【薔薇水晶とジュン】しあわせのはなし。前編
∽
……夢を、見た。『あは……』 何で、あなたの夢なんて、見なきゃいけないのか。『違うでしょう。あなたが、私の夢を見ないほうがおかしいのよ』 白い世界。水晶は私の名前。白い水晶の世界。『……そうね、水晶はあなたの名前。じゃあ、あなたはだぁれ?』 私は薔薇水晶。みんなの姉妹。ジュンの、恋人。『ふーん。そうなの? ねえ、それなら』 ――それは、本当にうるさい欠片で。
『わたしは、だぁれ?』
……覚えてもいないことを聞く。わからないことを聞く。どうでもいいのに。
/ある少女の混濁
「薔薇水晶」 ジュンの声がする。だけど、その声は遠い。「朝だよ……」 優しい声。うっかり、その声の心地よさに意識を手放してしまいそうだった。「……ジュン」 でも、起きる。手放してはいけないもの。それは、その声のはずだった。「おはよう」 いつもと変わらぬジュンの優しい声。微笑んでくれる、温かさ。すべては、いつものことだった。 いつもの――まどろみのような、やわらかいもの。「……ねえ、ジュン」「ん?」「私は、だぁれ?」「薔薇水晶だろ?」 何の戸惑いもなく、ジュンは言ってくれた。何の、戸惑いもなく。「ねえ、ジュン」「?」「……私が、どんな姿になっても、ジュンは私をわかってくれる?」「何か、変な薔薇水晶だな」 ジュンは困惑気味に呟いた。
「お願いだよ。教えて?」「よく、わからないけど……、僕は薔薇水晶が好きだから。僕が好きな人が、きっと薔薇水晶だよ」 ジュンの言葉を聞いて、少し安心する。そう、信じられること。ジュンは、私の信頼できる人。「うん。それなら、きっと大丈夫だよね」「……なあ、やっぱり、何かあったのか?」「ちょっと――夢見が悪かっただけ、かな」 嘘ではなかった。夢見。不安が心を覆った時に見る夢。……ああ、確かにそう考えると、おかしい。 だって今、私は不安になんて囚われていなくて――「好きだよ、ジュン」「ん、僕も、好きだよ」 ――ただただ、幸せなはずなのに。 それは、怖かった。何が怖いのかよくわからないけど、怖いもの。 ……なんだろう。嫌な予感がした。とても、嫌な予感。
それは――別れの予感。
『ジュンは誰にでも優しい』 知ってる。『だから、別に貴方だけに優しいわけではない』 知ってる。『ならさ、……あはは』 何が、おかしいの?『ねえ、薔薇水晶。愛しい愛しい薔薇水晶。ジュンは――』 …………。『ジュンは、貴方のことを、同情しているだけだったりしてね』 そんなこ、と、ない。『本当に、そう思う? だって、おかしいじゃない。蒼星石の想いを聞いたでしょう。真紅の苦悩を感じたでしょう。水銀燈との思い出、聞いたでしょう?』 それは、『なのに、何故貴方なんだろうね。ジュンは優しいから。ジュンはとてもとても優しいから』 やめて。『だから、ジュンを縛っているのは、』 やめて……っ!
『――ジュンを不幸にするのは、貴方よ、薔薇水晶(わたし)』
「……薔薇水晶が、居なくなった」 ジュンが、ひどくつらそうな口調で、言う。「それは、どういうことなの?」「居ないんだ。朝、迎えに行って、学校に来ても居なくて、それで、それで、」「ジュン! 落ち着きなさい」 真紅は、ジュンを叱咤する。しかしこんなジュンを見るのは、幼なじみの真紅でさえ初めてで、どうしたらいいのかわからない。 もちろん、真紅が知らないのなら、誰も知らなかった。水銀燈は、過去の嫌な記憶から真紅よりは知っていたが、それでも、こんなに泣くジュンを見たことはなかった。 「とりあえず、探しましょう。話はそれからだわ」「そうね」 真紅と水銀燈が言う。それは、これ以上こんなジュンを見ていたくなかったから。「……ジュンは、どうする?」「探さなきゃ、探さなきゃ――」「ジュン……」 二人は、何も言えない。「探さないと――薔薇水晶が、」 そして、ジュンは何と言ったのだろう。
――薔薇水晶が、壊れてしまう。
二人は、とりあえず歩き出した。探さなければならない。ジュンが、あそこまでの怯えを見せるのなら。「それで、水銀燈。もちろん、心当たりはあるんでしょう?」「それは、もちろんあるけど……でも、居るとは思えないわ」「? それは何故?」「だって、真紅、あのね――」 水銀燈が、何かを言いかけた、その時。
「あははっ、見つけた!」 そこに、彼女が現れた。何の脈絡もなく、唐突に。
「薔薇水晶……? いえ、」 違う、と直感で悟る。何が違うのか、それはわからなかった。「貴方――」「こんにちわ、銀姉さま」「返しなさい」 水銀燈は、短く、だけどその中にとてつもない激情を込めて言った。「わかったわ。思い出した。通りで、ジュンがああなるわけね」「水銀燈?」「この子は薔薇水晶じゃないわ」「いやだなぁ。薔薇水晶ですよ?」「……虫唾が走る」 ぎり、と水銀燈は、貫くような視線を見せる。
「あははっ! そんなだから、貴方はジュンに捨てられる!」「――――ッ!」「水銀燈! 貴方は、ジュンと近すぎる! ともすれば一つになってしまう関係は、この世では決して許されない!」「薔薇――水晶!」 真紅が、誰も聞いたことのないような声をあげる。それは、怒り。親友を傷つけたことに対する怒り。「真紅! 貴方もそう! 貴方は勘違いしている! 縛ることが愛なら、縛られている側は、縛る側を決して愛することが出来ない! だから貴方の愛は一方通行なんだ!」 「……うるさい!」「ほら、皆そう言う! 皆図星だから! だからそう、拒否するんだ! 私を、薔薇水晶を! あはは、あはははははははははははは!」 狂っていた。世界が狂い始めていた。「ジュンは、水銀燈を見捨てたわけではない!」「そうだね、そうかもしれない。ジュンは優しいから! それが傷になろうとも受け入れるでしょう! でも真紅貴方はどうなの! 貴方は、水銀燈とジュンが恋人だった時、本当に何も思わなかったの!」 「それ、は、」「……あなた、いい加減にしなさぁい」「あはは、強くなったんだ、水銀燈! 昔の貴方なら、きっとここで壊れてたよ! ジュンの名前を呼びながら泣いていた!」「貴方は、誰」 真紅が呟く。敵意を持って。「私? 私は薔薇水晶。でも――」
「わたしは、だぁれ?」
「…………っ」 二人は、何も言えなかった。狂気。そうだ、この感じは、狂気だ。「さあ、ジュンに会いに行こう。きっと待ってる。ジュンが待っている! 貴方たちなんか関係ない。――ジュンが、私を待っている」 そして彼女は歩き出す。未だ、強い意志を持つ彼女たちを残して。
続く
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