Scene16:フラヒヤ山脈―洞穴南西部―・その4
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フラヒヤ山脈、洞穴南西部。およそ数時間前に出立したこの南西区画に、一同は戻って来た。多少この地での狩りを経験したハンターならば、このフラヒヤ山脈の洞穴南西部は、飛竜の巣になっていることを誰でも知っていよう。この洞穴南西部は、飛竜にとっては傷付いた体を休める休息地点になるが、同時にそのまま彼らの墓場となる事態もままある。ここで飛竜が眠る事さえ知っていれば、ハンターらにとってここは無防備になった飛竜に不意打ちを仕掛ける、最高の場所だからでもある。そして今回のフルフルもまた、その事例に漏れることはなかった。フルフルは、ここで永遠の眠りを迎える羽目になったためである。しかし、ここで問題となるのは、誰がフルフルに永遠の眠りをもたらしたのか、というその一点。一同をこうまで愕然とさせるに至った理由は、それしかなかった。「…………!」真紅は開いたまま塞がらない口を、『ハイドラバイト』を握る左手で覆う。「何の冗談だよ……これは……?」ジュンの『ショットボウガン・白』の銃口は、狙い撃つべき敵を失い所在なさげに光を跳ね返す。「フ……フルフルのヤローが……!」『インジェクションガン』に込められた『火炎弾』が、丸々無駄になったことを知った翠星石は、その場で唖然となる。「死ん……でる……!?」未だ生乾き……もとい「生凍り」のフルフルの返り血に、全身を染める蒼星石は、奥歯を軋らせた。目の前で起きている事象を説明するのに、これ以上複雑な言葉は要らない。フルフルは、死んでいた。そしてそこに残っていたのは「フルフルの亡骸」、と言うよりは、「かつてフルフルであっただろう巨大な肉塊」、と言った方がより正確であろうか。フルフルの伸縮自在のあの首は、ちょうど真ん中の辺りで、鋭利かつ巨大な刃物により一刀両断にされている。フルフルの腹部は無残なまでに滅多切りにされ、その中からは骨と筋肉と内臓と未消化物の混合物が溢れている。フルフルのブヨブヨの翼は、本来ありえない方向に曲げられた上で、いくつにもぶつ切りにされている。フルフルの体を支える、太く強靭なはずの骨は砕かれ、皮膚のところどころを突き破って外界に姿を見せていた。フルフルの全身を包む白い皮膚には、おびただしい数の巨大な刀傷が走り、その下の筋肉にまで達している。赤い池に沈んだ肉塊の、その周囲には同じく赤と白が斑に入り乱れた水溜りが複数。その中でのたうっていた最後の塊は、たった今凍りつきその動きを永遠に停止することとなる。「フフフフ……」フルフルを丸ごと使って作り出された、凍りかけの肉塊の山頂で傲岸に鎮座するは、血染めになった黒紫の鎧、『ガルルガシリーズ』に身を包む、1人の女剣士。彼女は頭部から外した『ガルルガフェイク』をその左手に抱え、肉塊に深々と突き刺さった大剣『セイリュウトウ【烏】』の柄を、その右手で支え持つ。「……こんなところで再会するなんて奇遇ねえ、あなた達?」そう言い放った水銀燈は、ことさらに手ひどく肉塊を抉るようにして、『セイリュウトウ【烏】』を引き抜く。その刀身から血と脂が一緒くたに垂れ落ちる事など気にせぬかのように、背に己が得物を戻した水銀燈は、『ガルルガアーム』の右手親指で、頬にへばり付いた血の一滴を、鋭く拭い取る。「約一名、部外者様のオマケ付きだけどね」肉塊の山の向こう側から、姿を見せたのは1人のオトモアイルー。禍々しい紫色に毛並みを染めたメイメイは、主人共々全身に受けた朱色の斑点で、強烈な色彩を一同にアピールした。ここに真紅らがやってくるまで、誰が何をどうしたのか。それは頭を多少働かせれば、自ずと推理できるだろう。しかしその推理を円滑に行うには、ハンター達の間で作られた多くの常識や不文律……言い換えれば先入観を、全て取り払わねばならないという、かなりの難度を要求されるのだが。ジュンのかけた眼鏡に、水銀燈の銀髪赤瞳が移り込み、メイメイの紫の毛並みが飛び込む。ジュンの腹の底から怒号が炸裂したのは、その次の瞬間だった。「お前ら……一体ここで何をした!!?」「何をって……正当防衛よぉ、正当防衛」水銀燈は言い、嘲りの表情をもってジュンの怒号に対する返答とする。「ここで休んでいたら、このフルフルがいきなり私に向かって襲いかかって来たのよぉ。不意を打たれて気が動転していたから、ちょっとやり過ぎちゃったかも知れないけれども……」「それにしたって限度ってものがあるだろう! こうまでフルフルを痛めつける理由がどこにある!?」ジュンの怒りは、水銀燈の供述を受けても、収まる気配は毛ほどもない。だが、真っ当なハンターとして生きている人間ならば、ジュンの怒りの理由も理解できよう。翠星石と蒼星石は無論のこと、フルフルを死ぬほどに嫌っていた真紅の瞳にすら、沈痛な感情が宿っているのを見れば、なおのこと。勘違いする部外者も多いが、ハンターは大抵の場合、モンスターを憎んでいるからモンスターを狩るのではない。中には親類縁者を殺したモンスターに復讐を行うべく、ハンターを志す者も皆無ではないが、あくまでもそれは例外。ハンターはモンスターを恨みつらみゆえに狩るのではなく、使命や義務ゆえに狩るのだ。ハンターは一度モンスターを屠ったならば、その亡骸から甲殻や鱗などを剥ぎ取り、それを売って得た金銭を生活の糧とし、時には自身の新たな武具とすることで、モンスターの命を昇華する。一度モンスターを殺したなら、奪ったモンスターの命は最大限に活用せねばならない。命を捧げて人間の食事となったポポに敬意を抱くのならば、その肉を残さず食べるのと同じことである。だがこうまでフルフルの亡骸が痛めつけられては、剥ぎ取りはほとんど不可能。全身の皮膚をズタズタにされたこのフルフルからは、もう『ブヨブヨした皮』を剥ぎ取ることも出来ないし、その内臓までも滅多切りにされていては、電撃ブレスの源となる『電気袋』も得られまい。すなわち、今回の狩りで得られるはずだった貴重な素材が、全て駄目になってしまった事になる。仮にフルフルの命を冒涜した、などという高尚な事を言わずとも、命を張ってようやく手に入れられる、貴重な素材を全て台無しにされたのだと考えれば、ジュンが水銀燈に怒りを覚えるのも当然のことである。もちろん、その怒りはジュンのみに限定されたものではない。フルフルに向けていた悲しげな視線を水銀燈に向け直せば、双子の赤と緑の瞳にも、怒りの猛火が燃え上がる。「テメーは蒼星石に『毒投げナイフ』を投げやがっただけじゃなく、翠星石達の獲物まで横取りしやがったですか!!」「どこまでこんな非道な真似をやれば満足するんだ……水銀燈!?」翠星石も蒼星石も、水銀燈の応答いかんでは背の得物を抜くことすら厭わない、と言わんばかりの剣幕で叫ぶ。対する水銀燈は、その懐から静かに皮袋を取り出す。その皮袋の中から響くちゃりちゃりという音は、その中に何らかの金属が多数含まれていることを予想させる。水銀燈はその皮袋を、4人の輪の中に投げてよこした。凍りついた地面に落ちたその皮袋は、着地の衝撃で結び目がほぐれ去り、その中身を一同に晒す。その正体はすなわち、おびただしい量の貨幣……この大陸で広範に流通するゼニー貨である。「あなた達の獲物だったこのフルフルを、正当防衛とはいえ、うっかりこうまで傷付けちゃったのはごめんなさいねぇ。というわけで、今回はそれで手打ちにしてもらえないかしらぁ?中身はざっと2500ゼニー……フルフルから取れるはずだった素材を店で売却すれば、大体そのくらいのお金にはなるはずよぉ?」水銀燈が投げてよこした革袋を指しながら、傍らのメイメイも水銀燈にならう。「それだけの金……頭割りしても、ざっと600ゼニーちょっとにはなるだろ?これにハンターズギルドからの正規報酬も合わせれば、ちょっとした儲けにはなるはずさ。これなら満足してお引き取り頂け……」「そんなもので満足できるか!!」メイメイの言葉で、続いてジュンが再度の憤激の声を上げる。「お前らのやったことは、ギルドの規約にどれだけ違反してるか分かってるのか!!?話は全部翠星石と蒼星石から聞いたぞ!!偽名で依頼を出すのはまだしも、狂言の救助要請をギルドに出して、翠星石と蒼星石が傷付いたところに『毒投げナイフ』まで投げつけて、挙句の果てに、こうしてボクらがポッケ村のオババ様から受けた依頼に無断で干渉して、フルフルを素材が剥ぎ取れなくなるくらい痛めつけて……!!」ジュンの怒りの声に呼応して、翠星石がまたもずいと前に出る。「それだけやらかしておきながら、金だけ渡して翠星石達に引き下がってもらえるなんて、ムシのいい話が通じると思ってるですかぁ!!?」翠星石は、水銀燈の投げてよこした革袋を、松葉杖代わりの木の棒で盛大に弾き飛ばす。洞穴の中に無数のゼニー貨が散って、この空間に新たなきらめきを添えた。もちろんそのきらめきは、4人にとっては胸の悪くなるような、醜悪なものにしか感じられないのであるが。確かにハンター達のみならず、人間同士で何らかのトラブルが発生した場合、相手に誠意を見せるという目的で、金一封を渡すという解決手段はないでもない。だが最初から「金さえ渡せば万事解決だろう」、などという態度を露骨に取られたのでは、よほどの下衆か守銭奴が相手でもない限り、相手への怒りがますます高まるのが落ちであろう。ジュンは水銀燈に、憎悪のレベルにまで達しそうなほどの怒りを向け、宣告を下す。「水銀燈とメイメイって言ったな、お前達?ボク達はこの狩場から撤収する。その時依頼の達成報告をオババ様にするけれども、同時にお前達がやったことも全部報告させてもらう。お前がギルドに登録していないモグリのハンターでないなら、確実にギルドからは除名されるだろうし、もしモグリのハンターだとしたら、それより悲惨な噴水送りが待っているぞ」「そいつはどうだろうねぇ、ガンナー野郎?」「ボクにはジュンって名前がある! 『ガンナー野郎』じゃない!!」メイメイの浮かべた挑発的な笑みに、ジュンはいきり立って反駁。水銀燈はそのやり取りをフルフルの肉塊の上で眺めながら、無機質な嘲弄を浮かべる。「まあ、お金で示談が成立しないなら、次の話をするしかないわねぇ。ねえ、あなた達――もし私が今回の一件、素直にギルドに自首すると言ったら、どうかしらぁ?」水銀燈は、淡々とその提案をなした。ジュンは、余りに予想外の話に目を見開いた。翠星石は、最初己の耳が確かであることを疑った。蒼星石は、水銀燈の真意を汲み取りきれずに戸惑った。この洞穴の空気すらもが凍結したかのように、一同は言葉を失う。「……な……」最初に、言葉を取り戻したのは翠星石。「何を言ってやがるですかぁ……!?」最初はそうこぼすしか出来なかった翠星石に、妹の蒼星石が間髪入れずに問い詰める。「自分でこれだけのことをやって自首するなんて……一体何を考えてるんだ!?」そう。水銀燈の提案は、本来ならばあってはならないものなのだ。虚偽の事実をでっち上げての依頼提出、人間相手に対モンスター用の武器を用いての殺人未遂、そして正当防衛としても行き過ぎたフルフルの惨殺。これだけのことをすべて認め、ギルドに自首する――。自らの罪を認め、それに対する罰を求める気持ちが殊勝なものであることは、ほとんどの人間が否定するまい。だが、水銀燈が本来殊勝な人間であるなら、最初からこれだけの罪を犯すはずもない。水銀燈がおよそ悪人に分類されるような人間なら、これだけの罪を犯して自首を行えるほど殊勝であるはずもない。この奇怪な矛盾を前にしたなら、考えられることは次のいずれかだろう。すなわち、水銀燈が善人悪人の分類すら超越した、真正の狂人であるか……はたまた、水銀燈がその内に、更に悪辣な策略を用意しているか。水銀燈の発言に戸惑う蒼星石が警戒心を覚えたのは、どちらかと言えば後者の可能性。そして蒼星石のその警戒心は、はからずしも正解にたどり着いていたことを、一同は間もなく知ることとなる。水銀燈は、その場でゆっくりと腰を下ろし、その鋭角的な顎を一つ撫で、動かし始める。「……とは言っても、私がギルドに自首してほしいなら、あなた達には一つ条件をクリアしてもらう必要があるわぁ。真紅、翠星石、蒼星石。あなた達が私との『ゲーム』に勝ったら、という条件をねぇ。おっと、ポッケ村に雛苺が帰ってきたなら、雛苺にもこの『ゲーム』に参加してもらうことになるわぁ」水銀燈は、フルフルの肉塊の上に腰掛け、『ガルルガメイル』に守られた胸部に手を伸ばす。その首にかかった紐が、水銀燈自身の『ガルルガアーム』によりつまみ上げられ、引き上げられる。水銀燈がその紐の全てを鎧の下から抜き出したとき、ジュンは息を呑み込む羽目になった。そこにあったもの――それは紛れもなく、真紅らが持っていたあの緋色の結晶に他ならない。「ロ……ローザミスティカか!?」ジュンが瞠目する様子を見やり、水銀燈は口内で小さく笑い声を転がす。「ジュン、って言ったわねぇ、あなた?そう、それで正解よぉ。私はローゼンメイデン……伝説のハンター、ローゼンの第一子。真紅達からは説明されなかったのかしらぁ?」「ま、どうせ説明されてたとしても、こうして実物を見せ付けられなきゃ信じないだろうさ。水銀燈が真紅達の義理の姉貴だ、なんてことはさ」メイメイは紫の尻尾を振りつつ、フルフルの死体に腰掛ける水銀燈の元へと、静かに近付きながら言い添えた。水銀燈はメイメイの額を『ガルルガアーム』の親指で撫でながら、首を縦に振りつつ、己のオトモアイルー言葉に同意しているかのように見える。ひとしきりメイメイの額を撫でた水銀燈は、そしてその赤い瞳を一同に向け直した。「私の提案する『ゲーム』の内容は簡単よぉ。このローザミスティカを賭けて、私と狩りで勝負、ってわけ。狩りの実力を競い合うなら、ハンター同士の勝負としてはおあつらえ向きでしょう?あなた達がこの『ゲーム』に勝てば、私はこのローザミスティカをあなた達に譲り渡す。副賞として、私のハンターズギルドへの自首も付けるし、もしそれだけで気が収まらないなら、あなた達への慰謝料として、私がハンターとして稼ぎ上げた財産も、可能な限り譲り渡すわぁ」水銀燈の発した提案の余りの突拍子のなさに、誰も口を開こうとする者はいなかった。その隙を狙い撃つかのように、メイメイが一同に畳みかける。「ただし、あんた達がこの『ゲーム』に負けたなら、あんた達が持ってるローザミスティカは、全て水銀燈が持っていく。雛苺の分も合わせりゃ、4つだね。その上で、今回の一件はギルドの方には黙っててもらおうか。……それが、水銀燈の提案なんだとさ」メイメイは最後のあたりで、他人事のようなニュアンスを漂わせ言った。この「ゲーム」の内容は、全て水銀燈が考えたものであり、メイメイはそれを一同に伝えているに過ぎないのだから、当然と言えば当然なのだが。あとはこれで、対する4人がどのように反応するかで、出方を決めると言うのが、事前の打ち合わせ。メイメイは、願わくばこの提案を、一同が素直に呑んでくれることを胸中で祈った。そのために、フルフルに素材の剥ぎ取りが出来なくなるほど手ひどい惨殺を施し、その落とし前として、金だけ出して無理やり話をつけようとするなど、不誠実極まりない態度を取ったのだ。真紅らがこれで冷静さを失えば、あとは水銀燈の考えた「ゲーム」の盤面に、3人を誘導するのはたやすい。水銀燈はそう考え、フルフルを惨殺し、不誠実極まりない示談を持ちかけ、一同を挑発することに決めたのだ。メイメイがそこまで回想・思考する間に、一同の時間が解凍されつつある。そしてメイメイは、この挑発が裏目に出たことを、間もなく知ることとなる。むしろ、これだけ好き放題言いたい放題やっていれば、そうならない方がおかしいとは、メイメイも予見はしていたのだが。「『負けたら自首してやるから、ゲームに乗れ』だなんて、どの口がほざきやがるですかぁ!?翠星石達にはそんなイカレた条件を呑む理由なんて、どこにもないですぅ!!」翠星石は手に握り締めた木の棒で乱暴に地面を叩きつけて、水銀燈の交渉にもならない交渉を真っ向から却下する。「僕達には、この一件を黙っていなきゃいけない理由なんてない!そんな小手先だけの交渉で、僕達をどうにかできるなんて思うな!!」蒼星石は叫びながら、まるで考えていることが分からない水銀燈のペースに呑まれまいと、声を張り抗う。双子とは対照的に、声を荒げる様子のない水銀燈は、ただただ酷薄な微笑を浮かべ、一同を見据えるのみ。「あら、これは悪い条件じゃないと思うわよぉ?私をただギルドに突き出すだけなら、私の持っているこのローザミスティカは、ギルドに接収されてそのまま、という可能性もあるわぁ。もし私の提案した『ゲーム』に勝てば、私のローザミスティカは確実にあなた達の手に渡り、私はギルドから登録を抹消される……。欲しいのならあなた達には慰謝料も入るし、どちらがあなた達にとっておいしいかは、明白じゃないかしらぁ?」水銀燈はフルフルの死体の上で脚を組み替え、器用なことに空中で右手の甲を頬にあてがい、頬杖とする。銀髪の間から覗ける赤い瞳が、針のように鋭く細められた。「まあ、どうしてもあなた達が私の提案を呑む気がないというなら、こちらにも手段はあるわよぉ?私はノロマは嫌いなの、知っているでしょう? 単刀直入、即断即決で決めさせてあげるわ。……メイメイ、例の物を見せてあげなさい」「!!」メイメイの尻尾とネコ耳が、一気に跳ね上がった。メイメイは一瞬、水銀燈に対する強い反意をその目に込めて、彼女の赤瞳を見る。(水銀燈……本当にやるつもりなのかい……!?)メイメイは真紅らに動揺を気取られまいとしてか、その声は心の中だけに留めるに限る。だが、それでも水銀燈の決意は変わらない。メイメイの力では、変えようがない。分かってはいた。水銀燈という女は、こういう性格なのだと。それが父ローゼンに至る道であるならば、ハンター垂涎の希少素材である『火竜の逆鱗』でさえ、ためらいなく捨てることが出来る性格なのだと。水銀燈は今、切り札を切ろうとしている。失敗すれば己に待ち受けるのは、およそ人間らしい最後など期待できない、おぞましい結末。それを知りながらも、水銀燈はその切り札を切ることにためらいはない。すなわちメイメイが今、水銀燈の道具袋から取り出した、二振りの水晶剣を彼らに見せることに迷いはないのだ。メイメイは、人間用のサイズに作られたその二刀を、一振りずつ両手に持ち、一同に掲げて見せた。ジュンの顎が、まるで外れてしまったかのようにかくん、と落ちた。メイメイが今握り締めるその水晶剣の意味を、仮に十全にではないにせよ、理解してしまったから。その水晶の双剣の意味は、すなわち。「……オ……『オーダーレイピア』……だって……!?」「ついでに言うなら、これは一般ハンター用に作られているレプリカ品じゃないわぁ。正真正銘、ギルドナイトの純正品よぉ」メイメイがその二刀を、水銀燈に投げてよこす。水銀燈はそれを上手いこと空中で掴み取り、水晶から成る冷ややかなまでに美しい刀身で、鋭く空を切る。『オーダーレイピア』とは、蒼星石の扱う『ツインダガー改』と同じく双剣に分類される武器である。その内部に光を溜め込む『ライトクリスタル』を精錬することで生み出された、常にしっとりと濡れた刀身がこの武器の特徴であるが、特にこの武器はハンター達にとって、ある大きな意味合いを持つ。すなわちこれは、本来ギルドナイトが持つ武器として開発され、世に送り出されたものなのだ。現在ではこれを超える武器が多数開発され、『オーダーレイピア』はどちらかと言えば儀礼用の剣として用いられるケースも多いが、それでも飛竜の甲殻を切り裂くその刀身は、十二分に実戦に耐えうるレベルの業物である。そしてこの武器を水銀燈が所持しているという事実が何を示すか、もはや語る必要はあるまい。「まさか……水銀燈……お前はギルドナイトのメンバーだっていうのか!?」ジュンの悲鳴に近いその声で、一同も水銀燈が持ち出した、『オーダーレイピア』の意味を悟らされる羽目になる。水銀燈は、洞穴内に波紋のように広がるざわめきを耳にしながら、口元を悪辣に歪めてジュンの上げた声に応答する。「率直に言って、その通りよぉ。良く分かっているじゃなぁい?」「う……嘘をつくな!!」ジュンは『バトルガード』に包まれた両腕を振るって、あらん限りの力で怒鳴り返す。それほどまでに、水銀燈の語った言葉は受け入れがたい。信じがたい。「お前みたいな奴が、ギルドナイトになんて任命されるはずがない!ギルドナイトにスカウトされるのは、『実力優秀で清廉潔白な人格を持ち、かつ社会経験も豊富で聡明なハンター』……つまり模範的なハンターだけのはずだ!お前の父親であるローゼンならともかく、お前みたいな女のどこにギルドナイトになれる資格がある!!?どうせその『オーダーレイピア』だって、ギルドナイトから盗むか殺して奪ったものだろう!!そんなつまらないハッタリに引っかかると思うな!!」「あーら、それはどうかしらねぇ?」水銀燈から漏れる、鈴が鳴るような美しい笑い声。聞くジュンにしてみれば、まるで魔女の笑いにしか聞こえないような代物なのだが。水銀燈は両手に持った『オーダーレイピア』の双刃を、『ガルルガフォールド』に差しフルフルの遺体から飛び降りた。「男のあなたには分からないかも知れないけれども、女の子にはぶりっ子っていう手段があるのよぉ。自分以外の人間が、心の奥底で考えてることなんて分かるはずもないし、上っ面だけでも『清廉潔白な人格』を演じていれば、それで十中八九の人間はコロッと騙されるものよぉ」地面にその身を下ろした水銀燈は、ジュンの元に歩み寄る。ジュンは水銀燈の赤瞳の奥底に秘められた、言い知れぬ光を見たとき、その背に寒気が走ったのを感じた。「そうそう、あなた達は私が規則に違反してどうのこうの、って言っていたけれども、それじゃあ、あなた達自身はどうなのかしらぁ?ハンター用香料の匂いからして、あなた達は今日の朝方にこの狩場に到着したみたいだけれども、あなた達は正式に依頼を受けてここに来たわけぇ?」「そ……それは……」まさに、「ガブラスに睨まれた釣りカエル」。水銀燈の瞳に射すくめられたジュンの今の様相を表すなら、これほどしっくり来るものはあるまい。ずい、とその身を前に乗り出させた水銀燈は、とうとうジュンの眼前に立つことになる。「誰かがすでに受けた依頼に、中途から他のハンターが参加することは、ギルドの規約では認められていない……まさかそれを知らないとは言わないわよねぇ?」「!!」『バトルキャップ』が覆っていないジュンの下顎に、水銀燈の『ガルルガアーム』が伸びる。「ギルドナイトの目前で規則を破るなんて、いい度胸じゃなぁい?ポッケ村に戻ったら、あなたと真紅には『教育的指導』が必要ねぇ?」水銀燈の『ガルルガアーム』が、まるで飛竜の鉤爪もかくやというほどの握力で、締め上げられる。水銀燈の右手が、締め付けられた拍子にジュンの下顎をすり抜けて、首元まで入り込む。「あ……がぁあ…………っ!」「ギルドナイトの施す『教育的指導』は効果テキメンよぉ。モンスター相手でも怯まない荒くれハンターですら、一日もすれば借りて来たアイルーみたいに大人しくなるわぁ」ジュンの首を捉えた水銀燈の右手は、そのままジュンを捕らえて離す気配などない。大剣使いである水銀燈の握力で首元を締め上げられたジュンは、たちまちその苦痛で黒目がひっくり返る。「もし『教育的指導』をやり過ぎちゃったら、ごめんなさいねぇ。『教育』され過ぎて廃人になっちゃうハンターも、実を言うと毎年ちょくちょく出て困ってるのよぉ」ジュンがそのまま白目をひん剥き、意識が落ちかけた、その刹那。「もうそこまでになさい、水銀燈」赤の鎧をまとった少女、真紅がずいと前に出る。水銀燈はその瞳を一瞬驚いたように丸めるも、わずか一呼吸で表情は笑みに取って代わられる。「あら――真紅。今まで妙に静かだったみたいだけれども、どうしたのかしら?」「ジュンを……私の相棒を離しなさい。それが終わったら、あなたに話があるのだわ」『イーオスヘルム』の下に隠された表情は、水銀燈の視点からでは見やることは出来ない。しかしその表情を想像できる水銀燈にとって見れば、何ら不便な点はないのだが。水銀燈は、今まで締め上げていたジュンの首元をあっさりと解放する。その場でくずおれたジュンは激しく咳き込みながら、四つん這いの体勢を取らされる羽目になった。ジュンの激しい咳を背景音楽として、両者は睨み合う。水銀燈を刺し貫く、真紅の目線。真紅の全身をなめ上げるような、水銀燈の視線。倒れ臥したジュンの元に駆け寄った蒼星石も、そのまま唖然と様子を見るほかない翠星石も、2人の放つ異様なまでの気迫に、舌が凍りつく。先に、言葉を発したのは真紅の方だった。「いいわ、水銀燈。あなたの言う『ゲーム』……乗ってあげるわ」水銀燈の口は、その瞬間鎌のように鋭く吊り上がった。翠星石と蒼星石は、真紅の発言にもう何度目かも分からぬ、驚愕の表情を浮かべることになる。その中で、ジュンの咳はようやく止もうとしていた。「ゲホ……真紅……! 何を考えて……ゲホ……!」未だ荒いままの息の中、必死で真紅を諌めようと試みるジュン。しかし真紅は、ただ一言でジュンのその声を制する。「ジュン、これは私達姉妹の問題なのだわ。あなたはしばらく、黙ってて頂戴」「でも……!」「黙る気がないなら、『ハイドラバイト』の刃の方をお見舞いしてもいいのよ」「…………!」真紅が本当に、それだけのことをやるつもりがあるのかどうか、ジュンにはにわかには察しかねた。だがこの言葉に詰まった力は、本当にそれだけのことをやりかねない――それほどの決意を感じさせる。ジュンはあくまで意固地な真紅に、悪態の一つもぶつけてやろうかと思ったが、止めた。真紅と水銀燈――2人の間の空気には、もうジュンの悪態ごときが滑り込める余地など、どこにもないことを察したためである。真紅は己より身長の高い水銀燈を見上げる形になりながら、水銀燈に言葉を投げ上げる。「水銀燈……まさかとは思うけれども、今更止めたなんて言うつもりはないわよね?」「それはもちろんよぉ。私は最初からこの『ゲーム』を持ちかけるためだけに、あなた達を追ってはるばるここまで来たのよぉ?」「……翠星石と蒼星石を、フルフルの餌になりかけるところまで追い込んでおいて、よく言うわね」真紅は水銀燈にちくりと皮肉の声をぶつけてやったが、水銀燈はあくまでその不気味な微笑みを崩す気配はない。水銀燈は肩をすくめながら、真紅の皮肉をさらりと流し、その言葉を続ける。「翠星石と蒼星石をフルフルの餌にするのは、あくまで次善の策のつもりよぉ。事態が二転三転して、結果的にあなたが『ゲーム』に乗ってくれた、っていうこの結末が、本来私の求めていた最高の筋書きだわぁ」ジュンの口から、ぎり、という歯軋り。「お前……! 人の生き死にがかかっていることで『次善の策』だの『最高の筋書き』だの言うつもりか!?」その言葉を聞いて、露骨なまでに不快感を表すジュンは、思わず叫び声を上げる。「真紅! こんな女の安い挑発に乗るな!どうせこんな奴の仕掛ける『ゲーム』なんて、イカサマだらけに決まってる!!」ジュンは警告。しかしジュンの言葉に耳を貸す気持ちなど、今の真紅からはとうに失せている。「……水銀燈。あなたがギルドナイトの名まで出してまで、私を『ゲーム』に乗せたいのなら、その勝負乗ってあげるわ。けれどもその代わり、こちらからも条件を出させてもらうのだわ」真紅の『イーオスヘルム』から現れた青い瞳は、強い眼力を伴って、水銀燈の顔を貫く。水銀燈はいかなる条件が出てくるのか、それを肉食動物じみた獰猛さでもって、虎視眈々と待ち構える。真紅が、その口を開く。「一つ。この『ゲーム』で、部外者を傷付けるのは許さない。もしこれ以降私の相棒のジュンに手を出したり、人質を取るような真似をしたのなら、私はその瞬間、あなたの側から『ゲーム』を放棄したものとみなさせてもらう……いいわね?」「……まあ、妥当な条件かしらねぇ。いいわぁ、その条件は呑んであげる」言う水銀燈は、人形を思わせる作られたような笑みを浮かべ、真紅の条件を受け入れる。「それから、今回の件は部外者にも口外しないことを誓うし、ここにいる人間全員に口外させないことも誓うわ。けれどもこの事情は、ポッケ村の村長であるオババ様には予め説明させてもらう。もちろん、私達ローゼンメイデン以外に迷惑がかからない限り、黙って静観してもらうよう取り計らったもらうから、下手に秘密にして後から『ゲーム』の件が露見するのに比べれば、双方にとってより安全よ。こうしておけば、オババ様の横槍が『ゲーム』に入る心配はないわ……あなたの方から、部外者に迷惑をかけない限りね」「へぇ……、意外と真紅も考えるのねぇ?」水銀燈のその口調は真紅を嘲っているようにも聞こえるが、感心の意そのものは決して偽物ではない。「確かにその話を信用していいのなら、こちらからあなたの出した条件に違反しない限り、ポッケ村の村長をきっちり口封じ出来るし、『ゲーム』の一部始終を私達内輪だけで処理できるわねぇ。あなた達の方も、よそのハンターをこの『ゲーム』に乱入させる、なんて真似が出来なくなるし、私にとっても悪くはなさそうだわぁ。けれども、村長は私達の『ゲーム』の審判役として、信用は出来るわけぇ?」オババには事前に『ゲーム』の事情を説明し、内輪だけで処理することを誓った上で静観してもらうよう要請し、逆説的にオババによる『ゲーム』への干渉を牽制する――真紅からなされたこのような提案を、素直に受け入れるような水銀燈ではない。これが真紅の張った罠ではないかと警戒する水銀燈だが、その警戒の無意味さは真紅ではなくジュンが説明する。「信用できるさ――これ以上ないくらい。ボク達がこうして狩猟依頼に中途参入する件だって、『朝方まで寝ていて気付かなかった』ぐらいだし、真紅が今来ている出来たてホヤホヤの『イーオスシリーズ』が、ボク達の使ったポポ車にたまたま乗っていた、なんて『都合のいい偶然を引き起こす』事くらい、オババ様なら文字通り朝飯前だ」そう言って、ジュンは今朝までに起こった出来事を、水銀燈に静かに説明。そんなオババの水面下での根回し能力を聞いた水銀燈は、安心して顔をほころばせる。「なるほど……それは頼れる村長ねぇ。なら、審判役には持ってこい、といったところかしら?」水銀燈はくすくすと笑い、大きくその首を縦に振る。満足げな様子を隠しもしない水銀燈は、そして満ち足りた様子でその背を伸ばす。「それじゃあ早速だけれども――」傍らに伸ばした右手をくいくいと動かし、水銀燈は己のオトモアイルーに指示。メイメイは水銀燈の右手に駆け寄る。『ガルルガアーム』の突起を器用に足がかりとし、メイメイは水銀燈の肩にまで飛び上がる。紫の毛並みを震わせるメイメイのその両手には、羊皮紙と羽ペン。もちろん羽ペンに付けられたインクは、この寒冷な洞穴の中でも凍らないよう、濃厚な配合となっている。「――この『アリスゲーム』の細かいルールを決めるわよぉ」メイメイは水銀燈の邪魔にならぬよう、彼女の右肩の上で体を器用に縮こまらせ、羽ペンを振るい羊皮紙に文字を書き連ねる。「誰が『アリス』の称号を手にするにふさわしいかを決める、この『ゲーム』のルールをねぇ」水銀燈の背後で、小さな氷塊が崩れ落ち、地面に叩きつけられ、そして砕けた。
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