薔薇乙女家族番外編弐 その二之二
薔薇乙女家族番外編弐 その二之二~旅人~ ジュンと一時の道連れ…お互いに沈黙続きのままだ。それでも車はブンブンと快調に道路を駆け抜けていき、看板や街灯、街灯の明かりを受けてぴかぴかに輝いている車の群れをさっそうと追い抜かしていく。 やがて下り坂にさしかかったので、ジュンはシフトレバーをドライブギアからローギアにチェンジさせ、エンジンブレーキをかけながら下っていく。免許講習の際の教えを忠実に守った走りだ。 このバンはディーゼルエンジンだからエンジン音がとにかくやかましい。だが捉え方によっては非常に力強く、登りも降りも何のそのとクリアしてくれそうな頼もしさもある。 現にこのバンは人を四人乗せて、さらに食料品や水に予備燃料等々を積載していながら、山を登っては走り、山を降っても走り、なかなかの走破力を見せつけてくれる。妻と知り合った頃から手に入れてかれこれ十数年となるが、まだまだ現役である。本当に頼れる相棒である。 「…この車、ずいぶん長い事乗っているんですね…」 しばらく黙っていた彼がようやく口にした一言だ。 「ええ、妻と出会った頃…辺りでしたかね、これを買ったのは。十何年となりますね」 「十何年ですか。もしかして…その頃から旅を…?」 「う~ん…始めたのは、そのもう少し前ですかね。二十年くらいになりますよ」 「二十年!ずいぶん長い事旅をしているんですね…」 「人生の半分を旅して過ごしてますからね。思えば色々とありましたね…」 「…何故そんなに長く旅を?」 きっと言うと思ったと、ジュンは唇をほころばせた。 「故郷を嫌って飛び出したのが始まりでしたね。最初はほとぼりが冷めたら帰ってくるつもりだったのですがね…ある電車に乗った時に、そうだ、旅をしようと決めたんですよ」 「電車…ですか?何かあったんですか」 「そもそも僕が故郷を出たのは、故郷の人達が僕を目の上のたんこぶ扱いするせいで、近所との摩擦が多かったからなんです。そのせいで僕は自然と人間不信となっていました。それを変えた出来事が電車であったんです」 「…と、言いますと…?」 「妻と出会ったんですよ、その時にね」 当の本人は相変わらず寝ている。まさか自分が話題に引き出されているなんて思う由もないだろう。 「…そうだったんですか…。その時に奥さんと…ご一緒に?」 「いや、彼女とは話をして意気投合するまではいったのですが、その日のうちにまた別れてしまったんです。ですが何の縁かは分からないのですが、僕が旅を始めてからは何回か電車で会う事がありましてね、その度に話をしていたもんですよ」 「そしてその都度、また別れ別れに?」 「はい、そしてまた会ってはまた別れる、この連続でしたね。面白い話ですがね。それで何時だかにあんまり面白い巡り合わせなもんだから一緒にならないか、と僕が彼女に声をかけたんですよ」 「それで…ご結婚されたと」 「はい。今思えばあの時から妻はなかなか面白いやつでしてね、妻があんな性格だったから僕も彼女に惹かれて、旅をしてみようと思ったんですよ」 「奥さんと…一体どのような事があったんですか?電車で」 ジュンはふと苦笑いを浮かべた。 「妻のやつ、人を見るなり“あなたも旅人?”なんて訊いてきたんですよ。僕は別によれよれの上着を着てたわけでもないのに、重い荷物を持っていたわけでもないのにそう訊いてきたんです。人を見るなり“あんたは旅人か?”と訊くやつなんて初めて見ましたよ。 いきなり何の事かと訊いてみたら、“妙にくたびれた様子だったから”だなんて言われてしまいましてね、全く笑っちゃいます…ずいぶんなあいさつだな、て思いましたよ。 したら妻は僕の隣にぼすっと座って、しきりに話しかけてきたんですよ。正直、馴れ馴れしい人だなとは思いましたが、周囲との摩擦続きで疲れていたのもあって、追い払う事もせずに適当に相槌をうって話を聞いてました。 妻はその時、旅を始めて三年程になると言ってましたかね…やはり彼女の話の内容は旅の思い出話でした。 最初は適当に聞いてただけでしたが…彼女の話を聞いているうちに、なんだか僕も夢中になってましたね。彼女はどういうわけか面白い女でして、いつの間にか引き込まれてましたね…」 「話を聞く限りでは…奥さんの方が旅の経験者みたいですが…」 「はい、ですから彼女と一緒になった時は正直助かりましたね。やはり旅の仕方とかは妻の方がよく知ってますしね…。 …それで…会話に夢中になっていましたが、やがて彼女は“この駅で降りる”と席を立ったんです。荷物も持って僕に“それじゃあねぇ”とだけ言うと、ひょいと電車から降りて…それからしばらく別れ別れとなったわけです」 「…つまり、奥さんのお話を聞いて自分も旅をしようと決めた…と」 「あと、煩わしい隣近所と見切りをつけたいのもありましたからね」 「なるほど…」 「つまり僕は、自分のおかれた境遇が嫌になって故郷を捨てたというわけですね。…でね、………えっと…」 「あ、私、梅岡といいます」 「失礼…で、ですね…梅岡先生、僕があなたにたしなめたのは、旅をするなというわけではないんですよ。 旅というのは寝床にも食べ物にも、足にも負担が掛かるものです。風呂にもありつけない事もあるし、重い荷物を抱え込まなきゃならないし、服は次第に傷んできたりします。苦労に苦労を重ねても構わない、そう腹に決めないと旅なんてできないですよ。 …こう言うと多分、“言われなくても分かっている”とお思いになるかもしれませんが、よく考えてください。自分のいた故郷に帰りたい、家に帰りたいと思っても、また長い道のりを辿らなきゃいけないんです。帰りたい時に帰れないんです。 それに…ある意味一番こたえるものとして、周りの視線ですね…やはり常に清潔でいられるわけではないので周りの視線に悩まされたりもしますよ」 ジュンはバックミラーに映る梅岡の顔をチラリと見た。深く思い悩んでいる様な顔をしていた。 「旅というのはね、生半可な考えでは後悔するだけですよ。後悔しただけで終わった旅ほど虚しいものはありません。それに、旅の目的が先生の場合、“不明確”じゃないですか。 目的が不明確だと、旅はいつ終わるかなんて見当もつかない。見当つかずの旅を続けるのは本当に容易じゃないですよ」 彼にはもちろん、彼なりの考えがあるだろう。だが、自分探しなどという目的の旅は不毛である。 “自分”はあくまでも“自分”の中にしかないのだ。外の世界に答えを求めても真実は得られないのではないかとジュンは思った。だから余計だと思っても口を出さずにはいられなかったのだ。 旅の経験者として…駆け出しの頃に散々苦労した者として…言わなければならないと思ったのだった。 果たして…彼はどう思うのだろうか…。----- 「ありがとうございました…」 「…先生、これを…」 ジュンは梅岡に握り拳を差し出した。梅岡はそれに手をやると、彼は眼をぎょっとさせた。 ジュンが握り拳を開いて出てきたのはお金だった。 「これは…」 「少ないけども、“旅賃”の足しにしてください」 「っ…しかし…」 「それでは…。またお会いした時には一杯やりましょう。お元気で」 戸惑いを隠せない彼の言葉を強引に遮り、ジュンは車を発進させた。 サイドミラーに豆粒の様に小さくなった彼が映っているのを見たジュンは「彼はどの道を選ぶかは分からない。だが何にせよ、彼が選んだ道は彼にとっての現実となる。彼がどの現実を迎えるにせよ、決して負けないでほしい」と願った。 「すぅ…すぅ…」 心地良さそうに眠る妻と娘を見た。 彼を本当の意味で支えてくれる人が現れてくれるといいんだが…。 彼が己の様に思え、ジュンの心は何とも不思議な気持ちになったのであった。
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