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[2-1]」(2009/01/28 (水) 00:56:54) の最新版変更点

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<p align="left"> <br />  <br />   2-1<br />  <br />  <br /> 明けて、翌朝――<br /> 仰ぎ見る青天に雲はなく、空気も凛然と澄みきっている。<br /> 少しばかりの肌寒さを覚えるものの、それ以外には、さしたる問題はない。<br /> もしかして、運命の女神が前途を祝福してくれているのだろうか?<br /> そんな風に思いたくなるほど、旅立ちにはもってこいの、清々しい朝だった。<br />  <br /> 耳をそばたてれば、小鳥の囀りや、朝ご飯を待ちきれない犬たちの遠吠え……<br /> その他にも様々な――日々の営みによる、生活臭ただようリズムが聞こえてくる。<br /> 町の息吹、とでも言おうか。それらは健やかで、力強い躍動感に溢れていた。<br />  <br /> 「んー。いい天気で、よかったわー」<br /> 周囲の活気に触発されたらしく、みつが上機嫌にハミングする。<br />  <br /> 「本当に、気持ちのいい陽気ですね」<br />  <br /> 淡々と答えた巴も、満更ではない表情。<br /> これからピクニックにでも出かけるかのような、和やかムードの乙女たち。<br />  <br /> ――しかし。<br />  <br /> 「待ってくれぇ……おまえら早いよぉ……」<br />  <br /> 重く恨めしげな声に縋りつかれて、みつと巴が脚を止め、振り返る。<br /> 彼女たちの見つめる先には、陰鬱な表情でヨタヨタと歩いてくる人影が、ひとつ。<br /> 誰あろう、ココロの樹を探して三千里の夢境を行く少年、桜田ジュンだ。<br />  <br /> だが、その姿は、およそ主人公らしからぬ無様なものだった。<br /> 身体を『く』の字に屈めて、巴から借りた竹刀を杖がわりにしている。<br /> 宿の雑貨コーナーで、防寒と天狗を隠蔽するために買った安物の黒いローブが、微妙に老人くさい。<br /> それが彼のツンツン頭と相俟って、どことなく売れ残りの野菜を彷彿させた。<br />  <br /> 「なんだか、萎びたナスみたいよね」<br />  <br /> みつの言葉に、巴は思わず噴きだしかけて、グッと息を呑み込んだ。<br /> 「悪いこと言っちゃダメですよ。桜田くん、大丈夫?」<br />  <br /> 気遣わしげな面持ちで訊ねるが、巴の小さな鼻は、笑いを堪えてヒクヒクしていた。<br /> みつも、自分の冗談がツボに入ったのか、口元を手で押さえて肩を震わせている。<br /> そんな彼女たちの様子に、ジュンは憤懣やるかたなく声を荒げた。<br />  <br /> 「痛いんです。腫れてるっぽいんです。擦れると激痛が走るんです。<br />  だぁーっ! 変な天狗の面と関わったばかりに、ナニもかもブチ壊しだ!」<br />  <br /> ナニがなにを示唆しているのかは、さておき。<br /> さすがに、なにもかもは誇張しすぎだなと、ジュンは思い直した。<br />  <br /> 前屈みにならないと、歩くことすら、ままならないけど――<br /> 巴の竹刀は割れてしまって、いまやジュンの杖になり果てているけれど――<br /> それでも、壊れなかったものは、確かに存在する。<br /> ひとつには、かけがえのない仲間同士の絆。そして、忌々しい暴れん坊天狗の面だ。<br /> 天狗は今日も、ジュンの純潔を守っている。ありがたすぎて血の涙が出そうだった。<br />  <br /> 「……ごめんね。私の……せいだよね」<br />  <br /> 巴が、目深にかぶったフードの下で表情を翳らせ、俯く。<br /> ジュンの露わな憤りを目にして、罪悪感が胸中で疼いたのだろう。<br />  <br /> 「浅はかな思い込みを無理押ししたから、こんなことに」<br /> 「いやいや、巴ちゃん。それなら、あたしにだって責められる事由があるわよ」<br />  <br /> 答えを急ぎすぎるあまり、度が過ぎてしまった感は否めない。<br /> ごめんなさい。みつと巴は揃って、神妙に頭を下げた。<br />  <br /> それまでの晴れやかなムードが一転、お通夜のような暗澹たる空気に――<br /> こういう重たいのは苦手だ。ジュンは胸にあった苛立ちを押し潰して、2人に告げた。<br />  <br /> 「……いいんだ。僕こそ、怒鳴って悪かったよ。はずそうと努力してくれたのに」<br /> 「でも結局、桜田くんを苦しめただけだったし」<br /> 「あたしたちじゃあ、なにも解決できなかったものね」<br /> 「だからって、落ち込んでばかりじゃ仕方ないだろ。もう済んだことだ。<br />  気を取り直して、前向きに行こうよ。いつまでも悪いことは続かないって」<br />  <br /> ニカッ! と新庄剛志ばりの爽やかスマイルを浮かべて、サムズアップ。<br /> ジュンなりの『元気ハツラツ』アピールだった。<br /> それを受けて、みつと巴にも、緩い笑みが伝播した。<br />  <br /> 「言うようになったじゃない。見直したわよ、ジュンジュン」<br /> 「私……いまモーレツに感動してる。感激しすぎて漏らしちゃいそう」<br /> 「漏らすのは感嘆の吐息だけにしてくれ」<br />  <br /> 巴の迷言をバッサリ一刀両断して、ジュンは顔を上げ、道の彼方を睨んだ。<br /> 「よっし、レツゴー三匹。はりきって行くぞー!」<br />  <br /> と、勢い込んで、一歩を踏み出したまでは良かったが――ビキッ!<br />  <br /> 「ぬぉお……ぅ」<br />  <br /> 下半身に電撃のような激痛が駆け抜け、ジュンは内股になって硬直した。<br /> そんな彼に手を貸すべく、みつと巴が歩み寄る。その表情にはもう、嗤笑はない。<br />  <br /> 「無理しないほうがいいって、ジュンジュン。<br />  ヘンな意地はらずに、『お自動さん』たちに担いでもらうといいわ」<br />  <br /> 昨日の『お自動さん』は、日付が変わった時点で召喚解除されていた。<br /> そのため、利用するなら新たに契約しなおす必要があるのだが……<br /> ジュンは彼女の好意を、やんわりと断った。<br />  <br /> 「なんのこれしき。まだ、ぜんぜん大丈夫だ。歩けるうちは歩くから」<br />  <br /> 気遣ってくれるのは嬉しいけれど、ご利用は計画的に。<br /> 多重債務の挙げ句に、ここぞの場面で利用停止なんて羽目はカンベン願いたい。<br /> それに、ジュンの男としてのプライドが、強い抵抗を示していたのもある。<br /> 運命共同体の旅仲間であっても、助けられっぱなしは我慢ならなかったのだ。<br />  <br />  <br />  <br /> 町を後にして、街道を行くこと半日。<br /> 一行は、田園地帯の一本道を進んでいた。牛のごとき歩みは、相も変わらず。<br /> ジュンの調子も、明け方よりは快復したくらいで、本調子には程遠かった。<br />  <br /> 「それにしても」一抹の不安から、ジュンが吐息する。<br /> 「こんな状況で戦闘になったら、どうしたらいいんだ?」<br />  <br /> 大きな街道だとて、旅路の安全など、誰も保障してはくれない。<br /> 夜盗に襲撃されるかも知れないし、モンスターが出没することも考えられた。<br /> そのとき巧く対処できなければ、呆気なく全滅の憂き目を見るだろう。<br />  <br /> みつは女性だし、召喚師(サモナー)だからバックアップ要員。<br /> 占術師(タロットマスター)の巴も、どちらかと言えば、前衛タイプではない。<br /> 常識的にも、消去法で選んでも、やはり最前線はジュンが受け持つべきだろう。<br /> となれば、採れる戦法も、おのずと限られてくる。<br />  <br /> 「柏葉。これ、返しておくよ」<br />  <br /> ジュンが囮となって敵を引きつけ、その隙に、巴とみつの連携で倒す。<br /> 現状では、これが最も有効な戦い方に違いない。<br /> 下手をすれば、ジュンが囲まれてタコ殴りにされかねないけれど、<br /> 女の子たちを危険に曝し、怪我させるよりは、良心の呵責に苛まれなくて済む。<br /> 加えて、男としてのプライドも、一応は保てると言うものだ。<br />  <br /> 差し出された竹刀を一瞥した巴は、フードを脱いで、小さく頭を振った。<br /> 「ううん。それは、桜田くんが持ってていいよ」<br />  <br /> 前衛ならば、武器のひとつも装備していて当たり前。<br /> たとえ壊れた竹刀でも、徒手空拳よりは、ずっと心強い。<br />  <br /> 「僕としては、ありがたいけどさ……でも、柏葉だって困るんじゃないか?」<br />  <br /> その問いに、巴は破顔一笑して、キュッと拳を握って見せた。<br /> 「平気よ。竹刀がなくたって、戦えるから」<br />  <br /> この状況にあって、なんと頼もしい一言だろうか。<br /> ジュンは期待と憧れに瞳を輝かせ、みつは妄想に胸をときめかせた。<br />  <br /> 「もしかして、合気道とかの経験者かよ?」<br /> 「なになにー? 巴ちゃん、格闘技を習っちゃってたりするの?<br />  一撃必殺のカラテ少女……くぅ~、凛乎としてカッコイイわあー。あたし妊娠しそうー」<br /> 「いえ、あの。そんな絶賛されるようなレベルじゃなくて――」<br />  <br /> はにかみながら、巴は「桜田くん、ちょっと」と、ジュンを立ち止まらせた。<br /> そして、馬飛びの要領で、ひょいとジュンの背中に飛び乗るが早いか、<br /> しなやかな両脚で、クワガタのように彼の胴を挟み込んで……<br /> ……ぺし! ジュンの脳天に、やおら手刀を落とした。<br />    <br /> 一瞬にして凍りつく空気。<br /> いまの、なに? ジュンとみつが、眼で会話する。<br /> そこに、巴の消え入りそうな声が割り込んだ。<br />  <br /> 「空中トゥモエチョップ」<br /> 「……あ? ……元彌? すまん、柏葉。よく聞き取れなかったんだが」<br /> 「ごめん、巴ちゃん。あたしも聞き取れなかった。わんもあぷりーず」<br />  <br /> さすがに、いたたまれなくなったのだろう。<br /> ジュンの背中から飛び降りるや、巴は2人に背を向け、しゃがみこんでしまった。<br /> 「ううん……なんでもない。忘れて」<br />  <br /> 忘れろと言われても、少々、インパクトが強烈すぎた。<br /> 生真面目のカタマリ魂みたいな巴が演じた、よもやの痴態――いや、狂言か?<br /> どうフォローしたものかと、ジュンたちが考えあぐねていると……<br />  <br /> 「おーい。どうしたのかね?」<br />  <br /> のんびりした嗄れ声が、車輪の回る音を伴って、彼らの背後から届いた。<br /> 振り返ると、一頭立ての小さな馬車が近づいてくるではないか。<br /> 馭者は、ハンチング帽をかぶった老人。オープントップの荷台に、貞淑そうな老女も見える。<br /> ジュンは思わず「あっ」と声を上げた。彼の顔なじみだったからだ。<br />  <br /> 「そっちの少年は、急病かい? なんだったら、町まで乗せてあげるよ」<br />  <br /> 少年だって? ジュンは咄嗟に、自分のことを言われたのだと思った。<br /> しかし、屈んでいるのは巴であって、彼ではない。<br /> ショートカットの後ろ姿だけ見て、どうやら彼女を、男の子と勘違いしたらしい。<br />  <br /> 真相に気づいたジュンとみつが噴きだすのと、巴が肩越しに振り返ったのは、ほぼ同時。<br /> その段になって、老人もやっと、自分の誤りを悟った。<br />  <br /> 「やややっ、娘さんじゃったか。これは失敬した」<br /> 「いえいえー、お気になさらず。よく間違われてますからー」<br />  <br /> などと軽い調子で人なつっこく答えたのは、みつ。<br /> あまりに素早い対応だったので、巴やジュンが口を挟む間もなかったほどだ。<br />  <br /> 「それは、ともかく」みつは、馬車に歩み寄って、ぺこりと会釈した。<br /> 「ご覧のとおり、連れが急に具合を悪くしたもので、難儀してます」<br />  <br /> なんの話だ。訊き返そうとしたジュンに、みつが目配せしてくる。<br /> 巴は、彼女の意図を察したのだろう。タイミングよく苦しげに呻きだした。<br /> ワケも分からず、呆気に取られるジュンは、完全なおいてきぼり状態である。<br />  <br /> 「恐縮ですけど、ご厚意に甘えさせていただけたらと……」<br />  <br /> なるほど、そう言うことか。ここに至って、ようやくジュンも得心した。<br /> 2人の仲間は、彼のために、如才なく芝居を打ってくれているのだ。<br /> ならば、ジュンとしても、協力することに吝かでない。<br />  <br /> 「お願いします」<br /> 言って、ジュンも御者台の老人に向かって、深々と頭を下げた。<br /> ほんの少しだけ、小賢しい生き方を学んだ気がした。<br />  <br />  <br />   ~  ~  ~<br />   <br /> 老人は、柴崎元治と名乗った。時計職人で、置き時計の出張修理をした帰りだという。<br /> 荷台に乗っていた老女は、元治の妻。やはり、翠星石の祖父母だった。<br /> しかし、ここでは現実世界と異なり、向こうはジュンのことなど知らなかった。<br />  <br /> 「大変だったのねえ、本当に」<br /> 巴の背中をさすっていた老女――柴崎マツが、みつのほうに向き直る。<br /> 「お薬の持ち合わせを、スリに盗られてしまうなんて」<br />  <br /> なにかと体調を崩しがちな老人にとって、薬がないのは怖ろしい状況なのだろう。<br /> 同情に満ちたマツの表情にも、我が身に置き換えたときの不安が垣間見える。<br /> こちらの柴崎夫妻も、現実世界と違わず、思いやりに満ちた善良な人たちらしい。<br />  <br /> 「あたしたちにも油断があったとは言え、アタマきちゃうわよねー。<br />  盛り場に不心得者が寄ってくるのは、世の常なんだろうけど」<br />  <br /> みつの返事に、マツも「ええ、ええ」と、頻りに頷く。<br /> 「私たちもねぇ、賑やかな街に出張するときは怖くて、気が気じゃないのよ」<br />  <br /> 「だから――」ジュンが、荷台の隅に置かれた無骨なモノを、視線で指す。<br /> 「そんな物を積んでるのか?」<br />  <br /> 彼の言う『そんな物』とは、あまりにも有名な『バールのようなもの』だった。<br /> 子供でも簡単に扱えるし、壊れにくく、そこそこ威力もある優れモノだ。<br /> 老人の細腕で、盗賊やモンスターを撃退しようと思えば、妥当な選択だろう。<br /> どれほどの効力があるかはさておき、備えあれば憂いなし。<br />  <br /> マツは悲しげな顔で首肯した。「必要悪よね。使いたくは、ないのだけれど」<br />  <br /> それは当然だ。誰だって、理不尽な暴力に命まで奪われたくはない。<br /> ベジータに襲われたときのことを、ジュンは思い出していた。<br /> ならず者相手には、所持金を渡すだけで済まない場合が多々ある。<br /> 本意でなくても、兇悪には対等以上の武力をもって抗う。それが最良の防御法なのだ。<br />  <br /> 「それならさ」と、ジュンは微笑して、みつと巴を順繰りに見た。<br /> 「せめて僕らが同行してる間は、それを使わずに済ませてあげないか」<br />  <br /> せめてもの恩返しに、護衛役を買ってでよう。<br /> ジュンの提案を受けて、2人の仲間も笑顔で頷いた。が、その直後!<br />  <br /> 「ぅわあっ!」<br />  <br /> 御者台にいた元治が、驚きの声をあげて、馬車を急停車させたではないか。<br /> ハッと腰を浮かせたジュンたちが視たもの――<br /> それは、驚いて竿立ちになった馬と、彼らの進路を塞ぐ異物の列だった。<br />  <br /> 「な……なによ、これ? マジックショーとか?」<br /> 「知らん。いきなり、地面から突き出てきたのじゃ」<br /> 「この辺りでは、よくある自然現象なのかも……」<br /> 「どう見ても天変地異の類だと思うぞ、柏葉」<br />  <br /> みつと巴の言を、元治とジュンが代わる代わるに否定する。<br /> しかし、彼らとて、その正体を説明することはできなかった。<br />  <br /> 「とにかく、取り除けるか調べてみよう。爺さんたちは、残ってなよ」<br />  <br /> 率先して、ジュンが竹刀を片手に、荷台から飛び降りた。<br /> この緊急事態に、股間が痛いなどとは言ってられない。<br />  <br /> 「これは……紫水晶っぽいな。なんだってまた、こんな物が突然?」<br /> 慎重に近づいたジュンは、水晶の柱を竹刀で小突いてみた。硬質な手応えがあった。<br /> 「やっぱり、本物の紫水晶だよ。幻影とかのフェイクじゃない」<br />  <br /> 彼を追いかけてきた巴とみつも、一様に首を傾げる。<br /> よもや、隕石みたいに空から降ってきたワケでもあるまい。<br /> 柴崎老人も、地面から突きだしたと証言していた。<br />  <br /> 「簡単に撤去できるのかな? ちょっと試してみるね。えいっ!」<br />  <br /> 止める間もなく、巴が飛び蹴りをかましたが、水晶柱は頑として動かず。<br /> 蹴った巴のほうが、足を押さえて、その場に蹲ってしまった。<br />  <br /> 「人力じゃ無理そうだな。この分だと、バールで叩いても砕けるかどうか」<br /> 「しょうがないわねえ。借りすぎだけど、ここはイッシュカーンに……」<br /> 「待て待て、みっちゃん。ご利用は計画的に」<br />  <br /> やおら伝家の宝刀『¥ロッド』を掲げた召喚師を、ジュンが押し留める。<br /> しかしながら、彼にも、これといった名案はなかった。<br /> 馬車を迂回させるにしても、路肩は両側とも水田。はまれば行動不能になろう。<br /> さりとて、老人たちを見捨てては行けない。引き返すのも、負けたみたいで嫌だ。<br />  <br /> では、どうする――アイフル。<br /> 途方に暮れていると……ククッ。含み笑いが、どこからか流れてきた。<br />  <br /> 「誰だっ! 出てこい!」<br />  <br /> ジュンが叫ぶや否や、ひらり……水晶柱の頂に舞い上がる人影が!<br /> つられてハッと顔を仰け反らせたジュンは、そこに長い髪の女の子を見た。<br /> 花弁を思わす、ひらひらした薄紫色のドレスを着た娘だ。左眼を、眼帯で覆っている。<br /> その娘は、ジュンたちを一瞥してニヤリと笑うと、からかうように歌い出した。<br />  <br /> 「とっおせんぼ、とおせんぼー。どうしましょったら、どうしましょー」<br /> 「なんなんだ、おまえは?」<br />  <br /> ジュンの誰何に、謎の眼帯娘はピンと立てた両手の人差し指を頬に当てて、ぶりっ子ポーズ。<br /> 「いたずらウサギだぴょん」<br />  <br /> はあ? ジュンは眉根を寄せた。彼女は、どうみても普通の女の子。<br /> ウサギだなんて、こちらを煙に巻こうとしての戯言ではないのか。<br /> けれど、昔話の『鶴女房』みたいに、人間そっくりに化けているのかも知れない。<br />  <br /> 「ちょっと、こっちに降りてきてくれないか。訊きたいことがあるんだ」<br /> 「……いいよ。ぴょんぴょん……っと」<br />  <br /> ふわりふわり。水晶柱の頂を跳ねてくる。じつに身軽な仕種だ。<br /> ジュンの前に降り立った彼女は、挑むように彼を見つめた。「なにが訊きたいの?」<br />  <br /> 「それは――どぅあ?!」<br /> 話そうとした折りもおり、ジュンはいきなり、みつのタックルで真横に吹っ飛ばされていた。<br />  <br /> 「か……かわいいー! お持ち帰りしたいぃーっ!」<br /> 「わ、私も……だっこしたい」<br /> 「みっちゃんモチツケ! 柏葉も、なに血迷ってんだ!」<br />  <br /> 自称いたずらウサギに抱きつく乙女組のアタマを、ジュンのゲンコツが薙ぎ払う。<br /> 「おまえら、少しアタマ冷やそうか」<br />  <br /> 頭を抱えて蹲る2人を尻目に、ジュンは竹刀の切っ先を、謎の眼帯娘に突き付けた。<br /> 「この水晶柱は、おまえの仕業か? なんで、こんな悪さをするんだ!」<br />  <br /> 「だって――」にこ~、と無邪気な笑みを湛える眼帯娘。<br /> 「愉しいじゃん。人の不幸は大好きさっ! 人の不幸は大好きさっ!」<br />  <br /> しかも、腕と腰を振り振り、ダンス付きで不謹慎な歌まで披露しだす始末だ。<br /> これでは、まともな会話など望めない。言って素直に聞き入れる相手でもなかろう。<br /> 向こうのペースに翻弄されている間は、勝機など見出せない。<br />  <br /> ならばと、ジュンは逆転の一計を案じ、「おおっ!」と眼帯娘の背後を指差した。<br /> まんまと引っかかった眼帯娘が、不用心に振り返った、その一瞬!<br /> ジュンは神業とも言うべき速さで、娘の背後に回り込み、そして――<br />  <br /> 「尻尾を現せ! この化けウサギめっ!」<br />  <br /> 眼帯娘のスカートを捲った。桃のような白いお尻とTバックが、彼の双眸を眩ませる。<br /> ジュンはつい、「ムッハァー」と奇声を上げてしまった。<br /> それもすぐに、凄まじい金切り声と怒号の速射による三重奏に掻き消される。<br />  <br /> 「きゃあぁっ?! なにするぴょん、このスケベッ!」<br /> 「信じられない! 見損なったわよ、ジュンジュン!」<br /> 「桜田くん最低! 不潔! 女の敵! エロガッパ!」<br />  <br /> ひどい言われようだ。だいたい、エロガッパってなんだよ。<br /> ジュンが反駁しかけた矢先、「この恥辱、絶対に忘れない……きっと復讐してやるぴょん」<br /> 瞳を潤ませた眼帯娘は、水晶柱もろとも霞と消えた。<br /> 撃退したのだ。結果オーライ大成功。<br />  <br /> 「ふふん……どうよ、まさに会心の一撃。大逆転で、めでたく道路も開通だ」<br />  <br /> 自分の機転が功を奏したとあって、ジュンは誇らしげに胸を張った。流れる鼻血は勇者の証し。<br /> ――が、みつと巴は、相も変わらずコワイ顔。<br /> どうやら、ただでは許してもらえなさそうだ。<br /> 結局、いつものパターンかよ。ジュンは肩を竦め、路上で大の字になった。<br />  <br /> 「どんと来い、教育的指導」<br />  <br />  </p>
<p align="left"> <br />  <br />   2-1<br />  <br />  <br /> 明けて、翌朝――<br /> 仰ぎ見る青天に雲はなく、空気も凛然と澄みきっている。<br /> 少しばかりの肌寒さを覚えるものの、それ以外には、さしたる問題はない。<br /> もしかして、運命の女神が前途を祝福してくれているのだろうか?<br /> そんな風に思いたくなるほど、旅立ちにはもってこいの、清々しい朝だった。<br />  <br /> 耳をそばたてれば、小鳥の囀りや、朝ご飯を待ちきれない犬たちの遠吠え……<br /> その他にも様々な――日々の営みによる、生活臭ただようリズムが聞こえてくる。<br /> 町の息吹、とでも言おうか。それらは健やかで、力強い躍動感に溢れていた。<br />  <br /> 「んー。いい天気で、よかったわー」<br /> 周囲の活気に触発されたらしく、みつが上機嫌にハミングする。<br />  <br /> 「本当に、気持ちのいい陽気ですね」<br />  <br /> 淡々と答えた巴も、満更ではない表情。<br /> これからピクニックにでも出かけるかのような、和やかムードの乙女たち。<br />  <br /> ――しかし。<br />  <br /> 「待ってくれぇ……おまえら早いよぉ……」<br />  <br /> 重く恨めしげな声に縋りつかれて、みつと巴が脚を止め、振り返る。<br /> 彼女たちの見つめる先には、陰鬱な表情でヨタヨタと歩いてくる人影が、ひとつ。<br /> 誰あろう、ココロの樹を探して三千里の夢境を行く少年、桜田ジュンだ。<br />  <br /> だが、その姿は、およそ主人公らしからぬ無様なものだった。<br /> 身体を『く』の字に屈めて、巴から借りた竹刀を杖がわりにしている。<br /> 宿の雑貨コーナーで、防寒と天狗を隠蔽するために買った安物の黒いローブが、微妙に老人くさい。<br /> それが彼のツンツン頭と相俟って、どことなく売れ残りの野菜を彷彿させた。<br />  <br /> 「なんだか、萎びたナスみたいよね」<br />  <br /> みつの言葉に、巴は思わず噴きだしかけて、グッと息を呑み込んだ。<br /> 「悪いこと言っちゃダメですよ。桜田くん、大丈夫?」<br />  <br /> 気遣わしげな面持ちで訊ねるが、巴の小さな鼻は、笑いを堪えてヒクヒクしていた。<br /> みつも、自分の冗談がツボに入ったのか、口元を手で押さえて肩を震わせている。<br /> そんな彼女たちの様子に、ジュンは憤懣やるかたなく声を荒げた。<br />  <br /> 「痛いんです。腫れてるっぽいんです。擦れると激痛が走るんです。<br />  だぁーっ! 変な天狗の面と関わったばかりに、ナニもかもブチ壊しだ!」<br />  <br /> ナニがなにを示唆しているのかは、さておき。<br /> さすがに、なにもかもは誇張しすぎだなと、ジュンは思い直した。<br />  <br /> 前屈みにならないと、歩くことすら、ままならないけど――<br /> 巴の竹刀は割れてしまって、いまやジュンの杖になり果てているけれど――<br /> それでも、壊れなかったものは、確かに存在する。<br /> ひとつには、かけがえのない仲間同士の絆。そして、忌々しい暴れん坊天狗の面だ。<br /> 天狗は今日も、ジュンの純潔を守っている。ありがたすぎて血の涙が出そうだった。<br />  <br /> 「……ごめんね。私の……せいだよね」<br />  <br /> 巴が、目深にかぶったフードの下で表情を翳らせ、俯く。<br /> ジュンの露わな憤りを目にして、罪悪感が胸中で疼いたのだろう。<br />  <br /> 「浅はかな思い込みを無理押ししたから、こんなことに」<br /> 「いやいや、巴ちゃん。それなら、あたしにだって責められる事由があるわよ」<br />  <br /> 答えを急ぎすぎるあまり、度が過ぎてしまった感は否めない。<br /> ごめんなさい。みつと巴は揃って、神妙に頭を下げた。<br />  <br /> それまでの晴れやかなムードが一転、お通夜のような暗澹たる空気に――<br /> こういう重たいのは苦手だ。ジュンは胸にあった苛立ちを押し潰して、2人に告げた。<br />  <br /> 「……いいんだ。僕こそ、怒鳴って悪かったよ。はずそうと努力してくれたのに」<br /> 「でも結局、桜田くんを苦しめただけだったし」<br /> 「あたしたちじゃあ、なにも解決できなかったものね」<br /> 「だからって、落ち込んでばかりじゃ仕方ないだろ。もう済んだことだ。<br />  気を取り直して、前向きに行こうよ。いつまでも悪いことは続かないって」<br />  <br /> ニカッ! と新庄剛志ばりの爽やかスマイルを浮かべて、サムズアップ。<br /> ジュンなりの『元気ハツラツ』アピールだった。<br /> それを受けて、みつと巴にも、緩い笑みが伝播した。<br />  <br /> 「言うようになったじゃない。見直したわよ、ジュンジュン」<br /> 「私……いまモーレツに感動してる。感激しすぎて漏らしちゃいそう」<br /> 「漏らすのは感嘆の吐息だけにしてくれ」<br />  <br /> 巴の迷言をバッサリ一刀両断して、ジュンは顔を上げ、道の彼方を睨んだ。<br /> 「よっし、レツゴー三匹。はりきって行くぞー!」<br />  <br /> と、勢い込んで、一歩を踏み出したまでは良かったが――ビキッ!<br />  <br /> 「ぬぉお……ぅ」<br />  <br /> 下半身に電撃のような激痛が駆け抜け、ジュンは内股になって硬直した。<br /> そんな彼に手を貸すべく、みつと巴が歩み寄る。その表情にはもう、嗤笑はない。<br />  <br /> 「無理しないほうがいいって、ジュンジュン。<br />  ヘンな意地はらずに、『お自動さん』たちに担いでもらうといいわ」<br />  <br /> 昨日の『お自動さん』は、日付が変わった時点で召喚解除されていた。<br /> そのため、利用するなら新たに契約しなおす必要があるのだが……<br /> ジュンは彼女の好意を、やんわりと断った。<br />  <br /> 「なんのこれしき。まだ、ぜんぜん大丈夫だ。歩けるうちは歩くから」<br />  <br /> 気遣ってくれるのは嬉しいけれど、ご利用は計画的に。<br /> 多重債務の挙げ句に、ここぞの場面で利用停止なんて羽目はカンベン願いたい。<br /> それに、ジュンの男としてのプライドが、強い抵抗を示していたのもある。<br /> 運命共同体の旅仲間であっても、助けられっぱなしは我慢ならなかったのだ。<br />  <br />  <br />  <br /> 町を後にして、街道を行くこと半日。<br /> 一行は、田園地帯の一本道を進んでいた。牛のごとき歩みは、相も変わらず。<br /> ジュンの調子も、明け方よりは快復したくらいで、本調子には程遠かった。<br />  <br /> 「それにしても」一抹の不安から、ジュンが吐息する。<br /> 「こんな状況で戦闘になったら、どうしたらいいんだ?」<br />  <br /> 大きな街道だとて、旅路の安全など、誰も保障してはくれない。<br /> 夜盗に襲撃されるかも知れないし、モンスターが出没することも考えられた。<br /> そのとき巧く対処できなければ、呆気なく全滅の憂き目を見るだろう。<br />  <br /> みつは女性だし、召喚師(サモナー)だからバックアップ要員。<br /> 占術師(タロットマスター)の巴も、どちらかと言えば、前衛タイプではない。<br /> 常識的にも、消去法で選んでも、やはり最前線はジュンが受け持つべきだろう。<br /> となれば、採れる戦法も、おのずと限られてくる。<br />  <br /> 「柏葉。これ、返しておくよ」<br />  <br /> ジュンが囮となって敵を引きつけ、その隙に、巴とみつの連携で倒す。<br /> 現状では、これが最も有効な戦い方に違いない。<br /> 下手をすれば、ジュンが囲まれてタコ殴りにされかねないけれど、<br /> 女の子たちを危険に曝し、怪我させるよりは、良心の呵責に苛まれなくて済む。<br /> 加えて、男としてのプライドも、一応は保てると言うものだ。<br />  <br /> 差し出された竹刀を一瞥した巴は、フードを脱いで、小さく頭を振った。<br /> 「ううん。それは、桜田くんが持ってていいよ」<br />  <br /> 前衛ならば、武器のひとつも装備していて当たり前。<br /> たとえ壊れた竹刀でも、徒手空拳よりは、ずっと心強い。<br />  <br /> 「僕としては、ありがたいけどさ……でも、柏葉だって困るんじゃないか?」<br />  <br /> その問いに、巴は破顔一笑して、キュッと拳を握って見せた。<br /> 「平気よ。竹刀がなくたって、戦えるから」<br />  <br /> この状況にあって、なんと頼もしい一言だろうか。<br /> ジュンは期待と憧れに瞳を輝かせ、みつは妄想に胸をときめかせた。<br />  <br /> 「もしかして、合気道とかの経験者かよ?」<br /> 「なになにー? 巴ちゃん、格闘技を習っちゃってたりするの?<br />  一撃必殺のカラテ少女……くぅ~、凛乎としてカッコイイわあー。あたし妊娠しそうー」<br /> 「いえ、あの。そんな絶賛されるようなレベルじゃなくて――」<br />  <br /> はにかみながら、巴は「桜田くん、ちょっと」と、ジュンを立ち止まらせた。<br /> そして、馬飛びの要領で、ひょいとジュンの背中に飛び乗るが早いか、<br /> しなやかな両脚で、クワガタのように彼の胴を挟み込んで……<br /> ……ぺし! ジュンの脳天に、やおら手刀を落とした。<br />    <br /> 一瞬にして凍りつく空気。<br /> いまの、なに? ジュンとみつが、眼で会話する。<br /> そこに、巴の消え入りそうな声が割り込んだ。<br />  <br /> 「空中トゥモエチョップ」<br /> 「……あ? ……元彌? すまん、柏葉。よく聞き取れなかったんだが」<br /> 「ごめん、巴ちゃん。あたしも聞き取れなかった。わんもあぷりーず」<br />  <br /> さすがに、いたたまれなくなったのだろう。<br /> ジュンの背中から飛び降りるや、巴は2人に背を向け、しゃがみこんでしまった。<br /> 「ううん……なんでもない。忘れて」<br />  <br /> 忘れろと言われても、少々、インパクトが強烈すぎた。<br /> 生真面目のカタマリ魂みたいな巴が演じた、よもやの痴態――いや、狂言か?<br /> どうフォローしたものかと、ジュンたちが考えあぐねていると……<br />  <br /> 「おーい。どうしたのかね?」<br />  <br /> のんびりした嗄れ声が、車輪の回る音を伴って、彼らの背後から届いた。<br /> 振り返ると、一頭立ての小さな馬車が近づいてくるではないか。<br /> 馭者は、ハンチング帽をかぶった老人。オープントップの荷台に、貞淑そうな老女も見える。<br /> ジュンは思わず「あっ」と声を上げた。彼の顔なじみだったからだ。<br />  <br /> 「そっちの少年は、急病かい? なんだったら、町まで乗せてあげるよ」<br />  <br /> 少年だって? ジュンは咄嗟に、自分のことを言われたのだと思った。<br /> しかし、屈んでいるのは巴であって、彼ではない。<br /> ショートカットの後ろ姿だけ見て、どうやら彼女を、男の子と勘違いしたらしい。<br />  <br /> 真相に気づいたジュンとみつが噴きだすのと、巴が肩越しに振り返ったのは、ほぼ同時。<br /> その段になって、老人もやっと、自分の誤りを悟った。<br />  <br /> 「やややっ、娘さんじゃったか。これは失敬した」<br /> 「いえいえー、お気になさらず。よく間違われてますからー」<br />  <br /> などと軽い調子で人なつっこく答えたのは、みつ。<br /> あまりに素早い対応だったので、巴やジュンが口を挟む間もなかったほどだ。<br />  <br /> 「それは、ともかく」みつは、馬車に歩み寄って、ぺこりと会釈した。<br /> 「ご覧のとおり、連れが急に具合を悪くしたもので、難儀してます」<br />  <br /> なんの話だ。訊き返そうとしたジュンに、みつが目配せしてくる。<br /> 巴は、彼女の意図を察したのだろう。タイミングよく苦しげに呻きだした。<br /> ワケも分からず、呆気に取られるジュンは、完全なおいてきぼり状態である。<br />  <br /> 「恐縮ですけど、ご厚意に甘えさせていただけたらと……」<br />  <br /> なるほど、そう言うことか。ここに至って、ようやくジュンも得心した。<br /> 2人の仲間は、彼のために、如才なく芝居を打ってくれているのだ。<br /> ならば、ジュンとしても、協力することに吝かでない。<br />  <br /> 「お願いします」<br /> 言って、ジュンも御者台の老人に向かって、深々と頭を下げた。<br /> ほんの少しだけ、小賢しい生き方を学んだ気がした。<br />  <br />  <br />   ~  ~  ~<br />   <br /> 老人は、柴崎元治と名乗った。時計職人で、置き時計の出張修理をした帰りだという。<br /> 荷台に乗っていた老女は、元治の妻。やはり、翠星石の祖父母だった。<br /> しかし、ここでは現実世界と異なり、向こうはジュンのことなど知らなかった。<br />  <br /> 「大変だったのねえ、本当に」<br /> 巴の背中をさすっていた老女――柴崎マツが、みつのほうに向き直る。<br /> 「お薬の持ち合わせを、スリに盗られてしまうなんて」<br />  <br /> なにかと体調を崩しがちな老人にとって、薬がないのは怖ろしい状況なのだろう。<br /> 同情に満ちたマツの表情にも、我が身に置き換えたときの不安が垣間見える。<br /> こちらの柴崎夫妻も、現実世界と違わず、思いやりに満ちた善良な人たちらしい。<br />  <br /> 「あたしたちにも油断があったとは言え、アタマきちゃうわよねー。<br />  盛り場に不心得者が寄ってくるのは、世の常なんだろうけど」<br />  <br /> みつの返事に、マツも「ええ、ええ」と、頻りに頷く。<br /> 「私たちもねぇ、賑やかな街に出張するときは怖くて、気が気じゃないのよ」<br />  <br /> 「だから――」ジュンが、荷台の隅に置かれた無骨なモノを、視線で指す。<br /> 「そんな物を積んでるのか?」<br />  <br /> 彼の言う『そんな物』とは、あまりにも有名な『バールのようなもの』だった。<br /> 子供でも簡単に扱えるし、壊れにくく、そこそこ威力もある優れモノだ。<br /> 老人の細腕で、盗賊やモンスターを撃退しようと思えば、妥当な選択だろう。<br /> どれほどの効力があるかはさておき、備えあれば憂いなし。<br />  <br /> マツは悲しげな顔で首肯した。「必要悪よね。使いたくは、ないのだけれど」<br />  <br /> それは当然だ。誰だって、理不尽な暴力に命まで奪われたくはない。<br /> ベジータに襲われたときのことを、ジュンは思い出していた。<br /> ならず者相手には、所持金を渡すだけで済まない場合が多々ある。<br /> 本意でなくても、兇悪には対等以上の武力をもって抗う。それが最良の防御法なのだ。<br />  <br /> 「それならさ」と、ジュンは微笑して、みつと巴を順繰りに見た。<br /> 「せめて僕らが同行してる間は、それを使わずに済ませてあげないか」<br />  <br /> せめてもの恩返しに、護衛役を買ってでよう。<br /> ジュンの提案を受けて、2人の仲間も笑顔で頷いた。が、その直後!<br />  <br /> 「ぅわあっ!」<br />  <br /> 御者台にいた元治が、驚きの声をあげて、馬車を急停車させたではないか。<br /> ハッと腰を浮かせたジュンたちが視たもの――<br /> それは、驚いて竿立ちになった馬と、彼らの進路を塞ぐ異物の列だった。<br />  <br /> 「な……なによ、これ? マジックショーとか?」<br /> 「知らん。いきなり、地面から突き出てきたのじゃ」<br /> 「この辺りでは、よくある自然現象なのかも……」<br /> 「どう見ても天変地異の類だと思うぞ、柏葉」<br />  <br /> みつと巴の言を、元治とジュンが代わる代わるに否定する。<br /> しかし、彼らとて、その正体を説明することはできなかった。<br />  <br /> 「とにかく、取り除けるか調べてみよう。爺さんたちは、残ってなよ」<br />  <br /> 率先して、ジュンが竹刀を片手に、荷台から飛び降りた。<br /> この緊急事態に、股間が痛いなどとは言ってられない。<br />  <br /> 「これは……紫水晶っぽいな。なんだってまた、こんな物が突然?」<br /> 慎重に近づいたジュンは、水晶の柱を竹刀で小突いてみた。硬質な手応えがあった。<br /> 「やっぱり、本物の紫水晶だよ。幻影とかのフェイクじゃない」<br />  <br /> 彼を追いかけてきた巴とみつも、一様に首を傾げる。<br /> よもや、隕石みたいに空から降ってきたワケでもあるまい。<br /> 柴崎老人も、地面から突きだしたと証言していた。<br />  <br /> 「簡単に撤去できるのかな? ちょっと試してみるね。えいっ!」<br />  <br /> 止める間もなく、巴が飛び蹴りをかましたが、水晶柱は頑として動かず。<br /> 蹴った巴のほうが、足を押さえて、その場に蹲ってしまった。<br />  <br /> 「人力じゃ無理そうだな。この分だと、バールで叩いても砕けるかどうか」<br /> 「しょうがないわねえ。借りすぎだけど、ここはイッシュ・カーンに……」<br /> 「待て待て、みっちゃん。ご利用は計画的に」<br />  <br /> やおら伝家の宝刀『¥ロッド』を掲げた召喚師を、ジュンが押し留める。<br /> しかしながら、彼にも、これといった名案はなかった。<br /> 馬車を迂回させるにしても、路肩は両側とも水田。はまれば行動不能になろう。<br /> さりとて、老人たちを見捨てては行けない。引き返すのも、負けたみたいで嫌だ。<br />  <br /> では、どうする――アイフル。<br /> 途方に暮れていると……ククッ。含み笑いが、どこからか流れてきた。<br />  <br /> 「誰だっ! 出てこい!」<br />  <br /> ジュンが叫ぶや否や、ひらり……水晶柱の頂に舞い上がる人影が!<br /> つられてハッと顔を仰け反らせたジュンは、そこに長い髪の女の子を見た。<br /> 花弁を思わす、ひらひらした薄紫色のドレスを着た娘だ。左眼を、眼帯で覆っている。<br /> その娘は、ジュンたちを一瞥してニヤリと笑うと、からかうように歌い出した。<br />  <br /> 「とっおせんぼ、とおせんぼー。どうしましょったら、どうしましょー」<br /> 「なんなんだ、おまえは?」<br />  <br /> ジュンの誰何に、謎の眼帯娘はピンと立てた両手の人差し指を頬に当てて、ぶりっ子ポーズ。<br /> 「いたずらウサギだぴょん」<br />  <br /> はあ? ジュンは眉根を寄せた。彼女は、どうみても普通の女の子。<br /> ウサギだなんて、こちらを煙に巻こうとしての戯言ではないのか。<br /> けれど、昔話の『鶴女房』みたいに、人間そっくりに化けているのかも知れない。<br />  <br /> 「ちょっと、こっちに降りてきてくれないか。訊きたいことがあるんだ」<br /> 「……いいよ。ぴょんぴょん……っと」<br />  <br /> ふわりふわり。水晶柱の頂を跳ねてくる。じつに身軽な仕種だ。<br /> ジュンの前に降り立った彼女は、挑むように彼を見つめた。「なにが訊きたいの?」<br />  <br /> 「それは――どぅあ?!」<br /> 話そうとした折りもおり、ジュンはいきなり、みつのタックルで真横に吹っ飛ばされていた。<br />  <br /> 「か……かわいいー! お持ち帰りしたいぃーっ!」<br /> 「わ、私も……だっこしたい」<br /> 「みっちゃんモチツケ! 柏葉も、なに血迷ってんだ!」<br />  <br /> 自称いたずらウサギに抱きつく乙女組のアタマを、ジュンのゲンコツが薙ぎ払う。<br /> 「おまえら、少しアタマ冷やそうか」<br />  <br /> 頭を抱えて蹲る2人を尻目に、ジュンは竹刀の切っ先を、謎の眼帯娘に突き付けた。<br /> 「この水晶柱は、おまえの仕業か? なんで、こんな悪さをするんだ!」<br />  <br /> 「だって――」にこ~、と無邪気な笑みを湛える眼帯娘。<br /> 「愉しいじゃん。人の不幸は大好きさっ! 人の不幸は大好きさっ!」<br />  <br /> しかも、腕と腰を振り振り、ダンス付きで不謹慎な歌まで披露しだす始末だ。<br /> これでは、まともな会話など望めない。言って素直に聞き入れる相手でもなかろう。<br /> 向こうのペースに翻弄されている間は、勝機など見出せない。<br />  <br /> ならばと、ジュンは逆転の一計を案じ、「おおっ!」と眼帯娘の背後を指差した。<br /> まんまと引っかかった眼帯娘が、不用心に振り返った、その一瞬!<br /> ジュンは神業とも言うべき速さで、娘の背後に回り込み、そして――<br />  <br /> 「尻尾を現せ! この化けウサギめっ!」<br />  <br /> 眼帯娘のスカートを捲った。桃のような白いお尻とTバックが、彼の双眸を眩ませる。<br /> ジュンはつい、「ムッハァー」と奇声を上げてしまった。<br /> それもすぐに、凄まじい金切り声と怒号の速射による三重奏に掻き消される。<br />  <br /> 「きゃあぁっ?! なにするぴょん、このスケベッ!」<br /> 「信じられない! 見損なったわよ、ジュンジュン!」<br /> 「桜田くん最低! 不潔! 女の敵! エロガッパ!」<br />  <br /> ひどい言われようだ。だいたい、エロガッパってなんだよ。<br /> ジュンが反駁しかけた矢先、「この恥辱、絶対に忘れない……きっと復讐してやるぴょん」<br /> 瞳を潤ませた眼帯娘は、水晶柱もろとも霞と消えた。<br /> 撃退したのだ。結果オーライ大成功。<br />  <br /> 「ふふん……どうよ、まさに会心の一撃。大逆転で、めでたく道路も開通だ」<br />  <br /> 自分の機転が功を奏したとあって、ジュンは誇らしげに胸を張った。流れる鼻血は勇者の証し。<br /> ――が、みつと巴は、相も変わらずコワイ顔。<br /> どうやら、ただでは許してもらえなさそうだ。<br /> 結局、いつものパターンかよ。ジュンは肩を竦め、路上で大の字になった。<br />  <br /> 「どんと来い、教育的指導」<br />  <br />  </p>

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