「痛ちちっ、」

頬の痛みに顔をしかめている青子を見て些か申し訳ないという気持ちに苛まれる魔導士。
例え相手に原因があったとしても、あんな風に人に手を上げてしまう事自体が問題だ。

(余裕ないんだろうな……今の私。 反省しなきゃ…)

本当に、切に思う教導官である。
頬を抑えて痛みに涙ぐんでいる目の前の女性を前に
こちらもジンジンと痛む利き腕を押さえながらの思慮。

ここまで自分に踏み込んでくる相手、自分を引き出してくる相手は正直初めてだ。
強引で、無礼で、不愉快に感じる事も多々ある中に――――
戸惑いと共に新鮮な感動を抱き始めている自分がいる事に、なのは自身、未だ気づいてはいなかった。

それにこんな風にいじられて、こづかれる事で、先の見えない事態に陥った今の状況に対し
どれだけ不安とストレスの発散になっているのか分からない。
もしこの数週間、生物の痕跡すら無い閉じた世界で一人、音もなく何もない中に放置されていたらどうだろう?
自分は未だ平静を保てていただろうか?

生還の目処も立たず、仲間や友達も心配だ。
知らず余裕の無い表情で散策から返ってきていた自分に対し、
そのいっぱいいっぱいになった心情を元気つけるために滅茶苦茶な絡み方をしてきたのだとしたら―――

(考え過ぎかな………)

流石にそれは相手を美化しすぎだろうと苦笑するなのはである。

「青子さん」

その思考を切り替え、管理局局員の顔を取り戻すなのは。
そう。今のうちにはっきりとさせておきたい重要な話があったのだ。
そもそも、こんなじゃれ合いに時間を費やしてばかりいられない。
この魔法使いと行動を共にしている真の目的は不測の事態の打破。
決して子供のイザコザ話に終始するだけのものではないのだから。

「真面目な話……少しいいかな?」

本題を切り出す魔導士である。
その声には既に―――戯れの入る余地を完全に拝した厳しいものである。
その厳粛な目つきは、青子に高町なのはが見せる初めての顔。
次元を跨いで法を行使する時空管理局、戦技航空武装隊=局員の顔立ちだった。

「ん。怪我人だから手短にね」

「さっきの話に戻るけれど……レンを襲った二人組の事について、どんな事でもいい。
 気がついたこと、相手の言動、その時の状況を詳しく聞きたいの。」

「さして話せる事も無いのよ。」

なのはにとっては唯一の手がかりである魔法使いは率直な答えを返した。

「言葉を交わしたわけでも張り込んでたわけでもないからね。
 単に―――、一方的にぶちのめしただけだから」

飄々と語るその表情に危険な光りが灯る。
相手は強力な力を持った戦闘機人だ……
それを相手にして、あまつさえ撃退したといとも簡単に述べるこの魔法使いに対し
やはり並の術者ではないと認識を改めざるを得ない。

「相手の特徴とか、人数とか、それだけでもいいの。
 分かってる事だけ聞かせてくれないかな?」

「遠目からでよく見えなかったけど多分、ショートとセミロングの二人組。 体のラインからすると女ね。
 あ、ラインってのはピチピチのスーツを着てたから分かったのであって
 別に私がそのテの目利きだって言ってるわけじゃないのよ?」

「………続き、いいかな」

「結構、固かったわねぇ……人間の打たれ強さじゃなかった。
 あと飛行能力を持ってて―――そう、そういう意味では貴方とタイプ似てるわ。」

「うん」

一旦、攻撃が始まれば止まらない―――見敵必殺のマジックガンナーのスターマイン。
先制を許せばそこで相手はゲームオーバー。
破壊に特化したとまで言われる彼女の魔弾に晒され、本来ならば肉片も残らない筈だ。
だが、件の二人組はそのフィニッシュパターンに陥ったにも関わらず
残った余力で見事彼女の弾幕を突破し、半壊した身体を宙に踊らせて、その射程外に飛んでいったのだという。

(戦闘機人………No.3とNo.7。 トーレとセッテ…)

その特徴を魔法使いから聞くにつれ、確信を持つ高町なのは。
かなりの確率でその二体である事は間違いない。
その両者は先のJS事件の際、揺り篭内で遭遇したフェイトがオーバードライブを発動して辛くも撃退した
恐らくはナンバーズ最強の戦闘力を有したコンビである。
ジェイルスカリエッティの忠実なる手足。 管理局に拘束された後も、更生を頑として受け付けなかった
所謂、ナンバーズの隔離組。 そして先の脱走でスカリエッティに付き従った者たち。

セイバーとの邂逅から実に一ヶ月ほども立とうとしている。
彼らの後を追って地球に降り立ち、不測の事態で立ち往生し
依然として消息を掴めなかった彼らの足跡をついに―――その片鱗に触れる事が出来たのだ。

「ところで青子さん。 その二人、どうだった?
 相当苦戦したと思うけど……」

―― 単にぶちのめしただけ ――

簡単に言ってのけた青子だが、そう簡単に倒せる相手ではないとなのはは断言出来る。
あの二人を同時に敵に回したら自分とて果たして勝てるかどうか。
他の追随を許さぬ圧倒的な速度での戦闘を可能とするフェイトだからこそ
見事、相手の連携の上を行く機動性能を駆使して二人同時に切って落とせたのだ。

「いや、一分掛からなかった」

「……ほ、本当に?」

それに対しあっさりと言ってのけた言葉に改めて驚くなのは。
ミドル~ロングレンジが主力の射撃、砲撃使いにとって、あの二人の連携は最悪だ。
超高速で迫るトーレの奇襲は人の有する反射神経は勿論、デバイスの補助付きの索敵能力をも上回る速度で飛び込んでくる。
その一撃を何とか凌いだとしても、間髪入れずにリカバーを斬って落とす、セッテの絶妙の支援。
データによれば、No.7の戦闘力・出力は機人の中でもトップクラスであり
その優秀な機体が敢えてフォローに徹する事によって生ずるのが、攻守共にまるで隙のなくなるアタッカーの誕生だ。
一人を止めればもう一人に背中をザックリいかれ、一瞬でも気を抜けば目前の強力なISに正面からぶち抜かれる。
ならばそんなやっかい極まりない相手を、この自分と同タイプの魔法使いがどうやって撃退したのか――非常に気になるところだった。

「……どうやって勝ったの? 参考までにもう少し詳しく……」

「ハチの巣」

気だるそうに簡潔な答えを返す青子。
うぐっ、と言葉に詰まり、がくんと肩を落とす高町なのは。

「本当に楽勝だったの? 全く苦戦しなかった?」

だが挫けない。なおも食いついていく教導官。
戦技を追求してきた彼女だからこそ、おざなりな答えや中途半端な納得を良しとしない。
教義に携わるものとしての当然の疑念と探究心が、なのはに追求の手を緩めさせない。

しかして、返ってきたのは――――

「しつっこいわねぇ! ラクだったわよー? 
 何せ奴ら、どこぞのドラ猫をイジめるのに夢中になってたからね。
 その隙を突いて横っ面にドカンドカンと打ち込めばホラ瞬殺! 簡単な話でしょうが。」

「………」


――――最低の答えだった


――――――

「お―――」

場が急速に寒くなる――――

見ればブルーの脇で行儀よく正座していた筈の少女がプルプルと肩を震わせて―――

「鬼ぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいッッーーーー!!!」 

耐え切れなくなった憤慨を外道主人に力いっぱいぶつけていた………当然であるが。

「よくも! よくも私を囮にしたわねーーー!!!」

要は簡単だ。
不意打ちで飛来した相手に対し、更に不意打ちを重ねて粉砕したというだけの話。
間違ってもなのはの期待した戦技や技術の介入する類の話ではなかった。

「いや、その理屈はおかしいでしょー。
 アンタが勝手に出歩いて勝手にやられたんじゃないの?」

「だとしても! それだけ観察出来る余裕があるなら
 こうなる前に助けられたじゃない!! ええ! 絶対よッ!!」

「いや、雪山を歩いてたらさ……寒くて、何か眠くなっちゃって…」

「ムキーーーーーー!!!」

「あ、ありがとう……参考になったよ」

髪を引っつかまんばかりの言い合いを始める二人を前に額を押さえて溜息をつくなのは。

もはや今日は精根尽き果てた。
さすがにこれ以上、このテンションに付き合ってやる体力は無い。
微塵も信頼関係の成り立っていない主従を前に一言、礼を言い――――

「協力してくれてありがとう。ちょっと考えたい事があるから失礼するね。」

スルリと横を抜けて、未だ元気の有り余っている二人を残して奥の部屋に行ってしまう。
一人で考える事や決めておきたい事も山ほどある。

「あ、……………ふ…」

だが―――彼女にしては慎みの無い大きな欠伸と共に……
強烈な疲れが襲ってくるのを感じずにはいられないなのはであった。
これでは部屋で落ち着いた瞬間、思考が睡魔に取って代わられるのも時間の問題であろう。

(駄目、かな……今日はもう…)

何せ今日は―――色々とあって疲れてしまった。
朝の夢から始まって、白い夢魔との邂逅。 
蒼崎青子との激しい喧嘩。
その後も色々と話しをして――――気がつけばもう日も落ちかけている。

収穫もあった。
紆余曲折あったが、ようやく追うべき対象の姿を捉えることが出来たのだ。
ここは焦らず、無理をせず、じっくりと対策を立てていこうと思い至る魔導士。


最後に一つだけ――――

(ナンバーズの事、もっと早く教えてくれてもよかったんだけど………)


もはや週泊を超えて屋根を共にする連れに対し―――

とめどない愚痴をこぼしながら…………


――――――

なのはが奥の部屋に消えていった
その戸が閉まったと同時に――――

「――――――ねえ、レン」

二人の取っ組み合いはまるでぜんまい仕掛けの人形のようにピタリと止まる。
色んな意味で呆れた主従であったが、その息だけは妙にぴったりだった。
そして先に言葉を発したのは主の方。

「あのコの事、どう思う?」

抽象的だが思わせぶりな質問である。

「逆に聞きたいわ青子。 あんな奇怪なニンゲン、私も初めてよ。
 自分の夢におぼれない……正気と理性を保って欲望を自省する……
 自分の脳内の世界ですら、そんな真似が出来る人間なんて………いる? 貴方の知り合いにそんな人?」

「いるわけないでしょ……チベットの高僧じゃあるまいし。
 魔術師なんてのは皆、欲に塗れた俗人の極み―――死肉に群がる餓鬼みたいなもんよ。」

「だからこそ、あの人間の薄気味悪さが助長されるのよ。
 あんなのは極限の修験に身を置いた者にしか為しえない精神構造だわ。
 20やそこらの小娘の思考回路じゃない……」

なのはが消えていった戸の先――隙間から溢れる闇に対し、目が放せない夢魔。
あの女を溺れさせ、その奥に潜む欲望を曝け出し、乱れ狂う精神の、その零れ落ちた雫を頂く。
いつもと同じその肯定をしくじるほど、この少女は未熟な魔性ではない筈だ。
なのに、結果はご覧の通り。


   身体は確かに反応していた
   あの大量の寝汗を見れば一目瞭然だ
   溺れる対象も健在、心も揺れていたはずだ
   でなければ夢魔は、そもそも淫夢における相手を構築できない

   だのに、そこまでの条件が揃ってながら……あの女は堕ちなかった


最後の言葉が少女の口から吐き捨てられる事は無い。
まだ自分自身、何かの間違いじゃないかと疑う感情が残っているのだ。

「ものの見事にレジストされちゃったのねぇ……まったく鉄壁は外堀だけじゃないってか?」

「レジストは―――されてないわ。 それで弾き返されたのなら、少なからず私に反動や外傷が残った筈よ。
 それはこちらの干渉に対する抵抗……謂わば反撃って事だもの。
 あいつはそんな抵抗も拒絶も一切しなかった。 確かに夢を……この私を受け入れたわ。」

眉間に皺を寄せて人差し指を噛みながらに言葉を紡ぐレン。
その表情、自身の話す内容に苛立ちを覚えているのは間違いない。

「だのに溺れさせるどころか……逆に優しく抱きとめられた。 この私がよ?
 何か大きいモノに包み込まれるイヤな感覚――――
 それに危機を感じて私はあの時、強制的に淫夢を解除したのよ。」

紡がれる話の内容を聞くにつれ、怪訝な表情を作らざるを得ないブルー。
蒼崎青子は人間であるが故に当然、魔性が人の精を食らう感覚を理解する事は出来ない。
だがそれでも、この使い魔からもたらされた話の内容がどれだけ異常であるかは分かる。

「けったいな話になってきたわね……早い話がどういう事よ?」

「そう、早い話。 例えば私がアルクェイドにちょっかいかけようとすると、ああなるわ。」

「真祖ぉ? そりゃ無いわ。有り得ない」

ここでとんでもない名前が飛び出し、さしもの魔法使いも繭をひそめる。

あの最強の個――アルティミットワンの器。
真祖=アルクェイドブリュンスタッドと同格とでもいうのだろうか? あの娘が?
さすがに与太話も甚だしい。 きっぱりと言って捨てる蒼崎青子である。

「レン………アンタ、感覚が衰えているのよ。
 ―――――――傷、相当酷いみたいね。」

核心を突いた主に対し、ついっと首だけを動かして猫らしい仕草で魔法使いを見る。

「なのはとのやり取りを見てて思ったのよ。
 ちょっとビビり過ぎじゃないかって……アンタ、そんなタマじゃないでしょうに?」

そう。蒼崎青子はこの夢魔を低く見積もってはいない。
気を抜けばこの魔性は自分や当のなのはでさえ倒してのける、それほどの存在だと認識している。
彼女は確かに使い魔という、人間に従事する存在であるが
本来、使い走りなどで使役される下位の魔道生命体などとは確実に一線を画する存在だ。
あの真祖が、とある魔術師から譲り受けてから数えて百年を渡り歩いた
高位の魔族と渡り合ってもおかしくない使い魔、レン――その残滓こそ彼女の正体。
元の本体の能力と、あのタタリから汲み上げた力を融合させた存在である少女の力は、雪原の支配者、雪の女王と名乗るに相応しき物だった。

「まあ、しょうがないわ……何せ死に掛けたんだし。
 今のところ良くて20%ってとこ―――今なら、そこらの亡者にも簡単に憑り殺されるわね。」

自嘲気味に己が状態を吐露し、呟く少女。
あの時受けた致命傷から、消滅を免れ命を繋ぐために消費した大量の魔力。
それは彼女の霊格を格段に落とすに余りあるものだった。

「何にせよ、きついわね――あの人間から頂けなかったのは……」

レンの表情が口惜しさを浮かべる。
少ない口調からはその切迫した状況を推し量る事は出来ない。

「私のでよければいつでも」

「それはイヤ」

「ワガママねぇ……誰に似たのやら」

「私の事はどうでもいいでしょう? そろそろ話を戻したら?」

「んー………とはいえ、アンタの感覚がバカになってるんじゃこれ以上の結論は出ないのよね。
 出家してるのか、物理的に人間辞めてるか―――浮世離れしているとは思ってたけどさ。
 魔法少女って皆、あんなもんなのかしら? 初めから溺れる要素を持っていないとか。」

「それこそ、そんな人間あり得ないわ青子。
 欲の無い人間なんて――それ、ホンモノの突然変異じゃない。」

「欲が無いんじゃなくて、欲の受け入れ方を知らない人間―――
 自分の脳内にすら鍵をかけてる奴ってのなら、たまーに見かけたりするけどね。」

「人間の思考回路は理解できないけれど―――何が楽しくてそんな事するのよ?」

「知らん。 少なくとも人生楽しめる類の人間じゃ無い事は確かよ。
 よく愛情余って他人を殺しちゃったっていう馬鹿な奴がいるじゃない?
 ああいうのって大概、愛と欲求を履き違えているものなんだけど……分かるかしら?
 自分から与えようともせずに他人に求めてばっかで、それを愛と勘違いしている類のアホタレ――」

「はぁ………あの娘がそうだって言うの?」

「違う違う! むしろなのははその対極に位置する人間である可能性が高いわ。
 言葉通り、与えるばかりで自分から欲に溺れる術を知らない人間―――
 そういう歪な生き方をしてる奴が………たまに欲望の完全シャットアウトなんて馬鹿な真似をやらかすワケさ。」

即ち自分の思うがままに欲する事を、欲望を持つ事が出来ない人間を指しての言葉である。

「私欲なんて一切浮かばない。 他人を救うこと、誰かのために生きる人生に何の疑問も抱かず――それに喜びすら感じる。
 そういう思いが突出してるような人間……ほら、テレビで出てくる魔法少女とか正義の味方ってそんな感じするじゃない?」

「分からない。 それにしたってヒトである以上、多少の損得勘定はある筈よ?
 完全に無償で他人に益を振り撒き続けるなんて等価交換の理論からも外れすぎてる。
 そんな奇特な存在が個として長く機能するわけがないし―――そんな人間がポコポコ沸いて出たら、私達は商売あがったりだわ。」

人の性欲という三大欲求の一つを繰り、糧とする夢魔である彼女は、その欲望の深さを何よりも熟知している。
そこを突かれればヒトがどれほどに脆いか。
どこまで行っても逃れられない、切り離せない業―――それが欲というものなのだ。
それを全否定されるような事実をいきなり突き付けられて彼女が納得できる筈が無い。

「だから極々、稀な例なんじゃないの。 俗に言う正義の味方とか聖人とか――
 そんな頭のイっちゃってる奴らが世に溢れててたまりますかっての。」

だが少女に反して青子は簡単にその存在を認める。
そう。無償の愛を万人に振り撒き、死ぬまで人のために尽くして、死後に名を遺した偉人は少なからずいる。
否、例え名を遺せず志半ばで歴史の影に埋もれた者もまた、いるだろう。

「ま、そういう極端な奴らって大概、自身の強烈な体験で何か刺激されちゃって
 どこか狂っちゃってるのが大半なんだけど―――でも極稀にね、天然モノが出る事もあるのよこれが。
 神様の悪ふざけとしか思えない類のやつがね。」

欲におぼれず、情に潰されず、選んだ道は常に正道。
正義の味方の理想を生まれながらに体現できる―――
そんな人間の存在が確かに在るのだ、このセカイには。

それは世界のバックアップの為せる業なのか。
万人の望む「現象」として在る正義の存在。
未だ魔術師連の間でも、その現象が確立されたわけではない。

レンは気づく―――饒舌に話している主の顔が、いつの間にか暗く沈んでいる事に。

(この道に入って10年、て言ってたけど……)

そのブルーは今、真面目で汚れの感じられない目をした異世界の魔法使い―――
半月を過ぎる夜を共にし、その人柄に触れてきた純白の魔導士に思いを馳せる。

(なら、少しは歪なものが見える筈なんだけどね……)

「到達したモノ」として世界に名を刻まれた魔法使い。
彼女をして戸惑わせる、高町なのはという存在の有り様―――

―――夢を介して触れた彼女のココロ

それは青子にとって更なる困惑しか生まなかった。

正義の矛盾や憤り。
何かを為す為に人を撃たねばならないジレンマ。
敵から向けられる憎しみと怨嗟。
味方から向けられる畏怖と嫉妬と恐怖。

そういうモノが、ある筈なのだ―――この闘争渦巻く世界に入った以上は

セイギノミカタなどというモノをやっている人種ならば
その、物語やTVのヒーローのそれとは明らかに違う
世界から科せられた「負債」に傷つき、病んでいる部分が必ず――――ある、筈なのだ。

………彼女の人生においても、その理不尽は彼女をズタズタに引き裂いた。
彼女もまた、学生の頃までは青臭い正義を目指して方々を駆け回っていたのだが―――
今となっては誰にも語る事の無い、若かりし頃の蒼崎青子の姿である。

しかし同じような世界に足を踏み入れて10年。
戦いに明け暮れてきた筈のあの高町なのはという女の心は未だ―――何の迷いも無く、真っ直ぐに上を向いていた。

「嫉妬しちゃうじゃない………ねえ、なのは。」

期せずして覗いてしまった彼女のココロ……
あんな幸せな光景で満たされているとは思わなかった。

「ふざけていたわけじゃないの……貴方の事が知りたいって言ったのは本気よ。」

本来ならば―――それは良い事の筈だ。
地獄のような世界において、血と惨状渦巻く只中で
それでも幸せを掴めるのならば、それでも幸せなビジョンしか見えないというのならば
それは何よりのはずだ……それに越した事はない……

(――――ただ、やっぱりあるのよ人間には………………ぶり返しってやつが。)

嫉妬、というんじゃない。
そんな安い感情で、あの娘の事が気になるのではない。
むしろその逆で――――どこか歪で、とても危ない影を、あの娘から感じずにはいられないのだ。

幸せに生きていると信じて疑っていない者にこんな気遣いこそ余計なお世話だろう。
だが、それでも……どこか放っておけない空気を持ったあの異世界の魔法使い。

彼女が既に消えた奥の部屋を見つつ―――微かな憂いの瞳を向けずにはいられないミスブルーであったのだ。

……………………

「さて」

―――分からない事に思案を巡らせるのは疲れるものである。

目の前で自分に付き合っている少女も、少し真面目に語り過ぎの主に対してどうしたものかと困惑気味だ。
溜息を一つ付いて、テーブルに添えてある先ほど魔導士が置いていったカップを手に運ぶ。

「休憩休憩♪ ほら、魔法少女の淹れてくれた有難いお茶を頂きましょうか。」

「……………」

パっと表情の明るくなったマスターが眼前のお茶を勧めてくる。
そして喋りすぎて乾いた唇を潤わせるべく、口に近づけ――――

「――――――、」

青子が…………顔一杯にしかめっ面を作るのだった。

ややもして引きつった表情のままに少女を見上げるブルー。

「レン…………あげる」

「猫舌って言葉を知っている?青子」

その譲渡を断られたのは必然であっただろう。
うう、という表情で目の前のカップを見る青子。

恐る恐る、また少し、その液体を口に含み―――

「熱……甘っっ―――!!!」

短く小さな悲鳴を上げるアオアオ先生であった。
見ると本気で目に涙が滲み出ている。

「――――もしかして嫌がらせじゃないでしょうねコレ!!?」

その呟きが既に奥の部屋にいる高町なのはに聞こえる事はない。
彼女のヘビー級クラスの平手で、ザクロのようになった口の中に
存分に流し込まれ、染み込むのは、未だ湯気立ち昇るなのはの十八番―――


――――――――体のあったまる口解けの良いキャラメルミルクだった


――――――

その家屋の奥まった部屋―――

先ほどの喧騒で自分がぶち抜いた天井からは満天の星空が見える。
二つほど手前の部屋で自分の事を論評されている事などつゆ知らず――
否、もはやそんな事を気にする余力もないのか。

「フェイトちゃん……ユーノくん………みんな」

気だるげな体をソファに横たえて、大切な人達の名前を誰ともなく呟くなのは。
思慮を巡らそうと一人になった途端に襲い来る睡魔。
やはり彼女の予想通り、今日はこれ以上の活動は無理のようだった。

喧騒から解放されて、静寂に包まれた空間が彼女に眠りを誘う。
仲間とはぐれ、音信不通となった世界に囚われて―――もう何回もこうして夜を迎えた。

不屈のエース、絶対に負けない空戦の英雄だのと言われても、それが過剰な肩書きだという事は自分が一番よく知っている。
それが管理局にとって、そして自分を見て少なからず勇気付けられる者にとって僭越ながらに役に立っていると思うが故に
彼女はそんな過剰な肩書きを否定せずに受け止めている。

だがしかし―――自分など本当に、一人では何も出来ないのだ

自分には常に、折れそうになっても隣で支えてくれる者がいた。
影ながらバックアップしてくれる者がいた。
後ろを固めてくれる者がいた。
彼ら、彼女達の力なくして、自分はここまで飛んではこられなかった。

かけがえの無い友達、仲間――
たとえ任務で離れ離れになっていても、次元を隔てた場所にいても、それはどこまで行っても地続きに感じられた。
その肌に感じる確かな温もり。常に繋がっているという安心感が彼女に、強くて揺るがない―――無敵のエースの顔を保たせてくれた。

――――それが………………今はない

この無機質な世界は―――温もりを一片も感じられない、とても寂しくて寒い世界だった。

10年間、共に歩いた人達が残らず消えていなくなる感覚。
この荒廃たる気分こそ、なのはにとっての忌まわしい記憶。
幼い頃の、家族と共に歩みたいのに歩めない―――何も出来ずに置き去りになってしまったかのような
あの記憶に酷似した……そんな薄ら寒さを感じさせているのだ。

「…………」

蒼崎青子に散々弄ばれて突付きまわされているのがせめてもの清涼剤か。
あのノリは恐らく、世間一般で当たり前のように行われている女性同士の他愛の無いじゃれ合いと大差ないものであろう。
ことに友人との恥ずかしい夢の事を指摘されて、されて、されまくって―――自分とてこの10年、そういう事を考えないわけではなかったのだ。

かけがえのない友達と仲間と共に夢のために頑張ってきた。
脇目も振らずただ一心に飛び続けた。
それが不毛な青春時代だったなどと彼女は間違っても思わない。
だが、やはり他人から見て――「普通」とはあまりにもかけ離れた世界だった事は紛れもない事実。

それを自覚する場面は少なからずあったのだ。
世間一般で言うところの女の子の青春に比べて浮世離れし過ぎた環境で、高町なのはは少女時代の大半を過ごした。
戦う術を磨き、砲撃を命中させる方法に苦心し、効率よく相手を堕とす術を追求してきた。
そんな自分がもはや普通の女の子の感性とは一線を隔した所にいる事は彼女自身、一番良く分かっている。
故にいつの頃からか、女性として、人として当たり前の幸せを願う気持ちを――無意識に避けるようになっていた……

――― 私は空の人間ですから ―――

自身の口癖を自覚し始めたのはこの頃からである―――

事実、局員として行動しているときの高町なのはは自分が女である事など思考の範疇に無い。
実際、本当に綺麗サッパリ忘れてしまっているのだろう。
回りも「女がしゃしゃり出てくるな、引っ込め」などとは言わない。
性別を引き合いにして排斥するには、この若き魔導士はあまりにも優秀過ぎた。
それ故に常に最前線―――局の重要な部分に幼くして関わり続けてきた年若きトップエース。

彼女自身、自分の進む道に疑念を抱いた事は無く、自分に出来る事をしようと決めたあの日から
普通の幸せから遠ざかってしまうであろう事は全て覚悟の上だった。
今の生活に対し、キツイとは思っても辛いと思った事は無い。

そんな高町なのはだったが―――それでも微かに寂しさを感じてしまう時がある。

たまの休日にアリサバニングスや月村すずか達と海鳴で会って、他愛の無い話をする時―――
案の定、まるで合わない話題や趣向。
合う度に互いに気を使い、相手に合わせようとする場面が増えていた。
幼少の頃はこんな事などなかった………
三人はいつだって以心伝心―――心を通じ合わせた友達であった筈。
二人が自分に合わせて話題を用意してくれる。 その気遣いの空気が、ズキンと痛くて……
もはや互いが悲しいくらいに違う道を歩んでいるという事を再認識させられるのだ。

二人はなのはにとって最も古い付き合いの友人だ。
その友人がとても遠くに感じるというのは、いくら強い心を持つこの魔導士であれ堪えざるを得ない。
それでも自分の進む道に自信が持てたのは、不安にならずにやってこれたのは、ユーノが……フェイトがいたからだった。
初めて魔法というものを手にした時の感動。
高町なのはが始まった、あの日より、あの事件より、ずっと共に自分を支えてくれた。
その者達の存在の大きさを、なのはは今―――ベッドの上で噛みしめずにはいられない。

「会いたい……みんな…」

まどろみが深くなってくる。
もはや時を経ずして彼女は夢の世界に堕ちていくだろう。
故に今の呟きは、彼女の深層が呟かせた彼女自身の本当のコトバ―――

薄ら寒さを感じさせる気候。

掛け布をぎゅっと抱きしめるその背中にミッドの全魔導士が仰ぎ見た、不沈の背中の面影はまるでなく―――


華奢な体に細い肩幅は………
気を抜くと折れてしまいそうな……


普通の女性のそれと――――何ら変わる事のないものだった……


――――――

…………………


―――――――――想いは星に乗って空を駆ける


「………………!?」


この閉鎖された空間の中―――

眠りに落ちる寸前、切に願った
かけがえのない友達を呼ぶ声は…………


「………………………………なのは……?」


確かに―――――――届いていた。


――――――

フロントガラス越しに後方に流れていく景色を見やりながら―――

金の髪の女性が愛車のステアリングを握りながらに、呟く。

黒いリボンで縛った長髪は砂金を塗したように美しく、その腰の下にまで伸びた長髪を風になびかせて
彼女にとっても最愛の友人である、異なる世界で一人―――孤独に打ちひしがれている白い魔導士の名を紡ぐ彼女。

―――フェイト・テスタロッサ・ハラオウン

エースオブエース高町なのはと共に激動の10年を駆けて来た、時空管理局執務官にして機動六課ライトニング隊隊長。
局において大きな発言力を持つ英雄の家系ハラオウン家の養女である。
その出自は本人にとってもあまり語られたくないものではあるが―――
心優しい性格と柔らかい物腰、折り紙つきの実力で、今や局内で彼女の能力・存在を疑問視する声はほとんど無い。

「運転中に余所見をするな………危ない」

「あ、すみません……」

そしてその助手席にはこれまた見目麗しい美女が身を預けていた。
桃色のポニーテールを肩から垂らした凛々しい顔立ちの女性。
可愛らしさよりもむしろ麗人の風体を思わせる切れ長の瞳は、女の身でありながら厳格で剛健な性質―――
武の道に生きる者であると想像するに難くない様相を呈していた。

彼女こそ隣に座るフェイトにとって、かつては最強の敵であり、今も彼女の好敵手として己を磨き合う存在。
金髪の女性が今、最も頼りにしている仲間。
かつて全次元を震え上がらせた闇の書の守護騎士―――ヴォルケンリッター烈火の将シグナムであった。

「妬けるな……まったく」

「シ、シグナム……」

呟くように小さく発した発言はしかし、この目聡い騎士に筒抜けだったようだ。
責める様な目を向け、同僚の粗相を攻める騎士。

「ち、違うんです……今のは…」

しどろもどろになって言い訳を考える金の女性。
自他共に厳しい将にとって、任務中に気を抜くという行動は許し難い怠慢だ。

「その………なのはから、呼ばれたような気がして…」

………………………………

車内に充満する微妙な空気――――

その言葉を発して、それが墓穴以外の何物でもない事に気づくまで数秒………
自分の発言に対し「あっ」と息を呑む表情を作る執務官。
して対面の将は、眉間に皺を寄せているものの口元は優しげに微笑を浮かべていた。
騎士にとって、この可愛らしい友と白い魔導士の友情が並々ならぬ事も、それ故に彼女の心配の深さも十分に分かっていたからだ。

「なるほど……私が隣では頼りないという事か」

でありながら、つい目の前の友を苛めたくなるのはもはや二人の間に構築されたお約束のようなもの。

「悲しいな……ならばお前に捨てられないよう、私もせいぜい精進に励むとしよう」

「もう、苛めないで下さい…」

言って互いに苦笑しあう雰囲気は、両者が一年二年足らずの浅い付き合いではない事を感じさせる。
しかし、故に今そこに一抹の硬さがある事が……今の状況が決して良いものでない事を如実に物語っていた。
そう、彼女達もまた――高町なのはと同じ境遇におかれていたのだ。

「心配する事は無い。あいつが……高町なのはがそう簡単にどうにかなってしまう者ではないという事。
 それはお前が一番よく知っている筈だろう……違うか?」

「………ええ」

それは十二分に分かっている。高町なのはは強い。
不測の事態が起きたとて、それを一人で乗り切る強さを持っている事は疑いようが無い。
だが、その過信が昔―――耐え難い絶望となって返ってきた事もフェイトは決して忘れない。

(それに、主はやても………)

友の心配をこれ以上助長させたくなかったのか、口には出さず心中で―――自身の仕える主の姿を浮かべるシグナム。
転送の失敗か、完全に孤立し、気がついたら二人……海鳴市と思しき土地に放り出されていた。

思しきというのは、その地がフェイトの記憶と所々かみ合わない、数々の違和感を伴った地であったから。
そして状況的にもまるで今の現状と繋がらない事柄の数々。
その一つである、ミッドチルダにおける交通手段だったフェイトの車が地球での潜伏先だった家の駐車場に置いてあるという事実。
何故、自分の愛車がここに――? 尽きせぬ疑問。 
状況を確認しようにも全く途絶した通信手段。 
そして――人の気配の全くしない海鳴町。

飛行して辺りを散策するわけにもいかない。
十分な注意、点検をしてから自身の愛車に身を預け、今―――
市内の散策を終えた二人はこれから県境に向かおうとしているのだった。

「まずは海鳴……に似た此処から出てみましょう。
 そうすれば人がいるかも知れないし、通信も繋がるかも。」

「そうだといいがな」

黒い幅広のボディがエンジンのスキール音を響かせ、県境の……陽の落ちた山道に消えていく。

その光景が幾多の戦場を潜ってきたシグナムの心中に―――軽い警鐘を鳴らす。
この木々に覆われた闇のトンネルに入ったが最後……二度と生きては出られないという、そんな錯覚。
それはまるで災いを呼ぶ巨大なバケモノが、漆黒の口で獲物を捕らえ飲み込むために擬態した暗黒の口腔。

「………」

「テスタロッサ」

二人とて歴戦の勇者だ。
この暗雲とした不吉な気配に気づかない筈が無い。
事実、不運な事に――卓越した騎士としてのカンは此度も裏切られる事は無かった。

「気を抜くなよ」

短く、しかし明確な意思を込めて友の注意を促すシグナム。
それに頷くフェイトの顔も固く引き締まっている。


今、降りかかる―――逃れえぬ脅威。そして困難と災厄。


ここではない遥かな高みから――――

死神の振り子のように弄ばれる、無限の欲望の手に握られた駒が
盤上において二人と接触するとき――――それが凄惨なコロし合いの幕開けとなるのだ!


もうすぐ―――そう……



その破滅の具現は、二人のすぐ後ろにまで迫っていたのだ――――――

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最終更新:2010年08月02日 12:29