~第二十三章~
~第二十三章~ 突然の土砂降りに見舞われた五人の犬士たちは、偶然に見つけた古刹に籠もり、周囲を警戒しつつ、冷たい雨を凌いでいた。と言っても、実際に哨戒に就いているのは蒼星石と、薔薇水晶の両名のみだ。のり、めぐの両名と死闘を演じた後、夜を徹して水銀燈の行方を探したものの、結局、彼女は見付からなかった。得物も持たずに、たった独りで失踪してしまった水銀燈の事は気がかりだが、蠱毒に冒され、昏睡状態となった真紅のことも一刻を争う。やむを得ず、重い足を引きずりながら村を後にして、やっと此処まで来た途端、天候の急変に出会したのだ。山の天気は変わり易いから、単なる自然現象という可能性もある。だが、彼女たちにとって、天候の急変には別の意味も含まれていた。――穢れの者の襲来。真紅は未だに目を覚まさず、翠星石の傷の状態も、完治と言うには程遠い。おまけに、金糸雀は先の戦闘で、全ての銃弾を使い切っていた。まともに戦えるのが蒼星石と薔薇水晶だけという状況で、敵が追撃してこない方が、寧ろ不思議であり不気味だった。けれど、雨が降り始めてだいぶ経つのに、穢れの者は姿を見せない。そればかりか、付近には気配すら、微塵も感じられなかった。 「やっぱり、ただの自然現象なのかな?」格子戸の間から、雨に煙る森の様子を窺っていた蒼星石は、ポツリと呟いた。隣に座って、同じく外の動きに警戒していた薔薇水晶が、無言で頷く。それならそれで、休息できるから喜ばしい事だった。 「金糸雀。真紅の容態は、どうなの?」 「蠱毒の進行は、今のところ止まっているかしら」 「神剣の加護ですかねぇ。まあ、現状維持が関の山ですけどぉ」神剣を両腕に抱かせておくと、真紅は苦しまなくなった。しかし、それだけだ。回復も悪化もせず、完全な膠着状態に陥っている。所詮は一時凌ぎであり、根本的な解決には至っていなかった。 「眠りこけてる真紅の世話なら、私ひとりでも見てやれるです。 金糸雀は、今の内に弾丸を造り貯めしておきやがれですぅ」 「いいの? それじゃあ、お言葉に甘えるかしら」金糸雀は、翠星石に後事を託して、部屋の隅で火を起こし、鉛を溶かし始めた。こういった湿度の高い時に火薬を扱うのは、本来なら望ましくない。けれども、弾が無い以上、状況に拘ってもいられなかった。古刹の外では、相も変わらず、ざあざあと雨が降りしきっている。格子戸の向こうに睨みを利かせながら、蒼星石は水銀燈の事を考えていた。彼女は今頃、何処にいるのだろう?この雨の中で、ボクたちと同様に、雨宿りをしているんだろうか?それとも、雨に濡れて、捨てられた子猫みたいに震えているの?もう一度、会って話がしたい。あの時、言い過ぎたって事を謝りたい。そう願った矢先、かたかたかた……と、小刻みに震える音が、室内に響いた。――敵の襲撃か?! 誰の表情にも、緊張が走る。その間も、かたかたと音は鳴り続けた。襲撃にしては、余りにも静かすぎる。本当に、敵が攻めてきたのだろうか?なんだか様子がおかしい。全員が耳をそばだてて、音源を探した。室内で鳴っているのは、間違いない。 「……? ああっ! 判ったです! アレですぅ!」 「アレって……銀ちゃんの太刀……」翠星石が指差した先で、床に寝かせてあった水銀燈の太刀が震動していた。 「精霊が……冥鳴が、こんなに騒いでいるなんて」 「これって、まさか――」 「銀ちゃんの身に、危機が迫ってるのかしら?」 「…………探しに行くっ!」 「あ、待つですよ、薔薇しぃっ」すっと立ち上がった薔薇水晶を、翠星石が呼び止めた。薔薇水晶は『なんで、止めるの?』と言わんばかりの眼を翠星石に向けて、さも不服そうに唇を突き出した。 「探しに行くなら、蒼星石と一緒に行くです。 独りだと、何か有ったときに、連絡も取れなくなるです」 「その通りかしら。二人なら、不意打ちを食らっても、助け合えるものね」 「解った。行こうか、薔薇しぃ。冥鳴、道案内を頼んだよ」 「じゃあ……私が太刀を持つ」薔薇水晶が太刀を掴み上げると、震動は更に激しくなった。まるで、薔薇水晶と蒼星石を急かしているみたいだ。 「ふふっ。冥鳴は、本当に水銀燈のことが好きなんだね」 「銀ちゃんへの愛なら……私の方が上」 「……バカ水晶。精霊を相手に恋の鞘当てして、どうするですか」重い溜息を吐いた翠星石に見送られ、蒼星石と薔薇水晶は古刹を発った。土砂降りだった雨は、気持ち、弱まっていた。しかし、依然として強い降りであることに、なんら変わりはない。雨粒を吸い込んで、服が見る見るうちに重みを増していった。 「……こっち。間違いない」 「よし、急ごう」泥濘に脚を取られながらも、二人は冥鳴の示す方向へ進み続ける。少し進んでは、全方位に太刀の切っ先を向け、冥鳴の反応を確かめる。冥鳴に導かれるまま、蒼星石と薔薇水晶は、森の切れ間まで辿り着いた。その先は、身を隠せる場所が少ない河原となっている。 「? なんだか、川を渡らないと……ダメみたい」 「冥鳴が言うなら、そうなんだろうね。近くに橋なんて有ったかな」まあ、有ろうが無かろうが関係ない。橋がなければ、泳いで渡るだけだ。もっとも、この雨で増水していなければ――の話だが。山では土砂降りだった雨が、河原では霧雨に変わっていた。実際に土手に立ってみると、川幅は、予想していたよりずっと広い。これは流石に、泳いで渡るなんて無理だ。蒼星石は橋を探して、川の上流と下流を、交互に見遣った。すると、そこへ―― 「……居たっ! 向こう岸……ほら、あそこに」薔薇水晶が対岸を指差しながら、上擦った声で話しかけてきた。雨靄の向こうに、特徴ある銀髪が見えた。誰か、二人の人物と一緒らしい。折良く下流に小さな橋を見付けた蒼星石は、薔薇水晶を促して、走り出した。 低く垂れ込めた黒い雲から、霧雨が降り続けている。崖の上から成り行きを見守っていた雪華綺晶は、縁辺流の威力を目の当たりにして、固唾を呑んでいた。目障りな娘が居るとは聞いていたが、まさか、ここまで厄介な存在だったとは。 「部隊を立て直している間に、他の犬士と合流されては面倒ですわね」今なら、まだ可能性が残されている。神官の老人は戦力外だ。水銀燈も負傷のため、本来の実力を発揮できずに居る。あの娘……雛苺は、精霊さえ使わせなければ、大した驚異に成り得ない。――倒すなら、今を置いて無い。 「本意ではありませんが――」あの老人を人質として、二人を確実に始末すべきだろう。雪華綺晶は兜を被り、兵たちに命令を下すと、白馬を駆って急峻な崖を降りた。彼女の後を、十数騎の騎馬兵が続く。水銀燈が、雪華綺晶の接近に気づいて、槍を構え直すのが見えた。その背後で、雛苺は再び瞑想に入ろうとしている。縁辺流が起動するまで何秒かの余裕がある事は、さっきの戦闘で確認済みだ。 「お行きなさい、獄狗っ!」雪華綺晶は、手綱を握り締めながら精霊を起動した。彼女の白い髪がざわめき、背後から、漆黒の獣が顕現する。一見すると熊かと見間違えるほど巨大な影の正体は、双頭の魔犬だった。魔犬は雛苺に狙いを定めて、風のように突進していく。そして、縁辺流が起動される寸前、魔犬は水銀燈の脇を突き抜け、雛苺に体当たりした。跳ね飛ばされた雛苺は、気を失ったのか、ぐったりと横たわったままだ。 「ヒナちゃんっ! この犬っ……よくもっ!」振り向いた水銀燈が槍を突き立てるより早く、獄狗は軽々と身を翻して、雪華綺晶の元へと戻っていた。 「! なんて素早いヤツなのよ!」 「ひ、雛苺っ!」結菱老人が、すぐさま雛苺の元に駆け寄る。水銀燈も急いで駆けつけて、二人に斬りかかる穢れの騎馬を、槍で貫いた。油断なく敵を牽制しながら、雛苺を抱き起こした結菱老人に、後事を託す。 「ヒナちゃんのこと、お願い。 私が時間を稼いでる間に、出来る限り遠くへ逃げて」 「承知した。お主も無茶はするでないぞ」 「当然でしょぉ? 何の得にも成らないのに、無茶なんかするもんですか。 さあ、早く行って!」水銀燈は、迫り来る雪華綺晶に対応すべく、その場に踏み留まった。再び精霊を使おうものなら、今度こそ、あの魔犬を串刺しにしてやる。そんな彼女の気迫を感じ取ったのか、雪華綺晶は水銀燈の目の前で馬を止めた。暫しの睨み合い……。先に言葉を発したのは、雪華綺晶の方からだった。 「貴女が、水銀燈……ですわね?」 「そうだけどぉ? そう言う貴女は、誰だっていうのかしら」 「これは失礼しましたわ。私は鬼祖軍団、四天王が一人……雪華綺晶」のり、笹塚、めぐ……そして、雪華綺晶。これまで対峙した中で、最初から精霊を駆使したのは、雪華綺晶だけだ。結構、手強いかも知れない。水銀燈は、緊張して、生唾を飲んだ。対する雪華綺晶は、目深に被った兜の奥から、鋭い眼光を水銀燈に放っていた。水晶を模したであろう三叉の鍬形が、威圧感を増幅している。 「貴女は、のりさんの右腕を斬り落とした、憎むべき存在ですわ。 あっさりと殺したりしないから、覚悟なさって下さいな」 「冗談でしょぉ? 貴女こそ、返り討ちにならない様に気をつける事ねぇ」 「ふ…………減らず口を」 「減らず口なら、お互い様じゃないの」二人の視線が交錯して、火花が散った。次の瞬間、雪華綺晶の槍と、水銀燈の槍がぶつかり合う。それが合図だったかの様に、彼女たちの両脇を、骸骨騎馬の一団が通り過ぎた。 「なっ! こいつら――」通過を妨げようとしたが、水銀燈の槍は、雪華綺晶の槍に抑えられて、ビクとも動かなかった。 「あの娘も、これで終わりですわね。そして、貴女も――」 「くっ! そんな事、させるもんですかっ」水銀燈は槍を引いて、骸骨騎馬の後を追い掛けた。しかし、どれだけ早く走ろうが、所詮は人の脚。馬に追いつける筈がない。水銀燈の背中に、雪華綺晶の哄笑が浴びせられた。 「あははははっ! 無駄無駄。無駄な足掻きですわ」そんな事は、いちいち言われなくても解っている。しかし、無駄だからと最初から諦めていたら、何も出来はしない。僅かでも望みがあるなら、それに賭けてみるのが、水銀燈の流儀だった。だから、めぐを助ける為だけに、村を飛び出すなんて無茶もやってのけたのだ。背後で、馬が嘶いた。続いて、蹄の音。雪華綺晶が追い掛けてくる。馬の荒々しい息づかいが、すぐ近くに感じられた。これ以上は、逃げられない。水銀燈は向き直って、槍を構えた。直後、強烈な衝撃が、水銀燈の手から槍を奪い取る。雪華綺晶の槍が、水銀燈の喉元に、ひた……と突き付けられた。 「人間、諦めが肝心ですわ。見苦しい真似は、なさらぬ様に」 「貴女とは、根本的に価値観が違うのね。まるっきり正反対らしいわぁ」 「……らしいですね。つまらない人に、興味は有りませんわ」「さようなら」と、雪華綺晶の槍が突き出される。だが、それと時を同じくして、河原に群生する葦の向こうで、ごう……っと、炎が上がった。雪華綺晶が、ちらっと一瞥する。その隙を逃さず、水銀燈は横に飛んで、弾き飛ばされた槍を拾った。だが、水銀燈の動きを追って、雪華綺晶の槍も繰り出されていた。――なんて素早い反応。咄嗟に躱そうにも、少しばかり距離が近すぎた。――殺られるっ!水銀燈が息を呑んだ直後、脇から飛び込んできた影が、雪華綺晶の槍を遮る。それは、水銀燈の良く知っている人物だった。 「ごめん、銀ちゃん…………遅くなった」 「薔薇しぃ! よく来てくれたわ!」 「なっ?! 貴女……まさか――」雪華綺晶が狼狽えて槍を引いたのと、手渡された太刀を水銀燈が構えたのは、殆ど同時だった。 「薔薇しぃ、避けなさぁい。……冥鳴っ!」 「くぅっ! 獄狗っ!」水銀燈の太刀から迸った精霊と、雪華綺晶の背後から飛び出した魔犬が、二人の間で激突する。じりじりと雑音を放ちながら、魔犬が押し戻されていく。冥鳴の勢いが獄狗を凌駕しているのは、誰の目にも明らかだ。ほどなく弾き飛ばされた獄狗は、その巨体で雪華綺晶を巻き添えにしていた。白馬から振り落とされた雪華綺晶は、地面に身体を強打して呼吸困難に陥った。しかも、その上に獄狗の巨体が乗ってきたから堪らない。雪華綺晶は肺の空気を全て吐き出し、そのまま気を失ってしまった。 「こっちは終わりね。次は、ヒナちゃんを助けなくっちゃあ」 「向こうなら、大丈夫……蒼ちゃんに任せてある……」蒼星石の名前を出されて、水銀燈の表情が俄に翳った。会いに行くと決めていた筈なのに、いざとなると気後れしてしまう。 (ダメねぇ……私も)自分の情けなさを誤魔化すかの様に、水銀燈は、気絶している雪華綺晶に近付いた。槍は、構えたまま。少しでも妙な素振りを見せたら、即座にトドメを刺すつもりだった。しかし―― (あらぁ? なんだか…………?)兜の間から僅かに見える雪華綺晶の面差しは、よく見れば薔薇水晶と似ていた。左右逆とは言え、眼帯をしているから、そんな風に感じるのだろうか。水銀燈は興味を掻き立てられて、雪華綺晶の脇に膝をついた。念のため、雪華綺晶の得物を、遠くへと放り投げておく。兜を掴むべく伸ばした両腕が、緊張で震える。やっとの思いで兜を挟み込むと、水銀燈は慎重に、雪華綺晶の兜を脱がせた。霧雨のそぼ降る中、ふわり……と、艶やかな白い髪が舞い上がる。雲間から差し始めた日射しに、彼女の白い肌が映えた。 「う、ウソでしょぉ……これって……」思わず絶句した水銀燈の背後に、歩み寄る足音が――ひとつ。水銀燈の態度に、興味を抱いたのだろう。軽い気持ちで水銀燈の肩越しに敵将の顔を覗き見た薔薇水晶は、次の瞬間、ハッと息を呑んでいた。 「お……お姉…………ちゃん?」 =第二十四章につづく=
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