薔薇乙女家族番外編 その一二
薔薇乙女家族番外編 その一二~時計塔屋敷~全く信じられない。この目で確かに見たにも関わらず、夢か現かの区別に躊躇いがある。今この部屋に響く屋敷の呼吸である歯車の音は確かに聞こえ、屋敷が蘇った産声である鐘の音色は鳴り渡り、山々の間を反響していく。それが何だか目にしたことがない様に見えた。 闇はいつの間にか晴れ渡り、雲と雲の間に光が差し込んでいる。その光は連なり、まるで天使が通った跡の様な輝きを見せている。この地上ではたった今、血にまみれ、憎しみが渦巻いた事件が起こっていただなんて空は知る由もないだろう。瞼を閉じると、頭の中に彼女達の最期が何回もフラッシュバックされる。彼女達は全身が火に焼かれてのた打ち回り、やがて力果てて動かなくなった。水銀燈、蒼星石、雪華綺晶の苦しみの悲鳴は屋敷の鼓動でも隠せなかった。鐘の音色すらも貫いて、僕達の耳に打ち付けてきた。助けを乞う様に炎に抗う彼女達を黙って見ているしかなかった。助けるつもりはなかった。助けようもなかった。それを憎んでの事か、彼女達の目は鋭かった。脆さも合わせ持ったものでもあったのは確かだが、どちらにしても直視できないものだった。そしてそのまま、僅かな衣服の燃えカス、蒼星石は大きな鋏の形をした炭となって消えてしまった。それは人であった痕跡も無かった。始終それを見ていた娘達は、みんな気を失って倒れてしまった。僕は唯一人、外の景色に出た。「…終わったのか…」口からこぼした一言だ。一体何が終わったのだろう。水銀燈の復讐劇か、真紅の仇討ちか、永遠の時間か…それらではあるのだろうが頭が釈然としない。「ゲームを終えられましたね、プレイヤー殿」視線の脇に白くて長い耳に黒のタキシードが見えた。朦朧とした頭はそれを難なく認めた。「ラプラスの悪魔か」視線を奴に向けようとはしない。何を考えているのかさっぱり分からない奴の顔を見たって苛立ちが募るだけだ。「お前…この結末を知ってたんじゃないのか?」奴は含み笑いをして答えた。「それは…私の名前を言い当てた貴方が知っているのでは?」予想通りの答えを返された。未来を予測できる知性「ラプラスの悪魔」を以てしても未来は分からない。理由を簡潔に言えば「運命というものは幾万と存在するから」だ。それでは…他に選択肢があったとしたらどんなものがあったのだろう。そう考えもしたがやめた。己の行動を悔やみたくないから…。視線を愛娘達に向ける。しばらく彼女達は悪夢にうなされるかもしれない。家に帰ってもまだ安心はできないだろう。溜め息をついた時には、あの兎はもういなくなっていた。結局、奴は何だったのかはさっぱり分からずじまいだったか…。烏がすぐ近くを羽ばたいた。一羽で飛ぶその烏は時計塔の回りをしばらく旋回した後、どこかへ飛び去っていった。僕がそれを見送っていたのに気づいたかどうかは定かではない。-----あれから一年経った。警察の事情聴取、捜査協力、身辺調査等々、しばらくは安息の無い生活が続いたがそれもようやく落ち着いた。真紅の葬儀は無事に終わった。彼女の友人に担任の教師が慌てて駆けつけて来てくれて、みんなの涙の中、彼女は無事に天に昇った。あの事件は時計塔事件としてマスコミが大々的に報道したおかげで世を騒がせた。出所不明の遺留品、牢屋の中にあった身元確認できない遺体、屋敷の各部屋に見られる奇怪な名残…それらは不可解事件としての良い材料になった。 あんまりにも不可解なものだから一時は僕にまで疑いの目を向けられたが、証拠不充分、動機不明等の理由で的から外された。その際には各雑誌が炎上したような勢いを見せていたが、水を掛けられたように鎮火したのは言うまでもない。 そんな騒ぎも一年という時が沈静化させたみたいだ。今ではテレビに出る事も無いし、記者が来る事も無くなった。熱しやすく冷めやすい。まさにそれだった。薄情だと思ったが、ある意味ではこれで良かったとも思う。僕も娘達も、そして水銀燈達もこれ以上腹の中を抉られたくはないだろう。放っておいてくれた方が気が楽だ。 今はその空いた時間で僕は彼女の日記の写し(原本は警察に押収されると踏んで、あらかじめ一部だけコピーしといた)にメモ、そしてそれらを読み解く資料を机に広げて調べものをしている。あの事件の当事者でない警察は真相究明には遠く及ばないはずだからだ。水銀燈と蒼星石、雪華綺晶の遺体は跡形も無いのだ。水銀燈に関しては戸籍のデータがあるみたいだが、その娘達の記録は一切無い。資料として彼女の日記とメモ等を提供したが、内容を果たして警察が理解できるのかどうかは疑わしい。ローザミスティカや時を固着させるなんて文章を読んだとしても、警察は小説のネタぐらいにしか判断できないのではないか。 第三者は絶対に謎には迫れない事件となってしまったが、果たして僕が真相究明したとしても娘達以外に信用してくれる人がいるかと訊かれたら、答えは否だろう。別に誰に話すわけでもなく、自分の為に一人資料を読んでいる。 しかし分かった事は、日記は大分昔の物だから今回の事件の直接の資料にはならないという事だった。目を休ませようと天を仰ぐ。一つ溜め息をついてうなだれる。…一つ疑問に感づいた。水銀燈の戸籍があるのなら、その親族の存在も分かるのではないか。警察はそこには当たったのだろうか。普通に考えて当たらないわけがない。それにしても未だに霞がかっていて解決の糸口さえ掴めないという様だ。日記には彼女が親族と相談したという記述があるのだから、まさか親族はいなかったなんて事は無いだろう。何かしらの手掛かりだけでも得られなかったのか。考えれば考えるだけややこしくなってくる。………。ふと、人が恋しくなった。携帯の時計を見る。まだ娘達が帰ってくる時間ではないのを確認すると、僕は車のキーを手に取った。-----車を転がして十数分でそこについた。「…巴、真紅、来たよ」目の前の墓石に手を合わせる。「そっちは…二人で仲良くやっているか?」花を手向けて笑みを見せる。「…巴、真紅をよろしく頼む。そして…ごめん。お前には面倒かけっぱなしだな」しばらくの沈黙。しばらくの黙祷。「…ごめん、二人共…」すっくと立ち上がる。「………また来るよ」そうして墓地を後にした。寂しくて悲しくて、だけど愛おしさもある墓場という空間を抜けるとそこはもう機械が走り回る賑やかな場所。若者はあちらこちらを漂ってはその場で笑い、またぶらりと歩いていく。お年寄りは健康の為と散歩をしている。小さい子供は何かの童謡を歌って、元気良く傍らを通って行った。全く、一歩抜け出るだけでこうも違うのかと今更に思う。 ?…何か頭にモヤモヤとする。歌…か。そういえば子供部屋にあった動く人形は何か歌っていた様な気がしたな。英語だったからあまりよくは分からなかったが…リトルジョンフロムズィキャッスゥ…だか何だか…。 ………「little John from the castle」か?リトルジョンとは一体何の事だ。携帯の辞書ツールで何か分かるだろうか。ジョンは男を指す言葉らしいが、リトルは…小さいかそこらの意味か。しかし、辞書にはこう表示された。小さい; 幼い; かわいい; (時間・距離が)短い; (a ~)((肯定的))少しはある, わずかの; ((否定的))ほとんどない; 取るに足りない; 卑劣な…。………卑劣?そういった意味もあったのか。little John from the castle…お城から来た卑劣な男…?英語はさっぱりだから多分合ってはいないだろう。しかしネットで調べてみるとその歌の歌詞が紹介されており、あながち間違いとも言い切れなくなってしまった。この歌はイギリスで流行った歌らしく、時の暴君を皮肉ったものであるらしい。暴君は子供をさらっては片っ端から殺したり陵辱の限りを尽くした。死肉を貪るという事もしたらしいと歌詞にて伺える。その暴君もやがては呪いか何かなのだろうか、死に絶える運命となったみたいだが、その邪な意識は今も残り続けている…みたいな記述がそのサイトでは補足されていた。 この歌と水銀燈と何か関係があるのか。「その邪な意識は今も残り続けている」…血脈となってその子孫が引き継いでいるという事か?謎が余計に謎を呼びかけてしまった。解釈が段々拡大してきて現実的でなくなってしまっている。あの事件に現実性を求めるのも何だか奇妙な話ではあるが…。車に乗った僕は考えるのをやめにした。イギリスの話を日本に持ってくるのはいくらなんでも無理があるだろう。それに、歌の出所を探しても事件に結びつけるには幾つもの疑問がある。忘れよう。あまりこれ以上問題は増やしたくはない。エンジンを震えさせ、車を道路へと滑り込ませる。ちょうど良い時間に娘達も帰ってくるはずだ。
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