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『孤独の中の神の祝福』 前編」(2008/06/08 (日) 23:00:55) の最新版変更点

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<p align="left"> <br />  <br /> ここから眺める世界は、とても見晴らしがいい。<br /><br /> とりわけ、空が――きちんと、空として見えた。<br /><br /> 周りに、邪魔をする高い建物がないから……<br /><br /> だから、この都会のビル街にあっても、味気ないパッチワークの一部にされることなく、<br /><br /> 空は今日も、天真爛漫に広がっている。<br />  <br />  <br />  <br /> ここから見る景色は、とても気晴らしになる。<br /><br /> ただ、ぼぅ……っと。飽きもせず、蒼穹に目を彷徨わせるだけ。<br /><br /> そうしているだけで、意識はいつの間にか浮き雲となって、風の中を流離っている。<br /><br /> 何度も、数え切れないほど、想い描いてきた夢。<br /><br /> ただ純粋に…………願っていた。<br /><br /><br /><br /> 空を飛びたい――<br /><br /> こんな、息の詰まりそうな世界も、壊れた意識の器も、なにも要らない。<br /><br /> いつか、この窓辺に訪れる天使に連れられて、どこまでも飛んでゆきたい――と。<br /><br /><br /><br /><br />   ――声がする。私を呼んでる。<br /><br /><br /> だぁれ? 訊ねた言葉は、自分でも分からないほどに、呂律が回っていない。<br /> ならば……と。貼りついた瞼を、ムリヤリにこじ開ける。<br /> 途端、あまりにも眩しい光に瞳を射抜かれて、目の奥が痛くなった。<br /><br />  「おはよう、めぐちゃん。具合の方は、変わりない?」<br />  「……最悪」 <br /><br /> 私の答えに、看護士の佐原さんは、ふと眉を曇らせる。<br /> いつもと同じリアクション。<br /> どうせ、心の底では、厄介な娘だと思っているに違いない。<br /> 仕事だからと割り切って、仕方なく相手をしているだけで。<br /><br />  「顔色が良くないみたい。熱があるのかしら。ちょっと体温を計――」<br />  「構わないで。身体の調子は、別に悪くないから」<br />  「でも――」<br />  「いいから、出てって」<br /><br /> まだ何事か言おうとする彼女を睨みつけて黙らせ、私はベッドから起き出した。<br /> 検温したところで、なにが変わると言うの? 治らないものは、治らないのに。<br /><br /> 困り果てている佐原さんを置いて、タオルとブラシを手に、病室を出た。<br /> トイレの脇にある洗面所で、顔を洗い、髪を梳る。<br /> そして……鏡の中の私を見ながら、気づいた。<br /> あなただって、いつもと同じリアクションしか、してないじゃない。<br /><br /><br /> しばらくの間、私は、もう1人の私と見つめ合っていた。<br /><br />  「くたびれた顔してるわね、あなた」<br /><br /> 話しかけると、向こうも、同じ言葉を口にする。<br /> 耳の奥で聞こえる声は、私。<br /> 耳の外から聞こえてくる声が、あなた。<br /><br /><br /> まじまじと鏡を見ながら、思う。<br /> ……そうね。いい加減、この生活にも飽きたし、疲れたわ。<br /><br /> そう遠くない場所にある、終着点。<br /> 見えているのに、そこへと辿り着けないのは、どうして?<br /> 今なお、この世界に私を繋ぎ留めているのは、なんなの?<br /><br /> 無駄な努力を、延々と続けているパパや、病院関係者かな。<br /> それとも――<br /> 私の中のあなたが、生への執着を以て、終着に至ることを拒絶しているのか。<br /><br /><br /> 近づいてくる誰かの気配を感じて、私は胸裡に広げていた思索の本を閉じた。<br /> 鏡から顔を逸らせ、タオルとブラシを手に、洗面台を離れる。<br /> ――と、杖を突いたお婆ちゃんが、フラフラと入ってくるところだった。<br /> 同じフロアに入院している人で、何度か、話をしたことがある。<br /> 洗面所ではなく、トイレに用があるみたい。</p> <p align="left">お婆ちゃんは私に気づくと、柔らかく笑って、軽く会釈する。<br /> 私も小さく顎を引いて、難儀そうにしているお婆ちゃんに、手を貸してあげた。<br /><br /> 弱々しくて、掠れ調子で……でも、ピンと芯の入った声で。「ありがとう」<br /> お婆ちゃんは、しわしわの手で私の手を包み込んで、お礼を言った。<br /> 別に、感謝されるほどのコトじゃないんだけど。<br /><br /><br /> 個室の向こうに消えるのを見届けて、洗面所に引き返しがてら、<br /> 私は手に残る感触から、亡くなった祖母のことを思い出していた。<br /> 発作で苦しんでいるとき、いつも私の手を握って、歌ってくれたっけ。<br /> その歌を聴くと、不思議なほどココロが安らいで、胸の痛みが消えていった。<br /><br /> あの頃はまだ、希望を持って生きてたように思う。<br /> 少なくとも、私は今ほど、刹那的じゃなかった。<br /><br /> でも、祖母が亡くなり、独りで居る時間が多くなって……<br /> いつしか、死ぬことが怖くなくなってた。<br /> 楽になれるのなら、いっそ殺されてもいいとさえ思う自分が、確かに存在している。<br /><br /><br /><br /> 病室に戻った私は、ベッドに座り、窓を開けて、いつものように空を眺める。<br /> 今日も、よく晴れていた。夏にはまだ早いけれど、日射しが強い。<br /> 木々の緑が鮮やかに映えて、目に浸みるほどだった。<br /><br /> ――ふと、風に乗って、微かな歌声が運ばれてきた。<br /> 耳を澄ませる。どうやら、賛美歌みたい。とても響きのある、清らかな声。<br /> そう言えば……と、今更ながら思い出した。この病院の隣には、教会があったのよね。<br /> この歌は、その礼拝堂から聞こえてくるに違いない。<br /><br /> 曲のタイトルは知らない。でも、耳に馴染みのあるメロディーだった。<br /><br /> 私は空を眺めながら、気づけば、歌に合わせてハミングしていた。<br /> なかなかに気分がいい。<br /> 日和もいいことだし、たまには外を散歩してみるのも、楽しいかもね。<br /><br /><br /><br /> ほんの些細な酔狂から、私はそそくさと階下に降りて、病棟の正面玄関を出た。<br /> 目当てはもちろん、教会の礼拝堂。まだ、あの歌は聞こえている。<br /> 聞こえる……んだけど。<br /><br />  「あれ?」<br /><br /> 病院のフェンス越しに、礼拝堂が見える場所に来たものの、歌声は遠ざかっている。<br /> それに、さっきは下から声が届いていたのに、今は上から降ってくる感じだ。<br /><br />  「さては、どこかの病室の患者が、CDでも聴いてるのね」<br /><br /> ……なぁんだ。<br /> 急に白けてしまって、私は礼拝堂に背を向けた。<br /> また、ぼぅっと空を眺めていよう。<br /> 正面玄関へと戻るにつれて、また、歌声が大きくなっていく。<br /><br /> どこの病室から聞こえるのかな? 声を辿って、病棟を見上げた、その先――<br /> 5階にある私の病室から、まっすぐ2つ下の病室の窓辺に、人影があった。<br /> 妙なるソプラノは、紛れもなく、その人が紡ぎ出していた。<br /><br /> でも、美しいのは、声だけじゃなくて。<br /> 私は目を奪われて、その場に立ち尽くしていた。<br /> 注がれている視線に気づいた彼女が、艶然として見つめ返してくるまで、ずっと。<br /><br /> 地上と3階の距離なんかで、彼女の美貌を損なうことなど、できはしなかった。<br /> 病棟の白壁も、彼女の肌や髪と比べたら、ひどく汚れて見える。<br /> なんて、綺麗な人なんだろう。<br /> いまだかつて、私はこんなにも美しい人に、出逢ったことがない。<br /><br /><br />   ――天使?<br /><br /><br /> ウソでも冗談でもなく、私は確かに、予感めいたナニかを感じていた。<br /> この人こそが、私の求めていた『天使』じゃないかしら、と。<br /><br />  「あ、あのっ!」<br /><br /> 思い切って、話しかけてみる。<br /> でも、彼女は微笑んだまま、ぷいっと顔を逸らして……<br /> そのまま、室内に姿を消してしまった。もう、歌も聞こえない。<br /><br /> やっぱり、そうそう簡単に、天使が顕れるワケないかぁ。<br /> 少しばかりの期待は、10倍返しくらいになって、私を落胆させた。<br /> 今日はもう、なにをする気にもならないくらい、ずどーん! とね。<br /><br /> もう、いいわ。検温の時間まで、不貞寝しとこう。<br /> 私が再び歩き出したのと、まさに同じタイミング。<br /> 正面玄関を飛び出してくる人影が、ひとつ。さっきの彼女だった。<br /><br /> 長くて真っ白な髪を風に踊らせて、小走りに、こっちに向かってくる。<br /> あまりに突然のことで、茫然と突っ立っていた私の前に、彼女が立ち止まった。<br /> お互いの距離は約1メートル。相手を警戒させない、絶妙な距離だ。<br /><br /><br /> ここまで近づいてみて、初めて気づいた。<br /> 彼女は、白薔薇を模した精巧な造りの眼帯で、右目を覆い隠していた。<br /> さっき見上げたときには、髪に挿してあるとばかり思ったけど……違ったのね。<br /><br /> それにしても――<br /> 近くで見れば見るほど、限りなく完璧に近い彼女の美貌に、私は圧倒された。<br /> 彼女に見つめられていると意識するだけで、頬ばかりか顔中に、妖しい熱を感じた。<br /><br />  「初めまして」<br /><br /> 鈴の音のように澄んだ声が、私を現実に呼び戻す。<br /><br />  「私は、雪華綺晶」<br />  「え? き……らき……すた?」<br />  「きらきしょう、です」<br />  「あ、ゴメン」<br />  「構いませんわよ、好きに呼んでくださって。それで、貴女のお名前は?」<br />  「柿崎めぐ」<br />  「いい響きですわね。よろしく、めぐ」<br /><br /> 柔らかそうな桜色の唇が、私の名を呼んでくれた。<br /> その事実に、初対面の相手だというのに、警戒するどころか有頂天になって。<br /><br />  「ねえ。少し、お話しない? いいでしょ?」<br /><br /> 私はバカみたいに、はしゃいでさえいた。<br /> でも、仕方ないと思わない?<br /><br /> だって――やっと私のところに、天使が来てくれたんだもの。<br />  <br />  </p>
<p align="left"> <br />  <br /> ここから眺める世界は、とても見晴らしがいい。<br /><br /> とりわけ、空が――きちんと、空として見えた。<br /><br /> 周りに、邪魔をする高い建物がないから……<br /><br /> だから、この都会のビル街にあっても、味気ないパッチワークの一部にされることなく、<br /><br /> 空は今日も、天真爛漫に広がっている。<br />  <br />  <br />  <br /> ここから見る景色は、とても気晴らしになる。<br /><br /> ただ、ぼぅ……っと。飽きもせず、蒼穹に目を彷徨わせるだけ。<br /><br /> そうしているだけで、意識はいつの間にか浮き雲となって、風の中を流離っている。<br /><br /> 何度も、数え切れないほど、想い描いてきた夢。<br /><br /> ただ純粋に…………願っていた。<br /><br /><br /><br /> 空を飛びたい――<br /><br /> こんな、息の詰まりそうな世界も、壊れた意識の器も、なにも要らない。<br /><br /> いつか、この窓辺に訪れる天使に連れられて、どこまでも飛んでゆきたい――と。<br /><br /><br /><br /><br />   ――声がする。私を呼んでる。<br /><br /><br /> だぁれ? 訊ねた言葉は、自分でも分からないほどに、呂律が回っていない。<br /> ならば……と。貼りついた瞼を、ムリヤリにこじ開ける。<br /> 途端、あまりにも眩しい光に瞳を射抜かれて、目の奥が痛くなった。<br /><br />  「おはよう、めぐちゃん。具合の方は、変わりない?」<br />  「……最悪」 <br /><br /> 私の答えに、看護士の佐原さんは、ふと眉を曇らせる。<br /> いつもと同じリアクション。<br /> どうせ、心の底では、厄介な娘だと思っているに違いない。<br /> 仕事だからと割り切って、仕方なく相手をしているだけで。<br /><br />  「顔色が良くないみたい。熱があるのかしら。ちょっと体温を計――」<br />  「構わないで。身体の調子は、別に悪くないから」<br />  「でも――」<br />  「いいから、出てって」<br /><br /> まだ何事か言おうとする彼女を睨みつけて黙らせ、私はベッドから起き出した。<br /> 検温したところで、なにが変わると言うの? 治らないものは、治らないのに。<br /><br /> 困り果てている佐原さんを置いて、タオルとブラシを手に、病室を出た。<br /> トイレの脇にある洗面所で、顔を洗い、髪を梳る。<br /> そして……鏡の中の私を見ながら、気づいた。<br /> あなただって、いつもと同じリアクションしか、してないじゃない。<br /><br /><br /> しばらくの間、私は、もう1人の私と見つめ合っていた。<br /><br />  「くたびれた顔してるわね、あなた」<br /><br /> 話しかけると、向こうも、同じ言葉を口にする。<br /> 耳の奥で聞こえる声は、私。<br /> 耳の外から聞こえてくる声が、あなた。<br /><br /><br /> まじまじと鏡を見ながら、思う。<br /> ……そうね。いい加減、この生活にも飽きたし、疲れたわ。<br /><br /> そう遠くない場所にある、終着点。<br /> 見えているのに、そこへと辿り着けないのは、どうして?<br /> 今なお、この世界に私を繋ぎ留めているのは、なんなの?<br /><br /> 無駄な努力を、延々と続けているパパや、病院関係者かな。<br /> それとも――<br /> 私の中のあなたが、生への執着を以て、終着に至ることを拒絶しているのか。<br /><br /><br /> 近づいてくる誰かの気配を感じて、私は胸裡に広げていた思索の本を閉じた。<br /> 鏡から顔を逸らせ、タオルとブラシを手に、洗面台を離れる。<br /> ――と、杖を突いたお婆ちゃんが、フラフラと入ってくるところだった。<br /> 同じフロアに入院している人で、何度か、話をしたことがある。<br /> 洗面所ではなく、トイレに用があるみたい。<br /><br /> お婆ちゃんは私に気づくと、柔らかく笑って、軽く会釈する。<br /> 私も小さく顎を引いて、難儀そうにしているお婆ちゃんに、手を貸してあげた。<br /><br /> 弱々しくて、掠れ調子で……でも、ピンと芯の入った声で。「ありがとう」<br /> お婆ちゃんは、しわしわの手で私の手を包み込んで、お礼を言った。<br /> 別に、感謝されるほどのコトじゃないんだけど。<br /><br /><br /> 個室の向こうに消えるのを見届けて、洗面所に引き返しがてら、<br /> 私は手に残る感触から、亡くなった祖母のことを思い出していた。<br /> 発作で苦しんでいるとき、いつも私の手を握って、歌ってくれたっけ。<br /> その歌を聴くと、不思議なほどココロが安らいで、胸の痛みが消えていった。<br /><br /> あの頃はまだ、希望を持って生きてたように思う。<br /> 少なくとも、私は今ほど、刹那的じゃなかった。<br /><br /> でも、祖母が亡くなり、独りで居る時間が多くなって……<br /> いつしか、死ぬことが怖くなくなってた。<br /> 楽になれるのなら、いっそ殺されてもいいとさえ思う自分が、確かに存在している。<br /><br /><br /><br /> 病室に戻った私は、ベッドに座り、窓を開けて、いつものように空を眺める。<br /> 今日も、よく晴れていた。夏にはまだ早いけれど、日射しが強い。<br /> 木々の緑が鮮やかに映えて、目に浸みるほどだった。<br /><br /> ――ふと、風に乗って、微かな歌声が運ばれてきた。<br /> 耳を澄ませる。どうやら、賛美歌みたい。とても響きのある、清らかな声。<br /> そう言えば……と、今更ながら思い出した。この病院の隣には、教会があったのよね。<br /> この歌は、その礼拝堂から聞こえてくるに違いない。<br /><br /> 曲のタイトルは知らない。でも、耳に馴染みのあるメロディーだった。<br /><br /> 私は空を眺めながら、気づけば、歌に合わせてハミングしていた。<br /> なかなかに気分がいい。<br /> 日和もいいことだし、たまには外を散歩してみるのも、楽しいかもね。<br /><br /><br /><br /> ほんの些細な酔狂から、私はそそくさと階下に降りて、病棟の正面玄関を出た。<br /> 目当てはもちろん、教会の礼拝堂。まだ、あの歌は聞こえている。<br /> 聞こえる……んだけど。<br /><br />  「あれ?」<br /><br /> 病院のフェンス越しに、礼拝堂が見える場所に来たものの、歌声は遠ざかっている。<br /> それに、さっきは下から声が届いていたのに、今は上から降ってくる感じだ。<br /><br />  「さては、どこかの病室の患者が、CDでも聴いてるのね」<br /><br /> ……なぁんだ。<br /> 急に白けてしまって、私は礼拝堂に背を向けた。<br /> また、ぼぅっと空を眺めていよう。<br /> 正面玄関へと戻るにつれて、また、歌声が大きくなっていく。<br /><br /> どこの病室から聞こえるのかな? 声を辿って、病棟を見上げた、その先――<br /> 5階にある私の病室から、まっすぐ2つ下の病室の窓辺に、人影があった。<br /> 妙なるソプラノは、紛れもなく、その人が紡ぎ出していた。<br /><br /> でも、美しいのは、声だけじゃなくて。<br /> 私は目を奪われて、その場に立ち尽くしていた。<br /> 注がれている視線に気づいた彼女が、艶然として見つめ返してくるまで、ずっと。<br /><br /> 地上と3階の距離なんかで、彼女の美貌を損なうことなど、できはしなかった。<br /> 病棟の白壁も、彼女の肌や髪と比べたら、ひどく汚れて見える。<br /> なんて、綺麗な人なんだろう。<br /> いまだかつて、私はこんなにも美しい人に、出逢ったことがない。<br /><br /><br />   ――天使?<br /><br /><br /> ウソでも冗談でもなく、私は確かに、予感めいたナニかを感じていた。<br /> この人こそが、私の求めていた『天使』じゃないかしら、と。<br /><br />  「あ、あのっ!」<br /><br /> 思い切って、話しかけてみる。<br /> でも、彼女は微笑んだまま、ぷいっと顔を逸らして……<br /> そのまま、室内に姿を消してしまった。もう、歌も聞こえない。<br /><br /> やっぱり、そうそう簡単に、天使が顕れるワケないかぁ。<br /> 少しばかりの期待は、10倍返しくらいになって、私を落胆させた。<br /> 今日はもう、なにをする気にもならないくらい、ずどーん! とね。<br /><br /> もう、いいわ。検温の時間まで、不貞寝しとこう。<br /> 私が再び歩き出したのと、まさに同じタイミング。<br /> 正面玄関を飛び出してくる人影が、ひとつ。さっきの彼女だった。<br /><br /> 長くて真っ白な髪を風に踊らせて、小走りに、こっちに向かってくる。<br /> あまりに突然のことで、茫然と突っ立っていた私の前に、彼女が立ち止まった。<br /> お互いの距離は約1メートル。相手を警戒させない、絶妙な距離だ。<br /><br /><br /> ここまで近づいてみて、初めて気づいた。<br /> 彼女は、白薔薇を模した精巧な造りの眼帯で、右目を覆い隠していた。<br /> さっき見上げたときには、髪に挿してあるとばかり思ったけど……違ったのね。<br /><br /> それにしても――<br /> 近くで見れば見るほど、限りなく完璧に近い彼女の美貌に、私は圧倒された。<br /> 彼女に見つめられていると意識するだけで、頬ばかりか顔中に、妖しい熱を感じた。<br /><br />  「初めまして」<br /><br /> 鈴の音のように澄んだ声が、私を現実に呼び戻す。<br /><br />  「私は、雪華綺晶」<br />  「え? き……らき……すた?」<br />  「きらきしょう、です」<br />  「あ、ゴメン」<br />  「構いませんわよ、好きに呼んでくださって。それで、貴女のお名前は?」<br />  「柿崎めぐ」<br />  「いい響きですわね。よろしく、めぐ」<br /><br /> 柔らかそうな桜色の唇が、私の名を呼んでくれた。<br /> その事実に、初対面の相手だというのに、警戒するどころか有頂天になって。<br /><br />  「ねえ。少し、お話しない? いいでしょ?」<br /><br /> 私はバカみたいに、はしゃいでさえいた。<br /> でも、仕方ないと思わない?<br /><br /> だって――やっと私のところに、天使が来てくれたんだもの。<br />  <br />  <br />   <a href="http://www9.atwiki.jp/rozenmaidenhumanss/pages/3799.html">中編につづく</a><br />  </p>

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