~第四十四章~
~第四十四章~ 私は、みんなを殺してしまった!みんなを救うためだなんて、ただの口実。薄汚い、欺瞞に過ぎない。本当に望んでいなかったのならば、たとえ、それが彼女たちの意志であり、嘆願であったとしても、断固として拒絶した筈だ。 そうしなかったのは、私の中に、弱い心があったから―― 現状では鈴鹿御前に叶わないと怯え、御魂を分けた姉妹たちが惨殺される光景を直視する勇気も持たず、自らの意思で決断する権利を放棄した結果が、これだ。 私は、自らの内に宿る鬼の声に誑かされて、姉妹たちを殺したのだ。 真紅は、自分が犯した罪の深さに恐慌状態となり、殆どの言葉を失っていた。思考は最早、停止寸前。もう一人の自分――鈴鹿御前の言葉を、取捨選択もせずに聞き入れていた。それは、とても危険で、恐ろしいこと。尊厳も、理念も、種種諸々の生きる理由すらも他人の言葉に委ねきって、現実から逃避する……それは、誰かの操り人形に成り下がる、ということ。 「感謝して欲しいものだな。 人は、誰でも鬼になれる……それを教育してやったのだから。 そして、お前は自分の意志で、鬼となったのだ。 自ら望んで、この、わたしと同じ道を歩んだのだよ」 「い…………いや」震える声で、弱々しくも精一杯の拒絶を試みる真紅の心は、しかし、鈴鹿御前の覆い被さるが如き声に、押し潰されようとしていた。 「足掻いても無駄だ。もう、後戻りは出来ぬ。 生ける者も! 死せる者も! 畜生も! 鬼も! 諸々の魑魅魍魎も! 如何なる者も、時を遡って、過ちを正すことなど出来ぬのだから!」 「わ…………私…………私は」 「お前に残された選択肢は、二つ。 鬼と化し、修羅の道を歩み、畜生に身を窶して、わたしと同化するか。 それとも、今ここで、わたしに殺されて吸収されるか。 その、どちらかしか無い! さあ、選べ!」 「私……は……」その時、城全体がビリビリと震動するほどの怒号が、遠く聞こえた。翠星石の御魂を吸収したことで、睡鳥夢の起動が解除されてしまったのだ。それは、城門で押し止めていた穢れの軍団が、雪崩を打って突入してきた事を意味した。 【真紅っ! このままじゃ拙いよ!】 【蒼星石の言う通りです! 穢れの者どもが押し寄せてきたら、 ジュンとベジータが殺されちまうです! 私たちだって、いずれ……】いきなり、蒼星石と翠星石が、真紅の中で喚き立てて、真紅を驚かせた。八つの御魂が揃った為に、彼女たちとの意志疎通まで、可能になったのだろう。でも、二人が口々に叫んでいる話の内容が、真紅には良く解っていなかった。理解しようという気力も湧かない。何が最善なのか、どうしたら良いのか。皆目、見当が付かない。完全な痴呆状態だった。 【いつまでも、ボケッとしてるんじゃないわよぉ! お間抜け真紅っ! やるべき事は、ひとつっきゃないでしょぉ!】 【銀ちゃんの、言うとおりなのっ。 ヒナたちの事で悲しむ前に、真紅には、やらなきゃいけない事があるのっ】 (……解らないわ……なんなの?)水銀燈と雛苺への問い掛けに、薔薇水晶と雪華綺晶の助言が添えられる。 【真紅……私たちは、何の為に集ったの?】 【私たちは、どうして此処まで来たのか――思い出して下さい】 (私たちは……何の為に、此処まで……) 【まぁだ解らないのぉっ! この、おばかさんっ!】いきなり水銀燈に頭を叩かれた様な気がして、真紅は一瞬、目眩を覚えた。勿論、そんな事は有り得ない。けれど、身体が憶えていたのだろう。からかわれ、冗談まじりに引っ叩かれていた、腹立たしくも楽しい思い出を。『おばかさん』に続く優しい暴力の記憶が、状況反射的に起こさせた目眩――それは、今、真紅の思考をも呼び覚まそうとしていた。 そう……。そうだった。なぜ、忘れていたのだろうか。こんなにも、簡単な答えだったのに。 (私は――私たちは、穢れの元凶を祓うために集ったのよ。 鈴鹿御前を斃すために、今、ここに立っているのだわ)怒りも悲しみも、怖れも戸惑いも――全ての雑念を力に変えて、ただ一心に、退魔の神剣を振り抜くのみ。やるべき事は、たった、それだけの事だった。真紅は、神剣の柄を握り直して、目と鼻の先に居る鈴鹿御前に斬りかかった。よほど侮っていたのだろう。鈴鹿御前は、神剣の間合いに踏み込んでいた。この距離なら、踏み込む必要は、全くない。 「たああぁぁ――っ!!」勇ましい雄叫びと共に振り抜かれた刃を、鈴鹿御前の皇剣『霊蝕』が受け止めた。互いの刃が、ぎちぎちと咬み合う。八つの御魂を、その身に結集した真紅は、今や、鈴鹿御前と対等の力を得ている。単純に、そう思っていた。拮抗できると信じていた。けれど…………現実は、そこまで甘くなかった。真紅が渾身の力で押し込んでいた剣が、徐々に、押し戻されていた。柄に左手を添えて、両腕で押したけれど、ビクともしない。鈴鹿御前は右腕一本で、真紅の剣を押し返しているのだ。 「ま、まさか、こんな」 「その程度の力で、わたしを斬れると思ったか、真紅? 所詮、お前は、わたしの欠片。従僕ごときが、主人に敵う訳があるまい。 十八年前は、狗神の妖力を吸収して漸く、拮抗したまでのこと」鈴鹿御前の言葉を受けて、真紅の脳裏に、房姫だった頃の記憶が少しだけ甦った。嘗て、鈴鹿御前が鬼と化した時に不要物として切り離され、捨てられた房姫は、殆ど退魔の能力を持たなかった事を。それでも、たった一人の分身である鈴鹿御前を止めるべく力を蓄え、十八年前の闘いに臨んだことも。それらは全て、消滅を免れた良心としての役割を果たす為だった。 「だが、今のお前は、以前の力を八等分された内の、一つでしかない。 当時ですら、辛うじて対抗できていたと言うのに、八分の一のお前が、 わたしに勝てると考えること自体が烏滸がましいわ」嘲って、鈴鹿御前は真正面から、真紅の腹を蹴りつけた。法理衣に護られていたとは言え、鳩尾のやや下に直撃を食らって、息が詰まる。それだけに留まらず、真紅の身体は大きく飛ばされ、玉座が安置された高台から、下の床に落ちてしまった。その落差は約10尺、大の大人を二人、縦に並べた程もある。背後の護りは圧鎧で対応してはいるが、この高さから叩きつけられれば、正直、どうなるか予想も付かなかった。一瞬の後、背中と後頭部を激しく石畳の床に打ちつけて、真紅は気を失いかけた。だが、彼女の内に宿る七人が、眠ることを許さない。 【目を開けるんだ、真紅! すぐに、次が来るよ!】蒼星石の声を聞いて、ちらつく目を懸命に凝らした先には、赤い翼を広げて、空中に待機する鈴鹿御前の姿が在った。剣を構え、今しも急降下するところだった。 (来たっ!)真紅は冥鳴を起動すると、鈴鹿御前に向けて放った。急降下の狙いを逸らし、その間に回避する策である。だが、鈴鹿御前は真正面から冥鳴とぶつかり合い、脇に弾き飛ばして、突進してきた。慌てて真横に転がった真紅の背後に、鈍い衝撃が伝わってきた。何回か横転してから、体勢を立て直して見ると、さっきまで自分がいた場所に深々と突き立つ皇剣『霊蝕』が見えた。 「なんて貫通力なの?! 石畳を砕いて尚、あんなに深く刺し貫くなんて」けれども、真に恐るべきは、鈴鹿御前の膂力。床に突き刺さった皇剣を、まるで畑に植わった大根でも収穫するかの様に、易々と引き抜いて見せた。 「命辛々……と、言ったところか。ふふ……なかなか愉しませてくれる」言って、鈴鹿御前は嫌らしく唇を舐めると、真紅に向けて歩を踏み出した。真紅は舌打ちして、心の中で、金糸雀に問い掛けた。 (どういう事なの、金糸雀! 御魂が揃ったのに、全く歯が立たないわ。 使用可能な精霊が増えたくらいで、筋力は変わらないじゃない!)金糸雀の御魂は、少し考え込んだ後、言い辛そうに語り始めた。けれど、言葉を濁すような真似はしない。一蓮托生となった身ならば、隠し事など有名無実。 【よく聞くかしら、真紅。房姫の能力を覚醒できないのは、多分だけど…… カナたちの意識が、まだ残っているからダメだと思われるかしら。 今はまだ、八つに引き裂かれた欠片が、一カ所に寄せ集められただけ。 それらを一つに繋ぎ合わせなければ、真の力は発揮されないかしら】 (ひとつに……繋ぎ合わせる? それをしたら、どうなるの?) 【まず間違いなく、カナたちの人格は消滅するかしら。 もう…………今みたいには、会話できなくなるわ】真紅は、絶句した。そして、鈴鹿御前の接近も忘れて、金糸雀の言葉を拒絶した。 (イヤよ、私は! そんなのは、イヤ。絶対にイヤ!) 【でも、今のままじゃあ勝てないのよ、真紅。我が侭を言わないで。 みんなだって、とっくに覚悟は出来てるかしら】 【そうですわ、真紅。迷わないで下さい】 【……真紅の力に成れるなら、悔いは無いよ】 【消えるのは、ちょっと怖いけど……みんな一緒だから、ヒナは平気なのよ】 【私たちは、いつだって真紅の中で生きてるですぅ】 【話が出来なくても、ボクたちは、いつだって近くに居るんだよ】 【だから……気に病む事なんてないわよぉ、真紅ぅ。 私たちの御魂を融合して、ちゃっちゃと鈴鹿御前を退治しちゃいなさぁい】誰の声も、決意に満ち溢れていた。誰一人として、声を震わせている者は居なかった。誰もが、消える運命を受け入れ、真紅と一つになろうとしていた。みんな、自分たちなりに考え、答えを出したのだ。自分たちの未来を、私に託してくれたのだ。真紅は、感激のあまり、胸が熱くなるのを感じた。 (貴女たちの気持ちは、とても嬉しい。 こんな、ちっぽけで弱い私に、全てを委ねてくれたんだもの。 私は、光栄に思う。貴女たち姉妹を、心から誇りに思うわ) 【それでは……決めたのですわね、真紅】 (ええ、決めたわ、雪華綺晶。どうする事が最善なのか……やっと解ったから) 【だったら、もう何も言わないわぁ。真紅の意志に任せるからぁ】 (ありがとう、水銀燈)ひとつ吐息して、瞼を閉じ、真紅は徐に印を結んだ。二度、三度と深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着かせる。もう逃げない。もう迷わない。もう諦めない。最善の選択と信じて、運命のしっぽを掴んだのだから、あとは夢中で追いかけるのみ。何処までだって、とことん追いかけて、必ずものにしてみせる。真紅は自分の内に宿る姉妹たちに、決然と言い放った。 (私は拒否する! 絶対に、融合なんてしないのだわ! たとえ、この瞬間に融合することが十八年前、既に決定されていて、 抗えない運命だとしても……私は、最後の一瞬まで抗い続けてやるわ。 そんな運命ならば要らない! 突き飛ばして、はね除けてやるだけ! 他人に決められた運命なんて、歩きたくはない)御魂の集合状態を、解除――結んだ印を切った途端、真紅の身体から、七つの御魂が散開した。間近まで迫っていた鈴鹿御前は、その様子を目にするや嘲笑を凍りつかせて、信じられないと言わんばかりに双眸を見開いた。融合することはあれど、集めた御魂を再び手放すとは思っていなかったのだ。 「……度し難い愚か者だな、お前は。 御魂が八つ揃っても、わたしには敵わないのに、自ら残滓に戻るとは」自棄でも起こしたのか? そう言いかけて、鈴鹿御前は一つの可能性に気付き、ははぁん……と、口元を醜く歪めた。 「なるほど。つまり、アレか。 自分が生け贄になることで、他の娘たちを助けようと言う訳だな? 美しい自己犠牲の精神だこと。本当に…………反吐が出るくらいにね」嘲笑う鈴鹿御前に、真紅は真っ向から反論した。 「いいえ! 私は、漸く気付いたのだわ。本質が、何か……と言う事に。 御魂を集めたって、結局は独り。でも、独りで出来る事には限りがあるわ。 だから、人は気の遠くなるような昔から、集団生活を送ってきたのよ。 一人一人の力は小さくとも、全員の力を合わせて、強大な力とする為に」 「弱い者同士で、力を合わせるだと? 馬鹿な。虫酸が走るわ。 群を成し、馴れ合って、だらだらと存在し続けているだけの虫けらではないか。 否。虫けらの方が、まだマシよ。冬になれば消えるからな。 厚顔無恥なクズどもの扱いなど、糧か、もしくは使い捨ての駒で充分よ」 「個々の力を過小評価し過ぎる貴女の考えこそが、貴女自身を滅ぼすわ。 裏切りに脅えるあまり、誰も信じられず……御魂を分けた巴やめぐまで、 自分の糧として利用した貴女には、永久に解らないでしょうけどね」 「知った風な口を――」舌打ちして、斬りかかった鈴鹿御前の皇剣を、真紅の神剣が受け止めた。互いの息がかかる程の距離で、二人は鋭い眼光を放ち、睨み合う。歯を噛み鳴らし、顔を紅潮させて悔しさを露わにする、もう一人の自分が、そこに居た。真紅が彼女に向けた表情は、侮蔑でも憐憫でもなく……。雲一つない青空のような、清々しい微笑みだった。 「私は、もう迷わない。私自身の信念を貫いてみせるわ。 今こそ【義】の御魂の守護者として、私の名が冠する『真』の一文字と共に、 礼儀、信義、忠義、仁義……全ての御魂に、義の能力を与えるのよ。 それが、私の正義……真義なのだから」 「はん! しゃらくさいわ! そんなもの、ただの虚仮威し。 児戯に等しい、言葉遊びではないか」 「貴女はまだ、気付かないのね」凪いだ海のように穏やかな口調で告げた真紅の身体から、突如として眩い光が迸る。それは破邪と浄化の光だったが、明らかに縁辺流の霊光とは異なっていた。 「な、なにっ……これは?!」咄嗟に飛び退き、赤い翼によって光を遮断する鈴鹿御前。だが、極めて短時間ながら直視してしまったため、一時的に視力を奪われていた。翼の表面が、じりじりと焼けていく。これほどまでに強力な退魔の能力を行使できるのは、最早、人に非ず。――神魔覚醒。鈴鹿御前の背中を、嘗て無いほどの悪寒が走った。 「欠片の分際で、神魔覚醒を?! そんな馬鹿な……信じられるものか! わたしは認めないっ! こんなものは、まやかしに過ぎぬ!」 「現実から目を背けていたのは、実は貴女の方だったのよ。 私と貴女を欺き、裏切った者達は、もう死に絶えていると言うのに…… なおも無意味な復讐心に囚われ続けている。 だから――私が、貴女を永劫の運命の輪から拾い上げてあげる。 無限の苦しみから解き放って、貴女に真の自由を、今こそ――」凛とした真紅の声が響き渡り、白い光が収まった。どうなった? 終わったのか? 鈴鹿御前は徐に翼を除けて、霞む目を瞬かせる。だんだんと、視界が戻るに連れて、剣を構える真紅の姿が明瞭になってきた。巫女装束の緋袴が、やけに目に滲みる。だが、そんな事がどうでも良くなるくらいに衝撃的な景色が、鈴鹿御前の瞳に飛び込んできた。紺碧だった真紅の瞳は、今や、薔薇水晶や雪華綺晶の赤目と同じ輝きを宿していた。そればかりか、金糸を思わせる髪を掻き分けて、真っ白な狗の耳が、真っ直ぐ天に突き出している。緋袴の後ろにも、ふさふさとした白い尻尾が、見え隠れしていた。それは正しく、十八年前に斃した宿敵、狗神の血によって神魔覚醒した、房姫の姿。鈴鹿御前は、嘗て見せたことが無いくらいの狼狽ぶりで、頬を引き攣らせた。 「そんな馬鹿なっ! 馬鹿な! 馬鹿なっ! 何故だ! 何故、お前が覚醒できるのだ! 狗神の血を引いてもいない、ただの人間に成り下がった、お前ごときが!」 「八つに別れていた私たちは、一つに交わり、あらゆる経験を共有したわ。 喜怒哀楽、悲喜こもごも、全てのことをね。そして、私たちは悟った。 いつも側で支えてくれる人さえ居れば…… 誰もが、至高の存在になれる可能性を秘めている、という事をね。 その結果が、この姿なのだわ」動揺を隠しきれない素振りで、鈴鹿御前は固唾を呑み込んだ。額に、焦燥の証である脂汗が滲んでいる。それでも、彼女は気丈に平静を装い、虚勢とも思える言葉を吐いた。 「至高の存在? 支えてくれる人だと? ふ……馬鹿馬鹿しい。 人は利己的な動物に過ぎぬ。損得なしに他者を支える者など、居よう筈がないわ」 「私には、あの娘たちが居るわ。私だけじゃない。誰にだって居るのよ。 ただ、あまりにも日常的すぎて、気がつかないだけ。 だけど……もう、貴女には誰も居ない。 巴も、めぐも、のりも――みんな、貴女が見殺しにしてしまったのよ。 助けようとすれば、出来た筈なのに」 「はん! それが、どうした。わたしに、懺悔しろと宣うか? わたしの生け贄となったのは、あの娘たちの運命だっただけのことよ」悪びれるどころか、開き直って肩を竦める鈴鹿御前の態度に、真紅は髪をざわめかせた。 「彼女たちの運命は、貴女が決める事じゃないわ!」 「黙れっ! いい気になるなよ、小娘がっ!」鈴鹿御前は吼えて、真紅に猛然と斬りかかった。振り上げられた皇剣『霊蝕』が、篝火の明かりを受けて怪しく光る。それはまるで、真紅の生き血を求めて牙をむく狂犬の様であった。 =第四十五章につづく=
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