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第五話 『Dear My Friend』」(2007/08/13 (月) 01:10:06) の最新版変更点

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<p> <br> ――どこからか、途切れ途切れにグランドピアノを弾く音が、流れてくる。<br> 初めて耳にする旋律なのに、なんだか……ずっと以前に聞いたことがあるような。<br> そのくせ、記憶を辿ろうとすると、ちぐはぐなメロディしか浮かんでこない。<br> <br> 「うーん……なにか引っかかるんですけどぉ……思い出せませんわねぇ」<br> <br> そう口にする雪華綺晶は、しかし、大して考え悩んだ様子でもなかった。<br> 漏れ聞こえるピアノに合わせ、ふんふんとハミングしながら、腰を揺らしている。<br> 彼女は今、コリンヌの部屋を掃除している最中だった。<br> <br> 窓辺に据え置かれた広い机の上を、おろしたての布巾で丁寧に拭いてゆく。<br> ひととおり拭いた後で、布巾を裏返してみても、塵芥は殆ど付いていなかった。<br> 埃が積もる間もないほど、頻繁に使われているのだろう。<br> <br> 「本当に勤勉な方ですのね、マスターは」<br> <br> 雪華綺晶は感嘆の息を吐きながら、机の隣に鎮座している書架に顔を向けた。<br> そこには多くの本が並び、どれも背表紙が薄汚れている。<br> 中でも、目立って痛んでいる本が一冊、雪華綺晶の眼に付いた。<br> <br> 「これは……『レ・ミゼラブル』。ヴィクトル・ユーゴーの小説ですわね」<br> <br> 痛みが激しいのは、裏を返せば、それだけ手に取られている――ということ。<br> 興味を惹かれた雪華綺晶は、腕を伸ばして、その本に指をかけた。<br> そして、何の気なしに広げた途端、ソレを見つけてしまった。<br> <br> <br> <br>   第五話 『Dear My Friend』<br> <br> <br> <br> あっ! ソレが現れるや、雪華綺晶は、可愛らしい声を出していた。<br> パカッと割れるように開いた本の間に、封筒が挟み込まれていたのだ。<br> 物語はちょうど、19年の徒刑生活で憎悪の塊と化したジャン・ヴァルジャンが、<br> ミリエル司教の慈悲により、正直な人間として生まれ変わる道を示される場面だった。<br> <br> 「これは……マスターに宛てた手紙ですわね」<br> <br> 手にして、矯めつ眇めつしてみる。封は切られていた。<br> つまり、コリンヌが、この手紙を読んだことを意味している。<br> でも、誰が、どこから?<br> 封筒に差出人の記載はなく、消印は、雪華綺晶にとって見慣れない文字だった。<br> <br> 「海外郵便――栞代わりに挟んで、忘れてしまったのでしょうね」<br> <br> こんな扱われ方をするくらいだから、あまり重要ではないのだろう。<br> ――とは思うものの、海外からの郵便物という点が、雪華綺晶の興味をくすぐる。<br> <br> 「今なら誰も居ませんし……ちょっとだけ、読んでみちゃったりして♪」<br> <br> イケナイこととは解っていても、秘密を暴きたくなるのは、人間の性。<br> 響きのいい言葉に置き換えるなら、知的探求心の充足という行為である。<br> 雪華綺晶は机に本を置くと、震える指で、封筒から便箋を抜き取った。<br> そして、呼吸を整え、さあ読もうかと意気込んだ矢先――<br> <br> 「きっらきーっ! お掃除、もう終わったなのーっ?」<br> <br> ノックも無しに、雛苺がドアをバァン! と開けて飛び込んできたから寿命が縮む。<br> 雪華綺晶は「ひぁっ?!」と息を呑んで、ビクーン! と飛び上がった。<br> しかも、指先に巻いた包帯で紙が滑り、便箋を取り落としたから、さあ大変。<br> <br> <br> かさりと床に舞い落ちた紙片に、雛苺の碧眼が吸い寄せられた。<br> 彼女は、じぃっと便箋を見つめ……続いて、雪華綺晶の顔を、じぃっと覗き込んできた。<br> <br> 「――いけないのよ。コリンヌお嬢様のお手紙を、盗み読むなんて」<br> 「えと……あの……こ、これは……そのぉ~」<br> 「きらきーは悪い子なのね。お嬢様に言いつけちゃうのっ」<br> 「ま、待って! マスターには内緒にしてください! お願いですからぁ」<br> 「えー? どうしよっかなぁ♪」<br> <br> 雛苺はニタリと笑って、雪華綺晶の足元に落ちた便箋を拾った。<br> 雪華綺晶はと言えば、肩を竦め、捨てられた子犬みたいに、ぶるぶる震えている。<br> そんな彼女の前で、雛苺は便箋を広げて、瞳を走らせた。<br> <br> 「元気かい、コリンヌ……って、書いてあるのよ」<br> 「――え?」<br> 「へへ……。ヒナも、お手紙を勝手に読んじゃった。だから、ヒナも同罪なのよ。<br>  このこと、二人だけのヒミツよ? お嬢様には、内緒にしておいてあげるの」<br> 「あ……」<br> 「いい、きらきー? もう二度と、こんなコトしちゃ、めっめっーなのよ」<br> 「雛苺さん…………あ……ありがとうございますっ!」<br> <br> 雪華綺晶は、感激した勢いそのままに、雛苺をひしと抱き締めた。<br> よしよし、いい子いい子。<br> 雛苺は、子供っぽい外見に似合わず、大人びた余裕で雪華綺晶の髪を撫でる。<br> <br> 「さあ。お掃除を終わらせたら、コリンヌお嬢様とお茶しに行くのー」<br> 「……はぁい」<br> <br> 涙の滲んだ目元に、雪華綺晶は思わず、机を拭いた布巾を押し当てていた。<br> <br> <br>   ~  ~  ~<br> <br> <br> ――その夜、寝床の中で、雪華綺晶は夢を見た。<br> なんだか、全体的に色褪せた、古い映画のような夢だ。<br> とりとめなく彷徨わせていた彼女の隻眼が、背を向けて佇む人影を捉えた。<br> 男性だろう。肩の幅が広い。短く刈り揃えた褐色の頭髪が、清潔そうだ。<br> <br> あら? あなたは……。雪華綺晶の胸に、そこはかとない懐かしさが甦ってきた。<br> この人とは、以前にも会っている気がする。<br> 名前が、すんなりと出てこないけれど……確かに、見憶えのある背中だった。<br> <br> まるで、彼女のココロの声が聞こえたように、人影が振り返る。<br> とても優しそうな面持ちの男性で、雪華綺晶の姿を認めると、にこり……<br> 並びの良い真っ白な歯を見せて、微笑みかけてきた。<br> <br> なんて、心が暖かくなる微笑。<br> 雪華綺晶は、奇妙な胸の昂りを抑えきれなくなって、走り出していた。<br> ああ……ずっと会いたかった…………あなたに。<br> 触れ合いたい。あなたの温もりが欲しい。あなたの胸に、この身を預けたい。<br> ただ、その一心で雪華綺晶は走り続け、腕を伸ばした。<br> <br> <br> ――だが。<br> 突如として、足元から飛び出してきたナニかが、彼女の腕に絡みつく。<br> 避ける暇もあればこそ。たちまち、腕のみならず、脚を、身体を、束縛されていた。<br> なにか尖ったものが、雪華綺晶の柔肌に幾つも突き刺さり、耐え難い激痛をもたらす。<br> <br> 「痛ぁっ!」<br> <br> 堪えきれず絶叫して、左眼を見開いた雪華綺晶が、潤んだ瞳に映したモノ――<br> それは、長く鋭い棘を無数に突きだした、太くどす黒い荊の蔓だった。<br>  <br>  <br></p> <hr>  <br>  <br>   第五話 終<br> <br> <br>  【3行予告?!】<br> <br> 百万の薔薇のベッドに埋もれ見る夢よりも芳しく、私は生きてるの――<br> きっと、忘れたままの方が……今のままでいる方が、幸せだったのでしょう。<br> でも、わたしは思い出してしまったのです。この胸を疼かせる、仄かな想いを。<br> <br> 次回、第六話 『Shapes Of Love』<br>  
<p> <br>  <br> ――どこからか、途切れ途切れにグランドピアノを弾く音が、流れてくる。<br> 初めて耳にする旋律なのに、なんだか……ずっと以前に聞いたことがあるような。<br> そのくせ、記憶を辿ろうとすると、ちぐはぐなメロディしか浮かんでこない。<br> <br> 「うーん……なにか引っかかるんですけどぉ……思い出せませんわねぇ」<br> <br> そう口にする雪華綺晶は、しかし、大して考え悩んだ様子でもなかった。<br> 漏れ聞こえるピアノに合わせ、ふんふんとハミングしながら、腰を揺らしている。<br> 彼女は今、コリンヌの部屋を掃除している最中だった。<br> <br> 窓辺に据え置かれた広い机の上を、おろしたての布巾で丁寧に拭いてゆく。<br> ひととおり拭いた後で、布巾を裏返してみても、塵芥は殆ど付いていなかった。<br> 埃が積もる間もないほど、頻繁に使われているのだろう。<br> <br> 「本当に勤勉な方ですのね、マスターは」<br> <br> 雪華綺晶は感嘆の息を吐きながら、机の隣に鎮座している書架に顔を向けた。<br> そこには多くの本が並び、どれも背表紙が薄汚れている。<br> 中でも、目立って痛んでいる本が一冊、雪華綺晶の眼に付いた。<br> <br> 「これは……『レ・ミゼラブル』。ヴィクトル・ユーゴーの小説ですわね」<br> <br> 痛みが激しいのは、裏を返せば、それだけ手に取られている――ということ。<br> 興味を惹かれた雪華綺晶は、腕を伸ばして、その本に指をかけた。<br> そして、何の気なしに広げた途端、ソレを見つけてしまった。<br> <br> <br> <br>   第五話 『Dear My Friend』<br> <br> <br> <br> あっ! ソレが現れるや、雪華綺晶は、可愛らしい声を出していた。<br> パカッと割れるように開いた本の間に、封筒が挟み込まれていたのだ。<br> 物語はちょうど、19年の徒刑生活で憎悪の塊と化したジャン・ヴァルジャンが、<br> ミリエル司教の慈悲により、正直な人間として生まれ変わる道を示される場面だった。<br> <br> 「これは……マスターに宛てた手紙ですわね」<br> <br> 手にして、矯めつ眇めつしてみる。封は切られていた。<br> つまり、コリンヌが、この手紙を読んだことを意味している。<br> でも、誰が、どこから?<br> 封筒に差出人の記載はなく、消印は、雪華綺晶にとって見慣れない文字だった。<br> <br> 「海外郵便――栞代わりに挟んで、忘れてしまったのでしょうね」<br> <br> こんな扱われ方をするくらいだから、あまり重要ではないのだろう。<br> ――とは思うものの、海外からの郵便物という点が、雪華綺晶の興味をくすぐる。<br> <br> 「今なら誰も居ませんし……ちょっとだけ、読んでみちゃったりして♪」<br> <br> イケナイこととは解っていても、秘密を暴きたくなるのは、人間の性。<br> 響きのいい言葉に置き換えるなら、知的探求心の充足という行為である。<br> 雪華綺晶は机に本を置くと、震える指で、封筒から便箋を抜き取った。<br> そして、呼吸を整え、さあ読もうかと意気込んだ矢先――<br> <br> 「きっらきーっ! お掃除、もう終わったなのーっ?」<br> <br> ノックも無しに、雛苺がドアをバァン! と開けて飛び込んできたから寿命が縮む。<br> 雪華綺晶は「ひぁっ?!」と息を呑んで、ビクーン! と飛び上がった。<br> しかも、指先に巻いた包帯で紙が滑り、便箋を取り落としたから、さあ大変。<br> <br> <br> かさりと床に舞い落ちた紙片に、雛苺の碧眼が吸い寄せられた。<br> 彼女は、じぃっと便箋を見つめ……続いて、雪華綺晶の顔を、じぃっと覗き込んできた。<br> <br> 「――いけないのよ。コリンヌお嬢様のお手紙を、盗み読むなんて」<br> 「えと……あの……こ、これは……そのぉ~」<br> 「きらきーは悪い子なのね。お嬢様に言いつけちゃうのっ」<br> 「ま、待って! マスターには内緒にしてください! お願いですからぁ」<br> 「えー? どうしよっかなぁ♪」<br> <br> 雛苺はニタリと笑って、雪華綺晶の足元に落ちた便箋を拾った。<br> 雪華綺晶はと言えば、肩を竦め、捨てられた子犬みたいに、ぶるぶる震えている。<br> そんな彼女の前で、雛苺は便箋を広げて、瞳を走らせた。<br> <br> 「元気かい、コリンヌ……って、書いてあるのよ」<br> 「――え?」<br> 「へへ……。ヒナも、お手紙を勝手に読んじゃった。だから、ヒナも同罪なのよ。<br>  このこと、二人だけのヒミツよ? お嬢様には、内緒にしておいてあげるの」<br> 「あ……」<br> 「いい、きらきー? もう二度と、こんなコトしちゃ、めっめっーなのよ」<br> 「雛苺さん…………あ……ありがとうございますっ!」<br> <br> 雪華綺晶は、感激した勢いそのままに、雛苺をひしと抱き締めた。<br> よしよし、いい子いい子。<br> 雛苺は、子供っぽい外見に似合わず、大人びた余裕で雪華綺晶の髪を撫でる。<br> <br> 「さあ。お掃除を終わらせたら、コリンヌお嬢様とお茶しに行くのー」<br> 「……はぁい」<br> <br> 涙の滲んだ目元に、雪華綺晶は思わず、机を拭いた布巾を押し当てていた。<br> <br> <br>   ~  ~  ~<br> <br> <br> ――その夜、寝床の中で、雪華綺晶は夢を見た。<br> なんだか、全体的に色褪せた、古い映画のような夢だ。<br> とりとめなく彷徨わせていた彼女の隻眼が、背を向けて佇む人影を捉えた。<br> 男性だろう。肩の幅が広い。短く刈り揃えた褐色の頭髪が、清潔そうだ。<br> <br> あら? あなたは……。雪華綺晶の胸に、そこはかとない懐かしさが甦ってきた。<br> この人とは、以前にも会っている気がする。<br> 名前が、すんなりと出てこないけれど……確かに、見憶えのある背中だった。<br> <br> まるで、彼女のココロの声が聞こえたように、人影が振り返る。<br> とても優しそうな面持ちの男性で、雪華綺晶の姿を認めると、にこり……<br> 並びの良い真っ白な歯を見せて、微笑みかけてきた。<br> <br> なんて、心が暖かくなる微笑。<br> 雪華綺晶は、奇妙な胸の昂りを抑えきれなくなって、走り出していた。<br> ああ……ずっと会いたかった…………あなたに。<br> 触れ合いたい。あなたの温もりが欲しい。あなたの胸に、この身を預けたい。<br> ただ、その一心で雪華綺晶は走り続け、腕を伸ばした。<br> <br> <br> ――だが。<br> 突如として、足元から飛び出してきたナニかが、彼女の腕に絡みつく。<br> 避ける暇もあればこそ。たちまち、腕のみならず、脚を、身体を、束縛されていた。<br> なにか尖ったものが、雪華綺晶の柔肌に幾つも突き刺さり、耐え難い激痛をもたらす。<br> <br> 「痛ぁっ!」<br> <br> 堪えきれず絶叫して、左眼を見開いた雪華綺晶が、潤んだ瞳に映したモノ――<br> それは、長く鋭い棘を無数に突きだした、太くどす黒い荊の蔓だった。<br>  <br>  <br></p> <hr>  <br>  <br>   第五話 終<br> <br> <br>  【3行予告?!】<br> <br> 百万の薔薇のベッドに埋もれ見る夢よりも芳しく、私は生きてるの――<br> きっと、忘れたままの方が……今のままでいる方が、幸せだったのでしょう。<br> でも、わたしは思い出してしまったのです。この胸を疼かせる、仄かな想いを。<br> <br> 次回、第六話 『Shapes Of Love』<br>  

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