週間のヴァイスのアベレージは散々なものになるだろう。
俗に言う「ぶり返し」というやつだ。 だが、ともあれ本日の彼はそういう人の理外に位置する存在だった。

きっかけはそう―――――昨日の…………

「…………………ぶほえっ!?」

「先輩っ!?」

吐血するヴァイス。 どうやら昨日の事を思い出したようである。 
そう、あの恐怖のヴァルハラにて味わった――――!!
男がサーヴァントと相対出来るほどの革新を齎したであろう出来事。
その詳細については―――掘り下げない方が良いのかも知れない。

「大丈夫か?」

「へ、へっちゃらッス! 我が心は常にヴァジュラを抱いている―――
 その身を彼岸領域に置かば是恐れるものは何も無し―――
 ………………えっと、ヴァジュラって何でしたっけ?」

「………思い出さなくていい。 続きを話せ」

「そうそう、そんな感じで順当に勝ち抜いていったんですが……えっと、どこまで話しましたかね? 
 ぶっちゃけた話、キツイ勝負になったのは準決勝からの2試合だけだったんですよ」

「そこで相手選手に毒を盛られたんです……
 流石にドクターストップで棄権しようという話になったんですけど
 敵のマスターが後で勝ちを譲ると言ってきて」

「いや、あの潔さには感動しましたよ! ブラックモアの爺さんとは後で飲む約束してるんスけど、まあそれはともかく」

話はまだまだ続きそうだ。 喜びを露に唾を飛ばす青年が微笑ましい。
最後まで付き合ってやるかと溜息交じりの微笑を浮かべる将だった。


ちなみに背後ではエリオとランサーが女性陣に追い立てられていたりするが―――どうせ下らない事だろう。


その様子を見てヴァイスの顔から血の気が引き、冷や汗を浮かべ
さり気なく女性陣から死角になる位置に回りこんだりしているが―――

どうせ下らない事だろう……


――――――

「決勝! ついに決勝ですっ! 史上最大の大番狂わせがここに起ころうとしているーーーッ!
 ライフル一丁でサーヴァントに相対し、凌駕しようとしている勇者の名はヴァイスグランセニック!!
 ヒー・イズ・グレイテスト・ヒットマンの称号まであと一歩! 奇跡の瞬間を我々は目撃しようとしているのか!?」

「陸曹……凄いな」

タイガーと隻眼少女の解説の下、ファイナリスト2名がここに集う。
赤い外袴の騎士アーチャー。 そして機動6課ロングアーチ隊の期待を一身に背負う青年だ。

「まさかキミが上がってくるとはな……
 決勝の相手はブラックモア郷のサーヴァントで鉄板だと思っていたが。
 七天の再現―――ニヒリルトとナルシスト再び、とは相成らんか」

「見下してんじゃねえぜアーチャー。 アンタとは一回やってみたかったんだ。
 射撃の最先端はライフルだ! 弓なんぞに何時までも遅れを取ってちゃ射手としての沽券に関わるんでね!」

合同作戦においてこのサーヴァントの凄まじさは何度も見ている。
局の狙撃部隊が彼に悉く良い所を攫われているところもだ。
最新鋭の装備を引っさげておきながら、いつまでも弓兵などに遅れを取っていては良い面の皮。 
その借りも含めて今ここで纏めて返す!

「だがキミは準決勝で受けた毒が癒えていまい。 そんな様で長期戦を仕掛けたところで最後まで持つとは思えんが」

「抜かせ。 アンタなんか狐に燃やされてたじゃねえか」

「おーっとこれは両雄、早くも火花が散っている! まさにスパークリングワイドプレッシャー!
 期せずして満身創痍の漢達が相並ぶ決勝戦、双方譲らずといったところでしょう!」

「ししょー。 ヴァイス陸曹に勝機はあるか?」

「うーん……難しいかなー。 ここだけの話、彼、キャラ的にちょっと弱いし。
 なのはっちも言ってたけど、特化したモノがあるキャラと無いキャラじゃ
 ここぞという時の勝負では雲泥の差がつくのよね実際」 

男の背中、怪しげな呪文、中2全開の決め台詞―――
これだけのハイスペックを有するアーチャーに比べてヴァイスはどうか?

「恥ずかしいくらい突き抜けてる弓兵さんと並ぶと浮き彫りになる―――そう、奴は地味夫くんである! 
 はっきり言って二軍臭しか感じない! 極限の戦いにおいて勝敗を左右する決定的な要因とは即ちっ!」

「聞こえてんぞこの野郎……あと、なのはさんの言葉は全然そういう意味じゃねえから」

「とはいえ、キャラ立ちっていうのは即席でどうにかなるもんじゃないしね~。 
 立ちくらみするほどイカした通り名でもあれば、話は別なんだけど」

「イカした通り名………刃舞う爆撃手、とかか?」

「はっは、またまたご冗談を」

(ガーン………)

気に障る解説はどうでも良いとして、英霊を打破するには自分にパンチが無いのも事実。
しかし今更、背中に鬼やら天やらを現出させたところで奴に並べる保障は無い。
結局、人は戦場において自分の背負える物を駆使して戦うしか無いのだ。

「いっくぜストームレイダー! 狙い打つぜぇ!!」

ヴァイスが吼えた。 声高らかに―――

……………………
……………………

「おーーっとパクったぁぁーーーー!! ヴァイス選手、恐れ多くも大御所作品からの大胆なパクリっ!」

「なっ!? 違うっ! 不可抗力だ!」

「これはいけません! 勝敗以前に万死に値する恥ずかしさ!
 ヴァイス選手、目先のキャラ立ちに囚われて悪魔に魂を売ったかーー!!?」

「うるせえんだよ! それ言ったら、このアーチャーなんてパクリの集大成じゃねえか!!」

「是非も無い―――だが模倣を大衆に晒す最低条件とは即ち、本物を凌駕したと断ずる自負の有無。 
 生半な模倣は道化と化すぞ? ミッドチルダが生みし魔弾の射手よ―――そんな様でこの私に付いてこれるか?」

「舐めんな………アンタが俺に付いてくるんだよ!! 行っくぜぇぇ!!」


――――――

「………と、まあこんな感じで!」 

アルトが熱弁を振るう。
いつになくカッコ良かった先輩の勇姿。
語る彼女も興奮さめやらぬ様子だった。

「凄かったんですよヴァイス先輩! あのアーチャー相手にサドンデスまで持ち込んで……」

魔力切れに持ち込んでなお、弓兵の力量は恐るべきものだった。
宝具になど頼らずとも彼はほぼ100%の確率で的を中つ達人だ。
勝負はいつまでも付かず、最終的には特別ルール―――
一つの的を射出して先に穿った方が勝ち、という形に変更せざるを得なかった。

「悔しいけど認めますよ。 つくづく奴は半端じゃなかった。
 矢を番え、弓を絞って、打つ……それをほぼノータイムでやってくる。
 セミオートライフルが速さで分が悪いってんですから開いた口が塞がらねえよ実際……」

左右からランダムに射出されるスペシャル的、イリヤ(とにかく速い)をより速く射抜いたほうの勝ち。
持久力でもいよいよ勝ち目が見えなくなってきたヴァイスが、ここでいちかばちかの勝負に出た。
幸運だったのが使用されたクレー射撃の装置が局の持ち込んだ機材だという事だ。
射出パターンは膨大だが、機械である以上は必ず一定の周期が生じる。
その機材は何を隠そう、ヴァイスが少年の頃から飽きるほど練習してきた物と同じ型式のものだったのだ。

「パターンをカマかけての先打ち……いくら英霊だってあればっかりは防ぎようがねえ。 
 未来予知でも出来ない限りはね。 もっとも、外れてたら俺の負けでしたが」

しかも的がイリヤに変わってから、明らかにアーチャーの弓に戸惑いが生じた。
そんな人知れぬ幸運も重なり、サドンデス42投目にして―――――
ヴァイスの射撃がアーチャーの投擲を上回った時………勝負は決した!

瞬間、アルトを初め、ロングアーチの同僚達が感涙に咽び飛び込んでくる。
快挙と評してなお足りないこの勝利。 仲間から揉みくちゃにされ、胴上げされ、手荒な歓迎を受ける。
アーチャーが背中を向けて何か言ってた気がするが、そんなもの聞こえる筈が無い。
常に裏方に徹してきた男がついに、ついに灼熱の栄光を手にし、その勝利は皆の歓声と祝福の元に胸に刻まれたのだ。

―――こうして、ヴァイスとアルトが本日の戦果を誇らしげに語り終える。

まるで親に満点の答案を自慢する子供のような表情だ。 
為した偉業を考えれば無理もないが。

「………大したものだ」

惜しみない賞賛の言葉を漏らすシグナム。
人間がサーヴァントを下すという事例は快挙を超えてイレギュラーとすら評される。 
もぎ取った勝利はそれほどに尊く重い。

「それで、ですね……今日は俺、目茶目茶頑張って戦ってきたんスよ」

「ああ、よくやったな」

「毒を食らった体を推して我ながらよく勝てたと思います。 
 これも勝利の女神が俺に微笑んでくれたんですかね……
 イーパウに抉られた傷口なんて、もう化膿しそうで痛くて痛くて」

「すぐにシャマルかキャロの所に行け」

「いや、そうじゃなくて……すぐにでも応急処置が必要というかですね」

話は既に終わった筈だが―――? 未だ何かがあるような陸曹の表情。
あからさまに挙動不審な様相だ。 
上目使いで姉と慕う騎士を見やる。 ……気持ち悪い。

「ですからその、頑張ったご褒美っていうか………
 今日くらいはその、自分に甘えても良いかなーなんて思ったりしてですね」 

「何だ? 何かあるならはっきりと言え」

「はいっ! はっきり言います! 姉さんにちょっと頼みがあるんですけど!
 実は毒による外患部への応急処置の一つで、誰かに口で吸い出して貰うのが良いってシャマル先生から聞きまして!」

「なな……先輩、まさかっ!?」

男、ヴァイスグランセニック。 憧れの上司にまさかのリップサービス要求。
相手が相手である。 命知らずなことこの上ない所業だ。
だがしかし彼の本能が、今日はこのまま突き抜けろと叫んでいる―――
よく見れば瞳の奥にコスモが見える。 反省室において一体、どれほどの神秘を叩き込まれてきたのか。

「セクハラですよ先輩!? 第一もうお風呂入ってるじゃないですか! 毒なんてとっくに全身に回ってますよ!」

「うるせえなっ! 今の俺は負ける気がしねえんだ! 確変はまだまだ続いてんだよっっ!!!
 英霊すら下すほどの何かが体の中に降りてんだ! 今日を逃がしたら、こんな機会は永遠に………」

男は必死だった。 対照的にポーカーフェイスの将。
元々、何が起きても不動の精神を崩さない騎士である。 その心胆がどう揺れ動いているのかまるで読めない。
赤くなるなり青筋立てるなりしてくれれば、その後のリアクションも取り易いのだが―――ともあれ賽は投げられた。 
ゴクリと唾を飲み、シグナムの次の言葉を待つヴァイス。


「化膿の対処法ならばもっと手っ取り早い方法があるぞ」

そんな彼を前に、将がゆらりと立ち上がり―――


「焼こう」

「すいませんっした! 調子に乗ってましたっ! 見果てぬ夢を見た俺が馬鹿でしたっ!!!!」

撃沈だ。 舞い上がる青年の心は刺すような騎士の殺気に貫かれて地の底に落ちた。 
憧れの姉さんはやはり変わらず猛禽だった。 脱兎の如く逃げ出そうとする陸曹。 
その首根っこをしかと掴むシグナム。 うひいっ!と情けない悲鳴をあげるヴァイスくん。 

紅蓮の双眸が後輩を射抜く――――ああ、やはり今日の自分はどうかしてた…………
強運に見舞われた時こそ、引き際を間違えば一気に坂を転げ落ちるというロジック。
これは本気で死んだかもしれない。 炎のように苛烈な騎士に束縛され、身動きも取れない青年に―――


「良くやったな………ヴァイス坊や」

―――おもむろに顔を近づけた将が……………

そのまま、彼の額に口付けを、した………


「…………………」

アルトが短い悲鳴をあげて両手を口元に当てる。

「もう寝ろ。 明日に疲れを残すぞ」

素っ気無い一言を残し、鷲掴みにされていた裾が無造作に放られる。
フワリと浮いた後、床に着地するヴァイス。
しかしながら暫く何が起こったのか理解できずに呆然と佇む彼。

色を失い、白化した彼……
心は依然、宙にフワフワ浮いたままの彼……

だが、だが……………額の皮膚より中枢神経に伝達されるマシュマロのような感触は紛れもなく―――

10数秒を要してやっと正気を取り戻した彼。
やがて自身の生涯の悲願が今、叶ったのだという事を認識出来た瞬間―――


「き………………きゃっほぉぉぉぉぉぉぉぉいっっっ!!!!!!!」

彼は天に拳を突き立てた。

きっと明日、死んでもおかしくないだろう……それほどの幸運の偏りだ。 
だが涙に咽び廊下を駆けていく男の背中は、例え死しても一片の悔い無しと雄弁に語っていた。

ヴァイスグランセニック無双の2日目。 
涅槃から生還して後の、恐らく人生最頂の日はこうして幕を閉じる。

「先輩! んもうっ!!」 

何故か頬を膨らませてヴァイスの後を追いかけるアルト。

「可愛い奴らだ」

その姿に苦笑するシグナムであった。


――――――さて、慰安旅行も残すところあと一日

シグナムの心残りはセイバーだ。 
期待に胸を膨らませる反面、もしかしたらという不安もある。

あの騎士王は本当に来てくれるのだろうか?
戦士同士が交わした約束を違える彼女ではないと信じてはいるが……

騎士の頂点に立つと言われる王。 そして聖剣エクスカリバー。
その邂逅を夢に見て――――

シグナムもまた、相棒のデバイスを抱きながら二日目を超える。

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最終更新:2011年01月07日 19:16