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「蒼空のシュヴァリエ」第十九回」(2010/01/31 (日) 23:45:18) の最新版変更点

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<p>戦時下の東京に、動きがあった。<br /><br /> 昭和20年8月10日、朝。<br /> 皇居の地下会議室から出てきた大臣らの目は涙に濡れていた。<br /> 天皇の臨席のもと、徹夜に及んだ最高戦争指導会議は、憲政史上例の無い方法で結論を出したのである。<br /> …皆が皇居から退出しようとする中、鈴木貫太郎首相は、陸軍省へ戻ろうとする阿南惟幾陸相の後姿に呼びかけた。<br />  「陸軍の事、よろしく頼みます」<br /> 振り返った阿南陸相は、鈴木に向き直り礼をして歩き去った。<br /> 自分と志を同じくする鈴木の言葉の意味を噛み締めながら。<br /><br /> 車で陸軍省に戻った阿南陸相はとりあえず一旦自分の執務室に向かっていた。<br /> その途上、昨日海軍特攻と長崎原爆投下を伝えに来た陸軍省部員が走り寄ってきた。<br />  「陸相、ご指示の調査が終わりました」<br /> 阿「調査…ああ、海軍第443航空隊の特攻のことか。大本営発表は聞いたが…果たして信憑性に足るのか?」<br />  「それが…これをご覧下さい」<br /> 省部員が阿南に『軍極秘』と朱で記された大きな封を渡す。<br /> それを開いて中身を見た阿南は…思わず息を飲んだ。<br /> 阿「これは…!!」<br /> まず彼の目を引いたのは、大きく現像されたモノクロの写真だった。<br /> かなり高精度なカメラで撮影されたのであろうその写真には…舷側が破れ傾斜する巨大な空母が写っていた。<br />  「敵第58機動部隊の空母です。爆撃を受けて傾斜していると思われるこの4艦は、それぞれ、<br />   エセックス級1、ヨークタウン級1、レキシントン級2、全て正規空母…です。そして、最後の写真は…」<br /> 言われた阿南は最後の写真を見た。<br /> 驚愕が、彼の身体を走り抜けた。<br /> そこには、一隻の巨大な空母が、炎を吹き上げて海に沈まんとするさまが大きく写っていたのだから。<br /> 阿「…!!」<br /> 省部員は一瞬身を正し、言った。<br />  「敵旗艦空母、『キティーホーク』、であります!」<br /> 阿「…とすると、敵のフィッチャー提督は…」<br />  「艦と運命を共にしたことは間違いないでしょう…」<br /> 驚きつつも、阿南は冷静につとめて問うた。<br /> 阿「…いや、そもそも、どうしてこのような写真や報告が存在しているのだ?<br />   戦果報告機が同行していたのか?敵の真っ只中に…」<br />  「はい。本日夜明け前、大阪の海軍司令部上空に第443航空隊の戦闘機一機が飛来し、特攻の<br />   あらましの報告とフィルムが入った通信筒を投下して原隊へ去った、とのことです」<br /> 阿「たった一機で…そうか…」<br />  「…彼らはよくやってくれたと思います。本日は本土に対する敵艦載機の襲撃が報告されて<br />   おりません。彼らが…身を挺してくれたお陰です。危険な戦果報告機の搭乗員も含めて…」<br /> 阿「そうだな…」<br /> 聞いていて阿南は、今日2度目に目頭が熱くなるのが分かった。<br /> 自分達、軍首脳が事を決めかねている間に、前線の将兵らは本土の人びとを守らんと散っていったのだ。<br /> …そしてその目的は見事に達成されたのだ。<br /> 阿「…ぜひこの事を陛下に上奏したかったな。<br />   願わくば第443航空隊にも感状を送りたいが…彼らが海軍の部隊ではな…」<br /> 残念そうにつぶやく阿南。まなじりを拭っている省部員は、これを聞いて阿南に言った。<br />  「陸相、これをご覧下さい。…これで陸軍からも感状が送れます」<br /> 省部員が示した、機上で殴り書きされたのであろう特攻の経過報告書の一文を見た阿南は、特攻隊員のうち<br /> 2名の所属を見て…顔をほころばせて頷いた。<br /> 同時に、残りの3人がなぜ特攻を決意したのかという理由が記された一文を読んで…また涙を溢れさせた。<br /><br /> …敵機動部隊が戦力を回復する前に、事をなしてしまわねば。<br /> …君達の死を、無駄には出来ない。<br /><br /> 『陸軍省各課の高級部員以上は9時30分に集合せよ』<br /> 阿南陸相の命令で、陸軍省地下壕には多数の部員や将校が集められていた。<br /> その中には多数の徹底抗戦派…何が何でも本土決戦を主張する若手陸軍将校がおり、陸相が入って<br /> 来るや直立不動で敬礼した。敬礼を返して一同に向き直った阿南陸相に、一人の将校が声を上げた。<br />  「陸相閣下!自分らは本土にて敵上陸を待ち、これを撃滅せんと覚悟を決めております!」<br /> 同意の声があちこちからあがった。<br /> だが、阿南陸相はこれを退けた。<br /> 阿「…軽挙妄動は慎め。貴様らは性急過ぎる。今が帝國の重大事と分からんのか」<br />  「陸相は我々が軽挙だと仰るのですか!?」<br /> 血の気の多い若者特有の苛立ちが、阿南には何となく憐れに思えた。<br /> 阿「その通りだ」<br />  「自分らは陛下の御為に本土にて散る覚悟です!陸相、自分らに一言死ねと命令して頂ければ…」<br /> 陸軍にいながら、前線で戦っているわけではない若者達の後ろめたさが滲み出ている。<br /> 阿南はそんな彼らを複雑な思いで見回し、重々しく言った。<br /> 阿「最高戦争指導者会議は結論を下した。帝國は…ポツダム宣言を受諾する」<br /> 将校らは一瞬黙り込んだ。皆、愕然とした表情で凍りついた…が、すぐに爆発した。<br />  「どういう事ですか!陸相閣下は本土決戦を主張されていたのではなかったのですか!?<br />   我々は陸相閣下を信じてついてきたのですよ!」<br /> 阿「…」<br />  「到底承服できません!陸相閣下には失望した!即刻陸相を辞め、内閣を総辞職させて頂きたい!」<br /> 本土決戦を…公には主張していた阿南は、もちろん職を辞して鈴木内閣を倒そうとする方法を採る事も<br /> できた。その上で後任の陸軍大臣を出さなければ、次の組閣を…ひいては宣言受諾を妨害できる。<br /> しかし、昭和天皇の真意を知る阿南には、最初からそんな大それた事をするつもりはなかったし、<br /> 仮に今更そんな事をしたところで無駄だったのだが。<br /> …ついに阿南は、彼らを説得し得る最後の切り札を出した。<br /> 阿「この決定が、天皇陛下おん自ら下されたものと知っても承知できんか」<br />  「!!!」<br /> 将校らは大きくどよめいた。<br /> 阿「…陛下は御聖断を下された。ポツダム宣言の受諾を御決心あそばされた」<br />  「そんな…まさか…」<br /> 無理も無かった。彼ら陸軍若手の本土決戦派将校が最も恐れていたのが、天皇の「御聖断」だった。<br /> …天皇・皇室を守らんと、ポツダム宣言受諾を拒む彼らも、その天皇自ら出した御聖断には…<br /> 絶対に逆らえようはずも無い。御前会議で、天皇が涙とともに宣言受諾を宣したときの畏れ多さと<br /> 感動を…阿南は思い出していた。国体護持を普段叫びながら、誰も国体が何なのか知らなかった。<br /> 阿「…陛下が畏れ多くも最終的な決定を下されたのだ」<br /> 阿南は我が子を諭すように言った。しかし、動揺した将校らは平静を失っていた。<br />  「自分らには認められません!君側の奸が聖君の思し召しを曇らせた例は古今あまりにも多い!」<br /> 阿「…」<br />  「陸相もご存知でしょう!?先日、海軍の特攻隊が敵の第58機動部隊を攻撃し、多大なる損害を強いた事を!<br />   海軍は一矢報いたのです!我々陸軍が何もせぬまま降伏など、到底受け入れられません!」<br /> 予想されていた主張に、阿南は応えた。<br /> 阿「貴様らはあの部隊に我が陸軍兵士2名が含まれていたことまでは知らんようだな。あの作戦は、<br />   陸海軍協同の、最初で最後の…見事な作戦じゃ。我が陸軍も最後に華を添えたのだ。もう…良かろう」<br /> 将校らは一瞬押し黙ったが、もう引き返せないとばかりに叫んだ。<br />  「…だとしても、降伏など恥辱の極みです!」<br /> 阿「不服かっ!?」<br />  「不服です!!」<br /> 阿「よし!ならば貴様ら、この阿南を殺せ!!」<br />  「!!!!」<br /> 阿「良いか!?これは御聖断だ!貴様らは皇軍兵士である!その貴様らが御聖断をないがしろにして<br />   軍の結束を乱すようなことは、陸相たるわしの目の黒いうちは断じてさせん!」<br /> …もはや誰も逆らえなかった。すすり泣きが地下壕に広がった。<br /> 後日に小規模なクーデターが発生することにはなるが…こうして陸軍の徹底抗戦派の動きはほぼ抑えられた。<br /> 憲法上の規定に寄らない最高決定であったが、これで本土決戦の悲劇は回避されることとなった。<br /><br /> やがて、8月15日。<br /> その日の朝も、抜けるような空が広がっていた。<br /> 鵜来基地に翻る日の丸は、海からの潮風にゆっくりとなびいていた。<br /> 4人の乙女は6日前の哀しみから少しづつ立ち直り、話の中に笑顔すら戻るようになった。<br /> 8時ごろ、四国から柴崎老人が伝馬船で鵜来島を訪れ、食料を届けに来た。<br /> この時はじめて水銀燈は柴崎老人と対面したのである。<br /> 柴「ここ数日は敵の艦載機の攻撃が無くて安心して海に出られるわい」<br /> 屈託なく笑う柴崎。蒼星石たちは桜田達のことを思い出して少し胸が痛んだ。<br /> 蒼「お爺さん、彼女が…水銀燈だよ」<br /> 柴「おお…意識を取り戻したんか。良かったのう」<br /> 柴崎は何を間違えたのか、言葉が通じず戸惑う水銀燈に歩み寄り、その手の甲を取って口付けをした。<br /> 銀『ちょ、ちょっとぉ…///』<br /> 蒼「わあ…」<br /> 雪「あらあら」<br /> 薔「おお、積極的な」<br /> 柴「いっときは銃火を交えた敵じゃったが…元気になってくれて本当に嬉しいわい」<br /> 目を細めて言う柴崎。水銀燈は顔を赤らめてどぎまぎしている。<br /> 蒼『お爺さんは、元気な君と会えて嬉しいってさ』<br /> 銀『そぉ…ありがとうと伝えて///』<br /> 蒼「ありがとう、だってよ、お爺さん」<br /> 柴「そうかい…」<br /> 国籍を越えて心が通じた瞬間だった。<br /> 柴「そうそう…新聞をもって来たぞい」<br /> 思い出したように柴崎は、荷物の中から新聞を取り出した。<br /> 物資も燃料も不足しているため、3日前に発行されてやっと届いた紙面の薄い新聞が広げられる。<br /> ニュースに飢えていた蒼星石たちは思わずこれに飛びつく。<br /> その第一面の写真を見て、水銀燈はあやうく声を上げそうになった。<br /> 銀『キティーホークじゃなぁい…』<br /> 蒼星石が決死の飛行で撮影した桜田達の最期の写真が、そこに載っていた。<br /> …水銀燈の前で新聞を広げたのは配慮に欠けていたか?蒼星石は少し後悔した。<br /> 蒼『…ごめん。君がいる前で…』<br /> 銀『いいのよ。…私は、ここにいるんですもの』<br /> 気丈に応える水銀燈。…サクラダは、私と入れ替わりに、あそこで死んでしまったのね。<br /> 雪「蒼星石が…これを撮影したんですわね…」<br /> 薔「よく、ここまで…」<br /> 柴「あの青年達は逝ってしもうたのか…惜しいのう…」<br /> 感慨にふける一同。<br /> と、また柴崎が口を開いた。<br /> 柴「…そう言えば、今日は正午にラジオで重大放送があるらしいのぉ。皆それを聞かねばならんとな」<br /> 蒼「重大放送…!?」<br /> 蒼星石も、薔薇水晶と雪華綺晶も、これを聞いて身が震えた。<br /> 雪「まさか…それって…」<br /> 皆の予想は二つ。<br /> 大本営が本土決戦の決定を発表するのか…もしくは、日本の敗北を発表するのか。<br /> もの珍しそうに荷物の中のサツマイモを覗く水銀燈を除き、皆はしばし黙り込んでいた。<br /><br /> そして、昼すこし前。<br /> 柴崎は四国へ戻り、蒼星石は無線室のラジオのスイッチを入れた。<br /> 日本語が分からない水銀燈は、一人焼け付くような砂浜に向かい、身にまとうものを全て脱いで水浴びをしている。<br /><br /> 正午の時報が鳴った。アナウンサーが口を開く。<br /> 『只今より、重大なる放送があります。全国聴取者の皆様は御起立願います。天皇陛下におかれましては、<br /> 全国民に対し、畏くも御自ら大詔を宣らせ給う事になりました。これよりつつしみて玉音をお送り申します…』<br /> …天皇陛下の玉音!!?<br /> 蒼星石、薔薇水晶、雪華綺晶は驚愕した。<br /> これは尋常な放送ではない。3人は、思わず頭を下げてラジオに向かう。<br /><br /> 君が代の演奏の後に、かつてこれまで国民の耳にしたことがなかった天皇の肉声が流れ始めた。<br /> 独特の祝詞調の抑揚と難解な言葉が、この場にいた全員の理解を困難にした。<br /> …だが、蒼星石も薔薇水晶も雪華綺晶も、はっきりと分かったことがあった。<br /><br /> 『米英支ソ四国に対し、その共同宣言を受諾する旨通告せしめたり』。<br /><br /> 宣言の受諾。<br /> その内容そのものは分からなかったが、これは降伏以外の何ものにも他ならなかった。<br /> 日本は、敗れたのだ。<br /> 彼女達は、前線で戦闘に携わる者として、いずれこうなるであろうことは既に予測していた。<br /> 正直、早くこの戦が終わらないものかと、全員が口には出さねど願っていた。<br /> …が、ほっとした反面、言いようのない悲哀、悔しさが、蒼星石達3人の心を締め付けた。<br /><br /> 『敵は新たに残虐なる爆弾を使用して頻(いたずら)に無辜(むこ)を殺傷し惨害の及ぶ所真に測るべからざるに至る』<br /><br /> 蒼星石は、玉音のこの一文を聞いて、思わず嗚咽を上げた。<br /> …ああ、原子爆弾に未来を奪われた桜田司令!梅岡少尉!笹塚飛曹長!<br /> …そして、その死を共にした白崎少尉!槐少尉!<br /> …戦争は終わりました!しかし、あなた達の死は、この戦の終わりに間に合った!<br />  その最後に、人々を守るための鮮烈な炎として燃え尽きたのです!…<br /><br /> 『堪え難きを堪え、忍び難きを忍び以て万世の為に太平を開かんと欲す』…。<br /><br /> 無線室は涙で一杯になった。日本中が、様々な思いを抱えつつ呆然と立ち尽くした瞬間だった。<br /><br /> …玉音放送の終わった無線室から、日差しの照りつける外に出た3人。<br /> 終戦などはつゆ知らずといったように、林からは激しい蝉時雨が聞こえている。<br /> 蒼星石は、いや薔薇水晶も雪華綺晶も、その青空を見上げずに入られなかった。<br /> …日本は負けた。自分達の力が及ばなかった事は実に悔しい。<br /> …だけど、もうこの空で戦うことも、怯えつつ空を見張ることも、空襲に震えて眠ることも無い。<br /><br /> 日差しに輝く銀髪から雫を滴らせ、食欲が戻り適度にすらりとした身体を濡らして水浴び中の水銀燈は、<br /> 眼を真っ赤にしつつもどこか吹っ切れたような様子で歩いてくる3人を見て、波打ち際へ戻った。<br /> …3人が何を知ったのか、水銀燈には何となく分かっていた。<br /><br /> 蒼『戦争は…終わったよ』<br /> 銀『…そう』</p> <p><br /> どちらからともなく、二人は抱き合った。<br /> かつて敵同士として、実際に銃火をも交えたことのある蒼星石と水銀燈は…気づけば、ゆっくりと唇を重ねていた。<br /><br /> この日をもって、日本が建国以来例を見ない壮絶な総力戦を戦った大東亜戦争は、その終わりを告げた…。</p>
<p>戦時下の東京に、動きがあった。<br /><br /> 昭和20年8月10日、朝。<br /> 皇居の地下会議室から出てきた大臣らの目は涙に濡れていた。<br /> 天皇の臨席のもと、徹夜に及んだ最高戦争指導会議は、憲政史上例の無い方法で結論を出したのである。<br /> …皆が皇居から退出しようとする中、鈴木貫太郎首相は、陸軍省へ戻ろうとする阿南惟幾陸相の後姿に呼びかけた。<br />  「陸軍の事、よろしく頼みます」<br /> 振り返った阿南陸相は、鈴木に向き直り礼をして歩き去った。<br /> 自分と志を同じくする鈴木の言葉の意味を噛み締めながら。<br /><br /> 車で陸軍省に戻った阿南陸相はとりあえず一旦自分の執務室に向かっていた。<br /> その途上、昨日海軍特攻と長崎原爆投下を伝えに来た陸軍省部員が走り寄ってきた。<br />  「陸相、ご指示の調査が終わりました」<br /> 阿「調査…ああ、海軍第443航空隊の特攻のことか。大本営発表は聞いたが…果たして信憑性に足るのか?」<br />  「それが…これをご覧下さい」<br /> 省部員が阿南に『軍極秘』と朱で記された大きな封を渡す。<br /> それを開いて中身を見た阿南は…思わず息を飲んだ。<br /> 阿「これは…!!」<br /> まず彼の目を引いたのは、大きく現像されたモノクロの写真だった。<br /> かなり高精度なカメラで撮影されたのであろうその写真には…舷側が破れ傾斜する巨大な空母が写っていた。<br />  「敵第58機動部隊の空母です。爆撃を受けて傾斜していると思われるこの4艦は、それぞれ、<br />   エセックス級1、ヨークタウン級1、レキシントン級2、全て正規空母…です。そして、最後の写真は…」<br /> 言われた阿南は最後の写真を見た。<br /> 驚愕が、彼の身体を走り抜けた。<br /> そこには、一隻の巨大な空母が、炎を吹き上げて海に沈まんとするさまが大きく写っていたのだから。<br /> 阿「…!!」<br /> 省部員は一瞬身を正し、言った。<br />  「敵旗艦空母、『キティーホーク』、であります!」<br /> 阿「…とすると、敵のフィッチャー提督は…」<br />  「艦と運命を共にしたことは間違いないでしょう…」<br /> 驚きつつも、阿南は冷静につとめて問うた。<br /> 阿「…いや、そもそも、どうしてこのような写真や報告が存在しているのだ?<br />   戦果報告機が同行していたのか?敵の真っ只中に…」<br />  「はい。本日夜明け前、大阪の海軍司令部上空に第443航空隊の戦闘機一機が飛来し、特攻の<br />   あらましの報告とフィルムが入った通信筒を投下して原隊へ去った、とのことです」<br /> 阿「たった一機で…そうか…」<br />  「…彼らはよくやってくれたと思います。本日は本土に対する敵艦載機の襲撃が報告されて<br />   おりません。彼らが…身を挺してくれたお陰です。危険な戦果報告機の搭乗員も含めて…」<br /> 阿「そうだな…」<br /> 聞いていて阿南は、今日2度目に目頭が熱くなるのが分かった。<br /> 自分達、軍首脳が事を決めかねている間に、前線の将兵らは本土の人びとを守らんと散っていったのだ。<br /> …そしてその目的は見事に達成されたのだ。<br /> 阿「…ぜひこの事を陛下に上奏したかったな。<br />   願わくば第443航空隊にも感状を送りたいが…彼らが海軍の部隊ではな…」<br /> 残念そうにつぶやく阿南。まなじりを拭っている省部員は、これを聞いて阿南に言った。<br />  「陸相、これをご覧下さい。…これで陸軍からも感状が送れます」<br /> 省部員が示した、機上で殴り書きされたのであろう特攻の経過報告書の一文を見た阿南は、特攻隊員のうち<br /> 2名の所属を見て…顔をほころばせて頷いた。<br /> 同時に、残りの3人がなぜ特攻を決意したのかという理由が記された一文を読んで…また涙を溢れさせた。<br /><br /> …敵機動部隊が戦力を回復する前に、事をなしてしまわねば。<br /> …君達の死を、無駄には出来ない。<br /><br /> 『陸軍省各課の高級部員以上は9時30分に集合せよ』<br /> 阿南陸相の命令で、陸軍省地下壕には多数の部員や将校が集められていた。<br /> その中には多数の徹底抗戦派…何が何でも本土決戦を主張する若手陸軍将校がおり、陸相が入って<br /> 来るや直立不動で敬礼した。敬礼を返して一同に向き直った阿南陸相に、一人の将校が声を上げた。<br />  「陸相閣下!自分らは本土にて敵上陸を待ち、これを撃滅せんと覚悟を決めております!」<br /> 同意の声があちこちからあがった。<br /> だが、阿南陸相はこれを退けた。<br /> 阿「…軽挙妄動は慎め。貴様らは性急過ぎる。今が帝國の重大事と分からんのか」<br />  「陸相は我々が軽挙だと仰るのですか!?」<br /> 血の気の多い若者特有の苛立ちが、阿南には何となく憐れに思えた。<br /> 阿「その通りだ」<br />  「自分らは陛下の御為に本土にて散る覚悟です!陸相、自分らに一言死ねと命令して頂ければ…」<br /> 陸軍にいながら、前線で戦っているわけではない若者達の後ろめたさが滲み出ている。<br /> 阿南はそんな彼らを複雑な思いで見回し、重々しく言った。<br /> 阿「最高戦争指導者会議は結論を下した。帝國は…ポツダム宣言を受諾する」<br /> 将校らは一瞬黙り込んだ。皆、愕然とした表情で凍りついた…が、すぐに爆発した。<br />  「どういう事ですか!陸相閣下は本土決戦を主張されていたのではなかったのですか!?<br />   我々は陸相閣下を信じてついてきたのですよ!」<br /> 阿「…」<br />  「到底承服できません!陸相閣下には失望した!即刻陸相を辞め、内閣を総辞職させて頂きたい!」<br /> 本土決戦を…公には主張していた阿南は、もちろん職を辞して鈴木内閣を倒そうとする方法を採る事も<br /> できた。その上で後任の陸軍大臣を出さなければ、次の組閣を…ひいては宣言受諾を妨害できる。<br /> しかし、昭和天皇の真意を知る阿南には、最初からそんな大それた事をするつもりはなかったし、<br /> 仮に今更そんな事をしたところで無駄だったのだが。<br /> …ついに阿南は、彼らを説得し得る最後の切り札を出した。<br /> 阿「この決定が、天皇陛下おん自ら下されたものと知っても承知できんか」<br />  「!!!」<br /> 将校らは大きくどよめいた。<br /> 阿「…陛下は御聖断を下された。ポツダム宣言の受諾を御決心あそばされた」<br />  「そんな…まさか…」<br /> 無理も無かった。彼ら陸軍若手の本土決戦派将校が最も恐れていたのが、天皇の「御聖断」だった。<br /> …天皇・皇室を守らんと、ポツダム宣言受諾を拒む彼らも、その天皇自ら出した御聖断には…<br /> 絶対に逆らえようはずも無い。御前会議で、天皇が涙とともに宣言受諾を宣したときの畏れ多さと<br /> 感動を…阿南は思い出していた。国体護持を普段叫びながら、誰も国体が何なのか知らなかった。<br /> 阿「…陛下が畏れ多くも最終的な決定を下されたのだ」<br /> 阿南は我が子を諭すように言った。しかし、動揺した将校らは平静を失っていた。<br />  「自分らには認められません!君側の奸が聖君の思し召しを曇らせた例は古今あまりにも多い!」<br /> 阿「…」<br />  「陸相もご存知でしょう!?先日、海軍の特攻隊が敵の第58機動部隊を攻撃し、多大なる損害を強いた事を!<br />   海軍は一矢報いたのです!我々陸軍が何もせぬまま降伏など、到底受け入れられません!」<br /> 予想されていた主張に、阿南は応えた。<br /> 阿「貴様らはあの部隊に我が陸軍兵士2名が含まれていたことまでは知らんようだな。あの作戦は、<br />   陸海軍協同の、最初で最後の…見事な作戦じゃ。我が陸軍も最後に華を添えたのだ。もう…良かろう」<br /> 将校らは一瞬押し黙ったが、もう引き返せないとばかりに叫んだ。<br />  「…だとしても、降伏など恥辱の極みです!」<br /> 阿「不服かっ!?」<br />  「不服です!!」<br /> 阿「よし!ならば貴様ら、この阿南を殺せ!!」<br />  「!!!!」<br /> 阿「良いか!?これは御聖断だ!貴様らは皇軍兵士である!その貴様らが御聖断をないがしろにして<br />   軍の結束を乱すようなことは、陸相たるわしの目の黒いうちは断じてさせん!」<br /> …もはや誰も逆らえなかった。すすり泣きが地下壕に広がった。<br /> 後日に小規模なクーデターが発生することにはなるが…こうして陸軍の徹底抗戦派の動きはほぼ抑えられた。<br /> 憲法上の規定に寄らない最高決定であったが、これで本土決戦の悲劇は回避されることとなった。<br /><br /> やがて、8月15日。<br /> その日の朝も、抜けるような空が広がっていた。<br /> 鵜来基地に翻る日の丸は、海からの潮風にゆっくりとなびいていた。<br /> 4人の乙女は6日前の哀しみから少しづつ立ち直り、話の中に笑顔すら戻るようになった。<br /> 8時ごろ、四国から柴崎老人が伝馬船で鵜来島を訪れ、食料を届けに来た。<br /> この時はじめて水銀燈は柴崎老人と対面したのである。<br /> 柴「ここ数日は敵の艦載機の攻撃が無くて安心して海に出られるわい」<br /> 屈託なく笑う柴崎。蒼星石たちは桜田達のことを思い出して少し胸が痛んだ。<br /> 蒼「お爺さん、彼女が…水銀燈だよ」<br /> 柴「おお…意識を取り戻したんか。良かったのう」<br /> 柴崎は何を間違えたのか、言葉が通じず戸惑う水銀燈に歩み寄り、その手の甲を取って口付けをした。<br /> 銀『ちょ、ちょっとぉ…///』<br /> 蒼「わあ…」<br /> 雪「あらあら」<br /> 薔「おお、積極的な」<br /> 柴「いっときは銃火を交えた敵じゃったが…元気になってくれて本当に嬉しいわい」<br /> 目を細めて言う柴崎。水銀燈は顔を赤らめてどぎまぎしている。<br /> 蒼『お爺さんは、元気な君と会えて嬉しいってさ』<br /> 銀『そぉ…ありがとうと伝えて///』<br /> 蒼「ありがとう、だってよ、お爺さん」<br /> 柴「そうかい…」<br /> 国籍を越えて心が通じた瞬間だった。<br /> 柴「そうそう…新聞をもって来たぞい」<br /> 思い出したように柴崎は、荷物の中から新聞を取り出した。<br /> 物資も燃料も不足しているため、3日前に発行されてやっと届いた紙面の薄い新聞が広げられる。<br /> ニュースに飢えていた蒼星石たちは思わずこれに飛びつく。<br /> その第一面の写真を見て、水銀燈はあやうく声を上げそうになった。<br /> 銀『キティーホークじゃなぁい…』<br /> 蒼星石が決死の飛行で撮影した桜田達の最期の写真が、そこに載っていた。<br /> …水銀燈の前で新聞を広げたのは配慮に欠けていたか?蒼星石は少し後悔した。<br /> 蒼『…ごめん。君がいる前で…』<br /> 銀『いいのよ。…私は、ここにいるんですもの』<br /> 気丈に応える水銀燈。…サクラダは、私と入れ替わりに、あそこで死んでしまったのね。<br /> 雪「蒼星石が…これを撮影したんですわね…」<br /> 薔「よく、ここまで…」<br /> 柴「あの青年達は逝ってしもうたのか…惜しいのう…」<br /> 感慨にふける一同。<br /> と、また柴崎が口を開いた。<br /> 柴「…そう言えば、今日は正午にラジオで重大放送があるらしいのぉ。皆それを聞かねばならんとな」<br /> 蒼「重大放送…!?」<br /> 蒼星石も、薔薇水晶と雪華綺晶も、これを聞いて身が震えた。<br /> 雪「まさか…それって…」<br /> 皆の予想は二つ。<br /> 大本営が本土決戦の決定を発表するのか…もしくは、日本の敗北を発表するのか。<br /> もの珍しそうに荷物の中のサツマイモを覗く水銀燈を除き、皆はしばし黙り込んでいた。<br /><br /> そして、昼すこし前。<br /> 柴崎は四国へ戻り、蒼星石は無線室のラジオのスイッチを入れた。<br /> 日本語が分からない水銀燈は、一人焼け付くような砂浜に向かい、身にまとうものを全て脱いで水浴びをしている。<br /><br /> 正午の時報が鳴った。アナウンサーが口を開く。<br /> 『只今より、重大なる放送があります。全国聴取者の皆様は御起立願います。天皇陛下におかれましては、<br /> 全国民に対し、畏くも御自ら大詔を宣らせ給う事になりました。これよりつつしみて玉音をお送り申します…』<br /> …天皇陛下の玉音!!?<br /> 蒼星石、薔薇水晶、雪華綺晶は驚愕した。<br /> これは尋常な放送ではない。3人は、思わず頭を下げてラジオに向かう。<br /><br /> 君が代の演奏の後に、かつてこれまで国民の耳にしたことがなかった天皇の肉声が流れ始めた。<br /> 独特の祝詞調の抑揚と難解な言葉が、この場にいた全員の理解を困難にした。<br /> …だが、蒼星石も薔薇水晶も雪華綺晶も、はっきりと分かったことがあった。<br /><br /> 『米英支ソ四国に対し、その共同宣言を受諾する旨通告せしめたり』。<br /><br /> 宣言の受諾。<br /> その内容そのものは分からなかったが、これは降伏以外の何ものにも他ならなかった。<br /> 日本は、敗れたのだ。<br /> 彼女達は、前線で戦闘に携わる者として、いずれこうなるであろうことは既に予測していた。<br /> 正直、早くこの戦が終わらないものかと、全員が口には出さねど願っていた。<br /> …が、ほっとした反面、言いようのない悲哀、悔しさが、蒼星石達3人の心を締め付けた。<br /><br /> 『敵は新たに残虐なる爆弾を使用して頻(いたずら)に無辜(むこ)を殺傷し惨害の及ぶ所真に測るべからざるに至る』<br /><br /> 蒼星石は、玉音のこの一文を聞いて、思わず嗚咽を上げた。<br /> …ああ、原子爆弾に未来を奪われた桜田司令!梅岡少尉!笹塚飛曹長!<br /> …そして、その死を共にした白崎少尉!槐少尉!<br /> …戦争は終わりました!しかし、あなた達の死は、この戦の終わりに間に合った!<br />  その最後に、人々を守るための鮮烈な炎として燃え尽きたのです!…<br /><br /> 『堪え難きを堪え、忍び難きを忍び以て万世の為に太平を開かんと欲す』…。<br /><br /> 無線室は涙で一杯になった。日本中が、様々な思いを抱えつつ呆然と立ち尽くした瞬間だった。<br /><br /> …玉音放送の終わった無線室から、日差しの照りつける外に出た3人。<br /> 終戦などはつゆ知らずといったように、林からは激しい蝉時雨が聞こえている。<br /> 蒼星石は、いや薔薇水晶も雪華綺晶も、その青空を見上げずに入られなかった。<br /> …日本は負けた。自分達の力が及ばなかった事は実に悔しい。<br /> …だけど、もうこの空で戦うことも、怯えつつ空を見張ることも、空襲に震えて眠ることも無い。<br /><br /> 日差しに輝く銀髪から雫を滴らせ、食欲が戻り適度にすらりとした身体を濡らして水浴び中の水銀燈は、<br /> 眼を真っ赤にしつつもどこか吹っ切れたような様子で歩いてくる3人を見て、波打ち際へ戻った。<br /> …3人が何を知ったのか、水銀燈には何となく分かっていた。<br /><br /> 蒼『戦争は…終わったよ』<br /> 銀『…そう』</p> <p><br /> どちらからともなく、二人は抱き合った。<br /> かつて敵同士として、実際に銃火をも交えたことのある蒼星石と水銀燈は…気づけば、ゆっくりと唇を重ねていた。</p> <p> </p> <p> </p> <p> </p> <p> </p> <p><br /><br /> この日をもって、日本が建国以来例を見ない壮絶な総力戦を戦った大東亜戦争は、その終わりを告げた…。</p>

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