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「蒼空の涙1-2」(2006/05/21 (日) 11:56:54) の最新版変更点
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<p><a title="aozoranonamida1-2" name="aozoranonamida1-2"></a></p>
<br>
<br>
<p>
朝になり、一応は落ち着きを取り戻したものの、大事を取る形で、その日は学校を休んだ。</p>
<p>翠星石は僕に付き添うと申し出てくれたけど、</p>
<p>
これ以上迷惑を掛けるのは居た堪れなかったので、無理矢理学校に送り出させて貰った。</p>
<p>
寝不足と緊張でぼろぼろだった身体は、しかし午前一杯の睡眠で殆ど元通りになっている。</p>
<p>
どうもあの夢の所為で疲れ果てていたのが、今度は夢を見ないで済む方向に働いてくれたらしい。</p>
<p>
全く以って皮肉な話である。正直、ここまで夢に振り回されていると、何だか怒りすら沸いてくる。</p>
<p>
午後になると、僕は病院に向かった。翠星石が予約を取ってくれていたのだ。</p>
<p>
本当に心配を掛けさせてしまっている……流石に内科は違うんじゃないかと思ったけど。</p>
<p>
でも、夢の相談なんて病院自体お門違いだろうし……いや、こういう場合は神経科なのかな……。</p>
<p>
そんな事を考えながら、ありもしない病気の類の検査を終えて、診察室を出ると――――</p>
<br>
<p>(ジュン君……真紅に、雛苺も……)</p>
<br>
<p>見知った顔を見つけて、思わず僕は隠れてしまった。</p>
<p>
だって……会っても、どんな顔をすれば良いのか分からない。</p>
<p>ジュン君、夢の中で君を刺しました、ごめんなさい。</p>
<p>
当然だけど、そんな妄言に付き合わせる訳にはいかない。</p>
<p>
だけど今の僕はそんな当たり前も――――夢と現実の区別もできないほどに不安定だ。</p>
<p>
自分でも何を口に出すか分からない、だからこの逃避はお互いの為。そう自分の行動を正当化した。</p>
<br>
<p>
……でも、あの三人がこの病院に来ている理由は、一体なんなのだろう?</p>
<p>
真紅、雛苺、ジュン君は、中学の頃から一緒の学校に通っていたと聞いている。</p>
<p>だから珍しい組み合わせでもない……のだけれど、</p>
<p>
今の時間と制服を着ている所から察すると、どうも学校帰りに寄ったようだし……</p>
<br>
<p>
そこで――――思い出した。夢を。僕が、ジュン君を刺した、あの夢の感覚を。</p>
<br>
<p>
途端に心拍数は急上昇、脂汗が吹き出て身体が震え始める。</p>
<p>
まさか、まさか……そんな筈は無い。そんな筈は無いと、頭を振って嫌な想像を追いやる。</p>
<p>
だってあの夢が本当なら、彼は重傷だ。あんな風に自然と歩ける訳が無いのだから。</p>
<p>
しかし、このタイミングで真紅と共に病院へ来るというのは、いささか出来過ぎてはいないだろうか?</p>
<p>
まるで疑って下さいと言わんばかりだ…………僕は自然と爪を噛みつつも、物陰から三人を見張る。</p>
<p>
……理由を、知りたいだけだ。別にそれ以上を求めるつもりは無い。</p>
<p>
ただ、あの夢は夢でしかないのだと信じたいから、僕の足は、細心の注意を払いながら彼らの後に続く。</p>
<p>
あの三人が、この病院に来た理由を確かめる。たったそれだけの為に、素人ながらの尾行を開始した。</p>
<br>
<p>(…………エレベーターに乗るのか)</p>
<br>
<p>幾らなんでも同じエレベーターに乗る事はできない。</p>
<p>
僕は彼らを乗せたそれの扉が閉まるのを確認してから、</p>
<p>
すぐに走り寄って、現在位置を示すフロアのランプを見守る。</p>
<p>エレベータが止まった階は、一つだけだった。</p>
<br>
<p>
(そこは病棟……という事は、誰かのお見舞いなのかな……)</p>
<br>
<p>
戻ってくるエレベーターを待たずに、これから上へ向かおうとしていた隣の物へと乗り込む。</p>
<p>
距離を離された事に焦燥を感じていたのかもしれない。冷静さを欠いている事は明らかだった。</p>
<br>
<p>
(お見舞いだけならそれで良い……どうかそれだけで帰って……お願いだよ……)</p>
<br>
<p>
そう心の中で祈っている間に、目的の階に着いた。僕を待っている筈も無く、彼らの姿は無い。</p>
<p>探さなくては――
だけどこの病院は広い――特定の病室に入られたら、虱潰しに探す事になる――</p>
<p>
焦りが蓄積する……そんな僕の目の前を、一人の看護士が通り掛かった。</p>
<p>丁度良い。この人に聞いてみよう。</p>
<br>
<p>
「あの、すみません。お尋ねしたい事があるんですが」</p>
<p>「―― ええ、よろしいですよ。なんでしょう」</p>
<p>
「先程、この辺りを男女の三人組が通りませんでしたか?</p>
<p> 薔薇学園の制服を着た人達なんですけど……」</p>
<br>
<p>……しまった。『先程』は余計だったかもしれない。</p>
<p>あくまでも単なる人探しを演出すれば良かったのに、</p>
<p>
時間まで指定してしまったら、現在進行形で追跡している事を匂わせてしまう……。</p>
<p>
しかしそれは杞憂だったのか、看護士さんは手鼓を打つと、何の疑いも抱いていない顔で教えてくれた。</p>
<br>
<p>
「あら。じゃあ貴女、もしかして真紅ちゃん達のお友達なのかしら?」</p>
<p>「真紅を知っているんですか?」</p>
<p>
「ええ。雛苺ちゃんとジュン君もね。あの子達もここに随分と長く通っているし」</p>
<br>
<p>
長く通っている……なんだ。つまり病院で彼らを見るのは、そう珍しい事じゃないのか。</p>
<p>
心の中で安堵する。完全に安心しきった訳ではないけれど、今なら妄想説の方が圧倒的に優勢だ。</p>
<p>
看護士さんの態度が急にフランクになった点を考慮しても、</p>
<p>
彼女の言葉は信用できるだろう……少なくとも僕の夢よりは。</p>
<br>
<p>「それなら貴女も、柏葉さんのお友達なのかしら?」</p>
<br>
<p>と、ここで聞き慣れない名前が出てきた。柏葉……?</p>
<p>
それは、今までの話の流れから推測するに、三人が訪ねている張本人、入院患者だと思われる。</p>
<p>
答えは否なのだが、それならどうして僕はここにいるのか、という話になってしまっては事だ。</p>
<br>
<p>
「えっと……あの三人ほど仲良くはないんですけど……</p>
<p>
暫く会ってなくて、最近の事情もよくは知らないといいますか……」</p>
<br>
<p>
……もっときっぱり言い切ればいいのに、我ながら怪しい回答をしてしまった。</p>
<p>
だけどこの人の良い看護士さんは、僕の心配を悉く裏切って、勝手に話を進めてくれる。</p>
<br>
<p>
「……もしかして、柏葉さんがどうして入院しているのか……知らないの?」</p>
<p>「あ、はい……具合、そんなに悪いんですか?」</p>
<p>
「そうか、中学以前の……困ったわね。この場合、守秘義務ってどうなるのかしら……」</p>
<br>
<p>
そう言って一人納得すると、僕を置いて考え込み始めてしまう……。</p>
<p>
最初は、三人が病院に来た理由だけを知りたかった筈なのに、足を突っ込み過ぎてしまったようだ。</p>
<p>
しかし彼女の中で、柏葉さんの友人になっている僕が、今更話を中断させるのもおかしいし……</p>
<br>
<p>
「でも、お見舞いに来たのなら、これから嫌でも知る事になるし……</p>
<p>
もう! 真紅ちゃん達、どうして事前に教えておかないのかしら!」</p>
<p>「……あの、その……そんな、無理にとは」</p>
<p>「だけど貴女、お友達なんでしょう!?」</p>
<p>「う……は、はい……」</p>
<br>
<p>
凄い剣幕に圧されて思わず頷いてしまった。途端に看護士さんは、でしょう、でしょう! と叫び、</p>
<p>
ナースキャップをわしゃわしゃと引っ掻き回して…………とても神妙な顔で、告げた。</p>
<br>
<p>
「気をしっかり持って聞いてね…………柏葉さん、実は一年以上、寝たっきり目覚めていないのよ」</p>
<br>
<br>
<br>
<br>
<p><br>
僕は逃げた。とにかく、看護士さんの前から、病院から、三人の近くから、逃げ出した。</p>
<p>やってしまった……三人の秘密を覗いてしまった……</p>
<p>
自分の思い込みで一方的に彼らを疑って、保身の為に嘘を吐いて、その結果がこれだ。</p>
<p>
自己嫌悪……他人の過去に無許可で踏み込んだ事への後悔、</p>
<p>
理由が知りたいだけという最初の思惑は何処に行ったのか、自分の流され易さが嫌になる……。</p>
<br>
<p>「どうして僕は、いつもこうなんだ……」</p>
<br>
<p>
自分の家、自分の部屋、真っ暗な闇の中で、僕は一人ぽつりと呟く。</p>
<p>
誰かに引っ張られなければ何もできない。誰かに引っ張られてしまえば逆らう事もできない。</p>
<p>
一人じゃ何もできやしない。自分を幾ら探しても、あるのは、影、影、影の暗闇だけで……</p>
<p>
その影は誰の後姿? 翠星石? 違う。翠星石の真似をする、僕自身の影の形だ。</p>
<p>
翠星石がいなければ何もできない。翠星石のいない僕は、蒼星石にもなってはくれない。</p>
<p>
一体誰なんだ、僕は……どんな形をしているんだ、どんな形をしていればいいんだ……!</p>
<br>
<p>「……このままじゃ、僕はまた……」</p>
<br>
<p>
脳裏に過ぎる、忌まわしい過去……自分の身勝手さで、大切なものを見失った過去……</p>
<p>
自分が分からなくて、だから選んでしまった、誰にも覗かれたくない罪……。</p>
<p>
それが甦ろうとする度に、胃の中の物が込み上げてくる。</p>
<p>
翠星石の前で無理をして食べた夕食が、身体の中に留まってくれず、内側から僕を苛み続ける。</p>
<br>
<p>
「僕は……どんな僕でいれば、居るのを許して貰えるんだ……」</p>
<br>
<p>
延々と繰り返される独り言――――しかしそれも、その言葉が最後だった。</p>
<br>
<p>
『簡単だよ蒼星石……君はただ耳を塞いで、使命感に突き動かされていればいいのさ。</p>
<p>
『世界樹』は君の救い――――一人じゃ何も出来ない君に、生きる価値を与える神なのだから』</p>
<br>
<br>
<br>
<br>
<p><br>
もう、何も見えない。何も見たくないし、何もかもがどうでもいい。</p>
<p>
がんがんと、物と物が激しくぶつかり合う音、まるで目覚ましのように、しつこく鳴り続けている。</p>
<br>
<p>
「そうせ――――蒼星石! 止めろ、お前は本当にこの戦いを望んでいるのか!?」</p>
<br>
<p>
……うるさいな。毎回毎回どれだけ痛めつけられても、懲りた素振りも見せず今日も説得とくるか。</p>
<p>
元はと言えば君の所為じゃないのかい? 僕がこんなに苦しいのは。こんなに辛い気持ちになったのは。</p>
<p>
君がこうして夢に出てくるから――僕は現実に疑いを抱いて、自分を見失いかけたんだ。</p>
<br>
<p>
「お前は受け入れていない……『世界樹』の為に戦う事を、心の底から受け入れちゃいない!」</p>
<p>
「……うるさい……僕を否定するな……僕を勝手に決め付けるな……!</p>
<p>
『世界樹』 『世界樹』 『世界樹』 ――――いいじゃないか、何が悪い!?</p>
<p>
確かに分からないよ。『世界樹』が何なのかすら、僕は分かっていないよ!</p>
<p>
でも――『世界樹』の為に戦えって、誰かが言ったんだから――その通りにして何が悪いんだ!」</p>
<p>
「それでいいのかよ、自分の意思を放棄して、言われるがままの操り人形なんて、そんなの……!」</p>
<p>
「だって僕は――――自分が誰なのかも、分からないんだよぉぉぉッッッ!!!」</p>
<br>
<p>
激昂し悲鳴を上げて、しゃにむに鋏を振る。きっとその姿は滑稽で、隙だらけと言う他なかった。</p>
<br>
<p>
「っのぉ! ならせめて、大人しく夜が明けるのを待ってろよ!」</p>
<br>
<p>ジュン君の左手、薔薇の指輪がこちらに向けられた。</p>
<p>
かつての夢と同じ、溢れ出る光の糸。それは鋏を巻き取ると、そのまま僕の身体を縛り付けた。</p>
<br>
<p>「く、くぅ!」</p>
<br>
<p>
腕から強引に離された瞬間、鋏は光の粒になって消え去る。</p>
<p>
力が入らない……自分はもう戦えないと思った瞬間、あれほど猛っていた闘争心もまた、霧散した。</p>
<br>
<p>「蒼星石……」</p>
<p>「…………」</p>
<p>
「……真紅! 説得はできなかったけど、蒼星石はもう戦えな――――」</p>
<br>
<p>
ざく――――大きく勝利を宣言しようとしたジュン君の足から、紫色の水晶が生えた。</p>
<p>その背後には見知った人物、薔薇水晶の姿が在る。</p>
<p>
ジュン君はすぐ真横に転がり、距離を取って薔薇水晶と対峙した――足を水晶に貫かれたまま。</p>
<br>
<p>「薔薇、水晶…………真紅は、どうしたんだ?」</p>
<p>
「……貴方は、真紅に時間稼ぎを頼むべきじゃなかった。</p>
<p>
彼女の実力なら、単独で私を倒す事も不可能じゃなかったのに……</p>
<p>
時間があれば、私にだって隙を突けるチャンスは生まれる……蒼星石に構い過ぎたんだ……」</p>
<br>
<p>
そう言って薔薇水晶が指差した先には、巨大な水晶が幾重にも重ねて作られた牢獄があった。</p>
<p>その隙間からは、真紅の服が覗いている。</p>
<p>
あの中にいるのか。もしかしたら、今のジュン君のように鋭い水晶が刺さっているのかも……</p>
<br>
<p>
「もしかして……蒼星石の次は、私のつもりだったの……?」</p>
<p>
「そんなの……真紅がお前に言っていた事を思い返せば分かるだろう?」</p>
<p>「……貴方達は……本当に甘い」</p>
<br>
<p>
薔薇水晶の言葉を余所に、足を穿ったままの水晶を掴んで引き抜こうとするジュン君……</p>
<p>だけどそれは抜けない。</p>
<p>
彼が腕に力を込める度に、不気味な光を放って振動し、その行動を阻害する。</p>
<p>
それが一体どれだけの苦痛なのか……考えたくもない。まるで拷問を見ているようだ。</p>
<br>
<p>
「それは封印……傷だけを与えても、貴方には意味が無いから……」</p>
<p>「畜生……頭使いやがって……」</p>
<br>
<p>
ジュン君は苦笑いを浮かべる。当然虚勢だ、言葉尻が震えている。</p>
<br>
<p>
「どうするの、ジュン……真紅との契約、切る……?」</p>
<p>「……冗談」</p>
<p>「そう言うと思った……」</p>
<br>
<p>
薔薇水晶は掌を上に高く掲げると、彼に向けて振り下ろす。</p>
<p>
その軌道に導かれるように、暗い空から降り注ぐ水晶の柱――</p>
<p>
それは瞬く間にジュン君を取り囲み、彼の逃げ道を完全に封じた。</p>
<br>
<p>
「貴方は所詮、私達から力を借りているだけの偽者……。</p>
<p>
迷いを抱えた蒼星石ならともかく、一人で私に勝てる道理は無い……」</p>
<br>
<p>そこまで言って、薔薇水晶は僕を見る。</p>
<br>
<p>
「……その目に焼き付けなさい。これが敗者の辿る末路……」</p>
<br>
<p>
背筋が凍る。薔薇水晶は笑っていた、僕の知らない顔で。</p>
<p>
まるで別人だ……僕もあんなだったのだろうか。誰も知らない――蒼星石だったのだろうか。</p>
<br>
<p>「串刺しにしてあげる……」</p>
<br>
<p>彼女はそんな恐ろしい言葉を平気で口にして、</p>
<br>
<p>「……一本目」</p>
<br>
<p>
今まで僕がしてきた事を再現するかの如く、情け容赦の無い行動を開始した。</p>
<p>
水晶と水晶の隙間から、水晶の槍が垂直に差し込まれ、中のジュン君が赤く染まる。</p>
<p>
最初は何が起こったのか分からなかった――――何が起こっているのか、分かりたくなかった。</p>
<br>
<p>「―――― 止めなさい、薔薇水晶ッ!」</p>
<br>
<p>制止を呼びかける叫び声。</p>
<p>振り向けば、未だ水晶に半身を囚われつつも、</p>
<p>
それを砕いて自由を取り戻そうとする真紅の姿があった。</p>
<br>
<p>「二本目」</p>
<br>
<p>ざぷ。まるで津波のように大量の血が撥ねる。</p>
<p>
必死に足掻く真紅……でもあれでは間に合わない……彼を助ける事は、できない……。</p>
<br>
<p>
「薔薇水晶! そんな事をしなくても、貴女だって私達の力を封じる方法を……!」</p>
<p>「三本目」</p>
<br>
<p>
柔らかい音。ジュン君は血達磨に変わり果てて、もうとてもじゃないけど正視に堪えなかった。</p>
<p>
しかし、目を逸らした先に待つのは薔薇水晶の微笑……見た事の無い、薔薇水晶の顔。</p>
<p>
彼女は、ジュン君を見るでもなく、真紅を見るでもなく、僕を見て笑い続けている。</p>
<p>
なんで、どうして僕を見るんだ。まるで僕が悪いみたいじゃないか。僕の所為みたいじゃないか。</p>
<p>
それとも、その行為に同調を求めているのか? できないよ。そんな事できやしない。</p>
<p>
こんなのは使命も何も関係ない、ただの虐殺だ、嬲り殺しにしか思えないよ。</p>
<p>
でも、僕もしたんだ……同じ事を、彼を突き刺して、笑った、笑った、思いっきり笑っていた。</p>
<p>
変わらない。今の薔薇水晶と何も…………ああ、でも、それでも……この苦しい気持ちはなんだ……!</p>
<p>
僕はどうすればいい、分からないよ、翠星石……こんな時、君なら一体どうするんだい……?</p>
<br>
<br>
<br>
<br>
<p><br>
『……蒼星石』</p>
<br>
<p>翠星石―――― 僕は―――― 教えてよ――――</p>
<br>
<p>『出る幕は、ないです』</p>
<br>
<p>―――― え?</p>
<br>
<br>
<br>
<p>
『そんな事で翠星石を頼らなくちゃならないほど、私の妹は馬鹿な子じゃねぇですよ』</p>
<br>
<br>
<br>
<br>
<p><br>
……どう、する?</p>
<br>
<p>「四本目……」</p>
<br>
<p>
翠星石は頼れない――――翠星石には逃げられない……</p>
<p>
僕が、決めなくちゃ……今、この場にいる僕が、これから何をするのか、したいのか……。</p>
<br>
<p>「五本目―― 六本目」</p>
<p>
「ジュン、ジュン…………お願い、返事をして、ジュンッ!」</p>
<br>
<p>
使命も碌に果たせなかった僕は、もう誰からも必要とされないだろう……</p>
<p>
だから……だから? だから裏切るの……? 居場所を失ったから、僕は……僕は……</p>
<br>
<br>
<br>
<p>「……僕は、そこまで馬鹿でいたくない……!」</p>
<br>
<br>
<br>
<p>―――― 縛られたままの右腕に、金色の光が宿る。</p>
<p>
その中から現れたのは、鋏……これまで散々振るってきた物と比べて、とても小さな鋏。</p>
<p>
だけど分かる……これは、今の僕の為に姿を変えた物なのだと、これは僕の物なのだと。</p>
<br>
<p>
脱出する。その為に、この身を縛る光の糸を断ち切った。</p>
<br>
<p>
そして鋏の大きさは再び変わる――――僕の次の目的、目の前の戦いへと参戦する為に。</p>
<br>
<p><a title="aozoranonamida1-2" name="aozoranonamida1-2"></a></p>
<br>
<p>
朝になり、一応は落ち着きを取り戻したものの、大事を取る形で、その日は学校を休んだ。</p>
<p>翠星石は僕に付き添うと申し出てくれたけど、</p>
<p>
これ以上迷惑を掛けるのは居た堪れなかったので、無理矢理学校に送り出させて貰った。</p>
<p>
寝不足と緊張でぼろぼろだった身体は、しかし午前一杯の睡眠で殆ど元通りになっている。</p>
<p>
どうもあの夢の所為で疲れ果てていたのが、今度は夢を見ないで済む方向に働いてくれたらしい。</p>
<p>
全く以って皮肉な話である。正直、ここまで夢に振り回されていると、何だか怒りすら沸いてくる。</p>
<p>
午後になると、僕は病院に向かった。翠星石が予約を取ってくれていたのだ。</p>
<p>
本当に心配を掛けさせてしまっている……流石に内科は違うんじゃないかと思ったけど。</p>
<p>
でも、夢の相談なんて病院自体お門違いだろうし……いや、こういう場合は神経科なのかな……。</p>
<p>
そんな事を考えながら、ありもしない病気の類の検査を終えて、診察室を出ると――――</p>
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<p>(ジュン君……真紅に、雛苺も……)</p>
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<p>見知った顔を見つけて、思わず僕は隠れてしまった。</p>
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だって……会っても、どんな顔をすれば良いのか分からない。</p>
<p>ジュン君、夢の中で君を刺しました、ごめんなさい。</p>
<p>
当然だけど、そんな妄言に付き合わせる訳にはいかない。</p>
<p>
だけど今の僕はそんな当たり前も――――夢と現実の区別もできないほどに不安定だ。</p>
<p>
自分でも何を口に出すか分からない、だからこの逃避はお互いの為。そう自分の行動を正当化した。</p>
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<p>
……でも、あの三人がこの病院に来ている理由は、一体なんなのだろう?</p>
<p>
真紅、雛苺、ジュン君は、中学の頃から一緒の学校に通っていたと聞いている。</p>
<p>だから珍しい組み合わせでもない……のだけれど、</p>
<p>
今の時間と制服を着ている所から察すると、どうも学校帰りに寄ったようだし……</p>
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<p>
そこで――――思い出した。夢を。僕が、ジュン君を刺した、あの夢の感覚を。</p>
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<p>
途端に心拍数は急上昇、脂汗が吹き出て身体が震え始める。</p>
<p>
まさか、まさか……そんな筈は無い。そんな筈は無いと、頭を振って嫌な想像を追いやる。</p>
<p>
だってあの夢が本当なら、彼は重傷だ。あんな風に自然と歩ける訳が無いのだから。</p>
<p>
しかし、このタイミングで真紅と共に病院へ来るというのは、いささか出来過ぎてはいないだろうか?</p>
<p>
まるで疑って下さいと言わんばかりだ…………僕は自然と爪を噛みつつも、物陰から三人を見張る。</p>
<p>
……理由を、知りたいだけだ。別にそれ以上を求めるつもりは無い。</p>
<p>
ただ、あの夢は夢でしかないのだと信じたいから、僕の足は、細心の注意を払いながら彼らの後に続く。</p>
<p>
あの三人が、この病院に来た理由を確かめる。たったそれだけの為に、素人ながらの尾行を開始した。</p>
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<p>(…………エレベーターに乗るのか)</p>
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<p>幾らなんでも同じエレベーターに乗る事はできない。</p>
<p>
僕は彼らを乗せたそれの扉が閉まるのを確認してから、</p>
<p>
すぐに走り寄って、現在位置を示すフロアのランプを見守る。</p>
<p>エレベータが止まった階は、一つだけだった。</p>
<br>
<p>
(そこは病棟……という事は、誰かのお見舞いなのかな……)</p>
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<p>
戻ってくるエレベーターを待たずに、これから上へ向かおうとしていた隣の物へと乗り込む。</p>
<p>
距離を離された事に焦燥を感じていたのかもしれない。冷静さを欠いている事は明らかだった。</p>
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<p>
(お見舞いだけならそれで良い……どうかそれだけで帰って……お願いだよ……)</p>
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<p>
そう心の中で祈っている間に、目的の階に着いた。僕を待っている筈も無く、彼らの姿は無い。</p>
<p>
探さなくては――だけどこの病院は広い――特定の病室に入られたら、虱潰しに探す事になる――</p>
<p>
焦りが蓄積する……そんな僕の目の前を、一人の看護士が通り掛かった。</p>
<p>丁度良い。この人に聞いてみよう。</p>
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「あの、すみません。お尋ねしたい事があるんですが」</p>
<p>「―― ええ、よろしいですよ。なんでしょう」</p>
<p>
「先程、この辺りを男女の三人組が通りませんでしたか?</p>
<p> 薔薇学園の制服を着た人達なんですけど……」</p>
<br>
<p>……しまった。『先程』は余計だったかもしれない。</p>
<p>あくまでも単なる人探しを演出すれば良かったのに、</p>
<p>
時間まで指定してしまったら、現在進行形で追跡している事を匂わせてしまう……。</p>
<p>
しかしそれは杞憂だったのか、看護士さんは手鼓を打つと、何の疑いも抱いていない顔で教えてくれた。</p>
<br>
<p>
「あら。じゃあ貴女、もしかして真紅ちゃん達のお友達なのかしら?」</p>
<p>「真紅を知っているんですか?」</p>
<p>
「ええ。雛苺ちゃんとジュン君もね。あの子達もここに随分と長く通っているし」</p>
<br>
<p>
長く通っている……なんだ。つまり病院で彼らを見るのは、そう珍しい事じゃないのか。</p>
<p>
心の中で安堵する。完全に安心しきった訳ではないけれど、今なら妄想説の方が圧倒的に優勢だ。</p>
<p>
看護士さんの態度が急にフランクになった点を考慮しても、</p>
<p>
彼女の言葉は信用できるだろう……少なくとも僕の夢よりは。</p>
<br>
<p>「それなら貴女も、柏葉さんのお友達なのかしら?」</p>
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<p>と、ここで聞き慣れない名前が出てきた。柏葉……?</p>
<p>
それは、今までの話の流れから推測するに、三人が訪ねている張本人、入院患者だと思われる。</p>
<p>
答えは否なのだが、それならどうして僕はここにいるのか、という話になってしまっては事だ。</p>
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<p>
「えっと……あの三人ほど仲良くはないんですけど……</p>
<p>
暫く会ってなくて、最近の事情もよくは知らないといいますか……」</p>
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<p>
……もっときっぱり言い切ればいいのに、我ながら怪しい回答をしてしまった。</p>
<p>
だけどこの人の良い看護士さんは、僕の心配を悉く裏切って、勝手に話を進めてくれる。</p>
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<p>
「……もしかして、柏葉さんがどうして入院しているのか……知らないの?」</p>
<p>「あ、はい……具合、そんなに悪いんですか?」</p>
<p>
「そうか、中学以前の……困ったわね。この場合、守秘義務ってどうなるのかしら……」</p>
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<p>
そう言って一人納得すると、僕を置いて考え込み始めてしまう……。</p>
<p>
最初は、三人が病院に来た理由だけを知りたかった筈なのに、足を突っ込み過ぎてしまったようだ。</p>
<p>
しかし彼女の中で、柏葉さんの友人になっている僕が、今更話を中断させるのもおかしいし……</p>
<br>
<p>
「でも、お見舞いに来たのなら、これから嫌でも知る事になるし……</p>
<p>
もう! 真紅ちゃん達、どうして事前に教えておかないのかしら!」</p>
<p>「……あの、その……そんな、無理にとは」</p>
<p>「だけど貴女、お友達なんでしょう!?」</p>
<p>「う……は、はい……」</p>
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凄い剣幕に圧されて思わず頷いてしまった。途端に看護士さんは、でしょう、でしょう! と叫び、</p>
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ナースキャップをわしゃわしゃと引っ掻き回して…………とても神妙な顔で、告げた。</p>
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「気をしっかり持って聞いてね…………柏葉さん、実は一年以上、寝たっきり目覚めていないのよ」</p>
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僕は逃げた。とにかく、看護士さんの前から、病院から、三人の近くから、逃げ出した。</p>
<p>やってしまった……三人の秘密を覗いてしまった……</p>
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自分の思い込みで一方的に彼らを疑って、保身の為に嘘を吐いて、その結果がこれだ。</p>
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自己嫌悪……他人の過去に無許可で踏み込んだ事への後悔、</p>
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理由が知りたいだけという最初の思惑は何処に行ったのか、自分の流され易さが嫌になる……。</p>
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<p>「どうして僕は、いつもこうなんだ……」</p>
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自分の家、自分の部屋、真っ暗な闇の中で、僕は一人ぽつりと呟く。</p>
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誰かに引っ張られなければ何もできない。誰かに引っ張られてしまえば逆らう事もできない。</p>
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一人じゃ何もできやしない。自分を幾ら探しても、あるのは、影、影、影の暗闇だけで……</p>
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その影は誰の後姿? 翠星石? 違う。翠星石の真似をする、僕自身の影の形だ。</p>
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翠星石がいなければ何もできない。翠星石のいない僕は、蒼星石にもなってはくれない。</p>
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一体誰なんだ、僕は……どんな形をしているんだ、どんな形をしていればいいんだ……!</p>
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<p>「……このままじゃ、僕はまた……」</p>
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脳裏に過ぎる、忌まわしい過去……自分の身勝手さで、大切なものを見失った過去……</p>
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自分が分からなくて、だから選んでしまった、誰にも覗かれたくない罪……。</p>
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それが甦ろうとする度に、胃の中の物が込み上げてくる。</p>
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翠星石の前で無理をして食べた夕食が、身体の中に留まってくれず、内側から僕を苛み続ける。</p>
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「僕は……どんな僕でいれば、居るのを許して貰えるんだ……」</p>
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延々と繰り返される独り言――――しかしそれも、その言葉が最後だった。</p>
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『簡単だよ蒼星石……君はただ耳を塞いで、使命感に突き動かされていればいいのさ。</p>
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『世界樹』は君の救い――――一人じゃ何も出来ない君に、生きる価値を与える神なのだから』</p>
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もう、何も見えない。何も見たくないし、何もかもがどうでもいい。</p>
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がんがんと、物と物が激しくぶつかり合う音、まるで目覚ましのように、しつこく鳴り続けている。</p>
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「そうせ――――蒼星石! 止めろ、お前は本当にこの戦いを望んでいるのか!?」</p>
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……うるさいな。毎回毎回どれだけ痛めつけられても、懲りた素振りも見せず今日も説得とくるか。</p>
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元はと言えば君の所為じゃないのかい? 僕がこんなに苦しいのは。こんなに辛い気持ちになったのは。</p>
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君がこうして夢に出てくるから――僕は現実に疑いを抱いて、自分を見失いかけたんだ。</p>
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「お前は受け入れていない……『世界樹』の為に戦う事を、心の底から受け入れちゃいない!」</p>
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「……うるさい……僕を否定するな……僕を勝手に決め付けるな……!</p>
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『世界樹』 『世界樹』 『世界樹』 ――――いいじゃないか、何が悪い!?</p>
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確かに分からないよ。『世界樹』が何なのかすら、僕は分かっていないよ!</p>
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でも――『世界樹』の為に戦えって、誰かが言ったんだから――その通りにして何が悪いんだ!」</p>
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「それでいいのかよ、自分の意思を放棄して、言われるがままの操り人形なんて、そんなの……!」</p>
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「だって僕は――――自分が誰なのかも、分からないんだよぉぉぉッッッ!!!」</p>
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激昂し悲鳴を上げて、しゃにむに鋏を振る。きっとその姿は滑稽で、隙だらけと言う他なかった。</p>
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「っのぉ! ならせめて、大人しく夜が明けるのを待ってろよ!」</p>
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<p>ジュン君の左手、薔薇の指輪がこちらに向けられた。</p>
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かつての夢と同じ、溢れ出る光の糸。それは鋏を巻き取ると、そのまま僕の身体を縛り付けた。</p>
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<p>「く、くぅ!」</p>
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腕から強引に離された瞬間、鋏は光の粒になって消え去る。</p>
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力が入らない……自分はもう戦えないと思った瞬間、あれほど猛っていた闘争心もまた、霧散した。</p>
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<p>「蒼星石……」</p>
<p>「…………」</p>
<p>
「……真紅! 説得はできなかったけど、蒼星石はもう戦えな――――」</p>
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ざく――――大きく勝利を宣言しようとしたジュン君の足から、紫色の水晶が生えた。</p>
<p>その背後には見知った人物、薔薇水晶の姿が在る。</p>
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ジュン君はすぐ真横に転がり、距離を取って薔薇水晶と対峙した――足を水晶に貫かれたまま。</p>
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<p>「薔薇、水晶…………真紅は、どうしたんだ?」</p>
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「……貴方は、真紅に時間稼ぎを頼むべきじゃなかった。</p>
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彼女の実力なら、単独で私を倒す事も不可能じゃなかったのに……</p>
<p>
時間があれば、私にだって隙を突けるチャンスは生まれる……蒼星石に構い過ぎたんだ……」</p>
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そう言って薔薇水晶が指差した先には、巨大な水晶が幾重にも重ねて作られた牢獄があった。</p>
<p>その隙間からは、真紅の服が覗いている。</p>
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あの中にいるのか。もしかしたら、今のジュン君のように鋭い水晶が刺さっているのかも……</p>
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「もしかして……蒼星石の次は、私のつもりだったの……?」</p>
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「そんなの……真紅がお前に言っていた事を思い返せば分かるだろう?」</p>
<p>「……貴方達は……本当に甘い」</p>
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薔薇水晶の言葉を余所に、足を穿ったままの水晶を掴んで引き抜こうとするジュン君……</p>
<p>だけどそれは抜けない。</p>
<p>
彼が腕に力を込める度に、不気味な光を放って振動し、その行動を阻害する。</p>
<p>
それが一体どれだけの苦痛なのか……考えたくもない。まるで拷問を見ているようだ。</p>
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「それは封印……傷だけを与えても、貴方には意味が無いから……」</p>
<p>「畜生……頭使いやがって……」</p>
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<p>
ジュン君は苦笑いを浮かべる。当然虚勢だ、言葉尻が震えている。</p>
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「どうするの、ジュン……真紅との契約、切る……?」</p>
<p>「……冗談」</p>
<p>「そう言うと思った……」</p>
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薔薇水晶は掌を上に高く掲げると、彼に向けて振り下ろす。</p>
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その軌道に導かれるように、暗い空から降り注ぐ水晶の柱――</p>
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それは瞬く間にジュン君を取り囲み、彼の逃げ道を完全に封じた。</p>
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<p>
「貴方は所詮、私達から力を借りているだけの偽者……。</p>
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迷いを抱えた蒼星石ならともかく、一人で私に勝てる道理は無い……」</p>
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<p>そこまで言って、薔薇水晶は僕を見る。</p>
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「……その目に焼き付けなさい。これが敗者の辿る末路……」</p>
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背筋が凍る。薔薇水晶は笑っていた、僕の知らない顔で。</p>
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まるで別人だ……僕もあんなだったのだろうか。誰も知らない――蒼星石だったのだろうか。</p>
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<p>「串刺しにしてあげる……」</p>
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<p>彼女はそんな恐ろしい言葉を平気で口にして、</p>
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<p>「……一本目」</p>
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今まで僕がしてきた事を再現するかの如く、情け容赦の無い行動を開始した。</p>
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水晶と水晶の隙間から、水晶の槍が垂直に差し込まれ、中のジュン君が赤く染まる。</p>
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最初は何が起こったのか分からなかった――――何が起こっているのか、分かりたくなかった。</p>
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<p>「―――― 止めなさい、薔薇水晶ッ!」</p>
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<p>制止を呼びかける叫び声。</p>
<p>振り向けば、未だ水晶に半身を囚われつつも、</p>
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それを砕いて自由を取り戻そうとする真紅の姿があった。</p>
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<p>「二本目」</p>
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<p>ざぷ。まるで津波のように大量の血が撥ねる。</p>
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必死に足掻く真紅……でもあれでは間に合わない……彼を助ける事は、できない……。</p>
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「薔薇水晶! そんな事をしなくても、貴女だって私達の力を封じる方法を……!」</p>
<p>「三本目」</p>
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柔らかい音。ジュン君は血達磨に変わり果てて、もうとてもじゃないけど正視に堪えなかった。</p>
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しかし、目を逸らした先に待つのは薔薇水晶の微笑……見た事の無い、薔薇水晶の顔。</p>
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彼女は、ジュン君を見るでもなく、真紅を見るでもなく、僕を見て笑い続けている。</p>
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なんで、どうして僕を見るんだ。まるで僕が悪いみたいじゃないか。僕の所為みたいじゃないか。</p>
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それとも、その行為に同調を求めているのか? できないよ。そんな事できやしない。</p>
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こんなのは使命も何も関係ない、ただの虐殺だ、嬲り殺しにしか思えないよ。</p>
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でも、僕もしたんだ……同じ事を、彼を突き刺して、笑った、笑った、思いっきり笑っていた。</p>
<p>
変わらない。今の薔薇水晶と何も…………ああ、でも、それでも……この苦しい気持ちはなんだ……!</p>
<p>
僕はどうすればいい、分からないよ、翠星石……こんな時、君なら一体どうするんだい……?</p>
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『……蒼星石』</p>
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<p>翠星石―――― 僕は―――― 教えてよ――――</p>
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<p>『出る幕は、ないです』</p>
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<p>―――― え?</p>
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『そんな事で翠星石を頼らなくちゃならないほど、私の妹は馬鹿な子じゃねぇですよ』</p>
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……どう、する?</p>
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<p>「四本目……」</p>
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翠星石は頼れない――――翠星石には逃げられない……</p>
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僕が、決めなくちゃ……今、この場にいる僕が、これから何をするのか、したいのか……。</p>
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<p>「五本目―― 六本目」</p>
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「ジュン、ジュン…………お願い、返事をして、ジュンッ!」</p>
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使命も碌に果たせなかった僕は、もう誰からも必要とされないだろう……</p>
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だから……だから? だから裏切るの……? 居場所を失ったから、僕は……僕は……</p>
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<p>「……僕は、そこまで馬鹿でいたくない……!」</p>
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<p>―――― 縛られたままの右腕に、金色の光が宿る。</p>
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その中から現れたのは、鋏……これまで散々振るってきた物と比べて、とても小さな鋏。</p>
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だけど分かる……これは、今の僕の為に姿を変えた物なのだと、これは僕の物なのだと。</p>
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脱出する。その為に、この身を縛る光の糸を断ち切った。</p>
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そして鋏の大きさは再び変わる――――僕の次の目的、目の前の戦いへと参戦する為に。</p>
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