HAPPINESS
「判決を言い渡す。被告人、柏葉巴。罪状、窃盗、死体遺棄により…」こうして、私への判決は下された。これは、短い、すぐに終わる、些細な悲劇の物語である。柏葉巴HAPPINESS目を覚ますと、そこは病室だった。なぜ運ばれたのか、分からない。頭がぼうっとする。痛い…。定まらぬ焦点で、天井のシミを数える。しばらくして、医者が来た。「柏葉巴さんですよね? 」「はい」「あなたは、道を歩いてると、いきなり倒れて、ここに運ばれました。覚えてますか? 」「…はい」「ひどい熱でした。なぜここまで放っておいたんです?と今は聞くべきではないですね。調子はいかがですか? 」「頭が、割れるように痛いです」「ふむ、そうでしょうね。何せ丸二日寝たままでしたから」この言葉で一気に目が覚めた。そして思い出した。何の帰りだったか、なぜ発熱していたかを。「桜田君は!?桜田君は無事ですか!?早く帰らなくちゃ!早く帰らないと!桜田君が!! 」これが、私が逮捕されるに至るきっかけだった。その三日前。目が覚めると、頭が痛かった。風邪を引いてしまったようだ。吐く息も白い。室温は-2℃。人が普通に暮らす温度ではない。これで大体二週間。よく今まで体調を壊さずにいられたものだ。悴む手をさすり、少しでも温めようとする。今、桜田君は、お風呂を浴びている。私はこの家ではお風呂に入ることが出来ない。だから最近は銭湯に通っている。洗面台で蛇口を捻り水を出す。歯ブラシを湿らせ、歯磨き粉を乗せる。大体5分ほどの時間で歯を磨き、うがいをする。また再び蛇口をひねり、水が完全にお湯に変わりきるまで待つ。洗顔フォームを泡立たせ、顔を洗い始める。隅々まで、ゆっくりと。彼と同居しているのだ。悪いかっこは見せられない。そして、お湯で泡を流し、タオルで顔を拭く。急いでしないと顔が冷え切ってしまう。あぁ、もうこんな時間か。彼をお風呂から出さないと。「桜田君。そろそろ、お風呂から出る時間だよ」そう言いながら、風呂場のドアを開く。正直、同棲を始めてから長く経つが、まだ裸を見るのはドキドキする。氷の浮かんだ湯船の横に立ち、彼の脇をかかえ、ゆっくりと引き揚げる。正直、女性の腕力ではきつい。彼は痩せているとはいえ。脱衣所で、よく彼の体についた水滴をふき取る。肌がふやけてしまっては大変だ。そして、彼に服を着せる。体が硬いから、いつもこれには苦労させられる。だが、やらないわけにはいかない。それに、ささやかな幸せすら感じるのだ。「桜田君、きつかったら言ってね? 」リビングに彼を座らせる。もう一度室温計を確認し、満足する。昨日届いた大きな冷蔵庫から氷を取り出し、バケツに入れ、塩をふりかける。凝固点降下というらしい。これで少しは彼も冷えてくれるかな?そう思いながら、テレビをつける。テレビも熱を発するのだが、天気予報を見る間だけだ。我慢してもらおう。「12月22日。今日の天気は…」お天気キャスターが言うには、晴れ。最高気温15℃。最低気温7℃らしい。困ったな。これまでで一番暑い日だ。でも、大丈夫かな。きっと。バケツを抱いた桜田君を眺めながら言う。「ねぇ、桜田君。あなたは氷って、いつまで氷でいられると思う?冷たいままって意味でも、形があるままって意味でもね」答えはない。仕方ないか。生きていないから。「私ってずるいよね。あなたが生き返ってくれるのがいつかは分からないのにさ。こうしてずっと眺めてる。他の何もかもから逃げてね。たった一つの希望があれば、それにしがみついて。醜いよね。嫌になってくる?嫌いになりそう?でも、ごめんなさい。あなたとまた話が出来るまではこうしているから。一言でもいいの。一言でも」前の私なら、きっとここで涙を流していただろう。でも、この部屋は私の心そのもの。涙はきっと氷に変わる。ぽたりという水滴の音で目を覚ました。うとうとしていたようだ。ぼんやりと顔をあげる。しまった。氷が解け始めている。急いで冷凍庫まで行き、氷を探す。氷は少ししかなかった。先ほど水を補充したのだが、まだ凍っていない。どうしよう、と焦りそうになるが、前にも似たことがある。急いでお財布を手に取り、買い物へ出かける。スーパー。コンビニ。手当たりしだい氷を買っていった。一回で、全てを運べるわけではない。数回に分けて買う。もどかしい。それに、風邪を引いているから、普段通りではない。4往復目の帰路の途中、ついに私は、力尽きた。どさりと袋が投げ出される音。壁に手をつき、もたれこみながら、意識は消えていった。警察の取り調べ室に、今はいる。全てを話すつもりだ。隠すことなんて、何もない。だが、この部屋は暑すぎる。「冷房、掛けてもらえませんか? 」風邪をひいた日の2日前。私は、家電量販店にいた。今の冷蔵庫では、作れる氷の数が少なすぎる。だから、大きな冷凍庫を買うことに決めた。安い買い物ではない。だが、これも桜田君のためだ。仕方がない。すぐにでも届けてほしかったのだが、在庫がないそうだ。届くのは、2,3日後だという。気長に待つとしよう。検事が、私のしたことについて読み上げる。何も反論することはないから、「はい」と答えた。冷蔵庫を買いに行った日の1週間と5日前。私は一人の男に会った。彼は、桜田君を生き返らせられる方法があるという。出会いなんて、呆然としたまま、道を歩いていたら声をかけられただけのこと。「すみません、あなた最近大切なものを失くされませんでしたか? 」という声とともに。近くの喫茶、そこで私たちは話をしていた。彼は、最近、テレビでも紹介されていた新しい蘇生法の話をしだした。私はまだ、実用段階ではないという話だったが、と聞くと、実はもう技術は完成しているらしい。ただ、倫理のせいで、公にはできないとのことだ。しかし、それを秘密裏にできるコネを持っているという。実際、向こう側もその技術を人間で試したいから、話を持っていけば、了承してくれる。双方ともに都合のいい話である。その紹介料を渡せば、話をつけてくれるとのこと。ただし、すぐに出来るものではなく、最短でも1か月後の話になる。「どうしますか? 」断れるはずもない。その日の夜、私は桜田君の遺体を盗み出した。弁護士が反論をしている。どうでもいい…。桜田君…。男に出会った日の2日前。私はただ、彼の亡骸の前で呆然とするしかなかった。何故、何故…。死因は大動脈瘤破裂というものらしい。でも、元気だったはずの彼は何で…。涙が、後から後から溢れてくる。止めどなく。ただただ。どうしてなのだろう。もう、何も考えられなかった。なんで、桜田君をジュン君って呼べなかったのだろう。検事と弁護士が何かを主張し合ってる。私の真上で言葉が飛び交う。桜田ジュンの亡くなる5日前。「へぇ~。死んだ人が生き返る技術だってさ」私が夕食後の皿洗いをしている間、リビングにいた彼がそんなことを言った。「何それ? 」「いやさ、さっきテレビで言ってたんだ。そんなことができるようになる理論があるって」「ふーん。なんか怖いね、それ」「あ、やっぱりそういうと思ったよ。僕もそう思うよ。実際さ、もし生き返ったとしても、本当にそれがその人にとっての幸せか分からないしね」「桜田君はどう思う? 」「どうって? 」「生き返りたいかどうか」「正直、ごめんだな」「そう? 」「だってさ、人はいつか死ぬんだ。そのときまでに何かを頑張り続ける。頑張り続けた結果が人生だと思ってる。例えどんな結果だったとしてもね。それをなかったことにするなんて、最悪の侮辱じゃないかな? 」「桜田君、言うようになったね…。昔はそんなこと言えなかったのに」「あ!なんでそんな言い方するんだよ」
茶化してしまったが、正直うれしかったのだ。私の好きな人が、立派な信念を持っていることが。だけど、いつになれば“桜田君”から“ジュン君”に変えられるのかな…?「判決を言い渡す。被告人、前へ」「はい」「被告人、柏葉巴。罪状、窃盗、死体遺棄により…」何か言っている。はるか昔。私たちは幼馴染だった。それも仲の良い。そして、一時疎遠になり、また仲を深めた。そのまま付き合いだして、二人一緒になった。優しいことばかりじゃない。厳しいこともあった。喧嘩もした。仲直りもした。何度ともなく。でも、二人は離れなかった。それが普通だったから。誰にも見えない 不確かな未来へと。二人、一緒に。気がつけば、泣いていた。法廷にいた全ての人が。検事、弁護士、裁判官ですら。私の頬にも何かを感じた。それは、久しく流していなかった涙だった。「被告人、何か言いたいことは? 」裁判長が問う。私は、彼のために微笑み、口にした。「ジュン君に会いたいです」HAPPINESS 了
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