第十三話 「想いを」
第十三話 「想いを」「ばいばいかしら」
手を振りながら別れを告げる金糸雀に、僕も同じように応える。今日は大学の講義もなく暇で、夕方から金糸雀はバイトであった。故に、昔のように一緒にいる僕らは街に出て遊んでいたのだった。と言うよりも金糸雀に引っ張られるがままという感じなのだが。悪くない、この感情はきっとプラスのものなのだろうと思う。踵を返し、金糸雀とは逆方向である我が家に向かう。最近試行している、呆けながら帰路につくという技を駆使しようとする。元治さんの一件で学んだ、何も考えないという事だ。「――――って」試行を停止しようとしたが、僕の行く先に見える赤い者が見える。赤橙色の夕焼けの熱線のせいか、その人はとても赤く見えた。最早、赤ではなく紅、燃えているかのように見える。タイムマシンがあるのならオカルトじみたものも存在するかもな。そんな馬鹿のような事を考えてしまった為に、気になってしょうがない。已む無く、僕は妙な期待を信じて道に立つ赤い者へ向かっていった。それの歩く速度は遅く、少し早歩きすると段々と距離が詰まっていく。品の無い足音が大きく響き、静かな足音と並ぼうとした。すでに怪しさはあるものの、好奇心に押されるがままに横目で見た。結果は僕がいくつか想像していたものと異なっていた。その名前が示す通りに、姿を具現させた真紅だ。「あら」そう一言呟き、さほど驚いた様子も見せずに真紅は立ち止まった。色はわからないがワンピース、そして麦藁帽子といった夏の少女を彷彿させる出で立ちだった。相変わらず髪の毛は纏められて、見かけはとても活発的に見えなくもなかった。真紅は何も持たず、あるがままの存在だった。「この時間帯だと、もうこんばんわね。こんな所でどうしたと言うの」微笑みながら僕に言葉を投げかけてくる。今日は風もなく、陽も出てるのだが、不思議と涼しい日だった。その雰囲気に混ざるかのように、真紅は落ち着いていた。いつものような気品や静かさでなく、違う感じがした。「大学生は暇という話を検証していたんだ。 で、今日一日行動もとい遊んでいて話は本当だとわかったよ」「そう」なんだか嬉しげに一言返してくる。大して面白味のある事を言った覚えはないのだが、何かあったのだろうか。「ねぇ、少し歩きましょう」淑女を気取り、その生き方を自他認める貫きぶり。急ぎ足で先行する真紅を見て、気品は感じるもやはり違和感を感じる。「返事を聞かぬ間に真紅から行動するなんて、らしくないな」そう言いながらも僕はついていった。彼女はどこに行く気なのだろうと、当初とは違った期待を膨らます事にした。烏が鳴いて何処かへ去っていく、かつては共に行動をして帰っていた。今ではその烏を見送って、僕は何処かへ行こうとしている。黄昏時の独特の感じのせいだろうか、懐かしみのあるような感覚でそんな事を思った。少年時代の鳴き声が遠くに消えていった。◆そこは橋だった。県境そのものといえる大きな川を渡るための二つを繋ぐ架け橋。かつて橋の向こうには大手のショッピングモールが鎮座していた。橋はそれに合わせて作られたのか、モダンな中世的デザイン。それも昔の話、ショッピングモールは昔潰れた。今では看板も剥がされ、広大な土地は誰も使おうとせず、建物は急に寂びたように見える。この橋はたった数年で退廃的な象徴となってしまったのだ。「“ラズベリーフィールズ”」いきなり何かを真紅は口走ったが、何かはわからない。ラズベリー? 果物のだよな。「本当の名前はね“苺場橋”というのだわ。 けど、なんだか語呂も字の組み方も不器量でしょう。 だから、昔流行った言葉遊びみたいに英語にするの。 ブジッヂを除けて言ってみると“ラズベリーフィールズ” ね、可憐に聞こえるでしょう」こんなに饒舌な真紅を見るのは初めてだ。好きな探偵物について語る時でさえ、こんな表情はなかった。無邪気に遊ぶ子供のような楽しさ、夕焼けが照らす笑み。違和感は消え、新鮮な感じを覚えだした。「昔、お父様が此処に買い物に連れてきてくれたわ。 けど、人ごみが嫌いな私は此処を好きになれなかった。 お父様が好きな綺麗な景色を気付かずにいた。 この場所から人が消えて、ようやく気付いたわ」昔とはまた違う光景であるだろうが、美しい事は否めなかった。白い橋が照らされて、苺のように、鏡のような川も、紅に。「貴方も同じ」風は未だ吹かぬまま、真紅の声だけが僕に届いてくる。「最初は理由がなかったわ。 気になってずっと貴方を見てた。 一人で居る時の貴方は、孤高にも思えたのだわ」多分、これは心の引っ掛かりの一つなのだろう、僕は知っていた。「この場所と同じで、良さに気付くのに時間がかかった。 最初はって言ったけど、きっと違うわ。今も理由なんてないの」夕日に照らされた紅が、言葉を紡ぐ。「ジュン、貴方を愛してるの。強いて理由をつけるのなら、好きだから好きなの」かくして、その言葉と共に“ラズベリーフィールズ”の空に帳が落ち水銀灯さえ消え失せたこの土地に、闇が訪れた。無明、音も風も光も無く、まるで虚無のよう。戸惑いを感じつつも、僕は納得したかのように思える。なんとなくは、気付いていた。真紅の想いに。けども、僕はそういった感情に縁が無く、明確に識別できなかった。今この身にひしひしと感じるこの想い、これが恋なのだろうか。「ねぇ」僕は突如掴まれる。闇の中から真紅が抱きついてきたようだ。ぎゅっと締める腕の力の強さが、真紅の想いを示していた。「貴方はどうなの」きっと目の前に真紅の顔がある。額と額がぶつかり合いそうなこの距離。「聞かせて」囁く、切なく。真紅が願いを。「私は、好きなのだわ。好きで、好きで、好きで、好きで、好き。 貴方を心の底から愛していて、私だけのモノにしたくて貴方だけのモノになりたい」僕の肩に顎を置き、それから真紅は黙った。何も言わない、ただ聞こえるのは胸の鼓動。想いは伝わり続けている。そして、僕は考えようとしたが、考えるまでもなかった。この刹那、気付いた、全てに気付いた。想い、真実、やるべき事、進む道、過去、僕。心の中のこの感情が、全てを理解した。「今まで恋だとか愛だとかよくわからなかった」その理由も、僕がそういう人間だという事も真紅は知っている。「まさかだとか、やっぱりだとか、思っていた。そして知らされた」真紅の熱烈なる想いが恋だという事を。「答えをすでに持っていたのに、気付くのに長い時間がかかった」まるで、真紅と同じように。「想いを伝えられて、抱きしめられたお陰で」僕も同じ想いを持っていた、だからこそ先日、トロイメントで彼女らに親近感を覚えた。「真紅」
ありがとう、ごめんな。◆また、静寂だった。時の進む感覚もしない、世界が止まってしまったような。けれども、紛れもなく世界は動いている。前へ前へと、ひらすら前へ。物語は確かに進む、僕が鈍感なだけで、その速度は遥かなものだったのだろうか。自分の世界の全てを理解した。そして、想いを伝えた。「――――そう」真紅が呟いた。「やっぱり貴方の思いは、遠くて、別の所にあったのね」真紅、呼びかけて彼女の顔に触れる。同時に、頬に痛みが走る。「触らないで」どうも、紳士にはまだまだなれないらしい。淑女からビンタを頂くこの様では。「悪かった」僕は真紅を突き放し、振り返った。視界は頼りにならない為に、僕は橋の手すりを掴む。「さようなら」“ばいばい”は言い慣れてたけども、こんな別れの言葉を言う日が来るとは思わなかった。僕は歩き出した。彼女の顔に触れた際に、掌に付いた水滴を払って。◆僕は公園に再び戻ってきた。恐らくだけども、全ての正解を見つけ、やるべき事もわかった気がする。想いを、伝える。淑女にそれが出来たのだ、野蛮な阿呆に出来ぬ道理はない。あの時真紅から伝わった胸の鼓動、今僕の胸で同じように鼓動している。「ふぅ」深呼吸する、緊張するというのは稀な経験だ。勇気を、初めての勇気を。揺れる指先で、携帯電話の操作をする。連絡先が数少ない電話帳故に、手間がかからない数度のショートカット操作でコールできる。画面に数列が表示される。十一桁の先に想いを届ける者がいる。「もしもし」「今すぐ公園に来てくれ、言いたい事がある」口調が乱暴になってしまったかもしれない。ちょっとした後悔と悲しみ。電話機越しのごちゃごちゃとした声を無視する。「じゃあな、待ってる、金糸雀」電話を切り、ベンチに座った。この世の全てを嘲笑っているかのような、三日月がそんな表情を空に浮かべている。風が、吹き出した。
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