てんやわんやの大騒ぎ――というには、それは聊か度が過ぎていただろう。

ともあれ時空管理局の一流魔道士と英霊の心温まるやり取り。
それも一時の落ち着きを見せ――

――― ぐちゅ、ぐちゅ、―――

今は各々、自身の竿と水面の動きに没頭している最中であった。

――― ぐちゅ、ぐちゅ ―――

そう、ここは釣堀。
釣竿に身を委ね、水と会話し、魚と格闘するアングラー達の戦場。
どのような理由があれど手に持つ竿による戦い以外の競り合いなど些事以外の何ものでもない。

――― ぐちゅぐちゅ ―――


ここに集いし四名。生い立ち性格は違えども志高き戦士である。
各自、その誇りに基づいて今はただ目の前の聖戦に勝利すべし。

――― ぶちゅッ、! ―――

それはそうと……先ほどからスプラッターな音響が辺りに響きまくっているこの音は何事か?
何かを潰すような、何かをこねるような、そんな不快極まりない音響をつつ、と辿って行くと―――

「……………、」

四戦士の一人。白いワンピースの女性の背中へと視線を移す事になる。
彼女の名は高町なのは。
地球生まれの、叩き上げにして天才と誉れ高き時空管理局の魔道士である。

そんな彼女が額に汗を浮かべて曇りのない両眼を眼前のそれに向ける。
まるで内職作業の如く一心不乱に手元のそれへと意識を集中させる。
見目麗しい女性エリート魔道士。その一生懸命な横顔はおのずと見るものを惹きつけ
見惚れさせるに十分な爽やかさと鮮やかさを称えている。 ……………筈、なのだが―――

何かこう作業を延々と続けているその白い背中から
屠殺現場さながらのグロテスクなオーラが吹き出ているのは何故だろう?
………周囲の一般客が微妙に引きまくっているのも何故だろう…?

彼女はただ―――持参の秘密兵器

赤い寄生中のような生餌を摘んで、潰して、捏ねて、
肉団子状にして、針に突き刺す―――
釣りにおける当たり前の仕草をしているだけに過ぎないというのに。

「………」

「………」

「………」

周囲の閉口交じりの視線などお構いなしに瞬き一つせずにソレに没頭する教導官。
手を血みどろにし、指の先からポタリポタリと赤黒い液体を滴らせ
無表情でごりごりと丸めて肉団子を作っていくその姿……………素敵である。
百年の恋も冷めて砕け散るほどにイカれ、否…イカした光景だ。

「―――かわいい魔法少女、だと?」

隣の黒衣のカジュアルな女性。同じく管理局魔道士フェイトテスタロッサハラオウンに
皮肉を込めてジト目を向けるのは錬鉄の英霊・アーチャー。

「いつだって一生懸命なんだ……なのはは。」

「………」

一生懸命な友人の横顔をうっとりと優しい微笑を称えて見守る執務官。
こちらも色々ともう駄目なのかも知れない――

「――――やはり下女よ。 
 虫と戯れる姿が板についている。」

「我がマスターも女らしさという点では聊か疑問の残るところだと思っていたが。いやはや――」

「そんな事ないよ。よく見れば分かる……
 何かを叩き潰している時でさえ、なのはの表情はたまに凄く優しくて穏やかになるんだ。
 …………あ、ほら…! 今の表情なんか…」

「自分の竿に集中しよう。フェイトちゃん」

(な、なのはー……)

志高き戦士。もとい大きな子供達の宴はまだ終わらない。
時は金なり。
一日一日を大切にとはどこぞの偉人が言ったのか。
ともあれそんな貴重な一日も既に午後を回り――
春日和の、控え目なお日様が西に差し掛かろうとしていた。


――――――

「おびき出して吊り上げればいいんだ……理屈は分かってる。
 でもギルガメッシュさんの無駄に豪華な餌のせいで皆、隣に行っちゃう…
 なら寄って来ないならどうするか…」

「お得意の非殺傷が聞いて呆れるぞナノハ。それでは生餌の意味などあるまい?
 まあ、虫を何事もなく、容赦なく捻り潰す姿はある意味潔く実に爽快ではあるがね。
 是非、間桐の老人の前でソレをやって欲しい所だ。」

「いちいち嫌味を言って来ないで下さい。」

そんなこんなで久しぶりに取れた休日。
しかし決して休日を満喫しているとは言い難い顔でフェイトが不平を露に言い返す。
いちいち突っかかってくる男二人が鬱陶しくてしょうがない。
人類史上にその名を残す英霊の座についているという彼ら――
しかし現時点でのその実態は、無闇やたらと人様に絡んでくる酔っ払いと変わらない。
頑張れ人類史……せめて心清らかなこの金髪の乙女に心底幻滅されないくらいには頑張れ…

(……………フェイトちゃん。気づいてる?)

(……え?)

既に辟易の極みにあったフェイトの耳に
突然、親友からこんな言葉がかけられた。

それはミッドチルダにおいて魔道士の間でのみ交わされる
念話という初歩の通信魔法によってかけられた会話だ。
故に男二人(どれほどに人外の力を持っていたとしても)に内容を知られる事はない。

(……?  ……え、と?)

だがその言葉の意味が受信したフェイトには全く分からない。
呆けた声を上げる執務官。

(冷静になろう。いつものフェイトちゃんならすぐに気づいていた筈だよ?)

そんな親友の答えに困ったような軽いため息をつくなのは。

(さっきからアーチャーさんがこちらに助言してくれてるって事……)

一心不乱に作っていたミミズ団子を惜しげもなく撒き餌として川に放り、新たに餌を針に刺す。
今度は無闇に練らずに出来るだけ生け作りのようにして――

(……えと。そ、そうなんだ……?)

その言葉に目を白黒させる執務官である。
今の今まで嫌味のオンパレードに耐える事に精一杯の彼女。
普段の剃刀のような思考を持つ彼女らしからぬ気の抜けた返事を返すしかない。

―――無理からぬ事か

現在のフェイトの思考の大半――
俗に言う彼女的・脳内含有率は今や高町なのは=100%
親友、高町なのはを癒す事。なのはに笑ってもらう事。
それ以外の要素は既に無い……その全てに健気にも全神経を注いでいる。
そんな彼女にサーヴァント野郎のツンデレに気づけという方が酷な話だ。

(相変わらず報われないなぁ。あの人は……
 自身の態度にも問題あるから自業自得なんだけどね…)

呆れ色を灯して言う教導官がチラっと――二つ右の赤い男に目を向ける。

「??」

常人ならば気づかぬほどのさり気無い高町なのはの素振り。
そんな彼女の視線に一瞬で気づき、何事かと目線に目線で答える弓兵だが
すかさずクス、と笑って目を逸らす小悪魔的な表情の教導官。

「―――――何なのだ一体?」

「何でもないよ。ふふ…」

「むう…………」

ズキン、―――

(…………っ)

フェイトの胸に痛みが走る。

(とにかくこの人は不器用なんだ。どうしようもないくらい……
 あれで人生損してるっていうのに結局どこまで行っても直らなかったみたいだね。
 筋金入りとはこの事だよ………まったく)

その笑みは、少なくとも表面上は呆れた感情を称えた笑みに過ぎない。
だが長年の付き合いであるフェイトには分かる。
その奥にえもいわれぬ感情が渦巻いている事が――

―― 悲哀? 憧れ? 反発? それとも、憤り、、怒り? ――

そんな迎合しない相反する感情。
それが複雑に絡み合い、ぐっちゃぐちゃにマーブルしてる。そんな笑いだった。

ズキン、―――

―――それは初めにも感じた謎の痛み

「とにかく……困ったへそ曲がりさんだけど
 そのおかげでコツは掴めてきた……」

エースオブエースの瞳に力が灯る。

「……あまり波立たせては魚が逃げる」

一つ一つ、教わった事を丁寧に。

「……動きは最小。デリケートな餌を留意しつつ、水の流れに逆らわずに」

言葉にして噛み締めるように。

「……呼吸を合わせて、焦らず………そう」

射抜くような視線を湖面に落とす管理局のエースが、今――

「――――――それっ!」

掛け声と共に手に持つ竿を一気に引き上げる。
ぱしゃーんと跳ねる水と共に吊り上げられる―――手の平大のフナ……!

「やったぁっ!!!」

聞く者も歓喜に染めるような、そんな喜色満面の声が上がる。
玉の様な額の汗を拭う事も忘れて竿と格闘していた高町なのは。
その顔が会心のの笑みを作り―――フェイトに対しガッツポーズを作っていた。


――――――

苦労して苦心して―――ようやく手にした初フィッシュ

日が中天に昇る前から試行錯誤を繰り返し
その苦労がようやく報われた瞬間であった。
黄金の王がチッと舌打ちし、赤い外袴の男が目を閉じて口を緩ませる。

「よーし……ここから追い上げだ! 行くよフェイトちゃんっ!」

フェイトも―――彼女の友人である執務官もまた
手を前に合わせて満面の笑みで答えていた。
それは今日、この場に来てから初めての――

―― 高町なのはの快心の笑顔だったのだから ――

よかった……なのはが喜んでくれた――

凄く嬉しそうなその表情。
初心者でありながらこの初当たりまで本当に一生懸命頑張って
そして結果に繋がったのだ。
それは嬉しいだろう…楽しんでくれて、嬉しい…

―――――本当に嬉しい。

ズキン――


ズキン、ズキン――


(…………っ、)


だのにさっきから感じる――

――― この胸の痛みは何だろう… ―――

なのはに向ける微笑のその内に
フェイトは今、はっきりと己が心を蝕んでいく感情の存在に気づきつつあったのである。


――――――

―――ばしゃばしゃと無造作に水の撥ねる音が場に響く

それは場内の隅にある公共の女子トイレ内から聞こえてくるものだった。
場末の釣堀屋に備えられている洗面所。
それは大概、吹きさらしのお粗末なものと相場が決まっているものだ。
しかしそんな他聞からすると、ここは意外なほどに小奇麗でよく整備されていると言えた。
綺麗なタイル張りの壁。異臭を感じさせない香水の香り漂う室内。
全室に防音処理が施されていてウォシュレットも完備。
一流ホテルのRESTルームかと見紛うばかりの、ちょっとあり得ないくらいの清楚さである。
責任者かオーナーが余程の綺麗好きなのだろう。

そんなピンクのタイル張りの壁に備え付けられた鏡に――先ほどまで場内にいた一人の女性
場末の釣堀屋において異彩と言っても良い美貌を持つ金髪の魔道士の
ハンカチを口に咥えた顔が大きく写っていた。
洗面所に突っ伏した黒いジャケット姿の女性。名はフェイトテスタロッサハラオウン
彼女はここより遥か遠けき星――ミッドチルダ時空管理局所属の魔道士である。

(頭、痛い……)

そんな彼女の楽しかった筈の一日―――
蓋を開けてみれば受難と困難に満ちた一日も既に半分以上を終える。
自らを写した全面の鏡を見ると案の定、最低の顔がそこにあった。

ばしゃばしゃ、ばしゃばしゃ―――

ふらつく体を壁にもたれ掛からせながら
呆けた顔で水音を聞きながら
自身の写った鏡を見つめている…

我がままを言って無理を推して――
こんな所までなのはを連れ出しておきながら――

こんな顔を親友に見せるわけにはいかない。
すぐにでも復活して戻らなくてはいけない。

彼女の計画した休日の旅行はもはや当初の予定とはかけ離れたものとなっている。
ほとんど座礁しているといっても良いだろう。
親友である高町なのはも行楽を楽しんでかどうか定かではなく
心情的にサーヴァント相手に引くに引けないだけなのかも知れない。
結局、なのはの疲労をかえって助長しただけ――
その事実を傍と感じながらも今の今までズルズルと行ってしまった。
本当に何のための慰安旅行なのか―――

(持つわけがないんだ…)

いくら高町なのはが英霊と張り合うほどの気概を持っていたとしてもスペックはあくまで人間のそれだ。
基本性能が違うサーヴァント達とああやって競い、一緒の速度で走っていてはガタが来て当然。
それを鑑みれば――どう考えてもこのままではいけない事は自明の理。

………なら今からでも無理やり手を引いてここから出るべきなのだ。
あのサーヴァント達から一刻も早くなのはを引き離すべきなのだ。
なのはがそれを納得するかは分からない……説得できるかは五分五分だろう。
だがそれでも―――

「今からでもヴィヴィオを連れて出かける予定だって言えば……」

自身の都合でヴィヴィオにも我慢を強いてしまった。
多忙なママのせっかくの休み……あの少女とて一日中ママと一緒にいたかっただろうに――
午後までなのはを貸して、という我がままをそれでも快く許してくれたヴィヴィオ。
今頃、小さな体を丸めながら首を長くして彼女の帰りを待っている事だろう。
なら速攻でとんぼ帰りして今からでも3人で夜間営業の遊園地に行くという手もある。

、、、、

……………

「……………」

(いや…………駄目か…)

頭を振る執務官。
そんな強行軍は明日に疲れを残してしまうだけではないか。

無理に休暇を捻じ込んだのだ。
明日からはまた苛烈な激務に苛まれる事だろう。
そこで休み中の不摂生で重い体を引き摺っての出勤など死んでも出来るはずがない。
学生ではないのだ。それこそ重ね重ね何のための慰安旅行か――

「はぁ………」

―――八方塞がり

懐に大事にしまい込んだ物を握り締め、溜息を漏らす執務官。

「今日は……渡せないかも知れない…」

旅行の終わり――最高のシチュエーションの中で
それを行おうと決めていたフェイトだった。
だけど今日はもう無理かも知れない…
形式やムードに拘らず「なのは、これ…」と気軽に手渡してしまえば手っ取り早いのだが
正直、その光景を知人の誰かに見られるのは聊か恥ずかしい代物であるのだ。
だから多忙で二人きりになれる機会すら乏しいなのはと、そして自分にとって
今日は絶対に外せない日であったというのに―――

(実行可能な経路……あとは漫画喫茶かカラオケ…
 ともかく二人部屋を借りれる場所に移動して……)

そんな強引な手段でしかもはや二人きりの落ち着いた空間を形成する事は出来ない。
簡易結界でも張ったろうかとも考えたが流石に私的な事情で魔導士としての力は使えない。
このハチャメチャな一日をリカバーするための幾多の戦術思考を張り巡らせ――
その全てが頓挫した事を実感する執務官がどんよりと沈んだ面持ちになってしまう。
もはや半分、諦めムードが漂うその表情。
ただでさえサーヴァントと遭遇してしまいナーバスになっているというのに…
もう一度、蛇口を一杯にひねって――勢い良く吹き出す冷たい水を顔に被り、気分を引き締める。

(……投げちゃ駄目だ。
 今日はとにかくなのはをエスコートする事。
 それだけを考えていればいいんだ。)

トボトボという擬音がぴったりの足取りで彼女は女子トイレを後にする。
苦悩する執務官だったが、そんな面持ちを高町なのはの前に出すわけにはいかない。
ほどなく、いつもの優しい微笑を称えた自分へと戻らなくてはならないのだ。
決して長くない回廊を抜けるごとに――沈鬱な顔立ちに無理やりにでも笑みを灯す金髪の魔道士―――

「――――うん?」

「……………っ!!!?」

――――の…………筈だった。


だがその瞬間――彼女の顔に貼り付けた笑顔が…

見るも無残に盛大に引きつるのだった。


――――――

「――長いな」

「…………そうだね」

小用と言って席を離れたフェイトの背中――

(もしかして…本当にお腹壊してる?)

その陰を含んだ後姿を思い出し、心配そうな表情を浮かべるなのはである。

―――ピン、ピン、

「……! かかった!!」

さりとてコツを掴んだ教導官の竿の方も今、絶好調である。

「お……大きい。どうしよう…!」

「落ち着け。フナの大きさなどどれも変わらん」

「そうだ。落ち着いて……」

ネズミ花火のように水面を走る針。
その激しい動きに逆らわず、巧みに竿を操作する。
空戦において三十を超えるスフィアを苦も無く操る彼女である。
慣れてくれば――その動体視力と反射速度でこの程度は朝飯前だ。
当初の拙い手つきの彼女とは別人の如く華麗に竿と水と、魚と格闘するなのは。

(……あれ?)

であったが―――そこで気づく。

こんな時イヤミの一つも置いてくる、右隣に陣取っていた五月蝿いのが――

(ギルガメッシュさんは…?)

――姿を消していた事に

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最終更新:2010年11月29日 16:53