その日は日曜日を名乗るに相応しい、実に清々しい快晴だった。
日曜日からしたらとんでもない言われようかもしれないが、やっぱり日曜日と自負するからには気持ち良い一日を提供して欲しいものだ。そういう意味では、今日の日曜日はとても空気が読めている。
なんて、そんなどうでもいいことを考えながら、俺は雲ひとつない青空を見上げてゆったりと歩いていた。
「風が気持ちいいな。寒いってわけでもなし、かといって暑いというわけでもなし」
まあ、本音を言えば11月の空の下、やっぱり春のような気候と言うにはいささか無理があるのだが、そこは気分と演技力でカバーというものだ。待ちに待った今日という一日を、そんな暗澹な気分で迎えたくないし。
「さて、と」
時間も良い頃合だ。そろそろ向かっても大丈夫だろう。
朝から何度も鏡の前でチェックした、精一杯の外行きの格好を見回して最後の確認を済ませた後、もう一度空を見上げてみる。
空は、同じような色で、けれどもゆっくりと時間の経過を表していた。
決して止まることのない、ましてや戻ることもない、それが正しい世界の在り方だ。
「……信じられないよなあ」
独りごちながら、思わず頬を緩めてしまう。
つい最近自分が体験した不思議な出来事。
そこでは、同じ空が幾度も巡り、同じ風が何度も吹いていたのだという。
やはり冷静に考えてみれば、にわかには信じられないような事件だった。
だったらあの出来事は、全て夢だったのだろうか?
俺達が体験し、乗り越え、そして別れた、あの繰り返す時間の日々は。
そう考えた方がよっぽど現実的だろう。
だけどそれが現実でないことを、俺は知っている。
だって、あの数えきれないほどに繰り返した数多の時間の中で。
俺は、俺達は、確かに惹かれあい、そして恋をしたんだから。
失った時間と、別れた友達はもういないけれど。
あの時間の中で培った俺達の絆は、確かな現実として、今でも世界に存在していた。
石段を登りきると、視界が開けた場所に出た。どうやら道は間違っていなかったようだ。
「話には聞いていたけど……結構大きいなあ」
思わず周りをきょろきょろと見渡しながら、感嘆の息を漏らす。
家が神社とは聞いていたけど、こんなに本格的だとは思わなかった。
けど時間的にはもうすぐお昼時だというのに、人がまったく見当たらないのはどういうワケだろうか。
まあ神社だからしょうがないか。……流行ってないわけじゃないんだろう、きっと。うん。
「境内も立派なもんだし……お正月には賑わうんだろうな」
大体、神社ってどうやって生計しているんだろう。やっぱりおみくじとか御守りとかでかな?
それにしては、売り場に誰もいないようだし……。
「……もしかして」
俺は目についた御守り売り場の小屋にそっと近づいてみた。
遠目では人の姿を確認できなかった売り場を、ひょいと覗き込んでみる。
「うわ、やっぱり」
予感的中。というか予想通り。
丁度隠れて見えなかったけど、近づいてみれば確かに売り場の中には人がいた。
椅子に座り、……座ったまま、小さく寝息をたてている。
よくそんな体勢で眠れるなあと感心してしまいそうなほど、まさに芸術的な姿勢で船を漕いでいた。
「うーん、起こした方がいいんだろうか」
あまりに気持ち良さそうに寝ているので少しだけ悪いかなとは思ったが、この季節、こんなところで寝ていては風邪を引きかねないし、なにより喋りたいことが沢山ある。ちょっとだけ気が引けながらも、俺は手を伸ばし、彼女の肩を軽くゆすることにした。
「つかささん。そんなとこで寝てたら色々と問題だよ」
「……うーん……むにゃむにゃ……もう食べらんなぁい」
「うわっ、寝言まで完璧……。じゃなくて! つかささん、つかささん!」
「……ふにゃ?」
ようやく小さな瞼が開かれる。いまだ眠そうにしばしばと目をこすりながら、まだ状況が理解できていないのだろう、つかささんは眠気まなこでぼんやりと俺を見上げた。
「あー、ようくんだぁ」
えへへー、とゆるゆるな笑顔を向けられて、思わずどきっとなってしまう。
「……うん。おはよう、つかささん」
「おはよぉー。……あれ? あれれ? でも、どうしてようくんが?」
「まあ、約束したからね」
「やくそく?」
ぱちくりと瞬き。
そうして、ようやく意識が戻ってきたのか、つかささんは慌てたように立ち上がった。
「ふわあぁ! そ、そうだ! 約束してたんだぁ! ご、ごめんね、ようくん!」
頬を赤く染めながらぺこぺこと謝ってくるつかささんに、思わず苦笑を隠せない。
「いいよ。お目当てのものも見れたしさ」
「ふぇ? なにそれ?」
「つかささんの寝顔。見れないかも、って言われてたけど案外簡単に見れちゃったね」
言うと、つかささんの顔が一気に真っ赤になる。さっきよりも赤い、リンゴのような色になってしまった。
「はう……、は、恥ずかしいなあ」
熱を引かせようと頬を押さえるつかささんを見ていると思わず意地悪を言いたくなってしまうのは、決して俺が悪いわけじゃない。つかささんの可愛さがいけないのだ。うむ。
「想像してたより、ちょっとだらしなかったかも」
「えぇぇっ!? ど、どうしようどうしよう! ようくんに嫌われちゃうよぉっ」
……っと、いけないけない。思い込みが激しいのもつかささんなんだった。
この前みたいに勝手に納得されたら困るので、俺は慌てて訂正する。
「うそうそ! 想像してたより、ずっと可愛かったよ」
「えぇぇぇぇぇぇっ!? うう、そ、そんなことないよぅ……や、やっぱり恥ずかしいね」
「俺は得した気分だけど」
「私は恥ずかしいもん。今度は、ようくんの寝顔を見ちゃうからね」
分かってるのかなあ。その台詞、意外と大胆な意味を含んでるんだけど。
……まあ、あんまり言って困らせてもよくないよな。聞かなかったことにしておこう。
俺は話題を変えることにした。と、そういえば言ってなかったことがあったな。
「じゃーん」
「おお、美味しそう」
掃除を終えて、俺達は少しだけ遅い昼食をとることにした。
実は色々と考えていたんだけれど、つかささんがお弁当を作ったというので素直にその好意に甘えることにした。巫女さんを市内に連れまわすのは問題があると思うし、初デートはまたの機会にすることにしよう。
時間はあるんだ。
繰り返さなくても、俺達の時間はまだまだ目の前に転がっている。
「どうかな? 美味しい?」
「うん。やっぱりつかささん、料理上手だね。……ん?」
卵焼きをつまみながら、ふとした疑問を口にする。
「これ、味付け変えた? ……ていうか、戻したのかな?」
「えへへ。ようくんがこの前、そっちの味付けの方が好みって言ってたから」
「あ、覚えててくれたんだ」
別につかささんの味付けに文句などあるはずもなく、どれも美味しいので、俺はいつも「美味しい美味しい」と言ってたんだけど、たまにつかささんは自分で味付けを変えてきて、俺に「前とどっちが美味しいかな?」と聞いてくるのだ。
その度に俺は答えていたんだけど、まさか……
「……もしかして、俺の好みを探るためだったとか?」
「ようくん、どれも美味しいって言ってくれるから。けど、やっぱり好きな味の方が喜んでくれるかなって思って」
「そんなことしなくたって、いつも喜んでるよ」
「もっと喜んでほしいのー。ようくん専用レシピ、早く完成させたいな」
そう言って楽しそうに微笑むつかささんは、なんというかとっても可愛い。マジ可愛い。
「ほんと、勿体ないよな」
「え? なにが?」
「俺の彼女に」
思わず漏れた言葉にはっとなったが、時既に遅し。
つかささんは、慌てたように両手を振って否定する。
「ふえぇっ、そ、そんなことないよぉ。ていうか、私のほうが勿体ないよ……いっつも思うもん」
「なんて?」
「本当に私が、ようくんの彼女さんでいいのかなーって……」
そう呟くつかささんの表情は、本当に不安そうで。
真剣に、俺の恋人であることに自信がなくて、だから一生懸命努力して……。
伏せ目がちな表情とその場違いな苦悩を、俺はなんとか取り除いてあげたかった。
どうすれば、自信を持ってくれるんだろう?
色々考えた。
直接的な言葉じゃだめだ。つかささんは天然だから、何を言っても心の奥までは届いてくれないだろう。
言葉よりも、強い力。それが必要なんだ。
「……つかささん」
「ようくん……?」
俺の変化を察したのか、つかささんが不思議そうに小首を傾げる。
「俺、つかささんのことが好きだ」
「……うん。私も、ようくんのこと、大好きだよ」
「ずっと一緒にいたいって思ってる」
「私も、おんなじ……」
「だったら、そんな悲しいこと言わないでよ。俺、つかささんじゃないとだめなんだ」
そっと、彼女の手を握る。
小さくて、華奢で、冷たくて……でもあったかくて。
「あったかいね」
「こうやって手を握るのも、つかささんだけだよ」
「こなちゃんとも握ってたよね?」
「あれは……まあ、作戦だったし。文化祭の日からは、握ってない」
「……こなちゃんの幼馴染より、どうかな? 私、彼女さん、やれてるかな?」
ここだ。ここにしよう。
つかささんに悟られないよう、小さく深呼吸をする。
俺達はまだまだ付き合い始めたばっかりで、ろくに経験値も溜まっていない、未熟な勇者パーティだ。
怪しげな経験値豊富のこなたさんより、ずっとずっとつかささんは幼い。
だけど。
「こなたさんには、色々と作戦でされてきたけど……つかささんにしかできないこと、あるよ」
「……何かな?」
答えず、俺はあいている手でそっとつかささんの肩を抱いた。
あ、と小さく漏れる声が、上気した肌と共に俺を刺激する。
まねごとのこなたさんとじゃ、絶対にこうはならないはずだ。
だって、こなたさんが瞳を閉じた時よりも。
今のほうが、何倍もどきどきしているから。
「……ん」
静かに、つかささんの瞳が閉じられる。
俺の視線は、つかささんのふっくらとした小さな唇に注がれて……それが、ゆっくりと迫っていく。
「ようくん……」
「……つかささん」
やがて、その距離が、どんどんゼロになっていって――
「……ばっ、お、押さないでよっ!」
「……あんたがもうちょっと下がればいいでしょうがっ」
「……二人とも、あんまり声だしてたら見つか……」
「わああああっ!」
物凄い物音と共に、何かが崩れ落ちる音が静寂を打ち破った。
「…………」
「…………わ」
「あ」
目があった。
一番下になっているかがみさんと……その上で団子になっている知らない女性二人。
たぶん、あれが話に聞いたことのあるつかささんたちのお姉さんだろう。
まあ、挨拶したいなあとは思っていたので、会えてラッキーだといえなくもない。
……こんな状況でなければ。
「え、えーっと……じゃ、じゃあ、私達はこれで……」
「う、うん。まあ、なんだ」
「ご、ごゆっくり~」
そそくさと杜のほうに消えていく三人。
俺達は、もう一度顔を見合わせた。
俺、つかささんの肩に手を置いたままの姿勢で固定。
つかささん、俺と鼻がぶつかりそうな至近距離で固定。
………………。
「……ぷ」
「ふふ、あはは」
「ははははっ」
もうこうなったらムードも何もあったもんじゃない。ていうか笑うしかない。
俺達はばかみたいにお互い顔を真っ赤にして、それでも照れくさそうに笑いあった。
ちょっとは残念だと思わなくもないけど……いやまあ正直かなり残念ではあるけど。
ゆっくりと歩んでいこう。
焦る必要はないんだ。
だって世界は、今日も明日も穏やかに、けれど確かにまわりつづけるんだから。