少年時代2.3
時刻はもうじき正午にさしかかろうかとする頃、学び舎の顔たる校門の前に少年少女が5人集まっている。みなランドセルを下ろしたぶん背中は軽くなっているが、それ以上にお腹が軽くてしかたないらしく、特に雛苺などは身につけている白地に青いリンゴ柄のTブラウス越しに、ときどきだがお腹をさするように押さえていた。「真紅のおうち、ひさしぶりなのー」「どんなとこなの?」「あらぁ、巴は行ったことないのねぇ」雛苺を間にはさんで並び立っている女の子…巴に、すらっときれの良い普段のそれよりもほんの少し開かれた眼差しを向ける水銀燈。灰色のハーフパンツに襟無しの黒いTシャツ、黒い靴下と、男の子でもそれほど着ない色で占めているが、陽光を吸い込んで輝きを増すなめらかな銀糸を際立たせるには申し分ないだろう。逆に巴のいでたちは、頬を毛先がかすめる程度で切りそろえられた自身の髪の色を除いて、靴下も薄地のワンピースも靴も白色となっている。こちらの色の固め方もそうそう無いだろうが、その潔いまでの一直線さが、カラスの羽に香油を含ませたような艶やかな黒髪を魅せるための良い対比となっている。もしかしたらある種の勝負服なのかもしれない。「うん」「あ、僕も」ほどけの良い前髪をちょいっと弾ませ頷いた巴に、追随して飛ぶジュンの声。場で唯一の男の子である彼の格好は、襟無しの青いTシャツに、インディゴの色がおだやかに馴染んだデニム生地の半ズボン、おろして間もない白い靴下と、涼しげな色合いでまとめられている事を置けば水銀燈に似ていた。「真紅のおうちすごーくおっきーのよ。おにわとかもすっごーくひろいのよー」両の腕をいっぱいに広げ、その先の手のひらもいっぱいに広げ、雛苺が己の身ひとつで表せる最上級の大きさを表現する。金色の髪の上でピンクのリボンが、胸を反らして背伸びまでしたため安定をそこねた雛苺の体と、見事に息を合わせながらふるふる踊っている。「それほどでもないわ。 ところで、ええ、まあ正直こういうながれになるのは分かりきってたことだし、そのつもりでお母様に5人分のおかしを作ってくださるよう言っておいたのだけれど、このままスルーするのも何だから、いちおうきいておこうと思うの」 いまの今までじっと腕を組んで黙っていた真紅が、堂に入った仕草で横髪の金流をさらりとひとつすくいあげると、穏やかな笑みをたたえた唇を開いた。彼女の声は細くて硬いクリスタルのように芯から透き通っていて、せみの声と陽光の雨を風のごとくすり抜け、集った友人たちの目を一様に誘った。「なんでふたりっきりじゃないの? 私勝ったわよね、ジャンケン。ねえ、なんで?」「ぼ…僕にいうなよ」直後、真紅は装っている赤いシフォン生地のワンピースの裾をちろちろなびかせ燃え上がり、赤いサンダルの底をざりっと爆ぜさせて、最も近くにいたジュンに喰らいついた。詰め寄ってくる熱の威圧感に焦がされてか、逃げ出したがっている汗が彼の額からダラダラと駆け足ににじんでいる。「…ふぅ、まあいいわ。ほんとはあまり良くないのだけれどまあいいわ。わが家のかくんは小さいことからコツコツとですもの」すわ大炎上かと思われた真紅の炎は、はぁっ、とひとつ煙を残してたち消えた。テンションの落差が周囲にはかなり奇異に映ったものとみえて、巴と雛苺はまぁるくなった目を真紅へと向けている。「あらぁ、ずいぶんあっさりねぇ」あんたらしくないわぁと続けながら灰色の運動靴を引きずり気味に動かして、真紅のそばへと歩み寄る水銀燈。体温の逃げ道を少しでも増やそうという思惑だろうか、うなじを隠す広がりの良い後ろ髪を大雑把に両手で掴んで持ち上げており、もう少しまとまりを整えてから髪留めをつければポニーテールと称される髪型になりそうだ。「……べつに。まけてたら私もおんなじことしたろうな、って思っただけよ」「そ。いいけどはやく行きましょお。おなかすいちゃったわぁ」どうにも激情が目立つ少女ではあるが、同時に年齢に似合わない思慮の深さも備えているらしい。真紅はすまし顔で向きかえると、くきゅるると健康的で真っ正直な音を鳴らす水銀燈のお腹に、はいはいと呟きながら口元と目元をほんの少しだけ緩ませた。「それじゃあ行きましょうか。お母様はサンドイッチも作っていらしたわ」「うよーい」待ちわびていたのは水銀燈だけでないようで、ジュンの左手をとり引っぱるように歩みだした真紅の背中を、雛苺は野を駆けるウサギの足取りでいち早く追いかけた。「遠いの?」「けっこう近くよぉ」「うわぁっ!」雛苺にひと息出遅れはしたものの、先を行くふたりへ大股で近づくと、埋まっているジュンの左に水銀燈が割り込みをかけて、真紅の陣地を奪い取った。いささか荒っぽい行動の中でも水銀燈は平然と会話を続け、相手の巴もあいているジュンの右手にしれっと自身の手を添えて、絡め繋いで居場所を確保した。「ちょっ… 離れなさいっ!」「うゅー、ヒナもー」ひとりの少年と、それをとりまく4人の少女。アスファルトに滴った汗がまたたく間に乾く熱気の中、おしくら饅頭よろしく身を寄せ合いながら歩いている一団を、おひさまやご近所の奥さま、首輪の無い猫、散歩中のご夫婦…せかいみんなが温かく見守っていた。
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