「聖なる夜の陰陽」
12月3日。静かで、ほんの少し騒がしい季節が、またやって来た。「ずいぶんと眩しいですねぇ……市井の人たちは気が早いです」街路樹や建物に飾り付けられたイルミネーションを見ながら、翠星石が言う。いつものように、二人で学校帰りの寄り道。真夏の太陽が去り落ち葉が雪に埋もれても、僕たちのそんな日常は変わらない。そのせいだろうか。日一日と変わっていく街の景色や空気の匂いが、肌を通して生々しく感じられるような気がしてならないのだけど。「ホント、キレイだね。毎年この時期はみんな楽しそうだ」「なぁんか冷めた言い方ですねぇ。蒼星石は楽しくないんですか?」淡々とした僕の口調に敏感に反応する翠星石。「そんなコトないよ。街やみんなが賑やかだと、自分も楽しい気分になってくるしね」「ふぅん。そんなモンですかねぇ」いつもみたく、曖昧に笑って言葉を返す僕。翠星石はそれっきり僕の反応には興味をなくしたようだ。「ま、この翠星石にはクリスマスなんて関係ないですけどね。聖夜だとか誰の誕生日だとかそんなの知ったこっちゃねぇです」つん、とした表情で翠星石は言った。「あはは。翠星石らしいや」だけど、僕は知っていた。関係ない、と言ったクリスマス・イヴの夜、翠星石には予定が入っていることを。あの人と、二人っきりで逢う約束をしていることを。――翠星石らしいや。違う。僕の方こそ、聖夜なんて似つかわしくない人間なんだ。クリスマスなんて、僕には関係ない。ずっと、そう思って過ごして来た。「あっ、見るです蒼星石! あの緑色のマフラー、すんごいカワイイですぅ♪」きらびやかな蒼い人工光と、微笑む翠星石の横顔を見ながら、僕はその思いをいっそう強くしていた。 12月23日。「あれ? オリーブオイルが切れてたですぅ」キッチンで鼻歌交じりに夕食の準備をしていた翠星石が、不意に声をあげた。「せっかく今夜は腕によりをかけたパスタを作ろうと思ってたのにぃ……」「じゃあ僕が買ってくるよ、翠星石」「あ、いいですよ蒼星石。私が――」「いいんだ。ちょうど息抜きに外に行こうと思ってたから」リビングで勉強していた僕は、財布ひとつをジーンズのポケットに入れて玄関を出た。この時期だから日はいっそう短くなり、空は既に薄暗い。近所のスーパーでオリーブオイルと新しいノートを一冊買い、そのまま家へ帰るつもりだった。けれどふと、この前翠星石と一緒に帰ったあのイルミネーションの通りが目に入り、ちょっと寄り道することにした。通りを歩いていると、幸せそうなカップルの姿がいつも以上に目についた。(そうか、明日は……)まるで幻燈の映す淡い像のように、僕の目の前を通り過ぎていくカップルたち。明日の今頃は翠星石もあの中に交じって、幸福を噛みしめるのだろうか。今まであまり考えないようにしていたけれど、そんな翠星石の姿を想像すると胸の奥が締めつけられるような心地がした。「はぁ……」どうして、溜め息なんか吐くんだろう。もともと僕には縁の無いことじゃないか。眩い光の中で、恋人と一緒に過ごす幸福なんて――右手にぶら下げたスーパーの白いビニール袋が、やけに重い。(なんだか、場違いなところに来ちゃったな……)辺りは加速度的に暗さを増し、夜の肌寒い空気がほんの背後まで迫ってきている。ふと、ショーウィンドウに飾られたひとつの帽子が視界に入り、僕は思わず足を止めていた。「今日は一人でウィンドウショッピングか?」背後から急に声をかけられ、僕は文字にならない声を発して飛び上がった。青くてふわふわしたその帽子に、思わずぼうっと見入ってしまっていたらしい。「よ」「じ、ジュン君……」なんとなく、僕たちは通りを並んで歩くことになった。右手に持っている紙袋には、さっき勢いで買ってしまった青い帽子が入っていた。「うん。よく似合ってるよ」帽子を試着した僕とは目を合わさずに、ジュン君はそう言ってくれた。「久しぶりに、衝動買いしちゃった」「なんだ、買い物に来たんじゃなかったのか?」「帽子買うつもりだったら、こんなの持って来ないってば」左手のビニール袋を突き出して僕が言うと、そうだよな、とジュン君はさも可笑しそうに笑った。こんな風に二人で話すのは、いつ以来なんだろう。学校へ行く時も帰る時も僕は翠星石と一緒だから、ジュン君とは一緒に帰ったことがない。教室では毎日顔を合わせているけれど、ジュン君と一緒にいるのはいつも翠星石だ。といっても、傍から見ればその八割程は半ばケンカに見えるのだけれど――でも僕は知っている。二人は他の友達が見ていないところでは仲良くしゃべっているのだ。本当に楽しそうな笑顔を浮かべて。そんな姿を翠星石は僕にも見せたくないらしい。時々僕がそのことをからかうと、必要以上の拒否反応をみせてくる。いつからだろう。この胸の奥底に、こんなモヤモヤとした気持ちが巣食いはじめたのは――漆黒の空を渡っていく、透き通った青のイルミネーション。以前は作り物にしか見えなかった冷たい人工の光が、今は星々よりも暖かく、魅惑的な色彩としてこの目に映っていた。「ん」不意に、左手を差し出してくるジュン君。荷物を持ってくれるつもりだったのかもしれないけど、僕は自分でも驚くくらい自然に、次の行動をとっていた。「あ……」ビニール袋を左手に持ち替えて、僕はぎこちなく差し出されたジュン君の左手をしっかりと握り返していた。ジュン君の鼓動が、伝わってくる。「冷たいな……どうせなら手袋も買えばよかったのに」「いいんだ。平気だよ」――キミが、暖めてくれるから。胸に浮かんできた恥ずかしい言葉を飲み込み、僕はジュン君の柔らかい手と二つの袋をいっそう強く握り締めていた。 12月24日。「ちょいと友達のところへ行ってくるです」そういい残して、翠星石はいそいそと出かけていった。彼女がどんな聖夜を過ごすのか、いつ帰ってくるのか、僕には分からない。僕は部屋で一人きり、クリスマス・ソングを聞くでもなく、ただただぼうっと過ごしている。眩しいほどに輝いているハズの街の光は、窓から見るとほんのわずかだ。でも、僕にはそれで十分――今年のクリスマス・イヴも、やっぱり僕はひとりぼっち。だけど、淋しくなんてない。手と手を通して彼がくれた、こんなにも暖かい気持ちがあるから。ほんの昨日までは関係ない、なんて思っていたけれど、今年は感謝しなきゃ、だね。僕には、これが精一杯のクリスマス・イヴ。<了>
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