《紫×黄》 (前編)
《世界は色で出来ている》《#e7e7eb×#ebd842》暖かいベッドに潜り込み、私は今日一日を振り返る。朝――登校している時、頭を撫でてもらった。昼――皆には内緒でぎゅっとしてもらった。夜――別れ道でまた明日、のキスをしてもらった。一つ一つを反芻し………口元が自然とにやけるのを自覚する――「えへへぇ………」昨日は素敵で、今日も幸せ、明日はきっともっと素晴らしい!………なんだけど――私とて、不満がない訳ではない。勿論、その気持ちが贅沢な事は百も承知。わかりながらも求めてしまうのだ、仕方無い。まぁ………だからと言って、何がどう出来る訳もなく、私はころころとベッドの上を転がる。そうすれば、何か妙案が浮かぶかの………ように………っ!ガバッ、と身を起こし、呟く――「ティンっときた………!」黒い人影が私に乗り移り、頭上には豆電球が光輝く。私の不満を解消し、あまつさえ今以上の幸せを手にする事が出来るかもしれない妙案。にぎにぎと両の拳を握り、私はそのままの姿勢で言い放つ。「ばらしー、てら策士………!」言い慣れない言葉に若干頬が赤くなるが、此処まで言ってしまったのだから後には引けず。私は、私の想い人に宣戦布告を告げた――「首を洗って、待ってるのだ………!」――――――――――――――――――――――――――――――――――――――朝。コートを着るほどには寒くなく、半袖で過ごすほどには暖かくない、そんな微妙な気温。私は何時もの様に早起きをして、何時もの場所に―待ち合わせの場所に向かった。小走りになりそうになるのは、気持ちが急いているから。もし、そこに彼女がいるならば、早く逢いたい。もし、そこに彼女がいなければ、待つ時間を楽しもう。とことことこ、足取りも軽い私を、私の幸運の鳥が囀りで祝福してくれる――ちゅんちゅん。「………とーちゃくっ」ぴたりと足を揃えて、待ち合わせの公園のベンチ前に立つ。どうやら、今日は私の方が彼女よりも早かったようだ。………良かった。是で少しは落ち着いて彼女に提案できる――昨日浮かんだ、妙案を。最初が肝心なのだ、焦る事無く、極々自然に切り出して………。彼女がこの『案』に乗ってくれば………即ち、私の勝利!だから、変に思われちゃいけない――ただでさえ、彼女は勘が鋭いのだから。「――薔薇水晶、おはようかしら」てくてくてく、と。普段ならばまず聞き逃さない可愛い足音が、同じ位―うぅん、もっともっと可愛い声と共に耳に入ってきた。両拳を握り俯きながら案を確認中だった私は、眩暈を起こしそうな勢いで顔をあげる。「――おはよぅ、金糸雀っ」金糸雀は、お陽さまみたいな笑顔で応えてくれた。「――えと、えと、ゲームしよう………!」「え………い、いきなりね………?」ほ、ほーりーしっと!是が若さゆえの過ちか………!紫の隠者と赤い仮面が、私の中で後悔の言葉を漏らす。だけれども、口走ってしまったからには仕方がない。今は己れを叱咤するよりも、彼女が面くらってるうちに速攻するべきなのだ。「ん、えと、えと、ゲームの方法は――」「――わかったかしら」「………で、で、金糸雀にはとっても不利だけど………――ふぇ………?」「ええ、だから、わかったわ。今から始めるの?」小さく首を傾げさせる金糸雀に、私はぽかんとした顔を返す。私が彼女に提案した『ゲーム』は、どう贔屓目に見ても私が絶対有利。だからこそ、この『ゲーム』の重要点は、いかにして彼女を舞台に立たせるか。………だったのだが。『ゲーム』の方法と勝者へのご褒美を説明し終わり、私が巧みなる弁舌を披露しようと口を開き身振り手振りでばたばたする前に。彼女は、まるで何でもない様に―それこそ、格闘ゲームで勝った方はラーメンライス大程度の感覚で頷いた。「………いいの?ほんとのほんとにいいの?」「ええ」「だ、だって、金糸雀、とっても不利だよ、ばらしー、すんごく有利だよ………?」「そうかしら?――ともかく、カナは了解よ」金糸雀は、袖口をくぃくぃと引っ張り確認する私に何故だか微苦笑を向け、再再度『ゲーム』を受け入れる旨を口にする。そのあっけなさに多少物足りない気持ちがないではないが。それよりも――段々とその事実を認識し、喜ぶ思いが強くなってきた。………やった………やった、やった、やったやったやったっ!拳を握って快哉をあげたくなる。多分、両肩は嬉しさでぷるぷる震えている。金糸雀に提案した『ゲーム』、ルールは至って簡単。私が彼女に、今日一日とある言葉を言わない――ただ、それだけ。極端な話、私が今から学校が終わるまで彼女から離れていれば、私の勝ちなのだ。これを楽勝と言わず、何と言おうか。「薔薇水晶、流石に無言でにまにま笑ってるの怖いかしら………」呆れた様に笑む金糸雀に、私はオーバーアクションで反応する――「わ、笑ってないよ、楽勝なんてちっとも思ってない………!」ばたばたと両腕を振り回し、相手の警戒をとこうとする。そう、彼女が「了解」を齟齬にする前に、『ゲーム』を始めないといけないから。「あ、今日は『おはよう』の――」だから――金糸雀が何かを言おうとする前に、私は先に先にと口早に告げた。負ける要素が一切ない、『ゲーム』の開始を――「アリスファイトぉぉ、レディ、ゴォ………っ!」親近感を感じさせる切り札のおじさんの口真似をしつつ、開幕を宣言する。私の気迫のこもった声に、辺りにいた雀達は何所か彼方へと飛び去って行った――。――――――――――――――――――――――――――――――――――――「あらぁ………おはよ、薔薇水晶。珍しいわねぇ、一人なんて」あふぁ――と、教室に入った私を出迎えたのは、うつらうつらとした水銀燈だった。私が―他の生徒が来るまで、机にうつぶせになっていたのであろう、寝惚け眼を指で小さく擦り、ひらひらと手を振って朝の挨拶を送ってくれる。「ぅ………。水銀燈だって、珍しい。遅刻魔なのに………」彼女はこの学院の、現役年間遅刻数記録保持者だ。しかも、担任が担任―通算学院遅刻数王者。今尚伸びている―なので、助長されていたり。そんな水銀燈であったから、この時間に此処にいる事自体、物凄く珍事と言えた。「し、しょうがないじゃないのぉ。今日の日直は、あの小うるさい真紅なんだからぁ………」………本人的には犬猿の仲を表現しようとしているのかもしれないが。名前を言っただけで顔が赤くなっているのだから世話がない。にまにまと笑みながら、へーほーふーん、と返してあげる。「………な、何よぉ。何か言いたそうねぇ………」「………言ってもいい?」「ロクでもなさそうだから、駄目」確かに彼女にとってはロクでもない事を言おうとしていたが。身から出た錆だろうに………と少し不満顔を浮かべる私。ただ、是で当初の話題から逃げられるならそれでもいいか、と溜飲を下げた………所で。「でぇ………今日は金糸雀と一緒じゃないのねぇ」相手の追撃に、顔を背けて露骨に嫌な顔をする。その表情は相手に見えなかったのだろう――彼女は言葉を返さない私に気兼ねなく、コンボを繋げてきた。「貴女達、何時もあの公園で待ち合わせて学校に来てるんじゃなかったっけぇ?」なんで遅刻魔の水銀燈がそんな事知ってるんだ!………と、頭の中で啖呵を切るが、確実に情報源は私なので黙っておく。そもそも、その公園を教えてくれたのも水銀燈であったのだし。「………公園、か。懐かしいわねぇ………ちっちゃい頃はよくあそこで金糸雀と遊んでたわぁ」――水銀燈と金糸雀は幼馴染だ。幼稚園の頃から一緒らしいから、もう十年以上の付き合いになる。今は落ち着いた態度をもって、落ち着きのない私を微苦笑で制止する事が多い金糸雀だが、水銀燈に言わせれば『昔の金糸雀はもっと忙しなかったわよぉ』。現在も落ち着きがあるとは言えない水銀燈がそういう話をしだすと、金糸雀は顔を少し赤らめて止めに入り――私はと言うと、金糸雀の色々な話を聞く為に、もっともっととせがむ。其れが日常のセオリーになっているのだが………「――おはようかしら、水銀燈」遅れて入ってきた金糸雀に、水銀燈は「はぁい」と気の抜けた返事をし。一方の私は、水銀燈との会話も打ち切り、教室の外に出て行く。視界の隅で捉えた水銀燈は呆気に取られた顔をし、金糸雀は頬を小さく掻いていた。――廊下に出た私は、『ゲーム』に負けない為のおまじないを呟く。弛みそうになった気持ちを奮い立たせる為に――「ぅー………………水銀燈………嫌い」――――――――――――――――――――――――――――――――――――午前中は呆気ないほど簡単に過ぎ去って行った。何がどう『呆気ない』かと言うと、金糸雀が一向に仕掛けてこない。休み時間度に彼女を猛攻を期待していた私は拍子抜けする思いだ。私は、昼食時に余り誰も近づかない中庭で、あての外れた期待――推測の立て直しを図る。彼女―金糸雀は、日常会話を別として、私に会話を振ってこない。いやまぁ、普段から授業終了のチャイムと同時に彼女の元へ向かっていたのは私の方なのだけれど。………雑念をいったん放棄して、推測を優先させる。『ゲーム』を思いつき、彼女をどう参加させるかを考えた後。私は金糸雀の反応を幾つか予想だてていた。現在彼女が実行している『作戦』も勿論頭にはあったのだが。その方法は余りにも子供じみていて下手な策であると評価せざるを得ない。だから私は、にやりと笑み、こう評価する――「そりゃ悪手だよ、娘っ子」直後、一陣の風が私の頬を撫で………我に返り、作ってきたお弁当をもそもそと食べ始める。小さいお弁当箱に入っているのは、海苔とサラダ、青茄子に梅干し、桃、ご飯。それから、箱の半分を占めるシソ入り玉子焼き。よく言えばバラエティ豊かな、普通に言えば雑然としたソレは、名づけて『仲良しランチ』。そう金糸雀に伝えると、彼女はくすくすと笑って髪を撫でてくれた。………もそもそもそ。今は必要のない記憶を追い出す為に、私は黙々とお弁当を平らげていく。半分ほど食べた所で――「………けぷ」――お腹が一杯になってしまった。おかしい………何時もならちゃんと全部食べれるのに。それに、今日のお弁当はあんまり美味しくなかった。調味料の匙加減を間違えたんだろう………私はそう自分に言い訳し、ぱたんと蓋を閉じる。日傘の模様が入った腕時計を確認してみると、案の定………お昼休みはまだまだたっぷりと残っていた。時間を長く感じ、何所かに向かおうとする体を叱咤する様に、私は気合の言葉を発する。「心頭滅却すれば明鏡止水、見よ東方は赤く燃えている………!」びしりと人差し指を校舎に突き付け、精悍な顔つきをする――と。「………そっちは西館ですよ、馬鹿水晶」後方からにょきりと生えてきた―もとい、姿を現したのは、クラスで一番の毒舌家・翠星石。片手にバケツ、片手に如雨露を持っているのを鑑みるに、花壇の花に水をやりに来たのだろう。うん、まぁ、それはともかく。「ばらしー、馬鹿じゃないもん………」「じゃ、阿呆ですぅ」「もっと渋く。それなら許す」「訳がわからんです――暇してるなら、手伝うですよ」言いながら、バケツの中に入っていた柄杓を渡してくる。時間を持て余していた私にとって、幾分かでも能動的な事は渡りに船だ。柄杓だけではなくバケツごと受け取り、だばだばと振りまいていく。「――って、馬鹿水晶、それじゃ枯れちゃうですよ!」「ぅー、馬鹿じゃないぃ………」「聞く耳もたねぇですぅ。まったく、翠星石の周りにはお馬鹿ばっかりです」如雨露で水をやりながら、溜息と共にさらりと罵詈雑言を呟く。口調自体は心底呆れたものであったのだが………何故だか、頬には微かに朱がさし、口元はひくひくとにやついていた。んーと、翠星石のこういう表情は………「翠星石(おとめ)はお姉様に恋をする?」「お姉様じゃなくて同い年ですぅ――って、べ、別にヤツに恋なんてしてねぇですよ!」相手が誰とさえも言っていないが私はそれで十分わかったし、翠星石の頭にも、とある人物が思い浮かんだようだ。その人を直接私は知らない――当の翠星石や蒼星石から話を聞いているだけなのだが。様子を聞く限り、似た者同士で恥ずかしいやり取りを交わしているのだろうと予測を立てている。「………究極のツンデレvs至高のツンデレ………ユーザンはどっち?」「お前ぇはもうちょっと、周りのモンに判り易く話すですよ………」半眼で言ってくる翠星石――だけど、そんな事もうずっと前から言われているので気にしない。ずっと前から………誰に?………………ぶんぶんと頭を振る。――頭の中で再生される、誰かの声を遠ざける為に。「あぁもぉ、首と一緒にバケツまで振り回すなですぅ!?」「あ………………ごめん」まったく、と肩を竦め、わかり易く揶揄してくる。その行為は余りにもわざとらしく………気分が暗くなりそうになっている私に対しての気遣いかもしれない。クラスで一番毒舌家だけど………クラスで一番、人情家――それが彼女、翠星石。「………それと。翠星石はどーでもいいですが、他の奴があーだこーだ言いだす前に、チビカナと仲直りするですよ」「え………どうして………?」「いっつもニコイチのお前ぇらが離れて飯食うなんて、普段ならあり得んですぅ」………多分、だけど。私に話し始めた時から、この事を言いたかったんだろう。でもなければ、花を愛する彼女が水のやり方さえ知らない私に水まきを頼むとは思えない。辺りの花壇に適量な水分を与えた彼女は、バケツに残った水を近くのアスファルトにぶちまけ、仕事が終わった事を暗に示す。「ん………ありがと。でも、喧嘩じゃないから………」「………そですか。まぁ、翠星石には関係ねぇですが。――お前ぇがそう言うんなら、信じるですよ」差し出した柄杓を受け取り、翠星石はくるりと後ろを振り向き、静かに言った。遠ざかる彼女の背に、金糸雀とはまた違った優しさを感じ………私は呟く。――朝、水銀燈に向けたのと同じ言葉を。「………翠星石………………嫌い」――――――――――――――――――――――――――――――――――――カリカリカリ………つけペンが紙を走る独特な音が、一人の教室―美術室に木霊する。私にしては珍しく、さくさくとペン入れは進んでいっている――こんな日に限って。描いている漫画の内容は、何て事はない女の子達のほのぼのな日常。起こる事柄は、『誰かと誰かが喧嘩した』『誰かと誰かがくっついた』『誰かと誰ががキスをした』。そして………今、描いているのは『誰かと誰かがゲームをしている』日常。『ゲーム』を仕掛けられた女の子は、仕掛けた娘にある言葉を言わせようと、ギュッとしたり撫でたり膝枕したりキスしたり………。その猛攻をどうにか凌ぎ切って、仕掛けた娘は勝利とご褒美を手にする。ご褒美は、『一日、敗者は勝者の言う事を聞く』。――現実でも、いまここ………と言いたい所だが。六時間目も過ぎ、下校時間になっても仕掛けられた女の子―金糸雀からの猛攻はない。HRが終わってから、私はとっとっとと金糸雀に近づいた。「金糸雀、ばらしー、今日は美術室で絵描いてる………っ」敵に塩を送っている様なものだが、今のところ彼我の戦力比は朝と同じ―つまり、私が圧倒的な事に変わりはない。是くらいの情報であれば、新技術を敵方に送った総帥に比べれば如何程の問題があろうか。「そう。カナも何時も通り、音楽室に行くつもりかしら」その言い方が余りにも自然で………私は呆気に取られたまま、ぽかんと口を開けたまま。周りでは、真紅と水銀燈が何事か言い争い、どたどたと下校する翠星石を切なそうな瞳で蒼星石が見送り、雪華綺晶と雛苺は帰りに立ち寄るお菓子屋さんの話をしていた。皆にはそれぞれの感情があり、楽しいだけではないだろうけど。私は、私だけが一人ぼっちな気分になり、ぅーぅーと小さく唸りながら廊下に出て――現在に至る。紙の上の―描いた漫画の少女達はとても楽しげで、幸せそうで。自分が創造した筈のソレが、私自身を追い詰めるよう。意識せずに、癖の様になってしまっている唸りが出てしまう――「「ぅー………ぅー………」」………………はれ………自分以外の声が聞こえた気がする。私の声質とは違い、高音で可愛らしい………となれば、友人に思い当たる人物はそういない。「………雛苺?」「うぃ。こんにちはなの、薔薇水晶」雛苺はにこりと、一点の曇りもない笑顔で話しかけてくる。………もしも、相手が金糸雀か彼女でなければ、私は怒っていたかもしれない。気分が平静でない時に余り良くないと思っている癖を真似されたのだから、そうであったとしても不思議ではない。だけど――彼女に対しては、そういった負の感情が極端に抱きにくい。それは、恐らく私だけではないだろう………理由はわからないが、てけてけと此方に向かってくる彼女にそんな事を思う。「ん………こんにちは。………どうしたの?」机の傍まで来て私が描いた四コマを読む雛苺に、ソレから注意をそらせようと尋ねる。余り羞恥心がない私と言えど、流石に妄想を描きだしたモノをしげしげと見られるのは恥ずかしかったり。警戒心が薄いのだろう、彼女はすぐに視線を私に移し――瞳を此方に固定させ、口を開く。「うゅ、薔薇水晶――無理は、メ、メなのよ?」「………………ふぇ…………?」人差し指をぴっと立てながら言ってくる雛苺に、私は気の抜けた返事で応答。真正面に立つ彼女の瞳を覗き込む――映るのは、呆けた顔をした少女だけ。雛苺の瞳は余りにも純粋過ぎて、それ以外の何かを読み取ることはできなかった。「無理って………えと、………ばらしーは………っ!」「うゅ?」「無理なんて………っ、そもそも、無理をする理由が………!」「うん、ヒナには理由は分かんないの」あっけらかんとした返事に、またもや目をぱちくりとさせ口をポカンと開ける。雛苺は相変わらず、じっとこちらを見ているのだが。――ざわめく鼓動を抑えつけ、私は口早に反論した。「り、理由がわからないのに、どうして無理してるなんて――」「なんとなく………だったんだけど。今は、薔薇水晶のお顔に書いてあるのよ」小さな手のひらをぴたりと私の額に当て、「めっ、なのよ」と駄目押し。そう――此方の思惑や警戒なぞ意味のない様に、雛苺は時々鋭くなる。直観と言えばそれまでだが、それで言い当てられる立場としては眩暈を覚えてしまいそうだ。まさに――「………ニュータイプ………?」「うにゅー?」「………違うよ」好物を連想して、一転して顔を綻ばせる雛苺。厳めしい―とは言え、しれているが―顔を収めてくれた事に若干の安堵を得る。彼女の瞳から逃れる事に成功した私は、そそくさとノートを閉じ鞄に収め、また別のノートを取り出す。先程のものとは違い、此方なら見られても安心。「う?うと………『薔薇クロス』?」「そう、面妖なウイルスに侵された主人公たちは、同じ様に侵された化け物を倒す。いつか、自分たちもそうなる事に怯えな――」「怖い話は苦手なの」一刀両断な発言をする彼女に、私は苦笑する。純粋無垢な子供らしさと大人顔負けの直感を持つ少女―それが雛苺。だから――そんな彼女に、従姉の雪華綺晶が夢中になるのもわからないでもない。ただ………雪華綺晶は雛苺を御しているつもりだろう。奔放な彼女を御することなど、恐らく誰にも出来ないと言うのに。「――あ。ヒナはそろそろ行くのよ」「………ぅ?」「雪華綺晶とお菓子屋さんに行く約束してるの。たーっくさん食べるのよ♪」「………気をつけて」彼女のお腹に向かってか、彼女自身にか………それとも、我が従姉に対してか。自分ですら判断できない言葉で、彼女を見送る。雛苺はよくわからない鼻歌を奏でながら、廊下に歩いて行った。――最後に、一言言い残して。「ほんとに――無理は、め、めっ、なのよ?」雛苺の横顔は、何故だかとても大人びて―可愛らしいと言うよりは、可憐に見えた。その表情に少しだけ、誰かが被るように見え――。彼女の姿が完全に見えなくなった後に、私はそれでも尚小さく呟いた。「ぅー………ぅー………雛苺、きらい………」――――――――――――――――――――――――――――――――――――真っ赤な太陽が緩やかに西に落ちていく頃。先程とは打って変わって筆が全然進まなくなった私は、ぱたんっと勢いよく両の手でノートを閉じた。気分が良ければ「錬金………」などと呟いていただろうが、そう良くもなく。ぶんぶかと頭を振って、気を持ち直す。せかせかとノートと筆記用具を鞄に詰め、私は立ち上がる。(………このまま帰れば、『ゲーム』は私の勝ち)窓を確認し、ちゃんと施錠できているか確認。勿論、開けた覚えすらないのだから全て閉まっているのはわかっていた。だから、多分、是は時間稼ぎ。(………勝ちなんだから………帰らないと)座っていた机にもう一度近づき、忘れ物がないかを見る。………在る訳はないのだ、立ち上がる時にも普段より十分に時間をかけたのだから。のろのろとドアに向かう――その後の行動を考えながら。(………考える?考えちゃいけない………考えると………)ぐるぐると回る思考に少し苛立つ――だけど。がら………と、静かに開かれたドアに、私の思考も視覚も一切の判断を奪われた。思考は選択肢を放り出し、視覚は一点に集中する。「そろそろ閉門だから――帰るかしら、薔薇水晶」あぁもぉ、他の感覚ももってっちゃえ!「金糸雀っ、――」僅かに、微かに残った思考が、『ゲーム』を思い出させる。そう、ここで『その言葉』を言ってしまうと負けてしまうのだ。負けてしまうと、『ご褒美』も手に入らない。駆けだそうとした体にブレーキをかけたのは、ただただその一念。足以外の体は既に全力で彼女に向っている。足だけが、全力で駆けだすのを堪えている。拮抗する力が成す答えは。べちゃ――「………痛い」鼻とおでこを床に打ちつけ、私は端的に今の状態を吐露する。しかし、是は僥倖だ――痛みによって、思考は正常化された。涙目になりながら、作戦を立て直す。きっと、彼女は『ゲーム』に勝つ為に、私に『その言葉』を言わせる為に来たのだから。膝立ちに上体を起こし擦りむいた額を撫でながら、ちらりと正面にいる彼女を確認し――様とした所で。細い腕を伸ばし大きいとは言えない掌で、私の赤い額に触れる彼女。「――慌てなくても、一緒に帰るかしら」微笑みを浮かべる相手に、私はごくんと唾を呑みこむ。彼女の愛らしい笑みは、こう告げていたから。――勝負は、是からなのだ、と。「ん、帰ろ、――金糸雀っ」―――――――――――――――――――――――《#e7e7eb×#ebd842》前篇 了
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