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【さくらのノート】」(2008/01/09 (水) 00:32:58) の最新版変更点

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    きれい。  私はいつだって、この景色を見るのがすきだ。  いつだって、とは言っても。  結局のところ、短い時間しか出逢えないことを、もう知っている。  一年中、今、ならばいいのに。  そんな子供みたいな台詞を、今の私はもう言わない。  口にしない代わりに……手を動かそう。  景色を、いつまでも留めておくために。  この鉛筆一本あれば、何だって描けるのだから。  少し、風が強い――あんまりつよく、吹いては駄目なの。  折角の花びらが、散ってしまうから――  けれど、この風はやむこともなく。  ずっと花びらを、散らし続ける。  しろい光を、私の眼に映して。  溜息を少しついて、私はその様を見守りながら、鉛筆を握り締めた。  この瞬間さえ、描いてみせると。そう、思いながら。  まだ描かれていない真っ白なページと。  私の白いスカートの裾が、風に舞って翻った。 ―――― 【さくらのノート】  いつものように一日が始まって、私は早速外へ飛び出す。  ずっと部屋には居られない、私はあそこに居るのが、あまりすきではないから。  そんなことを言いつつも、私はきっと、部屋に戻ったときに怒られるのだろう。  怒られるのはきらい。けれど、大体「怒られないこと」を心掛けているときは、自分がつまらない。それが、言い訳。いつも一緒の、言い訳。  手元には、ちょっとしたものが入るバッグを持った。中身は、いつも通り。  向かう場所は、決まっている。桜の樹がたくさんある、森の入り口。  私は森の中へは入らない。ただ、森の入り口には白いベンチがあって、それは私にとっての特等席だった。  歩いて程なく、私はそこにたどり着いた。いつものようにベンチはあって、いつものように桜の樹々は風を受けてそよいでいる。  ざぁ、と、一際強い風が吹いたものだから、花びらが沢山散っていった。  いつものベンチに、人影が見える。うたた寝をしていた様子だったけれど、風の音で眼を覚ましたのか――顔を上げて、そしてこちらの方を見た。 「やあ、いい天気だね。――君は、誰だろう?」  きょとん、とした顔、だった。 「ひないちご。雛苺っていうのよ。あなたのお名前は、何?」 「僕か? 僕はジュン」 「そう、ジュンというのね。――今日は本当にいい天気。けど――」 「けど?」 「ちょっと風が、強すぎるの。このままじゃ、桜が散ってしまうわ」  見上げる。風はさきほどよりも穏やかになっていたけれど、それでも桜の花びらは、散り続けている。 「ん。けどまあ、良いじゃないか」 「どうして?」 「今の一瞬だから、きれいだって思うこともあるさ。桜の気持ちは僕はわからないけど、確かな今がうつくしい。そう考えても、良いんじゃないかと思う」  今の一瞬。こういうの、ほんの短い時間――刹那、という言葉を、何処かで聞いた。 「桜の花って、本当に桜色だなあ。ピンクって言ってもいいけど、桜色っていう響きがよく似合う」 「……」 「どうしたの?」 「ううん、なんでもないの」  私はバッグから、ノートを一冊取り出した。 「お隣、座ってもいい?」 「ああ、どうぞ」  鉛筆を握り締めた。桜色、か。思いながら少し、眼を閉じる。そうだ、桜は、あんな色をしていたっけ…… 「絵を描くのか?」 「そう。私、この景色を描くのが、すきなの」 「ふぅん、何かいいな、そういうの。ちょっと見せてくれないか? それ」  ノートを手渡した。ぱらりぱらりと、彼は頁をめくっていく。 「へぇ……凄いな。よく見てる、って感じがする。色の濃淡なんか、これ、鉛筆画だろう。よくここまで光の調子を表せるもんだ」 「そう? えへへ……」 「そうさ。凄いよ」  私は色を使わない。だって私は、色がわからないから。  いつからかは、覚えていない。遠い記憶の中にある、『色付いた景色』――段々と薄れていく、その記憶。しかしそれが、私が今、『色の無い景色』の中に居ることを、教えようとする。 「ちょっと時間を貰ってもいい? ヒナ、絵を描きたいの」 「いいよ。僕もすることは無いし――」  きれい。ああ、本当にきれいな景色。 ――――― 「出来たのか?」 「うん――」  ノートの一面に描かれた、私の眼に焼きついた一瞬が、手元に残る。 「きれいだ。うん、本当に、きれいだ」 「えへへ……ありがと」  言いながら、髪を撫でてくれる。  懐かしい。――懐かしい?  風が吹く。今の一瞬ですら、この手に留めておくことが出来ない。  この瞬間が、途方もない速さで過去になる。今が、遠い昔になっていく。  ああ、だから絵を描こうと思ったんだ。  いつまでも、残しておこうと思って。  あなたは、覚えていないのでしょう?  だって、遠い昔のお話だから。  あなたは、私にこの鉛筆と、ノートをくれたのよ。  あなたの持っている、その黒いトランクを開けて。  ページは実のところ、ほとんど埋まっていない。  このノートは、大切に使おうと思っているから。  頭の中では、数え切れない程の絵を描いた。  私は、この景色を描くのが、とてもすきなの。とても―― ――― 「――眼が覚めたか?」 「うゅ、……」  あなたに髪を撫でられている間に、いつの間にやら眠ってしまっていたのだろう。  肩に預けていた頭を、起こす。 「まだ、そんなに時間は経ってない。せいぜい三十分位か。無理して早起きしたんじゃないか?」 「……ヒナ、そんなにお子様じゃないのよ?」  ぷぅ、と頬を膨らますと、本当に可笑しそうな様子であなたは笑った。  そうか、ごめんと。一言謝って、あなたは立ち上がる。 「そろそろ行くよ」 「森に、入るのかしら?」 「うん。今日は何だか、いろいろ歩いてみたくてね。ありがとう、楽しい時間だった」  そう言って歩き出そうとしたが、私は思わずそれを引き止めた。 「えと――これ、良かったら、貰ってほしいの」  先程描いた、桜の景色。そのページを、丁寧に破りとった。ちゃんと、私のサインもしておく。 「これ……いいのか?」 「うん、いいの。ジュンに、持っててほしいのよ。桜の絵なのに、しろくろだけど……」 「そうか、成る程。いや、綺麗な桜色の景色だよ」  え? と。一瞬、私は眼をまるくした。 「描いたのは鉛筆でも、この紙はうすい桜色をしているんだ。君の着ている服と、一緒だね。桜色の便箋に――君の手紙として、貰っておくよ。ありがとう」  ――大事なものだから、しまっておかないとな。  そう言って。紙をトランクにごそごそと仕舞いこんでから、あなたは森へと入っていった。 ―――  ベンチに座り、ひとり。桜はまだ、散り続けている。  ねえ、ジュン。あなたは、不思議なひと。あなたは、私の知らないうちに、桜の色を私にくれたのね。今だって、そうよ。私の服は、真っ白じゃなかった。この桜と同じ色に、包まれていたの。  もう忘れてしまったのだろうけど、――私は、確かめることなど、しないけど。  きっと次に逢った時は、覚えていてくれるかしら。  今が、遠い過去になっていくならば。それも、難しいかもしれない。  でも、それで、いいの。  今度また、あなたが私の名前を尋ねるのなら。私もあなたの名前を、尋ねよう。  ――そしてまた、私の絵を、あなたにあげるから。  「今」が遠い昔になっても、何度だってやりなおせるのだもの。  今日という日の、桜。この景色を、もう一枚残しておこうと思って。  私は眼の前の様を、その一瞬を、焼き付ける。  やさしい風が、まだ描かれていない桜色のページと。  私の、桜色のスカートの裾を、そっと撫ぜていった。    

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