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 決められた場所に行くと、まことはすでに到着していた。時間どおりに落ち合うことが、なにか不思議だった。
 こうと会うときは、いつも30分は待つ覚悟をしているのだ。
 それを言うと、まことは屈託なく笑った。

「八坂さんは、筋金入りなんだね」
「ええ。だから、あの子と会うときは早めの時間を伝えておくの」
「なるほど。それなら、毎回きっちり遅刻してくるのもいいかもね」
「少しは、待つ方の身にもなって欲しいわ」
「いいんじゃない?悪気は無いんだろうし」
「無いから、厄介なのよ」

 まことが、また笑う。電車に乗るまでの会話は、ほとんどがこうの話になった。
 彼女のことならいくらでも語れるが、聞いていて面白いとも思わない。しかし、まことは逐一楽しそうだった。

「永森さん、本当に大宮でよかったの?」
「遠出したら、疲れるでしょ。息抜きがしたいなら、近場でいいわ」
「悪いね。そのコート、似合ってるよ」
「つまらない格好で、ごめんなさい」
「かわいいよ。なんていうか、もこもこしてて」
「…そう」

 平凡な言葉でも、さらりと言われると本当にそんな気がしてきてしまう。恥ずかしいようなことを、平気で口にする人だった。
 周りに合わせているように見えて、まことは意外とマイペースを通す。
 それに付き合っていると、なにかおかしな疲れ方をするのだった。
「さて、どうしようか」
「なにも考えてないの?」
「まあ、実は。この辺、越して来たばっかでわかんないし」
「…呆れた」
「ごめんごめん。永森さんがいれば、それで息抜きになるかな、って」
「そんな台詞、よく平気で言えるわね」
「実際にそう思うからね」
「…いいわ。少し、案内してあげる。女の子の趣味になるけど」
「お。それは、実に興味深い」
「あけすけな人ね」
「わかりやすいってこと?」
「慎みが無い、ってことよ」
「慎みのある人が、永森さんは好き?」
「なにそれ。ほら、行きましょ」

 促し、歩き出す。どこへ行こうにも、女性向けの店しか浮かばない。
 この人なら、どこに連れて行っても喜ぶという気もする。
 さっきは受け流したが、やまとは他人のそういう性格が嫌いではない。
 明るかったり、遠慮が無かったり、何事にもはっきりとした人に惹かれる。自分でも、そんな風であろうと心がけてきた。

「こんなお店、見ていて楽しい?」
「楽しいよ。永森さんに似合うものでも、探してみる?」
「…変わった息抜きね」
「買ってあげたりしないから、安心して。金欠だし。ほら、このブレスレットとか」
「そういう大人っぽいのは、こうに似合うかもね」
「永森さんは、子供っぽいの?」
「子供よ。人に甘えてばかりだもの。なのに、全然素直になれない」
 それは言葉どおりの意味で、子供のように寄りかかったり、しがみついたりするのが、やまとは好きだった。
 無論、誰にでもするわけではない。むしろ、そういう場面とはずいぶん遠ざかっている。
 誰かに甘えようという気分に、まるでならないのだ。

 感情がうまく表せない。ひと月ほど前から、なぜかそうなっていた。
 怒りもするし、喜びもする。それが、いままでの半分ほども表面に出せなくなっている。
 性格が変わったというより、枷をつけられたような、不自然な感覚だった。

「甘えるってのは、厚意に甘えるってこと?」
「違うわ。言葉どおりの意味。つまり、その」
「くっつき虫なんだ」
「…病気みたいなものね。最近は、治まってるけど」

 なぜ、こんなことを喋ってしまうのだろう。
 こうは、まことのことをバカの付く正直と話していた。こういう人は、他人の本音も引き出してしまうのかもしれない。

 ふと、不安に似たものに襲われた。
 ずっとこの人といたら、いつか余計なことを白状してしまうかもしれない。そんな、実体の無い予感。

「いや、しかし、けっこう歩いたもんだ。ちょっと早いけど、お昼にする?」
「そうね。どこも混むだろうし」
「永森さん、なにが食べたい?」
「それを言ったとして、案内できるの?」
「できませんっ」
「…もう」

 声を上げて笑いたかった。それが、上手く出来ない。
―――――――――――――――――――――――
 冷静で、あまり人の領域に踏み入ってこない。はじめは、警戒しているのだと思った。
 どうやら元からの性格らしい、とわかったのは、こうに対しても同じ態度だったからだ。
 しかし、それはこう自身から否定された。元は、もっと表情が豊かだったという。
 やはり、どこかで感情を抑えているというのだ。それは、今日のデートより前にこうから聞かされた。

 隣には、やまとがすました顔で立っている。この顔を見ていると、不思議な気分に襲われる。どうしようもなく、切なくなるのだ。
 彼女に対して、するべき事がある。言葉にするなら、そういうことだった。
 そんなやり場のない感傷が、何度もまことの胸を締め付けた。

「おいしかったね」
「ええ。でも、パスタじゃ足りなかったでしょう?」
「うーん。まあ、たらふく食べる場面でもないしね。あ、でも、よく食べる方がもてるとは聞くなあ」
「…そうね。頼れるイメージがいいのかも。そういう人は、行動力もありそうだし」
「それって、永森さんの好みじゃない?」
「そ、そんなこと」
「ほんとにぃ?」
「…頼れる人が好きじゃ、いけないの?」

 消え入りそうな声で、やまとが言った。これ以上は耐えられない。
 どうしても、自分は嘘や隠し事が苦手だった。すぐに、居ても立ってもいられないような気持ちになってしまう。
「嘘だよ。実は、知ってたんだよね」
「…え?」
「向こうから、嬉々として語ってくれたよ」
「…あの子」
「まあ、八坂さんも悪気は」
「あなたも、あなただわ」
「ははっ。ごめん」

 やまとが、軽くむくれる。ここだ、とまことは思った。いつも、この辺りに壁がある。それを破る手段が、浮かばない。
 もう一歩、やまとの心に踏み出すべきなのか。下手を打てば傷つけるだけだろう。
 それでも、本気で怒ってくれるならいい。嫌われるのは、自分だけなのだ。

 どうして、こんなことを考えるのか。やまとを救う、などということではない。こうの為でもない。
 やらなくちゃならない。理由はわからないが、これだけは自分がやらなくてはいけない。
 一瞬、脳裏に浮かぶものがあった。校庭にある、桜。なぜ、そんなものが。
 いまは、どうでもいい。一歩を。それだけを思って、まことは口を開いた。
「永森さん」
「…なによ」
「怒ってないでさ。それより、ちょっと訊きたいことがあるんだ。永森さんは、昔からそんなに静かだったの?」
「…は?」
「極端に言うよ。いま、俺の前にいる永森やまとは、中学の頃と同じ人なの?」
「こうが、なにか言ったのね」
「そうだよ。でも、口に出したのは俺の意思。嫌な話かもしれないけど、一度しか訊かないって約束する。
できたら、答えてくれないかな?」
「…どうして?」
「なんでかな。はじめて会った時と、同じような。訊かなくちゃいけないって、なぜか思っちゃって。
永森さんには、答える理由なんて無いんだけど」
「…あの時」
「うん。あの時と同じ」
「…私」

 とりあえず、言った。心に、踏み込めたのか。不快にさせただけかもしれない。まことは、かすかな後悔を覚えかけた。

「やっぱり、だめ?」
「…私は、静かなんかじゃない」
「うん?」
「私は、静かなんかじゃないの。もっと元気で、口が悪くて。今の私は、元々の私とは、どこかで違っているの」
「…永森さん」

 やまとが、語り始める。聞いたことのない声だ、とまことは思った。
―――――――――――――――――――― 
 余計なこと。それを、言おうとしている。こうと自分だけの秘密。
 でも、この人なら受け入れてくれるかもしれない。違う。この人に、聞いてもらいたい。

「静かなんかじゃない。こんなのは、私じゃない。わからないことが、多すぎるの。
自分のことも、あの日のことも、全部わからない」
「やっぱり、なにかあるんだ」
「あなたになら、話してもいい気がするの。本当に、聞いてくれる?」
「…いいよ」

 本当に、これでいいのか。人に話して理解される内容では、到底ない。
 それでも、言いたかった。ずっと、誰かに打ち明けたかった。
 その相手にまことを選んだのは自分で、今はそれだけで充分じゃないのか。

「私、こうと会った日のことが、思い出せないの」
「会った日?」
「高校に上がってから、一度も会えなくて。でも、あなたの学校の文化祭の日に、待ち合わせる約束をしていたの。
私たち、確かに会った。そのときのことが、どうしても」
「…思い出せないの?」
「こうも、同じだって言ってた。気がついたら、ただ普通に連絡を取り合っていて。
あなたが言うような静かな私になったのも、その頃からなの。
なにをしても、なにをされても、感情がうまく出てこない。嬉しいのに、楽しいのに、それを伝えられない」

 まことは、ほとんど相槌も挟まない。ただ、聞いてくれている。
 余計な、本当に余計なことを喋っている。でも、止まらない。目の前の人に、全てを吐き出したい。
 声が、熱を帯びている。押さえつけられたものを、身体の底から引きずり出す。
「あの子、気にならないって言ってくれた。だけど、私はずっと不安だった。
こうが仲良くしていた永森やまとは、もういないんじゃないか、って。いまの私といても、こうはきっと楽しくなんかない。
昔から、いっつも素直じゃなかった。嬉しくても、いつもツンケンして、こうを困らせてた。
そんな私に、神様からバチが当たったのかもしれない。あの子と一緒にいる資格なんか、無いのかもしれない。
わからないよ。文化祭でこうと会ったのは、すごく大切な瞬間だったはずなのに。
なんで、忘れちゃったの?なんで、私だけが変わっちゃったの?気にしたくなかった。考えないようにしてた。
でも、もう限界だよ。私、こうが好き。大好きなの。こうといる自分が、本当の自分じゃない。そんなのは」

 自分の中で、なにかが破れた。しかし、嫌な感覚はではない。
 熱い。
 涙は、熱い。ずっと、忘れていた熱さ。いま、思い出した。

「そんなのは、嫌」

 すべて言えた。最後まで、聞いてくれた。
 いまは、泣くことしか出来ない。いつまでも、泣いていたかった。
 ぐらりと、身体が傾く。自分は、目眩を起こしている。

 違う。まことだった。堅い胸に、抱き寄せられている。
 泣いたままでいい。そう言われた気がした。

 まぶたの裏。なにか映った。あれは、桜の木。でも、花はついてない。