『スタンド・バイ・ミー』
カラン、コロン――カウベルの音色は、ドアが開かれた合図。来客を告げる調べ……。それは、入り口に程近い私のテーブルに、暑く乾いた風を運んできた。「あ、居た居た。久しぶり~、待った?」足音が近付いてきたと思った途端の、問いかけ。私は、声の主が向かいのソファに落ち着くのを待って、答えを返した。「そうね……30分くらいかな」「えっ、ウソ? って言うか、来るの早すぎじゃないの?」「ふふ。そうかも」悪戯っぽくウインクして笑いかけると、彼女も漸く、気付いたらしい。私に、からかわれたことに。「なによ、もう……人が悪いわね」「ごめんなさい。ちょっと、はしゃぎすぎたみたい」かわいらしく唇を突きだす彼女の仕種は、高校の頃のまま――見た目は、すっかりOLしちゃってるのにね。「いらっしゃいませ。ご注文は、お決まりですか?」機を見計ったように、高校生らしいウエイトレスが、お冷やを運んできた。ショートカットのヘアスタイルが醸す活発そうなイメージどおりに、きびきびと訊ねてくる。緋翠の瞳がきれいな、可愛い女の子だった。「えっと……貴女も、私と同じでいい? うん。じゃあ、アイスコーヒーふたつ」「アイスコーヒーふたつで。はい、承りました」遠ざかるウエイトレスの背中を見送りながら、彼女は溜息を吐いた。「溌剌としてるわね。私たちにも、あんな時期があったっけ」「やだ……なに老けたこと言ってるの。貴女だって、まだ若いじゃない」「10代と20代の輝きは、似て非なるモノよ。 永遠に取り戻せないと解ってるものに限って、欲しくなるものよね」「もう! 久しぶりの再会なんだから、湿っぽくしないでよ」彼女とは小学校からの親友だ。それからずっと、高校も大学も一緒だった。この子が就職して、都会に独り住まいを始めるまでは。ちょくちょく連絡は取り合っていたけれど、こうして会うのは、2年と4ヶ月ぶりだ。 『今年は帰省できそうだから、会いましょうよ』メールで誘ってきたのは、彼女の方だった。だから、私も旧友との再会を、楽しみにしてきたのに――――ごめんね、ホント。そう呟いた彼女の表情は、どこか寂しげで、疲れているように見えた。「もう良いわよ。それより、元気ないみたいね。もしかして、夏バテ?」「ううん。そんなコトないのよ。ちょっと……ね」「ははぁん、分かった。恋の悩みでしょ?」言うと、彼女は目をまん丸くした。どうして分かったの? 瞳が、そう語っている。見くびらないで欲しいわね。私だって、伊達に何年も、貴女の友人やってない。どんな時に、どんな仕種をするのか、ちゃーんと把握しちゃってるんだから。「あっちで、いい人が見つかったの?」「え……まあ……」「なぁに? 煮え切らないのね。乗り気じゃないわけ?」「うーん。いい人……には違いないんだけど」――だけど。なに? こんな風に、歯切れの悪い話し方する子じゃなかったのに。私はテーブルに肘をついて、ぐいと身を乗り出した。だが、そこにタイミング良く(私的には悪く?)、先程のウエイトレスが、トレイに二つのコーヒーカップを載せ、運んできた。「おま、お待たせ……いたすましゅた」私たちの間に、ただならぬ気配を察して焦ったのかな。いま、思いっ切り噛んでた。そそくさとコーヒーカップを並べる時も、私たちにジロジロ見られまくって、トマトみたいに顔を真っ赤にしちゃってた。「ご、ごゆっくり!」娘は逃げるように立ち去ったが、赤面したまま、いそいそと戻ってきて、そぉーっと、テーブルの端に伝票を置いていった。私と彼女は顔を見合わせ、どちらからともなく、くすくすと笑い出した。「可愛い子ね。イヂメてみたくなっちゃう」「よしなさいよ。それよりも、さっきの話の続きを聞かせて」カップにガムシロップを注ぎながら切り出すと、彼女はまたぞろ眉を曇らせた。そして、コーヒーをひと口、ブラックのまま飲むと、なにやら思い詰めた面持ちで、じぃ……っと私を見つめてきた。「これは、友だちから聞いたんだけど――」また、『だけど』だ。断定しない、様子見のための結語。人づきあいに溢れた都会で暮らすうち、口癖になってしまったのかしら。黙ったまま、真っ直ぐに瞳を合わせていると、彼女は観念したように肩を竦めた。「分かった。言うわ……言うわよ」「なにを?」「ねえ。あなた――彼と結婚するって、ホント?」私は、コーヒーをかき回す手を止めて、スプーンをソーサーに置いた。こういう噂話が広まるのは、本当に早い。当事者ですら驚かされるくらいに。彼女が急に会おうと言ってきたのは、これを確かめるためだったのね。「……本当よ」そう答えて、口に含んだコーヒーは、すごく甘かった。ちょっとガムシロップ入れすぎたみたい。続けてグラスの水を飲む私を眺めて、彼女は頬を弛めた。「そかそか。婚約指輪を填めてないから、もしかしたらって思ってたけど…… とっても残念だわ。彼は、あなたに取られちゃったのね」「え? それって――」「ふふ……驚いた? 実はね、わたしも彼のこと好きだったのよ」それは、なんとなく察しがついていた。だって、女の子同士だもの。何事につけても引っ込み思案な私に比べて、彼女はずっと積極的だった。高校生の頃は、私たち、随分と彼をめぐって水面下で鎬を削っていたっけ。ただ、彼の方が鈍感すぎて、二人とも巧くいかなかったのよね。「あなたに負けたのは悔しいけど……でも、なんかスッキリした。 やっぱり、会いに来て良かったわ」「そう?」「うん。お陰で、踏ん切りもついたし」「いい人……とのこと?」訊くや否や、彼女は頬を染めて、はにかんだ。要するに、満更じゃなかったのね。さっきの煮え切らない態度は、なんだったのやら。「彼、職場の先輩なの。歳は、わたしより3つ上でね。 白崎さんって言うんだけど……気配りがよくて、頼もしくて――」「ああ、はいはい。つまり、好きってことなのね。 彼――桜田くんと、天秤にかけたら釣り合ってしまうくらいに」私は甘ったるいコーヒーを一息に飲み干して、立て続けに水を飲んだ。面白くないから、ではなく、彼女に送るエールのつもりで。彼女の瞳には、どう映ったか分からないけれど……にこにこしてるから、私の気持ちは伝わったわよね、きっと。「決ーめた。わたし、彼のプロポーズ受けるわ」「されてたの?」「そうなの。お返事は、休み明けまで待ってって頼んだんだけど。 今夜にでも、白崎さんに電話してみるわ」「善は急げ……ね。気が早いかも知れないけど…………おめでとう、由奈」私の祝福に、彼女も「あなたもね、巴」と、エールを返してくれた。こんなにも多くの人で溢れ返った地球の上で、こんな風に、お互いの幸せを、素直に喜び合える友だちに巡り会えた。それって、すごい偶然じゃない? とても貴重な、かけがえのない宝物だと思う。私は、コーヒーカップに唇を寄せる由奈に、知ってる? と問いかけた。「十二才の頃みたいな友人は、もう二度とできない――って、映画の台詞」「えっと……スタンド・バイ・ミー、だったかしら?」「正解。よく知ってたわね」「まぐれ当たりよ。それより、巴。ちょっと訊いてもいい」「え、なぁに?」「あなた…………どんな手を使って、あの鈍感な桜田くんを捕まえたの?」「――えぇっと」それを訊かれると、正直、答えにくい。合意の上とは言っても、決して、褒められたものじゃあないもの。でも、答えない限り、由奈は諦めてくれそうにないし――仕方がない。私は、右手で、そっとお腹を撫でた。「実は、さ……3……ヶ月、なの」「はぁっ?!」「ちょ……声が大きいわよ、由奈っ」「だって、その――――はぁ……やるわね、巴。 おとなしい子ほど大胆だったりするけど……そかそか。できちゃった婚とはねぇ」由奈は『降参』と言わんばかりに両の掌を見せて、かぶりを振った。それから、小一時間ほど昔話に花を咲かせた。でも、私たちが築き上げてきた友情を語るには、その程度の時間じゃ足りない。「ねえ、由奈。もし迷惑じゃなかったら、今夜、うちに泊まりに来ない?」「わたしは迷惑じゃないけど……巴の方こそ、平気なの?」「平気よ。まだ、そんなに身重じゃないし」「――そうね。じゃあ、今晩、お世話になっちゃおうかな」「そうしなさいよ。子供の頃は、よくお泊まり会したよね」「うんうん。懐かしいね」なんだか、子供時代に戻ったみたいで、ワクワクしてくる。そうと決まれば、早速、場所を変えてしまおう。自宅の方が、なにかと気兼ねないし。会計は、由奈が払うと言って譲らないので、素直に奢られておいた。カラン、コロン――カウベルの音色は、ドアが開かれた合図。再会を告げる調べ……。私たち二人には、それが、気の早いウェディング・ベルのように聞こえていた。 ~Fin~
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