『ひょひょいの憑依っ!』Act.3
『ひょひょいの憑依っ!』Act.3朝方のゴタゴタから心機一転、ジュンは梱包されていた品々の荷ほどきを始めました。こういう事は、先延ばしにすると絶対に片づかないもの。研修が始まれば、尚のこと、時間は割きづらくなるでしょう。独り暮らしの荷物など、それほど多くありませんから、ここは一念発起のしどころです。「いいか、邪魔すんなよ。ドジなお前が手を出すと、余計に散らかしかねないからな」『ふーんだ! こっちからお断りかしら』釘を刺すジュンの身体から、金糸雀はするすると抜け出して、アカンベーをしました。ちょっと幼さを残す仕種は微笑ましいのですが――(なんと言っても、天下無敵の自爆霊だもんなぁ)触らぬカナに祟りなし。素晴らしい格言です。やれやれ……と頭を掻きながら、服や食器などの日用品から開梱し始めます。殆どの服は冬物で、夏服は6月のボーナスをもらったら、買い揃える予定でした。シャツや下着、靴下をタンスに収納し終えて、次はセーターやパーカーの番です。段ボール箱の封をカッターで切り、開いたジュンの目に、妙な物が飛び込んできました。高級ブティックのロゴが入った、瀟洒な袋です。「――あれ? こんなの入れたっけか」ジュンには、憶えがありませんでした。そもそも、おしゃれに疎い彼には、高級ブティックなど馴染みの薄い場所。まるで、オーパーツ(Out 0f Place Artificacts)です。もしかしたら、のり姉ちゃんが変に気を利かせて、コッソリ忍ばせたのかも知れません。彼女には、そういう過保護すぎるところがありました。ジュンが実家を離れようと決意したのも、姉の存在を、少なからず疎ましく思っていたからです。「あいつ……勝手に何を入れてきたんだよ」端を折り返し、テープ止めしただけの紙袋を開くと、一着のセーターが……。頸を傾げながら、それを引っぱり出して広げた途端、記憶が呼び覚まされました。そのセーターは見るからに不格好で、明らかに市販品ではありません。「なあに、そのセーター? 左右の袖の長さが、揃ってないかしら。 カタチもいびつだし、ところどころ、ほつれてる……」ジュンの身体を離れて、手持ちぶさたにプラプラしていた金糸雀が、出来損ないのセーターを目に留めて、顔を寄せました。そんな彼女に、ジュンは穏やかな表情で答えます。「ちょっとな。ある人との、思い出の品なんだ。 僕なんか、すっかり忘れてたのに……姉ちゃんは憶えてたんだな」「どんなエピソードなの? 聞かせて欲しいかしら」「別に、大した話じゃないさ」素っ気なく言って、ジュンは不細工なセーターを、ベッドに放り投げました。それは、話す気がないという無言の返答。ジュンは再び、荷物の整理を始めます。「むぅー。ケチー」金糸雀は面白くなさそうに頬を膨らませて、そっぽを向くのでした。それから小一時間ほど、作業に集中していたジュンは、ふと――「ん? あいつ、どこ行ったんだ?」金糸雀の姿が見えないことに、気付きました。彼女は、この部屋に縛り付けられている地縛霊ですから、遠出なんてできない筈です。相手にしてもらえない事を拗ねて、押入の中にでも籠もっているのでしょうか。「静かなのはいいけど、余計なことしてないだろうな」そろそろ昼食時です。 『カナが作ってあげちゃうかしらー』――と、お節介を焼かないとも限りません。最悪、ボヤ騒ぎでも起こされようものなら、この部屋を追い出されてしまいます。そうなっては、ここより高い家賃の物件に、引っ越さざるを得ないでしょう。引っ越し代もバカになりません。やはり、目の届く場所に居てもらった方が、なにかと安心。パラソルを肩に担いで立っている分には、信楽焼のタヌキさんと似たようなモノです。ジュンは意味もなく天井を見上げて、どこかに隠れている金糸雀に呼びかけました。「なあ、居るのか? おーい」……沈黙。それはつまり、返事をする気がないか、返事ができない状況にある……と言うこと。なんとなく、ジュンの胸は不安に駆られるのでした。「まさか…………もう良からぬコトを、しでかしてくれたんじゃあ」台所で火事(家事?)とか、洗濯機で水漏れとか、はたきで窓を割ったとか。あるいは、トイレ掃除中に溶液を混合して、有毒ガス発生とか……。「冗談じゃないぞ。最後のは、特に!」もう、落ち着いて荷物の片付けをしている心境では、ありませんでした。即座に立ち上がったジュンは、金糸雀を探し歩きます。そして、玄関、トイレと見回り、浴室のドアを開けると……探していた娘は、シャワーを浴びて、暢気にくつろいでいるじゃあーりませんか。(また、このパターンか!)ジュンは、失笑を禁じ得ませんでした。これではまるで、どこでもドアで幼なじみの少女の入浴シーンに突撃する、ドジな少年です。ドアが開けられた直後、ハッ! と顔を向けた金糸雀は、頬を引きつらせて――「き、きゃ――――っ!? ジュンのエッチ――っ!」絹を裂くような悲鳴をあげて、お湯ならぬ火の玉を、ジュンに浴びせたのでした。火傷と打撲でヒリヒリと痛む頬をさすりさすり、ぶすっとした顔のジュン。彼の視線の先には、幽霊なのに脚がある金糸雀が、正座をして悄気ています。「お前なあ……幽霊のクセに、なんで風呂なんか入るんだよ!」「……だってぇ」「だってじゃないだろ。お前が使ったガス代と水道代は、僕が払うんだぞ」「でもでもっ! カナだって女の子かしら。 そのぉ…………男の人の前では、いつでもキレイで居たい……かしら」それが、乙女ゴコロというものでしょうか。彼女居ない歴22年のヘタレな青年には、よく解りません。いえ、どれだけ恋愛経験が豊富でも、異性の気持ちの機微は掴みきれないものでしょう。所詮、他人同士なのですから。雨に濡れた捨て猫みたいな目で見上げてくる金糸雀を前にして、ただでさえ女性経験の乏しいジュンは、言葉に詰まりました。それを目敏く見て取った金糸雀は、ここぞとばかりに畳みかけます。「それにね、幽霊って、水辺を好むモノなのかしら。 定期的にマイナスイオン効果で元気ビンビンにならないと、消えちゃうかしら」「別に、消えてくれても構わないんだけど」「ひ、酷いっ! カナなんか要らないっていうかしらっ」金糸雀は両手で顔を覆い、さめざめと泣き始めてしまいました。なんとなく芝居がかっていますが、女の子に涙を見せられては、対応に困るというもの。(とりあえず、泣き続けられても鬱陶しいからな。宥めておくか)来客を告げるブザーが鳴ったのは、ジュンが優しい声をかける矢先のことでした。記憶を辿ったものの、来客の約束などしていません。書留か、宅配便でしょうか。玄関のドアを開けると、そこには気まずそうな顔の真紅が佇んでいました。今日は、いつものように髪を結って、白を基調とした洋服に華奢な体躯を包んでいます。彼女が背に回した手には、食材とおぼしい買い物袋が……。ジュンが用件を訊ねるより早く、真紅は目を逸らしながら、言葉を並べます。「昨夜は……その……ごめんなさい。送ってくれて、ありがとう。 正体をなくすまで酔っぱらうなんて、みっともない姿を見られてしまったわね」「気にすることないさ。寧ろ、真紅の意外な一面を見られて、嬉しかったよ」「……ジュン」真紅はジュンの顔を見ないまま、はにかんで、買い物袋を前に突き出しました。「お礼……というコトでもないけれど、貴方のために、お昼を作りに来たの」いつもの勝ち気な性格は鳴りを潜めているらしく、頬を染めて、照れ照れの彼女。ジュンは『真紅さま好きじゃぁー』と、抱きつきたい衝動を堪えるので必死です。「いま、お邪魔してもいい?」無論、ジュンに断る理由などありません。真紅の手料理を食べられるなんて、夢のようでした。――が、頷いて招き入れようとした、まさにその時っ!「ねぇ~ん、ジュン~♪ なにしてるかしらぁ~」台所の方から、やけに艶めかしい金糸雀の声が飛んできたではあーりませんか。ジュンは当然のことながら、真紅もまた、驚愕に目を見開いております。そこへ、トドメとばかりに半裸エプロン姿の金糸雀が現れたから、さあ大変。「早くしないと、カナのお料理が冷めちゃう~。あらぁ、お客さんかしらぁ?」金糸雀は、見せつけるようにジュンの背中に擦り寄り、勝ち誇った眼差しを真紅に投げつけました。対する真紅はと言うと――俯いて、ワナワナと身体を震わせるだけです。「……そうよね。貴方にだって、恋人の一人や二人、居て当然よね」「お、おい、真紅っ! 誤解するなよ」「誤魔化さなくていいのよ。いきなり押し掛けた、私が悪いんですもの。 …………私……バカみたい」「違うんだ! こいつは――」「これ、よかったら食べてちょうだい。さよならっ!」「真紅っ!」買い物袋を押しつけることでジュンの弁解を拒絶した真紅は、身を翻し、白いスカートを風に靡かせながら、走り去ってしまいました。彼女の残り香と、踵を返した一瞬にまなじりから振り払われた雫が、ジュンの心を責めます。その痛みは、言葉にカタチを変えて、金糸雀にぶつけられました。「なんてことするんだよ! あいつに誤解されたじゃないか」「……いいんじゃないかしら」「な、なんだとっ?」金糸雀は一向に悪びれた風もなく、腰に両手をあてがい、鼻であしらいました。「あの程度で離れていくなら、本気でジュンのこと想ってないって証明かしら。 大体…………あの女の目が気にくわない。 あたかも、ジュンが自分のものであるかのような、高慢な目つきが!」「そんなの、お前の思い過ごしじゃないのか? 勝手な思い込みだろ?」「あのね、ジュン。女の子って、すごく互いを観察しあってるものかしら。 顔は笑ってても、裏では牽制しあって、誰よりも自分を可愛く見せることに躍起になってるの。 だから……男の子には解らない些細な変化も、鋭敏に嗅ぎつけるかしら」ドジな自爆霊ながら、金糸雀も女の子。女性の心情は、女性が一番よく解るのでしょう。やたらと実感がこもっていて、説得力がありました。「あーんな媚び媚びの女、どんな卑賤な策を用いてでも、ジュンから遠ざけてやるかしら。 うふふふっ……だって貴方の身体は、カナのものなんだもの。 ジュンに近付く女は、誰だろうと――祟ってやるか~し~らぁ~っ!」花弁のような唇から紡ぎ出される、禍々しい呪詛。ジュンの背筋に悪寒が走ります。どれだけ可愛らしい風貌をしていても、やはり、金糸雀は幽霊なのです。「ふざけるなっ。僕は誰のものでもないっ!」不意に訪れた恐怖を押し退けるように叫んで、ジュンは玄関を飛び出しました。背後から、呼び止める金糸雀の哀しげな声が飛んできましたが、振り返りません。いまはただ、片時たりとも、あの部屋に居たくはありませんでした。それに、真紅の誤解も解かなくてはなりません。「……くそっ。こんな時に、財布も携帯も置いてくるなんて」ジュンは舌打ちしました。これでは、真紅や笹塚くんに連絡を取ることも叶いません。でも、引き返すつもりはなく、逸る気持ちのまま、漠然と走り続けるのでした。やがて、彼の脚は勢いを失い……気付けば、混雑し始めた小道を彷徨っておりました。すると――「おーでかーけでーすかー?」妙に馴れ馴れしい声で、話しかけられたのです。振り返ると、左眼を薔薇の眼帯で隠した娘が、竹箒を手に、立っていました。また、奇妙奇天烈なことを言われるのも面倒です。無視して立ち去ろうとしたジュンですが、ふと思いついて、彼女に訊ねました。「あのさ……この近くで、金髪の子を見なかった?」「……見た。ほら、そこに」言って、眼帯娘が指差したのは、ペットショップ。店先に、ゴールデンレトリ-バーの子犬が……。「犬じゃなくって……ああ、もういい。それとさ、霊能者の知り合いとか居ないか? 除霊が出来る人なら、誰でも構わないんだけど」すると、眼帯娘はニコッと微笑んで、自分の鼻先を指差しました。「君が、霊能者だって?」「ここだけの話…………私の左眼……霊界に繋がってる」「ほ、ホントにっ?!」「……うっそぴょーん」どうやらこの娘、真面目に取りあう気が無いようです。これ以上、闇雲に探し回っても時間の無駄でしょう。お昼も食べていませんし、不本意ながら、ジュンは部屋に戻るべく方向転換したのです。落胆のあまり丸められた彼の背中に、眼帯娘が嘲笑いながら、妙な言葉を投げてきました。「優しさは……錆びたナイフ。ざくざくと無惨に肉を削ぎ……ココロを形骸に変える。 コワイコワイ……」何が言いたいのか、さっぱり解りません。ジュンは振り向きもしませんでした。ボロアパートに引き返したジュンは、ドアの前で、たっぷり10分は躊躇していたでしょう。胸に蟠る畏怖の念が、右腕の筋肉を強張らせて、ノブを握らせません。けれど、いつまでも突っ立っているのは馬鹿げています。ここは、正式な手続きを踏んで借りた、ジュンの部屋なのですから。何度か深呼吸を繰り返して「よし!」と気合いを入れ直す。右の手首に左手を添えて、一気にノブを回し、ドアを開きました。その途端、ふわりと美味しそうな匂いが、ジュンを出迎えたのです。おや? と訝った次の瞬間――「おっかえりなさいかしらー♪」稲妻のごとく飛んできた金糸雀が、ジュンに抱きついて、頬にキスしました。あまりの勢いに思考停止して、口をパクパクさせる彼の耳から、金糸雀の甘い囁きが麻薬のように染み込み、身体をシビレさせてゆきます。「もう帰ってきてくれないかと思ったら、怖くて……気が狂いそうだったかしら。 カナは地縛霊だから、誰かに取り憑かなければ、この部屋から離れられないの。 ジュンが来るまで……ずっと、カナは独りぼっち――すごく寂しかったんだから」「……お前」「ジュンの迷惑にならないように、努力するわ。 お料理も、お洗濯も、何でもするし、お風呂の回数も控えるかしら。 だから…………お願いっ! 貴方の隣に居させて。 ジュンのコト……どんどん好きになっていくかしら。この気持ち、止められないの」今まで、特定の女性と付き合うことのなかったジュンにとって、こうも一途に想われることは、悪い気がしませんでした。たとえ、それが幽霊でも。情にほだされ、ジュンは金糸雀の髪を撫でながら「好きにしろよ」と受け入れていたのです。その、誰にでも分け与えられる『優しさ』が、真紅のココロを無惨に切り裂いているとも気付かずに。
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