「とある夏休み」17ページめ
今日は待ちに待ったお泊りの日。学校行事以外では中々そんな経験のない真紅と雛苺には、願ってもないビッグイベントなのです。天気は今日も上々。突然の夕立以外には、天気の心配もなさそうです。雛「ねぇ真紅、お泊りって何がいるかな~?」真「あら、私達はもうこの別荘でお泊りしてるじゃない。とりあえず着替えだけ袋に入れて持って行きましょう」雛「はいなの!」起きたばかりだというのに、雛苺は嬉しそう。顔をほころばせて見ている真紅も、言うに及ばず。お腹が空いたので、朝ごはん。一階の食堂に降りていくと、エプロン姿の白崎がテーブルの用意をしていました。白「おはようございます。お早いお目覚めで」真「おはよう。言ってたとおり、今日はお泊りだから、留守はよろしく頼むわね」白「承りました。本日はこの後すぐ、私めは街に出て買出しなどせねばなりません。ここへ戻るのは夜遅くになりますので…」真「そう。じゃあ戸締りはしておくわね。ご苦労様」雛「ご飯ありがとうなの~」白「いえいえ…では、今日はお楽しみ下さい」下がっていく白崎に、真紅はどことなく緊張感が漂っているのを感じました。しかしお腹も空いていたので、花丸ハンバーグをおいしそうに頬張っている雛苺にならい、真紅も席についてテーブルの上のトーストに手を伸ばしました。少しして、薔薇十字児童養護施設。桜田のりと柿崎めぐの両人が夏バテでうだっている中、事務室の電話が鳴りました。の「はいもしもし…はい…ええ…!!」 レトロな扇風機に向かってあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛…と力なく発声していためぐは、電話に応対しているのりの口調がだんだん真剣なものになっていくのを耳にして、思わず口を閉じました。やがて通話を終えたのり。何だか、その表情は明るそうです。め「のりさん、今のは?」の「それがねぇ、県の社会福祉審議会だったのよぅ」め「…ってことは!?」の「里親の希望者が、近々ウチに来てくれるって電話だったのよぉ」め「じゃあ、あの子達の親になってくれる人が…!!」の「私、もう嬉しくて失禁スレスレよぅ!!!」め「こ、子供達には知らせます!?」の「ととととりあえず、佐原先生が帰ってくるまでは内緒にしておきましょう!」め「ブラジャー!」夏バテも忘れて、小躍りする二人なのでした。そして…夕方。少し涼しくなってから行こう、という事で、真紅と雛苺は別荘の戸締りをして薔薇十字へ向かいました。見ると、門の前にはすでに少女達が集まっています。雛「こんばんわなの~」真「あら、わざわざ出迎えに来てくれたの?」そう尋ねる真紅に、少女達が口々に答えます。銀「そういえば、まだ言ってなかったわねぇ」蒼「今日は、神社でお祭りがあるんだよ」翠「夏祭りですぅ」夏祭りと聞いて、雛苺がぴょんぴょん跳びはじめます。雛「夏祭り、行ってみたいの~!」薔「元気な娘っこだぜ」雪「ええ、一緒に行きましょう?」真「そうね、私も楽しみだわ」銀「じゃあ行きましょぉ」…てな具合で、少女達は近所の神社へ向かいました。賑やかな音楽、陽の沈むほどに明るくなる照明。石段を登ると、そこにはいつもと違う姿の神社がありました。村の農家のおじさんやおばさんがちらほらいる感じで、あまり大々的な催しではなさそうです。雛「お祭りなの~」真「こういうの、私達は初めてだわ」真紅も雛苺も、お父様が主催するパーティーなどには出席したことがあるものの、こうしたお祭りには一度も参加したことがありません。銀「そぉ。じゃあ楽しみましょお」周りを見回すと、踊りのやぐらを囲むように、いろいろなお店が裸電球に照らされています。次第に迫ってくる夕闇の中、電球の暖かな光があちこちに漏れ、生温い空気と一緒になって生み出す安心感に、真紅と雛苺は漂っていました。やぐらでは浴衣姿のおばさん達が、スピーカーから流れる音頭に合わせて踊っています。「あ~っ!くんくんなの!」わたあめ屋さんの店先にぶら下げられている、キャラクターが印刷されたビニール入りのわたあめに雛苺が目を奪われたようです。雪「くんくんが好きなの?」雛「うん!」薔「じゃあ行ってみよう」薔薇水晶と雪華綺晶に連れられてわたあめ屋さんに向かう雛苺。とても楽しんでるみたいです。真「水銀燈、あれは何?」真紅が指差したのは、どうやら…銀「あれは…射的ねぇ」真「射的?」蒼「玩具の空気銃で、奥に並んでいる景品を狙うんだよ。当たって倒れたら、その景品が貰えるのさ」真「へぇ…店のおじさんを狙うんじゃないの?」翠「ちょw」真「でも面白そうね。行ってみてもいいかしら?」銀「いいわねぇ」射的のお店へ向かった五人は、お金を払って店のおじさんから空気銃を受け取りました。蒼「真紅、銃はしっかり肩に当てて、狙うのは落ち着いて、ゆっくり引き金を引くんだよ」蒼星石のやけに詳しい説明に、真紅は驚いたようです。真「あら、詳しいのね。…本物の銃を撃ったことがあるの?」銀「前世で経験あるとかじゃなぁい?」蒼「まさか、そんなこと」そんな他愛も無いおしゃべりをしつつ、真紅はアドバイス通りに銃を構えます。狙うは、棚の上に立つくんくんソーセージの箱。くんくんソフビ人形のおまけ付きなのです。ポン、という心地よい音がして、コルクの弾がくんくんに当たりました。…が、倒れないのが射的の難しいところ。真「駄目ねえ…」蒼「もう少し上を狙ってみたら?バランスを崩すんだよ」銀「力のモーメントってやつよねぇ」高校理科の内容を水銀燈が事もなく言ったのに真紅は驚きましたが、すぐに思いなおしました。……この娘たちは多分、高校には行かないのね…。でも今は楽しいお祭り、と思い直した真紅はブリキのお皿の上から二個めのコルクを取り、空気銃のつつの先っちょに詰めました。銃を構えなおした瞬間、真紅の表情がゴ○ゴ13も顔負けの真剣モードに変わり…真「くんくん、今あなたを救い出してあげるわっ…!!」ざわ…ざわ…と空気が揺れ、水銀燈と蒼星石、そして射的店のおっちゃんが真剣な様子の真紅を息を飲んで見つめます。ドン、と本物の鉄砲のような音がしたのは、その場に居た者の単なる気のせいでしょうか。飛び出したコルク弾は、真紅の出す念に後押しされるようにくんくんの箱にまっしぐらに突っ込み…こてん、と棚の後ろに落下しました。真「やった、やったわ!!」ガッツポーズで喜びを体現する真紅。はたから見れば、財閥令嬢には見えません。銀「真紅もくんくん好きなのねぇ…さすが姉妹ねぇ」蒼「真紅の執念には何だか身が凍っちゃったよ」翠「あれが殺気ってやつですかねぇ…」感嘆というか驚愕というか、とにかくそんな感じのことを口にしながらも、嬉々として店のおじさんからくんくんソーセージの箱を受け取る真紅のそばで、三人もおのおの空気鉄砲を構えます…くんくんの袋に入ったわたあめをもぐもぐさせながら、雛苺は薔薇水晶と歩いています。雪華綺晶はというと…境内の隅っこのベンチにすわり、焼きトウモロコシや焼きソバ、リンゴ飴にフライドポテトに瓶詰めのサイダー…それらをかたわらに積み上げ、黙々と食べるのにいそしんでいました。薔「ごめんね…お姉ちゃん、いつもあんな調子なの」すまなさそうに雛苺に言う薔薇水晶。雛「見てるこっちまでお腹一杯になりそうなの…」薔「まだまだお腹一杯になっちゃったらもったいないよ。アレはもう見ないようにしよう」“アレ”扱いされた雪華綺晶を放っておくことにして、二人は夜店を歩きます。雛「あ!あれやってみたいの!」薔「どれどれ」雛苺が指差したのは、「スーパーボール」と書かれたお店です。小さな流水プールの中を、色とりどりのピンポン玉が流れています。お金を払い、コップを受け取った雛苺。どのタイミングですくい取ろうか、と真剣な面持ちの雛苺の背後から…雪「あら、美味しそうですわね。取れたら一個下さいませんこと?」薔「…チョップ」雪「あう」たくさん取れて満足げな雛苺のかたわらで、変なやり取りをする双子の図でした。射的を終え、次なる楽しみを探す真紅たち。と、向こうから、警察官が1人歩いてくるのが見えました。銀「あ、ジュン!」真「知り合いの人?」蒼「うん、薔薇十字の桜田先生の弟さんだよ。隣町の交番にいるんだ。たまに遊びに来てくれるんだよ」呼びかけられたのに気づいた桜田巡査が、手を振ってやってきます。ジ「ようお前ら。楽しんでるか?」翠「ジュンも仕事ほっぽらかして遊びに来たですか?」ジ「見回りだよ。て言っても、この村じゃあ別に警戒する必要も無いけどな…あれ、その子は?」ジュンが真紅に気づいたようです。銀「この子は真紅よぉ。結菱の令嬢よぉ」ジ「へえ、ってことはあの別荘に来てるんだな…。桜田ジュンです、よろしく。可愛いお嬢さんだね」真「真紅なのだわ…もう///」自己紹介をする二人。冷やかしの声も入りました。蒼「ジュン君もここでゆっくりしていったら?」ジ「そうしたいけど…またすぐ戻らなくちゃいけないんだ。姉さん達も後から来ると思うから、 よろしく頼むな。んじゃ、暗いから気をつけろよ」翠「合点承知ですぅ」懐中電灯を手に、ジュン巡査は石段を降りていきました。真「お仕事大変そうね…私達は次に行きましょうか」銀「そぉね、じゃあ次は…」楽しい時間はまだ続くみたいです。さて、雛苺は?雛「今度はヨーヨー釣りたいの~」見ると、これまた小さなプールに、風船で出来たヨーヨーが所狭しと浮かんでいます。薔「釣り糸はティッシュペーパーだから…濡らさないようにね…」雛「はいなの~!」早速、どれにしようかな~と品定めをしている雛苺。雪「これまたおいしそうですわね…どうして、丸いものはおいしそうに見えるのでしょう」薔「おめーの目はフシアナか」雪「あう」平常運転のようです。…少しして再び合流した少女達は、ベンチに座って思い思いに焼きそばを食べたり、盆踊りを見たりし始めました。もうすっかり辺りは真っ暗。真紅は、今までに経験した事のないお祭りの雰囲気をすっかり楽しんでいました。すぐそばには、明るく笑う孤児の少女達の姿。…真紅は、不思議に思っていることがありました。孤児の彼女達は、あまり社会や人前に出たりする事を好まないということだったはず…でもなぜでしょう、薔薇十字孤児院の少女達は、ここでは自らを隠すことなくのびのびとはしゃいでいます。まるで、この村そのもの、それを囲む大自然に守られているように…。その頃。別荘に向かって真っ暗な長野県道を走るセンチュリーの後部座席に、真紅のお父様と若い女性が座っていました。運転しているのは、もちろん白崎です。葉「しかし…報告を聞いていると、短いうちに随分仲良くなっているようだな。予想外だったよ」白「私もです、会長。昨日は急に連絡をさせていただいて申し訳ありませんでした。スケジュールもご多忙なのに…」葉「いや、教えてくれてありがとう。…真紅にも雛苺にも、この地に慣れ親しんでくれた今こそ伝えねばならない真実が ある。こんな愚かな男の偽りを、自ら暴かねば…」佐「いえ、結菱会長。会長のお陰で、今の薔薇十字は成り立っているのです。 …既に一度は閉鎖されていたあの孤児院を再開し、全国の保護施設から厄介払いを受けていたあの子達を迎えて下さり…。 普通なら過剰と言われても仕方がない数の職員まで雇用していただき、本当に感謝しております」葉「…混血児のための孤児院が必要とされていた時代が、実は終わっていなかったのだよ。 父の出資で薔薇十字が設立されたあの頃は、日本中に米軍基地があった。 私が子供の頃は、家の近くを戦車が走り回っていたくらいだ。 主権回復と共に基地は減少したが…国防を放棄した日本に、基地は完全に無くなった訳ではない。 今も横浜や山口、そして沖縄に基地はある。…必然、混血孤児も居なくなるわけがないのだ…」佐「…混血だと、里親も中々見つけることが出来ませんものね…」葉「君には本当に世話になっているよ、佐原君。病院勤務からわざわざこちらに来てくれてありがとう」佐「そんな、会長…」葉「…しかし、薔薇十字を再開させたのは、私のエゴのなせる業なのだよ。真紅と雛苺、果たして二人に本当の事を 言ってもいいのかどうか…」白「会長…」葉「結局のところ、私は隠し事を曝け出して自分だけが楽になりたいだけなのだよ。そこは誤魔化せない」硬く言ったお父様の様子に、車の中はしばし沈黙に包まれてしまいました。しかし車は走り、やがて小さな橋を渡り、夜に沈む村の道路に入っていきます。
葉「この村…綺麗なところだろう?」佐「ええ、本当に…」葉「変わらないな…私が戦時中に疎開していた頃と。神社の裏には防空壕があってな、村の子供達と一緒になって よく中で遊んだものだよ。こんな村までやってくる敵などおらんから、本当にのびのびと過ごせた…」白「そう言えば…前にお嬢様方があの子達と接触したある日、皆さんで神社の裏手に登っていくのを監視中に見た ことがあります。その日はお二人とも泥だらけになってお帰りになられました。防空壕でお遊びになってらした んでしょうね…」という事は、親子二代で同じ場所を遊び場にしたということですね、という佐原の声に、お父様は頷きつつ、親子、か。ちがう、私は…と言い掛けてやめました。葉「娘達の様子を逐一監視させてご苦労だったな。あまり気の進むことではなかったが… 接触した、と聞いたときには嬉しかったよ。ことに真紅は引っ込み思案なところがあるからな…」白「今日は神社の祭りにお出かけになっております。そちらに向かわれますか?」ちょうど村の入り口へ入ったこの時、白崎は見慣れない黒のベンツとすれ違いました。葉「…いや、楽しんでいるのを邪魔したくはない。今日は薔薇十字に泊まるというのだろう? 消灯まで待ってるよ。…それにしても、祭りとは懐かしい。私も子供時分にはあの神社の祭りに行ったものだ。 私も、もっと子供達と過ごせる時間があればな…」白・佐「…」車は、走り続けます。つづく
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