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<p>「フゥゥゥ…ふぅ…ふぅ…ついあつくなってしまったわ」<br> <br> マシンピストルの薬莢ばりに言葉をばらまくこと5分あまり。肺活量と滑舌と語嚢の限界に挑みつづけた真紅の<br> 元に、ようやっと落ち着きが里がえりした。対して、真っ向からの猛攻にさらされていたジュンとその隣で<br> 余波をうけていた水銀燈は、正気が帰省ラッシュに巻き込まれたようでぼんやり顔からいまだ立ち直れず、息を<br> 整えている目の前の猛牛に焦点の合わない目を向けながら口を半開きにしている。<br> <br> 「フフ、みっともないところを見せてしまったわね。 さあジュン、おわびではないけれどわが家へいらっしゃい。<br> お母さまはシャーベットも作ってくださるとおっしゃっていたわ」<br> <br> 熱の入り過ぎによってややみだれた前髪をさっとかき上げた真紅の手が、あいているジュンの左の手首へ伸び<br> その自由を奪いとる。全国平均に比べると小柄の枠に放られるジュンよりも、真紅の体格はさらに<br> ひとふたまわりは小さなものだが、どこにそんな力がと疑いたくなるほどに平然と悠然と、少女は座っている<br> 少年を片手の力だけで引っぱり立たせた。 <br> <br> 「……はっ! しィィんくゥゥゥゥ!」<br> <br> グイッ<br> <br> 「っと…」<br> <br> 真紅の豪腕によってずるりと引き抜かれたジュンの腕を求めて、寂しくなった水銀燈の両腕が隙間を埋めんと追い<br> すがる。不意に増した右腕の柔らかな重みに、少年の口は軽い驚きを唱えたが、しかと掴み支えられた左腕が<br> 身持ちを崩すことを許そうとはせず、その身体はよろめくにとどめられた。<br> <br> 「水銀燈、その手をどけなさい」<br> グイッ<br> 「ちょっ…」<br> <br> 「そっちこそはなしなさいよぉ、ジュンがいやがってるじゃないのぉ」<br> グイグイッ<br> 「ねえ…」<br> <br> 「あなたにジュンの何がわかるというの」<br> ググググイッ<br> 「いいかげん…」<br> <br> 「あんたよりはわかってるつもりよぉ」<br> グインチョ<br> 「おぉい…」<br> <br> 「ききわけのない子ね。 つつしみというものを知ったらどうなの」<br> グインパ<br> 「…… ハァ…」 <br> <br> 「そっちこそみっともないわよぉ」<br> グイリンコ<br> 「………」<br> <br> 右へ左へ揺さぶられ、黒いおぐしがぱらぱら振れる。真紅が寄せれば水銀燈が引き、水銀燈が引けば真紅が寄せる。<br> 可愛いふたりの女の子の間でジュンの身体は物理的に揺れ動いているが、心の方はというと再び雲隠れしてしまった<br> ようで、途中まで示していた口をはさもうという努力のふしは閉じた唇の内へと隠れている。<br> <br> 「はなしなさいっ!」<br> <br> 「やぁよぉ!」<br> <br> グググググググ<br> <br> かもし出される昂ぶり、猛り、高まった戦いの空気が、ジュンの身を我ぞ我ぞばかりに引っ張るふたりを中心として<br> 濃密に渦巻いている。望まずして両勢力の衝突点にぶち込まれた少年は目に見えてグッタリしており、水銀燈と<br> ふたり語り合っていた時のなごやかな笑顔は在庫切れの様子だ。そろそろふたつに割れるのではなかろうか、<br> 文字通りの意味で。<br> <br> 「……ゅ……… …ゅ…ん………」<br> <br> 野生に備わる嗅覚が場に溜め込まれるおびただしい熱量を察知したのだろうか、いつしか3人の近隣からセミ<br> たちがすっかりとその姿を消していた。間近な木々の肌は軒並み入居募集中となり、遠巻きとなった夏の住民たちの<br> ミンミン野次は、距離という壁によってすり減りかすれたどこからかの声をかき消さない程度の、品を知った勢いと<br> なっている。<br> <br> 「ゅ…んー…… ジュ…ン…ー…… ジューンーーーーー!」<br> <br> ぱたぱたぱたぱたぱた<br> <br> ジュン国に多大な消耗を強いているふたつの少女国の戦線に、突如もたらされた変化のきざし。とてもげんきの<br> よい声でジュンジュン連呼しながら、中庭と校庭つなぐ砂利道をめいいっぱいに駆けぬけて、これ修羅場じゃね?<br> と伺わずを得ない殺伐としたフィールドへひとりの少女が飛びこんできた。<br> <br> ぴょ~ん ぽすっ<br> <br> 「わぷっ!」 <br> <br> 軽い足音から切りはなされたのびやかな跳躍が、はりつけのジュンと真正面から出会ってやわらかい衝突音を生み<br> だした。飛びついた少女はそのままジュンの後頭にちっこい両腕を、依然ふたりに引っぱられガッと開いている<br> 両脇にちっこい両足をまわし、日差しで焦げた少年の顔をちっこい身体で包み込んだ。<br> <br> 「あのねー、ヒナねー、きょうトモエととしょかん行くのよ」<br> <br> 「へふぇ、ほぉはんは」<br> <br> 児童より幼児と称するにふさわしい容貌をしたその少女…雛苺も、多分に漏れず真紅たちと同じ校指定制服を<br> 身に着けている。卵白を余分に入れてかきまぜたパンケーキの様にふわふわとした金髪はロールをかけて<br> 肩辺りまで伸ばし、頭のてっぺんを見るからに上等なフリルをあしらったピンク色のリボンで飾っている。<br> まとまりの良い顔立ちは今のところ可愛いの域に留まっているが、幼さの殻を破る時期に来ればきっと大化け<br> するだろう。デパートか何かで催されるフランス人形展の硝子ケヱスに忍び込み、ドレスで着飾って眠って<br> いれば、大きめの精巧なおにんぎょうさんとして通りそうだ。<br> <br> とかく自身の呼称に名前を用いたり、小柄中の小柄である外見であったりと、雛苺の何もかもが歳相応という<br> 言葉を下方向へを傾けるように働いている。ジュンたちと等しい学年であることを示した胸の名札が無ければ、<br> 年齢の証明にさえ苦戦しそうだ。<br> <br> 「いっぱいお本よむの。 おやすみのあいだにヒナもう30さつよんだのよ」 <br> <br> 「ふへー、ふほひはほへ」<br> <br> 「にゅふふ、てれるのー」<br> <br> このような状況にはよほどのなじみがあるのか、性徴の時期にはまだ縁遠い年頃とはいえまがりなりにも<br> 同年代の女の子から熱烈なハグを受けているにも関わらず、照れや恥をにおわせない様子でジュンは雛苺と<br> やり取りを交わしている。<br> <br> ジュンの口がふさがったままなので、人類が持つ最高のコミニュケーション手段は聞き取りづらさという<br> 難敵にその力を大きくそがれているが、ふたりの相性のなせる業かよほど雛苺の理解力が優れているのか、<br> どうやら意思疎通は成り立っているらしい。<br> <br> もそもそもそ<br> <br> 「ねー、ジュンもくるといいのよ。 トモエもいいっていうの」<br> <br> 「そぉだなぁ…」<br> <br> ジュンにしがみついたまま身体をよじり、ふくふくぺたんこなお腹や胸によって拘束していた彼の顔面を<br> ときはなって、少年らしい華奢さが目立つ肩の上や後頭に己のポジションを移した雛苺。ちょうど肩車の<br> 形となり密着ぶりは薄れたが、お気に召している黒髪の後頭に相変わらずフニフニと身体をすり寄せている。 <br> <br> それにしても、いくら雛苺の体格が相当な小柄とはいえ、ジュンとの身長差は頭ひとつ分ほどしかない。同じ<br> 子供にしがみつきやら肩車やらで全体重を預けられているのだが、支え側には腰がくじけたり膝が震えたりと<br> いった重さをこらえる色が見られず、いたって平然とした様子だ。よほど雛苺が軽いのか、それともジュンが<br> 意外と屈強なのか。<br> <br> 「雛苺、ジュンはこれから私の家にくるの。 こんどになさい」<br> <br> 「しんじちゃだめよぉ。 ジュンは私とデートなんだから」<br> <br> 「うゅ? どっちがほんと?」<br> <br> 「…どっちもないやい」<br> <br> 突然の乱入者によって挿された水もなんのその、やいのやいのと再び争い始めた水銀燈と真紅。綱引きに<br> 合わせて揺れるジュンの頭に雛苺が加わり、今度のメトロノームは一層華やかさ、規模、話題性を増して<br> いる。ジュンの身体的負担も、主に頚椎や脊椎あたりで増しているが。<br> <br> 「ジュン、このかんちがい女にはっきり言ってやってよぉ。 ぼくには水銀燈しか見えないんだーって」<br> <br> 「ジュン、あとくされないようにこのさいきっぱりとおっしゃいな。ぼくの心は真紅のものだと」<br> <br> 「ジュンー、ヒナといっしょにいこー」 <br> <br> それぞれのアプローチにさらされているジュンの目が、十中八九嬉しさ以外の何かのせいで徐々に<br> うるんできている。熱烈と言えばすこしは響きも良いだろうが、ひとから羨ましがられるには前者<br> 2人の要求はあまりに香辛料のききが強すぎるだろう。<br> <br> 「えぇっと… あぁ、じゃあほら、ジャンケン! ジャンケンでどこ行くか決めようよ」<br> <br> 必死にひねり出したと思しきこの状況の打開策は、知名度においては並ぶものの無い至ってシンプルな<br> 勝負のつけ方ではあったが、女の子からのお誘いに対しての応え方としてはかなりヘタレな部類に入る<br> ものだった。ノーと言えない日本人の精神は着実に若い世代へ根を伸ばしているようである。<br> <br> まあ、1ねん1くみと書かれた名札を胸に着けているおとこのコがしょい込むには、この人間関係は<br> どうも負荷がかかりすぎるのだろうが。頚椎とか脊椎とか、両腕とか。<br> <br> 「………… まぁ、きょうのところはそれでかんべんしたげる」<br> <br> 「しょうがないコね、ジュン」</p>
<p>「フゥゥゥ…ふぅ…ふぅ…ついあつくなってしまったわ」<br> <br> マシンピストルの薬莢ばりに言葉をばらまくこと5分あまり。肺活量と滑舌と語嚢の限界に挑みつづけた真紅の<br> 元に、ようやっと落ち着きが里がえりした。対して、真っ向からの猛攻にさらされていたジュンとその隣で<br> 余波をうけていた水銀燈は、正気が帰省ラッシュに巻き込まれたようでぼんやり顔からいまだ立ち直れず、息を<br> 整えている目の前の猛牛に焦点の合わない目を向けながら口を半開きにしている。<br> <br> 「フフ、みっともないところを見せてしまったわね。 さあジュン、おわびではないけれどわが家へいらっしゃい。<br> お母さまはシャーベットも作ってくださるとおっしゃっていたわ」<br> <br> 熱の入り過ぎによってややみだれた前髪をさっとかき上げた真紅の手が、あいているジュンの左の手首へ伸び<br> その自由を奪いとる。全国平均に比べると小柄の枠に放られるジュンよりも、真紅の体格はさらに<br> ひとふたまわりは小さなものだが、どこにそんな力がと疑いたくなるほどに平然と悠然と、少女は座っている<br> 少年を片手の力だけで引っぱり立たせた。 <br> <br> 「……はっ! しィィんくゥゥゥゥ!」<br> <br> グイッ<br> <br> 「っと…」<br> <br> 真紅の豪腕によってずるりと引き抜かれたジュンの腕を求めて、寂しくなった水銀燈の両腕が隙間を埋めんと追い<br> すがる。不意に増した右腕の柔らかな重みに、少年の口は軽い驚きを唱えたが、しかと掴み支えられた左腕が<br> 身持ちを崩すことを許そうとはせず、その身体はよろめくにとどめられた。<br> <br> 「水銀燈、その手をどけなさい」<br> グイッ<br> 「ちょっ…」<br> <br> 「そっちこそはなしなさいよぉ、ジュンがいやがってるじゃないのぉ」<br> グイグイッ<br> 「ねえ…」<br> <br> 「あなたにジュンの何がわかるというの」<br> ググググイッ<br> 「いいかげん…」<br> <br> 「あんたよりはわかってるつもりよぉ」<br> グインチョ<br> 「おぉい…」<br> <br> 「ききわけのない子ね。 つつしみというものを知ったらどうなの」<br> グインパ<br> 「…… ハァ…」 <br> <br> 「そっちこそみっともないわよぉ」<br> グイリンコ<br> 「………」<br> <br> 右へ左へ揺さぶられ、黒いおぐしがぱらぱら振れる。真紅が寄せれば水銀燈が引き、水銀燈が引けば真紅が寄せる。<br> 可愛いふたりの女の子の間でジュンの身体は物理的に揺れ動いているが、心の方はというと再び雲隠れしてしまった<br> ようで、途中まで示していた口をはさもうという努力のふしは閉じた唇の内へと隠れている。<br> <br> 「はなしなさいっ!」<br> <br> 「やぁよぉ!」<br> <br> グググググググ<br> <br> かもし出される昂ぶり、猛り、高まった戦いの空気が、ジュンの身を我ぞ我ぞばかりに引っ張るふたりを中心として<br> 濃密に渦巻いている。望まずして両勢力の衝突点にぶち込まれた少年は目に見えてグッタリしており、水銀燈と<br> ふたり語り合っていた時のなごやかな笑顔は在庫切れの様子だ。そろそろふたつに割れるのではなかろうか、<br> 文字通りの意味で。<br> <br> 「……ゅ……… …ゅ…ん………」<br> <br> 野生に備わる嗅覚が場に溜め込まれるおびただしい熱量を察知したのだろうか、いつしか3人の近隣からセミ<br> たちがすっかりとその姿を消していた。間近な木々の肌は軒並み入居募集中となり、遠巻きとなった夏の住民たちの<br> ミンミン野次は、距離という壁によってすり減りかすれたどこからかの声をかき消さない程度の、品を知った勢いと<br> なっている。<br> <br> 「ゅ…んー…… ジュ…ン…ー…… ジューンーーーーー!」<br> <br> ぱたぱたぱたぱたぱた<br> <br> ジュン国に多大な消耗を強いているふたつの少女国の戦線に、突如もたらされた変化のきざし。とてもげんきの<br> よい声でジュンジュン連呼しながら、中庭と校庭つなぐ砂利道をめいいっぱいに駆けぬけて、これ修羅場じゃね?<br> と伺わずを得ない殺伐としたフィールドへひとりの少女が飛びこんできた。<br> <br> ぴょ~ん ぽすっ<br> <br> 「わぷっ!」 <br> <br> 軽い足音から切りはなされたのびやかな跳躍が、はりつけのジュンと真正面から出会ってやわらかい衝突音を生み<br> だした。飛びついた少女はそのままジュンの後頭にちっこい両腕を、依然ふたりに引っぱられガッと開いている<br> 両脇にちっこい両足をまわし、日差しで焦げた少年の顔をちっこい身体で包み込んだ。<br> <br> 「あのねー、ヒナねー、きょうトモエととしょかん行くのよ」<br> <br> 「へふぇ、ほぉはんは」<br> <br> 児童より幼児と称するにふさわしい容貌をしたその少女…雛苺も、多分に漏れず真紅たちと同じ校指定制服を<br> 身に着けている。卵白を余分に入れてかきまぜたパンケーキの様にふわふわとした金髪はロールをかけて<br> 肩辺りまで伸ばし、頭のてっぺんを見るからに上等なフリルをあしらったピンク色のリボンで飾っている。<br> まとまりの良い顔立ちは今のところ可愛いの域に留まっているが、幼さの殻を破る時期に来ればきっと大化け<br> するだろう。デパートか何かで催されるフランス人形展の硝子ケヱスに忍び込み、ドレスで着飾って眠って<br> いれば、大きめの精巧なおにんぎょうさんとして通りそうだ。<br> <br> とかく自身の呼称に名前を用いたり、小柄中の小柄である外見であったりと、雛苺の何もかもが歳相応という<br> 言葉を下方向へを傾けるように働いている。ジュンたちと等しい学年であることを示した胸の名札が無ければ、<br> 年齢の証明にさえ苦戦しそうだ。<br> <br> 「いっぱいお本よむの。 おやすみのあいだにヒナもう30さつよんだのよ」 <br> <br> 「ふへー、ふほひはほへ」<br> <br> 「にゅふふ、てれるのー」<br> <br> このような状況にはよほどのなじみがあるのか、性徴の時期にはまだ縁遠い年頃とはいえまがりなりにも<br> 同年代の女の子から熱烈なハグを受けているにも関わらず、照れや恥をにおわせない様子でジュンは雛苺と<br> やり取りを交わしている。<br> <br> ジュンの口がふさがったままなので、人類が持つ最高のコミニュケーション手段は聞き取りづらさという<br> 難敵にその力を大きくそがれているが、ふたりの相性のなせる業かよほど雛苺の理解力が優れているのか、<br> どうやら意思疎通は成り立っているらしい。<br> <br> もそもそもそ<br> <br> 「ねー、ジュンもくるといいのよ。 トモエもいいっていうの」<br> <br> 「そぉだなぁ…」<br> <br> ジュンにしがみついたまま身体をよじり、ふくふくぺたんこなお腹や胸によって拘束していた彼の顔面を<br> ときはなって、少年らしい華奢さが目立つ肩の上や後頭に己のポジションを移した雛苺。ちょうど肩車の<br> 形となり密着ぶりは薄れたが、お気に召している黒髪の後頭に相変わらずフニフニと身体をすり寄せている。 <br> <br> それにしても、いくら雛苺の体格が相当な小柄とはいえ、ジュンとの身長差は頭ひとつ分ほどしかない。同じ<br> 子供にしがみつきやら肩車やらで全体重を預けられているのだが、支え側には腰がくじけたり膝が震えたりと<br> いった重さをこらえる色が見られず、いたって平然とした様子だ。よほど雛苺が軽いのか、それともジュンが<br> 意外と屈強なのか。<br> <br> 「雛苺、ジュンはこれから私の家にくるの。 こんどになさい」<br> <br> 「しんじちゃだめよぉ。 ジュンは私とデートなんだから」<br> <br> 「うゅ? どっちがほんと?」<br> <br> 「…どっちもないやい」<br> <br> 突然の乱入者によって挿された水もなんのその、やいのやいのと再び争い始めた水銀燈と真紅。綱引きに<br> 合わせて揺れるジュンの頭に雛苺が加わり、今度のメトロノームは一層華やかさ、規模、話題性を増して<br> いる。ジュンの身体的負担も、主に頚椎や脊椎あたりで増しているが。<br> <br> 「ジュン、このかんちがい女にはっきり言ってやってよぉ。 ぼくには水銀燈しか見えないんだーって」<br> <br> 「ジュン、あとくされないようにこのさいきっぱりとおっしゃいな。ぼくの心は真紅のものだと」<br> <br> 「ジュンー、ヒナといっしょにいこー」 <br> <br> それぞれのアプローチにさらされているジュンの目が、十中八九嬉しさ以外の何かのせいで徐々に<br> うるんできている。熱烈と言えばすこしは響きも良いだろうが、ひとから羨ましがられるには前者<br> 2人の要求はあまりに香辛料のききが強すぎるだろう。<br> <br> 「えぇっと… あぁ、じゃあほら、ジャンケン! ジャンケンでどこ行くか決めようよ」<br> <br> 必死にひねり出したと思しきこの状況の打開策は、知名度においては並ぶものの無い至ってシンプルな<br> 勝負のつけ方ではあったが、女の子からのお誘いに対しての応え方としてはかなりヘタレな部類に入る<br> ものだった。ノーと言えない日本人の精神は着実に若い世代へ根を伸ばしているようである。<br> <br> まあ、1ねん1くみと書かれた名札を胸に着けているおとこのコがしょい込むには、この人間関係は<br> どうも負荷がかかりすぎるのだろうが。頚椎とか脊椎とか、両腕とか。<br> <br> 「………… まぁ、きょうのところはそれでかんべんしたげる」<br> <br> 「しょうがないコね、ジュン」<br> <br> すんなりとは納得しきれないのだろう、真紅と水銀燈は先ほどまでたぎっていた情熱をため息の形で<br> 排気している。が、ふたりとも話が分からない人間ではないようで、しぶしぶといった風体ではあるが<br> 頷きつつ、ジュンの腕を手放した。一種の拷問として成立するであろう先の状態がいかに過酷なもので<br> あったか、ようやく開放された少年の筋骨のできあがっていない手首や肘周りの赤みが、血の巡りを<br> 取り戻しながらじんわりと語っている。<br> <br> 「でもね、ここぞというときにはきちんときめる男になりなさい」<br> <br> 「そうそう、へんに気をもたせてると真紅のためにならないわよぉ」<br> <br> 「あら水銀燈、もうおひるよ。 こんな時間にねごとをほざくなんて、あなたぜんせはフクロウか何か<br> だったんでしょうね」<br> <br> 「ごめんなさいねぇ真紅、ずぼしだったかしら。 だめねぇ私ってば正直すぎて。 ウフフ…」<br> <br> 「うぃー、いっかいしょーぶよー」<br> <br> 発火点間際まで高まった火種の熱を殊更に朗らかな声で吹き冷ましたのは、雛苺なりの気遣いか、<br> それとも単につきあいきれないだけか。ともあれ雛苺の横槍の甲斐もあって、ふたりともつり上がる<br> 眉をどうにか抑えながらといった具合だが、再び我に返って矛を納めたようだ。 <br> <br> ゴクッ<br> <br> 少年の背丈ひとつ分高くなった視点で他を見下ろしつつ、紅葉とまごう手のひらをきゅっと握って<br> 掲げる雛苺。ぐっぱっと閉じ開きしながら、意気込みを右の手に伝える水銀燈。指の関節をパキポキ<br> と鳴らし、闘志を示す真紅。気合の込め方はそれぞれだが、みな同時に喉が波うったあたり、<br> なんだかんだで緊張しているというところは変わりないらしい。<br> <br> 「っし、いくわよぉ」<br> <br> 「さーいしょーは」<br> <br> 「「「グー!」」」<br> <br> 「わっとっと…」<br> <br> 重なる3色の声と共に、くりだされる3つの拳。真紅と水銀燈は言うに及ばず、最も闘志が希薄と<br> 思われる雛苺でさえ勝負にかける気迫は一目置くべきものがあるようで、ちんまりした体から<br> 生まれた力強いグーの勢いに乗せられて、肩車で支えているジュンの足元がぐらっと前へよろめいた。 <br> <br> 「「「じゃーんけーん、ぽいッ!」」」<br> <br> たぶん大型犬ぐらいなら昏倒させられるであろう渾身の勢いで織り成される三角形は、それぞれの頂点が<br> グー、チョキ、パーで形成された三つ巴の姿とあいなった。右と左の勝ちと負けが喰らいあい、みんなが<br> みんな足してゼロの引き分けとなっている。<br> <br> 「ふぅぅぅっ…」<br> <br> 「んんんんん」<br> <br> 「うにゅにゅにゅ」<br> <br> 仕切りなおしとなった戦に一旦背を向けて、水銀燈は深呼吸をしながら両手を擦りあわせ、真紅はうすら<br> 青い血管が浮きあがるほどに右手に力を込め、雛苺はさくせんかいぎと呟きながらこめかみを押さえる。<br> みな みな勝負に血潮をたぎらせているが、ひとりジュンはもうなるようになれと言わんばかりに、ほんのり<br> 冷めた半笑いを顔に貼り付けている。<br> <br> 「…っし、いくわよぉ!」<br> <br> 「「「さーいしょーは、グー!」」」 <br> <br> 気炎うずまき汗がしたたる、ゲンコツ自慢の乙女たち。空をぶん殴る利き手の力みは先ほどの一戦を凌ぎ、決着へと<br> 繋がる静寂の一拍の最中に交わる3者の視線は、十重二十重の思惑がもつれあい、さながら紫電光のくもの糸。<br> <br> 「「「じゃーんけーん、ぽいッ!」」」<br> <br> 出揃った手はチョキ、チョキ、グーで、意地が際立つひとり勝ち。空の上からただひたすらに笑っているお天道様の<br> 下、明暗の明を拾った勝者はまばゆい光点に向けて己の握り拳を突き上げ、暗へと崩れた敗者たちは頭をたれて<br> 自身の人差し指と中指を恨んでいる。<br> <br> 「あぅぅぅ…」<br> <br> 「うゆぅ~…」<br> <br> 「ヨッシャアァなのだわだわー!」<br> <br> 感極まった様子で臓腑のしびれをおたけびに代える少女を、何だかまたしても心が乱れている様子な自称世界の<br> エンプレスを、ジュンは薄めたビールをほんの数滴ばかり混ぜた笑顔で眺めていた。</p>

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