『きみとぼくと、えがおのオレンジ』~第8話~
時間は経つ、水銀燈は時折僕らにちょっかいを出しては他の奴らにお付き合いだの合コンに誘われている。もちろん、全部断っていた。固定の付き合いができたそうでそっちに主に時間を割いているそうだ。この前見たが、気の強そうなのが多かった気がする。ベジータと笹塚はサークルに参加している。予想通り女子との合コンやらパーティ目当て。この前聞いたら全サークルの歓迎パーティに参加したとか。一応、今はテニスサークルに参加中、ただし暫定。そうして僕らは昼休みには飯をつつきあいながら、だけど僕と薔薇水晶の関係には何も我関せずで過ごす。正直ありがたかった。付き合い始めたのに何もないんだから。話す話題がないなんて、どういうカップルなんだ?良いじゃないか、別に。とにかく時間は経つ。気づけば前期の授業は終了間近、テストとレポートに追われる日々。僕と薔薇水晶は疎遠になる。話す話題よりテストとレポートに追われて。一緒に勉強してるのに、距離は近いのに心は遠い。それはきっと薔薇水晶も思っている。
そんな日々のうちのある一日。僕は一人だった。一人で食堂にいた。薔薇水晶は授業中で、他には誰もいない。冷房の効いた場所は教室以外には少ないので大抵、食堂に僕はいた。外には誰もいない、陽炎が昇るアスファルトを見ながらこれからどうすべきか考える、薔薇水晶との事。「ちょっとぉ」このままの関係でいいんだろうか。「ねえったらぁ」何だか気が重い――「ワザとやってる?」「うお!」目の前に突然現われた水銀燈、心臓が止まるかと思った。驚いた僕を『失敬な』と言った顔で睨みつけつつ目の前の席に座る。一体何なんだ?特にテスト範囲でもレポートでも手助けすることはないと思ったが。色々考える僕を水銀燈の目が捕らえる。それが、到底いつもの水銀燈の目ではないことを僕は理解していた。「薔薇水晶」
「え?」「端的で良いでしょ。で、貴方達二人は付き合ってる。なのにそんな風に まったく見えない。全然見えない。」微かに含まれた怒り。嫌でも分かった。「別になんでも――」「何でもない、で済まさないで」「……」「正直ねぇ、付き合うまでのお膳立てはして上げたけどそれ以降は関せず にしようと思ってたわ」机に手を置き、指を組んで睨む水銀燈。「でもねぇ、あの娘の顔を見てたら、そうは言えなくなってきたわけよ。 ジュン、貴方は薔薇水晶が好きなのよね?」「……ああ」「なら言うわ。薔薇水晶も貴方が好き、それは本当よぉ。私が彼女を 言いくるめたとかそんなのなし。本当にあの娘は貴方が好き」冗談だろ?そう思いたくなった。そう言ってるだけで、本当はお前が。「嘘だと思いたいなら勝手にして。でも、彼女を傷つけないで。 何でもない風な顔で曖昧な距離を取らないで」「っ」「何でなのかしらね。ジュンってばまるで最初と別人よ。初めて私が ジュンを見たときとは別人。薔薇水晶に目を奪われてたあの時と」
水銀燈は淡々と話し続ける。いつもの猫撫で声調ではなく、ただ、まっすぐ。けど、それは僕の心に深々と突き刺さる。「好きじゃなくなったのなら、これ以上傷つける前に止めてあげて。 正直、今の二人は見るに耐えないわ。ハリボテも良いトコよ」「だから、どうしたんだ」「薔薇水晶は……いえ、これは良いわ。とにかくあの娘は本当にジュンが好き。 だけど、ジュンの態度にずっと悩んでいる」「僕は……好きだ、薔薇水晶が」ゆっくりと、水銀燈の顔が俯く。落胆の色は濃くて、悲しい目をしていた。「私もそう思ってたわ……ジュンは薔薇水晶の事が好きだって。でもね、 今のジュンを見ていたら全然思えない。気づくべきだった。あの時、 私が薔薇水晶のことを好きかどうか聞いた時に」あの時……ああ、告白される前にした、アレか。「あのときのジュンはただ前に進めないだけだと思ってた。少し悩んでる だけでちょっとしたきっかけがあれば二人とも幸せになれるって。 でも、勘違いだったみたい。あはは、私ってお馬鹿さんねぇ」「いや、僕は……」「本当に?」否定しようとした僕を見る目が細まる。
「本当に薔薇水晶が好きだって言える?」肯定できない。僕は悩んでいる、本当に彼女が好きなのかどうか。「違うのね……そう。だったら……できれば別れてあげてほしいの」「は?」「今回の事は私が全面的に悪いのは分かってるわ、勝手な事をしすぎたって。 でも、できればこれ以上あの娘もジュンも傷を広げる前に終わって欲しい。 私、薔薇水晶を傷つけるのはもう嫌なのよ。お願い」どういう意味だろうか『もう嫌』とは。いや、それより、僕はこの言葉も否定できない。薔薇水晶が好きなのかどうか全然分からない今の自分では。見れば、水銀燈の目が涙を浮かべていた。彼女がどれだけ苦しんでいたのか、それだけで分かる。今の事もエゴで言ってるのではなく、悩んだ末の言葉なんだと。「僕は……」「ごめんなさいねぇ……私った何言ってるんだか。あはは、馬鹿みたぁい。 今の忘れてちょうだい」「あ」「じゃあね、ジュン」席を立ち、食堂から去る水銀燈。その背中が小さく見えた。僕は答えを決められずにその場で座っているしかなかった。彼女を見送るだけだった。
部屋のベッドで考える。僕はこれからどうしたら良いのか。彼女に向かって、どう言えば良いのか。別れてしまったほうが良いのか、それとも、このまま惰性を続けるべきか。言うまでもなく後者だ。彼女を傷つけてるなら、さっさと終わらせてしまった方が。「はは」情けない話だ、好きな人が告白してくれて、それを裏切る。馬鹿丸出しも良い所だ。ケータイを手に取る。電話帳から薔薇水晶の名前を探す。電話番号を見ながら考える、どうやって話を切り出すか。いや、考えたところで何も決まるはずはない。考えずに通話ボタンを押し、ケータイを耳に当てる。数回のコール音の後に、彼女が出る。『ジュン……?』「ああ、僕だ」『珍しいね、こんな時間に……。いつもは……もっと、遅い』「うん、話があってさ」『……何?』
ふと、気づけば彼女が目の前にいて。そこはあの喫茶店で、初めて告白された喫茶店で。デートと呼べないような代物で、ただふらついて、いつのまにかそこにいて。僕は彼女と向かい合っていて。それで、僕は僕を遠いところから見ていた。「あのさ」「……うん」「そのさ、えっと」「別れたい……んだよね」「……」「分かってるよ。ジュンは別れたいんだよね……うん、そうだよね」「それは……」「あのね、私、オタクなんだ」「そう、なんだ」遠い、とても遠い。「うん」彼女の声も、僕の声も。「でね……私、ジュンと付き合うの、怖かった」「そう……か」「うん……。私ね、好きだった。普通に、ジュンのこと好きだった。 でもね、私、ジュンが私のことを好きかどうか……怖かった」
泣いていた。眼帯をしていない目から涙がこぼれていた。「ジュンに言えなかった……。銀ちゃんに……手助けしてもらったのに……。 怖くて……言えなかった。だから……こうなって、当然だよね」遠かった言葉、それが、「ジュンに………『本当のことを聞けなかった』んだから」明確な彩を持つ。それが、鍵だった。僕は、聞けなかった。彼女に、何も。僕は、恐れていた。僕は、何も。「私は……もう大丈夫です」違う。「だから、ごめんなさい」違う。「私の、せいで………傷つけて、ごめんなさい」違う。そう言おうと思った。けど、言えなかった。違った、そうじゃなかったと言いたかった。なのに、僕は言えなかった。彼女は去った。
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