――――――

まるで底の見えぬ渓谷―――

地獄へ通じているのでは、と感じさせる深き岸壁は、林道の山頂から最下層まで無慈悲に落ちゆく奈落に他ならず
二人の騎士を飲み込んだ深き深き谷の底は、躯二つが転がっている事を容易に想像させて余りある。

「…………」

しかして騎士は、そのような無様な死を決して受け入れない。
彼らを死地へと誘うのは奈落ではなく、磨き抜かれた互いの刃のみ。

倒した者と倒された者―――双方の勇姿が今はっきりと影を写している。

倒した者が倒された者の胸から今、深々と突き立った刃―――真紅の魔槍を引き抜いた。
それは持ち主の手にさしたる手応えも与えずスルリと、弛緩しきった相手の体から引き抜かれる。
四肢をダラリと下げた烈火の将の身体が今、死の棘の頸木から解き放たれて、地面にドサリと横たわった。

「詮索の必要も無い、か――」

魔人の如き太刀。 灼熱の炎を駆使する凄まじい剣士であった。
だが、その光無き瞳にもはや倒すべき敵が映る事は無い。 その口が再び不敵な言葉を紡ぐ事も無いのだ。

そう、詮索の必要は無い………その彼女に、心臓が、なかった―――
――――――という事実を、今更詮索して何になる?

槍は確かに心の臓に「近しき」何かに反応し、確実に打ち抜いた。
それはこちらの錯覚か、それとも相手の擬態か、今の時点で男に分かろう筈も無い。
ともあれ流石の槍とて無いものは穿てない……結果として呪いは不発に終わったと言えよう。
だがゲイボルクの必殺は呪いを退けたくらいでは終わらない。
この槍は体内に突き入れられたが最後、穂先から放たれる棘が内部から全身を貫き、相手の生命力を確実に上回るダメージを与える。

――― 殺しに特化した宝具 ―――

サーヴァントですら恐れる槍の魔手から命を拾う術は……やはり無いのだ。

「お前の事は忘れねえよ」

それは短いながらも賞賛と敬意を示した言葉。
戦士にとって心を通わせた強敵を屠るという事は恋人との死別に同義する。
命を賭けて殺し(あいし)合った物言わぬ躯が勝者に与えるのはもはや哀愁以外には無いだろう。
力なく横たわる女剣士の横に身を投げ出している白銀のデバイス―――男はそれに無言で目を向ける。

<、――――、>

散々、自分を痛めつけ、焼き、窮地に陥れた炎の剣。
持ち主の手を離れて地に晒されている魔剣は、そこに打ち捨てられるにはあまりに惜しい。
だが、その柄を男は無造作に握ると、仰向けに寝かされている騎士の前に突きたてる。

それは戦士の葬いだった。
どこまでも誇り高く、死ぬまで戦い抜いた証として、己が命の尽きる時まで握り続けた剣こそが彼女にとってこの上ない墓標となろう。

踵を返すランサー。
炭化した足でようやっと立っている彼。 きっと一歩、足を進めるだけでも激痛に苛まれる筈だ。
だが短い弔辞を唱えたならば、勝者はすぐに敗者の躯から離れるべきだ。
それが勝利を収め、敵の命を奪い、生き残った者の戦士としての礼儀であろうから……

「………何だてめえは?」

それに、その背後――――岩陰からこちらを見据えて佇む視線に、既に男は気づいていた。

その気配は人間のそれとはナニかが違っていた。
自分に気づかせずにここまで背後に接近した者だ。 只者ではない。
男とてこの戦いがもはや聖杯戦争とは違う、何か一線を隔す物だと薄々は感づいている。
そして現れた影。 後方でコソコソと隠れて様子を伺っている輩。
この者が諸所事情を知る者である可能性は―――決して低くはない。

「人の正面に立てぬ以上、俺に仇為す者と見なすぜ。
 出て来ねえなら問答無用で討ち抜かれると知れ」

ここに来て男は少々、気が立っていた。
先の戦いは心踊るものであったにせよ、己が意識もまばらな状態で女を討ったという事実は決して気分の良い物ではない。
何らかの企みの手によるものであるのなら、その首謀者を即刻引きずり出し、洗いざらい吐かせてやるつもりだった。
やがて、身を潜ませていた影もこれ以上の隠形を無駄と悟ったのか、男の敵意を刺激しないようにその姿を現した。

「おい………また、女かよ」

人影に槍の穂先を向けながら顔をしかめる槍兵。

「こちらに敵意はありません。 槍を下ろして下さい。 どの道、貴方は今、私と戦える状態には無い」

「一人殺るのも二人殺るのも、ってのはいい加減勘弁して欲しいが………
 だが取りあえず、戦れるか戦れないかをこの程度で決め付けるのは早計過ぎるぜ。 嬢ちゃん」

男の前に現れたのは薄い紫の長髪の女だった。
特に感情を点さぬ表情の希薄な長身の女性。

「戦う気は無いと申しました。 ともあれ、お手並み拝見……見事です。
 サーヴァントランサー、私と共に来て頂きたい。」

深々と会釈をする女。
群青のボディスーツに身を包んだ戦闘機人の七女セッテが―――

「貴方の知りたい事に答えましょう。 貴方の主も我々の元にいる」


――――抑揚の無い声で男にそう言った。


   シグナム VS ランサー

   宝具ゲイボルク使用により、ランサー勝利
   烈火の将シグナム死亡?―――――


――――――

――――――


巨大なグランドクルスが刻み付けられた渓谷―――

荒廃に破壊を塗りこめたような大地に残された人影は、一つ。

濛々と立ち込める噴煙の中、ゆっくりと身を起こす
その長い長い腰まで垂らした髪が――――ファサリと、地面を薙いだ。


「…………」

全てが終わり……………雄大な翼を広げた天馬はもう、いない。

二条の光に切り裂かれた世界は無音。

その只中において頬を撫でる―――――


――――――――――「金」の髪が……泥に汚れ、苦悶に喘ぐ美麗な顔を覆って隠していた。


――――――

「は………ぁ、………うぅ…」

苦しげに、空っぽになった肺に空気を流し込む彼女。
大地にその身を横たえて弱々しい呻きを漏らしたのは黒衣のBJを完全に欠損し、柔肌の半分以上を晒した
両サイドで留めた髪がほどけ、長髪を腰まで垂らした金髪の魔導士――――

「……………生き、て……る」

―――――フェイトテスタロッサハラオウンその人であった。


酷い有様だった……………
今やその四肢、その指一本に至るまで満足に動かせない。
不規則に乱れた挙動を以って、ありとあらゆる内蔵が内から彼女を責め苛む。

「勝った……勝ったのか………?」

脳震盪を起こした頭が状況を正しく整理するにはまだ数十秒の時を要し
喉の奥からひり出す不自然な呼吸のままに紡がれる言葉は掠れて音にならない。
暫く呆然と、その場に横たわり空を見上げるフェイトは、未だ己が勝利に実感を持てない。

自分がこうして存命している事が何よりの証なれど――――本当に自分はあの凄まじい力に打ち勝てたというのか?
本当に、本当に自分は、あのスターライトブレイカー並の一撃に並べたというのだろうか?
敵に対する嫌悪と正義を踏み躙られた怒りに後押しされた彼女の心が、今更ながらに凄まじい恐怖を訴えてくる。

(…………そうか………やったんだ……私は)

しかしそれでも、嬉しさは徐々にこみ上げてくる。
何よりも強敵から生を拾えた事実が素直に嬉しい。

自分はここで死ぬわけにはいかないのだ。
何としてでもあの相手を退けなければならなかったのだから。
何故ならば自分は今、窮地に陥っているであろう仲間を助けに―――――


――― 助けに……………… ―――


「………ッ!!! シグナムッ!!!」

ビクンと、半分失神しかけていた体が跳ね上がる。

「あ……ぐッッ!?」

直後、麻痺していた各種神経が軒並み目を覚まし、それに伴う苦痛に盛大に顔をしかめるフェイト。
全身を苛む激痛から逃れるように自身の肩を抱き、身を縮めて寝返りを打つ。

「ッぁ……………い、痛……ッ」

魔力エンプティに陥った身体。
オーバードライブ解放、その他各種様々な追い込みを以って放った一刀。
その代償は――――――決して軽くは無かった。

そう、もはやこの身体は動けない。
動力を伝える機関が軒並み焼きついてしまっていて
最低限の回復まで少なくとも数日以上の時間を費やさねばならない。

「う……ぐうう…!」

そう、動かない――――というのに……
ここで意識を覚醒せざるを得ない事情が彼女にはある。
ここで倒れ付し、眠るわけにはいかない事情が彼女にはあるのだ。

「シ、シグ……ナム」

残酷なる現実が彼女に倒れ、気絶する権利を有さない。
槍で貫かれ、崖に落ちていった騎士を救う為………その為に彼女は、騎兵の宝具すら凌駕し踏み超えたのだから。

ズリズリと地面に爪を立てて這いながらに進むフェイト。
荒地の凹凸に身が擦れる度に全身に激痛が走る。 まるで体内の神経がむき出しになったかのようだ。
その痛みが―――――手放しそうになる意識を繋ぎ止めてくれるのは不幸中の幸いだったが。

「シグナ、ム……ッ! 待ってて下さい……今、助けに!」

騎兵に拘束されて届かなかった手を、彼女は今一度、断崖へと伸ばす。
そして動かぬ体を引き摺って、彼女は一路、友の元を目指すのだった。


生きているかも分からない、かけがえの無い戦友の元へと――――


――――――

美しき疾駆者同士の戦いは黄金の稲妻纏う黒衣の女神の勝利に終わった……?

だがしかし勝者の姿は落ち伸びる武者のそれと相違なく
奈落へと落ちた烈火の将を求めて、フェイトが安息に身を委ねるにはまだ早急に過ぎる事であった。

そして一方―――


――――――

魔導士と逆の方角へと飛び荒ぶ影。
地を這い、遠き奈落へとその身を向かわせるフェイトから遠ざかるように彼女もまた―――巨大な影となりて上空を飛ぶ。

しかし威容と呼ぶに相応しい神々しい御姿は成りを潜め、大気を掬い取る様なはばたきにも力が無い。
そも、その背に雄大に抱えていた純白の羽が片方、ごっそりと抉り裂かれていた。
弱々しい嘶きと共にやっとの思いで宙を翔けるは、幻想に生ける駿馬。
その背に………これまた右半身全体に無残な傷を負った彼の主の姿があった。

「――――ペガサス………どういう、つもりです?」

駿馬の背に背負われ、もたれかかるように身を預けていたライダーの口から紡がれる、それは憤怒と懐疑の言葉であった。
彼女の言葉はこの「不可解」な結果に対してのものだ。

「……無様な―――」

疾走者同士の激突は敗者に生存の余地を残さない。
ならば勝敗以前に、どうして双方がこうして生き残る結果に終わった?
言うまでもない………引いたのだ――――どちらかが。

いや、どちらかなどと遠まわしな言い方はすまい。
絶対の自信を以ってAランク宝具を解放した騎兵の方が正面衝突する筈だった軌道を……外した。

真芯を外した激突はどちらか一方に叩き込まれる衝撃を脇に逃がし、辛うじて双方が互いの側面を切り抜ける余裕と隙間を残した。
結果、淀まぬ太刀筋にて真芯を切り抜けたフェイトと異なり、側面を向けたライダーは分散した力の余波を貰い
こうして右半身に多大な損傷を負ってしまったというわけだ。

「私の真名解放に逆らうなど………有り得ない。 ペガサス……貴方は―――」

予想だにしなかった事態だ。 全幅の信頼を置いていた使い魔のまさかの裏切りに流石のライダーも動揺を隠せない。
今もなお手綱に支配された四肢に逆らうかのように泡を吹いて離脱していく天馬。
英霊としての一騎打ちを挑んでおいて、よりにもよって騎兵が騎馬に裏切られるとは……

(原因は何となく……理解出来る気はしますが)

何故、そんな光景が幻視されたのか分からない。
だが奇しくも今日と全く同じ状況で、自分はあのような光の剣閃に幾度と無くその身を焼かれ、敗れ去ったのではなかったか?
あの金髪の乙女が極大の剣を構えた時、一瞬だが確かに垣間見た決定的敗北のデジャビュに、確かにライダーの身は強張ったのだ。

金髪の――剣士の――ヒカリノ――剣閃―――――

その白昼夢の如き既視感を、駿馬も共に見ていたのだとしたら……この無様な敗北も説明がつく。

「馬鹿な………」

だが断言する。 それでもあの時、彼女は天馬に征けと命じた。
勝機はこちらにあったのだ。

あの雷の剣は確かに凄まじいものではあったが、それでも聖剣の一撃には及ばなかった筈だ。
かつて彼女の疾走を真正面から斬って捨てたアレこそは、星の瞬きが生み出した最強の神造兵器。
その性能と、あのセイバーの凄まじい剣戟が合わさって始めて、地上に並ぶ者なき古今無双の破壊力を発揮する。
此度の相手は生粋の剣士では無かったし、多大な深手を負わせてもいた。
あの場で、エクスカリバーと同等以上のモノを出せるわけがないのだ。
あのまま突っ込んでいれば競り負ける要素は皆無だった筈なのだ。

それでも実際、彼女はあそこで迷ってしまった………
聖剣の影に明らかなる恐れを感じ、騎英の手綱を持つ手を弛ませた………
だからこそ、天馬を完全に御す事叶わず、この結果になってしまったのだろう。

―――ライダーの遠目が遥か後方を見やる

遠のいていく荒野に、地に四肢を這わせている相手の姿があった。
見る見るうちに遠ざかる、愛しき獲物の姿。
今からでも戻ってその首筋に牙を突き立ててやりたいが……
今の騎兵には地を駆ける逞しい脚力も、疾走する天馬を御する力も残ってはいない。

「無念、という言葉の意味が理解できましたよ、フェイト……………悔しい結果です。」

皮肉なものである。
今世最大の疾走者同士の戦いは寸でのところで互いのトラウマを揺り動かす事態となり
苦しくもそれを踏み越えた者と踏み止まってしまった者の差が勝敗を決める事になったのだ。

勝敗の悔しさに身を震わせる感情など、彼女をして初めての事ではないか?
蛇神の化身は屈辱を決して忘れない。 いつか、いつかまた相見えたその時は――――
突き立つ剣のように尖った牙を噛み鳴らせ、敗辱に震えるその身を抱く。
憤怒と復讐に燃える瞳が――――遠のく黒衣の魔導士をいつまでも見据えていた。

「ともあれ、今は大人しく帰りましょう……サクラの元に。 流石に疲れました」

彼女は聖杯戦争を戦うサーヴァントだ。
いつまでもわけの分からない場所にいられる身ではない。
まずは主の元に戻らねば――――

散々たる有様だ。 せめてこの出で立ちだけでもどうにかしないと、あの優しいマスターを心配させてしまう。
恐らくその前に兄の方から不甲斐無い結果を罵倒されまくるのが先だろうが。
正直、余裕が無い。 あのキーキー声で罵られるのは今は本気で遠慮したい。

「―――ん……」

兎に角、頭が朦朧としている。 つくづく相当のダメージを受けてしまったのだろう。
視界の先がぼやけて蜃気楼のようになっている。
あの蜃気楼の先―――あの山を越えて林道を下ったふもとにある町が深山町だ。


――― ライダーはそう信じて、疑わない ―――


   それはフェイトとシグナムが超えようとして超えられなかった山。
   その先に世界を構築していない盤上の縁。
   ゆらゆらと流れる蜃気楼にまるで夏の虫が飛んで火に入るように近づいていくライダー。


彼女は知らない――――その先に何があるのか………

――― 否 ―――

―――――――――――その先に何も無い事を


「待てっっ!!! そっちへ行くな、サーヴァント!」

その時、遥か後方よりかけられた言葉が、ライダーが「其処」へ落ち込むのを押し留める。
人影は大空を滑空する百舌のように大気を切り裂いた。 疾い! 先のフェイトに勝るとも劣らない速度だ!
その影ははたして、「堕ち往く」筈だった騎兵の前に立って前進を止めていたのである。

「……………何ですか貴女は?」

「サーヴァントライダー」

その影は短い髪の、女だった。
深く葛んだ黄金の瞳を向けながら彼女、戦闘機人トーレはライダーの前に佇み―――

「私について来て貰う………お前にはもはや他に選択肢は無いのだからな」


―――――英霊に相対するに不足無い不遜さにて、こう言った。


   フェイト VS ライダー

   真ソニックモードによる一閃にてフェイト勝利
   ライダー敗走――――――


――――――

FATE,s view ―――

動かない……

動けない……

指の一本まで身体に動力が戻らない……


巨大な岩を背負わされたかのように重くなった体を引き摺りながら
私は先の戦いに匹敵するほどの苦難の行脚をしなければならなかった。
魔力エンプティ―――魔導士が最大のリスクとして常に頭に入れておかねばならないタブー。
それを犯した体が今や、まともに機能するはずがなかった。

「はぁ……はぁ……はぁ」

魔力を使い果たした身体はガソリンの入らない自動車と同じで、動く道理などあるわけが無い。
この場で眠ってしまいたい……気絶を受け入れればどんなにラクだろう。
そんな弱い心に押し潰されそうになる事もはや数十回を超え、その度に重い瞼を開けて、自身の体に爪を突き立て、意識を残す。

黒杖を支えに身体を起こして歩を進ませる。
たたらを踏みながら一歩、転んで、這って、また一歩。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

ダメだ……こんなにモタモタしてたらシグナムを助けられない…
槍で貫かれ、大怪我をしている彼女の元へ一刻も早く辿り着かなければならないというのに……


――― アレは必ず心臓を貫く呪いの魔槍……既に貴女の仲間は ―――


「黙れッ!!!!」

キンキンと耳鳴りのする鼓膜にライダーの言葉が繰り返し響く。
だけど、そんな事絶対に信じない!
あのシグナムが、烈火の将が、そんな簡単に死んでたまるものか!

視点の定まっていない目を前方へ向けて私は進む。
やがて眼前に、ついに目的地である崖の姿を見据え
シグナムと槍の男がもつれ合って転落して行った奈落へと辿り着く。

「…………降りるよ」

<.........!!>

バルディッシュが思わず息を呑む(?)のも無視して、ほぼ直角の傾斜を躊躇いなく滑り降りる。
いや、この有様じゃ滑り降りるというより転がり落ちるといった方が正しいかな……
バルディッシュに逐電した予備魔力を呼応させ、最低限の受身だけは取ってもらう。

体をしこたま打ったけど、こんな体でまともに降りていたら何分かかるか分からない。
そんな時間は無い……急ぐんだ……急がなきゃ…!
その果てに希望が待っていると信じて。 その先に助けを求めている仲間がいると信じて!


その果てに―――――――――


「…………………」

絶望が待っている事を敢えて考えずに――――――

私は――――――――辿り着いた。


――――――


「………………」

かけがえのない戦友の、その変わり果てた姿の前に―――


「………………」

左胸に大きな穴を明けられて、眠るように息を引き取るシグナムの前に――――


「……………ぁ、」

私は……辿り着いてしまったんだ……………


――――――

吐息とも取れない声を一言、上げただけだった。
それだけで、気力のみで支えていた体から決定的な力が抜けていく。
身体の芯に眠る全てを使い果たして呆然と膝をつき、私は脱力するようにうつ伏せに倒れ付す。

次の言葉すら出てこない……
倒れ付しながら仰向けに寝かされた彼女の、シグナムの遺体の手に自分の手を伸ばす。


――― …………………冷たい ―――


手の平がシグナムの手の甲を握り、朦朧とした意識が最初に思った感想が、それ……
亡骸の前に突き立てられたレヴァンティンが、もうこの剣士が自らを振るう事などないのだと物語っていた。

一縷の望みに全てを託して辿り着いた――――――最悪の結果。

その心に今更、くべる火などどこにもありはしない……


やがて寒風吹き荒ぶ奈落の底で――――

「…………ぅ、ぅ…」


誰もいない、光すら差さぬ地に残された二人……否、一人。
手と手を繋いだままに私は肩を震わせて、泣いた……

「………ぅぅ、ぁ…」


頬を泥に塗れさせたまま、しゃくり上げ、顔をくしゃくしゃにして、声も出さずに何時までも何時までも……

自身の慟哭が、光挿さぬ渓谷にいつまでも、いつまでも木霊していた―――――


――――――

そうしてどのくらいの時が立ったのか――――――

やがて涙さえも枯れ果てて、私の体からも徐々に体温が失われていく。


「……………」

カラカラに乾いた唇が何かを紡ごうと動くけれど、それが音になる事はない。
私、フェイトテスタロッサハラオウンにとって友達とは、仲間とは世界そのもの……
その一角が崩れて無くなった喪失感は、自分が思った以上のモノだったようで……


――― このまま死んでしまいたい…… ―――

ぼんやりと、そんな事さえ思ってしまう。

…………当然、それは許されないことだ。
目の前の騎士にどれほど守られたか分からないこの命。
無為に散らして失くすなどもはや絶対に許されない。
だけど……だけど、シグナム………

「体に、力が入らないよ………」

真っ赤に腫らした目尻を拭う事すら出来ずに、自分の体をぼんやりと見下ろす。


   疲れちゃった……
   寒い………

   少しだけ……眠ろう。


絶望に暮れた心身はもはや限界を超えていた。
このまま気を失えばどうなるか分からない。
だけどもう意識を繋ぎ止めておける原動力が無い……

涙に染まった双眸がゆっくりと閉じ、かけがえの無い友達の亡骸に覆い被さるように伏す私の体。

そのまま弛緩して、闇の中に堕ちていく感覚が―――――


…………………… ごつんッ


「…………?」

突然の衝撃に阻害されていた。


――――――

後頭部を襲った突然の痛みに、閉じた眼がうっすらと開く。

緩慢に沈みかけた心身に静電気程度の動力が蘇る。


   おきろ馬鹿……重いぞ


だが、その次の瞬間……
聞き違いようの無い声が耳に浸透した瞬間……!


   隊長、福隊長が揃ってこれでは…… 


「………………………ぇ?」

半開きになった私の口から再び声が漏れ出る。

夢うつつの事かも知れないと恐れ、何度も何度も幻聴を疑った。
頬をずらして声のした方を見ずに、私は震える唇でその名を呼ぼうとした。

でも言葉が出てこない……恐くて、恐ろしくて……
これが夢幻ならば、もしそうならば自分の抱いた希望を呪わずにはいられない。

だからその手を握る。 絡んだ手をぎゅっと、力いっぱい握る。 
再び蘇った微かな希望を掴むために……

するとそれは弱々しくも確かに――――――――――――呼応するように握り返してきたんだ!


「これでは……エリオやキャロに示しがつかんだろう……」

「…………………ああ、…ッ!」

次いで聞こえた声が鼓膜を揺らした時―――私の感情は弾けて、制御不能になった……!

もう、色々と限界だった……!
咽ぶ声が言葉にならない。 というのにその名を叫びたくてパクパクと口を開く様が金魚のように滑稽で。
もはや溢れ出す感情を抑えられずに再び、下を向いて肩を嗚咽に震わせる。

「泣くな……馬鹿。」

「シ……シグナムっっ!!」

再び顔を上げて、今度こそ、その名前を呼ぶ事ができた。
涙で霞んだ視界の先にはあの厳しくも優しい笑みがあって………

「シグナムぅっ!!! ううう………ぅ、あああっ!!」

嗚咽が止まらなくって、私は声を上げて泣いてしまった。 恥ずかしい……
顔を真っ赤にしながら、しゃくり上げる姿はもう子供みたいで……
恥も外聞もなく、大泣きしてしまった……

だってそれ以外にこの喜びを表現する方法が無い。

絶望に染まった涙を拭い去る新たな落涙だけが―――
くしゃくしゃに歪んだ歓喜の吐露を表現する唯一の方法だったのだから。


――――――

――――――

それは網の目のように複雑に、幾重にも張られた死の檻を掻い潜る――そんな生還であった。

必ず心臓を貫く槍はシグナムの左胸、人体における心臓を確かに貫いた。
しかし彼女は厳密な意味での内蔵や骨子を持たぬ「プログラム」
故に第一の絶命・破壊される心臓がそもそもなかったのである。

槍が心臓の代わりに彼女の内に狙ったもの。
ランサーに「確かに打ち抜いた」と錯覚させたものはシグナムのリンカーコアだった。
彼女が魔力によって生成された魔導プログラムであるのならば、コアを破壊されてしまえばひとたまりも無い。
故にその身はやはり消失せざるを得なかったのだが……
だが闇の書が消滅し、夜天の主から切り離された事により、ヴォルケンリッターは不完全ながらも人の肉を得るに至っていた。
「魔力コアの消失が即ち本体の完全消滅」という魔導生命体の頸木から逃れ
謂わばヒトの肉体を持ったが故に、シグナムは自身を現世に繋ぎ止める事が出来たのだ。

そして死出の槍の最後の魔手「死棘」と呼ばれる内部破壊。
それは対象の生命力を残らず奪い去る効能と、それに槍の殺傷力を足したダメージを相手に与える恐ろしいものだった。
即ち発動=絶死のニ重苦の最後の関門であったのだが、しかし今の烈火の将には奇しくも内にもう一つの命が宿っていた。

―――融合デバイス・剣精アギト

この魔導デバイスと命を同じくしたユニゾンによって彼女は一なる命の頸木からも外れ、槍の棘による殺傷は分散。
一人を確実に殺す槍も二人分の命を吹き消すには至らなかったのである。


――――――

「バルディッシュ!」

<...in danger sir>

「いいから…! あと、ありったけの回復とカンフルを…」

「お前も無理はするな……ここまで来てポックリ死なれては適わんぞ。」

顔をしかめ、満身創痍をおして立ち上がろうとするフェイトを苦笑交じりに見つめる将。
だがフェイトにとって傷の痛みなど、先の絶望に比べれば何でもない。
まだ少し目に滲む涙をゴシゴシと拭い去り、フェイトは将に肩を貸して担ぎ上げる。

「敵がまだいるかも知れない……早く安全な所へ身を隠しましょう!」

「私よりもアギトを……」

懸命にその身を起こそうともがくフェイトを見上げて騎士が一言。
すると弱々しい薄紅の魔力光がシグナムの全身を覆い尽くし、光は散桜のように飛散。
そして彼女の胸の上に、傷つき眠る妖精の少女が現れた。 騎士のユニゾンが解けたのだ。
アギトの姿は主と同じ凄惨な傷に覆われており、四対の羽が子供の戯れに引き千切られたトンボのようにズタボロになっている。
痛々しいなんてものじゃない……絶命の危機が去ったと安堵するのはまだ早すぎた。

フェイトもシグナムも、そしてアギトも、早く然るべき所に移送し、治療を施さねばならない。
麓まで転がり落ちたのが幸いだったかも知れない。 こんな身体でせこせこと山を越えるなど出来るはずが無いからだ。

「恐らく岸壁に沿って歩けばふもとの宿につける筈です……」

「無人なのが幸いだったな……ありがたく使わせてもらおう」

歩き始める二人。


かくして―――ライトニング二人の山越えから始まった長い長い、一つの戦いが幕を閉じる。

登った峠を満身創痍で再び降りる事となったフェイトとシグナム。
それは期せずして決して鳥篭から逃がさないと断ずる巨大な意思の吐露によるものか。
果てしなく大きな壁に跳ね返されたような錯覚すら二人に感じさせる。

恐ろしい敵との邂逅。 スカリエッティの動向。 仲間の安否。

そのどれをも確かめる事叶わずに、傷だらけになり、肩を抱き合いながら歩くフェイトとシグナム。
暗雲に覆われし渓谷をもう一度振り返り、その場を後にする二人。


不吉な空が占う二人の運命は未だ、光明を現すに至らず――――

―――――――――――蟲毒の壷は未だ開かれない


――――――

ライトニングとサーヴァントの初の邂逅から、はや二週間が過ぎた―――――

ようやく力を取り戻しつつあるフェイト。
初めは果物すら満足に取れないほどに衰弱していた身体も大半が元に戻り
肉体の過剰運用の代償である筋肉の蠕動、手足の震えもほぼ無くなった。

対してシグナムは――あれから目を覚まさない。

彼女はこのホテルに着いた瞬間、事切れたように気を失ってしまった。
そのダメージは本来ならば、あの地で意識を取り戻せるようなレベルのものではなかったのだ。
だというのに彼女はせめてフェイトの足手纏いにはなるまいとコワれたソフトを強制起動させた。
誇り高い騎士である彼女らしいと言うしかない。

敵の正体不明の切り札を受けたシグナムとアギトの傷は遅々として塞がらない。
本来ならばとっくに治っても良い筈の傷さえ、未だに血が滲んでくる始末だ……
故に箱庭の町にてパートナーの回復もままならないままに、フェイトは立ち往生を余儀なくされていた。

出来るだけ高級なホテルに居を移し(無断で拝借し)騎士の看病をする日が続く。
リネンを使い放題なのが助かる。 タオルや包帯などはいくらあっても足りないのだ。
定期的に荒い息を繰り返し、身を横たえる烈火の将に全盛の力強さは微塵も無い。
魔導士もあの戦いで限界を超えたが、しかしこの騎士は更に二段、三段と肉体を酷使していたに違いない。
当然、今はとてもではないが戦える状態ではなかった。

「今……敵に狙われたら……」

僥倖とも言える幸運(果たして運によるものなのか?)で、瀕死の寝込みを教われずに済んだ二人。
フェイトだけでも戦える状態にまで回復出来たのはせめてもの救い。
だが、それでも―――――今、敵に襲撃されたらまずいなんてものじゃない。

「………」

しかし分からない………つくづく敵の狙いは何だったのか?

あの襲撃の意図するものは?
戦闘機人を遥かに超える凄まじい強さを持った敵の正体は?

「そろそろ動かないと…」

シグナムの看病の片手間でも良い。
後手後手になるよりも、そろそろ自分なりに捜査を進めていかないと……
何か嫌な予感がする……そう思い立ったフェイトが席を立とうとした時――


「!!? ………何?」

――――――テーブルがコトコトと、音を立てて揺れていた


――――――

「……地震?」

身構えるフェイト。
その揺れは大地の断層同士が擦れ合って生ずる地殻変動に酷似したものなれど―――

「………違う……これは…」

ヴヴヴ、と、大気を震わす歪な振動。 
極め付けに不吉な感覚を肌に感じ取る魔導士。
棚に置かれた缶詰や食器が軒並み地面に落ちるのも構わずに彼女はソレに神経を集中させる。

この揺れは明らかに地震のそれとは何かが違う…?
これはまるで―――そう、フェイトはこの揺れに覚えがあった。


「そ、そんな…………バルディッシュ……」

――― 次元振 ―――

やがて一つの可能性に行き着いたフェイトの相貌が、見る見るうちに青ざめていく。

そう、あの次元と次元の狭間が擦れ合う事によって生じる世界の軋み―――
管理局が定めた次元災害の中でも最悪レベルの大破壊・次元断層をもたらす
その前触れである揺れに地震は酷似していたのだ!

彼女の背筋を冷たい汗が流れ落ちていく。
シグナムは今だ意識不明……そんな彼女を一人にするのは避けたい。
今の彼女がもし敵に襲われたら一たまりも無い。
しかしもし次元断層が実際に起こるような事があれば、事はそんなレベルではなくなる。
自分やシグナムがどうとか言う以前に、恐らくは地球を含めた次元そのものが壊滅的な被害を受ける。 当然、捨て置ける筈がない。

「すぐ戻ります…! どうか…」

迷っている時間はなかった。
意を決したフェイトが、今だ傷と戦っている騎士に謝罪しつつ部屋を飛び出るのだった。


――――――

時刻は夜半―――


夕闇の帳が下りるビル街は、本来ならば不夜城の如く24時間、人がごった返しているのだろう。
だがこの街は人はおろかネズミ一匹もいはしない。 
疾走するフェイトの影のみが夜のネオンを遮って奔る。

「どこだ……揺れの元は…?」

飛翔する身体があっという間に、付近で一番高い20階相当のビルの屋上に舞い上がる。
すぐさま彼女は魔力サーチを含めた広域探索を開始。
どんな時空の歪みも決して見逃さない……そんな意思の元に周囲360度に視界を巡らせた。

「………………」


そして、フェイトは――――

「あれ、は…………」

――――――――――見た。



まずは恐らく揺れの元である、空間を裂いたような――――傷跡。

それはアルカンシェルが地表に打ち込まれたような現象と酷似したものだった。
そんな災害レベルの現象が目視数km先で起こっているのを確認する。
数Kmは離れているにも関わらず、余波がこちらに届いているほどの現象だ。
この身を飛ばそうと吹き荒んでいるのか、深遠に引き寄せているのかすら分からない、体を締め付けるような歪な感覚にフェイトは吐き気を覚える。

――― 視線はその一点から、離さずに ―――


あの地で一体何が? 
何が起こり、そしてナニが棲んでいるのか余人には想像も出来ない。

「……………」

――― フェイトはその一点から目を離さない ―――

否―――ハ・ナ・セ・ナ・イ


その凄まじい時空の歪みに? 

いや、いや違う!そんなものじゃない!
彼女が先ほどから瞬きすら忘れて、目を見開いて見ているものはそんな……「どうでも良い」ものではなかった。

「………………う、そ…」

カランと手に持ったデバイスを取り落とすフェイト。
その目に映っていたもの――――フェイトの思考を余さず占めて占領してしまったもの。
それは、なつかしき……



「時の……庭園…」

彼女の生まれ育った巨大な移動要塞であったのだ――――――

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最終更新:2010年08月20日 17:19