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『秘密の花園』」(2006/05/27 (土) 10:42:32) の最新版変更点

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<dl> <dd><br>   『秘密の花園』<br> <br> <br> 緑濃い峠の上に建てられた、その大きな屋敷には、小さな花園がありました。<br> カタカナの『ロ』の字型をした建て屋の、中庭に、それは存在しています。<br> 家人以外は、決して、見る事を許されない場所――<br> <br> やがて、それは都市伝説と化していき、誰が呼ぶともなく――<br> <br>  『秘密の花園』<br> <br> ――と、人口に膾炙することとなるのです。<br> <br> <br> <br> ある日、秘密の花園の噂を聞きつけた二人の人物が、面白半分に屋敷を訪れました。<br> 夏が本番を迎える少し前の、蒸し暑い時期のことです。<br> しかも、もうすぐ西の空に陽が沈もうかという時刻でした。<br> にも拘わらず、屋敷の窓には、明かり一つ点いていません。<br> <br> 誰も…………住んでいないのでしょうか?<br> けれど、全ての窓は割れずに残っていますし、庭木も綺麗に刈り揃えられています。<br> 暴走族によるスプレー缶による落書きも、見当たりませんでした。<br> 無人の廃屋とは思えません。<br> 誰かが管理していなければ、ここまで綺麗に保持されている筈が無いのですから。<br> <br> もしかしたら、通いの管理人が居て、昼間の内に仕事を済ませているのかも知れない。<br> そう話し合って、彼らは懐中電灯を手に、車を降りました。<br> <br> <br> いわゆる、肝試し……と言うものでしょうか。<br> 二人は、赤茶けて古びた鉄製の門を揺すってみました。<br> カシャンカシャン……キィキィ……。<br> <br> 耳障りな軋みが、徐々に減衰していき、夜の闇に溶けていきました。<br> その後は、しん、と静まり返り、物音ひとつ立ちません。<br> 無言で佇む二人の息づかいが、やけに大きく聞こえるほどの静寂が、広がっていました。<br> <br> ともあれ、防犯装置の類は、設置されていないみたいです。<br> 二人は、なにか妙な気配を感じつつも、興味本位で柵をよじ登り始めました。<br> ここまで来て、手ぶらで帰るのも情けなかったのです。<br> <br> <br> 意外に高い柵を乗り越えた時、二人の手と言わず衣服と言わず、<br> 茶色い錆にまみれていました。<br> 懐中電灯の頼りなげな光の中で、それは――乾いた血の滲みに見えます。<br> 二人は渋面を浮かべて、足下の芝生に両手を擦り付け、<br> その後、衣服の汚れを払いました。<br> <br> 足音を忍ばせ、正面に見える重厚な扉に近付いて行く、二人。<br> 今時、電子ブザーも無く、古びた紐が一本、下がっているのみでした。<br> 合意の上、一人が試しに引いてみると、建物の中で歴史を感じさせる鐘の音が、<br> 鳴り出したのです。<br> <br> 時代錯誤。そんな言葉が、二人の頭をよぎりました。<br> これだけ大きな音がすれば、誰か顔を覗かせるでしょう。誰かが居れば……の話ですが。<br> けれど、待てど暮らせど、屋敷の中からは何の反応も返ってきませんでした。<br> <br> <br> やはり、誰も居ない。<br> そう確信した二人は、左右に分かれて屋敷の周りを回ってみる事にしました。<br> もしかしたら、噂の『秘密の花園』に続く通路が、有るかも知れません。<br> <br> 眼鏡をかけた、やや背の低い青年は右回りで――<br> 鳶色の髪を短く切り揃えた、左眼の泣きぼくろが特徴的な娘が、左回りで――<br> <br> 何事もなければ、二人はまた、屋敷の裏手で再会できる筈です。<br> <br> <br> さく……さく……さく……。<br> 手入れの行き届いた芝生を踏みしだく音が、夜の静けさに呑み込まれていきます。<br> すぐ側まで森が迫っているせいでしょうか。<br> ひんやりした空気が、半袖シャツから突き出た肌を、粟立たせました。<br> 勿論、鳥肌が立った理由は、肌寒さだけに留まらなかったのですけれど。<br> <br> 早く、彼女と合流して、帰るとしよう。<br> こんな事なら、車を方向転換させてから忍び込めば良かった。<br> <br> 取り留めない事を考えながら、彼は先に進んで行きます。<br> 屋敷裏への曲がり角を折れると、向こうに懐中電灯の光が見えました。<br> どうやら彼女も、無事みたいです。<br> <br> 足早に歩いて合流した二人が、ホッと安堵の息を吐いたのも束の間、<br> 屋敷の壁を照らしていた彼女が、ハッと息を呑みました。<br> <br> それは――――確かに、存在していたのです。<br> <br> <br> 人ひとりが、肩を窄めてやっと通れるかと言うほどの、狭く小さなアーチ。<br> それは、屋敷の床下を潜るような構造になっていました。<br> 階段を降りて、また昇れば、中庭へと抜けられそうです。<br> <br> 彼女は躊躇いましたが、彼の方は乗り気でした。<br> ここまで来たなら、ひと目だけでも見て行かなければ損をする、とでも考えているかの様に。<br> 彼は一人で、階段を下って行きます。<br> 取り残された彼女も、心細くなって、彼の後を追いかけました。<br> <br> <br> 途中途中で蜘蛛の巣に引っかかり、四苦八苦しながら狭い通路を抜けると、<br> 不可思議な景色が広がっていました。<br> <br> 四方を屋敷の壁に遮られた、閉塞的な空間。<br> その真ん中に、色鮮やかな深紅の薔薇が咲き誇る、小さな花園が在ったのです。<br> 儚げな月明かりが、薔薇の花に降り注いでいました。<br> <br> 青年と娘が、魅せられたように花園に歩み寄ると、薔薇の花々の中から、<br> 不意に、誰かが起きあがりました。<br> 誰も居ないと思っていただけに、青年と娘の驚きようは並々ならぬものでした。<br> <br> でも――それは、相手の人も同じだったようです。<br> 薔薇の花に囲まれ、月光に映し出されたその人は、栗色の髪を長く伸ばして、<br> 丈の長い翠のドレスを纏った美しい女性でした。<br> よく見れば、瞳の色は緋翠。<br> <br> 青年が向けた懐中電灯の光を左腕で遮りながら、脅えと警戒心の入り交じった視線で、<br> 突然の訪問者たちを見つめていました。<br> <br> <br> 「何しに来たのですか?」<br> <br> 栗色の髪の乙女は、二人に、それだけを訊ねました。<br> 彼女の強い語調に気圧されて、二人は口を噤んでしまいます。<br> まさか、遊び半分で忍び込んだなんて、言える筈もありません。<br> <br> 黙り込んだ彼らを、名も知らぬ薔薇の乙女は、鋭い眼光で威嚇しました。<br> <br> 「出て行けです。ここは、神聖な場所なのです。<br>  お前たちが、みだりに立ち入って良い場所じゃねぇです」<br> <br> 神聖な場所――と言ったとき、彼女は右手で、何かを撫でる仕種をしました。<br> それは、彼女の腰くらいの高さの石碑でした。<br> 侵入者の二人には、その石碑が墓標であると、すぐに見当が付きました。<br> きっと、彼女の大切な人が、眠っているのでしょう。<br> <br> 月明かりの元で、ひっそりと添い寝をしてあげるほど、大切で、特別な人が――<br> <br> 青年と娘は、自分たちの愚行を恥じました。<br> そして、死に分かたれても薄れない薔薇の乙女の一途な想いに、心を打たれました。<br> 人は、どれだけ他人を深く愛せるのでしょうか。<br> どれほど強く、想い続けることが出来るのでしょうか。<br> <br> 彼と彼女には、まだ解りませんでした。<br> けれど、いつかは自分たちも、薔薇の乙女の様に、深く、強く……<br> お互いを愛せる様になりたいと願いました。<br> <br> <br> 言葉を失った二人は、薔薇の乙女に頭を下げて謝意を示し、引き返しました。<br> <br> <br> そして、翌日の昼下がり――二人は、峠の屋敷を訪れました。<br> 今度は、面白半分などではありません。昨夜の非礼を詫びるためです。<br> もしかしたら、また追い返されてしまうかも知れません。<br> でも、一言だけでも謝りたかったのです。<br> <br> 錆びた門構えは、昨夜よりも痛んでいるように見えました。<br> それに、屋敷の損壊具合も酷いものです。<br> 窓は割られ、屋敷の扉にはスプレーによる落書きがされていました。<br> 昨日の夜に来たのは、本当に、この屋敷だったっけ?<br> 車の中から廃屋を眺めながら、二人は話し合い、頸を傾げました。<br> <br> 車を降りて、鉄の門に近付くと、押してもいないのに扉が開きました。<br> 敷地内に生えている植物は、昨夜と同様に、手入れが行き届いています。<br> ひょっとして、二人が帰った後に訪れた誰かが、悪戯していったのかも知れません。<br> <br> あの、薔薇の乙女は無事なのでしょうか?<br> 二人は足早に屋敷の裏へ回り込みました。あの階段は……在ります。<br> 昼間と言うこともあり、不気味さも感じないまま、二人は中庭へと抜けました。<br> <br> 鮮やかな深紅の薔薇で埋め尽くされた、秘密の花園は、もう存在しませんでした。<br> そこにあったのは、長く放置され続けたと思しい、荒れ果てた花壇だけ。<br> 乾ききって、むき出しとなった土に囲まれて、墓標が立っています。<br> 二人は墓標に近付いて、この下に眠っている人の名前を読もうとしました。<br> けれど、そこには、何も刻まれていなかったのです。<br> <br> <br> 昨夜のあれは、夢だったのでしょうか?<br> そんな事は、有り得ません。<br> 青年と娘は、確かに同じ物を見て、同じ言葉を聞いたのですから。<br> <br> 二人は、持参したお土産を墓標に供えて、この場を立ち去りました。<br> そして……もう二度と、訪れませんでした。<br> <br> <br> <br> 結局、二人は誰にも話しませんでした。<br> 昨夜のことは、二人だけの秘密にしたのです。<br> それが、青年と娘の絆を強めてくれたのかどうかは、解りません。<br> <br> でも、その後の二人は、確かに親密な関係になっていました。<br> <br> <br> <br> <br> そして、今日もまた、都市伝説は語り継がれていくのです。<br> <br> 『秘密の花園』の不思議な物語が……。<br> <br> <br>  完<br></dd> </dl>

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