―弥生の頃 その2―
翠×雛の『マターリ歳時記』―弥生の頃 その2― 【3月3日 上巳】 後編真紅、金糸雀と相次いで轟沈する中、三番手に名乗りを上げたのは、水銀燈。「それじゃあ、口直しに、私の甘酒を召し上がれぇ」「あぁ、助かったです。これは、まともそうですぅ」「本当ですわね。良い香りですわ」「当然よぉ。私の辞書に、不可能の文字なんてないわぁ」ちらり……と、萎れている真紅と金糸雀を見遣って、水銀燈は口の端を吊り上げた。「真紅や金糸雀みたいな、薔薇乙女ならぬバカ乙女とは、端っから勝負にならないわぁ」「……き、聞き捨てならないのだわ」「でも、反論できないかしらー」「二人とも、そう落ち込まないでなの。とにかく、飲んでみるのよー」雛苺の一言で、全員が「それでは――」と紙コップを手に取り、口元に運んだ。見た目、良し。匂い、良し。あとは、口にしてみるだけ。みんな一斉に、ぐいっ……と、呷る。そして、一斉に吹き出した。一人、水銀燈を除いて。「ちょっ……なんですか、これはっ! メチャクチャ強烈ですぅ」「甘酒を蒸留して、ブランデーを、ちょびっと垂らしたのよぉ。 何も足さなぁい、何も引かなぁい……ってねぇ」「なんで、蒸留酒なんかにしてるですっ!」「思いっ切り、足してるじゃないの! 貴女もバカ乙女の仲間入りよ、水銀燈っ」「なっ!? まさか、私がぁ? そんなぁ」「…………銀ちゃん。おバカさぁん」薔薇水晶に口癖を奪われ、へなへなと頽れる水銀燈を、真紅と金糸雀が、おいでおいで……と手招きした。能面の『若女』を思わせる笑みを、満面に貼り付かせながら。水銀燈は、フラフラと二人の元に引き寄せられていった。「私も……バカ乙女だったなんてぇ。ショックぅ~」「まあまあ、そう気落ちしないで下さいな。 ご自身の愚かさを自覚できたのですから、寧ろ、良かったじゃありませんか」「……お姉ちゃん。フォローになってない」「平然と、奈落の底に突き落としやがったですぅ」「銀ちゃん、可哀想なの。じゃあ、四番手はヒナ――」雛苺が名乗りを上げようとした矢先、狼狽えた様子で、翠星石が立ち上がった。「つつ、次はっ、私の番ですぅ! これぞ正統派の味で、勝負ですぅ」「うゅ……翠ちゃん、割り込みはダメなのよ」「良いじゃないの、雛苺。主賓は、最後に登場するものなのだわ」真紅にそう言われては、雛苺も返す言葉がない。不承不承、といった風に頷いた。四番手が翠星石と決まり、全員が、緑色のサインペンで名前の書かれたコップを手にする。見た目も、香りも、これぞ甘酒という出来映えだった。「ミルキーはママの味。甘酒は婆の味。さぁ、イッキにいくですっ!」お婆さんの味と言われると、なんとなく、郷愁を誘われる。しかも、翠星石の作った甘酒は、仄かな甘みと、優しい味で、懐かしい記憶を呼び覚ましてくれる一品だった。口に含むなり、みんな、しんみりと黙り込んでしまうほどの……。「美味しいわぁ。なんだかぁ、優しい気持ちになれるわねぇ」「本当に、お世辞抜きで美味なのだわ」水銀燈と真紅を始め、誰もが口々に褒め称えた。これで優勝は間違いない。翠星石が、ニヤリとほくそ笑む。しかし、そうはさせじと、さり気なく金糸雀の妨害が入った。「美味しいけど、普通すぎて特徴が無さすぎかしら」「言われてみれば、その通りですわね」「…………平凡かも。だから、保留」「なっ!? なんで、そうなるですっ!」「気にしたら負けですわ。次は、私の甘酒を召し上がって下さいな」五番手は、雪華綺晶。こちらもまた、見た目だけは、至って普通の出来である。翠星石の後という事もあり、全員、なんの警戒心もなく口に含んだ。そして――――吐いた。「み、皆さん?! どうなさったのですか?!」一人、狼狽える雪華綺晶に、みんなの非難が殺到した。「どうしたも、こうしたも……しょっぱいのだわ!」「そ、そんな……私は、ちゃんと砂糖を――」甘くしようと砂糖を加えた筈が、塩でした! という、お約束のオチらしい。真紅、金糸雀、水銀燈のバカ乙女トリオが、雪華綺晶を手招きした。お前も、こっちの人間だ。そう言わんばかりの笑みを浮かべながら――「みんな……ダメダメ。次、私の」「六番手は、薔薇しぃですか。まともなヤツを頼むです」薔薇水晶の名前が書かれたコップを持ち上げ、みんな、自棄気味に呷る。酷いものばかりなので、誰もが、投げ遣りな感じだ。もう、どうにでもして! そんな雰囲気が、室内に漂っていた。直後、部屋の空気が一変する。誰の瞳も、驚愕に見開かれていた。「こ、これって、お酒かしらー?!」「間違いないわぁ。甘酒じゃなくて、どぶろくよぉ」「どーいうコトです、薔薇しぃ! 本物の酒を出すなんて、正気の沙汰じゃねぇです!」「……らぷらす印の濁り酒……おいしいよ? 秘密の酒屋さんで売ってる」「確かに、口当たりがまろやかでぇ、んまぁ~い……って、大丈夫なのぉ?!」「これって、密造酒……よね、水銀燈。まさか、密造酒を密売?!」「そ、そう言えば……最近、執事さんを見てないかしら……」「ば……薔薇しぃ。ラプラスさんは、いま何処に居るです?」狼狽える一同に、薔薇水晶と雪華綺晶は、事も無げに、こう言った。「…………拘置所。もう、三日も留守」「一人でバカンスなんて、ズルいですわよねぇ」そりゃ逮捕されたんだよ……とは、誰も言わない。言える訳がない。どんよりと重苦しい空気に包まれて、雛苺を除いた六人は、がっくりと項垂れていた。けれど、まだ終わりではない。最後の審判が下される瞬間が、訪れようとしていた。「それじゃあ、いよいよ、ヒナの甘酒を飲んでもらうのよー!」しかし、その色は薄桃色で――「あー。なんとなく、味の予想が付くですぅ」「どう……なさいます?」「主賓の出してくれたものは、戴くのが礼儀だけどぉ」「じゃあ、銀ちゃん……お先にどうぞ、ですぅ」ご機嫌を窺うように、みんなで雛苺を一瞥する。彼女は無邪気な笑みを浮かべて、自分の甘酒を飲んで貰える瞬間を、今か今かと、心待ちにしている様子だった。(早くっ♪ 早くっ♪ 感想、聞かせて欲しいのよー♪)誰の耳にも、雛苺の、心の声が聞こえていた。頭に電波が飛んできていた。正直、飲みたくない。でも、飲まなければいけない。拒否できない空気が、場を占めていた。「覚悟は良い? 遺書は書いた? じゃあ……みんなで、一斉に飲むのだわ」それでは……と、誰もがギュッと目を閉じ、コップの中身を呷った。予想どおりの味? いいや、もっと酷い。雛苺の甘酒には、すり下ろした苺が、たっぷりと溶け込んでいたのだ。殺人的な甘さに、誰もが口元を抑えて、目に涙を浮かべていた。正確には、雛苺と、薔薇水晶を除いた五人が――「うゆー。甘くて、おいしいのっ♪」「……うん。おいしいね」「薔薇しぃ、おかわりなら、いっぱい有るのよー」「それじゃあ…………マヅイ~っ! もう一杯ぃ!」「ええっ?! 美味しいって言ってくれたのは、嘘だったのー?」「…………言葉のアヤ。気にしちゃダメ」やおらコントを始める二人を余所に、真紅たちは口直しにと、翠星石の作った甘酒をガブ飲みしていた。ある程度、酔いが回ってくると、だんだん味も解らなくなってくる。結局、金糸雀の漢方甘酒だけが売れ残り、他は全て、飲み干されてしまった。そんなハイペースで飲めば、甘酒と言えど、泥酔いするワケで――乙女達は、思い思いの姿勢で、眠りに就いていた。ふと、目を覚ました翠星石は、座布団を敷いて寝転がっている雛苺に目を向けた。楽しそうに微笑みながら、眠りこけている。みんなの寝顔も、幸せそうだ。今年の雛祭りに、蒼星石が居なかったのは残念だけど……これはこれで、面白かった。心安らぐ、ひととき。たまには、こんな雛祭りも良い。翠星石は微笑すると、再びテーブルに突っ伏して、微睡みの世界に旅立っていった。
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